ミュージカル「コモンビート」を見て思う、「本当に争いはおろかなのか」

友人らが携わる「コモンビート」というミュージカルを見てきた。友人らの生き生きとした姿が見れて、とてもよかった。コモンビートを見るのはこれで3回目である。同じミュージカルでも3回も見ると、いろんな視点から新たな発見をすることができる。果たして、みんな本当に「争いはおろかだ」と思っているのだろうか。


ミュージカル「コモンビート」とは?

コモンビート。正式名称は「A COMMON BEAT」。通称「コモビ」。ミュージカル作品の名前であり、それを主催するNPO法人の名前でもある。

アメリカのNPO団体「Up with people」が2000年に制作したこのミュージカルは、「個性が響きあう社会へ~Hamony of Uniqueness~」というコンセプトのもと、日本でも公演されている。

このミュージカルの面白い特徴は、実は出演者はみなプロの劇団員ではない、ということだ。さまざまな職業の人々約100人が100日間練習して講演する。「なんだ、素人のミュージカルか」と決めつけるのは早計で、チケット代3500円に見合うクオリティはあると思うし、「素人が100日間でここまでやる」というリアル感、ライブ感もこのミュージカルの売りの一つだと思う。

ミュージカルの面白いところが、「エキストラがいない」という点ではないだろうか。広い舞台の上では高らかと歌い上げる役者がいる一方で、舞台の端や後ろでそれぞれの演技をする役者たちもいる。他にもダンスしたりコーラスをしたり、誰一人「とりあえずそこにいる」という役者はいない。歌う人、踊る人、歩く人、止まっている人、それぞれに大事な役割があり、それぞれがその役割を全うしている。特に今回の公演では舞台上にセットは置かれなかった。そうなると、なお一層、一人一人の演技が物語の世界を紡ぐうえで重要になってくる。メインの役どころだけが歌い、セリフをしゃべっても、ミュージカルは成立しないのだ。

コモンビートのネタバレ?

コモンビートの出演者たちは、大きく4つのグループに分けられる。赤、緑、黄色、青と戦隊モノよろしく色分けされた、四つの大陸である。

情熱の赤大陸はアフリカやアラビアをモチーフにしている(ちなみに、アフリカの国旗は赤・黄色・緑で構成されることが多く、アラビアの国旗は赤・白・黒・緑で構成されることが多い)。

気品の緑大陸はヨーロッパをモチーフにしている(ちなみに、ヨーロッパの国旗で緑を使っているのは、アイルランド、イタリア、ハンガリー、ブルガリア、ベラルーシ、ポルトガル、リトアニアの7か国のみ)。

調和の黄色大陸は日本や朝鮮、中国、インドなどの東アジア・東南アジアのあたりをモチーフにしている(ちなみに、この地域の国旗は赤を基調としたものが多く、黄色を基調としたのはブルネイの国旗のみ)。

自由の青大陸は南北のアメリカ大陸をモチーフとしている(ちなみに、中南米には青を基調とした国旗が多い)。

このように、国旗マニアとしては、赤と黄色は入れ替えた方がいいんじゃないかと思っている。いや、そういうことを言いたいんじゃない。

それぞれの大陸は音楽、ダンス、衣装でこれらのモチーフを表している。音楽・ダンス・ファッションに興味がある人たちは、これらに注目しながら見るのもまた面白いと思う。

さて、これら4つの大陸は、それぞれ互いの存在を知ることはなく、「国境警備隊」という誰に雇われたかよくわからない人たちによって守られている。

しかし、あるとき、彼らは互いの存在を知る。自分たちとは違う言葉、衣装、文化に興味を抱く人がいる一方、「権力者」と呼ばれる人たちは自分たちの仲間を、文化を、伝統を守るため、他の大陸のものたちを排除しようとし、やがて大きな戦いに発展し、多くの命が失われてしまう……。そこて初めて気づく。言葉や衣装、文化が違っても、僕らは同じ心臓の鼓動を、「コモンビート」を持っているのだと……。

というのがミュージカル「コモンビート」のあらすじである。そのまま、人類の歴史と言いかえてもいいかもしれない。

コモンビートの3つ目の視点

コモンビートは「個性が響きあう社会へ」をスローガンに掲げており、ミュージカルを通して「文化や歴史の違いから争いあうのはおろかなことであり、違いを乗り越えて共生することが大切だ」と訴えかけている。

一方で、だからといって戦いを煽った権力者が完全な悪者なのかというとそうではなく、それぞれの民族、文化、歴史、伝統を守るためだったという彼らの正義もきちんと描かれている。

実は僕はコモンビートを見るのは3回目である。1回目は2年前に同じ場所で、2回めはピースボートの船の中だった。

そして3回目にして今回、こういう見方もあるのではないかということを考えた。

「そもそも出会わなければ、交わらなければ、争うこともなかったのに」

コモンビートは4つの大陸が登場し、それぞれに権力者がいる、世界の歴史を描くスケールの大きなミュージカルだ。

一方で、実はこの物語は、それぞれの大陸を一人の人間として見ることもできるのではないだろうか。

人は幼いころは保護者という国境警備隊に守られていた。しかし、やがて学校や社会に出て、他者に触れ、他者と交わるようになる。その中では自身のアイデンティティや自尊心といったものが傷つくこともあり、自身を防衛するために、「敵」とみなしたものを排除しようとすることもある。

悪口、批判、無視、そして暴力など、手段は様々だ。

そうやって人は傷つけ、傷つけられ、傷つけあう。そんな思いをするのなら最初から他者とは交わらない方が賢明ではないだろうか。

なんて問いかけをすると、おそらく多くの人が「それは違う」と答えるだろう。人と交われば傷つくことも多い。しかし、そこを乗り越えてこそ人は成長しあい、信頼し合えるのだ、と。争いはむしろ、成長のために必要な通過儀礼なのだ。

一方で、これが国レベル、民族レベルの話になると途端に、人々は争っていてはだめだ、争いはおろかだという。

矛盾していないか。

もちろん、国と国同士の争いは多くの死者を生む。個人レベルの話と単純に比較することはできない。

だが、個人レベルの争いは、命までは取らないい代わりに心が死んでいくのだと思う。人を信じられなくなったり、他人に心が開けなくなったり、自信を失ったり。そうして、自らの人生に自ら影を落としていく。人によっては、自ら命を絶つこともあるだろう。

そんな目にあうなら、最初から人と出会わなければいい。そういって殻にこもることをなぜか社会は許さない。外に出て学校へ行け、働け、そして人とふれあって、傷ついて来いと言う。

不思議なことに、傷つかない方法を教えてくれたり一緒に考えてくれるのは一部の専門家だけで、多くの人は他者に触れ、傷つけあうのは当たり前ののことだ、仕方ないことだ、避けられないことだ、さあどんどん傷ついて来いと言う。

そう思って街を見渡すと、漫画も映画も小説も歌も、「ケンカも失恋も、青春の1ページだ! どんどん傷つけ!」みたいなことを言って、若いうちはどんどん傷ついて来いと、むしろ争いを煽っている。

それでいて「乗り越え方は自分で見つけなさい! 大丈夫、君ならできる!」というのだから無責任なことだ。これを国レベルで考えると、「戦争も差別の歴史の1ページだ!どんどん争え! だけど、 乗り越え方は自分で見つけなさい! 大丈夫、この国ならできる!」といった感じだろうか。そんな無責任な煽り方があるだろうか。

個人レベルで見ると、「争いは成長するための通過儀礼だ」という声が多い。だが、国レベルで同じことが言えるだろうか。確かに、歴史を対極的に見れば戦争はもしかしたら通過儀礼だったのかもしれないが、だからといって戦没者や戦争経験者、いま戦火の真っただ中にいるものに「あなたたちは歴史の通過儀礼なのだから我慢しなさい」なんて言えるわけがない。

ジョン・キム氏は著書『時間に支配されない人生』の中で、「何かを選択した時点では正解不正解などなく、その後の行動でその時の選択を正解だったと言えるようにするのだ」と書いている。

だとすると、争いそのものも、争っている時点で正解不正解などない。「人と触れ合い、傷つけあい、乗り越えることで人は成長する」というのは、たまたま乗り越えられたやつが語る結果論であり、この国は乗り越えることができず命を落とした人が年間で3万人もいるというのが現状だ。

人と人が交われば争いあい、傷つけあうこともある。この時点では「それを乗り越えれば成長できる」かどうかなんて誰にもわからないはずなのである。

ピースボートの船の中でフリーランサーの安藤美冬さんにお会いした時、人生には春夏秋冬があるということを話してくれたことがある。人にはそれぞれ春の時期もあれば冬の時期もある。そして、その冬がいつやってくるかは人によって違う。子供のころの人もいれば学生時代の人も、社会に出てからの人も、結婚や親になった後の人もいる。冬が長引いてしまうひともいる。

そんな冬の時期に無理して人と交わり、傷つけば、たぶん乗り越えられない。だから、他者との接触を避け、殻にこもる。春になるのをじっと待っているカエルのようなものだ。

だが、社会はどういうわけかそれを許さない。「温かく見守る」なんて選択肢は存在せず、周りはみんな頑張っているのだから、こっち来て一緒に働けと言う。

じゃあ、「外で頑張っている人たち」がみな強い人たちなのかというとそうではなく、彼らの心もまたぼろぼろだ。「外は怖くないよ。こんなに楽しい所だよ。さあ、出ておいで」と言いたいのではない。「お前も俺たちと一緒に地獄でぼろぼろになるんだよ!」というわけだ。まるでカンダタのぬけがけを許さない罪人たちのようである。

「争いはおろかだ」、これはコモンビートが90分のミュージカルをかけて訴えていることである。90分の公演を見れば、いかに争いがおろかなことなのかが身にしみてわかる。

一方で争いは通過儀礼であり、それを乗り越えることで人も国も成長していく。これまた残酷なこの世の真理なのだろう。

大切なのは、だからといって争いを美化していい、というわけではないということだ。

争いは通過儀礼であり、それを乗り越えることで成長していく。

それでも、争いはおろかなことなのだ。美しいのは、それを乗り越えた後の時代の話であり、争いそのものはどこまでいってもおろかなのだ。

そう考えると乗り越えられるかどうかもわからない争いや差別を助長するなど決して許されることではない。

それはまた個人レベルでも同じであって、乗り越えられるかどうかもわからない人生の壁とやらにぶつかってこいというのもまた許されないことなのではないだろうか。

それでも人は悲しいことを避けて成長することなんてできない。なんて残酷な真理であろうか。

問題なのは、そんな悲しみを乗り越える気などさらさらない奴らが、寄り添う気などさらさらない奴らが、争いによる痛みを引き受ける気などさらさらない奴らが、人を戦場へと駆り立てることなのだと思う。

戦場というのは本当の銃弾が飛び交う戦場のことでもあるし、空襲警報が鳴り響く街のことでもある。

一方で、戦場とは平和な国のごく普通の学校の教室のことでもあるし、都心のオフィスのことでもある。もしかしたら、ネットの世界ですら戦場になりうるかもしれない。

「争いは仕方ないことだ。争いを乗り越えて、人は成長するんだ。さあ、どんどん争って、傷ついて来い! 大丈夫。君なら乗り越えられるさ。根拠はないけど」

「そして、僕は君のそばにいるわけでも、君の痛みに寄り添うわけでもないけど。さあ、争って来い! 戦って来い! 傷ついて来い! 結果だけ教えてくれ」

これを読んでいる人の中で、「人は傷ついて初めて成長するんだ」と誰かに言ったことがあったら、また、誰かにこれから言おうとすることがあったら、

どうか責任を持って、その人が傷つき、乗り越えていく姿を最後まで見届けてほしい。可能なら、そばにいてあげてくれ。一緒に傷ついてくれ。

争いというのはいつだって愚かであり、一人でぶつかって勝手に乗り越えていいけるほど甘いものではない。

僕の遠野物語

大学時代の仲間と2泊3日で岩手県遠野市に行ってきた。旅の詳細はプライベートなことなので省くが、今回、「遠野は水害の多い土地だったのではないか?」という疑問の解消も旅の目的の一つだった。実際に遠野の町を回ってみると、水害だけでない様々なことが見えてきた。それは、遠野の人々の「ここで生きていこう」という、強い意志である。


遠野と河童と水害

以前、柳田國男の「遠野物語」について記事を書いた。

河童・天狗・狐…… 「遠野物語」から見えてくるもの

遠野には河童にまつわる話がいくつか伝わっている。カッパ・ザシキワラシ・オシラサマの3つが「遠野三大話」と呼ばれる遠野を代表する民話だ。

馬を水辺に置いておいたら、河童が引きずり込もうとした、という話が多く、どことなく「水の事故」を連想させる。

河童の話だけでなく、「水害がひどいので神様に祈ったら家の前にあった川が、朝になったらコースが変わってた」という民話もある。

だいたいは祈りをささげるときに「もし願いを聞き届けてくれたら、うちの娘をささげます」などと軽はずみに言ってしまい、「本当に願いがかなってしまった。どうしよう」と途方に暮れる話である。

このほかにも「水の事故」や「水害」をイメージさせる話は多く収録されている。

遠野はもしかしたら、水害の多い土地だったのではないか。今回の旅では、その仮説を確かめてみようと思った。

遠野の地名と水

遠野には旅の1日目の夜に入り、3日目の午後にSLに乗って遠野を離れた。今回の話は、いきなり3日目の話から入る。

3日目の午前中に、僕たちは市立博物館を訪れた。

外壁の写真でごめんね

ここで遠野の歴史について展示していた。まあ、どこの町の「市立博物館」も町の歴史についての展示をするのは当たり前だろう。

個々の展示によると、「トオ」という地名はアイヌ語で「湖」を意味していて、その昔、遠野は巨大な湖だったというのだ(諸説あり)。

「このように、遠野には『水』に関わる地名がたくさんあります」と書かれていたので、「あぶない地名 ―災害地名ハンドブック―」を片手に町の地名を見て回ったところ、確かに、水にまつわる地名が多い。

まず、博物館のすぐわきにある鍋倉城跡(まあ、規模的には博物館の方が城跡のわきにあるんだけど)。

鍋倉城跡の神社の石段から。遠野の町がよく見える。

この「ナベクラ」というのが、そもそも、水に関わる地名だ。

『ナベ』は川を意味し、『クラ』は「えぐる」を意味する。

遠野の城下町は早瀬川によって削られて生まれた地形ではないのだろうか。「ハヤセ」という川の名前も、流れが早そうなイメージだ。

ここから話は2日目に戻る。

2日目、僕たちは遠野の名所である「カッパ淵」を観光した。

この当たりの地名は「土淵」。

『ツチ』は「泥」を意味する。『フチ』がそのままの意味であるなら、かなり水が豊富だったのではないかと思われる。

実際、近くを猿ヶ石川が流れ、田んぼの用水路には勢いよく水が流れていた。

本当はカッパ淵の写真を載せたかったのだが、トリミング不可なところに友人が映りこんでしまったため断念。残念!

遠野と金毘羅大権現

このカッパ淵の近くで、こんな野仏を見つけた。

文政9年のもの。足元には庚申塚や、馬頭観音も埋まっている。

僕の地元、埼玉ではあまり見かけない野仏だ。

調べてみると、金毘羅大権現は水の神様で、主に海上交通の安全を祈って祀られるらしい。

当然だが、遠野に海はない。

だが、遠野ではこの「金毘羅大権現」を多く見かけた。遠野における水神信仰の一つの表れかもしれない。

ただ、実はこの金毘羅大権現は天狗の眷属であるとも言われ、天狗信仰の表れとも言われている、というか、遠野ではこっちの説の方が有力だ。「遠野物語」では里と天狗の交流の話も多く残っている。

遠野と災害

気を取り直して、遠野が水害が多かったのはどうやら事実のようだ。博物館の展示でも水害に言及していたし、遠野の社会科副読本WEB版「ふるさと遠野」でも「風水害が多い」と書かれている。

ただ、遠野市立博物館によると、春は水害が多いが、夏は例外で作物が育たず、秋は飢饉が多かったと書かれていた。踏んだり蹴ったりな土地である。

例えば、遠野の西部には五百羅漢がある。

岩に羅漢の絵が刻みつけられている

この五百羅漢は、江戸時代にたび重なった大飢饉の犠牲者を供養するために作られた。

先ほどの金毘羅大権現ももしかしたら、何かの災害の折に建てられたおかもしれない。少なくとも、巨大な意思に文字を刻み、それを縦に起こして地面に置くなど、かなりの労力を有することで、何か天狗に祈りたい理由があったと考えるのが自然だろう。

水害に冷害、飢饉と様々な災害に見舞われてきた遠野だが、「こんなところ嫌じゃ! 引っ越す!」とは簡単にいかない。かつて湖だったと言われる遠野は四方を山に囲まれ、「遠野物語」曰く狼や熊、天狗が現れる人外魔境。そんなに簡単に越えられるような山ではない。

確かに遠野は災害も多いが、平地が広がり、水も豊富。山の中よりもよほど暮らしやすい。

ここに住むしかないのだ。ここで生きていくのだ。

そうして何百年も人が辛抱強く住み続けた結果がこの風景である。

見渡す限りの田んぼである。城下は栄え、市が立てば千人もの人が集まったと言われている。そしてその城下を取り巻く広大な水田。遠野の人たちは災害に負けることなく辛抱強く、この地で生き続けたのだ。その記憶がカッパであり、金毘羅様であり、五百羅漢なのだ。

ムラとは、「ここで生きていこう」という強い意志の表れである。歴史に思いをはせるということは、すなわち、先人の意志に思いを重ねるということなんだと僕は思う。


参考文献

小川豊「あぶない地名 ―災害地名ハンドブック―」2012年 三一書房

河童・天狗・狐…… 「遠野物語」から見えてくるもの

このたび遠野に行くことになり、それに先立ち、柳田國男の「遠野物語」を読んでみた。これまで柳田は難しいからと敬遠していたが、いざ読んでみるとなかなかに面白い。河童で有名な遠野だが、「遠野物語」には河童のほかにもさまざまな民話が書かれていて、その背景にまで思いを巡らせるとさらに面白い。

「遠野物語」とクトゥルフ神話

遠野物語は1910年に出版された。日本民俗学の父・柳田國男が遠野の民俗学者・佐々木喜善から聞いた遠野の民話をまとめたものである。いわゆる昔話というのは意外と少なく、明治になってからの話や、3~4年前の話と前置きされているものも多い。昔話というよりは、学校の怪談のような噂話に近い。

中には、山のカミサマを馬鹿にした男が、四肢をもがれて死んでいた、なんておぞましい話もある。まるで、白昼のバクダッドで見えない怪物に八つ裂きにされて死んだ、アブドゥル・アルハザードだ。

このアルハザードとは、アメリカのホラー小説群「クトゥルフ神話」に出てくる架空の魔術師であるが、このクトゥルフ神話が誕生した時代が1920年代ごろなので、奇遇にも遠野物語と海を隔ててほぼ同時期に生まれたということになる。

ホラー小説家のラヴクラフトが新しい形の恐怖として、神が人間を無慈悲に踏みにじるクトゥルフ神話を創作したころ、日本では古くからある恐怖として同じタイプの話が伝わっていることが明らかになった。ラヴクラフトが想像した「新しい恐怖」とは、西洋では新しいものであったのかもしれないが、東洋では古くから身近なものだったのかもしれない。

柳田國男と、遠野物語と、山人

柳田國男は「山人」の研究に熱心だった。古くから村には住まず、山などで生活する漂泊の民を「サンカ」と呼んでいたが、それとは別に、柳田國男はいわゆる「日本人」とは別の民族が山の中で暮らしていると考えていたようだ。

今日では柳田の数ある功績の中でもこの山人についての研究だけは、「さすがに山人は迷信だろう」というのが一般的な見解だ。しかし、「遠野物語」では里のものとは顔つきが違う山男と遭遇した、はたまた、天狗と遭遇した、なんて話をよく見る。中には山の中で2m近い大男にあった、なんて話もある。

こういう話をいくつも見ると、「山人がいる!」とまではさすがに思わないが、柳田が「山の中には『日本人』とは違う山人がいるんだ」と胸をときめかせたのも不思議ではないな、と思う。

遠野物語の神隠し

遠野物語委は神隠しの話もいくつか収録されている。面白いのが、どれもふとした日常の中でふと若い娘が消えてしまうという話だ。そのまま見つからない話もあれば、山の中で山男の妻となっているのを見つけた、という話もある。

山男の妻の話がホントかどうかはわからないが、急に人が姿を消す、というのはよくある話だったのかもしれない。

昔の遠野は今よりさらに自然が豊かな場所だった。それだけ、足を滑らせて転落したり、獣に襲われたりと、危険も多かったということではないだろうか。

遠野物語と動物

遠野物語には動物にまつわる話も多く収録されている。狐に化かされたという話だったり、狼に襲われたという話だったり。熊の話なんかも多い。

天狗や神隠しに比べるとインパクトは小さいが、遠野の人々がどういう動物と共に暮らしていたかがよくわかる、貴重な史料だ。

遠野物語と河童

遠野と言ったら河童で有名だ。カッパ淵は遠野観光では欠かせない観光スポットだ。

「遠野物語」には河童が馬を川に引き込もうとしたという、水難事故を彷彿とさせる話が収録されている。このほかにも、河童は出てこないものの、水難事故や水害の類を彷彿とさせる話は多い。

遠野の町を地図で見てみると、猿ヶ石川が細かく分岐しているのがわかる。水害の多い土地だったのかもしれない。


民話のように、古から文字に頼らずに伝えられてきたものの背景にはその土地の歴史が隠されている。それを読み解くのが民俗学の役割である。現地に足を運べば、さらに多くのことがわかる。民俗学とは、五感をつかって歴史を紐解く学問なのだ。

『サクラクエスト』の描く町おこしの本質 彼女たちが間野山に留まる理由

架空の町・間野山の町おこしをテーマとしたアニメ『サクラクエスト』が2クール目に突入する。2クール目に突入する前に思うのが、サクラクエストは、本当に間野山の町おこしを描いたアニメなのか? ということだ。確かに、町おこしが物語の軸ではあるが、物語の本質は、そのわきで描かれる人間ドラマである。果たして、サクラクエストは本当に町おこしのアニメなのか?


『サクラクエスト』1クール目のあらすじ

知っている人は読み飛ばしてかまいません(笑)。

東京の短大生、木春由乃は就活で30社受けるもいまだ受からないという状況で、手違いから縁もゆかりもない富山県の間野山という町の観光大使「チュパカブラ王国国王」になってしまう(任期は1年)。

当初は東京に帰りたがっていたが、仲間にも恵まれ、次第に町おこしにやりがいを感じるようになった由乃。

特産品のアピール、映画撮影の誘致、B級グルメの開発、お見合いツアーと様々な企画を打ち、就任から半年の集大成として、チュパカブラ王国20周年の建国祭を行うことになった。

地元テレビ局の協力で人気ロックバンドを呼ぶことができ、イベント自体は大成功に終わったが、その際に配った商店会のクーポン券はほとんど使われることなく、結局、街は何も変わらなかった。

ただ、人を呼べばいいというわけでゃないのはわかっていたはずなのに……。無力感に襲われた由乃は、大荷物を抱えてバスへと乗り込む。由乃は東京に帰ってしまうのか……。

町おこしに必要なのは「魅力」ではなく「魔力」

さて、4月に書いた「アニメ「サクラクエスト」から見る、今、町おこしが必要なあの町」では、「東京には魅力はあるけど魔力がない」ということを書いた。東京には人をたくさん呼び寄せる「魅力」はいっぱいあるけれど、呼び寄せた人をそこに留まらせる「魔力」はない、という話だ。例えるなら、「おいしいし行列もできてるんだけど、一度行ったらもういいかな~、って感じのお店」。

この「魔力がない」という問題は東京だけでなく地方にも言えることだ。しかも、地方の場合は魅力も魔力もないという二重苦である。

さて、1クール目で由乃たちが行ってきた企画は、特産品である彫刻をアピールしたり、「空家が自由に使える」という条件で映画のロケを誘致したり、そうめんを使ったB級グルメを開発したり、お見合いツアーを企画したり、クイズ大会を開いたり。

これらは、いずれも間野山の「魅力」をアピールする企画だった。

ただ、酷なことを言ってしまえば、どれも別に「間野山でなくてもいい」ものでもある。

確かに、彫刻が国の伝統工芸に指定されていたり、空家がしこたま多かったり、そうめんが古くから親しまれてきたり、それらは「間野山ならでは」ではあるのだが、「別に間野山でなくても、他にもあるよね」という話である。

そして、いずれも「魔力」にはなりえない。

彫刻があるから、そうめんがおいしいから、そんな理由で間野山に移住する人はかなり少ないだろう。「映画のロケ地」という要素もそうだ。一時、人を呼ぶことはできるかもしれないが、「そこに留まらせる」ほどの力があるとは思えない。現に、お見合いツアーに参加した女性3人は全員、結局、間野山には嫁がなかった。由乃たちは一生懸命間野山の「魅力」を伝えるツアーを企画したが、そこに留まらせる「魔力」は伝えられなかったのだ。

サクラクエストは町おこしのアニメなのか?

果たして、伝えるべき間野山の魔力とはいったい何なのか。

そして、2クール目を前にしてふと思う。

サクラクエストって、本当に「町おこし」のアニメなのだろうか。

なぜなら、1クール目を見ていて思うのが、サクラクエストの面白い所は町おこしの企画の成否ではなく、その裏で由乃たちがいろいろなことに気づき、成長していく過程の方だからだ。

描写のウエイトは由乃たちの成長譚に置かれており、町おこしはそのきっかけという位置づけにすぎないのだ。

彫刻をアピールするエピソードでは、駅を100年かけて彫刻で彩るという、壮大すぎてすぐには結果が出ない企画を打ち出した。そして、このエピソードの肝は実はそこではなく、東京から逃げてきた早苗が自分の仕事と向き合えるかどうかだった。

映画のロケを誘致するエピソードでも、映画自体はB級ゾンビものという、誰が見てもこけそうな内容だった。話の肝はそこではなく、女優の夢が敗れて間野山に帰ってきた真希が再び自分の夢に向き合うという点と、映画の中で燃やされてしまう家に対する観光協会のしおりの想い、それをくみ取ろうとする由乃だった。

B級グルメのエピソードでも本筋はその裏で描かれた、しおりの姉の恋愛模様だった。

お見合いツアーもツアー自体は誰も嫁がないという結果に終わったが、話の本筋はひきこもりの凛々子の「みんなとなじめない」という想いと、それに向き合った由乃であった。

こうやって見ていくと、サクラクエストにとって町おこしとは、あくまでも物語のきっかけに過ぎないという風に見える。

だとしたらサクラクエストがわざわざ2クールもかけて伝えたいこととはいったい何なのだろうか。サクラクエストがキャラクターの成長に力を入れている物語だということは、キャラクターに答えがあるのかもしれない。

サクラクエストのキャラクターたち

サクラクエストのメインキャラクターは、国王である由乃、由乃を補佐する観光協会のしおり、詩織の幼馴染でひきこもりの凛々子、東京から移住してきた早苗、一度は東京で女優の夢を追いかける者の故郷である間野山に帰ってきた真希の5人だ。

この5人は3つのグループに分けることができる。

まず、東京からの移住組、由乃と早苗だ。

二人とも、間野山に来た理由はちょっと弱い。早苗は「東京でなければ別にどこでもよかった」というのを指摘されているし、由乃に至っては単なる手違いだ。

だが、「東京を出てきた」理由はかなり切実だ。

由乃は東京で就活するも30社全滅。つまり、東京の社会に必要とされなかったのだ。

国王就任後も当初は東京に帰りたがっていたが、東京に帰ったところで、東京は由乃を必要としていないというのが現実だ。

一方、早苗は東京生まれの東京育ち。東京のIT企業に勤めていたが、『自分の仕事には代わりがいる』という現実を知ってしまい、逃げるように間野山へやってくる。

つまり、二人とも「自分が東京にいなければいけない理由」を失ってしまったのだ。

次に間野山在住組のしおりと凛々子。

間野山が好きで観光協会で働いているしおりに比べ、ひきこもりでニートの凛々子。

凜々子は昔から周囲になじむことができなかった。人前に出るのが苦手で、高校卒業後はひきこもり気味に。間野山にずっと住んではいるが、間野山に彼女の居場所はないのだ。

最後は間野山出身で上京するも、再び故郷に帰ってきた真希。

女優の夢を追って上京した真希。東京には「女優の夢を叶えられる」という魅力があったわけだ。

しかし、現実は厳しく、真希は女優の夢を諦めて故郷の間野山へと帰ってくる。女優という夢に彼女の居場所はなく、その瞬間に東京にも魅力がなくなってしまったのだ。

つまり、彼女たちは「自分はここにいなくてもいい」という想いを抱えていたのだ。

そんな彼女たちだったが、町おこしの中で徐々に思いが変わっていく。

最初は東京に帰りたがっていた由乃だったが、「この4人と働けるなら」と国王の仕事を引き受ける。

早苗は由乃たちに出会うまで、2週間だれとも話さず、東京へ帰ろうと思っていたところに由乃たちが現れる。間野山で由乃たちとともに頑張る中で、『自分にしか出せない結果』を求めるようになる。

真希は一度諦めかけた夢のかけらを間野山で見つける。由乃たちとともに映画撮影の手伝いをする中で、「どうしようもなくお芝居の世界が好きだ」ということを思いだす。

凛々子は「普通」でいられる由乃に自分が持っていないものを見出し、一方、由乃は強い個性を持っている凜々子に尊敬の念を表す。のちに凛々子は由乃のことを「私をちゃんと見てくれているから、好き」と評している。

そう、彼女たちが間野山に留まる理由。彼女たちを間野山にとどめた魔力。それは「仲間がいるから」に他ならない。

町おこしの本質 居場所という魔力 間野山に留まる理由

サクラクエストは町おこしのアニメなのか。その答えはイエスだ。

ただし、「町おこしに必要なもの」を町おこしの活動自体ではなく、そのわきで繰り広げられる人間ドラマで描いている。なかなか高度なことをしている。

町おこしに必要なもの。町に人をとどめる魔力。それは簡単に言えば「居場所」である。

仲間がいるから、ここにいる。ここにいていいんだ。ここで頑張っていこう。

それこそが町おこしの本質なのではないだろうか。特産品や名物はよその町にも似たようなものがあるが、仲間、友達、そういったものはどこにでもあるものではない。一度そこに居場所ができれば、替えなんてきかない。どんなにその町自体には魅力がなくても、仲間がいれば、居場所があれば、「ここで頑張ろう」、そう思えるものだ。

東京には魅力がたくさんある。だが、この居場所の魔力が弱いため、無理して東京にいても疲れてしまうだけだ。「ここにいてもいいのかな」「ここじゃなくてもいいんじゃないか」そう思いながら居続けるのはつらいことだ。

一方で、その町がどんなに田舎でも、何の観光名所もなくても、「ここにいていいんだ」そう思った時、人はその町に魔力を感じ、そこに留まる。

しおりは酔っぱらいながら「弱っている人ウェルカ~ム! 間野山はそ~いう町なの!」と言っていた。この言葉が、間野山の持つ魔力の本質であろう。また、凛々子の尽力で間野山が元来よそ者の受け入れに積極的な町だったことが明らかとなる。由乃の周辺もよそのものである由乃に割と寛大だ。

ここにいたい。ここにいていいんだ。ここで頑張ろう。そう思わせる居場所を作ることが町おこしの本質なのではないだろうか。

そう考えると、しおりの存在というのは大きい。その町の出身で郷土愛が強い一方、由乃のようなよそ者にも寛大なしおりは、よそ者と町を結びつける役割を果たしている。さらに、その町の出身であるにもかかわらず町に居場所がなかった凛々子と居場所をつなぐ役割も果たしている。人となじめない凛々子にとって、ほんわかしたしおりは居場所への入り口でもあるのだ。


サクラクエストは7月から2クール目に入る。残り3か月、どのように話が展開していくのかはわからないが、この「居場所」という観点から見ていくのも面白いんじゃないかと思う。

少なくとも、5人の若者が「ここで頑張ろう」「ここにいたい」「ここにいていいんだ」と思えるのであれば、彼女たちの町おこしはすでに成功しているのかもしれない。