ピースボート乗船で初めて知った、海の上のアナログすぎる生活体験

現代社会は情報社会だ。ネットにスマホ、テレビなどなど様々な情報を簡単に手に入れられる。しかし、ピースボートに乗船して初めて気づいたことがある。船の上には、これらは何もかもない!ピースボート乗船中ののアナログすぎる生活について書いていこう。ほんと、あれもこれも何にもないよ。


ピースボートに乗船すると、テレビが見れない!

僕らは当たり前のようにテレビを見る。

だが、ピースボートに乗船するとテレビは見れない。

例えば、僕が船に乗っている間に、安保法案が可決し、国会前をデモ隊が埋め尽くすという大騒ぎになったらしい。

「らしい」と言うのは、僕はそのニュースをほとんど見たことがないのだ。一回、船の中でスタッフががんばって報道ステーションのビデオを取り寄せて見せてもらたことがあるが、

安保法案に関する報道を見たのは、後にも先にもそれ一回きりだ。

乗船中にはパリでテロ事件も起きたが、

その報道もほとんど知らない。

船を降りたらなぜか日本ではラグビーが流行っていて、大いに戸惑ったのを覚えている。「あの五郎丸選手が」と言われても、僕は試合を見たことがない。

ピースボートの船では、外部のテレビ番組は一切見れないのだ。

じゃあ、どうやって情報を手に入れているのか。

フリースペースに主要なニュースが書かれている場所がある。そこでニュースを知るのだが、毎日更新されるわけではない。更新頻度は3~4日に一度だ。

新聞もある。どういうルートで手に入れるのか、寄港地で日本の新聞を補充する。もっとも、半月に1度くらいの頻度で、当然古新聞だ。

ちなみに、見れないのは「テレビ番組」であって、テレビ自体は船室にある。

見れる番組は二つ。一日中同じ邦画を流すチャンネルと、一日中同じ洋画を流すチャンネル。洋画は近くの国にちなんだものが流れる。また、船の前から海を撮影した映像がひたすら見れるチャンネルもある。

また、毎日船の中で制作される、船内情報番組もやっている。これに出れば、一躍船内有名人だ。

が、基本船の中でテレビ番組は見れない。

じゃあ、どうするのか。

自分たちで作るのだ。

船のスペースを借りて、テレビ番組のパロディ企画を何度も行った。僕が関わったのではTVタックル、アメトーーク!、のど自慢などのパロディ企画をやった。他にも吉本新喜劇やケンミンショーなど全部自分たちで作るのだ。

ピースボートに乗船すると、電話はつながらない!

このたった十数年で、今や携帯電話を持っていることは当たり前となった。どういうわけか、電話以上の機能までついている。

しかし、ピースボートに乗船したら、電話がつながらない。

当然である。海の上に基地局なんかない。

僕が船内に持ち込んだガラケーちゃんは、寄港地でもピースボートの船内でも通話能力を完全に封じられ、目覚まし時計寄港地でのレート計算の電卓としてしか使えなくなった。

友人では、どうせ使えないのだからと、携帯電話を解約した人までいる。

じゃあ、どうやって外と連絡を取るのか。

絵葉書なんか風情があるだろう。船のレセプションに出せば、寄港地で投函してくれる。

では、船の中での連絡はどうするのか。

船室には電話がある。船室にいれば連絡がつく。

しかし、いつも船室にいるわけではない。

一度、船室の外に出てしまえば、直接会わない限り連絡が取れないのだ。

「〇〇見なかった?」と言うのは日常茶飯事である。

ピースボートに乗船すると、ネットが見れない!

このブログを読んでいる人は、当然インターネットに接続している。今や、世界中で約35億人がネットを利用しているようだ。日本はおろか世界じゅうをつないでいる。

ところが、ピースボートではネットがものすごいつながりにくい。

そもそも、船内でネットを使うには、「ネットカード」というものを買わないといけない。

そのネットカードを使って、船のネット環境にログインできるのだ。

100分で2100円。かなりの出費だ。スマートフォンを持っている人は、寄港地でwifi環境がある場所を探して、そこから動かない。せっかく異国にいるのにもったいないなぁ、とも思うが、どうしても知りたい情報もあるのだろう。

1回で100分使い切る必要はなく、100分を何回かに分けて使うこともできる。だが、きちんとその都度ログアウトをしないと、ネットを使っていないときにも時間が加算されてしまい、100分を使い切ってしまう。せっかくの2100円が無駄になる。

しかも、海の上はネットがつながりにくい。すぐにフリーズしてしまう。フリーズしたまま時間だけが空しく過ぎていく、なんていうこともよくある。フリーズしたまま100分立てば、そこでネット終了だ。

ちなみに、船備え付けのパソコンだと、動画を見ることはできない。


どうだろう。不便だろうか。

でも、「便利」ってどこかの誰かが、「これがあった方が便利だろう」と思わせているだけで、便利な道具がなければ何もできなくなる、なんてことはない。

ないのであれば、人間は自分たちで補うことができる。

テレビ番組が見れないなら、自分たちで作ればいい。

電話がつながらないなら、居場所を知っている人を探せばいい。

ネットがつながらないなら、知っている人に話を聞けばいい。

たったそれだけの手間だ。僕たちは、これっぽっちの手間もかけられないほど、時間に追われて暮らしているのだろうか。

人間の時間は有限だ。でも、一秒たりとも無駄にできないなんて、あんまりじゃないか。

ここ数年でスマートフォンが世の中を席巻し、もはやスマートフォンを持っていて当たり前の世の中になった。

スマートフォン。すなわち、賢い電話。

しかし、どう考えたって電話ごときより人間様の方が賢いはずだ。人間がスマートでいようと心掛ければ、電話なんかにスマートになってもらう必要は全くない。そう信じて、僕はいまだにスマートフォンを持ってない。必要がないのだ。

便利な道具を買うより、不便でも何とかできるようにする方が、頭を使うし、僕にとってはずっと面白い。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。