旅祭2017 ~最果ての地、幕張~

幕張で行われた「旅祭2017」に参加してきた。旅祭には去年に続いて2年連続での参加となり、自分は去年からどう変わったのか、何も変わっていないのか、そして「旅」とはなんなのかを考えるいい機会となった。それでは、幕張で行われた旅祭2017を振り返ってみよう。


幕張到着

旅祭2017の会場は幕張海浜公園。今回、僕は初めて幕張を訪れた。

海浜幕張駅前は埋め立て地で、近未来的な街並みは、この日始まったばかりの「仮面ライダービルド」や、「宇宙戦隊キュウレンジャー」のロケ地にぴったりだ。

 

また、イオングループのおひざ元でもある。

 

さすが千葉だ。タワー・オブ・テラーまである(違います)。

 

会場はロッテの球場のすぐ隣だった。

 

だが、ここで不思議な事件が起きた。

みんな、スマホを片手に道に迷っているのだ。

なぜ、スマホを持ているのに、道に迷う?

僕なんか、これしか持ってないのに。

僕も若干迷ったが、方位磁石と、昨日見た記憶の中の地図を駆使して、大きな進路変更をすることなく、無事会場にたどり着いた。

「スマートフォンの機能を高めるより、本人の頭脳と勘を磨くべきだ」という僕の理論がまた一つ実証された。

旅祭2017 トークライブ 高橋歩×四角大輔

去年もオープニングアクトはこの二人だった。旅祭の発起人で、自由人であり作家の高橋歩さんと、ニュージーランドの湖畔で生活していて、僕がアニキと敬愛してやまない四角大輔さん。プライベートで親交の深い二人の旅人のトークからのスタートだ。

会場入りした僕は、マップを見ることなく、勘だけでトークライブのステージに直行した。

イルカの話とかハワイの話とかいろんな話が出る中、一番印象に残ったのが、「誰にでも、『理由は説明できないけど、とにかくこれがしたかった』という経験があるはず」、という話で、僕はその話を聞きながら大きくうなづいていた。

心当たりがあるからである。

ピースボート地球一周の船旅の魅力

船に乗ってから2年がたったが、いまだに船に乗った理由をうまく説明できない。たぶん、聴かれるたびに答えが変わっていると思う。

 

さて、トークライブが終わり、しばらく会場をうろちょろした後、いったん僕は会場を出て海浜幕張駅前に戻った。

仕事である、焼肉屋の取材をこなすためである。

旅祭2017 トークライブ 関野吉晴×高橋歩

取材を終えて会場に戻った僕は、高橋歩さんと関野吉晴さんのトークライブを見ることに。

関野吉晴さんは10年をかけて、南米から北米、アジアからヨーロッパ、そしてアフリカへと、人類の起源を逆にたどる「グレート・ジャーニー」を成し遂げた人物だ。

偉大なる探検家もまた、「目的や理由などなく、楽しいから旅をするのだ」と語った。グレート・ジャーニーは10年かかったが、本来ならおそらく5年ぐらいで旅を終えられたはずで、10年もかかったのは寄り道が大好きだったからだと語り、「寄り道をつないでたら一本の道になった」と言っていた。人類史上最大規模の寄り道である。

旅祭2017 MOROHA

続いてはMOROHAのライブ。1MC+1ACOSTIC GUITERという、本人たち曰く「少々毛色の違う」組み合わせだ。

今回、僕が一番楽しみにしていたのがMOROHAのライブである。旅祭2017の開催が発表され、今年は参加しようかどうしようかと出演者ラインナップを見ていた時、MOROHAの名前を発見して即効で参加を決めた。

MOROHAの持ち味は、儚いギターのアルペジオや激しいカッティングなど、既存のヒップホップのトラックとは全然違うサウンドに乗せてキックされる、まるで刃のように心に突き刺さるリリックである。

歌詞のほとんどはMC AFROの実体験に基づいており、曲の構成もまるで一つの物語のようだ。

MC AFROのあごひげから汗が滴るたびに、彼もまた身を削り、彼の人生をラップに変えて紡ぎ出していった。

と言葉で語っても伝わらないので(一応、音楽記事を書くライターです、ボク)、ぜひとも一度曲を聴いてほしい。彼らのライブを生で見れて本当に良かった。

MOROHAの歌の中で一番好きなのがこの”tommorow”である。曲中に「旅祭はいろんなトークライブがあって面白い」とふりを入れた後に、「『人生は旅だ』 そんなのはうそだ! 俺はどこにも行けないじゃないか」と歌いはじめる。

この歌の中にある「本当は一本道の迷路をさんざん迷って人は歩くよ」というフレーズは、関野さんの言葉に通じるものがある。

旅祭2017 Aqua Timez

Aqua Timezを見るのは、10年ぶり二度目である。とはいえ、10年前はライブではなくラジオの公開生放送であった。高校の帰りにいつも見に行くラジオの公開生放送。何も知らずに行ったら、たまたまその日のゲストがAqua Timezだった。

あれから10年。またAqua timezにあえたことをうれしく思う。MOROHAの歌詞で「勝ち負けじゃないと思えるところまで俺は勝ちにこだわるよ 勝てなきゃみんなやめてくじゃないか みんな消えてくじゃないか」というのがあったが、Aqua Timezは10年、やめることなく続けてきたのだ。

大ヒット曲「虹」で始まり、「決意の朝」や「等身大のラブソング」といったヒット曲を披露した。

旅祭から離れてふと思う「旅ってなんだろう?」

とまあ、さもここまで旅祭を楽しんだかのように書いたが、僕には一つの違和感が付きまとっていた。

どうも、この場になじめない。

CREEPY NUTSの『どっち』という曲がある。「ドン・キホーテにも、ヴィレッジ・バンガードにも、俺たちの居場所はなかった」という出だしで始まる曲で、ドンキをヤンキーのたまり場、ヴィレバンをオシャレな人たちのたまり場とし、サビで「やっぱね やっぱね 俺はどこにもなじめないんだってね」と連呼する。

旅祭の雰囲気はまさにこの歌に出てくる「ヴィレバン」だった。やたらとエスニックで、やたらとカラフルで、やたらとダンサブル。

突然アフリカの太鼓をたたく集団が現れたり、おしゃれな小物を売るテントがあったり、やたらとノリのいい店員さんがいたり、なぜか青空カラオケがあったり。

なんだか、「リア充の確かめ合い」を見せられている気分だ。「私たち、やっぱり旅好きのリア充だったんだね~♡ よかったね~♡」という確かめ合い。

会場で何回かピースボートで一緒だった友人たちに会い、その都度話し込んだが、彼らがいなかったら、とっくに帰っていたような気がする。

トークライブも、上にあげた通り刺激的なものもある一方、内輪ウケだけで乗り切ろうとする居酒屋トークみたいなのもあり、そんなもやもやを抱えながら夕方の会場内をフラフラと歩いていると、海岸に出れる道があることに気付いた。

海までほんの100m。海岸といってもおしゃれなビーチではなく、埋め立てによってつくられた人口の海岸である。浅瀬に沈んだテトラポッドに波が太鼓のばちのように打ち寄せる。この穴場海岸を発見した何人かはそこで思い思いの時間を過ごしていた。

久々に海を、波を体感して、船に乗っていた時のことを思いだす。夜、ベッドに寝転ぶと、波のうねりを全身で体感できる。まるで、地球の鼓動を感じているかのようだった。

そんな地球の鼓動に久々に触れ、空を見上げると太陽が輝き、海面は煌く。ペットボトルを開けると波の音に共鳴したのか、ボトルの中から「ブオーン」という何とも不思議な音が出てきた。

ここだったら、何時間でもいれる。

ああ、これこそが旅なんじゃないだろうか。

みんなでワイワイ盛り上がりたかったのではない。観光名所が見たかったわけでもない。行った国の数を誇らしげに語りたかったわけでも、ましてや土産話を誰かに自慢気に聞かすためでもない。

こんな感動を求めて、僕らは旅に出るんじゃないだろうか。

どんな感動かというと、「思いがけない感動」というやつだ。

「全米が泣いた」と書かれた映画を見に行くとか、泣ける歌を聞くとか、泣ける小説を読むとか、そんなのは僕は感動のうちにカウントしていない。

僕がここで「感動」とみなしているのは、大して期待しないで入った食堂のごはんがすごいおいしかったとか、たまたまラジオから流れてきた曲がめちゃくちゃかっこよかったとか、そういうのだ。

もちろん、別に泣きはしない。「泣く」=「感動」ではない。

では、旅人が求める感動ってなんだろうって思うと、見知らぬ街の坂を上った風景がきれいだったとか、初めての土地で何気なく見上げた夕焼けがきれいだったとか、旅先でやさしい人に出会ったとか、そういうのだと思う。

その一瞬に心を奪われたくて、僕らは地の果てを目指す。

この「地の果て」ってのは、別にわざわざパスポートを用意して、飛行機を乗り継いでいくような場所じゃなくっていい。こういった感動が味わえるなら、家から日帰りで行ける千葉の幕張だって地の果てなのだ。

旅祭2017 トークライブ 伊勢谷友介×四角大輔

そういう意味では、四角大輔さんと伊勢谷友介さんのトークライブも、思いがけない感動だった。

もちろん、伊勢谷友介という俳優は知っている。彼が社会活動をやっていることもなんとくなく知ってはいたが、詳しくは知らなかった。

伊勢谷さんは「リバースプロジェクト」という株式会社を経営している。NPOではなく株式会社。社会に貢献し、なおかつそれで利益を上げて収入を得る。そうしないと、誰もまねしようとは思わないからだそうだ。

例えば、車の捨てられるエアバックを使って、かっこいい「エアバッグバッグ」を作ったり、捨てられる野菜をつかって社食の料理を作り、収益の一部を途上国に回したり、そんな事業をしている。

伊勢谷さんの話で一番心に残っているのは、「誰しも生まれ持った使命があり、それに気づくか気づかないか」というものだった。

これも、身に覚えがある。

僕はピースボートに乗る前はボランティアセンターおおみやというピースボートの支部でせっせと乗船に向けて活動していたのだが、このボラセンが、なんと僕が乗船中に閉鎖してしまった。

『ボラセンがなくなる』と聞いた日のことは鮮明に覚えている。土曜日で、岩槻にポスターを貼りに行く日の朝だった。

最初、「ボラセンがなくなる」と言われたときは、頭では情報として理解していても、感情が追い付いてこなかった。感情が追い付いてきたのはその日の昼。お昼んカレーを食べていたら、急に泣きたくなった。

その日一日考えて出した答え「大宮ボラセンのような場所を絶対になくしてはいけない」は、2年たった今でも変わることなく、僕が小説を書く原動力となっている。

大宮ボラセンのような場所を仮想現実で再現したくて、僕は筆を執るのだ。これは、僕の「やらなければならないこと」なのだ。

クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

旅祭とピースボート

旅祭にはピースボートもブースを出している。写真はマスコットキャラのシップリンだ。

この日は気温もそこまで上がらず、シップリンにとっては割と過ごしやすい一日だったのではないだろうか。去年は、とにかく暑かった。

ブースに近づくと見知った顔がいたから声をかけて見たりして、なじめない旅祭の中で結構助けられたブースでもある。

 

旅祭2017 ナオト・インティライミ

世界中を旅したことで知られるミュージシャンのナオト・インティライミ。旅祭に最もふさわしいミュージシャンの一人かもしれない。

そんなナオト・インティライミのライブだが歌はそんなに歌わず、むしろ旅の話ばっかりしていた。旅祭ならではである。

自身のヒット曲をメドレーにしたり、やけに短くアレンジしたりと、歌以外でも楽しませてくれる、まさにエンターティメントショーだった。

来年も旅祭に行きたいか

旅祭2017を振り返って、「来年も旅祭に行きたいか」と問われれば、答えはイエスである。

僕みたいな「旅ボッチ」は旅祭に群がる「旅パリピ」が苦手なだけであって、旅祭そのものは刺激に溢れた祭だ。

この「刺激」とは、単に「楽しい」とか「面白い」とかそういった刺激ではない。

今、自分がやっていること、すなわち、自分の旅路を振り返って、次の旅路へと歩みを進めるための刺激だ。

良い刺激、悪い刺激、選り好みすることなく様々な刺激が受けられる場所。それが、僕にとっての旅祭である。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。