立憲民主党のツイッター#選挙に行かなかった理由42人の意外な真実

立憲民主党がツイッターで「#選挙に行かなかった理由」というハッシュタグで意見を募集した。「選挙に無理していかなくてもいい」と主張してきた僕にとっても、この立憲民主党の試みは興味深い(支持するしないとは別に)。なぜ、選挙に行かないのか。このツイッターに寄せられた意見をできる限り(42人分)収集し、分析してみた。


ツイッターでお説教する奴ら

まず、最初に言いたいのが、このハッシュタグをつけて「選挙に行かなかった人たち」にお説教をする奴らがいた、という残念な事実である。

選挙に行かなかった人たちに対して「民主主義に対する理解が低い」、「発想を転換しないとだめだ」、「もっと勉強しろ」、「日本がどうなってもいいのか」、「選挙権を取り上げろ」といった意見を書く輩が数名見受けられた。

まず、彼らの読解力の無さに絶望している。「#選挙に行かなかった理由」であって、「#選挙に行かなければいけない理由」を募集していますとはどこにも書いていない。

せっかく立憲民主党が「選挙に行かなかった理由を教えてください」と言っているのに、そのハッシュタグで頭ごなしに説教を始めたら、彼らは委縮して二度と本音を話してくれなくなるかもしれない。

そんな簡単なことすら想像ができない人間が「日本の将来を考えろ」と偉そうに語っている姿は、実に滑稽である。想像力の乏しい人間が想像する「日本の将来」とやらがどの程度のものなのか、ぜひ何かのハッシュタグをつけて聞かせてほしいものだ。

確かに、彼らの言っていることは正しい。

でも、全然やさしくない。

「日本がどうなってもいいのか」というが、こういう「他人の絶望に対する理解が低い」人間がのさばり、さも自分が高尚な存在化のように振る舞い、「意識の高い暴力」を平気でふるう社会はすでにどうかなってしまっていると思う。

一つ言えるとすれば、「選挙に行かなかった理由」をやさしく受け止めようとしない人間がいくら民主主義や日本の将来について語ろうと、そんなものはちっぽけな自尊心を埋めるためのおもちゃにすぎない、ということだ。彼らはさも、自分が大局を見ているかのように語るが、結局、何も見えていない。

長々と語ってしまったが、それでは「#選挙に行かなかった理由」の分析に入ろう。

#選挙に行かなかった理由「投票しても結果は変わらない」

職場の人曰く、「どうせ自民党が勝つんだから選挙に行っても無駄」だそうです。

心理学の用語で「ハロー効果」というものがある。簡単に言えば、「人は周りに流されやすい」という傾向だ。

例えば、事前のニュースで「自民大勝」と出れば本当に自民党は大勝するし、「希望の党、伸び悩む」と出れば本当に希望の党は伸び悩み、「立憲民主党、大躍進」と出れば本当に立憲民主党は躍進する。

事実、そうだったでしょ?

「あなたの投票で事前の予想を覆そう」などというのは、かなり非科学的な発言である。

#選挙に行かなかった理由「どこに投票しても変わらない」

投票して世の仲良くなったか?公約ちゃんと守ってるのか?

いまの投票システムは国民の意志を伝えるものじゃなくて政治家を肥えさせるためのシステムだぞ

公約破ったって何の責任も取らない奴らに国民の意思が伝わるわけがない

 

ママ友さん達は、「誰に入れたらいいか全然分からないし、入れても何か変わる気がしない」という感じでした。

 

どうせよくならない。政治を身近に感じない。

 

職場の9割は非正規、生活苦しいのに変わらないとあきらめムード。

 

私の周りはどうせ変わらないというのが多かった。

 

地方在住に友人の意見です

自分の一票で変わるという実感がわかない

 

どこだって同じ

 

生活にどのようにフィードバックされるのかがわかりづらいんです

 

同じ「変わらない」でも、こちらは「選挙の結果がどうであれ、今の生活はよくならない」という意味、すなわち、政治不信である。

「そんなことないよ! 君の選択で未来を変えられるよ!」……とでも意識高い系の人は言うのだろうか。

だが、「信じていないものを信じてください」と言って信じる奴はいない。

例えば、テレビの占いコーナーで「今日、素敵な出会いがあるかも!」といったところで、占いを信じない人は信じない。「いかにこの占いは当たるか」と説き伏せても効果はない。

そんな人に占いを信じさせる方法はただ一つ、本当に占い通りに素敵な出会いが起きることだ。

一回占い通りの日があってもまだ弱いだろう。3日連続で占い通り、ぐらいじゃないとたぶん効果がない。

すなわち、政治不信の人に政治を信じてもらうには、一票が云々というお説教ではなく、「政治で生活がよくなった」という実感である。

ただ、二度の政権交代を経て「結局何も変わらない」という結論を出したのならば、これを覆すのもまた大変なことである。

#選挙に行かなかった理由「投票制度の問題」

住民票を移動できないため

 

公示日の時点で帰国後3ヶ月たっておらず、投票権がなかった

 

都内に住む親友は、選挙に行かないと言っていました。理由は住民票を実家(千葉)から移してないから面倒とのことでした。

 

制度上投票できないのならばしょうがない。ちなみに、住民票を移す手続きは、ひっこす2週間前と2週間後に2回。それをうっかり忘れたらもう移せない。期限がある意味が分からない。

#選挙に行かなかった理由「仕事の都合」

旦那の話ですけど、内航船とか外航船とかの人は無理ですよね。戦争でもなったら船乗りなんてすぐ巻き込まれるのに!

 

仕事で忙しかったです!♡

 

海外出張のため公示前に出国して、投票日までに帰国できない場合はどうしようもないですよね?

船に乗っていたら投票できない、というのは船で地球一周した経験のある僕にはとてもよくわかる話だ。

ネット投票を実施すれば、これらの問題もある程度解消できると思う。憲法改正よりもネット選挙の是非の方を議論するのが先だと思うのだが。

#選挙に行かなかった理由「体力的/距離的な問題」

私の母は今まで投票していましたが、今回は高齢(87)で体がきつくて歩いて投票所へ行けませんでした。

 

足腰の悪い80代の両親、電動車椅子で投票所へついても、体育館の中が自力で歩けない。選管に問い合わせたら「どうにもなりません」との回答。こんなことで選挙を諦めさせられているのはおかしいと思います。

 

金曜日に職場で大怪我をしました。日曜日はなんとしてでも投票所へ行こうと、上下のカッパと長靴を用意して雨脚が弱まるのを待っていましたが、終日大雨の中、慣れない松葉杖で出かけるのは危険と判断し、結果棄権となりました。

ネット投票ができたらと悔しかったです。

 

 

行きたかったのに行けませんでした。投票区から離れた病院に入院していると、選管の指定医院でない限り、不在者投票ができないそうです。総務省などにも確認しましたが、どうにもならないと言われ、郵送による投票も身障者手帳がないと不可能だそうです。

 

毎日のように寝込んで過ごし投票所にも行けない

 

投票所まで行くのが遠くて、交通手段もないし歩いて30分以上かかる。

……なぜネット投票の議論を国会でしない。憲法改正とかモリカケ問題とかよりも、明らかに優先度が高い気がする。これだけ実際に困っている人がいるのだから。

これらの意見をまとめてつぶさに思うのは、「本当は行きたかったんだけど、体力的な問題で行けなかった」ということである。「這ってでも行く」なんて口でいうのは簡単だが、実際はかなり大変なのだ。僕は、本当に這っていっている人を見たことがない。

以前、「選挙に行かないなら意志の示しようがないから、そんなやつの意見は聞く必要がない」と言われたことがあるが、その言葉がいかに視野の狭いものであるかが、これらの意見を見ると切に思う。

#選挙に行かなかった理由「選挙という制度が嫌い/無意味」

選挙自体が嫌い

自分の母がこれでした。

よくわからないから人に聞くとご近所トラブルになると言ってました。田舎なので…

 

日本の選挙は、安倍政権のような暴走政権が生まれやすく、その政権を国民が止めることが難しい制度になっている。

こんな制度の選挙では意味がない。

 

主人は現在の選挙制度に不満だから行かないのだそうです。

 

大別すれば『どこに投票しても変わらない』と同じ政治不信なのだろうが、こちらは「今の選挙のやり方では国民の意思を反映できない」という考え方だ。

こんな言葉がある。

「民主主義は最悪の方法だ。ただし、これまでの歴史の中のどの制度よりも優れた方法である」

つまり、「民主主義/選挙より優れた制度は今のところないけど、決して完璧じゃないってことを肝に銘じてね」という話だ。

選挙は最善ではあるが完璧な方法ではない。必ず、選挙では拾い切れない声が存在する。

例えば、自分の投じた一票が毎回結果に影響を及ぼさなかったとしたら、「今の選挙のシステムじゃ自分の意思は反映できないから、投票する意味がない」と考えるのも至極当然の発想ではないだろうか。

#選挙に行かなかった理由「興味がない/わからない」

都内で日本語を教えています。帰化して日本国籍を取得している人も複数いるので聞きましたが、「わからない」からでした。

 

今の私の周りの人たちが選挙に行かないのは、よくわからないから、ただただ無関心層、危機を知らない。

 

政策が多すぎるんですよ。イメージしやすい政策を掲げてほしかったです。(学生時代、選挙に行かなかった理由です)

 

勉強していないからどこがいいかわからない

 

選挙推進派が批判の槍玉にあげていたのは彼らのような人たちだろう。ここまで読んでいただければわかると思うが、「政治に無関心」という層は、どうやら選挙に行かない人たちの主流派ではないようだ。選挙推進派が「大局を見ているようで、実は何も見えていない」というのがあるていど証明できたのではないだろうか。

さて、彼らを選挙に向かわせるにはどうすればいいのだろうか。「政治に関心を持ってもらおう!」と考えたそこのあなた、ぜひ、次の項目も読んでほしい。

#選挙に行かなかった理由「軽い気持ちで行きたくない」

友達の話したことだけど、「ちゃんと勉強していないのに行けといわれて、軽い気持ちで投票したくない

 

政治の知識のないままに浅い知識で投票するのもどうかと…

 

初めての選挙の時に政治に関心がなく適当に書いたが、その党に入れたことをすぐに後悔したから。

 

政治そのものに関心があっても、正しい判断材料がなければ責任を持って投票できない。至極真っ当な意見だと思う。

各党のマニフェストを見比べるだけでひと手間である。昔、予備校の世界史の先生が「長い歴史の中で、勉強とは裕福な暇人がするものだ」と語っていた。裕福な暇人でなければマニフェストを読もうとも思わないのかもしれない。

かつて、民主党が政権を取った時にテレビのインタビューで「今まで自民党に入れていたけど、今回は民主党に入れた」とのんきに語るおじさんを見たことがある。「過去の投票に対して反省はないのか」と唖然としたのを覚えている。

同様のことは自民党が政権を奪還した時にもあった。「やっぱり、民主党じゃダメだ」。投票した責任というやつを感じないのか。

一票の重みを感じて投票に行かないのと、一票の重みを感じずに投票するのと、どちらが大罪なのだろうか。

#選挙に行かなかった理由「日本に興味がない」

日本に興味ないし

 

「まったく興味がないから」だそうです

 

「日本がどうなってもいいのか」と息巻いていた誰かさん、これが答えです。

たぶん、多くの人が「こんな無関心ではいけない/よくない」と思うことだろう。

考えてみてほしい。例えば、自分を愛してくれているとはとうてい思えない人間から「僕のことを/私のことを、愛してくれ!」と言われたら、どう思うだろうか。

たぶん、多くの人が警察にストーカーの相談に行くはずだ。

つまりは、そういうことである。自分への愛を感じられないものに愛を与える人はそうそういない。彼らが「日本に興味がない」というのは、日本が、政治や彼らの周りの人間が、彼らに関心を払わなかったことの裏返しではないだろうか。

「この国を変えたい」と思うには、「この国に自分の居場所がある」という実感が必要だ。

#選挙に行かなかった理由「生活に不満がなかった」

行かなくても生活に困らなかったから

 

「どうせ変わらない」と対極にあるようで似ている意見だ。「変える必要がない」、なるほど、それも確かに行かない理由だろう。

#選挙に行かなかった理由「政権争いにあきれている/信用できない」

「野党内でもめる」ことも理由です。

 

立候補者の演説がよいことしか言わないため、信用できない」

 

センセイと呼ばれ高そうだけどセンスの悪いスーツ着て普段は地主や業界団体としか付き合っていない脂ぎったオッサンが選挙の時だけ朝駅前で頭下げられても白ける。

 

90歳越えの祖母曰く、

昔の議員はいつも地元にいて、どんな人でどんな考えか分かっていた。常に口に出し発信していた。

それがだんだん選挙時しか町で見なくなり、見ても当たり障りのない挨拶化敵陣の批判しか言わない。

……だそうです、立憲民主党さん。

「どこに入れても変わらない」と同じ政治不信ではあるけれど、あちらが「政治は信頼できない」なのに対し、こちらは「政治家が信用できない」。要は、人としての政治家に不信感が強いわけである。

#選挙に行かなかった理由「入れたい候補がいない」

初めて選挙を棄権しました。

小選挙区は、携帯電話にNHKの受信料を付加するという自民党。政治塾に1日いっただけで立候補した地元で無名の希望。あとは共産・・・

比例は、ビラ配りしているのにもかかわらず私だけ配らない、立件の比例候補。こんな選挙は、初めてでした。

 

立候補者がいない

 

入れたい候補がいないから選挙に行かない。これまた、当たり前の話だ。

それでも白票でいいから選挙に行くべき、という意見をたまに見るが、白票にどんな効果があるのだろうか。無効票、すなわち、書き損じと一緒にされてしまうだけだ。だったら、投票に行かずに投票率を下げて社会問題にした方が効果的ではないだろうか。

#選挙に行かなかった理由「子連れの投票が難しい」

これだけ雨が続くと赤ちゃんを連れて投票所に行くのは困難

 

こういった意見がある一方、「子供を投票所に連れて行くべき」という意見もあった。

大人の投票する姿を見て育った子供は自然に投票に行くようになるのかなと思います。

 

残念ながら、この推測は的外れである。理由は簡単。子供の頃、毎回親の投票についていき、大人の投票する姿を見て育った人間がいま、この記事を書いている、ということだ。

#選挙に行かなかった理由「地域社会の問題」

ご近所の方は「町内の婦人会の人が受け付けをやっているのが嫌、プライバシーをのぞかれるのが嫌」という理由で行かないそうです。

 

たぶん、この婦人会の人たちは人のうわさをぺらぺらと喋り散らすのではないだろうか。「〇〇さんち、日曜日の昼間に投票に来てたわよ。日曜日だっていうのにどこにも行かないなんて、あれじゃお子さんがかわいそうよね~」なんて噂が立ってしまったら、もうその町では生きていけないのかもしれない。

#選挙に行かなかった理由「時間がなかった」

期日前は、朝7時に自宅を出て、大学の授業が終わって、バイトが終わると夜10時。選挙当日は、朝7時に遊びに行って、帰宅が夜21時。

月曜から土曜まで毎日15時間学業とアルバイトに励み、週に一度の休日を惜しむかのように遊び倒す。そんな彼/彼女に「遊びに行かずに投票に来い」なんて残酷なセリフは僕には言えない。

#選挙に行かなかった理由「深い絶望から」

病んでた頃はとにかく死ぬことしか頭になくて、投票に行く気など全く起こらなかった。一緒に行こうと言われるのも苦痛だった。

 

人生を諦めているから

 

社会への不満は投票へとつながるが、社会への絶望は投票にはつながらない。

立憲民主党さん、これが答えのようです

以上、42人分の声である。

巷で言われがちな「政治への無関心」というのは意外と少数、全体の15%ほどだった。

それよりも目立ったのが「政治を信頼できない、政治家を信用できない」という声だ。全体の4割ほどを占めていた。

しかも、これらの意見は「僕個人がそう思っています」というよりも「私の周りの何人かがそう言っていました」というパターンが多い。だとすると、選挙に行かなかった人の半分以上がそう感じている可能性があるということだ。

今回の選挙の「不投票率」は47.3%。この半分、つまり国民の4人にひとりが「政治は信用/信頼できない」と言っているわけだ。これは深刻である。

また、選挙のシステムの都合上、投票したくてもできなかったという声も多い。住民票の問題だったり、仕事の都合だったり、体力的な問題だったり。

こちらは全体の三分の一を占めていた。「不投票率」から考えると、国民の15%は行きたくても行けなかったということになる。

今の選挙のシステムは、どうやらやさしくないらしい。

選挙に行かなかった理由をまとめてみると、みんなちゃんと考えたうえでの結論だった、ということをひしひしと感じる。もちろん、その考え方自体が間違っている可能性はある。しかし、それでもちゃんと考えに考えた結果出した答えが「選挙に行かない」である場合が実は結構多いのだ。

選挙に行くのが面倒な奴らは選挙に行かなかった理由を考えるのもめんどくさいんだろう

 

というツイートがあったが、僕から言わせれば、選挙に行かなかった理由を考えるのを面倒くさがっているのは、こんな風に意識高い系のお説教を垂れている連中の方ではないのか。大局を見ているかのようで、実際ははなに一つ見ていないのだ。むしろ、自分の頭で考え、「選挙に行く」という常識を疑い、答えを出せる人間の方がまだ、視野が広いのかもしれない。

最後に、SEKAI NO OWARIの「Hey Ho」という楽曲の歌詞の一節を引用して終わりたい。

「君が誰かに手を差し伸べるときは今じゃないかもしれない。いつかその時が来るまで……それでいい」

無理して投票に行かなければいけない理由なんて、どこにもない。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。