僕の遠野物語

大学時代の仲間と2泊3日で岩手県遠野市に行ってきた。旅の詳細はプライベートなことなので省くが、今回、「遠野は水害の多い土地だったのではないか?」という疑問の解消も旅の目的の一つだった。実際に遠野の町を回ってみると、水害だけでない様々なことが見えてきた。それは、遠野の人々の「ここで生きていこう」という、強い意志である。


遠野と河童と水害

以前、柳田國男の「遠野物語」について記事を書いた。

河童・天狗・狐…… 「遠野物語」から見えてくるもの

遠野には河童にまつわる話がいくつか伝わっている。カッパ・ザシキワラシ・オシラサマの3つが「遠野三大話」と呼ばれる遠野を代表する民話だ。

馬を水辺に置いておいたら、河童が引きずり込もうとした、という話が多く、どことなく「水の事故」を連想させる。

河童の話だけでなく、「水害がひどいので神様に祈ったら家の前にあった川が、朝になったらコースが変わってた」という民話もある。

だいたいは祈りをささげるときに「もし願いを聞き届けてくれたら、うちの娘をささげます」などと軽はずみに言ってしまい、「本当に願いがかなってしまった。どうしよう」と途方に暮れる話である。

このほかにも「水の事故」や「水害」をイメージさせる話は多く収録されている。

遠野はもしかしたら、水害の多い土地だったのではないか。今回の旅では、その仮説を確かめてみようと思った。

遠野の地名と水

遠野には旅の1日目の夜に入り、3日目の午後にSLに乗って遠野を離れた。今回の話は、いきなり3日目の話から入る。

3日目の午前中に、僕たちは市立博物館を訪れた。

外壁の写真でごめんね

ここで遠野の歴史について展示していた。まあ、どこの町の「市立博物館」も町の歴史についての展示をするのは当たり前だろう。

個々の展示によると、「トオ」という地名はアイヌ語で「湖」を意味していて、その昔、遠野は巨大な湖だったというのだ(諸説あり)。

「このように、遠野には『水』に関わる地名がたくさんあります」と書かれていたので、「あぶない地名 ―災害地名ハンドブック―」を片手に町の地名を見て回ったところ、確かに、水にまつわる地名が多い。

まず、博物館のすぐわきにある鍋倉城跡(まあ、規模的には博物館の方が城跡のわきにあるんだけど)。

鍋倉城跡の神社の石段から。遠野の町がよく見える。

この「ナベクラ」というのが、そもそも、水に関わる地名だ。

『ナベ』は川を意味し、『クラ』は「えぐる」を意味する。

遠野の城下町は早瀬川によって削られて生まれた地形ではないのだろうか。「ハヤセ」という川の名前も、流れが早そうなイメージだ。

ここから話は2日目に戻る。

2日目、僕たちは遠野の名所である「カッパ淵」を観光した。

この当たりの地名は「土淵」。

『ツチ』は「泥」を意味する。『フチ』がそのままの意味であるなら、かなり水が豊富だったのではないかと思われる。

実際、近くを猿ヶ石川が流れ、田んぼの用水路には勢いよく水が流れていた。

本当はカッパ淵の写真を載せたかったのだが、トリミング不可なところに友人が映りこんでしまったため断念。残念!

遠野と金毘羅大権現

このカッパ淵の近くで、こんな野仏を見つけた。

文政9年のもの。足元には庚申塚や、馬頭観音も埋まっている。

僕の地元、埼玉ではあまり見かけない野仏だ。

調べてみると、金毘羅大権現は水の神様で、主に海上交通の安全を祈って祀られるらしい。

当然だが、遠野に海はない。

だが、遠野ではこの「金毘羅大権現」を多く見かけた。遠野における水神信仰の一つの表れかもしれない。

ただ、実はこの金毘羅大権現は天狗の眷属であるとも言われ、天狗信仰の表れとも言われている、というか、遠野ではこっちの説の方が有力だ。「遠野物語」では里と天狗の交流の話も多く残っている。

遠野と災害

気を取り直して、遠野が水害が多かったのはどうやら事実のようだ。博物館の展示でも水害に言及していたし、遠野の社会科副読本WEB版「ふるさと遠野」でも「風水害が多い」と書かれている。

ただ、遠野市立博物館によると、春は水害が多いが、夏は例外で作物が育たず、秋は飢饉が多かったと書かれていた。踏んだり蹴ったりな土地である。

例えば、遠野の西部には五百羅漢がある。

岩に羅漢の絵が刻みつけられている

この五百羅漢は、江戸時代にたび重なった大飢饉の犠牲者を供養するために作られた。

先ほどの金毘羅大権現ももしかしたら、何かの災害の折に建てられたおかもしれない。少なくとも、巨大な意思に文字を刻み、それを縦に起こして地面に置くなど、かなりの労力を有することで、何か天狗に祈りたい理由があったと考えるのが自然だろう。

水害に冷害、飢饉と様々な災害に見舞われてきた遠野だが、「こんなところ嫌じゃ! 引っ越す!」とは簡単にいかない。かつて湖だったと言われる遠野は四方を山に囲まれ、「遠野物語」曰く狼や熊、天狗が現れる人外魔境。そんなに簡単に越えられるような山ではない。

確かに遠野は災害も多いが、平地が広がり、水も豊富。山の中よりもよほど暮らしやすい。

ここに住むしかないのだ。ここで生きていくのだ。

そうして何百年も人が辛抱強く住み続けた結果がこの風景である。

見渡す限りの田んぼである。城下は栄え、市が立てば千人もの人が集まったと言われている。そしてその城下を取り巻く広大な水田。遠野の人たちは災害に負けることなく辛抱強く、この地で生き続けたのだ。その記憶がカッパであり、金毘羅様であり、五百羅漢なのだ。

ムラとは、「ここで生きていこう」という強い意志の表れである。歴史に思いをはせるということは、すなわち、先人の意志に思いを重ねるということなんだと僕は思う。


参考文献

小川豊「あぶない地名 ―災害地名ハンドブック―」2012年 三一書房

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。