寄せ鍋の夜、銃口の朝~ピースボート乗船から1年~

2016年12月10日。かつて、「ボランティアセンターおおみや」(通称「大宮ボラセン」)というピースボートの事務所でポスターを共に貼った仲間たちが再び集まった。あのころ、ピースボートの船旅に夢を見た仲間たちは、いつのまにかみな地球一周を終えていた。再び集まった仲間たち。でも、帰るべきボラセンは、もう、ない。


メロウ

十日市は大宮最大にして伝統のある祭りだ。ちなみに、「十日市」と書いて「とおかまち」と読む。

この祭りに再び集まろう、そういう話が出たのは2か月ほど前だった。

今から2年前、僕はピースボートの事務所の一つである大宮ボラセンのドアを叩き、ピースボートのボランティアスタッフとして、ポスター貼りを始めた。

「ピースボート地球一周の船旅」との出会い

ポスターを貼るときは一人だ。夜空に浮かぶ月を見て、エレカシの歌を歌いながら、重たいリュックを背負って歩いていた。

でも、ボラセンに帰れば、いつも仲間がいた。同じ釜の飯を食べながら、「地球一周」という夢を語り合う仲間が。年齢もばらばら、歩いてきた畑も違う。場所柄、埼玉出身の人が多いんだけど、東京から通っている子や、東北から来てシェアハウスに住んでるやつもいた。

僕らの共通項は2つだけだった。その一つが、「地球一周に夢を見た」。

そして、もうひとつが、「みんな、何かしらの闇を抱えていた」。

僕らはこの闇を「メロウ」と呼んでいた。仕事のこと、恋愛のこと、学校のこと、人生への言いようのない閉塞感。消えてしまいたいほどの絶望感。

みんな何かしら一ネタ持っていて(スタッフを含め)、みんなでそのメロウを分け合っていた。

僕たちは、ここではないどこかに行きたかった。見たことない世界が見たかった。ここがすべてじゃないんだって証明したかった。

きっと、僕らを海へ駆り立てた理由というのはそういうことなんだと思う。

大宮ボラセンはセンターとしての規模はかなり小さく、マンションのワンルームを借りて運営されていた。ボランティアスタッフ(通称「ボラスタ」)の数もよそのセンターと比べると少ない分、お互いの距離が近かった。

だからなのか、大宮ボラセンはよそからよく、「仲がいい」「アットホーム」と言われていた。

ボラスタ経験者はみな、自分の育ったセンターこそが一番だと思っていると思う。それでいいと思うし、僕も大宮が一番だと胸を張って言える。

そして、去年の10月、大宮ボラセンは4年半の歴史に幕を下ろした。

今宵の月のように

夕方五時。といっても、もうすっかり暗くなっている。最初に大宮駅に集まったのは、僕を含めて4人だった。僕以外はみんな女の子。皆、半年近くあっていなかった。でも、すっかり冷え込んだ12月の空気だけど、あって少ししゃべれば、半年の時間の隔たりなんてとけていった。

後からみんなちらほら来るとのことで、先に氷川神社へ行くことに。あの頃歩いた大宮の街を神社に向けて進んでいく。

一歩一歩、そこにある思い出をかみしめながら。

10分ほどあれば氷川神社にたどり着く。関東地方にいっぱいある氷川神社の総本山。2kmある参道は空から見れば街中に伸びる一本の緑の線に見える。

といっても、2kmも歩くわけはなくて、神社から500m位のところから僕たちは入った。

紅の鳥居をくぐると、普段は緑に囲まれた賛同も今日ばかりは屋台が並び、冬空の下でお月様のように明るい。その中を流れる川のように多くの人が行きかっている。

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十日市の様子

僕たちはステーキ串を買って4人で分け合った。正確に言うと、恵んでもらったんだけど。

途中で大宮のスタッフだった人と合流し、5人で最後の鳥居をくぐり、神社の境内へと入っていく。

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氷川神社の鳥居
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本殿の入り口

いつもだったら開けた砂利の境内も、右も左も上も熊手で囲まれている。そこを抜けて本堂でお参りを済ませ、屋台で味を楽しみながら待っていると、一人、また一人とやってきて、いつのまにか8人に膨れ上がった。

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熊手を売っているところ。
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高い熊手を買うと、三本締めの声が響き渡る。

この時になると、もうすっかりあのころの空気だ。十日市の雰囲気を楽しみつつも、僕らはエレカシのあの歌みたいな、あのころの雰囲気を懐かしむように味わっていた。

「俺たちが集まれば、そこがボラセンだから」

集まれれば、別に十日市でも、クリスマスでも、初詣でも、何でもいいのだ。旅はどこに行くかではなく誰と行くか。ピースボートに乗る人が口をそろえて言う言葉だ。

僕が88回クルーズに乗ることを決めたのは、大宮の仲間がたくさん乗るからだった。だから、地球をぐるっと回ってさえくれれば、行先はどこでもよかったんだ。

人間交差点

夜8時。僕らは大宮から電車に乗って蕨という町に向かった。仲間が働いているホテルで、みんなで鍋パーティ&お泊り会をするのだ。

電車に乗ると、みんなで八景島や秩父に行ったことを思い出した。あのころは、月に1回みんなでどこかへ出かけていた。

電車に乗って15分くらいで蕨駅に着く。日本一小さい市として知られる蕨の駅前は、大きな建物がいっぱい建っている。いつだったか、ここから15分近く歩いてポスターを貼りに行ったっけ。

みんなで駅前のスーパーで買い出しをする。「一番好き嫌いがなさそう」という理由で、鍋のスープは寄せ鍋に決まった。みんなで割って620円。

スーパーを出て8分歩くと、今日の宴のお宿に着く。町中のマンションを改装したと思われるお宿を2部屋借りた。一部屋12000円なのだが、みんなで割って3000円。締めて3620円。

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ホテルのパンフレット

居酒屋で飲むのと同じような値段だ。でも、これでお泊りがつくうえ、プライベートが確保できる。

鍋パは女子部屋で行われることに。部屋の間取りといい、なんだか大宮ボラセンに似ていた。

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ホテルの部屋。大宮ボラセンもこのような感じの部屋だった。こんなオシャレじゃないが。

「本当にいい場所を選んだねー」などと言いあう。

ホテルといっても部屋の中にキッチンも洗濯機もある。お鍋の準備をしたり、足りない食器やいすを男子部屋からとってきたり。

段取りができない僕は、ブログ用に写真を撮るばかり。そういえば「ADHDの段取り」みたいな本があったが、そろそろ本気で読まないといけないのかもしれない。

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鍋の準備をしているところ

9時過ぎになって、船を降りてピースボートスタッフになった仲間が仕事を終えてやってきた。これで予定していた仲間は全員来た。大宮恒例の「海賊乾杯」をする。

「野郎どもー!! 船が出るぞー!!」

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大宮の仲間で東京ONE PIECEタワーへ行ったこともある

といっても、近所迷惑を考えてささやき声である。

鍋を囲みながら、各自の近況が報告される。

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ピザと鍋がターンテーブルとミキサーのように並んでいる
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寄せ鍋。締めはおうどん。

新たな仕事を始めたやつ。

仕事を辞め、旅に出ることを決めた人。

新天地へ向かうことになったやつ。

人生の大きな決断を下した子。

別々の場所からこの大宮に来て、船に乗って、また別々の場所に旅立っていく。まさに人間交差点。

そして、夢の入り口に立った子がいる。ここから少し、その子の話をしたい。

「空は青く澄み渡り、海を目指して歩く」(「RPG」より)

その子は僕より7個年下の女の子だ。

小柄で幼く見え、明るく人懐っこい子だけど、その笑顔の裏には、中学のころ、周りになじむことができず不登校だったという過去を抱えている。

大学へ進学するも、そこでも周囲に、特に同世代の学生たちに溶け込むことができなかった。

近所の人に大学に通っていると告げると、「今が一番楽しい時でしょう」と言われた。

それが、つらかった。

ずっと「普通になりたい」と願っていた。

そんな彼女も地球一周にロマンを感じ、大宮ボラセンに通い、埼玉でポスターを貼るようになった。

そこで、彼女は初めて心を許せる仲間に出会えた。表面上の馴れ合いではなく、それぞれがメロウを抱えた仲間たち。

僕は、彼女のちょっと後輩にあたる。一緒にポスターを貼りに行ったり、大阪の キャンプに参加したり、ずいぶん同じ時間を一緒に過ごした。

僕とその子は同じ船に乗った。船に乗って1週間ほどたったフィリピンでの港の夜、そのこともう一人、当時18歳だった大宮の仲間の男の子に、話があると僕は呼び出された。

その話は、二人が参加している「グローバルスクール」という船内のプログラムに参加しないか、というものだった。

グローバルスクール、通称GSについてはまた日を改めるが、簡単に言えば引きこもりや不登校経験者、今もそのさなかにいる人たちを支援するプログラムだ。実は、僕も船に乗る前に母に参加を促されたが、引きこもりでも不登校でもなかったので参加しなかった。

もちろん、僕は二人にそのことを告げた。どっちの経験もないのに入っていいの?と。

それに対して二人は、決してそういう経験がなければ入れないわけではない、ノックみたいな人がいっぱいいるから入ろうよ、と答えた。

引きこもりは決して僕とは無縁の存在ではない。引きこもりと社会人の境目みたいなところを歩いてきたという自覚があった。

何より、二人のことを信頼していた。

自己評価よりも、二人の意見を信用することにした。

そうして、僕はGSの15人目のメンバーになった。

その時、GS担当のスタッフから聞かされたのが、二人のうち特に女の子の方が僕の加入をプッシュしていたらしい、とのことだった。

「ノックが入ればノックとGS両方に効果があると思う」と言っていたのだとか。

二人が誘ってくれたおかげで、かけがえのない友達が増え、かけがえのない日々が送れた。感謝しても感謝しきれない。

さて、そんな彼女であるが、船の中で大きな変化が見られた。そのきっかけはシンガポールだったと思う。

日本軍によるシンガポール占領の歴史を学ぶ「昭南島ツアー」に僕も彼女も参加していた。

そこで、彼女は血みどろの歴史にショックを受けていた。感受性が豊かなんだ。

その後、昭南島ツアーの報告会の準備をみんなで進めていた。

彼女は発表者の一人だったが、本番前に50人ほどの聴衆を前にガチガチになっていたのを覚えている。

この後あたりから、彼女は今まで関心がなかった「平和」を中心とした国際問題に興味を覚えるようになっていった。アウシュビッツに関する本を借りて読んだり、国際問題に関する企画に積極的に参加していったり。

彼女が今の大学になじめずに悩んでいることを知っている僕は、「やりたいことが見つかったのなら、今の大学なんてやめてそっちに行けばいいのに」と思っていた。

しかし、僕に学校を辞めた経験はない。相談されてもいないのに無責任なことなど言えない。

やがて、彼女は人気のアウシュビッツ見学ツアーの空きを確保し、1週間ほど船を離れ、ポーランドへと向かった。

アウシュビッツで何を見たのか、何を学んだのか、詳しくは知らない。もちろん、アウシュビッツでの話は聞いたが、わかったことは2つ、「現地へ行かないと何もわからない」と、「アウシュビッツに行ったことが彼女に大きな影響を及ぼした」ということ。

帰ってきた彼女は、GSのみんなの前で堂々と宣言した。

「生まれて初めて、夢ができました!」

今の大学を辞めて、平和について学べる大学、学部に入り直す。それが彼女の決断だった。

彼女が自分の意志で答えを出したことで、僕もようやく、ずっと思っていた「大学を辞めて、入り直した方がいいのではないか」という思いを伝えることができた。

でも、日本にいる両親に彼女がその意志を伝えると、両親はとても驚き、帰ったら一回話し合おうと返事をした。

そのことには僕も驚いたが、よくよく考えれば、両親は彼女の船での変化を知らないのだ。当然と言えば当然の反応だった。

それと同時に、家族ですら見ていない彼女の変化を、一人の人間が人生の大きな転機を迎えるのを、こんなにも間近で見させてもらえたことを光栄に思った。普通は学校の先生などの仕事をしないとこんな経験はさせてもらえないと思う。

以前、大宮のスタッフが、「仕事が大変でも、人が変わっていく過程を特等席で見させてもらえる。こんなに楽しい仕事はない」と語っていた。その気持ちが、少しわかった気がした。

それから、彼女は、寄港地の度にスマートフォンで大学を調べたりと、生まれて初めてできた夢に向けてわくわくが止まらない感じだった。船の中でも企画に参加するだけでなく、自ら積極的に企画運営にかかわるようになっていった。

シンガポールの発表会でガチガチに震えていた時の姿は、もうどこにもなかった。

彼女は船を降りて家族と話し合った結果、もう一年今の大学に3年生として通った後、別の大学に2年生として編入することに決めた。

そして、8か月間、彼女は受験勉強をした。

頑張ることに関しては何の心配もしていなかった。むしろ、頑張りすぎてやしないかと心配するくらいだ。

編入試験は一般入試よりも早く終わるため、勉強期間は短い。さらに、一次試験を40人が受けて二次試験に進めるのはたったの4人、その後には教授の面接が待ち受けているという難関だ。

そして迎えた12月10日。彼女の口から、本命の大学への編入が決まったことが告げられた。4月からは親元を離れ、寮生活も始めるそうだ。

もっとも、合格発表の日のLINEが既にうきうきしていたことから、うまくいったんだろうなとなんとなくわかっていたのだが。

約8か月ぶりにあった彼女は、嬉しそうに社会学について語っていた。彼女がかつて不登校だった経験を踏まえて、「不登校が個人にとってリスクになりかねない社会」というものを突き詰めて行きたいと考えていた。

「平和」と聞くと、ついついどこか遠い異国の戦場や、空爆されている市民を思い浮かべる。

だが、憲法9条があるはずのこの日本も実は平和とは言い切れない。今日もどこかで誰かが、閉塞感にあえぎ生きづらさを感じている。

彼女にとっての平和とは、誰しも平等に制度や社会構造の救いの手が差し伸べられること。決して、爆撃機飛び交う砂の街だけが戦場ではない。70年も平和なはずのこの国でも、子供がたった一人で見えないなにかと戦い、爆撃を受けた廃墟のように心が崩れていく。PKOのような応援部隊など誰も来ない。

そういう意味では、戦場で母をなくして泣き叫ぶ子供も、学校に行けず一人部屋にこもって時間をつぶす子供も、彼女にとっては何も違わない。

社会学を学ぶことで、この国を追う「見えない戦争」「かりそめの平和」に光りがさせるのではないか。今、社会学が彼女の希望だ。

彼女がレアケースとは思わない。船に乗って人生を変える大きな出会いがある人を、僕はほかにもたくさん見てきた。

それでも、彼女は僕ら大宮ボラセンの、自慢の妹だ。

わかもののすべて

夜は更ける。

あの頃毎日聞いていた声が隣で響いている。

あの頃毎日見ていた顔に囲まれている。

誰かの話に腹がよじれるほど笑う。

部屋の雰囲気がボラセンに似ていたのもあってか「俺らが集まればそこがボラセン」なのだと実感させられる夜だった。

全員が泊まるわけではなく、明日も仕事だと3人ほどが帰って行った。

が、そのうち一人から電話が。どうやら、道に迷って終電を逃したみたい。

結局、男子3人、女子4人が残った。

船を降りてからこれまでのことを語り合う。本当にあのころに戻ったようだった。

夜もさらにふけ、僕らは男子部屋へと戻って寝ることにした。

時刻は深夜2時。思うと、5時に集合してからここまでびっくりするほど長かった。

「これがずっと続いたらねぇ」

「でも、あのころはこれがずっと続いていたんだなぁ」

本当にあのころに戻ったみたいだ。

でも、本当はもう、あのころには戻れない。淋しいが、わかっている。みんなもう、それぞれの道を歩き出しているのだ。

そして、一人思う。

僕は果たして、歩き出しているのか? この1年、同じところに留まり続けていただけではないのか?

だって、僕には「おめでとう」とか「頑張ってね」って言ってもらえるような報告が何一つない。

 「また会う日までそれぞれの道で」(「琥珀色に染まるこの街は」より)

朝を迎え、9時に女子部屋へと向かいみんなで朝ご飯を食べる。ドラゴンボールはなぜか野球に興じ、ONE PIECEは12ページを30分かけてやっていた。

ホテルから駅へと向かう帰り道、冷たい冬の空気をかき分けながら、「よくこんな寒空の下、みんなポスター貼ってたな」と笑いあう。それぞれがそれぞれの道へと向かい、次に会えるのはいつなんだろう、そんな話をする。

「みんな、埼玉から旅立っちゃうんだねぇ」

やっぱり、僕らの本質は旅人なんだ。ひとところにはとどまらない。つくづくそんなことを考えさせられる。あのころ、埼玉に集った仲間たちの多くは埼玉で暮らしていた。でも、大宮ボラセンが閉鎖して1年。シェアハウスは2か月ぐらい前に閉鎖した。

そして、みんな埼玉から旅立っていく。

でも、僕は埼玉に残る。

新天地へ行く予定もなければ、そもそも引っ越すお金も、部屋を借りるお金もない。

だが、僕の仲間は、お前の感じてる劣等感なんて気のせいだとでも言いたげに笑った。

「ノックは埼玉を守ってよ」

ハシリツヅケル

最寄駅までは電車で10分もかからない。電車を降りて一人になった僕は、どこかもやもやした気持ちと、どこかすがすがしい気持ちを両方抱えて、駅前のスクランブル交差点で信号を待つ。

みんなと久しぶりにあって思ったこと。みんな、前に進んでいる。自分の道を歩き出している。

僕も歩いているつもりでいたが、僕の歩みはどうも遅い。

どうやら、僕は人よりだいぶ不器用らしい。

多くの人はいくつか武器を持っていて、状況に応じて使い分ける。

 

でも僕は、相手が空を飛ぼうが守りに入ろうが、何人いようが愚直に剣を振り回すだけ。相性の良し悪しは関係ない。剣しか持っていないんだから。

思えば、船に乗っている時からそんな生き方だった。立ち止まってうまく立ち回った方がいいんじゃないかと思ったこともあったが、思ったところで立ち回れない。

自分ができること、やりたいことをやるしかなかったし、うまく立ち回っている自分を好きになってもらったところで、たぶん長続きしない。

だから、走りつづけることしかできなかったけど、そうやって数えきれないほどの人と出会えた。

突っ走ったんじゃない。突っ走ることしかできなかった。

地球一周を選んだんじゃない。地球一周しか行くところがなかった。

フリーライターを選んだんじゃない。フリーライターしかできるバイトがなかった。

人一倍、不器用なのだ。臆病でプライドが高くて、かまってちゃんなのだ。

だから、相手が鎧を着ていようが、戦車に乗っていようが、要塞に立てこもっていようが、斬れるまで刀を振り回す。それしか僕にはできない。

人よりは時間がかかるだろうが、それしかできないならそうするしかない。そうやって走りつづければ、ちょっとした奇跡がその先で待っているかもしれない。

だから、僕は僕なりに一歩一歩歩くしかない。僕がほかの誰の真似もできないように、誰も僕の真似はできないはずだ。

そんなポジティブな僕を背後から、ネガティブな僕が銃を突き付け、あざけるように笑う。

「お前さ、おれのこと忘れてない? 人一倍ねたみやすく、人付き合いが苦手で、消えてしまいたい願望を抱えてる俺のことを。船に乗って地球一周してさ、ちょっと成長した気になって、俺のことなんか忘れてんだろ? でも、逃げらんねぇよ。俺はお前だから。俺のことを忘れたら、俺はお前を撃ち殺すよ」

僕は彼の銃口を握り返す。

お前のことを忘れるもんか。この先、どこへ行こうとも、お前と一緒だ。お前は俺だ。

「はっ、どうだか。忘れるなよ。俺はいつでもお前を見てる。お前がこの先どんな幸せを手にしようとも、どんな称賛を浴びようとも、ずっと俺はお前に狙いを定めてる」

信号が変わる。僕は、「僕ら」は、一歩一歩、自分のペースで歩き出した。このまま歩き続ければ、いつかまた「約束のあの場所」でみんなに会えると信じて。

 

この記事を、仲間であり、同志であり、友人であり、家族であり、兄弟であり、帰るべき場所である大宮ボラセンに捧げる。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。