検証:ピースボートで人生は劇的に変わるのか?埼玉のラッパー編

ピースボートにはいろんな人が、いろんな想いを持って乗船する。その中には、「何かを変えたい」そんな思いを持って乗ってくる人もいるだろう。地球を一周したら何かが変わるのか。そこで今回は、ある人物の事例を基に「地球一周で何か変わるのか」を検証していこう。ある人物。もちろん、他でもない僕自身だ。


ピースボートに乗ったら人生は劇的に変わるのか? 今回は「ピースボートで劇的な体験をしたら、その後の人生に何か変化があるのか」という視点から考えよう。

僕のピースボートにおける「劇的な体験」。それは、「人前でラップをしたこと」であろう。それも相手は一人二人ではない。数百人規模だ。

まわりがこのことをどう思っているのかはわからない。だが、二度とあるかどうかわからない、少なくとも本人にとっては劇的な体験だった。

どうしてこんなことになったのか、順を追って説明していこう。

きっかけは「グローバルスクール」というプログラムに参加したことだった。

グローバルスクール、通称GSとは、ピースボートが船内でたまにやっている有料プログラムである。ひきこもり・不登校・ニートだった人たちが参加するプログラムなのだが、別のその経験がなくても参加していい。事実、僕はどれもない。

僕がGSに入ったのは船に乗ってから10日して程だった。先にGSに入っていた友人らから「ノックみたいな人がいっぱいいる」と誘われたのがきっかけだった。

さて、せっかく5万円も払って入ったからには何かしたい(お金の問題?)。

この時、GSでは「ハーフアクション」を計画していた。もともと、クルーズの最後に発表会的な「ラストアクション」が毎回行われていたのだが、その前にクルーズの途中で一回発表会をやろう、というものだった。それが「ハーフアクション」である。

そこで僕は、「人見知りをテーマにしたラップを作って歌う」を提案した。何かインパクトがある出し物があった方がいいという話だったので、うってつけだった。

では、どうして「ラップをする」なんて言い出したのか。

これもまた、話すと長くなる。

まず、僕にラップを作った経験も、大々的にライブをした経験もない。

ただの日本語ラップ好きでしかなかった。

それがたまたま通っていた大宮ボラセンにラップ好きが集まっていて、「船に乗ったらラップしようぜ」などという話をしていた。

だが、たぶんそれだけでは「GSでラップをする」なんて発想にはいきつかなかったと思う。

もう一つ、決定的な出来事があった。

それが、僕が船に乗っている間に大宮ボラセンが閉鎖することが決まっていた、ということだ。

どうすれば大宮ボラセンを復活させることができるか。もっとも、こればっかりはピースボートの上の人たちが決めることなので、僕にはどうしようもない。

僕にできること、それは、「大宮ボラセンの名を88回クルーズで強烈に刻みこむこと」だった。それしか、思い浮かばなかった。

「88回の大宮、熱かったな」と多くの人に思ってもらう。そうすれば、いずれ地方のボラセンを復活させるときに、真っ先に大宮の名が思い浮かんでもらえるかもしれない。それしか、できることなんてなかった。

ならば、なるべく早い段階で何かアクションした方がいい。船内のイベント「スター誕生」に出演者として参加したのもそれが大きな理由だったし、GSでラップをするということを思いついたのも、やはり「何が何でも大宮の名を残す」ことを考えていたからだろう。

正直、「僕が目立つ」ことよりも「大宮が目立つ」ことが最優先だった。

奇妙な感情である。ボラセンは本来、地球一周のための準備をする場所でしかないはずだ。地球一周が目的。ボラセンが手段。それがいつの間にか、僕の中では地球一周が『ボラセン復活』という目的を成すための手段の場となっていた。でも、それでよかった。

今こうして振り返ると、よくよくできた話だったと思う。大宮の仲間と「船内でラップしようぜ」と話していたおかげで、僕はラップに使えそうなインストのCDを船内に持ち込んでいた。その音源を使って曲を作ることができた。

最初の曲、「ゲキヤク」は2日くらいでできたと思う。人見知り目線での世の中への恨みつらみをラップにした。

曲ができた後は、たぶんラップをいきなり聞き取れる人は少ないだろう、ということで歌詞カードの製作、外国人の乗客もいるので、歌詞の翻訳を人にやってもらった。僕が作った物を人にやってもらうという自体、なかなかない経験だった。

さて、本番。コーナーとコーナーの間にこっそり衣装に着替えた僕がとびだしてゲリラライブを観光する。自分で集客をしない、一番卑怯なパターンだ(笑)。

不思議な感覚だった。覚えてきた歌詞はすべて忘れた。

忘れたうえで、さも、いま思いついた言葉を叫んでいるような感覚で、歌詞カード通りのリリックをラップしていた。

終わった後は、舞台そででひっくり返っていた。

その反響は、想像以上だった。

とはいえ、僕は申し訳ないが、疑り深い性格のようだ。「よかったよ」とか「かっこよかったよ」と言われても、申し訳ないけど「どうせお世辞でしょ」程度にしか思っていなかった。

唯一信用したのは、大宮の仲間によるかなり長文の感想。「こんなに長いなら、きっと本心なんだろう」といった感じだ。どうしようもなく疑り深いのだ。

それが、だんだんと予想だにしなかった反応がやってくる。

最初に驚いたのが、ほとんど接点のなかったジャパングレイスの人が「良かったです」と言ってくれたことだった。顔見知りではなく、接点のない人たちがわざわざ感想を言ってくれたということで、「これは本当かもな」と思った。

さらに驚いたことがった。

ある日、夕飯を食べようとしたら、それまで会話をしたことなかった青年が「一緒に食べていいですか」と聞いてきた。断る理由などないので僕はうなづいた。

ご飯を食べながら話していると、彼がバスケットボールをしているということがわかった。文化部しかやったことのない僕は、運動部というだけで彼を羨んでいた。

彼は僕のラップを見て、僕に声をかけてくれたらしい。そして、彼はこう言った。

「自分で表現できるなんて、羨ましい」

「羨ましい」という言葉は、僕が全く想定していなかった感想だった。今まで人に羨ましがられることなんてなかったからだ。むしろ、常に他人を羨んできた嫉妬深い人生だったともいえよう。

「僕は人に羨ましがられることをしていたのか? この僕が?」と呆然とした。

これ以降、僕の船内生活は劇的に変わった。これまで話すことのなかった人たちとも話すようになった。

また、周りから「誕生日祝いにラップを作ってやってほしい」だの、「サプライズ用のラップを作ってほしい」だの頼まれるようになった。

クルーズの最後で行われたラストアクションでは、「ボーダーライン」という曲を作って歌った。

おそらくファイナルアクションはしんみりする内容になると思うから盛り上げ役が必要だと、アップテンポな曲を選んで作った。

今のところ、「少なくとも5人は泣いた」というのを把握している。泣かせるつもりは全くなかったのでうれしい半面、大変当惑している。

とまぁ、自分で振り返ってもなかなか劇的な体験をしたと思う。

そんな劇的な体験をした僕が、船を降りてどんな劇的な変化があったかというと、

……これと言って劇的な変化はない。

そんなに人に「ラップ作って」と頼まれるなら、と、「ココナラ」「ワオミー」で「ラップ作ります」というサービスを出店してみた。

今のところ、月に一回、何かの本を買うお金が稼げればいい方の収益しか上げていない。

別にメジャーデビューする話もないし、武道館ライブの話があるわけでもない。せいぜい、友人の結婚式で「ラップやって」と頼まれたくらい。

そもそも、ラップで有名になってやろうとかそういう欲は全くないのだ。趣味としてのんびりやって行って、いつかミニアルバムでも作れたらな、くらいにしか考えていない。

つまり何が言いたいかというと、

船の中で劇的な体験をしても、

人生が劇的に変わるとは限らない、ということである。

「ラッパー」としての僕自身を取り巻く状況はみじんも変化していないし、僕自身のハートに火がついて「ラップで天下とってやろう」みたいな野心もついぞ芽生えなかった。「趣味が一個増えたぞ」程度の感覚である。

だいたい、「大宮ボラセンを復活させる」という当初の目的すら達成されていない。現段階では大失敗もいいところだ。

ただ、これがきっかけで多くの人とつながれた。ちっぽけな奇跡というやつだ。

人見知りに友達ができた。これ以上の奇跡があるものか。

人見知りがマイク握った

俺の声がステージ響いた

でもいまだ自己嫌悪の塊

周りと比べ絶望し儚み

溜息のように「死にたい」とつぶやく

いつかきっと救われる日来るはず?

そんな劇的な変化なんかない

種をまかねば芽は出ない

芽吹いた何かを刈り取るだけ

その前にまずは種を蒔け

芽吹いた種を刈り取ってみたら

前よりちょっと友達増えたな

人生は複線回収だと思う。

船の中でラップという形で新たにばらまいた複線はきっと、今後の人生の中で、少しずつ回収していくのだと思う。

だから、そんな劇的な変化なんてものは、ありません。

むしろ、個人的には気持ちは完全にラップからクソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」に向かっている(もちろん、趣味としてラップは続けていくけど)。

でも、たぶんいまだに僕のイメージは、「88でラップやってた人」なんだと思う。

たぶん、これは誰しも抱えうる問題なのではないだろうか。今の自分の進みたい方向と、周りのみんなが抱いているであろうイメージに違いが生じる。船にの仲間でも同じようなことを口にしているのを見たことがある。

ピースボートの船内ではいろんなことをやるチャンスがある。バンド活動、お笑い、ダンス、絵画、自主企画などなど。みんな誰しも、二度と体験できないような劇的な体験をしていると思う。もちろん、人によって大小はあれど、だ。

何かに一生懸命になったりすると、それが周囲にはイメージとして定着する。それ自体はいいことだ。誰しも大なり小なり周囲に何らかのイメージを持たれているものだ。

だが、いつかそのイメージにサヨナラをしなければいけない時が来るのだと思う。何か新しいことをはじめようとするときだ。あるいは、すでにイメージが定着してしまった段階から自分の内面とのギャップを感じている人もいるだろう。

人間の承認欲求というやつは強い。そして人は常に「最新の自分」を評価してほしいのだ。「昔はかわいかったね」と「最近かわいくなったね」のどちらが言われて嬉しいかを考えればわかると思う。

たぶん、劇的な経験をすればするほど、周囲にはそのイメージが強烈に刷り込まれる。何か新しいことをはじめようとするとき、そのイメージとの戦いになる。

ミュージシャンが「ヒット曲の壁を越えられない!」という葛藤を抱えるのと同じだと思う。

自分の敵はいつだって自分なのだ。最も輝いていたころの自分。もっともダメダメだったころの自分。今の自分の敵は、いつだって過去の自分なのだ。

同時に、過去の自分は必ず今の自分の力となる。人生は複線回収。過去に蒔いた複線を一つずつ回収していく。

船内でのライブしたのも、「10年間ラップを聞いていた」という複線と、「大宮ボラセンが閉鎖になった」という複線を回収しただけにすぎないのだと思う。

ピースボートで劇的な体験はできると思う。大なり小なりはあると思うけど。ただ、劇的な変化はそんな簡単には起こらない。これまでの人生の複線回収をずっと続けていくだけなのだと思う。過去の自分と向き合って、過去の自分を掬い上げていく。その繰り返し。

昨日と向き合って、明日に向かって今日を生きる。ただ、それだけである。今日が昨日の続きで、明日は今日の続きなのだ。そんな劇的な変化などあるものか。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。