旅ボッチと旅パリピ

「旅人」というとどんなイメージだろうか。高橋歩みたいな、誰に対してもフランクで、世界中のどんな人とも友達になれちゃう人? だが、旅人が全員そんな気さくなわけではない。人見知りだって旅をしていいはずだ。もっと孤独な旅があったっていいじゃないか。


旅ボッチと旅パリピ

先日、「旅祭2017」に参加してきた。

そこで感じたのが、「あれ、僕、この祭り、馴染めない」。

地球一周を経験し、「旅」というジャンルの中では否応なしに自分がもう初心者ではないのだと痛感することが多いのだが、それでも「旅」というジャンルを全面に出した祭になぜかなじめない。

なぜだろう。なんだかやたらフランクな参加者(客としてきた人も、作り手として参加した人も両方含む)を見て、僕はあることに気付いた。

世の中の旅人には、「旅ボッチ」「旅パリピ」がいる、ということに。

要は、「人づきあいが得意か苦手か」であり、僕はそれを「学校の教室の中心と周辺」と呼ぶこともある。

旅祭の参加者の大半は、みんなでワイワイするの大好き、人としゃべるの大好き、国際交流大好きという「旅パリピ」なんじゃないかと思った。これは、そのまま日本の旅人全体の比率に当てはまるかもしれない。

旅祭のステージに上がっていた「旅の達人」の中にも旅パリピはいた。

僕がアニキと尊敬する四角大輔さんなんかはもともと人と話すのが苦手だったというだけあって、大輔さんと伊勢谷友介さんの対談なんかは非常に落ち着いた、身のある者だった。また、グレート・ジャーニーを成し遂げた関野吉晴さんのトークもとても落ち着いていて、おもしろかった。

特に、大輔さんに関しては、ピースボート88回クルーズでとてもお世話になったのでよく知っている。決して旅ボッチではないが、旅パリピでもない。「孤独であること」の大切さをとても理解されている人だ。

だが、その一方で、いわゆる居酒屋トークに終始したトークをステージ上でしていた人たちも無きにしも非ずだった。

大輔さんよりも一回り二回り若い世代だろうか。内輪ネタをステージ上で繰り広げ、芸人の真似事みたいなしゃべり方をする。どうも僕にはピンとこなかった。彼らが旅パリピで、僕が旅ボッチだから、ということなのだろうか。

「旅先で友達が増える!」そんなのは嘘だ!

よく、ピースボートなんかもそうなのだが、旅人の話を聞くと、「世界を旅すると、世界じゅうに友達がいっぱいできます」と語る人を見る。ぼくの身近にもいた気がする。

はっきり言わしてもらうと、

そんなのは嘘だ!

それは、「旅パリピ」に限った話である。

日本で友達が作れない奴が、旅先で、言葉も文化も宗教も違う奴と友達になれるわけがない。

私がその証明だ(笑)。

「旅に出れば世界中に友達が増える」という甘言で旅ボッチを惑わすのは、金輪際やめていただきたい。

旅ボッチと旅パリピ、教室の中心と周辺

とはいえ、そもそも全員を旅ボッチ・旅パリピと分類できるわけではなく、グレーゾーンもたくさんいる。僕の実感では、「旅ボッチ」の域に達しているのは全体の15%ほどだろうか。「旅パリピ」が35%ぐらいだと思っているので、数にして3倍の開きがある。

半分くらいはグレーゾーンに分類される。そういう意味では旅パリピも少数派である。何も、そこまで目の仇にしなくてもいいじゃないか。

しかし、旅パリピというのは、テンションが高く、声がデカい。

その結果、常に注目を集め、いかにも旅パリピが多数派であるかのような錯覚を周囲に引き起こす。

だからさっき「教室の中心と周辺」という言葉を使った。僕はスクールカーストといった階級制よりも、中心と周辺という表現の方が実態に合っていると思う。

学校の教室にはいわゆる「イケてる人たち」と「イケてない人たち」がいる。「イケてる人たち」は常に教室の中心にいる。それは、物理的に中心にいるわけではなく、会話の中心、情報の中心、注目の中心という意味だ。そして、「イケてない人たち」いわゆる会話の輪のようなものの外側にはじかれてしまう。

例えば、同窓会とかでこんな経験をしたことはないだろうか。

A君「あの時、BとCが付き合ってたよね」

Dさん「そうそう、あったあった」

僕「なにそれ! 今、初めて聞いた……」

このように、教室の周辺部にいる人間にはあまりクラスの情報が入ってこない。情報も会話も、このA,B,C,Dのような「クラスの中心の人たち」で回されて、注目も「クラスの中心の人たち」に集まる。周辺の人たちに会話や情報が回ってくることもなければ、周辺の人たちが話題に上ることもない。

そして、この構造が、教室を飛び出して「旅」というフィールドでも同じことが起こっているのだ。

旅人同士の情報は声の大きい旅パリピ内で回ってしまい、注目も旅パリピが独占する。

結果、旅パリピの「旅とはこういうものだ!」「旅人とはこういう人たちだ!」という、一方的な視点だけが流布することになる。

その結果、旅パリピの価値観に基づいて、旅の本が作られたり、旅のイベントが作られたりする。

そうやって、気づけば「旅」に関する情報や空間がどんどん旅パリピ色に染められている。

その結果、旅ボッチは大好きな「旅」の世界の中でも、中心には行けず周辺にはじかれてしまう。

よく「旅はどこに行くかではない、誰と行くかだ」なんて言葉を聞く。これこそ、旅パリピの極みではないだろうか。

確かに、誰かと行く旅は楽しい。

だが、それが旅のすべてではない。

時には、一人の方が気楽で楽しい。そんな旅だってある。

誰かと一緒にいたって、目を奪われるような絶景を目にした時、隣に誰かがいるなんてことを忘れてしまう瞬間だってあるだろう。

だいたい、隣にいる人間が、必ずしも同じ景色を見て、同じことを感じているとは限らないのだ。

もっと、旅ボッチを、孤独な旅を、認めたっていいじゃないか。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。