線路という異界

最近、痴漢を疑われた人が線路に逃げ込む、というトラブルが多発している。こうも続くと、線路というのはそんなに逃げ込みたくなるのかと不思議に思う。もしや、線路というのは身近な異界なのではないか。そこで「異界」という概念から線路を見直してみたい。


線路とは異界である

地下鉄の駅で電車を待っていると、真っ暗な空間からぬうと電車が現れる。まるで、違う世界からやってきたかのようだ。

線路は街灯なんてものを必要としないので、夜の線路はまるで川のように真っ暗だ。

線路とは身近な異界なのかもしれない。

そう思って調べてみると、線路にまつわる怖い話というのはいくつもある。

とはいえ、パターンは大体一緒。目撃者は電車の運転手だ。

線路内に誰かいる⇒うわぁ、轢いちゃった⇒衝撃を感じる⇒けれども、死体も残っていないし、何の痕跡もない

というのが、線路の怖い話でよくあるパターンだ。

線路というのは、何か不思議なものがいてもおかしくない空間なのかもしれない。

そもそも、線路に限らず道というものは古くから異界とのつながりを示すものだった。三叉路は村の境界を意味し、ひいてはそれが異界との境界を意味した。

バスで遠出をしようと思ってバス停に立つと、見慣れた道が急にどこか遠くとつながる、非日常の場所に見えることがある。

ただ、バスが通る道は、歩行者も立ち入ることができる。車や自転車で走ることもできる。

でも、線路には立ち入れない。

それが、線路の非日常性を高める。

「STAND BY ME」という有名な映画がある。4人の少年が線路わきに死体があるという話を聞き、死体探しの冒険に出かける、という映画だ。線路を歩いて行った挙句、橋で機関車に追いかけられる、というのは有名なシーンだ。

この映画もまた、「線路の上を歩く」という、本来やっちゃいけないことをやっているから冒険心が高まるのかもしれない。

そう、線路には入っちゃいけないのだ。

かつての日本のムラにも、入っちゃいけない場所があった。山の上などは聖域とされ、しめ縄が張られ、神社が作られた。聖域に入っちゃいけない理由としては、「山の資源をとりつくさないため、入っちゃいけない場所を決めた」というものもある。

山には入っちゃいけない。だからこそ、山は聖域であり、異界だった。

同じことが線路にも言えるのではないだろうか。

どこか遠くにつながっている場所。にもかかわらず、入っちゃいけない場所。

線路には魔物が棲む

朝のラッシュ時に男が女性に腕をつかまれ、「この人、痴漢です!」と言われる。

その真偽は定かではない。だが、男がクロだろうがシロだろうが、考えることはいっしょだ。

「捕まるわけにはいかない!」

こうなった場合、「逃げる」というのは最悪の行為だ。逃げ切れずに捕まった際、かなり不利な状況になってしまう。冷静に、当番弁護士を呼ぶのが正しい。

しかし、パニックになった頭で「逃げる」という判断をした時、逃げる方向は大きく二つに分けられる。

すなわち、改札に向かって逃げるか、線路に降りて逃げるか。

普通に考えれば改札に向かって逃げるべきだ。人ごみに紛れられるし、人ごみが追手を阻んでくれることもある。

一方、線路に飛び降りるのは不利だ。とにかくだだっ広く、隠れる場所もない。おまけに、出口がどこにあるのかさっぱりわからない。

それでも多くの人が線路に逃げた、ということはやはり、パニックになった頭の中で、直感的に選んだ答えなのだろう。

追い詰められると、人はいかいに逃げ込みたくなるのではないか。そんな風に問いかけると、僕にも思い当たる節がある。

町中でよく見かけるピースボートのポスターだ。

普通の人から見れば町に無数にあるポスターの一つにすぎないが、閉塞感や絶望感を抱えた人が見ると、「地球一周の船旅」と書かれたポスターが冒険の扉に見えることがある。僕自身がそういう体験をしたし、他にもそんな体験をした人を知っている。

異国。何ともわかりやすい「異界」の例である。

地球一周とまでは行かなくても、通勤通学の駅で、ホームに入ってきた電車のいい先を見てふと、「このまま終点の知らない町まで行っちゃいたいな」と思ったことはないだろうか。「知らない町」というのもまた異界だ。それも、「終点」というのがいい。はるか遠くの知らない町、これはもう完全に「異界」である。

こういう想いを抱くときは大体、絶望的に会社/学校に行きたくないか、何となく行きたくないか。要は、閉塞感と絶望感である。

そういう人間がピースボートのポスターとか、海外青年協力隊のポスターとか、知らない町行きの電車を見た時、魅力とも魔力ともつかない不思議な力に引っ張られるような感覚に陥る。

異界には魔物が潜んでいるのだ。その魔物が、「そこにはいたくないもの」を見つけ、おいでおいでと手招きするのだ。

思うに、痴漢を疑われて線路に逃げ込んだ人々はみな、その魔物に引っ張られたのではないか。線路に潜む魔物に。

痴漢がばれて、もしくは、痴漢に間違われて極限状態の中、線路に目をやると、魔物が手招きするのだ。おいでおいでと。こっちに逃げちゃえよと。

異界には魔物が棲む。そのすべてが悪いものではないのだろう。しかし、線路に住む魔物は、あまり良いものではあるまい。

魔物に引っ張られないようにするには、とにかく冷静になることだ。痴漢に間違われたら弁護士を呼ぶといい。少なくとも、魔物よりは役に立つはずだ。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。

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