小説:あしたてんきになぁれ 第5話 どしゃ降りのちほろ酔い

ミュージシャンを目指す少年・ミチのライブに来た亜美、志保、たまき。ライブ会場で控室から志保が出てくるところを見たたまきは、深く考えずに控室に入ってしまう。しかし、ライブ終了後にある事件が勃発する……。「あしなれ」第一章完結?


第4話 歌声、ところにより寒気

登場人物はこちら ⇒「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち 


写真はイメージです

水曜日。夜。月夜。

「関係者控室」。そう書かれた部屋から志保(しほ)が出てきた。もちろん、志保はライブの関係者ではない。

だが、たまきはあまり深く考えなかった。単純に、「こっちにも出入り口があるのでは?」程度にしか考えなかった。

たまきはドアを開けて中を覗いた。中には机といすと鏡。机の上にはお菓子が散らばっている。

壁にはロッカーが並び、その一つは蓋が開きっぱなしだった。看板に偽りなし。中は本当に控室で、それ以上ではなかった。

たまきはあまり深く考える人間ではない。だから、志保がここから出てきた理由もこの時はあまり深く考えなかった。「間違えて入ったんだろう」ぐらいにしか思わなかった。たまきは部屋を出ると、ライブ会場へと戻っていった。

その後ろ姿を、トイレから帰ってきた女性二人に見られていたことを、たまきは気づいていない。

 

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水曜日。さっきの少しあと。月夜。

すっかり暗くなった路上で、志保は車を待っていた。

夏だというのに、気のせいか少し寒く感じる。

道行く人は少し、志保を避けてるように思えた。美少女とは言え、いや、美少女だからこそ、少し目がくぼみ、痩せこけた少女が道行く人をにらむように見ている光景は、恐ろしいものだ。

左の角からライトが灰色のアスファルトを照らしながら、黒いワゴン車がゆっくりと曲がってきて、減速し、志保の前で止まった。

「乗れ」

運転手の男は、志保を見るなりそう言った。志保は車の左側に回り込み、ドアを開けて乗り込んだ。志保がシートベルトをしないまま、車は走りだした。

「クスリ」

志保が少し焦ったように聞いた。

「金は?」

男は志保を見ずに尋ね返した。

志保は何も言わずに、黒い財布を出した。男は何も言わずに受け取った。

 

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水曜日。またまた少しあと。月夜。

ライブ会場の重いドアを開けたとたん、爆音にたまきは突き飛ばされそうになった。

元の位置に戻ると、亜美(あみ)が右手を振り上げて黄金(こがね)色の髪を振り乱し、ぴょんぴょん飛び跳ねている。天井からは赤、青、緑、黄色、白といったライトが雨あられと降り注ぎ、耳にも目にも五月蝿い。

たまきはステージ上の、ライトと爆音のどしゃ降りにあっている黒衣の五人、正確にはその右端の一人、ミチを見た。

相変わらず、つまらなそうにギターを弾いている。

やはり、そこに自分の姿が重なる。

姿が重なると言っても、ミチの姿にたまきの姿がダブって見えるわけではない。ミチの後ろからたまきの雰囲気やオーラといったものが、背後霊のようにまとわりついているというような、煙のように吹き出ているというような、そんな感じだ。

たまきが時間を押し流すための作業として絵を描いているのと同じように、ミチも音を出すために手を動かしている。「演奏」ではなく音を出すための「作業」、そんな風に見えた。

 

水曜日。ライブ終了後。少し曇り。

結局、志保は帰ってこなかった。だが、亜美もたまきもそれほど気にしなかった。理由は簡単だ。何も告げずにフラッといなくなるなど、亜美はよくやることで気にしなかったし、たまきは今現在「何も告げずに家からいなくなる」の真っ最中である。ライブ会場の雰囲気が合わずに、帰りたい帰りたいと思っていたたまきは、志保は先に帰ったんだ程度にしか思っていなかった。

「ただなぁ」

そう亜美は切り出した。さっきまで、殺人的な爆音に満ちていた部屋も、ライブ終了後は嘘のように静かで、殺人的なライトも消え、ごく普通の照明が部屋全体を照らす。

「なんかあいつ、おかしかったような。口数も少なかったし」

「確かに、息も荒かったような気もしますけど……、具合悪かったんじゃないんですか? 今頃『城(キャッスル)』で寝てるんじゃないんですか?」

具合が悪くなって黙って抜け出す、黙って帰る。たまきにしたらよくある話である。

「とりあえず、ミチんところ顔出そうぜ」

そういうことになって、先ほどの「関係者控室」のドアを開けた。

ドアを開けて聞こえてきたのは「どこにあんだよ!」という男の焦った声や、「警察に電話したほうがいいんじゃないの?」という女の心配したような声だった。

バンドメンバーの一人と思われる男が、しきりにあたりを見まわしたり、何度もかばんの中をかき回したりしている。その周りに群がる何人もの人。

二人の姿を見つけたミチがぺこりと頭を下げる。ただならぬ雰囲気を察した亜美が尋ねた。

「……なんかあった?」

「メンバーの一人の財布がなくなってるんです」

さっきまでステージで歌ってた男が、財布を無くした男の前に出た。

「最後にこの部屋出たのはおまえだろ。その時、部屋の鍵もロッカーも閉めなかったお前が悪い」

「そうだけど……、でも、盗まれるなん思ってねぇし……」

「ほんとに泥棒か? もっとよく探してみ」

「何度も探したよ! 黒い財布だよ。誰か見てない?」

そのやり取りをおよそ自分には関係ないことだとみていたたまきだったが、ある一言が、全員の注目を彼女に向けた。

「ちょっといい? あたし、あの子がこの部屋から出てくるのを見てたんだけど……」

そう言ったのは、茶色い長い巻き髪の女だった。彼女が指差した少女、すなわちたまきに注目が集まる。

予期せぬ自分の論壇への登場に驚いたが、それよりも多くの人間に見られて、委縮したたまきは思わず下を向いてしまった。

「おい! どういうことだ!」

怒号を響かせながら、財布を無くしたと騒いでいた男が、まるでたまきが犯人かのように詰め寄った。無理もない。明らかにたまきの挙動は不審なのだ。だが、それはたまきが犯人だからではなく、たまきが苦手な「視線」が向けられているからなのだが。

「違います……。わたしは……、……」

そこまで言って、たまきは「真犯人」に気付いてしまった。

気づいてしまって下を向く。ますます疑われる。

気づけば、バンドメンバーに囲まれていた。「被害者」の男が今にも掴みかかろうとするのを、ボーカルの男が落ち着けと押さえている現状だ。

「おい! なんか言えよ!」

本当のことを言えば、真犯人がわかってしまう。でも、うまくごまかす嘘も思いつかない。結局、黙るしかないという悪循環。

たまきは、少し離れたところにいるミチの方をちらりと見た。たまきとも、バンドメンバーとも顔見知りである彼なら、自分の味方をしてくれるのではないか。

だが、ミチはたまきと目が合うと、困ったように、申し訳ないように、目をそらした。

いよいよどうしよう。そう思った時、亜美のやや低めの声が部屋に響いた。

「たまきじゃねぇよ。ありえない」

今度は視線が亜美に集まった。たまきと違って亜美は視線を浴びても、余裕を見せる。

「あんた、こいつのツレか?」

被害者の男が尋ねる。

「ああ、そうだよ」

亜美は臆しない。

「なんでコイツじゃないって言える」

「こいつはな、欲とか何にもないんだ。食欲もないし、性欲もないし、将来の夢もなんにもない。欲しいものもなんにもない」

悔しいが、たまきもこっくりとうなづくしかない。

「そんなやつが財布盗んでどうするんだよ。何に使う?」

そういうと、亜美はたまきが肩からかけてるかばんを指差した。

「嘘だと思うなら、そいつのかばん見てみな。財布どころか、何にも入ってないぜ。たまき、見せてやれよ」

被害者の男が、たまきのかばんを無理やり奪おうとする。

「……やめてください……」

たまきは小さな声でボソッと言ったが、男はそれを無視して、たまきの肩からかばんをはずすと、ひったくるようにして中を見た。

かばんの中はほぼ空っぽだった。男の財布はおろか、自分の財布すら入っていない。ただ、たった一個、黄色く細長い物体が入っていた。

「何だこれ?」

男はそれをかばんから出した。たまきは恥ずかしくて、下を向いてしまった。

男がかばんから出したのは、カッターナイフであった。

「何だこれ。」

男はもう一度言った。

カッターナイフ。それは、たまきのお守りだった。いつでも速やかにこの世からエスケイプするための。

「財布はあったか?」

亜美が男に近づき尋ねる。

「……ねぇよ。」

「わかったろ。たまきは泥棒なんかする奴じゃない。そうだろ、ミチ」

亜美はミチの方を向いた。ミチは慌てたようにこっくりとうなづいた。

「……コイツが犯人じゃねーってのはわかったよ。じゃ、オレの財布取ったの誰だよ!」

男が怒鳴った。亜美は、何か思いを巡らすように顔をしかめた。

「……知らねーよ」

亜美はそうつぶやいた。

 

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水曜日。夜道。

亜美とたまきは「城」に向かって帰り路を歩いていた。ビルに額縁のように切り取られた夜空には、月も星も見えない。

二人は無言だった。たまきは下を向いてとぼとぼと歩き、彼女の右を歩く亜美は、右側のやけに明るいネオンや看板を眺めていた。

「……志保なんだろ……」

亜美がポツリと言った。

「……いつ気づいたんですか?」

「一人いなくなりゃ、誰だってそう思うだろ……」

「……見ちゃったんです……。志保さんが、あの部屋から出てくるの……。私、何も考えずに志保さんの出てきた部屋に入っちゃって、たぶん、そこを見られたんだと……」

たまきは下を向いたまま答えた。

「でも……、なんで……」

「なんで?」

亜美が初めてたまきの方を向いた。

「クスリに決まってんだろ。思い返せば、あいつ今日の午後ぐらいから、なんか様子がおかしかった」

その答えにたまきも亜美の方を向いた。もうすでに「太田ビル」の前に着いていた。

二人は階段を昇って「城」の前に来た。扉の前に、長い髪の女が立っていた。

「志保っ! ……?」

長い黒髪の女が振り向いた。

「……帰るの木曜……明日って……」

「仕事が早く終わったんたからさっき東京に戻ったんだ。……一人足りねぇな。志保は? あいつに話があってきたんだが?」

京野(きょうの)舞(まい)は「八ッ橋」と書かれたビニール袋を持ちながら言った。

 

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水曜日。夜。曇り。

蛍光灯は寿命間近なのか、明滅を繰り返している。

テーブルの上には色とりどりの八ッ橋が置かれている。

「どうした、食わないのか? お前の所望した変わり種八ッ橋だ」

「いや、『何でもいい』って言っただけすけど……」

亜美もたまきも口をつけない。決して、八ッ橋が嫌いなわけではない。

「ここ来るのも久しぶりだ」

舞はあたりを見回した。

「だいぶもの増えたな。これだけ稼いでいるんだったら、アパートぐらい借りれるんじゃないのか?」

「ウチはここ、気に入ってるんですよ。ウチの城すから」

「で、志保はどうした。いないのか?」

急に静かになった。

「……ちょと、お出かけ中です」

たまきが答えた。

「あいつを一人で外に出すなってお前らに行ったはずだぞ。どこに行った」

「さ、さあ」

舞が足を組み替えた。

「電話は? 呼び戻せ」

「でねーよ」

亜美が答えた。

舞はため息をついた。

「お前ら、何隠してる?」

たまきの背中がびくっと動いた。

「アタシはライターだ。取材も仕事のうちだ。人の話を聞き、それがウソかホントか判断して文章にする」

舞はそういうと、二人をにらみつけた。

「お前らのちんけな嘘を見抜くのなんて、朝飯前だ」

「別に嘘も隠しもしてねーよ」

亜美が言った。

「……志保のやつ……、ライブハウスで財布盗んで逃げたんだよ」

「……まだそうと決まったわけじゃ……。たまたまその部屋から出てきたってだけかも……」

「じゃあ、他に誰がいんだよ!」

亜美の突然の大声に、またたまきがびくっとなる。

舞はあまり以外ではなさそうな顔をしていた。

「……たぶん、クスリを買うために盗んだんだろうな……」

「でも……」

たまきが白いラインの入ったピンクの財布を手に取った。

「志保さんの財布はここに……」

「今すぐ欲しかったってことだろうよ」

舞が答えた。

「……あいつの行きそうなところは?」

舞の質問に、たまきは答えが思い浮かばなかった。亜美も無言で首を振る。

「志保が戻ってきたら、すぐ連絡しろ」

それだけ言うと、舞は「城」を出て行った。

 

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次の日。木曜日。夕方。雨。

志保は帰ってこなかった。

たまきは、「城」に一人でいた。亜美は買い物に出かけている。

夏の雨が窓を激しく叩く。

昨日の光景が頭の中を回る。

財布を盗んでいなくなった志保。

つまらなそうにギターを弾くミチ。

濡れ衣を着せられたたまき本人より腹が立っている亜美に、ため息をつく舞。

たまきのかばんからカッターナイフを取り出したときのみんなの反応。

たまきはお守りであるカッターナイフを手にした。

かちっ。かちっ。かちっ。

カッターの刃先をぼんやりと見つめる。

ぴしゃりという雷の音が部屋の中に響き、青い光に照らされて、たまきの影がくっきりと浮かび上げられる。

たまきは右手首の包帯をするするするとほどいた。

醜い傷跡がくっきりと浮かび上がっている。

たまきは、左手でカッターを握ると、右手首に押し当てた。

ほんの一瞬、痛みが走ったが、それはほんの一瞬だった。

小さな赤い筋が手首に描かれ、そこから赤い血がにじみ出た。

たまきは経験上わかっている。この程度の傷では、天国はまだまだ程遠いということを。

 

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また次の日。金曜日。夜。大雨。

志保が帰ってきた。雨の中、傘もささずに。

 

志保は何を聞かれても「ごめんなさい」しか言わなかった。志保の声より大きく、雨音がギターのリフレインのように奏でられていた。

 

――志保さん、どこ行ってたの?

 

――ごめんなさい……。

 

――どけ、たまき。おい志保! てめぇ、どこ行ってたんだよ!

 

――ごめんなさい……。

 

――バンドメンバーの財布盗んだのお前か!

 

――ごめんなさい……。

 

――認めるんだな?

 

――ごめんなさい……。

 

――何に使った? クスリか?

 

――ごめんなさい……。

 

――もうやらないんじゃなかったのかよ!

 

――ごめんなさい……。

 

――お前のせいでたまきが犯人だと疑われたんだぞ!

 

――……、ごめんなさい……。

 

――ごめんじゃねぇだろ! 他になんかねぇのかよ!

 

――亜美さん、私ならもういいから……。

 

――たまきもたまきだ。なんでコイツ許してんだよ!

 

志保の何度めかの謝罪を、雷の音がかき消した。

 

30分後。まだ金曜日。深夜。まだ大雨。

舞が「城」にやってきた。

蛍光灯の一つが切れ、薄暗い部屋の中にはいつもの三人がいつもと違う様子でいた。

心配そうに志保を見るたまき。

腕を組み、足を投げ出し、志保をにらむ亜美。

そして、バスタオルに包まれ、濡れた長い髪を前に垂らす志保。

髪に隠され、顔はほとんど見えなかったが、さらに痩せたように舞には見えた。

「……アタシの判断ミスだ」

舞はそう切り出した。その声はどこか毅然としていた。

「お前らと一緒にしたら、何か変わるんじゃないか。そう思っちまった、アタシのミスだ。廃業したとはいえ、医者としてあるまじき失態だ……」

そういうと、舞は志保に投げかけた。

「何か言いたいことはあるか」

「……ごめんなさい。」

志保は機械的にも聞こえる謝罪を口にした。

「お前は明日、予定通り、施設の方に連れて行く。ただし、『見学』でも『通院』でもない。『入所』だ。寮に入って、そこで暮らすということだ」

「……ここを出ていくってことですか」

たまきの尋ねに、舞はうなづきもしなかった。

「当然だろう。ここじゃ管理しきれないのだから」

管理。その言葉がたまきの脳に暗く響いた。

「……異論はないな。志保」

「……はい」

志保ははじめて「ごめんなさい」以外の言葉を口にした。

「で、こいつがくすねた金はどうするんだ?」

舞の尋ねに亜美が答えた。

「志保が弁償するみたいだからさ、ウチが返しとくよ。ウチが謝っとく」

「そうか」

そういうと、舞は一歩、真っ黒なドアに近づいた。

「荷物はそのかばんで全部か?」

志保はただうなづいた。

「とりあえず、今晩はうちに泊まれ。ちょうど徹夜で原稿書くつもりだったんだ。ついでに徹夜で監視してやる。ほら、行くぞ」

舞が出口に向けて歩き出した。志保も席を立ち、たまきと亜美に背を向ける。二人の黒い影がくっきりと壁に映し出される。

一瞬だけ見えたその顔は、ほほのくぼみを涙が濡らしていた。だが、それをすぐに長い髪の影が覆い隠す。

志保の背中をたまきは見つめる。『城』で築いた志保との思い出が走馬灯のように……。

……出て来なかった。志保との思い出は、たまきの頭に浮かばなかった。思い出は、まだなかった。

――そうだ。私は志保さんのことを、まだ何も知らない。

なぜ彼女がドラッグに手を出したのか。

彼女は何が好きなのか。

彼女は何が嫌いなのか。

やりたいことは何か。

なにで笑うのか。

なにで怒るのか。

たまきはまだ何も知らない。

なのに、……これで終わり?

そう思ったら、たまきは自然と立ち上がっていた。

「……待ってください」

消え入りそうな声でたまきはつぶやいた。

「……志保さんと、もうちょっと一緒にいちゃだめですか……。……この『城』で一緒に暮らしちゃだめですか?」

舞は振り返ると、あきれたように答えた。

「お前、何言ってるんだ?」

ため息をつきながら、舞は肩をすくめた。

「お前、こいつのせいでどんな目にあった?」

「ごめんね……たまきちゃん」

「……そのことはもういいです。気にしてないので。」

たまきにしてみれば、今まで、一番自分を傷つけたのは自分なのだ。今更他人にどんな目にあわされようが、大概のことは気にしない。志保とて、意図的にたまきに罪をなすりつけようとしたわけではない。

そんなたまきに、舞は冷たく言い放った。

「理解しろ。こいつはお前らの手に負えないんだ」

その一言は、たまきがずっと探していた、漠然とした思いの答えを、彼女に気付かせるものだった。

それと同時に、その言葉がたまきの中の何かに火をつけた。

「……手に負えないっていうのなら……」

たまきは囁くように言った。

そして、叫んだ。

「手に負えないっていうのなら私だって同じです!」

 

薄いガラスを破ったようなその声は、叫びと呼ぶにはちょっと、か細かったかもしれない。しかし、志保が足を止め、舞が目を向き、亜美の口を呆けたように開かせるのには十分だった。

「……た、たまき?」

当の本人だけが、まるで自分が叫んだことに気付いていないようだった。

「……私なんか、学校行っても友達いなくて……」

たまきはいつものようにボソッとしゃべった。

「……そのうち学校に行けなくなって……、家にも居場所がなくなって……。死のうとしてでも死ねなくて、そんなのを何回も繰り返して、挙句の果てには家出して、親からしてみれば、私、きっと、手に負えない娘だったと思います。だから、手に負えないのは、私も一緒なんです!」

たまきと違って志保は友達がいる。彼氏がいる。頭がいい。美人だ。何もかもたまきと違うはずだ。

でも、今は自信を持って言える。

志保はたまきと一緒だ。

だから、見捨てたくない。

自分の体に刃物を当てることができても、自分の命を終わらせることができても、

とどのつまり、人は自分を、自分と同じものを、見捨てることはできない。

たまきが言い終わると、舞がたまきに近づいた。

「……今回わかったはずだ。薬物の恐ろしさが」

舞は続けた。

「最初に志保に会った時、確かにこいつはクスリをやめようとしていた。それは嘘じゃないとアタシは思う。でも……、ダメだったんだよ。本人の意志の強さじゃどうにもならないんだ」

そういうと、舞はたまきにこう言った。

「またこいつがクスリを欲した時、お前に止められるのか?」

たまきの回答は、舞の予想より早かった。

「……止められないと思います」

「だったら……」

「でも……! そばにいるくらいはできます」

「ダメだ。そんなんでクスリがやめられるんなら、誰も苦労はしない」

「でも……! でも……!」

二人のやり取りを、いや、たまきの言葉を、亜美はなんだか真新しい気持ちで聞いていた。

たまきに出会ってまだ間もないが、彼女がこんなにも何かに、「死ぬこと」以外の何かに固執しているのを見るのは初めてだった。

「その施設っていうのは、志保さんみたいな人がいっぱいいるんですよね。そういう人たちの中で、治していくんですよね?」

「ああ」

たまきの質問に舞が答える。

「だったらここにいても……」

「なんでそうなる」

「……一緒だから」

たまきはそういうと、右腕の真っ白な包帯をはずした。無数についた切り傷。そのうち一つはまだかさぶたである。

それを一目見るなり、舞には分かった。

「また切ったのか?」

たまきは答えなかった。その代りにっこりと、たまきにしては珍しく、にっこりと笑った。

「私も志保さんと一緒だから」

たまきはそれだけ言うと、志保の方を向いた。

志保はうつむいていた。もしかしたら、たまきの新しいリストカットも、自分のせいではないかと思っているのかもしれない。

「志保さんはどうしたいんですか? 施設に行きたいんですか? ……こんな終わり方でいいの?」

「……それは、こんな終わり方はやだよ……」

志保は顔を挙げずに震え声で答えた。

「でも……、たまきちゃんにも、ミチ君のバンドにも迷惑かけて、もう、いられないよ……」

「私ならもう気にしてません。わざと罪をなすりつけようとしたわけじゃないんだし」

「でも……。」

「私だって、いっぱいいろんな人に迷惑かけてますし、たぶん、今も家族に迷惑かけてますし」

たまきも志保も似た者同士だから、施設に行くのもここにいるのも一緒。さて、その理屈を認めていいものか。

舞が、どうしようかと考えを巡らしていると、突如、亜美が声を上げた。

「思い出した」

そういうと、亜美は右腕の青い蝶の入れ墨がはばたくかのようにゆっくりと立ち上がった。

「中学のころさ、テレビで『親子間の窃盗は罪になんない』っていうのやってて、ウチ、ラッキーっつって、平気で親の財布から金くすねてたんだ。全部で四万ぐらいかな。あ、一回でじゃねーぞ。5千円ずつ抜き取って、ばれるまでやってたらそん位になったんだ。さすがにばれてさ、そんときウチ、妹のせいにして。でも、妹、ウチと違っていい子だから、そんなウソ通用しなくて、おやじに怒られて、でも、その後も懲りずに二万ぐらい抜き取ってたなぁ。」

亜美は笑いながら続けた。

「万引きもよくしたし。よくよく考えたら、志保なんかより、ウチの方が手に負えないサイテーのガキだったよ」

そういうと、亜美は舞に笑いかけた。

「ねえ、先生。こいついないと、ウチら、カップラーメンしか食うものないんだ。頼む! もうちょっとこいつ、ここに置いといてよ。施設に行くのも、ここにいるのも、手に負えない者同士って意味では、一緒、一緒!」

「お願いします!」

「頼むよ。ね?」

少し間をおいて、志保が口を開いた。

「先生……、お願いします」

舞は、頭を抱えるように抑えた。

「はあ……、なんてこった……。こいつら、三人ともアタシの手に負えねぇ」

舞はしばらく考えていたがやがて、

「……勝手にしろ。医者としての忠告はしたからな」

と言い放った。

それまで一つだけ灯りの灯っていなかった蛍光灯が、突然、ついた。急に部屋の中が明るくなる。

「いいんですか?」

「……とりあえず、志保、明日施設に行くことはかわんねぇぞ。『通院』するために『見学』するんだ。十時にうちに来い」

次に、亜美の方を向く。

「お前はちゃんと月一で性病の検査に来い!」

最後にたまきに向かい、

「次からは一人で傷の処置をするな。必ずあたしのところに来い」

というと、舞は、

「徹夜で仕事しなきゃならねぇから、帰る」

といって、出て行った。ドアを閉めると、つるされた「あみ しほ たまき」と書かれたカラフルなネームプレートが微笑むように揺れた。

 

30分後、日付は変わって土曜日。深夜。雨上がり。

たまきと志保は太田ビルの屋上に上がった。

太田ビルの屋上には、1メートルほどの柵がある。たまきは柵にもたれて、ビルの下の道路を見つめていた。深夜の繁華街はネオンが輝き、屋上から見ると、オレンジの夕日を反射してきらめく海のようだ。

「ごめんね、たまきちゃん」

柵に寄りかかった志保がそう言った。セリフは今までとそう変わらないが、声は心なしか晴れやかだった。いつもの愛くるしい笑顔だ。

「別にいいです。気にしてないんで」

たまきがいつものようにボソッと答える。

「それよりも頭にきてることありますし」

「え?」

「別に志保さんのことじゃないです」

たまきはそういうと、少し微笑んだ。

「お前ら、こんなところにいたのか」

階段を上がって亜美がやってきた。手にはビニール袋がぶら下がっていた。

「亜美ちゃん、それ、どうしたの?」

「貰ってきた」

亜美はビニール袋から、ビールの缶を取り出した。

「亜美ちゃん……、それ、お酒……」

「我らの変わらぬ友情を祝し、乾杯といこうじゃないか」

亜美はすでに酔っぱらってるんじゃないかというようなことを言い出した。

「いや、亜美ちゃん、あたしたち、未成年……」

「私、お酒、飲んだことない……」

「お前ら、不法占拠とか、リスカとかドラッグとかやっといて、いまさら何言ってんだ?」

そういうと亜美は、二人の手に缶を持たせた。

「さあ、乾杯! 乾杯!」

結局、たまきも志保も、缶ビールを持たされてしまった。

「亜美ちゃん、あのさ、あたし、普通のジュースとかがいいな……」

「何だよ、ノリ悪りぃな」

「いや、こういう酔っぱらっちゃう系は、なんていうか……」

「……酒でラリるとは思えねぇけど……、まあ、念のためってやつか」

そういうと亜美は、志保の手にある缶を受け取った。

たまきも缶を返そうとする。

「亜美さん……、私もお酒は……」

「おまえは特に理由ネェだろ」

「いや……、未成年……」

「大丈夫だって。気にすんな」

なにが大丈夫なのかわからなかったが、たまきは言われるがままに、プルタブに指をかけた。しかし、自分じゃ開けることができず、志保に開けてもらった。プシュッと音がする。

ジュースを買いに下のコンビニに行った志保が戻ってくると、三人は、それぞれが持った缶で互いの缶をたたいた。

「かんぱ~い!」

 

二十分後。土曜日。深夜。月夜。

「あははははは」

亜美の笑い声が屋上にこだまする。何が面白いのか志保には全く理解できないが、亜美はとにかく楽しそうに笑っている。いわゆる、笑い上戸というやつであろう。

志保は、横にいるたまきをちらりと見た。柵に顔をうずめるようにもたれかかっている。顔は赤い。

「たまきちゃん、大丈夫?」

「……なんかふわふわします」

たまきはいつになく甘ったるい声で言った。

「ちょっとやばいかも」

「お水あるよ」

ジュースと一緒に用意周到に志保が買っておいた水のペットボトルにたまきは口をつける。

「あははははは。おい、志保ぉ! あれ、この前見た都庁じゃないの?」

亜美が笑いながら志保に話しかけた。志保は亜美が指差す方向を見る。

黒い空に、より濃い黒さのビルが浮かぶ。ちらほらと、星のような窓の明かりがきらめく。

「うーん、どうだろう。方向はあっちの方だと思うけど、結構離れてたからなぁ」

「あっちなんだろ。じゃあ、あれでいいじゃねーか」

そういうと、亜美は歯を見せて、にっ、と笑った。

「青春ごっこしようぜ」

「……何それ?」

ちょっと言ってる意味が分からない。

「よく映画とかであるじゃん。海で夕日に向かって『バカヤロー』って叫ぶやつ」

確かにそういうシーンはよく語られているが、実際に使われている映画を志保は知らない。

「都庁に向かって叫ぼうぜ」

やっぱり言ってる意味が分からない。

志保が理解するよりも早く、亜美は口の横に手を添えて、都庁、らしき建物へ向けて叫んだ。

「バカヤロー!」

亜美の叫びが夏の湿った空気を震わす。

「遠くばっかり見てんじゃねーぞバカヤロー!」

柵にもたれていたたまきがふらりと立ち上がる。そしてふらふら歩きながら亜美の隣に立つと、同じように口に手を添えた。

「ばかやろー。」

たまきにしては精いっぱいの大声を出す。

亜美がさらに続ける。

「そんなところにウチらはいねーぞ!」

亜美は声の限り叫ぶ。

「ここにいるぞバカヤロー!。……ここに生きてんぞバカヤロー!」

亜美はふうっと息をついた。

「悔しかったら、こっち来てみーろ!」

叫ぶ亜美と、その隣のたまきの後ろ姿を、柵にもたれながら志保は眺めていた。

だが、急にたまきがバランスを崩したので慌てて駆け寄る。

バランスを崩したたまきを、亜美が抱き留めた。

「たまき!」

「たまきちゃん!」

亜美の腕の中で、たまきが言う。

「亜美さん、志保さん、あのね、私、今、ちょっと楽しいかも」

そういうとたまきにしては珍しく、たまきにしては本当に珍しく、にっこりと笑った。

 

土曜日。深夜。まん丸お月様の夜。


次回 第6話 強盗注意報、自殺警報発令中

雨の日、たまきが一人で留守番していると、「城」に強盗が入る。包丁を向けて震える声で「お金を出さなきゃ殺す」と脅す強盗に、たまきは「殺してください」と頼む?

「『おい! 来るな! 殺すぞ!」』『殺してください』 」

続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

民俗学という文学 ~六車由実『驚きの介護民俗学』~

2012年に発表された六車由実さんの『驚きの介護民俗学』。民俗学者から介護士に転職した著者が、介護の現場で老人たちから民俗を聞き取ることをまとめた本だ。発表当時から民俗学界隈で話題となったこの本を読んでみると、これからの民俗学について考えさせられる驚きがあった。


『驚きの介護民俗学』の内容

著者の六車さんは民俗学者。大学で学生たちに民俗学を教える立場だった。

それがどういうわけか、大学を辞めて介護施設で介護士として働くようになる。

そこで出会った老人たちは、ふとした瞬間にそれまでの人生やバックボーンをにじませていた。

例えば、認知症の老人にありがちな「同じ話を繰り返す」。

介護する側からすれば迷惑な話だが、よくよく聞いてみると、人によって繰り返す話が違う。

そこで丹念に聞いてみると、「繰り返す話」の中には、その人が何に重きを置いて生きてきたかが現れていた。

そこで、著者は施設の許可を取って老人たちの話を聞き書きすることにした。それが「介護民俗学」の始まりだ。

通常、民俗学のフィールドワークというと、農村や漁村に入ってそこで生活する人たちにテーマに沿って話を聞く。

だが、介護民俗学では大きく二つの点が異なる。

まず、フィールドが違う。

介護民俗学の舞台は農村でも漁村でもなく、介護施設。文章から察するに、おそらく静岡の地方都市にあるようだ。

だが、そこに通う老人たちは、かつての村で生まれ育った人たちだ。彼らにはかつての村の暮らしの記憶が残っている。

むしろ、「農村から都市に出てきた人たち」というこれまで見逃されがちだった人たちの記憶を持っているのだ。

そしてもう一つが「聞き書きにテーマがない」

通常はフィールドに入る民俗学者には知りたいテーマがある。農具についてだったり、祭りについてだったり、昔話についてだったり。そういうのに詳しい人を探して、話を聞くわけだ。

ところが、介護民俗学では著者は聞きたいテーマを持っていない。相手が話したいことを話してもらうわけだ。

だが、それゆえに著者の想定していなかった話が聞けて、「驚き」をもたらす。この「驚き」が著者にも話す老人側にもいい効果をもたらすのだ。

実は、僕も大学で「自分の聞きたいことではなく、相手の話したいことを話させる」という風に教わった。

僕が教わった先生たちの世代の教訓なのだそうだ。

フィールドに入って話を聞くと、戦争の話をしたがる人が多かった。

しかし、こっちは民俗学の話を聞きに来たのだからと、先生たちの世代は戦争の話をさえぎって、「自分たちが聞きたいテーマ」を話させた。

だが、今になって思うと、当時の話者たちが話したがっていた「戦争の話」をちゃんと聞いてまとめれば、かなり重要な史料になったのではないか。

そんな後悔から、「相手の話したいことを話させなさい」と教えてくれたわけだ。

民俗学とは生きることと見つけたり

さて、「介護民俗学」の本の評判は前から聞いていたが、なかなか読もうとしなかった。

理由は二つ。

まず、「介護」という言葉がよくない。

「介護の本」と聞いて面白そうと思う人がどれだけいるだろうか。介護に携わっていない人じゃないと、まず面白そうとは思わない。

そしてもう一つ、決定的に面白くない単語が入っていた。

その単語とは「民俗学」

大学で民俗学を専攻していた僕すら、「民俗学の本は面白くない!」と認識しているのだ。

何と言うか、無味乾燥なのだ。

そう思ってほとんど期待することなく「驚きの介護民俗学」を読んでみた。

すると、驚いたことに面白かったのだ。

「テーマのない聞き書き」を行っている著者は、細かい「民俗」にとらわれることなく、話者の人生を聞き取り、生き生きと描いている。

これは、僕にとっても発見だった。

祭りだの農具だの信仰だの、個々の民俗自称にフォーカスして書いてしまうとちっとも面白くない。「無味乾燥な学術書」で終わってしまうのだ。

だが、この本では個々の民俗事象にとらわれることなく、相手の人生を描いている。

言い換えれば、個人の人生自体が一つの「民俗」である。

民俗学とは「生きること」、「その人がどうやって生きてきたか」を描くことだともいえるわけだ。

民俗学は文学だ!

個々の老人たちの「生きること」を、著者も実に生き生きと描いている。

この「驚きの介護民俗学」が民俗学の雑誌ではなく、介護・看護に関する雑誌で連載された、というのもこの本を堅苦しいものにしなかった理由の一つだろう。

もしかしたら、民俗学は「学問」という堅苦しいスタイルよりも「文学」というスタイルの方が似合うのかもしれない。

それぞれの「生きること」を文学として描く。

例えば、宮本常一の代表作「忘れられた日本人」は、そこに登場する人たちがどのようにして生きてきたかを文学的に描いている。「土佐源氏」に至っては文学的に高く評価されている。

柳田國男もかつては文学を志していた。

民俗学にとって、「文学のスキル」は重要なことなのかもしれない。

そう思わせるこんな話がある。

大学のころ、口承文芸、すなわち、昔話に関する講義をとっていた。

これが評判だった。

どういう評判かというと、「つまらない」という評判なのだ。

ある先輩が、そのつまらない講義に対してこんな解説をしてくれた。

「あの先生は口承文芸を研究している割には、話し方が下手なんだ」

民俗学の知識を文学的に語るスキルが、その先生にはなかったわけだ。

民俗学とは人の「生きること」を描くことである。それが無味乾燥な学術用語で描けるわけがない。

民俗学はもっと文学的に、「生きること」に向き合い、「生きること」を描くべきなんじゃないだろうか。

そんな驚きの発見を、この本はもたらしてくれた。

海賊警戒水域に行った僕が映画「キャプテン・フィリップス」を見た!

海賊に襲われた船長の実話をもとにした「キャプテン・フィリップス」という映画を見た。以前、僕は「ピースボートの海賊水域で自衛隊護衛の矛盾を参加者がツッコんでみた」という記事で、「どうやってぼろ船が客船を攻略するのか教えてほしい」と書いた。今回はこの映画を見ながら、どうやって海賊が客船を攻略するかを考えてみよう。


貨物船と海賊の戦いを描いた実録映画「キャプテン・フィリップス」

「キャプテン・フィリップス」が公開されたのは、2013年。主演は「ダ・ヴィンチ・コード」のロバート・ラングドン役などで知られるトム・ハンクスだ。

あらすじ

リチャード・フィリップスは貨物船「マークス・アラバマ号」に乗って、ソマリア沖を航海していた。そこは「アフリカの角」と呼ばれる海賊多発地域。マークス・アラバマ号は海賊たちが乗るボートに付け狙われてしまう。

1度は追跡を振り切ったマークス・アラバマ号だったが、海賊たちは翌日も現れる。リチャードたちはホースによる放水などを試みるも、4人の武装した海賊たちは船に接近し、とうとう乗り込んでしまう。果たして、リチャードと船員たちの運命はいかに?

コンテナ船、海賊船、小型ボート、救命ボート、軍艦と、船好きにはたまらない船のオンパレードだ。

ストーリー自体も緊迫感がありとても面白い。また、海賊側も単なる悪者ではなく、貧しいソマリアで暮らす彼らの事情が描かれている。特に、アメリカ海軍が解決に乗り出してからの彼らの追い詰められっぷりにも緊迫したものがあった。

また、トム・ハンクスが名優と謳われるのも納得の演技を見せる。終盤、いよいよ命の危機に瀕して「家族に合わせてくれ!」と叫ぶシーンは鳥肌もので、とても演技を見ているものとは思えない。

一方で、モデルとなったリチャード・フィリップ氏本人が「自分はこんなヒーローではない」と評しているように、あくまでも実話をもとに虚飾織り交ぜた映画であることを忘れたはならない。実際はもっとひどかったらしい。

とはいえ、ここで描かれた内容が海賊対策の参考になるのは間違いないであろう。

海賊警戒水域とは?

世界の海における海賊警戒水域は、実は意外と広い。ピースボート88回クルーズでは、インドのムンバイからスエズ運河に至るまでの約2週間が海賊警戒水域だった。ここにいる間は、夜間は外に一切明かりが漏れないようにする。

このうち、日本の海上自衛隊が護衛してくれるのは、ソマリア沖のアデン湾水域というところだ。距離にして1100㎞。護衛艦がついてくれるのは2日間。意外と短い。

ソマリア沖・アデン湾における海賊対処 防衛省・統合幕僚監部

ところが、この事件が起きたのはソマリア南東沖。自衛隊の護衛のない海域なのだ。

マークス・アラバマ号が最初に海賊と遭遇したのは「北緯2度2分・東経49度19分」の地点。アデン湾水域などとっくに通過し、ソマリア半島を回ってソマリア沿岸からそろそろ抜けようという場所だ。

つまり、よく「ピースボートは海賊が怖くて自衛隊に泣きついた」などという話を聞くが、

自衛隊がいない海域も十分危険であり、ピースボートはそんな海域を護衛なしで航海している。

では、実際に映画の内容から、海賊にピースボートの「オーシャンドリーム号」を占拠できるのか、検証してみよう。

検証① 海賊に襲われるまで

この映画は、船オタクとしても興味深いものだった。舞台が貨物船だからだ。オーシャンドリーム号から世界のいろんな貨物船を見て、一度は乗ってみたいものだと思っていた。

なぜなら、客船と貨物船は、構造が全然違うのだ。

ピースボートのオーシャン・ドリーム号がこちら。

以下にも船といったフォルムである。

一方、実際のマークス・アラバマ号がこちら。

この写真の船からコンテナを消すと、相当平べったい船だということがわかるはずだ。船を操作するところを「ブリッジ」と呼ぶのだが、オーシャンドリーム号のブリッジは船の前方にある。一方、マークス・アラバマ号のような貨物船のブリッジは後方についているのが一般的だ。船の後方に、ブリッジのある白い建物があり、前方の約9割はコンテナを乗せる広大なスペースとなっている。

それは、船の甲板から海面までの距離が、オーシャンドリーム号よりもマークス・アラバマ号の方が圧倒的に短いことを意味している。映画の中でリチャードが甲板を歩くシーンがあるが、それを見た僕の感想が「海が近い」だった。オーシャンドリーム号は8階の甲板から海を見ることが多く、海面ははるか後方に見える。一方、マークス・アラバマ号は、建物の2~3階から地面を眺めるような感覚で海が見えているのである。

さて、最初に海賊船に狙われた際、マークス・アラバマ号は次のような行動をとった。

レーダーで確認⇒目視で確認⇒スピードアップ⇒海軍に通報

おそらく、オーシャンドリーム号も海賊に遭遇したら同じような行動をとるだろう。もっとも、「スピードアップ」したマークス・アラバマ号の速度は17ノットである。これは、普段のオーシャンドリーム号の速度とそんなに変わらない。

一方、映画の中で貨物船の乗組員たちは、「海賊のボートは26ノットも出してた!」と言っている。小型ボートの方がスピードが速いのだ。

その結果、2日目の遭遇でマークス・アラバマ号はとうとう追いつかれてしまう。

検証② 海賊たちはピースボートの船に乗り込めるのか?

翌日、再度現れた海賊たち。銃を撃ってくる海賊に対し、マークス・アラバマ号はホースからの放水で対抗する。

この放水機能がオーシャンドリーム号にあるかどうかは、残念ながら僕は知らない。そんなものを使うような危機に陥らなかったからだ。

しかし、海賊たちは放水にめげず、マークス・アラバマ号の横に船をつける。ああ、海賊侵入の危機……。

この時、僕はあれれと思った。

マークス・アラバマ号が全速力で動いている割には、船の横の波が少ないのだ。

僕の感触では、世界で一番波が穏やかなのが地中海で、一番波が荒いのが日本近海だ。ソマリア沿岸は決して荒くもないが決して穏やかではない。そんな海を航行するとき、オーシャンドリーム号の甲板から海面を見下ろすと、常にひときわ大きな波が上がっていた。

しかし、映画では実際にマークスアラバマ号を走らせているにもかかわらず、ほとんど波が出ていない。船の動いた後に彗星の尾のように現れる「澪」があるので、動いていることは確かなのだ。

もしかして、マークス・アラバマ号って軽い? マークス・アラバマ号の重さがわからないので何とも言えないが、先ほど見せた2隻の写真をよーく見比べてみると、確かにコンテナを積んだ状態でもなお、マークス・アラバマ号の方が小さく見える。

さらに、乗っている人の数も、オーシャンドリーム号が1000人近いのに対し、マークス・アラバマ号は20人。体重の平均が60㎏ぐらいだとすると、この時点で120トン軽いわけだ。

もしかしたら、マークス・アラバマ号はオーシャンドリーム号よりずっと軽かったのかもしれない。

だとしたら、重い方のオーシャンドリーム号の横はマークス・アラバマ号よりも波が強く、近づくのは映画よりもはるかに困難だということになる。

ただ、「撮影用のため、コンテナの中身は全部空っぽだった」ということも考えられる。いずれにしても、「映画よりも波が荒いはず」というのは確かである。

さて、映画ではマークス・アラバマ号に接近した海賊たちが鉄のはしごをかけて侵入してくる。はしご一本では足らず、夜中のうちに溶接して2本のはしごをつなげている。何度かのトライの末はしごが船に引っかかり、一人ずつ乗船してくる。

オーシャンドリーム号に接近することが難しいとはいえ、決して不可能ではない。オーシャンドリーム号もこんな感じで侵略されてしまうのだろうか。

だが、ここでさっき述べた、「甲板までの高さが決定的に違う」という事実が効いてくる。

映画では海面から甲板までの高さは大体、2階建ての家の屋上ぐらいの距離だ。

一方、オーシャンドリームの場合、最も低い甲板でも4階建てビルの屋上ぐらいの高さがある。

すると、海賊たちにとって問題がいくつも発生する。

問題① 小型ボートで「ビル4階建て分の長さ」のはしごを運ぶことは可能か。

そんな長いはしご、ボートのどこに置くのか。うまく置けたとして、かなり邪魔になるはずだし、航海中も不安定でしょうがない。だいたい、そんな重いはしごを乗っけたら船の重心がくるって転覆しかねない。

そもそも、「ビル4階建て分の長さ」のはしごはいったいどのくらいの重さがあるのだろうか。

そこで、いろいろなものの重さを計算できるサイトの力を借りた。

ちょこっと重量計算

これによると、直径30㎜、高さ3mの鉄パイプの重さは16.69㎏。

「はしご」はこの鉄パイプ3本を使って作れるとすると、その重さは約50kg。

十分人一人分の重さであり、よくこんなの持ち上げたな海賊、と感心するが、

これはあくまでも「建物1階分の高さ」である。

ということは、海賊が持ち上げた「建物2階分の長さのはしご」の重さは約100kg! にわかには信じがたいが、世の中400㎏を持ち上げる人もいるからなぁ。

もっとも、映画で見る限り、はしごは2階分の中さより少し短いようだ。

誤差も考えて実際は83㎏ぐらいだったのではないか。

オーシャンドリーム号の壁を昇ろうとしたら、長さはさらに倍近く必要になる。11mとすると計算してみると、約180㎏。これを持ち上げるにはプロレスラーのチャンピオン並みの体力が必要である。

海賊がオーシャンドリーム号を占領するには、長さ11m、重さ180㎏の鉄梯子をボートに乗せて海を渡る必要がある。重さは乗組員3人分以上だ。荒波を渡る中でどっちかの舷にはしごがよれば、船が転覆しかねないし、前後のバランスを間違えれば、やっぱり船が転覆する。本当に厄介な代物だ。

そんな邪魔なはしごを乗せて波をちゃぷちゃぷかき分けてオーシャンドリーム号のわきに来た海賊たち。さあ、はしごをかけるぞ!

ここで新たな問題が浮上する。

問題② どうやって180㎏のはしごを船にかけるのか。

持ってくるだけでも大変なはしごである。これを持ち上げてオーシャンドリーム号にひっかけなければならない。

同じ180㎏でも相手がダンベルだったらまだ楽だった。両手でつかんで垂直に持ち上げれば、常に重心が自分の足元に来るからだ。

しかし、この長さ11mのはしごの端っこを持って持ち上げようとすると、どうしても重心は数m先になる。これを持ち上げるのは大変だ。

そもそも、「はしごの端っこを持つ」ということは、「はしごのもうかたっぽが海に大きく突き出ている」ということであり、相当バランスが悪い。

転覆を防ぐためには、海賊たちが力を合わせる必要がある。映画の中で海賊たちは4人、はしご50㎏だったが、今度のはしごは映画のものより130㎏重いので、乗組員は2人にした方がいいだろう。

2人で力を合わせて重心の調節をして、力を合わせて持ち上げなければならない。何せ、今度のはしごは「重い」だけでなく「長い」のだから。

はしごの真ん中を持って、ぐるっと回して立たせる、という方法もある。それでも、180㎏ある長いはしごを持ち上げ、海の浮力に逆らって90度まわし、さらにはしごをひっかけるため5.5メートル持ち上げる。その間ずっと、はしごは持ち上げたまま。

これはいったい、何の拷問だろうか。

2人で協力すれば少しは楽になるのだろうが、その場合、海賊たちが隙だらけになってしまう。オーシャンドリーム号から海賊めがけて、いらない椅子とかテーブルとか落っことすには絶好の機会だ。

それでもがんばって何とかはしごを垂直に立たせた海賊たち。あとはひっかけるだけなのだが、ここで最後の関門が待ち受ける。

問題点③ どうやって揺れる船にはしごをひっかけるのか。

船は揺れる。海賊たちのボートも揺れるし、オーシャンドリーム号も揺れる。足場も目標物も不安定だ。

さらに、長さ11mにもなるとちょっとの誤差が命取りだ。手元が5度狂っただけで、12m先のはしごの先端は5mもずれるのだ。

これは、手元が5度狂うと、重心が1.4mもずれることを意味する。

どう考えても、はしごをうまくひっかけられるより早く重心が傾き、はしごは倒れる。

はしごが傾き始めたら、なるべく遠くまで180㎏あるはしごを放り投げることをお勧めする。はしごが海に沈む際に端っこが船のヘリに激突したら、船も道ずれにしかねない。

甲板からの侵入はかなり腕力と集中力を使う。

では、窓からの侵入はどうだろうか。窓ならはしごの長さは3m位で済むはずだ。それならば重さは50㎏位で済むだろう。

と考えた人に、この写真を見てもらいたい。

オーシャンドリームの窓には、あまりとっかかりがない!

これでは、ゆらゆら揺れる船に50㎏のはしごをかけても、すぐに外れてしまう!

この場合、5度手元がずれると、40㎝はしごがずれ、10㎝重心がずれる。やっとこさはしごをかけても、すぐ外れる。


これでもまだ、海賊が怖いだろうか。

結論:どうやって海賊がこのオーシャンドリームを攻略するのか、逆に教えてほしい。

ピースボートに洗脳・マインドコントロールは可能か?元乗客が検証!

今回は、以前に書いたピースボートで本当に洗脳されるのか、元参加者が検証してみたの続編である。ピースボートに乗客を洗脳・マインドコントロールする力があるのか、専門書をもとに検証していきたい。前回は「洗脳」という視点のみだったが、今回は「マインドコントロール」の視点からもっピースボートを見ていきたいと思う。


西田公昭『マインド・コントロールとは何か』

今回は、立正大学心理学部教授の西田公昭氏が1995年に出版した『マインド・コントロールとは何か』という本をもとに検証していこう。

洗脳とマインドコントロールは違う!

まず、この本を読んでわかったのが「洗脳とマインドコントロールは別物」ということだ。

「洗脳」とは、相手を長期にわたり拘束し、拷問・暴力・脅迫・薬物などを用いて、相手の思考を支配する方法である。

一方、「マインド・コントロール」はこれらの手段を用いない。そこに違いがあり、両社は別物、むしろ対極の存在だ。

ピースボートは洗脳しているのか?

元乗客という経験から言わせてもらうと、

洗脳に関しては絶対にありえない。

ピースボートのスタッフから拘束されたり、拷問・暴力・脅迫・薬物の類を受けたことはない。

「ピースボート」「洗脳」で検索してみるといろいろ出てくるが、本当に洗脳されていると思うのであれば、それは「ピースボートの船内で拷問・暴力・脅迫・薬物投与が日常的に行われている」と認識しているということである。

本当にそう思うのであれば、ネットでギャースカ言ってないで、物証をつかんで警察に情報提供するというのが良識ある人間のすることだろう。ネットで騒ぐだけの人は、「洗脳とマインドコントロールの区別もつかない」無知な人間の妄言であり、そんなものに耳を貸す必要はない。

問題は、マインドコントロールだ。

ピースボートはマインドコントロールをしてくるのか。これに関しては時間をかけて検証しなければならない。

ちなみに、Twitterで「ピースボート」「マインドコントロール」で検索すると、「洗脳」の時と比べて極端にツイート数が減る。ヘンなの。

マインドコントロールへの道① 情報の偏り

左翼側に偏った情報を刷り込まれる。これがピースボートが洗脳だのマインドコントロールだの言われるゆえんだろう。

マインドコントロールをしようとするときは、その団体の主張に相手を注目させる必要がある。

どのような情報に人は注目するのかというと、

・弁別性のある情報=目立つ情報

・一貫性のある情報=繰り返しだされる情報

・合意性のある情報=みんなが「そうだそうだ」という情報

が挙げられる。

確かにピースボートでその手の話題は目立つし、賛同者も多い。つまり、ピースボートの船内は左翼的な情報に注目しやすい環境だ。

だが、これだけは企業のCMやネット右翼のツイートをを見ているのとそう変わらない。これらの特徴は、僕らが毎日見ているテレビCMとそう変わらないのだ。

マインドコントロールへの道② ようこそ、ピースボートへ

参考文献には、カルト勧誘の手口として次の5つが挙げられていた。いずれも、相手の冷静な判断力を奪う方法だ。

①返報性

人はサービスを受けると、お礼をしたくなる。カルト教団などはこれを利用してターゲットに親切にして、「話くらい聞いてもいいかな」と思わせる。

ピースボートにおいては説明会が考えられる。無料で行われてはいるが、不自然に親切、というわけではない。そもそも、説明会に来ている人は最初から話を聴くつもりで来ているのだ。

②コミットメントと一貫性

いきなりハードルの高いことをさせず、ハードルの低いことからさせて、少しずつ要求のハードルを上げていくことで組織の主張を信じやすくさせる。

ピースボートのボラスタが最初にやる活動と言えばポスター貼りだ。

ぼくは初日から30枚ポスターを持ていき、最初の10枚は「ベテラン」と呼ばれるボラスタと一緒に回ったが、残り20枚は一人で回った。

どこがハードル低いねん! 「ポスター貼りあわない」と言って、ポス貼りをやらずに船に乗った人を何人も知っている。むしろ、「いきなりハードル高いことをさせる団体」とも言えるだろう。

③好意性

相手に親しみやすい人や、相手の好みの人を使う。

スタッフが乗客に近い距離で接したり、容姿端麗な人を使う、というものだ。

スタッフが容姿端麗かどうかは、「人の好みによるだろう」としか答えられない。ただ、おしゃれな人は多い。奇抜なファッションの人も中に入るが。

ただ、スタッフと乗客の距離が近いというのは大いにあてはまる。そこがウリの一つ、と言ってもいいくらいだ。

④希少性

「今だけ!」という限定品で釣る。

僕が乗った88回は当初「30歳未満99万は今だけ!」と言っていたが、後に「好評につきサービス継続」となった。

だが、船は年間3回地球を一周しているので、「今を逃したらもうチャンスはない」という宣伝の仕方は基本していない。

むしろ、この程度の限定品商法は、どこの企業も普通に行っている「企業努力」の一環だ。

⑤権威性

「著名人」や「専門家」の肩書を利用する。

ピースボートクルーズの目玉の一つは、ゲストとして乗船する水先案内人だ。彼らは著名人や専門家が多い。どう見ても権威性に頼っていると言える。

 

「乗船までの手法」はマインドコントロール度40%と言ったところだろうか。まったくその要素がないわけではないが、「カルト的」と断じるにはちょっと無理がある。

マインドコントロールへの道③ 5つのビリーフ

さて、マインドコントロールするには、「入会させる」だけではいくらなんでも不可能なのは自明のことと思う。

そのためには「ビリーフ」を置き換えなければいけない。

ビリーフとは、白い男性用パンツのことである。あ、それはブリーフでした。

ビリーフは、いわば「レッテル」に近い。「〇〇は✕✕だ」という認識のことだ。「ピースボートは素晴らしい団体だ」も、「ピースボートはとんでもねー団体だ」もビリーフだ。あくまでも「認識」であって、事実かどうかは関係ない。

このビリーフを自分たちに都合のいいものに置き換えられれば、マインドコントロールできるというわけだ。

では、どんなビリーフを操ればいいのだろうか。それは次の5つである。

①自己  「僕は誰なんだろう」という認識。

②理想  「自分はこうあるべき」「世界はこうあるべき」という認識。

③目標  「自分はこのように行動しなければならない」という認識

④因果  「世界はこの法則で動いている」「歴史の影にはいつも〇〇がいる」「陰謀だ!」という歴史や世界に対する認識。

⑤権威  「先生の言っていることは正しい!」という認識。

この5つを変えてしまえば、マインドコントロールできるのだ!

マインドコントロールへの道④ さあ、ビリーフを変えよう

さて、どうやってビリーフを変えていくのか。ピースボートの実態に即してみていこう。

STEP.1 ターゲットに接触する

まず、ターゲットとの接触段階である。マインドコントロール団体は、相手に合わせたメッセージを巧みに使って接触してくる。それは、次の4つの欲求に即したものだ。

①自己変革欲求  相手の罪悪感や劣等感をぬぐうようなメッセージを発信する。「君はダメ人間じゃない」といった感じだ。

②自己高揚欲求  相手の価値を認め、目的を与えてあげる。「君は素晴らしい。そんな君の能力なら、世界を変えられる」といった感じだ。

③認知欲求  相手の知らない真実を教える。コンビニ本の陰謀論みたいな感じだ。

④親和欲求  相手の孤独をぬぐう。「君は一人じゃない」「俺たちは仲間だ」といった感じだ。

どれもピースボートで言われたことがあるような気もする。③に関してはピースボートの真骨頂と言ったところだろうか。

ただ、一方でこうも言われたことがある。

「船に乗ったからって何かが変わるわけではない」

これは①②と相反する話だ。

ちなみに、乗船者が船の中でいろんなことを学んだあと、口にする言葉がこうだ。「結局、俺らに何かが変えられるってわけでもないよね」。これまた②とは反する結果だ。

STEP.2 自分たちのビリーフをアピールする。

ターゲットに接触したら、自分たちのビリーフを魅力的に伝える必要がある。

「自分を変えたい」と思っている人には「変われる変われる!」という自己ビリーフを与える。

「世界を変えたい」と思っている人には「世界を変える力が君にはある!」という理想ビリーフを与える。

「目標がない」と思っている人には「ここを目指そう!」という目標ビリーフを与える。

「これからの世界はどうなっていくのだろう?」と思っている人には「世界はこうなっている」という因果ビリーフを与える。

「誰を信じたらいいの?」という場合は「この人を信じなさい!」という権威ビリーフを与える。

どれも思い返せば、ピースボートにあてはまる気がする。

ピースボートでは水先案内人の講演会が行われる。ほとんどが著名人や専門家だ。この時点でもう、権威ビリーフである。いろんな人がゲストでくるが、中には自己ビリーフ理想ビリーフに当たる話が得意な人もいる。

因果ビリーフに関しては、ピースボートで最も取りざたされる話だろう。確かに、「平和」や「国際交流」などに関する話は多く、中には日本の歴史教科書では教えないような話も出てくる。

ただ、「因果ビリーフ」として確立するには、「世界の法則はこうだ!」レベルにまで高める必要がある。ピースボートで提供される情報はばらばらで、それらを関連づけて教えてくれるわけではない。

一方、「目標ビリーフ」に関してはピースボートではあまり当てはまらない。

STEP.3 5つのビリーフを関連付ける

5つのうち4つのビリーフをピースボートは提供する。やっぱり、マインドコントロール団体なのか。

ただ、この5つをバラバラに与えるだけではだめだ。5つをそれぞれ関連付けなければいけない。

つまり、

「自分の良くないところを改善し(①自己ビリーフ)、理想の自分になれる(②理想ビリーフ)。更なる高みを目指し(③目標ビリーフ)、世界の仕組みを知る(④因果ビリーフ)、それができるのはピースボートだけ!(⑤権威ビリーフ)」

という教義に近いものを植え付けなければいけないのだ。5つのビリーフを関連付けた物語を作らなければいけない。

この「教義」や「物語」に相当するものがピースボートには決定的に欠けている。

ピースボートは情報、すなわちビリーフは与えるが、それらを関連付けて物語を作るということを全くしない。特に、自己ビリーフ・理想ビリーフと因果ビリーフの間の関連性が全然ない。

僕自身、ピースボートの主張というものを知らない。8か月ボランティアスタッフをして、108日船に乗り、その後も事務所に顔を出しているが、「現在、公式に主張しているのは①戦争反対と②9条賛成の2つだけ」ということしか知らない。しかも、それ自体1度聞いただけで、正直これであってるかなといううろ覚えのレベルでしかないのだ。

ピースボートが乗客をマインドコントロールするには、ピースボートの思想を中心とした教義を作らねばならない。

STEP.4 ビリーフを受け入れさせる

ビリーフによる教義を作っても、受け入れてもらわなければ話にならない。聖書の内容を知っていても、それを信じるかどうかはまた別な話なのと一緒だ。

その方法としては次のようなことが考えられる。

感動や興奮を利用する方法がある。カルト教団がよく使う手法だ。ピースボートでは運動会などのイベントで感動や興奮をすることはあるが、講演会などで感動・興奮をすることはまれだ。

考えるよりも行動させる、という方法もある。ただ、ピースボートでは船の中にいるので行動がものすごく制限される。考える時間の方が圧倒的に長い。

アイデンティティを攻撃するという方法もある。罪を告白させたり、相手を攻め立てたりして、自尊心を崩壊させるという方法だ。だが、ピースボートでこの手の手法は一切行われていない。

 

このように見ていくと、ピースボートはSTEP.2で止まっていることがわかる。マインドコントロールの要素が全くないわけではないが、ただ単に情報を垂れ流すだけでは人を操ることはできない。それだけなら、相手の欲しいものをちらつかせ、「新しい生活をしよう!」というビリーフを押し付けてくるスマートフォンのCMと大して変わらない。

マインドコントロールへの道⑤ ずっとマインドコントロール!

さらに、一時的にマインドコントロールに成功しても、その状態を継続させないと意味がない。ピースボートにおいては「船に乗ってる時は平和運動に関心があったけど、船を降りたらもうどうでもいいや」ではマインドコントロール成功とはいえないのだ。

ずっとコントロール状態にするには、情報・感情・行動・生活を管理していく必要がある。

情報の管理

情報を管理するには閉鎖的な場所に置く必要がある。そういう意味では「船」はうってつけだ。

だが、地球を一周したらおろされてしまう。こちらが「まだ乗ってたいよー!」と喚いても、「いいから降りろ!」とおろされてしまうのだ。これは、カルト教団などではありえない。

情報管理の方法として、スケジュールで縛って吟味や意見交換をさせない、というものもある。また、「教義」を受験勉強のごとく勉強させるというものも挙げられる。

だが、ピースボートの船内は自由時間しかないし、勉強時間もない(英語の勉強をしている人たちはいるが)。そもそも、教義が書かれたテキストが存在しないし、何度も言う通り教義自体が存在しない。

感情の管理

感情の管理の方法では、自分たち以外を敵と思わせる方法があるが、「ピースボートの外は敵」!だなんて思ってたら、とてもじゃないがポスター貼りなんかできない。ポスター貼りが終わるころには、貼らせてくれた人たちへの感謝でいっぱいだ。

感情管理の一環で、離脱を認めずに団体に依存させる、という方法もあるが、どれだけ依存しようと地球一周したら強制的におろされるのは先ほど書いた通り。

行動の管理

行動を管理する方法としては、団体の意にあう行動をしたら褒め、意に背く行動をしたら罰する、という方法がある。

積極的に行動する人が褒められるという風土は確かにある。罰に関しては僕は聞いたことがない。

生活の管理

単調な生活を送らせ、生活を管理することで思考能力を奪う方法がある。

しかし、船では常に何らかのイベントがあるし、寄港地は刺激に満ちている。

また、恋愛を制限することで生活を管理しようとする。これも当てはまらない。どこぞのアイドルじゃあるまいし、船内は恋愛自由だ。自由すぎるほどだ。

毎日重労働を課し、肉体疲労を持って管理する方法もあるが、基本、船内生活は疲れない。むしろ、船に乗って運動しないから太る人が多いくらいだ。

 

このように見ていくと、ピースボートはびっくりするくらい教義定着の努力をしていない(そもそも教義がないのだが)。情報は与えるが、あとはほったらかしなのだ。

まとめ

確かにピースボートは左翼的な情報を魅力的に流す。しかし、それを「教義」としてまとめ、相手に受け入れさせ、定着させる要素が決定的に欠けている。これでは、テレビCMの域を出ない。

逆に言うと、この程度であっさり洗脳されて帰ってくる人は、地球上のどこへ行っても洗脳されて帰ってくるだろう。それどころか、テレビCMでも怪しい。新商品や限定品を宣伝されるままにホイホイ買ってしまう危険がある。

一方で、ピースボート側が悪意を持ってマインドコントロールしようとすれば、教義を作り、相手に受け入れさせ、定着させるだけでいいともいえる。その辺、ピースボートは気を引き締めて活動するべきであろう。

それでも「ピースボートはマインドコントロール団体だ!」と主張する人へ

マインドコントロールされている人は表情でわかるという。だから、どうしてもピースボートがマインドコントロール団体だという証拠が欲しいのであれば、船から降りてきた人の表情をチェックすればいい。

とても疲れていたり、何かにおびえていたり、敵意むき出しだったり、バカにしたような態度をとっていれば、マインドコントロールされている可能性がある。

たいていは笑顔で船から降りてくるのだが。

海の上の老人ホーム?ピースボートの高齢者世代に若造が物申す!

以前に「ピースボートで本当に洗脳されるのか、元参加者が検証してみた」と言う記事を発表したところ、「シニア世代には考えが凝り固まった人が多い!」とのご意見をいただきました。反響はうれしい限り。と言うわけで、今回は「ピースボートは高齢者世代に若輩者が一言物申す!


ピースボートの9割はシニア世代

ピースボートの乗客と言うと、若者のイメージが強いだろうか。

実は、9割は高齢者世代である。

僕が乗船した88回クルーズは「30歳未満99万円」だったのもあって若者が多いと言われているが、それでも8割が高齢者世代だ。

船内では高齢者世代を「シニア層」と呼んでいる。明確な定義はないが、だいたい50~60代以上の人を僕らはシニア層と呼んでいた。

そもそも、船の世代構成はどのようになっているのだろうか。

僕の感覚では、若者は18~24歳くらいが多かった気がする。これより下の世代はほとんどいない。

もっとも、クルーズによっては船内保育園がある場合もあり、そういったクルーズならば幼児の姿も多く見かけるだろう。

20代後半以上になると、少しずつ数が減っていく。30代になるとさらに数が減る、40代や50代はほとんど見かけない。この世代は働き盛りで、仕事を休む・退職して船に乗る、と言う決断はなかなかしづらい。しかし、60代以上になると一気に数が増えるのだ。

若者は朝が遅い。そのため、朝のピースボートのフリースペースはほとんどシニア層である。さながら、海の上の老人ホームと言ってもいい。

どうしてピースボートは高齢者世代が多いのか

どうしてこんなに世代に偏りが生まれるのだろうか。

簡単に言えば、原因はお金と時間である。

地球一周のハードルとして大きいのがお金と時間だ。

若者は、時間がある。学生はもちろん、まだ社会で重要な役割を占めているわけでもないし、独身者も多い。

しかし、若者にはお金がない。さらに、「履歴書に穴をあけると復帰しづらい」と言う意味不明な社会の風潮もある。

30~50代になってくるとお金はあるが、責任ある役職に就くうえ、家族もいるのでなかなか会社を休んだりやめたりができなくなる。

そう考えると、シニア世代はお金も時間も存分にある。数が多くなるのは必然なのだ。

実際、シニア層に船旅はお勧めだ。移動に疲れないからだ。船での移動中はじっくり体を休めたり趣味に精を出したりして、寄港地だけ頑張ればいい。寄港地でもバスツアーなどがある。

シニア世代に一言物申す!

分母が大きくなれば、当然その中にはマナーが悪いシニア層もいる。

びっくりしたことがある。

船内の通路は狭く、人二人並べばもう通れない。すれ違うときはちょっと気を使う一方、普段話さないような人とでもすれ違う時ぐらいは「おつかれー」などとあいさつをするので、それきっかけで仲良くなる場合もある。

その通路にシニア層が4人でたむろして通れなかったという経験がある。

ただでさえ狭い通路に4人がたむろして、ぺちゃくちゃしゃべっている。小学校の頃「道路では広がらないようにしましょう」と言う教育を受けた僕は、この光景に唖然とした。

また、友人の自主企画に出席した際、ペチャクチャしゃべっているシニア層を見たこともある。黙って聞いてろよと言う言葉が出かかった。

さらに、ちょっとしたトラブルから、僕が非を認めて謝罪したにもかかわらず「ぶっ飛ばすぞ」と脅されたこともある。僕の勘違いが原因だったのだが、殴られるほどの失態を犯したわけではないし、そもそも僕は自分の非を認めて謝罪した後にもかかわらず、なのだ。「ああ殴れよ。殴ったら困るのはそっちだぞ」と言いたかったが、友人の大切な企画の最中のことで、僕が殴るのはもちろん、殴られるのも邪魔をしてしまうのでぐっとこらえた。

「迷惑」とまで行かなくても、「マナーとしてどうよ」と主たことは何度もある。

ピースボートではいろんな企画があり、参加者にも質問や意見を主張ができるものも少なくない。

不思議なことに、シニア層の人は「自分語り」から入ることが多いのだ。

「え~、私は〇〇県から来た××と申します。長年△△業に携わっていまして~」

人にものを尋ねる前に自分から名乗るというのは大変礼儀正しいことだが、正直、そこまで求めていない。

そして、ここから自分語りが始まる。経歴紹介などをし始めるのだが、はっきり言ってそれがこの企画とどう関係しているのか、どう質問につながるのか、一体何を聞きたいのか、さっぱりわからない。だいたい3分くらいしゃべっていて、イライラがピークに達してもまだしゃべり、ようやく質問に入る。黙って聞いていれば質問だけ言えば言いような内容ばかりである。

不思議である。昔は会社などでプレゼンをやっていた人もいるはずである。どうしてこんなに要領を得ないのか。年を取ってまとめるのが弱くなったというよりは、最初からまとめるつもりがないのだ。

また、考えの凝り固まった人も多い。意見の合わない人に頭ごなしに怒鳴り散らすのを見たこともある。言われた方の人は「あなたたち上の世代のそういう態度は、下の世代から見ると恐怖なんです」と反論していた。

これはピースボートだけの問題ではない

今、ピースボートに限らず、日本中で「キレる老人」が問題となっている。確かに、町中を歩いていても店や駅などで声を荒げているのは高齢者世代が多いように感じる。

また、万引きの高齢かも問題になっている。まったく、最近の年寄はなってない!

と言いたくなるが、どうやらこれは老いからくる生理現象らしい。

人間は年を取ると前頭葉の働きが衰える。そのせいで感情のコントロールが難しくなってしまう。

テレビでそのように解説した後「年寄り笑うな行く道だから、と言うことで大目に見ましょう」などと言っていた。

だが、「迷惑をかけられる」と「被害をこうむる」は全く違う。迷惑をかけてしまうのはお互いさまだが(そもそも僕はADHDという、他人に迷惑をかけることが前提の生き物である)、相手に被害を与えていい理由、相手の気分を損ねていい理由、人を恐喝していい理由には全くならない。そこは声を大にして言いたい。

ピースボートで好かれるシニア世代になるために

ここまで来るとピースボートは希望難民御一行様どころか、単なるマナーの悪い老人ホームのようにも聞こえてしまう。

しかし、もちろん尊敬に値するシニア層も多い。マナーの悪いシニア層と交流することなどないが、尊敬に値するシニア層との交流はとてもためになる。

そんな尊敬すべきシニア層の皆様を思い出して、どう振る舞えば好かれるシニア層になれるかと考えたところ、一つの結論に達した。

それは、年齢など忘れることだ。

好かれるシニア層と言うのは、相手が自分の子供や孫ぐらい離れていても、年齢の差を感じさせず、対等に扱う人が多い。対等に接してもらえると、むしろこちらも敬意を感じるのだ。

また、自分から若者の中に飛び込む人もいる。一緒になってはしゃぐと、多少のことはあっても「どこか憎めない」となるのだ。

あるシニア層の人は「ピースボートは若者が主役で、自分はそれを支えるのが役目」と言っていた。そうやって一歩引いた態度をとれる人は本当に素敵だと思う。

いろいろ言ったけど、お年寄りは大事にしよう!

ここまで、今までほとんど人に言わなかったシニア層への不満をぶちまけた。中には自分の中でもやもやしたままだったものもあり、おかげですっきりした。

とはいえ、どうしてピースボートが若者を安く船に乗せられるのか、と言うのを考えれば、答えは「きちんとお金を払って乗っているシニア層がたくさんいるから」と言えよう。

ただでさえ、船旅をっかく・運営するというのはお金がかかるのだ。おまけにピースボートは安いことで知られている。どういう経営状況なのかは見当もつかないが、とりあえず今日までつぶれずに活動している理由の一つが、お金を払ってくれるシニア層であることは容易に想像できる。「若者だけの船」だったら格安で地球一周は難しいかもしれない。

ただ、金さえ落とせば威張っていい、と言うわけではない。敬われるシニア層はやはりそれなりのふるまいをしているのだ。

これからピースボートに乗ろうというシニア層の人にはぜひ、敬われるシニア層になってもらいたい。そして、若者にはぜひとも、そんな尊敬できるシニア層との交流を楽しんでもらいたい。