小説:あしたてんきになぁれ 第4話 歌声、ところにより寒気

明日がどうでもいい亜美と、明日がいらないたまきの住む「城」に、新たな仲間、明日が怖い志保が加わった。ある日、ミチに彼のバンドのライブに誘われたたまきは、断りきれずにライブに行くと約束してしまう。しかも、その姿を亜美と志保に見られてあらぬ誤解をされてしまう。しかし、ライブ当日、穏やかそうに見えた3人の暮らしにある事件が起こる。正確には、ある事件を起こしてしまう……。

「あしなれ」第4話、スタート!


第3話 病院のち料理

登場人物はこちら ⇒「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


夏の朝。ブラインド越しに日差しが注ぎ込む。「城(キャッスル)」の中には志保が一人。テレビで朝のニュースを見ている。今日のトップニュースは国境の島に、外国の船が近づいたというものである。

ふと、悪寒が走る。何か明るい話題はないかとチャンネルを変える。

志保が「城」で暮らし始めて二週間。何とか、クリーンでやってこれた。

やればできる。きっと大丈夫。

「たっだいまー」

勢いよくドアが開き、日の明かりとともに亜美が帰ってきた。

「いやぁ、朝からあっついねぇ」

「ほんとだねぇ」

志保がふふふと笑った。

「城」の同居人に志保が増えてから、亜美は「仕事」を外で行うようになった。場所はホテルだったり、相手の家だったり。たまき曰く、ようやく亜美も「配慮」という言葉を覚えたらしい。

「あれ?」

亜美は室内を見渡した。いつもなら必ずいる、たまきがいない。

「たまきは?」

「なんかね、公園に行くって言ってたよ」

志保が、テレビを見ながら答える。

亜美は、鞄を床に放り投げると、ソファに座り、テーブルの上に足を投げ出した。

「あいつ、たまに公園に行くけど、一体、何やってるんだ?」

「さあ」

志保が答える。

「ちょっと、見当もつかないなぁ」

 

写真はイメージです

その公園に行く道のりは、たまきにとってはちょっとした旅行だ。

まず、たまきにしてみれば三途の川に等しい、黒いアスファルトの大通りを渡り、歓楽街を出なければならない。

歓楽街を抜けると、線路と電気屋の間の大きな道を歩く。しばらくすると、人でごった返すスクランブル交差点につく。

ここで、線路の反対側へ行ける。

線路をくぐったら今度は左へ。たまきの大嫌いな人ごみの中を歩き、駅についたら、吐き気を抑えながら駅の構内を通り地下へ。そして、駅に背を向けて地下道を歩きだす。

この辺でそろそろ疲れてくる。普段歩かないたまきが歩いているという疲れもあるし、大嫌いな人ごみ、それも、東京随一の人ごみの中を歩いてきた疲れもある。

すれ違う人がほんの一瞬、自分に目を向ける。この、ほんの一瞬が大嫌いだ。

疲れてきたたまきにとって、地下道の動く歩道はありがたい。もたれかかるように乗る。

地下道を抜け、道路を歩道橋で渡ると、緑の木々が見える。公園だ。

公園の林の中を歩くと、広場へとつながる階段がある。

聞こえる音は、広場にある人工の滝の音、やかましいぐらいのセミの鳴き声、そして、若い男の歌声だった。

男は、夏にもかかわらず、日差しの中で歌っていた。午前中とはいえ、気温は二十五度を越し、男も汗を流している。

男は、階段に腰を下ろして、アコースティックギターを腿に乗せて歌っていた。

ハイトーンで、芯のある声。

その男はたまきの顔見知りだった。

しかし、たまきは彼のことをあまり知らない。

まず、名前も知らない。「ミチ」と呼ばれてはいるが、本当の名前は知らない。

年はたまきの一つ上の十六。仕事は知らない。学生ではないらしい。また、プロのミュージシャンを目指しているらしく、ほぼ毎日、ここで歌っているらしい。

たまきは、ミチの座っている段の日陰に腰を下ろした。

肩からかけていた鞄を降ろすと、その中からスケッチブックとペンケースを取り出した。

斜め前にある高層ビルを描き始める。そのため、体の向きが若干ミチの方に動く。

左手に握った黒い鉛筆で一心不乱に、風景の模写をするたまき。その左隣でギターをかき鳴らして歌うミチ。

――さあ、歩いて行こう――

――光あふれる明日へ――

――さあ、手を伸ばそう――

――光あふれる未来へ――

たまきは自分の絵が嫌いだった。

黒い鉛筆ですべてを書くのだが、どうも、暗いのだ。

だったら、色鉛筆を使えばいいじゃないかという気がするが、色鉛筆で書いてもやっぱり暗いし、色を使うのはあまり気分が乗らない。

だから、たまきはミチの歌が好きだった。

はっきり言ってしまえば、どこかで聞いたような歌詞である。目新しいメッセージなんてものはなく、きれいごとと言ってしまえばそれまで。

それでも、たまきはミチの歌が好きだった。彼の歌を聞いていれば、自分の絵も少しは明るくなるんじゃないか、そんな気がした。

断っておくが、たまきは歌っているミチ本人は嫌いである。

ちゃらくてなれなれしいのも嫌なのだが、目つきもいやらしい。確実に、たまきに対してやらしいことを考えている。そういう経験のないたまきでも、本能的に感じ取れる。むしろ、たまきは他人からの目線に敏感だと言えるだろう。

だから、歌声に耳を傾け、体の向きも少しミチに傾けていても、視線を送ることは決してなかった。

公園の方に視線を送ると、日曜日だからか、いろんな人がいる。道路に面した日向の方では、スケボーに興じる若者たち。一方、滝のそばの日陰には、ホームレスと思われるおじさんたちが座っている。彼らに何か、プリントを配っている人はボランティアだろうか。

ビル街の中で緑に囲まれた、都会の喧騒を離れたと表現される公園だが、こう見ると、光と影の都会の象徴の気がした。

今の二人、たまきとミチもそうである。日向で汗をかきながら、希望に満ちた歌を歌うミチ。日陰で鉛筆で、童話の魔女の森みたいな絵を描くたまき。

「ありがとうございました」

ミチが一曲歌い終え、ギターの余韻を右手で止めると、宙を見ながら言った。

「今の、だれに言ったんですか」

たまきが、ミチの方を見ないで尋ねた。

「世の中」

聞かなきゃよかった、とたまきは思った。

「そこ、暑くないですか」

午前中とはいえすでに気温はかなり上がっている。ミチは、ずっと日向で歌っている。

「暑いね」

ミチも、たまきの方を向かずに答える。傍らに置いてあった、水の入ったペットボトルに口をつける。

「ぬるっ!」

当然である。ずっと日向に置いてあったのだから。

「暑いなら、日陰に入ればいいじゃないですか」

たまきはミチの方を見もしない。

「いや、こういうのは見た目も大事なんだよ。太陽の光に照らされてこそ、ロックンロールなんだよ」

言ってる意味が分からない。たまきのイメージでは、ロックと太陽は程遠いものだったし、そもそも、さっきの歌はロックではなく、フォークに近いものではないだろうか。

「今度、ライブがあるんだよ」

「そうですか」

「たまきちゃんもきなよ」

たまきは男にちゃん付されるたびに、背中がぞわっとなる。

しばらく沈黙が二人を包んだ。

「……わかりました。いきます」

「え?」

ミチが初めてたまきの顔を見た。たまきもミチの顔を見る。

「どうしたの突然。今まで、頑なに断り続けてきたのに」

「いい加減、断るのもめんどくさくなったんで。一回くらいなら」

たまきはそういうと、顔の向きを被写体のビルへと戻した。

「さてと」

ミチは立ち上がった。

「バイトの面接に行ってくるか」

そういうと、ミチはたまきの方を向いた。

「何のバイトか聞きたい?」

「どうでもいいです」

「受かったら教えるよ。ぜってーびっくりするから」

なんだかかみ合わない会話を残し、ミチは公園を去った。

一人残ったたまきは、つまらなそうに作業を進める。

びっくりなんてここ何年もしていない。むしろ、トイレでリストカットして、自分が他者をびっくりさせている側だ。

確かに、クラブのトイレで志保が倒れているのを見たときはパニックになった。しかし、それは何をしていいのかわからなかったからで、びっくりとは少し違う。

思うに、びっくりするにはある程度高いテンションが必要だと思うのだ。

そんなことを考えながら、作業を進めていたたまきの肩を誰かがたたいた。

同時にたまきの傍らにしゃがみ込む、金色の長い髪。

ノースリブの腕に見える、青い蝶の入れ墨。

聞きなじんだ声。

「何々、二人いい感じじゃん」

たまきの視界に亜美のにんまり顔が飛び込んできた。

たまきにしては珍しく、本当に珍しく、思わず「キャー!」と仰天の叫び声をあげた。

 

写真は都庁です

「あっついねー」

亜美が手で顔を仰ぐ。

「今日、最高気温、三十二度だからねぇ」

志保が太陽の方に目をやりつつ、タオルで汗を拭きながら、蝉の歌声をかき消すように答える。三人は階段を降り、広場に立っている。スケボーを楽しむ若者も、ホームレスの皆さんもみな男性。女性は三人と、ホームレス集団の中にいる、ボランティアと思われる女性だけだ。

「そうじゃなくて、たまきとミチがさ……」

「あ、そうだね。たしかに熱かったねぇ」

志保が、町で見つけた野良猫をなでるような優しい目つきでたまきの方を見る。

「だから、二人が思ってるような関係じゃないですから!」

たまきは二人に背を向けて立っている。背を向けている理由は一つ、赤くなった顔を二人に見られないためだ。胸の前ではしっかりスケッチブックをホールドしている。ただでさえ恥ずかしいのに、スケッチを見られたら恥の上塗りだ。

「ほう、ウチらが思ってる関係じゃないと」

「もっと親密な関係ってこと?」

「オトコとオンナの一線を越えちゃったわけだな。フムフム」

この二人は、何が何でもたまきとミチを「そういう関係」にするつもりだ。

「そもそも、二人とも、何でここにいるんですか」

「いやね、たまきがよく公園に行くっていうからね、何してるのかなって見に来たらねぇ」

「まさか密会してるなんてねぇ。いやぁ、たまきちゃん、若いなぁ。一歳しか違わないけど、若い!」

「だから、密会じゃないですって」

たまきは二人に背を向けたまま、日陰でうつむいて答える。

「階段でねぇ」

「二人より添って、ねぇ」

「寄り添ってないです! かなり間隔開けて座ってましたから!」

「でも、同じ段で、ねぇ」

「ねぇ」

「そういう関係じゃないなら、違う段に座ればいいじゃない、ねぇ」

「ねぇ」

たまきは痛いところを突かれた。たまきが公園に来た時、すでに、ミチは階段に腰掛け歌っていた。たまきは、わざわざ同じ段に座って絵を描き始めた。

理由は、ミチの歌を聴きたかったからだ。ミチのバカみたいに明るい歌を聴きながら書けば、少しは自分の絵も明るくなると思ったのだ。

だから、「なぜ隣にいた」と聞かれれば、「ミチの歌が好きだから」となる。

その言葉をたまきはそのまま言おうとした。だが、もしそんなことを言ったらどうなるだろうか。

「ミチの歌が好きなんだってさ」

「え? それって、ミチ君のことが好きなんじゃないの?」

とちゃかされるに決まってる。

やはり「好き」というワードは威力が強すぎる。別の言葉に言い換える必要がある。

ならば、「嫌いじゃない」が妥当だろう。

「ミチの歌は嫌いじゃない」。まだ、ちょっと威力が強い気がする。セリフをもう一つ付け足して弱める必要がある。

やはり、ミチ本人のことは嫌いであるということは、はっきり伝えた方がいいだろう。

思考を巡らすこと約1秒。たまきは口を開いた。

「あの人は嫌いだけど、あの人の歌は嫌いじゃないんで」

たまきは二人の反応を見るために、ちらりと後ろを振り返った。

そこには、無防備なウサギを見つけたライオンのようににやにや笑う亜美と志保がいた。無防備なウサギを見つけたライオンがどんな表情をするかなど知らないのだが。

「あの人のことは嫌いなんだって」

「でも、あの人の歌は嫌いじゃないんだって」

「あれだよね。第一印象は最悪だけど、なんか惹かれるところがあって気になっちゃうってパターンだよね。うわぁ、マンガみたい」

「あたしもそういう恋愛したいなぁ。いやぁ、たまきちゃん、若い! 一つしか違わないけど若いなぁ」

どうしてこうなるんだろう。穴があったら飛び降りて、埋めてもらって、死んでしまいたい。

 

暑いので、自販機でコーラを三本買った。

「あれが都庁かぁ。東京にずっと住んでるけど、生で見たのは初めて」

志保が、公園と道路を挟んで反対側にそびえたつビルを見上げながら言った。

「あれだろ、竹島買ったじいさんが住んでるビルだろ」

「うーん、亜美ちゃん、どこから訂正すればいいのかな?」

志保が困ったように微笑む。

「まず、竹島じゃなくて尖閣諸島ね。それを買うって言い出したのは知事だけど、実際買ったのは国の政府。で、ここは職場だけど住んでるわけじゃないし。そもそも、前の知事だし。」

二人からちょっと離れたところでコーラを飲んでいたたまきは、ある事実に気付いた。

ミチのライブの時間を聞いていない。

行くと約束してしまった以上、それを反故にはしたくない。

つまり、たまきはもう一度ミチにあって、ライブの日時、場所を聞かなければならない。

思いつく唯一の方法は、またこの公園に来ることだ。たしか、ほぼ毎日この公園にいると言っていた。

しかし、もし今後「公園に出かける」などと言おうものなら、あの二人にあらぬ想像をされることだろう。かといって、嘘をついて外に出たら、万が一ばれた時、いよいよもって逢引き扱いされるであろう。

そうだ。ヒロキならばミチの連絡先を知っているかもしれない。ならばヒロキを通して連絡を取り、こっちで場所と時間を指定して会えばいい。なんなら、ヒロキの携帯電話を借りて、直接電話で話してもいい。

 

写真はイメージです

「城」まで歩いて帰った。時間はちょうどお昼頃だ。

「城」は雑居ビルの5階にある、キャバクラだった部屋だ。1階はコンビニ。2階はラーメン屋。3階は雀荘で、4階はビデオ店である。

お昼ご飯を1階のコンビニで買うことにした。

空から日差しが降り注ぎ、アスファルトから陽炎が立ち上る中、「城」の入っている太田ビルの前についた。

ビルの前には、ビールケースに腰掛けた男が一人いる。

強面のチャラ男。彼の名はヒロキ。亜美の客であり、ミチの「センパイ」である。何の先輩なのかは知らない。

「おっす。ヒロキ、お疲れ!」

亜美がヒロキに声をかけた。ヒロキは、4階の呼び込みをしているため、一日中ここに座っている。

「熱くないんですか?」

志保が尋ねた。

「大丈夫。水、飲んでるから」

ヒロキが答える。

亜美と志保は、コンビニへ入っていった。

たまきは階段を昇らず、ヒロキの前で立ち止まった。

ヒロキなら、ミチの連絡先を知っているはずだ。

ヒロキがたまきの方を見た。

「ん? たまきちゃん、どうした?」

ヒロキとたまきが一瞬目が合った。

たまきはふいっと目をそらした。

ヒロキとは全く知らないわけではない。見かけほど怖い人間ではないこともわかってきた。

それでも、ヒロキと目を合わせるのは怖かった。ヒロキに限らず、他人と目を合わせるのが怖い。

亜美とも志保とも、舞ともミチとも、いまだに目を合わせられない。

もっとさかのぼれば、学校でも誰とも目を合わせずに過ごしていたと思う。両親や姉とも目線を合わせることはなかった。

一体いつからだろう。いつから、人と目を合わせるのが怖くなったんだろう。

たまきは人に見られるのが嫌いだ。顔を見られまいと髪で覆い、素肌を見られまいと袖で隠す。

中でも一番見られたくないのが目なのかもしれない。目を見られると、自分の内面を見られているような気がする。

もっとも、内面を見透かされたからと言って、何が困るというのだろう。内面の何を見られるのをこんなにも恐れているのだろう。

それでも本能的に怖さをぬぐえなかったたまきは、何も言わずにヒロキの前を去ってコンビニへ入っていった。

 

写真はイメージです

午後一時、「城」の中は冷房が効いていて快適だ。今日はお風呂に行くまでもうここから出ない、たまきは決めた。それにしても、この部屋の電気代はいったい誰が払っているんだろう。

たまきはソファの上に横になってタオルケットをかけていた。メガネはかけたままだ。

たまきは一日のほとんどをこうして横になって過ごしている。別に体調が悪いわけではない。問題があるのはフィジカルではなくメンタルだ。メンタルの不調がフィジカルにも不調をきたし、気分が悪い。なんだか、乗り物酔いしているような感覚。乗り物ならば降りればいいのだが、この世界そのものが酔う場合はどうすればいいのだろう。

たまきの隣では、亜美がいびきとも寝息ともつかない音を出して寝ていた。

亜美の生活リズムは普通とは違っている。亜美の場合、深夜に「労働」するので、寝るのはそれが終わってから、明け方近くになる。その時は4時間しか寝ない。

午前中に起きて、朝ごはんを食べ、「城」でゴロゴロして、お昼を食べたら今度は二度目の睡眠に入る。今度は3時間ぐらい寝る。そうして、夕方ごろに起きてきて、そのまま深夜まで起きて、明け方また寝る、という生活サイクルである。体に悪そうだが、実際のところどうなのかは知らない。本人はトータルで7時間も寝ているから問題ないと思っているし、自身の健康にはあまり関心がない。たぶん病気にならないと思っているし、なっても何とかなるだろうと思っている。

志保は起きていた。彼女の生活リズムは二人に比べると、規則正しかった。ただ、たまきから見ると、あまり寝ていないように思えた。

志保はブラインドおろして、電気をつけた部屋の中で、本を読んでいた。ブックカバーをしているので何の本を読んでいるのかはわからないが、マンガの類ではなさそうだ。

そこにチャイム音が鳴り響く。

ピンポーンピンポーンピポピポピンポーン。

亜美がのそのそと起き上がる。

「誰だよ、こんな時間に……」

世間的には、来客が来ても何の迷惑でもない時間なのだが、亜美からしてみれば、眠りを妨げた、大迷惑な奴である。

一番、意識がしっかりしている、志保がドアを開けるため立ち上がる。その間も、ひたすらチャイムは鳴りつづける。

ピンポーンピンポーンピポピポピンポーン。

たまきは迷惑そうにドアの方を見る。どうやら相手は非常識な人のようだ。大方、亜美の「客」だろう。しかし、彼らはたいてい夜中に来る。こんな昼間にいったい誰だろう。

たまきの頭に、亜美の客以外でこの場所を知っている非常識な男の顔が浮かんだのと、志保が開けたドアの向こうから、その本人の声が飛び込んできたのはほぼ同時だった。

「志保さん、ちわーっす」

その声を聴いた瞬間、たまきは背筋が寒くなった。

「ミチ君。」

志保が、目の前にいる、最近知り合ったばかりの少年の名を呼んだ。

 

たまきは、久しぶりに自分の鼓動が高鳴っているのを感じた。

さっき、散々からかわれた相手が自分の部屋を訪ねてきている。そして、部屋の中には、からかった二人もいる。このままだと、ろくなことにならない。

要件はだいたいわかっている。ミチも気付いたのだ。ライブの時間や場所を伝えていないことに。

それを伝えに来てくれたのは別にいい。だが、なぜ今、ここなんだ。ライブに行くことを二人に知られたら、からかわれること請け合いじゃないか。

ただ、ミチは先ほどの公園での三人のやり取りを知らない。なのにそれを責めるのは酷というものだ。

だが、それにしてもタイミングが悪すぎる。なぜ、三人そろっているときに来た。先ほどの非常識なチャイムといい、たまきはますますミチのことが嫌いになった。

ともあれ、まずはミチをここから連れ出すことだ。屋上がいい。話はそこで聞こう。二人には適当にごまかせばいい。

ミチを連れ出そうとたまきが起き上った。それを見たミチは声を上げた。

「あ、たまきちゃん」

ミチが余計なことを言う前に連れ出さねば。たまきは珍しく、たまきにしては本当に珍しく、走り出した。

普段走らない人が走ると、あまりろくなことが起こらない。足をテーブルの脚にぶつけて、たまきはソファの上に転がり込む。

たまきの頭上をのんきな声が響く。

「ライブね、明日の7時! 場所はね……」

ああ、おわった。

「ライブ?」

けだるそうにソファの上に転がっていた亜美が起き出す。

「なになに? 何の話?」

「たまきちゃんがね、今度ライブ来てくれるんですよ」

「うそぉ!」

亜美の大声が響き渡る。

「たまきなんで? どういう風の吹き回し? イベントとか大嫌いじゃん」

「……会うたびにしつこく言ってくるので」

「ああ、男に強く迫られると、断れないタイプか」

「……そういうのとは違うと思うんですが……」

今度は横から志保が口をはさむ。

「若いなぁ、たまきちゃん。ほんとはいきたくないんだけど、しつこく言うから行ってあげるんだからね!ってやつだね」

「ああ、ツンデレか」

「……そういうのとも違うと思うんですが……」

「あ、そうだ!」

ミチが、靴を置くマットを無視して土足で上がりこんできた。

「亜美さんと志保さんも来てくださいよ」

ミチは、亜美と志保に近寄って言った。

「えー。でもねぇ」

「なんかねぇ。悪いよねぇ」

二人はたまきの方をちらちら見ながら、ニヤニヤ笑う。

「何すか、悪いって。来てくれないと、ノルマ達成できないんですよ」

「ノルマ?」

志保が聞き返す。

「一人五人は連れてこないといけないんですよ。招待ってことで、金は俺が払うんで、お願いします」

「ノルマがあるっつーんならしょうがない。行ってやるか」

「あざーっす。これ、チケット三枚。んじゃ、また明日」

ミチは自分の用件だけ済ませ、亜美にチケットを渡すと、さっさと帰ってしまった。たまきはますますミチが嫌いになった。

 

午後三時ごろ。亜美を眠りから叩き起こしたのは、彼女の携帯電話だった。

「誰だよ……こんな時間に……」

亜美は携帯電話を確かめた。

「もしもし?」

「おっす。亜美」

「先生、……何すか?」

電話の相手は「先生」こと、京野舞だった。

「今さ、仕事で京都にいんのよ」

「……オペかなんかっすか?」

亜美がけだるそうに聞く。

「おめー、あたしが医療行為やってんのはボランティアで、本業はライターだってことを忘れてねぇか?」

「ああ、そうでしたね」

「今、取材で来てんだよ。ほら、京都の病院で臓器移植の手術があったろ」

「……何すか、それ」

「お前、ニュース見てないのか? まあいいや。そういうわけで、お土産何がいい?」

「何があるんすか?」

「八ッ橋とね、固い八ッ橋とね、変わり種八ッ橋とね」

「……全部八ッ橋じゃないっすか。何でもいいっすよ、粒あんじゃなきゃ」

「……どうした、元気ないな」

「……寝てたんで」

亜美は眠そうに答えた。

「お前、まだそんな不規則な生活をしてたのか」

「大丈夫っすよ。不規則を規則正しくやってるんで」

「やれやれ。たまきは? あいつは元気か?」

「相変わらず元気ないっすよ」

「そうか、まあ、自殺しなければそれはそれでいいか」

そういうと舞はそこで一呼吸入れ、少し声のトーンを落とした。

「志保は? あいつは、何か変わったことないか?」

「ああ、全然元気っすよ」

「そうか?」

「ほんとっす。心配無用っす」

「ならいいんだけど。木曜に東京帰るから、そん時、あいつを依存症患者用の施設に見学に連れて行こうと思うんだ。あいつにもそう言っといて。じゃ」

そういうと舞は電話を切った。

 

写真はイメージです

一日というのはあっという間に過ぎる。たまきのように、一日中ごろごろしている人間にとってもあっという間に一日は過ぎ去り、もうライブ当日である。

ライブハウスは思ったよりずっと小さかった。少なくとも、以前亜美に連れられたクラブよりずっと小さい。

ステージ上には真ん中にドラムがデンとおかれ、ギターのような楽器が三本ほどおかれている。床の上にはたくさんの配線。

客席は学校の教室ぐらいの広さだ。

もっと込み合っていると思いうんざりしていたのだが、客は十五人から二十人程度で、まばら。

「こんなもんだよ、アマチュアのバンドなんて」

亜美はそういっていた。

ふと、たまきは志保の方を見た。さっきから全くしゃべっていない。少し呼気が荒い気もする。もっとも、志保もあまりおしゃべりというわけではない。それでも、たまきから見れば十分よくしゃべる、「友達作りスキル」の高い人だ。

そろそろライブが始まる。ちらりと出口の方を気にする自分が、たまきはちょっと嫌だった。

 

照明が徐々に暗くなり、非常口の明かりも消え、直後にステージの上に灯りがともされた。

ステージに、黒の衣装で統一した5人の若い男性が入ってきた。各々楽器を取ったりドラムに座ったりマイクを握ったり。

もちろん、その中にミチもいた。ステージの右端で、青いギターを持って立っている。

ライブはいきなり演奏から始まった。ドラマーがまずドラムをどこどこと叩くと、続いてベーシストがブオンブオンと奏で始める。

その後に、ミチがギターをジャカジャカジャンジャンとはじきだす。続いて、左側のギタリストがギュオンギュオンと音を鳴らす。

4つの音が合わさって爆音となり、照明があわただしく明滅しだす。一転、音がぴたりと止まり、左側のギタリストが少しはかなげなアルペジオを奏で始めると、いよいよ真ん中に構えたボーカルが少しハスキーな声で歌い始めた。

マイクスタンドに寄りかかるように歌うボーカル。他の楽器の音も入ってきて、少しずつ盛り上がり、サビでは衝動的に叫ぶかのようなバンド音をバックに、ボーカルもとうとう叫びだす。はっきり言って、歌詞は聞き取れない。

あれ、とたまきは思った。ミチくん、歌わないんだ。歌、うまいのに。

たまきはミチの方を見た。ステージの右端で。ギターのコードを抑える左手の指使いを確認しつつ、右手をひたすら動かしている。

その表情にいつもの人懐っこい笑顔はない。観客が盛り上がるなか、なんだか今、この空間で一番つまらなそうな顔をしているように見えた。

公園で歌っていた時にはあれほど輝いていたミチが、なんだか影のさしているように見える。

ふと、たまきは、彼とどこかであったことがある気がした。

もちろん、たまきとミチは何回か会っている。だが、そうではなく、どこかであった気がするのである。

十五分ほどで3曲を演奏した。たまきには曲の違いがよくわからない。

ボーカルが二言三言喋るとまた同じような曲を演奏し始めた。

少し気分が悪くなってきた。ふと、隣の亜美を見ると、うでをふりあげぴょんぴょんとびはねている。

今度は後ろの志保を見た。が、そこには志保はいなかった。

トイレにでも行ったのかな。とりあえず、少し休もう、そう思い、たまきは会場を出た。

 

呼吸が荒い。鼓動も早い。寒気も感じる。だが、志保はもうそんなことは気にしなかった。

トイレの壁にもたれかかり、ただただ暗い天井を見つめていた。

少し、体が震える。

体が欲している。

志保は、携帯電話を取り出した。アドレス帳からある人物の名前を見つけ出す。

それは覚せい剤の売人の名前であった。

なぜ、彼のアドレスをいつまでも取ってあるのか。クスリをやめようと誓ったあの日、亜美やたまきに出会ったあの日なぜ消さなかったのか。

怖かったのだ。登録を消そうと彼の名前を見たとたんに、消すどころかまた再び彼に連絡を取って薬を手に入れてしまうかもしれなかったからだ。

震える手で携帯電話を支える。

今、アドレスを消せば、もう、クスリを手に入れることはできない。

そう思いつつも、志保は震える指で、「発信ボタン」を押した。

呼び出し音の後、低い男の声が電話から聞こえた。

「志保か。なんか用か?」

用なんてわかりきってるくせに。

「クスリ。欲しいの」

「場所は?」

志保は、自分の居場所を伝えた。しばらくして、男から返答があった。

「金は?」

「お金なら……」

そういって志保はカバンの中の財布に手を伸ばした。

だが、そこには財布はなかった。

志保はそこで初めて、財布を「城」に忘れていることに気付いた。

チケットは前日にミチが持ってきたので、今日、この瞬間まで、財布を忘れていることに気付かなかったのだ。

「……お金は、何とかする。いいから、早く持ってきて」

冷静に考えれば、「城」に戻って、財布を取ってくればいい話である。

 

冷静に考えられるのならば。

 

写真はイメージです

たまきは建物の外に取り付けられた、非常階段にいた。トイレに行くのが億劫になり、近くのあった非常階段に逃げ込んだのだ。

外はすっかり暗くなっていた。東京の夜空は星がなく、吸い込まれそうなくらいに暗い。

ライブスタジオはビルの3階にある。らせん状の非常階段から階下を覗き込み、はあっとため息をつく。

たまきは気づいた。

ミチのことをどこかであったことがあるというのは、ミチにある人物の姿を重ねていたからだと。

ある人物。それは、たまき自身のことだった。

何のやる気もなく、ただ消化試合のように生きている。絵を描くのも、楽しいからでもなく、何かを表現したいからでもない。時間をただ押し流すためだけの作業。

そんな自分の姿が、輝いていると思っていたミチに重なったのが、不思議だった。

そろそろ戻ろう。すっかり日の暮れた都会の空を見ながらたまきは思った。

 

非常階段からライブが行われている部屋へと続く廊下を歩く。と、廊下の右側の部屋から、少女が一人出てきた。茶色い長い髪の少女が誰なのか、たまきにはすぐにわかった。

「志保さん?」

たまきにしては結構大きな声で呼びかけたのだが、志保は見向きもせずに、廊下を横切ると、速足でエレベーターの乗り込んだ。たまきは、志保の出てきたドアを見た。

関係者控室。そう書かれたドアは、志保が本来、立ち入ることのないドアのはずだった。

つづく


次回 第5話 どしゃ降りのちほろ酔い

ライブハウスで財布の盗難事件が起こる。危うく濡れ衣を着せられそうになるたまき、真犯人に気づき苛立つ亜美、そして姿を消した志保。共同生活がピリオドを迎えそうになったその時、たまきが声を上げる……。

「『遠くばっかり見てんじゃねーぞバカヤロー!」』『そんなところにウチらはいねーぞ!」』『ここにいるぞバカヤロー!。……ここに生きてんぞバカヤロー!』」

⇒第5話 どしゃ降りのちほろ酔い


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

細野晴臣の足跡 狭山アメリカ村の旅・完結(はっぴいえんど)編

かつて、細野晴臣をはじめとした多くのミュージシャンが住んだという埼玉県狭山市。細野晴臣が住んでいたという1970年代の香りを求めて、僕は再び埼玉県狭山市へと向かった。細野晴臣の時代から40年以上。国道16号が通り、風景はだいぶ変わったが、当時の雰囲気はいまだに残っていた。細野晴臣の足跡を求めるたび、これにてはっぴいえんど?


細野晴臣の足跡を求める旅 前回の3つの出来事

1.自由堂ノックは、かつて細野晴臣をはじめとしたミュージシャンの多くが住んでいたという、埼玉の「アメリカ村」へと向かった。

2.入間市駅から歩いて15分のところにあるアメリカ村、「ジョンソンタウン」を訪れた。

埼玉・入間の住宅街にアメリカの町が!~ジョンソンタウンの旅~

3.ところが、細野晴臣たちが住んでいたのは、「入間市駅」の隣の「稲荷山公園駅」だった!

というわけで、今回、僕は西武鉄道の稲荷山公園駅を訪れた。

埼玉県狭山市、稲荷山公園駅の旅

 

駅前には「ポプラ」というコンビニがあるだけ。南は自衛隊基地、北は稲荷山公園である。

 

ここが稲荷山公園。またの名をハイドパーク。90年代まではアメリカ風の住居が並んでいたらしい。10年前には、細野晴臣が中心となって、「ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル」というイベントも行われた。

 

坂を下りて町へと抜ける。

 

稲荷山のふもとにある愛宕神社。愛宕信仰は火防の神様。自衛隊や米軍の基地のある町にはピッタリかもしれない。

 

一方で、19世紀初頭からここではお稲荷様を祀っているらしい。お稲荷様は農業の神様だ。この当たりも耕作地として田畑が多かったのだろう。

 

すぐそばには、こんなのもある。

 

馬頭観音だ。年代は大正13年。このころまで、この当たりは馬での往来がされていたのだろう。

 

また、野仏があるということはそこが古い道であることも表している。稲荷山をぐるっと回るこの道は古くから存在していたらしい。おそらく、入間基地ができる前はもっと遠くまで伸びていたのだろう。

 

この駅の近くで、洋風の家を見つけた。

 

これは前回訪れたジョンソンタウンの写真。見比べてみると、白く長い板で作られた壁がよく似ている。

 

「鵜ノ木」。それがこの当たりの地名らしい。

 

こんな感じの平屋住宅に細野たちも住んでいたのだろうか。おそらく、この当たりがアメリカ村だったのだろう。

 

こんな感じの団地などもある。

 

すぐ近くを国道16号線が入間川と並行して走っている。

 

16号沿いに建てられていた。これも馬頭観音だろうか。

 

自動車屋さんにアメリカの星条旗。

 

国道を渡ると、国道に並行して伸びる商店街があった。

この道を狭山方面へと進むと、途中で県道340号線に合流する。この道は宿場町だった入間から狭山へと続くものだった。この町で細野たちミュージシャンも買い物をしていたのだろうか。

 

道沿いには長栄寺というお寺がある。

 

釣鐘もあり、町の中心として時を告げる役割も担っていたのだろう。

 

19世紀中ごろの馬頭観音だ。やはり、入間と狭山の間を、馬を使って往来していたのだろうか。

 

狭山と言えば狭山茶だ。商店街より北には茶畑がある。

狭山茶を生んだのは京都の宇治だった。宇治で取れたお茶が壺に入れられて江戸へ運ばれる。

お茶は美味しく飲まれるからいいが、問題は壺である。狭山茶が来るたびに壺が増えて、余る。

この増えていく壺をどうしようかとなった時に考え出されたのが、「江戸でもお茶を作って京都に送ればい」というものだった。

そうして、「壺に入れて送り返すためのお茶」として作られたのが狭山茶だったのだ。

 

入間川から水をとっている用水路。この当たりが肥沃な農地であったことの名残だろうか。

 

入間川だ。まっすぐ歩けば、細野たちが住んだアメリカ村から10分ぐらいでつく。彼らもこの入間川を見ていたのだろう。

入間川には個人的な思い出がある。ピースボートのポスターを貼り続け、乗船代99万円分の最後の1枚を張った町が狭山市だった。最後の1枚を張り終えた僕は、入間川を眺めながら、植村花菜の「猪名川」という曲を聞いていた。

 

川と音楽というと、井上陽水を思い出す。細野晴臣の一つ年下にあたる彼は、細野がこの町に移り住んだ73年に「夢の中へ」が初めてのヒットを飛ばしていた。

その年の暮れに出したアルバム『氷の世界』に「桜三月散歩道」という曲がある。歌の主人公が恋人に、町を離れて川のある土地に行こうと語りかける歌なのだが、町を離れる理由がすごい。

なんと、「町へ行けば人が死ぬ」というのだ。

73年という時代は、高度経済成長のしわ寄せがすでに顕在化していた。いわゆる四大公害病は既に裁判が始まっていたし、71年には公害に対する警鐘を鳴らした映画「ゴジラ対ヘドラ」が放映された。また、コインロッカーに乳児を置き去りする事件が問題となっていた。都市の肥大化により、人々のライフスタイルに変容をきたしてきていた。

「人が死ぬ」は大げさだが、急速に発展した都市生活は、どこか閉塞感があるものだったのではないだろうか。

だから、細野晴臣は東京を脱出し、井上陽水は川を目指した。

川は自然の中にあっても都市の中にあっても、大雨で増水でもしない限り、常にゆったりと流れている。川に集う人々も散歩やジョギング、サイクリングなどどこかゆったりしている。

川のそばにはマイナスイオンだけではなく、常に「自然のリズム」が流れているのだ。そして、人は川に来ることで「都市のリズム」から「自然のリズム」に、自分のリズムを戻すことができる。

古来から日本では川が異界との境界だった。現在でも地方においても都市においても、川の上に家が建つことはなく、埋め立てて家が建ったらそこはもう川ではない。川は特別な空間だ。そこに来ることで、人は自然のリズムに戻れる。

細野晴臣が住んだ73年当時、この一帯はおそらく入間川に並行して伸びる小さな街道沿いの農村だったに違いない。そこに稲荷山を背にぽっとあらわれたアメリカ村。細野たちがこの町で暮らした時の景色はそんな感じだったのだろう。

 

そのまま、この街が音楽の聖地、ボヘミアンの町となっていたらどんなに面白かっただろう。入間市のジョンソンタウンとつながり、この一帯の景色もだいぶ変わっていただろう。

ただ、逆に下手に都市化することなく、街道沿いには小さな町が続き、まだ川に行けば「自然のリズム」を思いっきり感じられる環境だ。

細野晴臣の足跡をたどる旅は、この辺ではっぴいえんどにしようと思う。

 

 

では、ばいにゃら。

 

ピースボートで本当に洗脳されるのか、元参加者が検証してみた

「ピースボートに乗ると左翼団体に洗脳される」。これはネットでまことしやかに飛び交う噂だ。その噂が本当かどうか今回は検証する。いったいどういう人が洗脳されやすいのか。どういう風に人は洗脳されるのか。ピースボートでそれは当てはまるのか。ぜひ、自分の目で確かめてほしい。


ピースボートに乗る人は洗脳されやすいのか?

まず、一体どういう人が洗脳されやすいのかを検証していく。ネットで調べてみると、「洗脳されやすい人の特徴」というのはいろいろあるらしいが、いくつかのサイトに共通して書かれていたのが次の6つだ。

・日々の生活に強いストレスを感じている

・まじめ

・人を疑うことを知らない

・自信過剰

・一人で結論を出せない

・スピリチュアル好き

この6つがピースボートの参加者に当てはまるか検証していこう。

日々の生活にストレスを感じている?

いきなりだが、これは結構当てはまる人が多いと思う。学校だったり、仕事で行き詰ってしまい、ピースボートに参加するという人は僕個人の実感としては結構多い。

まじめ?

みないい人である。約束はちゃんと守るし、頼まれた仕事はちゃんとやる。

しかし、「社会のレールを疑わない」という意味でまじめかどうかと聞かれたら、「不真面目」と答えざるを得ないだろう。

アートだったり、芸能活動だったり、海外留学だったりと、世間の常識などなんのその、ぶっ飛んだ生き方をする人が多い。だいたい、「仕事辞めて船に乗りました」なんて言ってる時点でぶっ飛んでいるのだ。

一方で、国際情勢や社会問題に強い関心を持つ人も多いのもまた事実。「真面目」という観点では「人それぞれ」という答えになるだろう。

人を疑うことを知らない?

これはあまり当てはまらない。ピースボートに乗ろうとする人は、だいたいが「左翼団体がどうとか、評判悪いけど、この団体、大丈夫かな?」という思いを抱いて説明会に行く。

ボランティアスタッフとして活動していればなおさら。ポスター貼りで心無い言葉を浴びせられ、人間不信になるなど一度や二度の話ではない。

おまけに、寄港地に乗ったらタクシーでぼったくられ、常にすりに警戒する。特に、女の子と一緒にタクシーに乗った時の警戒心はMAXに達する。

人を疑うことを知らない人間は、寄港地で間違いなく死ぬ。運が良ければ、財布を無くして帰ってくるだろう。

自信過剰?

『俺が騙されるわけないだろ』と思っている人ほど騙されるらしい。これは、本当に人それぞれだと思う。

一人で結論を出せない?

これに関しては全く当てはまらない。「地球一周したい」というと、だいたい家族も友人もひっくり返る。

むしろ、「家族の説得」がどうやら地球一周の壁の一つらしい。

つまり、多くの人が一人で地球一周を決めるのだ。

僕に関していうと、家族には全くないしょで資料を取り寄せた。

ピースボートの参加者は、行動力の塊みたいない人が多い。自分の意志でズバズバ決めて、行動していく人ばかりである。

スピリチュアル好き?

これもまた人それぞれ。少なくとも、船内で宗教の勧誘などの活動をすることは禁じられている。

こうやって見ていくと、「ピースボートに乗る人は洗脳されやすいか」の答えは、「人それぞれ」だと思う。むしろ、一般社会よりやや騙されにくい人たちのような気もする。

ピースボートは洗脳しようとしているのか?

では、ピースボートの団体の方はどうだろうか。

これまた調べてみると、洗脳のプロセスとして次の6つが挙げられるらしい。

・寝不足にして思考を鈍らせる

・怒鳴って人格を否定される

・不安にさせる

・依存させる

・日常から切り離す

・刷り込む

この6つがピースボートに当てはまるか検証していこう。

寝不足に追い込む?

これは完全に当てはまらない。何時に起きて何時に寝ようが個人の自由だ。僕はよく昼寝をしていた。

深夜12時くらいになると、居酒屋を除き、もうみんな寝ている。夜更かししてても楽しいことなどない。深夜アニメも深夜ラジオもないのだ。

起きるのは人それぞれ。朝日を拝もうと早起きする人もいれば、10~12時台に起きてくる人もいる。

ただし、船内チームによっては寝不足になるチームもある。

怒鳴って人格を否定する?

ピースボートの関係者から怒鳴られたことはない(怒られたことならあるけど)。もし、怒鳴られた人がいるとすれば、それは何か事件を起こした時くらいだろう。

人格を否定するどころか、何か特技がある人は一般社会よりも褒められやすい環境だと思う。

不安にさせる?

これは当てはまるだろう。社会問題系の企画やツアーに行った場合、不安どころか、打ちひしがれて帰ってくる人もいる。

ただ、それを消化する時間は山ほどある。

依存させる?

船を降りる日が近づくと、「終わってほしくない~!」となる。これを依存と呼ぶなら、学校の卒業間際の「卒業したくない~」も立派な依存と言えるだろう。

だが、現実は船を降りた後、皆それぞれの道を進んでいく。「船の生活に依存して抜け出せない」や「左翼団体の活動に依存して抜け出せない」といった事例は、まだ聞いたことがない。

だいたい、ピースボートで働いている人たちも、一生の仕事としているよりは、他にやりたいことが見つかったらそっちへ行くというスタンスの人が多いようにみられる。実際、ピースボートをやめて別の活動を始めたという元スタッフの話はかなり聞く。「依存」という観点からは当てはまらないだろう。

日常から切り離す?

これに関しては、ピースボートほど人を日常から切り離す団体などあるまい。日常はおろか陸上から切り離して、テレビもネットも見れない。「見せてくれない」のはなく、「そもそも電波が届かない」のだ。外部との連絡も取れない。これまた「連絡させてもらえない」のではなく、「そもそも電波が届かない」。カルト教団や変な左翼団体がかわいく見えるほどの隔離っぷりだ。

刷り込む?

確かに、社会問題を扱った企画は多いし、左翼的な人の方が圧倒的に多いのも事実だ。

だが、何らかの答えを押し付けるようなことはほとんどない。

「情報は与えたから、あとは自分で考えて答えを出せ」というスタンスだ。

考える時間も、議論を戦わせる相手もいっぱいいる。

「刷り込む」という観点からは、「グレー」という答えが適切だろう。

こうやって見ていくと、「不安にさせるような情報をたくさん提示する」という意味では洗脳の条件を満たしている。

しかし、「相手の思考力を奪う」という意味では全く満たしていない。

確かに、日常と地上から隔離されてはいるが、その分、参加者がバラエティに富んでいる。むしろ、多様な価値観、考え方に触れるいい機会だろう。

ピースボート程度で洗脳されるような人間は、おそらく地球上のどんな団体・会社・宗教に行ってもあっさり洗脳されて帰ってくるだろう。

むしろ、ブラック企業の方がよっぽど怖い。寝不足の頭に怒鳴って、刷り込んでくるのだから。まず、思考力を奪ってから、じわじわと会社色に染めていくわけだ。

ピースボートにおいて、洗脳よりよっぽど注意しなければいけないこと

ピースボートに興味がある人に僕から言いたいのは、洗脳よりもよっぽど注意すべきことがある、ということ。

それは、船を降りた後の「ポジティブシンキング」。

船に乗ると、ピースボートという団体うんぬんの前に、360度どこまでも広がる青い海を見た時点で価値観が吹っ飛ぶ。寄港地に降り立つたびに、「日本の常識」がいかに狭いものなのかを思い知らされる。

ピースボートが与えてくる情報よりも、船内生活や寄港地での自由行動中の体験の方がよっぽど強烈だろう。要は「船旅」のインパクトが強いのだ。

また、船の中ではイベント運営、ミュージカル、音楽活動、映像作りなど、さまざまなことにチャレンジできる。

「日本の常識がぶっ壊れる体験」と「いろんなことにチャレンジした体験」が合わさると、「世間の常識にとらわれず、何でもできる!」、「いっそ、日本を、世界を変えられるんじゃないか?」という、自己啓発本のようなポジティブ全能感を抱く人が多いようにみられる(ただし、思考能力を奪うほどではないので、安心してほしい)。

かくいう私も、その一人だった(笑)。

それは決して悪いことではない。特に、それまで自己評価が低かったり、目標が持てなかったりした人の場合はむしろ、「前向きになった」『明るくなった』と評されることもある。

だが、程度の問題である。何事も「ほどほどに」が大事なのだ。

前向きになるのは大事だが、卑屈だったころの自分を忘れてはいけない。

僕はこれを、「過去の自分が背中から銃を突き付けている」と表現している。根拠もなくポジティブなことを言ったりして、「輝いている自分」や「今、幸せな自分」をアピールしようとすると、かつての自分が背中から銃を突き付けて、「なんかかっこいいこと言ってるけど、もしかして俺のこと忘れちゃった? 卑屈で、嫉妬深くて、死にたがり。それがおまえだろ?」とブレーキをかけてくれる感覚。

だから、僕は「昔はダメダメだったけど、今はこんなに輝いています」という人があんまり好きじゃない。ブレーキのない自転車みたいなものだと思っている。

人間である以上、ダメダメな部分が残らないわけがない。むしろなくなったら、「悟りを開いたぞ!」と言って、「阿闍梨」「如来」を名乗ってもいいと思う。

実際は、ダメダメな部分が残っておるにもかかわらず、気づかない、隠している、という人が、この手のタイプには多いと思う。

それよりも、「昔はダメダメだったけど、今は昔より前向きです。でも3日に1日ぐらいは落ち込んで死にたくなります」という人の方が好きだ。

ただ、「ピースボートのに乗れば、みんなめちゃくちゃ前向きになるのか?」と聞かれれば、答えは「程度による」だ。「少し前向きになった」人もいるし、「めちゃくちゃ前向きになった」人もいる。当然だ。同じ船に乗っていても、人によって見える景色は全然違うのだから。

全員が全員、「ポジティブバカ」になれるほど、世の中は、船旅は甘くない。

まとめ

・ピースボートに乗る人は、どちらかというと洗脳されにくい。

・ピースボートは確かに左翼的な情報は与えてくるが、思考力を奪うようなことはしないので、これで洗脳される人はよっぽどである。

・むしろ、前向きになりすぎることに注意した方がいい。

とりあえず、僕の周囲で「船を降りた後、憑りつかれたように左翼団体の活動に邁進している人」はまだ見たことがない。

小説:あしたてんきになぁれ 第3話 病院のち料理

援助交際で稼ぐヤンキーギャル・亜美と、自殺未遂を繰り返す地味な女の子・たまき。二人はクラブのトイレで倒れている少女を見つける。少女の名前は志保。明日がどうでもいい亜美、明日が怖い志保、明日がいらないたまき、3人の物語がいよいよ始まる。

「あしなれ」第3話、スタート!


第2話 夜のち公園、ときどき音楽

登場人物はこちら ⇒「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


たまきはパニックだった。

ただ、パニックだったと言っても、慌てふためくとか、喚き散らすとかそういうのではなく、ただただ目の前の状況を飲み込めずに、ぼうっと見ていた。

トイレのタイルの上に倒れていたのは、白い、透き通るような肌の少女だった。

だが、不思議と、きれいとは思わなかった。

たまきは亜美(あみ)の方を見た。

亜美はというと、あんぐりと口を開けたまま、倒れている少女を眺めていた。亜美もまた状況が呑み込めずにいるらしい。

「亜美さん……どうしよう……」

たまきが不安げに亜美の方を見ながら尋ねた。

「どうしようって……とりあえず、ヒロキ呼んできて」

「うん……」

たまきは頷くと、トイレを出てとぼとぼと歩いて行った。

冷静に考えれば、救急車を呼ぶ状況なのだろうが、それが思い浮かばないくらい、亜美は動揺していた。また、冷静に考えれば、走らなきゃいけない場面なのだろうが、とぼとぼ歩いてしまうくらい、たまきも動揺していた。

亜美は少女の傍らにかがみこんだ。

ふと、少女の横に落ちている何かを亜美は見つけた。

「これって……」

亜美はそれを拾った。

 

ヒロキがトイレに到着した。

ヒロキは無言で、それを見下ろしていた。

「ヒロキ、どうしたらいいと思う?」

亜美が尋ねた。

「どうしたらって、救急車だろ、フツー」

「あっ」

二人は、そこで初めて顔を見合した。

「後、こんなん落ちてたんだけど……」

亜美は、赤いハンドタオルに包んだ拾い物を見せた。

「……なるほど……」

それを見ただけで、ヒロキはすべてを察したようだ。

「しかし、だとすると余計まずいな……」

「何が?」

亜美が尋ねた。

「この店が犯罪の温床だっていうのは聞いたことあるだろ?」

「まあ、噂なら……。」

「だからこういうのとか、救急車とかそういう騒ぎを避けたがると思うんだ。警察に目をつけられたくないからな。救急車を呼ぶことを許してくれるかどうか……。」

「じゃあ、どうするの?」

「……先生に連絡したほうがいいんじゃねぇの?」

「わかった。」

たまきは、二人の会話の内容についていくので必死だった。

そんなに年は変わらないはずなのに、なんだか二人が大人に見えた。人とかかわるのを避けてきたものと、人と交わりあい、群れあってきた者の違いだろうか。

 

亜美は電話を切った。

「先生が車でこっち来るから、通り沿いで待ってろだって」

「救急車は呼ばなくていいんですか?」

「先生の家からなら、救急車より早く来れるんだってさ」

ヒロキの道案内で、店の外までたまきと亜美は少女を運ぶことになった。

亜美が頭を、たまきが足を持つ。たまきの肩には少女のものと思われる白いショルダーバッグ。

二人で運んでいるとはいえ、少女の体は身長にそぐわず軽かった。

店のスタッフに「病人が出た」といって裏口から出してもらう。

ぐるりと回って大通りに出ると、すでに舞(まい)の車が来ていた。黒いワゴン車で6人は乗れるはずだ。

舞はすでに車の前で待ち構えていた。

京野(きょうの)舞(まい)。もともと医者だったのだが、今は医療系専門のライターとして食べている。医者としてたまきや亜美の面倒を見ている。

亜美は舞のところに駆け寄った。

「聞いたぞ亜美、トイレで倒れてたんだって?」

舞は亜美をじろりとにらみつける。

「またトイレかよ。アンタ、トイレの神様でもついてるんじゃないの?」

トイレの神様って、そういう神様だったっけ、とそばで聞いていたたまきは思った。

「アンタ、三か月はトイレに入んない方がいいかもね」

「そんなぁ、無理ですよ」

「そんなことより……」

そこで舞が声のボリュームを落としたので、たまきには二人の会話はよく聞こえなかった。亜美が鞄の中からハンドタオルにくるんだ何かを見せて、舞が難しそうな顔をする。

やがて、亜美が戻ってきた。舞は携帯でどこかに電話していたが、やがて電話を終えると車の中の少女を見た。

「走りながら状況を聞く。お前ら乗れ。1分で病院に行くぞ」

言われるままに亜美とたまきは車に乗った。

「よし、ヒロキ、あんたが運転しろ。あたしはその子を診てる」

ヒロキは無言でうなづき、運転席に乗った。舞は最後尾で横たわる少女に声をかけた。

「大丈夫。もうちょっとだけ頑張れ」

 

画像はイメージです

ネオンきらめく大通りから歓楽街に入る。カーラジオからは、若い男性アイドルの歌。

「ところでたまき、けがの調子はどうだい?」

舞が少女の顔色を見ながら言った。

「……大丈夫です」

たまきがボソッと答えた。

「亜美、お前はちゃんと月に一回検診に来なさい! 今月、まだ来てないでしょ!」

「大丈夫だよ、そんなの」

げ、という顔で亜美が答えた。

「え、亜美さん、どこか具合が悪いんですか?」

たまきが尋ねる。

「性病にかかってないかの検査だよ。セックスワーカーの基本」

舞が答えた。

「ヒロキ、アンタも最近こないね。ケンカ、やめたんだ」

「ちげーよ。けがしねーようになっただけだよ」

ヒロキが笑いながら答えた。

医者がこんなに余裕なら、たぶん大丈夫なんだろうな。

たまきはすぐ後ろの座席で横たわる少女を見ながら思った。

「しかしお前ら、何で救急車じゃなくてあたしに電話した?」

舞の問いに、先ほどのヒロキの考えを述べたのは亜美であった。救急車が着たら、店に迷惑がかかる。

しかし、舞は、「バーカ」と一言いうと、言葉を続けた。

「何も店のすぐそばに呼ばなくたっていいだろ。店から少し離れたところにきてもらえばよかったんだよ」

「あっ」

三人が同時に声を上げた。

「ま、うちから車出した方が早いし、もしかしたら、この子にとってはそれが良かった、なんてことになるかもね。そろそろ着くか」

舞は、後ろの座席で寝ている少女に少し目をやって言った。

 

病院につくと、医者らしき男性が出迎えた。

舞は車を降りると、男性と話し始めた。どうやら知り合いらしく、先ほどの電話の相手は彼のようだ。

やがて看護師たちがストレッチャーを持ってきて、少女をそれに乗せると、病院の中へと消えていった。

舞も男性医師と一緒に治療室へと入っていく。

「さてと」

そういうとヒロキは、踊りたりねぇと言って、来た道を戻っていった。

「……亜美さんは、どうするの?」

たまきは、少し背の高い亜美を見上げながら訊いた。

「残るよ。乗りかかった何とか、ってやつだ。たまきも残りなよ。今の時間、一人で帰るのは物騒だから」

たまきとしては、一刻も早く「城(キャッスル)」に戻りたかったのだが、そういわれると、残るしかない。

何より、ひとりで「城」までたどり着ける自信がない。

 

小田病院は、9階建ての総合病院だ。待合室も昼間なら患者でごった返しているのだが、夜の十時となると、誰もおらず、座っているのはたまきと亜美の二人きり。時折看護師や、パジャマを着た入院患者が点滴しながら歩いていくくらいだ。

静かである。音がすべて、白い壁と黒い影に吸い込まれてしまったみたいだ。

たまきは、壁にかけられた時計を見る。

夜の十時。

ちょうど、昨日、たまきが寝ているところに、亜美がミチを連れてきたのがこのくらいの時間である。

なんだか怒涛の二十四時間だった。実はそのうちの半分以上は、「城」でゴロゴロしていただけなのだが、それでも、たまきにとっては怒涛の二十四時間だった。

もしかしたら生涯で初めてだったかもしれない、「密室で男性と二人きり」。それから自分の過去に触れてしまい、大泣き。そのあと珍しく外出したら、ミチと再び会い、絵を見られる。さらに無理やりクラブに連れて行かれ、トイレで少女を発見する。

薄汚れた背もたれに寄りかかり、ふうっと息を吐いた。隣の亜美を見ると、携帯電話をピコピコいじっている。

 

深夜零時。亜美はゲームのキリのいいところで携帯電話から顔を上げた。隣のたまきはいつの間にか寝息を立てて、亜美の肩に首を預けて寝ている。

足音がした方に顔を向けると、舞が歩いてきた。

「終わったぞ」

舞はそういうと、手に持っていたコーラの缶を開けて飲み始めた。

「助かったの?」

「患者を死なせた直後に、コーラを飲む神経は持ち合わせていない」

亜美の問いに、舞は口からコーラのシーオーツーを吐きながら答える。

「じゃ、助かったんだ」

舞は無言でうなづいた。

「さてと、それじゃ、」

舞は一度言葉を切った後、続けた。

「あの子連れて帰るぞ」

「はーい。……えぇっ!」

亜美は大きく目を見開き、舞の方を見た。

「入院するんじゃないの?」

「医者の家に連れて帰るんだ。問題はないだろう。病院の許可はとってある」

舞はそういうと、コーラの缶に口をつける。

「たまき、帰るよ、起きて」

亜美はたまきの肩をゆすった。たまきは眠気交じりの声を上げた。

 

十二時半。たまきが舞の部屋のドアを開ける。まずたまきが部屋に上がり、電気をつける。白い壁が明かりに照らされる。

半開きになったドアを舞が足でさらに開けると、背中から部屋に入った。舞が少女の肩を持ち、亜美が少女の足を持っている。

寝室のベッドの上に少女を寝かせると、舞は棚の上からカップめんを三つ取り出し、お湯を注いだ。

「食え」

舞はそういうと、二人の前にカップめんを置いた。

「酒とかないんすか?」

亜美はそういうと、まるで自分の家のように冷蔵庫を開けた。

リビングルームにはドアのそばに、長方形のテーブルがあり、最大4人が座って食事ができる。その奥には二人掛けのソファと小さなテーブル、テレビがあり、ドアの反対側にある窓のそばには小さなデスクがある。デスクの上は本やら資料やらで散らかっており、雪のように積もった紙の隙間から、かろうじてノートパソコンが見える。

亜美は食卓の窓に近い方のいすに腰掛け、だらりと背もたれに体を預けている。たまきは、ソファの上で体育座りをしている。

三人はカップめんをすすっていた。テレビからはお笑い芸人の笑い声が聞こえる。

亜美は酒を片手にカップめんをすすっていた。もちろん、いけないことだが、舞は止めても無駄だという感じで亜美を見ている。

 

たまきは麺を食べ終わった。麺を食べ終わっただけで、スープはすべて残してある。同じタイミングで、亜美は麺とスープを完食し、ビールも一缶飲み終えた。

「ところで、あの子、何の病気だったんですか。」

たまきがつぶやいた。

舞は立ち上がると、少女の眠る寝室のドアを開け、中に入った。

茶色い長い髪。長いまつげの伏せられた眼。

眠っていても、たまきには少女が美人であることがわかった。

少女は長袖を着ていた。こんな時期に長袖を着るのは自分くらいと思っていたたまきは少し驚いた。

舞は、少女の右の袖をまくった。

少女の腕には、血のように赤い無数の点があった。。

「何ですか、これ?」

たまきは覗き込んだ。

少しの沈黙の後、舞は口を開いた。

「……注射器の跡だよ。」

薄暗い部屋を、さらに静寂がつつんだ。

「……注射器って……つまり……。」

たまきの疑問を遮るように、舞は答えた。

「検査で、この子の血液中から覚せい剤が検出された」

たまきは絶句した。少女は見たところ、自分とそんなに年が変わらない。自殺未遂を繰り返す自分が言えたことじゃないが、なぜこんな子が覚せい剤なんか……。

「だからここに連れてきた。あの病院にいたら、通報されるからね」

「なんでこんな子が覚せい剤なんか……。だって、覚せい剤って、どっちかっていうと亜美さんみたいな人が……」

「どういう意味だそれは! ウチだってさすがにドラッグは手を出してねーよ!」

ドアの向こうから部屋の中を見ていた亜美が大声を出した。

……快楽第一主義の亜美ですら手を出さないドラッグに、なぜこの子は手を出したのだろう。

「さてと、なんか持ってないかなぁ」

そういうと、亜美は少女のカバンの中をあさり始めた。

「ちょっと、亜美さん、何やってるんですか!」

たまきが亜美をたしなめる。

「別にとりゃしねーよ。何か、身元がわかるもんねーかなーと思って」

たまきは、次に自殺するときは、絶対に所持品のない状態にしようと思った。もし、死体が亜美みたいな人に見つかったら、何を見られるかわかったもんじゃない。

「お! 財布はっけーん」

亜美は人の財布の中身を見始めた。

「お! こいつ、結構持ってるぞ」

「亜美さん!」

「大丈夫。取ったりしねーって」

財布の中からは、数人の福沢諭吉が顔を出していた。

「クスリやるには金が要るからね。自力で稼いだか、犯罪に手を出したか、親からとったか……。確かに、そのくらいの年の子が持つにはおかしな金額だな」

舞が煙草に火をつけながら言った。

「お! 学生証はっけーん!」

亜美は、財布の中の、カードや会員証などを入れるポケットから、少女の写真の入ったカードを出した。たまきも、いけないと思いつつも思わず覗き込む。

学生証に描かれた少女の写真は、やはり美人だった。ぱっちりとした目、高い鼻、茶色く長い髪。そして、笑顔。

たまきには、こんな素敵な笑顔のできる人が、なぜ、覚せい剤などに手を出したのかがわからなかった。昔からほとんど笑わず、無理に笑えば似合わない、不気味だ、気味が悪いと言われてきたたまきには、こんなに美人で、こんなに笑顔が似合う人がなぜ……という思いが消えない。

「神崎(かんざき)志保(しほ)。星桜高校二年。」

亜美が生徒手帳に書かれた文字を読み上げる。たまきは、身分を証明する一切を家に置いてきてよかったと思った。もし、持っていたら、自殺して、亜美みたいな人に見つかった場合……。

「星桜高校? へぇー。進学校じゃん」

舞は灰皿にタバコの火を押し付けながら言った。

「先生、知ってるの?」

亜美が尋ねる。

「知ってるも何も、東京の女子はみんな一度はあこがれるものさ。偏差値高いし、制服はかわいいし」

「ウチ、東京の女子じゃないもん」

「……私も……」

「何だ、お前ら、東京出身じゃないのかい。じゃあ、どこの出身だ?」

とたんに、亜美は舞から目をそらし、たまきは下を向く。

「……言いたくないってか……。」

舞は二本目の煙草に手を伸ばした。

下を向いたたまきは、亜美の足元に転がっていた少女「志保」のカバンが目に入った。

人のカバンの中身を見てはいけないと思いつつも、たまきはカバンの中に手を伸ばした。

たまきの手がつかんだのは、手帳だった。

手帳にはプリクラが貼ってあった。「志保」を含む、たくさんの少女が写ったプリクラ。オレンジ色の字で「ずっとともだち」と書かれている。

別のプリクラは、「志保」と同じくらいの年の少年と映っているものだった。今度はピンク色で「だいすき」と書き込まれている。

「たくさんの友達」、「彼氏」。たまきがどれほど望もうと手に入らなかったこの二つを「志保」は持っているらしかった。なのになぜ、「志保」は覚せい剤なんかに手を出したのだろう。

 

写真はイメージです

頭が痛い。志保の目を覚ましたのは、グワングワンと揺れるように響く頭の痛みだった。

起き上がる。一瞬、痛みは高まったが、少しずつおさまってきた。あたりを見渡す。

知らない部屋だった。志保が寝ていたベッドは右側の白い壁沿いに置かれており、反対側の壁には本棚やCDラックが置かれている。そして、志保自身は覚えのないパジャマを着ていた。

部屋の中を見渡した志保は、ベッドのわきのいすに座り、こちらを見ている人物に気付いた。

黒い髪に黒いメガネ、黒い長袖の服を着た少女だった。メガネの左側のレンズはほとんど前髪に隠されている。メガネの奥の、眠たげに開いた眼はあどけなさが残るが、どことなく、生気というものを感じさせない。右手首の白いのはよく見れば包帯だった。

志保は少女と目があった。少女は、一言、

「あ、起きた」

とやはり生気を感じさせない声でつぶやくと、部屋の外へと出て行った。

「先生、亜美さん、起きました」

やがて、少女と共に女性二人が入ってきた。

一人は、二十歳前後の女性だった。金髪の長い髪。思わず目を背けたくなるほど露出の高い服を着ている。

もう一人は三十代前半と言ったところか。黒髪のストレート。煙草をくわえ、エプロンをしてた。

黒髪ストレートの方が志保へ近づいた。

「おはよう。気分はどうだい」

「え……、ちょっと頭が痛いですけど……」

志保は問われるままに答えた。

「うん、大丈夫だ」

「あの……、ここはいったい……」

志保は周りを見渡しながら尋ねた。

「昨日のことは覚えてる?」

「……なんとなく……」

「アンタはクラブで覚せい剤を打って倒れた。認めるね」

「……はい……」

「クラブで倒れてひっくり返っているところを、ここにいる亜美とたまきが見つけて、アタシのところに連絡してきた」

「あの……、あなたは……」

「京野舞。医者」

黒髪ストレートはそういうと、煙草の煙を吐き出した。

「薬物中毒なんて、さすがにウチじゃどうにもならないから、知り合いの病院に連れてって治療した。そんで、連れて帰って、今に至る。以上!」

志保の心の中には不安が募っていた。この人は自分が薬物中毒であることを知っている。っていうことは……。

「……あたし、これからどうなるんでしょうか……。やはり、警察でしょうか……」

「そんなの……」

医者の女性はそういうとくるりと背を向けた。

「自分で決めな。さあ、メシにするぞ」

 

ドアの向こうはリビングルームとなっており、長方形のテーブルに、湯気と香りが沸き立つ料理が並べられていた。壁の時計は十二時を示している。日差しが窓から差し込む。テレビからは女性タレントの笑い声。舞が最初に腰を下ろし、残りの三人はそれぞれ、舞に支持された場所に座った。黒髪メガネの少女の名はたまき、金髪少女の名は亜美というらしい。

隣には亜美、正面には舞、はす向かいにたまき。

「先生、なんか、ウチとたまきと志保、量ちがくない?」

志保は命の恩人とは言え、初対面の人間に呼び捨てにされるのが何か納得できなかった。

「当然だろ。一人一人、症状が違うんだから」

そういうと舞は、隣に座ったたまきを見た。たまきの前にはご飯とみそ汁、そして中盛りの肉野菜炒めが湯気を立てている。

「お前はまず食べろ。量を食べろ」

次に舞は志保を見る。献立は一緒だが、肉野菜炒めは肉の割合が多い。」

「アンタはやせすぎ! もっと肉を食え!」

「せんせー、うちも肉食いたい!」

亜美が不満を言った。亜美の肉野菜炒めは野菜多めだ。

「お前はどうせろくなもん食ってないんだろ。野菜食え。」

亜美は渋々、箸をつけ始めた。

 

豚肉を頬張りながら、志保は隣の亜美と、はす向かいのたまきを見ていた。

たまきは左手の箸でつつくように食べていた。もやしをピンセットみたいに箸でつまんで、小さな口へと入れている。そのスピードも遅く、料理に手を付けることなく、ぼんやりと皿の上も見ているときもある。

食欲がないんだろう、と志保は思った。志保にもそういうときがある。

一方、亜美はたまきの三倍のスピードで野菜炒めを食べていた。かきこむ、といった感じだ。

ただ、皿の一角にはピーマンがたまっている。わざと残しているようだった。

志保は疑問だった。この二人はいったいどういう関係なんだろう。姉妹? 友人? 先輩後輩?

だが、いずれもしっくりこない。この二人、あまりにも違いすぎるのだ。

たまきは全身黒ずくめ、といった感じだった。たぶん、カラー写真で撮っても、白黒写真で撮っても、そんなに変わらない。上から黒い髪、黒いメガネ。夏には珍しい、黒い長袖の服に黒いロングスカート。さらには黒い靴下。

だが、最も印象的なのは、メガネの奥の目だった。左目は、メガネの前で目を覆うように隠している前髪で見えない。しかし、右目だけで十分印象に残った。

あどけなさを残す目だ。だが、生気というものが感じられず、誰とも目を合わせない。初対面の志保はもちろん、舞、亜美とも目を合わせようとしない。

一方、亜美は正反対だった。金髪の長い髪を後ろで結んでいる。袖がなく、胸の谷間を強調した服。腿まで見えるパンツ。捕まらない範囲で見せられるところはすべて見せている、といった感じだ。右肩には小さな青い蝶の入れ墨が、舞い飛ぶように彫られてある。

よくしゃべり、よく笑い、よく食べる。悩みなどなさそうに笑っている。

 

「で、この後どうするの?」

舞が箸を置き、志保の目を見ながら尋ねた。志保は目を伏せた。

「……警察でしょうか……」

志保は三十分前と同じセリフを口にした。

「アンタがやっているのは、立派な覚せい剤取締法違反。アンタの年なら少年院行きだ。けどね……」

そういうと、舞は目に力を込めた。

「少年院で、あんたの病気が治るとは限らない。っていうか、アタシには思えない」

「病気……」

志保は、舞の言葉をオウムのように繰り返していた。

意外。そんな目をしている。

「少年院に行く女ってのは、薬物中毒者が多いんだ。そんな連中が同じ雑居房で暮らしてみな。確かに、社会と隔離することで、強制的に麻薬に手を出さなくなるかもしれないけれど、横のつながりってのができる可能性は否定できない」

そこまで言うと、舞は、コップの中の水を飲んで、言葉を続けた。

「薬物中毒者に対する対処は、なにも、刑務所だけじゃない。最近は、薬物中毒専門の病院や、施設があるんだ。そういうところに行くって道もある」

舞は、志保に一層近づいた。

「どっちに行くかは、アンタが決めな。警察行くってんなら、付き添ってやる。病院行くっていうなら、紹介してやる」

志保の中では、「病気」という言葉が響いていた。

そんな二人の会話を割るように、亜美が目を輝かせながら尋ねてきた。

「ねえねえ、何でドラッグなんてやったの?」

「えっ?」

志保はたじろいだ。

「……亜美さん……!」

たまきがボソッと声を上げた。

「そういうこと聞いちゃだめですよ」

「別にいいじゃん。ウチら、こいつの命の恩人だよ?」

「恩着せがましいですよ。私、亜美さんの、そういうところ、なんていうか……」

たまきはそこで言葉を切って、しばらく考えてから、言葉を続けた。

「……苦手です……。」

「たまき、はっきり言ってやっていいんだぞ。嫌いなら嫌いって」

食事を終えた舞が、煙草に火をつけながら言った。

「……怖かったんです……」

三人の会話を、志保のかすかな声が遮った。

「え?」

「明日が来るのが……怖かったんです……」

それっきり、志保は下を向いたまま、話さなくなった。

「明日……」

亜美とたまきは、異口同音につぶやいていた。

しばらくして、志保が口を開いた。

「……警察、行かなくていいんですか?」

「医者としてはそっちを勧めるね。法律的にはアウトだとしても。ちゃんと治療を受けるなら、アタシはあんたを通報したりしない」

病気なんだ……。治せるんだ……。そんな思いが志保の中に芽生えていた。

「……よろしくお願いします……」

志保はそう言った。

 

食事も終わり、舞は皿洗いを始めた。

「手伝います」

志保が舞の横に立ち、皿を洗い始めた。

「お、慣れてるねぇ。料理とかするの?」

「まあ、一応……」

「そういえばさ……、アンタ、家はどこ? 親は……?」

その質問に、志保は顔をうつむけた。

「おいおい……コイツもかよ……」

二人の会話を聞きながら、亜美は見ながらぼんやりと煙草を吸っていた。

「……料理か……」

亜美は天井に向かっていく白い煙の帯を見ながらつぶやいた。

「……使えるな」

それを聞いて、たまきはにがそうな顔をした。

「……また悪巧みですか?」

「ウチがいつ、悪だくみをしたよ?」

「……私を助けたのも、悪だくみだと思ってますけど……。で、何、企んだんですか?」

「料理だよ。料理が足りなかったんだよ」

亜美は煙草を灰皿に押し付けた。

「ウチんとこに来る男がみんな『お前は色気があるけど女っ気が足りない』っつってるんだよ」

「……私はどっちもないですけどね……」

「アバウトな言い方だろ? 『色気』と『女っ気』ってどう違うんだよ。で、ずっと考えてたんだけど、『女っ気』っていうのは『女の子らしさ』だと思うんだよ」

「……『色気』と『女の子らしさ』はどう違うんですか……」

「……いや、わかんねーけど……。まあ、で、どうしたら『女っ気』が出てくるか考えてたんだけど、やっぱ、『料理』だと思うのよ」

「……女の子が料理できなきゃいけない、っていう時代はもう古いと思いますよ。現に、私たち二人とも、料理できないじゃないですか」

「わかってないなぁ。要は、オトコがオンナに何を求めてるか! 『オトコの理想のオンナ』をいかに演じるか。それがわかんないから、あんたはモテないんだよ」

「……別にモテたいと思ってないし……」

「てなわけでだ」

亜美は、体ごとたまきに向きなおった。

「ウチはあの子を『城』に迎え入れようと思うんだ」

たまきが「やっぱりね」と言いたげに亜美を見た。

「やっぱり、ビジネスは日々進化させないと」

そう言って亜美は笑うと、首を志保の方に向けた。

「志保―っ! あんた、行くとこないんでしょ? ウチこない?」

「え?」

志保が驚いたように振り返った。

「家出してるんでしょ? ウチらも同じ。ウチんとこきなよ」

「アンタねぇ。薬物中毒者と一緒に暮らすということがどういうことか……」

舞はそこまで言いかけたが、そこでしばらく黙った後、

「フム。まあ、やってみれば?」

と、娘にペットを許可するような口調で言った。

「あ……じゃあ、行くとこないし……、お世話になります……」

志保は、ぺこりと頭を下げた。

 

写真はイメージです

「……ここ……お店だよね?」

ネオンきらめく雑居ビルの5階。白く光る「城(キャッスル)」と書かれた看板を前にした志保が言った。

「ここはね、ウチらの城」

そういうと、亜美はドアを開けた。

ほのかな電灯をつけると、二人暮らしには広い間取りに、壁に沿っておかれたソファと、三つのテーブルが見える。

テーブルの上は雑誌やリモコン、ぬいぐるみなど、生活感にあふれている。誰に説明されなくても、志保はこの店がすでに営業していないことがわかった。

「二人は何の仕事してるの? この部屋、っていうか、店、家賃とか……?」

「ウチ? ああ、援交」

「援交!?」

志保が目を丸くして声を上げた。

「気を付けてください。ここに平気で連れ込みますから」

たまきがボソッと忠告する。

「……たまきちゃんも、そういうことするの?」

たまきは慌てて、「私は全く関係ありません」と言わんばかりに首を振った。

「私は、そういうの興味ありませんから……。結婚する気も、子供作る気もないですし……。……たぶん、そういう年になるころには、この世にいないと思うし……」

「ええっ!?」

たまきが最後にボソッと言った言葉に、志保はまた目を丸くした。

「たまきちゃんって……何かの病気なの!?」

「ああ、そいつはね、死にたがり病なの。志保も気を付けてよ。ちょっと目を離すとそいつ、すぐリストカットしようとしたり、屋上から飛び降りようとしたりするから」

「……そうなんだ……」

志保は亜美の方を向いた。

「じゃあ、ここの家賃は、亜美ちゃんのその、援助交際で払ってるってこと?」

「家賃? ああ、払ってないよ」

「はい!?」

「……まあ、不法占拠というやつです」

たまきがボソッと補足する。

亜美はカウンターの方へと歩いて行った。カウンターの中には、店だった頃はボトルが並んでいたと思われる棚があり、簡単な厨房も見える。

「ここが、志保に腕を振るってもらう厨房」

「あのね、亜美ちゃん、さっきも言ったんだけど、料理はできるけど、そこまで上手ってわけじゃ……。」

「いいんだよ、作れれば。ウチら、どっちも料理できないんだし。たまきも、『城』でおいしいもの食べたいもんなぁ」

「……私は別に食にこだわりはないんで……」

たまきはボソッと訂正した。

 

食事をして、銭湯に行って、そのあとは思い思いの時間を過ごしていた。

たまきはもう寝ると言ってソファの上に横になった。亜美は煙草を吸うと言って屋上に行った。

志保はわずかに開いたキッチンのカーテンから月を見ていた。

昨日の今頃はこんな風になるなんて、考えてもいなかった。

昨日の今頃。確か、ドラッグを打って……。

急に背中から生まれた悪寒が全身をつつむ。志保は、思考を切り替えようと後ろを見た。

たまきがこちらを見ていた。横になっているにもかかわらず、メガネをかけ、じっと志保の方を見据えていた。

 

たまきには分からなかった。志保はなぜ、ドラッグなんかに手を出したのか。

今日一日、志保を見ていたが、志保はいたって普通の女の子だった。受け答えからも、育ちの良さ、頭の良さがうかがえた。

さらに、亜美ともすぐに打ち解けてしまった。

舞の家から「城」への帰り道、たまきは、亜美や志保の少し後ろを歩いていた。

二人は、それこそもう数年来の友人であるかのように話していた。元彼の話、お互いの通っていた学校の話、食べ物の話、etc……。

たまきはその少し後ろを歩く。自ら会話に加わることはないし、話しかけられても、ボソッと、最低限のことしか言わない。

こういう人たちはいるのだ。新学期、クラス替えとかでいきなり友達を作れる連中が。

それができれば、人生はきっと楽しい。たまきはずっとそう思っていた。

今、目の前にいる二人は間違いなく「友達作りスキル」のある人間である。たまきから見れば、勝ち組のはずだった。

だから、わからない。一方は学校というレールから外れ、一方はドラッグに手を出す。

自分がダメなのは、友達を作れないからだ。そう考えてきたたまきにとって、友達作りスキルを持っているにもかかわらず、自分と同じように枠から外れた亜美と志保は不思議でしょうがなかった。

自分がダメなのは、友達がいないからではないのか? それとも、論点が違うのか?

特に、志保はたまきが届かなかったもの、すべてを持つ存在だった。

だから余計にわからない。こんなにも他人に関心を持ったのは初めてではないだろうか。

ふと、志保と目があった。たまきは青いタオルケットを頭からかぶった。

「一つだけ聞かせてください」

タオルケット越しに薄暗い闇を隔ててたまきの声が志保の鼓膜に届く。

「明日が怖いって……どういうことですか……」

答えはきっとそこにある。

たまきの問いかけを聞いた志保は、少し微笑んだ。自嘲の色を帯びながら。

「志保さんは……。」

「もう志保でいいよ。年、そんなに変わんないんでしょ」

「……志保さんは、学校にちゃんと通えて、友達がいて、何で、ドラッグなんかに……。」

何てレベルの低いことを言っているんだろうと、たまきは思った。学校に通い、友達を作る。そんなの、最低ラインじゃないか。それにすら到達できない自分は何てクズなんだ。

そんなことを考えているたまきに、志保は優しく言葉をかけた。

「あたしの通ってる、ううん、もう一月ぐらい行ってないから、通ってた高校か。自分で言うのもなんだけど、結構、頭のいい学校なの。だから、入るのすっごい大変だった。相当勉強した」

志保の長いまつげが、月明かりに照らされる。

「親はすっごい喜んでね。もちろん、あたしもうれしかった。すぐに友達もできたし、夏休み前には彼氏もできた。自分でも、順調な高校生活だと思った……」

たまきにしてみれば、おとぎ話のような話である。

「でもね、順調だと思えば思うほど、ぼんやりと見えてきちゃうんだ、自分の明日が。このまま普通に大学行って、普通に就職して、普通に結婚して、普通に子供産んで育てて、普通に老後を送って、普通に死んでって。そう考えたら、急に怖くなったの」

「……それで……ドラッグに?」

たまきはますますわからない。

「ま、それだけじゃないけどね。でも、きっかけはそうかな」

順調だけど、順調だから、明日が怖い。

でも……。

でも……。

「そんなの……」

贅沢だ。たまきが言えなかった最後の一言を志保は理解したのか、やさしく笑った。そして、志保はさびしそうにつぶやいた。

「……贅沢だよね」

 

亜美は屋上にいた。煙草の煙がネオンに照らされて、紫色に映える。初夏の夜は肌に心地よい。

ここでたまきと会ったのか。あの時はこんな風になるなんて考えもしなかった。

何でたまきを助けたんだろ? いまさらながら考える。

そして、なんであの子を、志保を「城」に招き入れた?

……そりゃ、金になるからでしょ。

……本当に?

ぶっちゃけ、今まで週に二回来てたヒロキが、たまきが来て以降、週三回になったぐらいで、新規開拓なんて全くできてない。

きっと、志保が入っても、これ以上儲けは増えないだろう。

そんなの、最初からわかってた。「金儲け」なんて口実だ。

じゃあ、なんで、二人を招き入れた……。

……自分に似てるから?

……そんな馬鹿な。

右脳で出した答えを左脳で否定する。

あの二人が自分に似ているわけがない。たしかに、「家に帰りたくない」という点では似ている。それは認める。だから、たまきに親近感を覚えた。

しかし、たまきは亜美と違ってうじうじしてるし、志保は亜美と違って頭がいい。

そもそも、あの二人が言っていたことがさっぱり理解できない。たまきは明日なんていらないと言い、志保は明日が怖いと言う。

明日のことなんて考えるから、そんなこと言うのだ。明日なんて来ないかもしれない。

亜美は夜空を見上げる。もしかしたら、今日、宇宙のかなたから突然現れた恐怖の大魔王が、火の玉で地球を焦土と化し、みんな死んでしまうかもしれない。

まあ、今のはさすがに極端だが、明日が来る保証なんて、誰にもない。だったら、明日のことなんて考えたって仕方ない。明日なんてどうでもいい。今を楽しんで、明日が来ちゃったら、その時考えればいいのだ。

ふと、亜美の顔にあたるものがあった。思わず上を見ると、さらにポツッ、ポツッ、と冷たいものが当たる。

雨だ。

「マジかよっ」

亜美は屋上を後にした。

 

写真はイメージです

翌日は土砂降りだった。お昼少し前、亜美は買い物に出かけたので、「城」の中にはたまきと志保の二人がいる。

雨の日のたまきは気分が悪い。機嫌が悪いのではない、気分が悪いのだ。もっとも、はれや曇りでも気分がいいわけではなく、そんなに悪くない、というだけなのだが。

「たまきちゃん、何食べる?」

志保は厨房に立っている。髪を縛って、冷蔵庫の中を覗いている。

「お昼……いらないです……」

その時、雨音とともに、亜美が帰ってきた。

「ただいま。いいもの買ってきたぜ」

亜美は、手に持っていた、少し濡れたビニール袋の中から、何かを取り出した。

コルクでできた楕円型の薄い板。それといくつか、ひらがなの形をした造形物が、袋の中には入っていた。

「ネームプレート?」

志保が尋ねた。

「そう。せっかくだし、これに三人の名前を貼って、玄関につるそうぜ」

「……玄関につるしたら、不法占拠がばれるんじゃないですか……」

たまきの一言で亜美が一瞬止まった。

「……ドアの内側にしよう」

 

「うちはピンクね」

亜美はピンク色の造形物の裏にボンドを塗り、コルクのネームプレートの上の方に張り付けた。造形物は、ひらがなの「あ」と「み」の形をしている。

「たまきは黄色ね」

亜美は黄色い「た」「ま」「き」をたまきの手に渡した。

「……私、黄色ですか……?」

黒か紫が良かった。

「気分だけでも、明るくしなきゃダメなんだよ」

たまきは少し不満そうに、造形物を見ていたが、やがてボンドを手に取ると、ボードの下の方に張り始めた。

「たまき、そんな下でいいの?」

「たまきちゃん、真ん中にしなよ。下は新入りの私が」

「……いいです、私はここで」

そういいながら、たまきは「き」を張り付けた。

「志保は青ね」

亜美は志保に青と水色の間くらいの「し」と「ほ」を渡した。志保は笑顔で、「あみ」と「たまき」の間に張った。

亜美は、完成したネームプレートを、ドアの内側、ちょっと高いところにつるした。

「かんせ~い」

 

あみ

しほ

たまき

 

「へへっ。ちょっと、テンションあがるな」

「そうだね」

「……ちょっとだけ」

雨は激しく降り続いていた。

つづく


次回 第4話 歌声、ところにより寒気

亜美、志保、たまきの3人での生活が始まった。ミチに誘われて、彼のバンドのライブに出かけたたまき。事件はそこで起こる……。

「何のやる気もなく、ただ消化試合のように生きている。絵を描くのも、楽しいからでもなく、何かを表現したいからでもない。時間をただ押し流すためだけの作業。 」

⇒第4話 歌声、ところにより寒気


←第1話から見る

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち

クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たちです(第12話時点)。「城(キャッスル)」で暮らすメインの3人はもちろん、彼女らの周囲の人々も基本情報はココで確認できます。これを見ておけば第1話じゃなくても、「あしなれ」をどこからでも楽しむことができます。


亜美

第1話から登場する、「城」で暮らす少女。「明日なんかどうでもいい」と援助交際で生活している。右腕に青い蝶の入れ墨が入っている。

志保

第2話から登場する、「城」で暮らす少女。「明日が怖かった」と覚せい剤に手を出し、薬物依存と戦っている。右腕に無数の注射針の痕がある。

たまき

第1話から登場する、「城」で暮らす少女。「明日はいらない」と自殺未遂を繰り返す。右手首に白い包帯を巻いている。

京野舞

第1話から登場する、元医者の医療ライター。「城」で暮らす少女たちの面倒を見ている。

ヒロキ

第1話から登場する、亜美の「客」。

ミチ

第2話から登場する、ミュージシャン志望の少年。ヒロキの後輩にあたる。

 仙人

第8話から登場する、ホームレス。たまきの絵を絶賛する一方で、ミチの歌に対しては辛辣な評価を下す。

トクラ

第10話から登場する、志保と同じ施設に通う女性。危険ドラッグに手を出したらしい。

海乃

第11話から登場する、ミチと同じラーメン屋で働いている女性。ミチのカノジョだったが、クリスマスの夜に破局。

田代

第12話から登場する、大学生の青年。志保がバイトする喫茶店「シャンゼリゼ」で働いている。

ミチのお姉ちゃん

第24話から登場する、ミチの姉。スナックの雇われママさん。

ピースボート乗船で初めて知った、海の上のアナログすぎる生活体験

現代社会は情報社会だ。ネットにスマホ、テレビなどなど様々な情報を簡単に手に入れられる。しかし、ピースボートに乗船して初めて気づいたことがある。船の上には、これらは何もかもない!ピースボート乗船中ののアナログすぎる生活について書いていこう。ほんと、あれもこれも何にもないよ。


ピースボートに乗船すると、テレビが見れない!

僕らは当たり前のようにテレビを見る。

だが、ピースボートに乗船するとテレビは見れない。

例えば、僕が船に乗っている間に、安保法案が可決し、国会前をデモ隊が埋め尽くすという大騒ぎになったらしい。

「らしい」と言うのは、僕はそのニュースをほとんど見たことがないのだ。一回、船の中でスタッフががんばって報道ステーションのビデオを取り寄せて見せてもらたことがあるが、

安保法案に関する報道を見たのは、後にも先にもそれ一回きりだ。

乗船中にはパリでテロ事件も起きたが、

その報道もほとんど知らない。

船を降りたらなぜか日本ではラグビーが流行っていて、大いに戸惑ったのを覚えている。「あの五郎丸選手が」と言われても、僕は試合を見たことがない。

ピースボートの船では、外部のテレビ番組は一切見れないのだ。

じゃあ、どうやって情報を手に入れているのか。

フリースペースに主要なニュースが書かれている場所がある。そこでニュースを知るのだが、毎日更新されるわけではない。更新頻度は3~4日に一度だ。

新聞もある。どういうルートで手に入れるのか、寄港地で日本の新聞を補充する。もっとも、半月に1度くらいの頻度で、当然古新聞だ。

ちなみに、見れないのは「テレビ番組」であって、テレビ自体は船室にある。

見れる番組は二つ。一日中同じ邦画を流すチャンネルと、一日中同じ洋画を流すチャンネル。洋画は近くの国にちなんだものが流れる。また、船の前から海を撮影した映像がひたすら見れるチャンネルもある。

また、毎日船の中で制作される、船内情報番組もやっている。これに出れば、一躍船内有名人だ。

が、基本船の中でテレビ番組は見れない。

じゃあ、どうするのか。

自分たちで作るのだ。

船のスペースを借りて、テレビ番組のパロディ企画を何度も行った。僕が関わったのではTVタックル、アメトーーク!、のど自慢などのパロディ企画をやった。他にも吉本新喜劇やケンミンショーなど全部自分たちで作るのだ。

ピースボートに乗船すると、電話はつながらない!

このたった十数年で、今や携帯電話を持っていることは当たり前となった。どういうわけか、電話以上の機能までついている。

しかし、ピースボートに乗船したら、電話がつながらない。

当然である。海の上に基地局なんかない。

僕が船内に持ち込んだガラケーちゃんは、寄港地でもピースボートの船内でも通話能力を完全に封じられ、目覚まし時計寄港地でのレート計算の電卓としてしか使えなくなった。

友人では、どうせ使えないのだからと、携帯電話を解約した人までいる。

じゃあ、どうやって外と連絡を取るのか。

絵葉書なんか風情があるだろう。船のレセプションに出せば、寄港地で投函してくれる。

では、船の中での連絡はどうするのか。

船室には電話がある。船室にいれば連絡がつく。

しかし、いつも船室にいるわけではない。

一度、船室の外に出てしまえば、直接会わない限り連絡が取れないのだ。

「〇〇見なかった?」と言うのは日常茶飯事である。

ピースボートに乗船すると、ネットが見れない!

このブログを読んでいる人は、当然インターネットに接続している。今や、世界中で約35億人がネットを利用しているようだ。日本はおろか世界じゅうをつないでいる。

ところが、ピースボートではネットがものすごいつながりにくい。

そもそも、船内でネットを使うには、「ネットカード」というものを買わないといけない。

そのネットカードを使って、船のネット環境にログインできるのだ。

100分で2100円。かなりの出費だ。スマートフォンを持っている人は、寄港地でwifi環境がある場所を探して、そこから動かない。せっかく異国にいるのにもったいないなぁ、とも思うが、どうしても知りたい情報もあるのだろう。

1回で100分使い切る必要はなく、100分を何回かに分けて使うこともできる。だが、きちんとその都度ログアウトをしないと、ネットを使っていないときにも時間が加算されてしまい、100分を使い切ってしまう。せっかくの2100円が無駄になる。

しかも、海の上はネットがつながりにくい。すぐにフリーズしてしまう。フリーズしたまま時間だけが空しく過ぎていく、なんていうこともよくある。フリーズしたまま100分立てば、そこでネット終了だ。

ちなみに、船備え付けのパソコンだと、動画を見ることはできない。


どうだろう。不便だろうか。

でも、「便利」ってどこかの誰かが、「これがあった方が便利だろう」と思わせているだけで、便利な道具がなければ何もできなくなる、なんてことはない。

ないのであれば、人間は自分たちで補うことができる。

テレビ番組が見れないなら、自分たちで作ればいい。

電話がつながらないなら、居場所を知っている人を探せばいい。

ネットがつながらないなら、知っている人に話を聞けばいい。

たったそれだけの手間だ。僕たちは、これっぽっちの手間もかけられないほど、時間に追われて暮らしているのだろうか。

人間の時間は有限だ。でも、一秒たりとも無駄にできないなんて、あんまりじゃないか。

ここ数年でスマートフォンが世の中を席巻し、もはやスマートフォンを持っていて当たり前の世の中になった。

スマートフォン。すなわち、賢い電話。

しかし、どう考えたって電話ごときより人間様の方が賢いはずだ。人間がスマートでいようと心掛ければ、電話なんかにスマートになってもらう必要は全くない。そう信じて、僕はいまだにスマートフォンを持ってない。必要がないのだ。

便利な道具を買うより、不便でも何とかできるようにする方が、頭を使うし、僕にとってはずっと面白い。

ピースボートの海賊水域で自衛隊護衛の矛盾の実態を参加者がツッコんでみた

ピースボートを取り巻く問題の一つが、「海賊警戒水域での自衛隊護衛問題」だろう。自衛隊に否定的な立場をとっていたピースボートが護衛をつけてもらっていいのか?そこで、今回はまず海賊警戒水域について基本的なことを学んでから、この問題について考えてみよう。ピースボート、覚悟しろ(笑)


そもそも、海賊水域での自衛隊派遣問題とは?

世界の海には「海賊警戒水域」というのがある。その名の通り、海賊による襲撃を受ける可能性が高い水域のことだ。

そして、海賊が多いことで有名なのがソマリア沖である。

ピースボートの船がこのソマリア沖を航行する際、海上自衛隊に護衛をしてもらっているのだ。

その証拠写真がこちらだ。

私が撮影しました

さて、自衛隊に護衛してもらって何が問題なのかと言うと、

ピースボートは自衛隊の海外派兵に反対していたというところにある。

ハフィントンポスト紙によると、2009年の取材時に護衛を申請したのはピースボートではなくジャパングレイスだとしたうえで、そもそも海上自衛隊ではなく海上保安庁に要請したと説明。そして、「主張とは別に参加者の安全が第一」と述べている。

ピースボート、海上自衛隊の護衛艦でソマリア沖航海 「主張とギャップの声」 The Huffington Post

「主張とは別に」と言うことは、つまり、自衛隊の海外派遣に反対する主張を掲げている、と言うことである。

これが、「海外派兵に反対していたのに守ってもらうんかい!」と批判の的になったわけだ。

ちなみに、海上保安庁もソマリア沖での海賊対策は行っているが、その内容は「海上自衛隊の護衛艦に同乗する」なので、海上保安庁に護衛を要請しても、結局やってくるのは海上自衛隊の護衛艦である。

海賊対策 海上保安庁

海賊水域の基礎知識

ところで、読者の皆さんは海賊警戒水域と呼ばれるところへ行ったことはあるだろうか。

実は、海賊警戒水域はかなり広い。

ピースボート88回クルーズでは僕の記憶が正しければ、インドのムンバイからスエズ運河に入る直前までが海賊警戒水域だった。日数にしておよそ2週間

海賊警戒水域では具体的に何をやるのかと言うと、夜はカーテンを閉め、光が船の外に漏れないようにする。要は、「あそこに船があるぞ!」とばれないようにするのだ。

後は海賊対策の避難訓練だろう。もっとも、乗客は自分の部屋に戻って決して外に出ないこと以外にやることはない。海賊が乗り込んできても、決して「俺はオールブルーを見つけるんだ!」とかなんとか言って相手の船長の足にかみついてはいけない。

それ以外には、乗客の目から見た範囲では特に変わったことはない。

特に変わったことがなかったということは、私はその2週間の間、一隻の海賊船も見たことがないということだ。ソマリア沖でも命の危険を感じたことはおろか、不審な船すら見たことがない。見た船と言えば海上自衛隊の護衛艦くらい。

海賊なんてそんなめったやたらに出会うものではない。大体、船にはレーダーがついているのだ。不審な船があれば近づく前にわかる。

そもそも、どういう海賊が襲ってくるか、読者の皆さんは知っているだろうか。

イメージはこんな感じだろうか

 

だが、実際はこんな感じらしい。

 

ちなみに、35000tの我らがオーシャンドリーム号はこちら。

11階建て、総重量は35000tである。ちなみに、この写真は前半分であり、当然これに後ろ半分がつく。

どうやってぼろ船がこのオーシャンドリームを攻略するのか、逆に教えてほしい。

もっとも、海上自衛隊によると近年、ソマリアの海賊はマシンガンだのロケットランチャーだので武装しているらしい。

ただ、2005年以降、ソマリア沖で客船が襲撃されたケースはたったの1件のようだ。それも、占領されたわけではなく、ロケット弾の被弾による船体の破損である。

ソマリア沖にて海賊に襲撃された船舶の一覧 wikipedia

客船というのは海賊にとって、よほどうまみがないか、よほどハイリスクかのどちらかであろう。

ちなみに、こちらは2007年に海賊に捕まって解放された日本所有のタンカー「ゴールデン・ノリ」である。

オーシャンドリーム号と比べると、だいぶ小型である。もちろん、大型のタンカーも襲撃を受ける。

というわけで、海賊警戒水域で2週間旅をした私の見解は、「そんな怖い所じゃないよ」である。

とはいえ、世界一海賊の多い海であることは間違いなく、実際に被害も出ている。日本の船も被害にあっている。

そのため、海上自衛隊は2017年2月現在、護衛艦を一隻ソマリア沖・アデン湾に派遣し、年間約1600席通行する日本の民間船を守っている。

つまり、ムンバイから紅海までの長い海賊警戒水域の中で、ピースボートが自衛隊に護衛してもらっているのはソマリア沖・アデン湾という最も危険な水域に限定されている。海賊警戒水域の8割は、護衛艦なしで航行している。

ピースボートが自衛隊に守ってもらっているのは、やっぱり矛盾している

さて、確認できた事実は以下の通り。

①ソマリア沖・アデン湾では海賊による襲撃が多発している。中には未解決・拘束中となっているものも多い。 ソマリア沖にて海賊に襲撃された船舶の一覧 wikipedia

②自衛隊は海賊対処法に基づき、ソマリア沖・アデン湾の水域を通行する日本の船を護衛している。 海賊対処への取り組み 防衛省 統合幕僚監部

③ピースボートのオーシャンドリーム号は、ソマリア沖・アデン湾のみ自衛隊による護衛を受けている。(視認済み)

④ピースボートは自衛隊の海外派兵に反対しており、③の事実はピースボートの主張に反している ピースボート、海上自衛隊の護衛艦でソマリア沖航海 「主張とギャップの声」 The Huffington Post

なるほど。確かにピースボートの行動は矛盾している。

ただ一方で、この事実も見過ごせない。

⑤客船が海賊に襲撃された事例はほとんどない。 ソマリア沖にて海賊に襲撃された船舶の一覧 wikipedia

⑥海賊警戒水域にいた2週間の間、一隻の海賊船も見ていない(経験談)

⑦海賊警戒水域の大半は護衛なしで航行している(視認済み)

このことから、私のこの問題への個人的見解は以下の通りだ。

たぶん、護衛してもらわなくても、客船であるオーシャンドリーム号が襲撃を受ける可能性は低い。護衛を外してピースボートへのツッコみどころを一つ減らしてみてはどうか。

僕個人としては、自衛隊の海外派兵には特に意見はない。ただでさえ「日本は金しか出さない」と言われているのだから、憲法9条の範囲であれば派兵しても構わないと思っている(集団的自衛権はまた別の話なので、ここで意見を述べるつもりはない)。

ただ、護衛を外したら外したで問題があるのだ。

高確率で襲撃されるだろう。

海賊ではなく、クレーマーの。

外からではない。船の中から襲撃されるのだ。

「ソマリア沖で自衛隊の護衛を断るなんて、俺を殺す気か!」

新たな事実として⑧日本ではクレーマーが問題となっている クレーム wikipediaを挙げたい。

この手のクレーマーは自分の要求が通るまで折れることを知らない。「自分の意見は絶対に正しい」と思い込んでいるからだ。

日本社会でクレーマーが問題になっているなら、当然日本人が多い船の中にもクレーマーは存在するはずである。むしろ、いない方が怖い。

こういうブログを書いているとつくづく考えさせられるが、このような考え方はかなり危ない。「もしかしたら間違ったこと書いているかも。もしそうだったら、誰か訂正してくれ」ぐらいの不安感を抱きながら書くのがちょうどいい。

そうでないと、考え方が偏り、修正が効かなくなってしまう。

船はゆらゆら揺れているうちは沈むことはない。恐ろしいのは、傾いたまま元に戻らない場合である。

ところが、この手のクレーマーは傾いたまま元に戻らない。そうなると、「客船はほとんど襲われない」だの、「ほとんどの海賊警戒水域は護衛なしで航行している」と言った客観的なデータは意味をなさない。左脳で判断してくれないからだ。

海賊に遭遇するより、クレーマーに遭遇する確率の方がはるかに高いのだ。

この世で一番理不尽なのは海賊ではない、消費者と乗客と通行人である。

また、クレームを入れてくるのは船の客だけではない。おそらく、護衛を断った際のThe Haffington Postと産経新聞には次のような見出しが躍るであろう。

「ピースボート、海賊が横行するソマリア沖で自衛隊による護衛を拒否! 1000人の乗客の命より政治主張を尊重?」

うむ、我ながら、センセーショナルな見出しだ。

どうせ、誰かから批判されるのである。護衛をつければチキンと笑われ、護衛を外せば人命軽視の汚名をすする。

一体、ピースボートの何をそんなに恐れているのか。設立者の一人がのちに国会議員になってはいるが、本質は一民間団体にすぎないというのに。

要は、「安全だが批判される道」「危険なうえ批判される道」しかないのである。

この二者択一で「危険なうえ批判される道」を選ぶ奴がいるのだろうか。

どうせ批判されるなら『安全だが批判される道』を選ぶのが賢明な判断であろう。

公式にはもうピースボートは「海外派兵反対」を掲げていないらしいが、前言撤回と言うのはあまり効力がないらしい。政治家の「撤回します」が「どうせ本心は違うんだろ?」と解釈されるのと一緒である。

ちなみに、ツイッターを見ていたら、「船の乗組員の安全を考えてのことじゃない?」という意見があった。

確かに、オーシャンドリーム号の運航会社は「シーホークコーポレーションリミテッドインク」と言う全くの別会社だ。ピースボートはこの会社と「年間チャーター」と言いう形で要は船を借りている。今は船の側面にでかでかと「PEACE BOAT」と書かれているが、契約が切れたらこれも消されるであろう。

船内で働くクルー、つまり、部屋の掃除をしてくれたり、料理を作ってくれたり、船を動かしてくれる人のほとんどはこの会社に所属している。インドネシア人が多い。

いくらピースボートが『海外派兵反対』と言っても彼らには関係ない話。それで彼らを海賊の危険にさらすわけにはいかないだろう。そもそも、ほとんどが日本人ですらない。

確かに、ピースボートのやっていることは矛盾している。だが、政治的に筋を通したところで、どうせ批判されるのだ。だったら、矛盾を抱えてでも安全な道を選ぶべきではないだろうか。

海賊警戒水域の真実

海賊警戒水域では船の外に明かりが漏れないようにする。

つまり、オープンデッキの明かりもすべて消すのだ。

その結果何が起こるのかと言うと、星がよく見える。

僕が生まれて初めて「これが天の川か」とはっきり確認できたのは、この海賊警戒水域であった。

世界中の海を回ったが、世界一危険な海が世界一星がきれいだった。

この世界は矛盾で満ちている。

 

~追記 2018.6.29~

それでもやっぱり、ピースボートは一回どっかで、この問題にちゃんと向き合うべきだと思う。確かに今は「自衛隊派兵反対」は掲げていないが、その辺もなんかなあなあになっている気がするし、団体として「自衛隊派兵反対を撤回したこと」「恥を忍んで海上自衛隊に護衛を依頼していること」の2点を、正式な発表として出すべきではないかと思う。記者会見を開くなり、HPのわかりやすい所に掲載するなりして。

僕は「目的を達成するためにはどんな手段をとっても構わない」なんて絶対に思わない。乗客の安全は最優先だが、そのためにもやはり通すべき筋っていうのはあると思う。ピースボートがこの問題に対して何らかの声明を出せば、その内容がどうであれ、必ず何らかの批判の声は上がると思う。ただ、それでも、団体としてきちんと経緯の説明を行うことが通すべき筋なのではないだろうか。いかに人名再湯煎とはいえ、その辺をなあなあにするべきではないと思う。