古市憲寿ピースボート乗船記「希望難民ご一行様」に感じた違和感

社会学者の古市憲寿氏の「希望難民ご一行様~ピースボートと『承認の共同体』幻想~」を読んでみた。新進気鋭の社会学者である古市氏が実際にピースボートに乗って何を見たのかが気になったからだ。僕もピースボートに乗っていたので、過去乗船者あるあるになると思いきや、意外にも感じたのは違和感だった。


「希望難民」とは?

「希望難民」とは古市氏の造語だ。経済的に豊かになった現代社会で、あらゆるものは手に入るのに、閉塞感は打ち破れず若者は「もっと輝けるはずだ」という希望を追い求める。そんな人たちを「希望難民」と呼んでいる。高橋優の「素晴らしき日常」のような世界観だ。

古市氏は本書を通じて、現代社会は「何かを諦めるのは悪いこと」という風潮が漂っていると指摘し、若者に諦めさせることが重要だと説いている。

若者に対して「諦めろ」というのではなく、社会に対して「若者が諦めるのを認めろ」という主張だ。

そんな諦めさせてくれない社会で、若者に諦めさせる装置としての一つがピースボートである、そう言った趣旨だ。

クルーズとピースボートへの違和感

古市氏が乗船したのは第62回クルーズ。2008年5月出航で、僕の乗った88回クルーズより7年も前の話だ。

このクルーズが、おそらくピースボート三十数年の歴史の中でも最悪の部類に入るものだった。よりによってこんな極端なクルーズに乗ったのかよ、といった感じだ。船のエンジンは壊れ、船体に穴が開いてアメリカで足止めを食らい、ピースボートにキレる老人とかばう若者が対立し、抗議運動まで起こった。船が日本にも着いたのは予定よりも10日遅れだった。

もっとも、違和感以前にまず、船が違う。88回クルーズで使われたのは「オーシャンドリーム号」。2012年からピースボートがチャーターしている。

古市氏が乗ったのは「クリッパー・パシフィック号」だ。

オーシャンドリームに関して何かトラブルがあったという話は聞いたことがない。ピースボートの船に関するトラブルは大体これより前の船たちだ。整備不良だったり、途中で乗り換えを余儀なくされたり、ご飯がまずかったりしたらしい。しっちゃかめっちゃかである。

さて、ピースボート史上まれにみるトラブル続きだった62回クルーズだが、ピースボート側の対応もちょっとお粗末である。抗議のための文章の印刷を断るなど、乗客の抗議活動を制限しようとしていて、お世辞にも褒められる行動ではない。旅行会社のジャパングレイスも度重なるトラブルに対する説明で「当社に責任はない」という、考えられる限り最悪の対応をしている。

一方で、88回でもしこのようなトラブルが起こったらピースボートは同じような対応をとるだろうか、と考えると、そこに僕は違和感を覚える。

完璧な対応、いわゆる「神対応」とまでは行かなくても、62回クルーズに比べればましなのではないか、という風に感じる。あくまでも日頃のピースボートスタッフやジャパングレイスの接し方から感覚的に推論したに過ぎないが、さすがに「うちに責任はない」は言わないだろう、と思う。7年前のこのトラブルを教訓にしているはずだし、していないのであればそれはとんでもないことだ。ここ数年、目立ったトラブルがないということは、多少なり学んで改善している、ということなのであろう。

乗客への違和感

だが、それ以上に違和感を感じたのが62回クルーズの乗客、特に若者に対してだった。

62回クルーズでは「9条ダンス」というよくわからないダンスの練習をしていた。9条護憲の理念をダンスで表現したらしいのだが、何度説明されてもこればっかりはわからない。僕がダンスに興味がないからなのか、ダンスで9条を表現しようという行為そのものが無謀なのかはわからない。

とはいえ、僕自身も実は船内の平和デーかなんかのイベントで9条をラップにして発表している。もっとも、護憲だのと言ったたいそうな理念があったわけではなく、イベント紹介の船内新聞に記事に「ラップ」の3文字があったのを発見して、「私を呼んだかぁ!」という勢いで参加しただけである。ちなみにこのラップは船を降りた後、護憲の立場だけの歌詞では不完全と考え、改憲派の立場に沿った歌詞を追加した。

さて、62回クルーズの若者たちはピースボートの不手際やトラブルに抗議の声を上げる老人に対し、不快感をあらわにしたり、すごい人に至っては涙を流したりしていた。

完全に理解できない。「キモチワルイ」というのが正直な感想である。何も泣くことはあるまい。この本を読んだ人が「ピースボートに乗る若者は頭の中がお花畑」だと思っても、当然の帰結だと思う。

古市氏はこの現象に対して、「自分たちと異質なものへの耐性が弱い」と評している。

これはなかなか興味深い分析だが、それを「若者全体」に言える傾向だと論じることに違和感を感じる。

もっとも、古市氏も若者がみんなこうだと入っていない。若者の4類型のうちの一つ、仲間意識の強い「セカイ型」と「文化祭型」の若者の特徴だと書いている。

古市氏はピースボートに乗る若者を4つの類型に分類していた。

セカイ型……船内での仲間意識が強く、ピースボートの理念への関心も強い。「意識高い系」と言い換えてもいいかもしれない。

文化祭型……ピースボートの理念に関心はないが、船内での仲間意識が強く、文化祭のノリでワイワイやっている若者。「パーリーピーポー」と言い換えてもよいかもしれない。

自分探し型……ピースボートの理念に関心を持つ一方、船内での仲間意識はそれほど強くない。こちらもいわゆる「意識高い系」なのだろうが、セカイ型が「みんなで世界を変えていこうぜ!」なのに対し、自分探し型は自問自答を繰り返す傾向がある。

観光型……ピースボートに理念に関心はないし、船内の雰囲気にも距離を置いている層。乗船目的も単純に観光旅行である。もちろん、友達がいないわけではなく、セカイ型や文化祭型が「みんなでワイワイ」なのに対し、観光型はいつもの数人で固まりがち。

この4類型は「船内での仲間意識が強いか」「ピースボートの理念への関心が高いか」で決められる。

「どちらでもない」という回答を禁止すれば、誰でもこの4類型のどれかに当てはまるはずだ。

だが、この4類型に違和感を感じる。

88回クルーズで考えると、全体的に文化祭型が多いのかな、と思う。

だが、この4つに分類できない層もいる。

例えば、僕は「グローバルスクール」という有料プログラムに所属していた。不登校や引きこもりの経験者が多く、船内では特定の人付き合いしかせず、ピースボートの理念への関心も薄い。

さっきの4類型だと観光型に当てはまるわけだが、「ただの観光旅行」をしていたわけではない。それぞれにいろいろな事情を抱えている。

また、船内では「ヤミメン」を自称する集団がいた。「ヤミ」が「病み」なのか「闇」なのかは聞いたことがないのでわからないが、傍から見るに文化祭型に対して「やってらんねぇ」的な態度をとっていた。

ただ、「ピースボートの理念への関心」という点では「人によって違う」という形になり、4類型のいずれにも当てはまらない。

もう一つ、僕が違和感を感じたことがあった。

88回クルーズは文化祭型が主流派だったと思うし、もちろんセカイ型もいた。

だが、彼らが同じトラブルに遭遇した時、果たして抗議活動する人間に不快感を表すか、果たして「争わないで」と涙を流すか、という疑問である。

88回クルーズは全体的に、62回クルーズよりはシニカルだったと思う。62回のようにピースボートへの帰属意識は強くなく、仲間意識は感じるしスタッフとの距離も近い一方、ピースボートという団体に対しては距離をとって接していたと思う。

要は、7年で若者の性質も変わってきたのではないか。それがピースボートという枠の中だけなのか、若者全体の話なのかは分からない。

ちなみに、僕自身はどうなのだろうか。

人付き合いについてだが、僕は大の人見知りである。それでも船内では広く人づきあいができていたが、基本は固定の人付き合いだったと思う。

次に、ピースボートの理念に対する関心だが、ないわけではない。

もちろん、関心はあるし、ニュースは毎日見る。だが、「政治?興味ないっすね」という若者よりは関心があるが、いわゆる「意識高い系」ほどではない。船内では社会問題や世界情勢に関する様々なイベントに顔を出したが、「この問題に特に興味がある」「この問題のために活動したい」と思える内容は見つからなかった。

世界平和や憲法9条に対する関心は薄いが、日本の「閉塞感」に対する関心は強い。そういう意味では、「ピースボートの理念にやや関心がある」という得るであろう。

おそらく、僕は「やや自分探し型」なのだと思う。

古市氏の視点への違和感

本書を通して感じていたことは、「古市氏がどの立場にいるのかわからない」という点だった。

理論上、ピースボートの若者は全員4類型に分けられる。それは、古市氏ももちろん例外ではないはずだ。

だが、古市氏の書き方はどの類型とも距離を問ているように感じられた。きわめて客観的である。

そんなことを考えながら読んでいたら、あとがきで古市氏自ら、「『クルーズを楽しめなかった陰気な東大生が腹いせに書いたように思われるんじゃない』と言われた」と明かしていた。このあとがきで明かされたフィールドノートの最後のページ、横浜帰港の前日に書かれたページは非常に共感できる、人間的な文章だった。

「だけど本書はエッセイではなくて、これでも一応『研究』のつもりだから、どうしても『彼ら』を俯瞰的に『分析』する必要があった」(277ページより抜粋)

ただ、ここにもまた違和感を感じる。

それは僕が民俗学を学んできた人間で、民俗学の研究には「文学的な表現」のスキルが不可欠だと感じているのもあるだろう。

また、人間である以上、主観というフィルターを通して物事を見ることは避けられない。客観的な分析をするためには、自分がどのフィルターから見ていたかをはっきりさせるべきだったと思う。

古市氏への見解への違和感

古市氏は船を降りた後の若者たちの動向も調査していた。

古市氏の調査では、自分探し型は帰国後も社会問題への関心は強まって、自分なりに行動しているという。なるほど、自分の掌をじっと見て、その通りだと思う(笑)。

観光型は旅行が終わり、日常に帰って行く。

一方、セカイ型と文化祭型は、ルームシェアをしたりと、船で築いた共同体のまま生活を始める人が多い。

しかし、セカイ型の特徴であった意識の高さは薄れ、政治活動だの社会活動だのへの関心が薄くなった人が多かったらしい。

古市氏はこのことについて、ピースボートは若者に諦めさせる「冷却装置」であったと論じている。

ここにも僕は違和感を感じる。僕は以前「ピースボートに洗脳・マインドコントロールは可能か?元乗客が検証!」において、「ピースボートで社会問題に安心を持っても、ピースボートを降りた後はピースボートは一切干渉してこないので、船を降りた後は関心を保てない」と論じた。この見解の相違が違和感を感じさせる。

違和感の原因

違和感だらけである。同じ地球一周の旅をしていたのに、どうしてこんなに違和感を感じるのか。

しかし、当然と言えば当然である。

人によって、見える景色が違うのだ。

おんなじ船に乗って、おんなじツアーに参加して、同じ時間を長く共に過ごした友人が、船を降りてから僕とは全く違う進路を進む姿などを見ると、どんなに距離が近くても、人によって見えている景色は違うんだな、と思う。たぶん、家族でも恋人でも同じことが言えると思う。「同じ景色を君とずっと見ていきたい」なんてありえない。隣で並んで夕焼けを見ていたって、見え方が違うのだ。

船を降りた後、同じ船に乗っていた仲間と一緒に飲んだ時も、同じ船に乗っていたはずなのに、ずいぶんと見えていた景色が違うんだな、と考えさせられることがあった。

同じ船に乗っていても、人によって見えた景色、感じたことが違うのだ。同じピースボートという枠組みであっても、違う船、違うクルーズに乗っていれば、見える景色は全く違うはずだ。

これが違和感の正体なのだと思う。違っていて当然なのだ。

時代が映り、船が変われば、ピースボートも変わる。若者の性格も変わる。それに対するとらえ方も変わる。当たり前のことだ。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。