さらば愛しのRADIO

先月、僕が13年間聴き続けたラジオ番組が終了した。その番組に対する思いをつづるとともに、「ラジオ」という電波空間に現れた不思議な「場」について考えていこう。テレビが廃れてネットが優勢の現代において、リスナーの日常の一部であり、さまざまな点を線で結ぶラジオの魅力を語りたい。

僕とラジオの出会い

2004年、高校1年の夏。当時はアテネオリンピックの真っ最中で、世間では日本の柔道の躍進が話題だった。

その日、普通に勉強してもつまらないと、僕は勉強しながらラジオを聞くことを思い立った。祖父母からもらったラジオで初めて、地元埼玉のFM局NACK5にチューニングを合わせた。

その日の夜の番組では「柔道で反則になることを考えよう」というお題ではがきやFAXを募集していた。当時はまだメールよりもはがきやFAXが全盛の時代だった。

番組ではお題に対して「畳を持って帰る」や、「自分はまだ半人前だからと、2人で戦う」といった、明らかなボケ回答ばかりが寄せられていた。いわゆる、大喜利のような企画がメインの番組だったのだ。

それまで、ラジオというのは日常の些細な小ネタを集めて紹介するものだとばかり思っていた僕は、「ネタを送っていい番組があるのか!」と衝撃を受けた。

翌日、またラジオをつけてみると、しゃべっている人は変わっていたものの、同じ番組をやっていた。

当時、世間ではハンマーを80m投げる室伏広治が注目を集めていた。

その日のお題は「びっくり人間ショーで視聴率が跳ね上がったびっくり人間を考えよう」。

そこで「室伏を80m投げる男」というボケが読まれ、ゲラゲラ笑いながら僕は、「この番組、面白い!」と衝撃を受けた。

それが僕とラジオ、そして、「The nutty radio show 鬼玉」という番組との出会いだった。

あれから毎日、当たり前のように番組を聞き続けて13年。そしてつい先月、この番組は長い歴史に幕を下ろした。

鬼玉、そして、おに魂の概要

The nutty radio show 鬼玉は2003年の4月に始まった。月・水曜日をバカボン鬼塚、火・木曜日を玉川美沙が担当していたので「鬼玉」。「マル決」というネタ募集のコーナーを軸に、全体的にリスナーからネタやボケを募集する番組だ。

この番組の最初の転機は2010年の秋。玉川美沙の産休にともなく降板によりパーソナリティの入れ替えがあり、番組名も「鬼玉」から「おに魂」となった(読み方はいっしょ)。

放送時間は月曜日から木曜日の夜8時半から11時15分まで。その後放送時間は何度か変わり、現在の8時から3時間というスタイルに落ち着いた。

その後、2013年に10周年を迎えるに当たり二度目の大リニューアル。その後も似合いほどパーソナリティの変更があったが、基本はめったやたらにパーソナリティを変える番組ではない。だいたいが産休だの、別の番組に異動だのの影響だ。現在は曜日ごとにパーソナリティが変わる8人体制だ。

14年の歴史の中では様々なことがあった。デビュー当時にコーナーで2年間レギュラー出演していた植村花菜はその後「トイレの神様」で社会現象を巻き起こした。のちに、子供を連れてゲスト出演していた時は「実家か!」とラジオの前で突っ込んだ。

2010年から火曜日を担当していた福田萌は、番組担当期間中にオリエンタルラジオの中田さんと結婚。記者会見後おに魂と中継をつないでいた。彼女は産休に入るまで2年9か月担当していた。

2010年から水曜日を担当している古坂大魔王は、2016年の春に行われたおに魂のイベントで、豹柄に身を包んだ男がテクノに乗せておかしな歌を歌う、という芸を披露した。

イベントに参加した僕は「くだらないけど面白いなぁ」とゲラゲラ笑っていたのを覚えている。

それから数か月後、その歌「PPAP」をyou tubeにアップしたピコ太郎及び古坂大魔王はあれよあれよという間に世界的スターになってしまった。おに魂水曜日もピコ太郎裏話から入るのが恒例となった。

14年の歴史の中では天変地異も起こる。2011年に起きた東日本大震災の影響で、当時テレビもラジオもすべて自粛モード。テレビはニュースばっかりで、ラジオも固い番組ばかり。いい加減、気が滅入ってきていた。

震災から3日後、震災後初のおに魂が放送された。冒頭でバカボン鬼塚は、「散々話し合った結果、こんな時だからこそ、いつも通りの放送をしようということになりました」と話した。

そこからは笑いっぱなしの3時間だった。本当に救われた。そう思ったのは僕だけではなかったらしく、最終回にはこのことに触れて感謝を述べるメールが読まれていた。特に、「福島から避難する車中で聞いて、3時間ゲラゲラ笑った」というメールが印象的だった。

世界を救うのは愛でも涙でも正義でもない、笑いである。

そんなラジオを僕は、2年目から13年間聴き続けられた。地元にこんな番組があったのは、本当に誇らしいし、幸運だと思う。

つまらない受験勉強の最中も聞いていた。

大学から帰る電車の中でも聴いていた。

くそつまらない会社に就職した時も、実は勤務中にこっそり聞いていた。

仕事を辞めてやることがなかった1年間も聞いていた。

ピースボートのポスターを貼って大宮に帰る電車の中でも聴いていた。

地球一周の旅から帰って真っ先に確認したのは「おに魂はまだ続いているか」「パーソナリティは変わっていないか」だった。

フリーライターとなってからの1年間も聞いていた。

鬼玉とおに魂は僕の青春であり、生活の一部であった。

だが、もう一方で残酷な現実も理解していた。人間が作るものである以上、いつか必ず終わる、ということを。

おに魂最後の2か月

その「いつか」がついに訪れた。

2017年1月末の火曜日、14年間番組を引っ張ってきたバカボン鬼塚の口から「2003年に始まりましたこの……」と語られた瞬間に、もうおに魂が終わることを理解した。

ただ、終わることには理由があった。

普通は番組が終わるということはつまらなくなったから、いわゆる打ち切りである。

だが、おに魂が終わる理由は打ち切りではなかった。

バカボン鬼塚がプライベートの事情で、活動拠点を実家のある静岡に移すことになったのだ。

そうなると、平日夜の関東での生放送は厳しい。それで、バカボン鬼塚の方からおに魂からの卒業を申し出たのだった。

おに魂の鬼も玉もいなくなる以上、「おにたま」という看板も下ろさざるを得ない。それが、番組終了の理由だった。

決して打ち切りではない証拠に、新番組はなんと、バカボン鬼塚とその相方、かかしのきっくんの担当していた火曜日以外は、現行メンバーのまま新番組に移行することが発表された。

つまり、新番組とはいえ、パーソナリティは75%一緒、ということだ。終了ではなくリニューアルという見方もできる。しかし、「おにたま」という看板がなくなることに多くのリスナーは寂しさを覚えた。

その後の2か月はすごかった。

2か月に一度、ラジオ聴衆率調査期間に行われていた「おに魂感謝祭」も、2月に「最後の感謝祭」と銘打って行われ、多くのリスナーを笑わせた。

3月にはさいたまスーパーアリーナのイベントスペースに500人を招待した、最後のイベントが行われた。なお、この様子はラジオとツイキャスで生中継された。おに魂のパーソナリティが8人全員そろった初めての場だった。

最終週もリスナーを死ぬんじゃないかってくらいゲラゲラ笑わせた。火曜日には放送の裏で、かつて水曜日を担当していた吉木りさがスタジオを訪問していたことが彼女のツイッターで明かされた。

最後の木曜日には、ツイッターに「#おに魂今までありがとう」というハッシュタグのもと、多くのツイートが投稿された。

木曜日の最後の5分には、8人のパーソナリティが全員そろった。世界的に今大人気の古坂大魔王や、乃木坂46のメンバーで1月に選抜入りした斉藤優里など、よく時間があったなと驚いたが、最後の5分に全員駆けつけ、さらに過去のパーソナリティも勝手に駆けつけ、わちゃわちゃしたまま「おに魂最高!」と叫んで14年の歴史に幕を閉じた。

番組終了後もおに魂に感謝を伝えるツイートがやまなかった。「おに魂は自分の青春だった」との投稿が目立った。僕もその一人だ。

最高の幕引きだった。演者に愛され、スタッフに愛され、リスナーに愛されたおに魂らしい終わり方だった。

ラジオってなんだ?

冷静に考えると、何ともおかしな現象だ。14年続いたとはいえ、一つのラジオ番組にここまで人が熱狂する。「青春」だと言い切り、感謝を述べる。僕のように10年以上聞き続けたリスナーも、ここ2,3年で聞き始めたリスナーも、みな感謝の言葉を述べる。

これはいったいなんだ?

テレビ番組でこんな話はほとんど聞いたことがない。よっぽど歴史が長い番組でも寂しがられることはあっても、青春だの感謝だのはあまり言われないのではないだろうか。

you tubeはどうなんだろう。そもそも、僕はいわゆるユーチューバーの番組を見たことがないので何とも言えないのだが、あれは個人でやっている以上、そもそも最終回があるのかどうかが疑問だ。

それでも、ラジオのようにはいかないのではないだろうか。

なぜなら、ラジオは最高の片手間メディアだから。

実は、この記事自体、ラジオを聞きながら書いている。

勉強しながら、仕事をしながら、車を運転しながら、歩きながら、ラジオは聞ける。何なら、テレビを見ながらでもイケる。

映像の場合そうはいかない。人によっては映像に気を取られて集中できない場合も多いだろう。スマホの発達で歩きながら映像を見れる世の中になったが、それでも歩きながらは危険だし、運転しながらなどもってのほかだ。

ラジオは片手間で聞ける分、生活に、日常に入りやすいのではないだろうか。手や足を止めてまでラジオを聞く必要はなく、ラジオを聞きながら仕事や家事、勉強、移動をすればいい。

そして、後になって人生の思い出を振り返ると、付属してラジオもついてくるのだ。逆に、ラジオの思い出を振り返ると、必ず「その時何をしていたか」も思い出す。「ああ、あの時勉強中だったな」、「あの時、ちょうどあそこへ向かう車の中だったな」といった具合に。

だから皆、口々に「おに魂は青春だった」と答えるのだ。おに魂そのものが青春だったというよりは、青春の1ページのそばに常におに魂があったのだ。

ラジオは聞く場所を選ばない。FMラジオであっても、生活圏にいればだいたい聞こえる。

しかし、ラジオは時間を選ぶ。毎週、もしくは毎日、決まった時間にやっている。

これにより、ラジオは「習慣」となる。「この時間になったらラジオを聞く」というのは、「生活を邪魔しない」どころか「生活の一部」へと変わるのだ。

さらにラジオ、特にFMはマイナーな存在だ。高校のころ、周りに鬼玉を聞いている人は一人もいなかった。それがまた、ラジオへの愛着を生む。

「誰もが知るマクドナルド」より、「地元の人しか知らない居酒屋」の方が愛着がわく理屈だ。

さらに、ラジオはリスナーからのメールが番組の構成上重要な立場を締めている。どの番組も「リスナーからの声を集め、パーソナリティはそれをもとに話を膨らませる」というスタイルだ。パーソナリティが一方的に発信し続ける番組はほとんどない(30分番組とかならあるけど)。

これは、他の媒体ではあまり見られないし、他の媒体でやれば「ラジオっぽい」と言われるであろう、ラジオの専売特許である。これまた、リスナーとの距離を縮める。

もちろん、サイレントリスナーでも楽しめる。僕もどちらかというと、サイレントリスナーだ。たまに投稿もするが。

さらに、ラジオの持つ力に、新たな趣味へとリスナーをつなぐ、というものがある。

例えば、おに魂は2010年から月曜日は乃木坂46の斉藤優里が担当している。これにより、2つの効果が起きた。

まず、おに魂リスナーで乃木坂に興味を持つ人が増えた、という効果だ。

さらに、乃木坂のファンがおに魂を聞くようになった、という効果もある。斉藤優里をきっかけにおに魂を聞き始め、そのままほかの曜日も聞くようになったというリスナーも多い。

他にも、出演したミュージシャンだったりと、おに魂きっかけで始まった趣味も多い。

何とも不思議な空間だ。「講」に似ているかもしれない。

昔は、「講」と呼ばれるサークル活動がどの村でもあった。庚申講は表向きは不動明王の信仰だと言われているが、実質は夜更かしワイワイサークルだったと言われている。この庚申講は60日に一回行われた。祭りよりもよっぽど日常的な光景だった。

庚申講の日にはみんなで集まってワイワイする。ムラの仲間同士が集まる、自分たちだけの宴だ。形は違えど、どこの村にもこのような集まりはあったはずだ。

よっぽど楽しかったのだろう。各地に「庚申塔」という石碑が残っている。わざわざどこかから大きな石を運んできて、庚申講の名前を刻みこむ。

庚申塔には村の入り口の魔よけの意味もある。そのため、不動明王の姿を掘られたものも多いが、魔除けだけなら「庚申講」の名前を刻む必要はない。

やはり、庚申講はかなり楽しかったのではないだろうか。だから、その名前を石に刻んだ。

おに魂の最後の日にハッシュタグが立ったのも、次々とリスナーが自分がもらったノベルティを写真にとって投稿したのも、そして、庚申塔があちこちに立っているのも、「俺たちはここで楽しく青春を過ごした」ということを、どこかに残したかったからではないだろうか。

あと1時間ちょっとで新番組「Nutty radio show THE魂(ザ ソウル)」が始まる。月曜日のメンバーはおに魂と一緒だが、おに魂の核であったマル決はやらないらしく、本当に新番組みたいだ。マル決をやらないというのは、おに魂に幕を引いたけじめの一つの表れなのだろう。

それでも、午後8時になれば僕はラジオを聞くだろう。なぜなら、ラジオは僕の青春であり、生活なのだから。

また、死ぬほど笑わせてくれ。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。