ピースボートに乗船したら、学習・交流系ツアーですごいところに行っちゃった

ピースボートに乗船すると、オプショナルツアーに参加できる。ツアーの中には観光地を巡るものもあるが、現地の歴史や社会問題が学べる学習系、現地の人たちと交流できる交流系もある。今回は、僕が乗船した時に参加した学習系ツアーを1つ、交流系ツアーを2つ紹介しよう。普通の旅ではなかなか行かない、すごい所へ行ってしまった。


乗船した時に参加したピースボートの学習ツアー シンガポール・昭南島の歴史

ツアーの概要

シンガポールは太平洋戦争中、日本に占領されていた。このことを知っている人はあまり屋内と思う。なぜなら、教科書では取り上げないのだから。だが、シンガポールではほとんどの人がこのことを知っている。

当時のシンガポールの名前は「昭南島」。「昭和に手に入れた南の島」という意味だ。

このツアーではほぼ1日かけて、当時の歴史を伝える博物館や日本軍による虐殺が行われたビーチ、いわゆる「からゆきさん」が眠る日本人墓地や、血債の塔などを巡った。

歴史をしっかりと学んだあとは、中華料理を楽しみ、マーライオンを観光した。

写真 116
これがからゆきさんのお墓。気づかなければつまづいてしまいそうなくらい、小さい。

ツアーの良いところ

このツアーの良い所は、日本ではあまり知られていない日本の歴史を知れるところだろう。

どういうわけか、日本ではこのことをあまり教えていない。

こういう話をすると「これぞ、ピースボートの左翼洗脳だ!」と声を荒げる人も出てくるだろう。だが、ツアーの参加者の中でも、このツアーには様々な見方がある。

ツアーの後には、参加者による報告会があった。そこで、それぞれが見てきたことを消化した。

その準備の段階で、「アジアでの日本軍の活動は、決して蛮行ばかりじゃない」ということを早くから指摘するツアー参加者もいた。

船に乗っている人たちに左寄りの人が多いのは事実だ。だが、決して傾ききった左翼の船ではない。実に様々な意見が飛び交っている。

この程度で簡単に洗脳されるような人間は、どうせどこに行っても洗脳されて帰ってくるので、あまり心配しなくて大丈夫だ。

報告会では、決して「日本軍批判」に陥ることはなかったと記憶している。

ここで語られたのは、「戦争の狂気」と「シンガポールのたくましさ」だった。

戦争に正義も悪もない。あるのは狂気だけだ。

そして、シンガポールの元大統領・リー・クァンユーは日本に対し、許すけど忘れない」という態度を示した。

日本軍の行いを忘れることは決してないのだろう。

だが、シンガポールは、許すことで国を前進することを選んだ。

強いと思う。日本を含め、このような考えができる国が、世界にいくつあるだろう。

歴史とは、自分を蔑むためのものじゃないし、自分を正当化するためのものでもないし、誰かを傷つけるためのものでもない。

過去を受け入れ、前に進むためにある。

写真 121
血債の塔

ツアーの悪いところ

だが、確かに視点が偏っている感も否めない。

そのことを解消するための報告会であり、その準備であり、意見交換なのだ。

しかし、このツアーの最大の短所はそこではない。

とにかく、重い。若い参加者ではあまりの重さに押しつぶされたような表情をしている子たちもいた。

さらに、観光要素は少ない。マーライオンを観光したが、正直、あまりシンガポールを満喫した感じはしなかった。

シンガポールの夜
それでも、こういう景色は楽しめる

乗船した時に参加したピースボートの交流ツアー パナマ・クナ族のコミュニティ

ツアーの概要

パナマに「クナ族」という部族がいる。もともとはパナマ近海の島に住んでいたらしいのだが、30年ほど前、内陸にコミュニティを形成した。このツアーではそのコミュニティを訪れた。

ピースボートはこのコミュニティにこれまで支援してきた。今回のツアーでも、P-MACと呼ばれる支援を行った。日本から集めた物資を、ツアーを通して直接届けるという活動だ。

仲の良いスタッフの一人が、かつて中南米の町にP-MACの一環として救急車を届けた話をしてくれた。船の中から日本の救急車が出てきて、「ずっと乗ってたんかい!」とたいそう驚いたのだとか。

ツアーでは文化交流会も行われた。ピースボート側からも出し物をやったほか、現地のロックバンドのライブが行われた。クナ族の神話の世界観をロックで表現したバンドらしい。

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この道路も、ピースボートの支援でできた

ツアーの良いところ

なんといっても、子供たちとの交流だろう。

僕は子供たちに受けるかと、プロレスのマスクを持っていった。

これが予想を大きく超えてバカウケ!

子供たちはマスクを取り合い、正義のレスラーと化して僕に襲いかかってくる。

マスクがない子も僕に襲いかかってくる。

相手は子供なので痛くはないのだが、動きがいいので防ぎきれない。

僕は適度にやられてあげてみたり、逆に全く聞かないアピールをしたりして遊んでいた。

すると、彼らにサッカーに誘われた。

彼らが使うサッカーボールは空気が入っておらず、三日月のようにへこんでいた。

もし、P-MACに物資を提供することがあれば、僕は迷わず空気入れを買って持っていくだろう。まず、人に支援する前に自分のことを何とかしなければいけないのだが。

写真 1096
こいつらにボコボコにされました

ツアーの悪いところ

まず、暑い。

そして、ツアー中、食事をとるチャンスはほとんどない。

現地の人たちがフルーツを用意してくれるのだが、

申し訳ないが、フルーツだけじゃおなかは満たせない。

何か、おやつを持って行って、行き帰りのバスでつまむことがおすすめだ。

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クナ族の少女たち

乗船した時に参加したピースボートの交流ツアー ペルー・ビジャ・エルサルバドル訪問

ペルーの首都・リマの近郊に「ビジャ・エルサルバドル自治区」という町がある。

40年ほど前にペルーの内戦の難民たちによって、砂漠に作られた街だ。今では数十万人もの人が暮らしている。

砂漠に作られているため、町は常に砂埃が舞っていた。

この地に訪問するツアーはいくつかあるが、僕はあるNPO団体を訪問するツアーに参加した。

この団体は、子供たちの労働を支援している。

児童労働は世界各国で問題になっているが、この街では学校から帰ったら働くのが当たり前。大人たちは基本、優しく見守るだけで、組織の運営、各支部との会合などは、すべて子供たちが手掛けている。

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まさに、地の果ての町だ。だが、この街から見れば、日本の方が地の果てなのかもしれない。

ツアーの良いところ

このツアーの魅力も、なんといっても子供たちとの交流だ。

昼食は子供たちと一緒にレストランへ向かった。

出てきた料理は鳥の丸焼きと、山盛りポテト。

ペルーの中華料理屋に行ったとき、てんこ盛りの皿うどんが出てきたので、やっぱりこっちの子供はこんな量を食べるのかと思ったら、

子供たちは軒並み残してた。そりゃそうだ。

また、折り紙を持って行って、手裏剣や紙飛行機を折って子どもたちと遊んだ。

ここでもマスクが大活躍! 今度は悪役用のマスクをかぶってみたところ、子供たちが喜んで挑みかかってきた。

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この広場で遊んでいた

ツアーの悪いところ

このツアーの欠点は、やはり言葉が通じないところだろう。僕のつたない中学英語では全く通じない。

なぜなら、向こうはスペイン語しかしゃべらないのだから。

「船で70日かけてきました」とつたない英語で行ってみたが、全く通じなかった。

何せ、「70days」すら通じなかったのだから。腕時計の前で指をぐるぐるすることで、ようやく何らかの時間の単位であることが分かってもらえた。

「英語は世界どこでも通じる」と思っている人には、ぜひピースボートに乗ってもらいたい。


ツアーは決して安くない。

だが、ツアーでしか知れない知識や、ツアーでしか会えない人もいる。

そして、大事なのは、そこで知ったことだけがすべてではない、ということだ。一つの事柄にはいろんな側面がある。

それが確かめたくて、僕らは地球を一周するんだと思う。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。