平和や多様性の重要性について考えさせられる平成仮面ライダー5選

平成仮面ライダー20作目を記念する「仮面ライダージオウ」の放送が始まった。そこで、今回は趣向を変えて、「平和」とか「多様性」といったテーマにフォーカスした仮面ライダーについて5作品を紹介していこうと思う。「仮面ライダーって子供番組でしょ?」と思っている人も、この5作品のうち一つでも見れば、きっと考えが変わるはずだ。


仮面ライダークウガ(2000年)

「こんな奴らのために、誰かの流す涙は見たくない! みんなに笑顔でいてほしいんです! だから、見ててください! 俺の、変身!」

作品概要

2000年に放送された、記念すべき平成仮面ライダー第1作。主演はオダギリジョー。昭和のテイストを残しつつも、「改造人間ではない仮面ライダー」、「二話完結のエピソード」、「強化フォームの登場」などの新たな試みに挑み、のちの平成仮面ライダーシリーズの礎となった。

あらすじ

長野県の遺跡からグロンギ族と呼ばれる殺戮集団が蘇った。次々と人々を虐殺し、恐怖に陥れるグロンギを警察は「未確認生命体」と呼び対抗するが、その力の前に歯が立たない。しかし、遺跡から蘇ったのはグロンギだけではなかった。未確認生命体第1号が暴れる現場に遭遇した冒険家の青年、五代雄介は遺跡から発掘されたベルトを手にした瞬間、戦士のイメージが頭の中に流れ込む。イメージに従いベルトを身に巻いた雄介は、仮面ライダークウガに変身し、グロンギに立ち向かう。

チェックポイント

この作品で見てほしいのは「暴力への向き合い方」である。仮面ライダーに限らず、ヒーロー番組は「暴力」をもって悪を排除することが前提である(たまにまず保護から入ろうとするウルトラマンコスモスみたいなのもいるけど)。

御多分に漏れず、クウガもグロンギを暴力をもって排除するのだけれど、クウガに変身する五代雄介自体は、実は暴力をふるうことが嫌いな人間であり、第2話ではヒロインの桜子に変身して戦った感想を求められて「あまりい気分のものじゃない」と答えている。

そんな雄介だったが、グロンギのボスであるン・ダグバ・ゼバによって殺された人の葬式に居合わせ、遺族の女の子の涙を見て、グロンギと戦う決意を固める。

それでも、雄介はやっぱり暴力を好きになれない。物語の終盤には「俺は、いつもこれ(暴力)で嫌な思いをしている」と吐露している。

一方で、グロンギ族が人々を虐殺する理由も明らかになる。

それは、ゲーム。彼らは「誰が一番人間を狩れるか」を競って、遊んでいたのだ。

あまりにも身勝手な理由に、雄介の相棒である一条刑事は「彼らとは価値観が違いすぎて、対話は不可能」と結論付ける。

暴力をふるいたくないのに、暴力をふるうことでしか平和を守れないジレンマを抱えたヒーロー、それが仮面ライダークウガなのだ。

そのスタンスは最後まで変わることはなかった。ダグバとの最終決戦で、互いに変身が解け人間の姿のまま殴り合う。暴力をふるって相手を壊すことを楽しむように笑みを浮かべるダグバに対し、泣きそうな顔で拳をふるう雄介。いや、すでに泣いていたのかもしれない。「ああ、雄介は本当に暴力をふるいたくないんだな」ということがよく伝わってくるシーンだ。

正義のために暴力をふるっていいのか。暴力でしか正義は守れないのか。

たとえ暴力でしか正義を守れないのだとしても、それでも暴力を否定する。否定しながら、泣きながら拳をふるう。それが仮面ライダークウガである。

その他の見どころ

クウガは徹底したリアル志向である。実在の地名を使い、「もしも、現実社会に怪人が現れたら」「もしも、現実社会に仮面ライダーがいたら」どうなるかを詳細に描いている。クウガは警察と協力してグロンギと戦う。警察は毎週のようにグロンギ対策の会議を行い、クウガである雄介は一条刑事から情報をもらってグロンギと戦う。一方で、警察も初めからクウガに協力的だったわけではなく、クウガを「未確認生命体第4号」と呼び、一条刑事以外はクウガの正体を知らず、「未確認同士の仲間割れ」ではないかと議論する。

そして、クウガは被害が平成仮面ライダーの中でもひときわ重いのも特徴だ。毎回の犠牲者は数十人規模。ラスボスのダグバに至っては3万人近くが殺されている。もはや大災害である。

殺し方も朝からグロく、空から脳天めがけて針を打ち込んだり、トラックで壁際に追い込んでつぶしたり、すれ違いざまに首を斬り落としたり、飛行機という逃げ場のない空間で虐殺したり、犠牲になるのはその場に居合わせただけの罪もない人々。まるでテロだ。いや、グロンギにはテロリストのような「信じる正義」などなく、ただ虐殺を楽しむだけ。当時も番組に苦情が来たという。

ちなみに、僕が一番怖かったのはハリネズミ怪人、ゴ・ジャラジ・ダだ。標的の脳に小さな針を打ち込み、相手にタイムリミットを予告。そのリミットが来ると……、ああ、思い出しただけで背筋が寒くなる。標的の選び方も含めて、本当に怖い。

徹底したリアルな描写は、なにもグロ描写だけではない。被害者遺族の感情、雄介の周りの人たちの想い、そして、雄介の想いなど、人間の描写もリアルで繊細だ。

このリアルさがクウガの魅力であり、「平成仮面ライダーシリーズ」の根幹をなすものである。

仮面ライダー龍騎(2002年)

「そこに正義などない。あるのはただ純粋な“願い”である」

作品概要

名前の通り、ドラゴンと騎士をデザインのモチーフにした仮面ライダー。仮面ライダー同士が戦いあう「ライダーバトル」を主軸とした作劇や、10人近くの仮面ライダーが登場する作風など、その後の平成仮面ライダーシリーズに与えた影響は大きい。特に、トレーディングカードのようにカードをを使って戦うというスタイルは、のちに仮面ライダー剣、仮面ライダーディケイド、さらには仮面ライダーだけでなく天装戦隊ゴセイジャーに受け継がれた。さらに、収集系の変身アイテムを使って変身する仮面ライダーへと繋がっていく。まさに、平成仮面ライダー初期の、伝説の作品だ。

あらすじ

OLEジャーナルの新米記者、城戸真司はある日、鏡の向こうから現れるモンスターと、鏡の中で戦う戦士、仮面ライダーの存在を知る。最後の一人になるまで戦いあう仮面ライダーたち。仮面ライダー龍騎の力を手に入れた真司は、ライダー同士の戦いを止めるため自らも戦いの中へ、鏡の世界へと身を投じていく。

チェックポイント

この作品で見てほしいのは「人によって正義は変わる」ということ、さらに、「戦いを止めることは本当に正義なのか」という点だ。

龍騎が放送されたのは2002年。企画段階だった2001年9月にニューヨークで同時多発テロが起きた。企画会議では「こんな時代だからこそ、子供たちが最初に正義に触れる仮面ライダーだからこそ、『真の正義』を示すべきだ」という意見と、「こんな時代だからこそ、子供たちが最初に正義に触れる仮面ライダーだからこそ、『正義は一つじゃない』ということを伝えるべきだ」と二つの意見に分かれた。

結果、仮面ライダー龍騎は「正義は一つじゃない」を描く。

仮面ライダー同士が最後の一人になるため戦いあうということを知った城戸真司は、ライダー同士の戦いを止めるために仮面ライダー龍騎に変身する。

だが、ほかのライダーからは「余計なことをするな!」と邪見にされ、時には殴られる。それでも真司は「戦いあうなんて間違ってる! 戦いを止める!」と自ら信じた正義のために龍騎に変身する。

ところが、物語の中盤で真司は、ほかのライダーが「なぜ戦うのか」を知って愕然とする。

最後の一人になった仮面ライダーには、どんな願いもかなえられる力が授けられる。

仮面ライダーナイトに変身する秋山蓮は、事故で眠り続ける恋人を目覚めさせるために戦っていた。

仮面ライダーゾルダに変身する北岡秀一は、不治の病で余命いくばくもなく、永遠の命を手に入れるために戦っていた。

それぞれにそれぞれの戦う理由があった、ということを知った真司は、「戦いを止めることが正義」と言い切れなくなって、考え込んでしまうのだ。

これはまだ中盤の展開であり、その後、さらに真司を悩ませる事態が待ち受けるのだが、それは是非本編を見てほしい。平成仮面ライダーを見るなら絶対に抑えてほしい作品の一つだ。

最終回ではライダーバトルをこんな言葉で締めくくる。

「そこに正義なんてない。あるのはただ純粋な”願い”である」

その他の見どころ

「カードを使って戦う」というのは前述の通り、その後の作品に大きな影響を与えた。カードからモンスターを召喚したり、武器を取り出したり、トレカをモチーフとしたアニメが実写化されたらこんな感じなのかな、などと考えると興奮する。

さらに、鏡の中で人知れず戦いあうライダーたち、というのも従来の作風と異なり、なんだか深夜アニメの異能力ものを見ているかのようだ。

当時も、そして今も、異色の作風であると同時に、もう一度言うが絶対に抑えておかなくてはいけない作品の一つだ。

そして、仮面ライダー王蛇に変身する浅倉威。「脱獄した連続殺人犯」という、ガチの悪者である。「悪のライダー」のほぼ元祖にしていまだに最高峰に君臨する。悪にして今なお多くのファンを持つそのいかれっぷりもぜひ見てほしい。

仮面ライダー555(2003年)

「たっくん、オルフェノクがぁ!」

作品概要

「555」と書いて「ファイズ」と読む。携帯電話が一般に普及し始めた2003年に登場した、携帯電話を変身アイテムとして使う仮面ライダーだ。ファイズのベルトはそれまでのベルトと比べると変身へのハードルが割と低いほうで、そのため変身者がコロコロ入れ替わる。もちろん、メインで変身するのは主人公の乾巧なのだが、ここまで変身者が入れ替わる作品は他にはない。前50話の脚本は井上敏樹一人で書かれており(平成仮面ライダーで一人の脚本が全話を執筆したのは、555、エグゼイド、ビルドの3作品だけ)、緻密に伏線が張り巡らせ、謎が謎を呼ぶ、平成1期王道の展開が人気だ。

あらすじ

九州を旅していた青年、乾巧はある日、オルフェノクという怪物に襲われるが、その場に居合わせた少女、園田真理から渡されたベルトで仮面ライダー555に変身してこれを撃破する。真理とともに旅をしながらオルフェノクと戦う巧。一方、2年前に事故で眠り続けていた青年、木場勇治は死後に蘇り、オルフェノクとして覚醒してしまう。彼は、同じく死後にオルフェノクとなった仲間たちとともに共同生活を送るようになる。そして、巧と木場が邂逅する。

チェックポイント

この作品で見てほしいのは「異なるものとの共生」という点だ。このテーマを描いた作品は平成仮面ライダーシリーズに多いが、一番最初にそれを描き、なおかつ深く描いた、という意味では555を紹介しようと思う。

これより前の平成仮面ライダーシリーズの怪人はみな人間とは違う存在であり、言葉も通じない。クウガに出てくるグロンギは元は人間なのかもしれないけれど、価値観が違いすぎて対話ができない。

ところが、555の怪人、オルフェノクは死んだ人間が蘇生し、「進化した人間」として覚醒したもの。つまりは、元は普通の人間だったのである。

オルフェノクたちはあるものはその超人的な力で生前の復讐を果たして、あるものは人間からの迫害を受けて、人の道を踏み外していく。また、オルフェノクに殺された人間もまれにオルフェノクに覚醒することがあるので、オルフェノクの中には仲間を増やすために積極的に人間を襲う者たちもいる。

オルフェノクは「元人間」でありながら「人外の存在」でもある、非常に微妙な立場なのだ。

人間側にもオルフェノクは敵だ、悪だというスタンスを崩さないものもいる。オルフェノク側にも人間として生きようとして、人間を信じようとして、人間に裏切られてと、事態は一筋縄ではいかない。

555では主人公、乾巧とその仲間たちのほかにもう一つ、木場勇治を中心としたオルフェノク側からの視点で話が描かれている。「人間ではなくなってしまった悲しみ」を抱えながら、それでも人間らしく生きることはできないのかと模索する勇治。そして、互いが555とオルフェノクだと知らずに出会ってしまう巧と勇治。「異なるアイデンティティのものと共存できるのか」というテーマにおいて、やはり555が一番適任だろう。

その他の見どころ

作劇面に関してはもう十分語った気がするので、ここではCGの観点から。

実は、僕が平成仮面ライダーを見始めたきっかけは555である。たまたま見た555のライダーキック「クリムゾンスマッシュ」がかっこよすぎて、それがきっかけで平成仮面ライダーを見るようになった。

さらにバイクもかっこいい。555には3人のライダーが出てくるのだが、彼らのバイクがロボットに変形して、ミサイルをバカスカ打ち込む。まるで、戦争映画を見ているかのようだ。

仮面ライダーオーズ(2010~2011年)

「いけますって! ちょっとの小銭と、明日のパンツがあれば!」

作品概要

動物の力を宿した3枚のメダルで変身する仮面ライダーオーズ。タカの視力、トラの爪、バッタの跳躍力を持つタカ・トラ・バッタのタトバコンボを基本フォームとし、クワガタの頭部、カマキリの刃、バッタの跳躍力を持つ昆虫系のガタキリバコンボ、サイの角、ゴリラの剛腕、象の脚を持つ重量系のサゴーゾコンボ、タカの視力、クジャクの羽、コンドルの爪をもつ鳥系のタジャドルコンボと、様々な動物の力を組み合わせて戦う。それぞれの変身時には、クシダアキラによる謎の歌が流れ、耳から離れない。

あらすじ

ちょっとの小銭と明日のパンツしか持っていない無欲な青年、火野映司。今風に言うとミニマリストといったところか。ある日彼は800年の封印から解き放たれたグリードという怪人と、彼らグリードが生み出す怪物ヤミーの起こした事件に巻き込まれる。絶体絶命の状況に陥る映司を救ったのは、グリードの一人であるアンクだった。右腕だけしか復活できなかったアンクは、自身の体を取り戻すために必要なアイテム・コアメダルを集めさせるために、映司に仮面ライダーオーズの力を授ける。映司は人々を守るため、アンクは自分の欲望をかなえるため、時に利用し、時に協力し合う奇妙なコンビが誕生する。

チェックポイント

実は映司は「世界放浪中に内戦に巻き込まれた」という過去の持ち主。そんな映司だからか、オーズには戦争と平和、そして正義について考えさせられるエピソードが多い。

オーズの敵であるヤミーは人間の欲望から生まれてくる。ある回で登場したバッタヤミー(これが見た目がクソ気持ち悪い)は、「悪いやつを懲らしめたい」という欲望から生まれたヤミーだ。その欲望に従い、ひったくり犯を懲らしめて奪われたかばんを被害者の返してあげるヤミー。果たして、こいつは倒さなければいけないのか? 何も悪いことしていないじゃないか。っていうか、むしろ良いことをしているじゃないか。と悩む仲間に対し映司は「倒さなきゃ」と口にする。その理由を問われた映司はこう返している。

「正義のためなら、人間はどこまでも残酷になれるんだ」

その映司の言葉通り、ヤミーの行動はエスカレート。やくざの事務所や悪徳政治家のところに乗り込むまではよいものの、悪人とはいえ悲鳴を上げて逃げ惑う無抵抗な人間を捕まえて、ボコボコにぶちのめしていく。

「正義のためなら、人間はどこまでも残酷になれるんだ」

なるほど。だからきっと、世界から戦争がなくならないのだろう。

こんなエピソードもある。ある青年の「人の役に立つことをしたい」という欲望から生まれたクロアゲハヤミー。こいつが何をしたかというと、空から大量のお金をばらまくという行為。

そのお金がどこから来たのかというと、何のことはない、直前に銀行を襲って手に入れただけだった。

ただ、人の役に立ちたかっただけなのに、どうしてこんなことに……、と落ち込む青年に映司は自分の体験談を語る。

実は、映司は政治家の家に生まれ、親も兄弟も政治家というおぼっちゃま育ち。望めば何でも買ってもらえるというお金持ちだった。

そして、映司は「自分の力で世界をよくしたい」という大きな欲望を抱き、海外の貧しい国に多額の寄付を送った。

ところが、そのお金は映司の知らないところで戦争の資金に使われていたのだという。

この経験から映司は青年に向かって両手を広げて見せ、「正義感だとしてもこれくらい。これくらいなら、悪いやつに利用されることもなくなります」と語った。

要は、自分の手の届かないところにまで、目の届かないところにまで正義感を伸ばそうとすると、それがどう転ぶかわからず、責任が取れないから危険だよ、ということである。

世の中には、行ったことのない国のために一生懸命になる人、一生いかなそうな辺境の島のために声をからす人、あったこともない人を執拗にたたく人など、手の届かないところにまで正義感をふるおうとする人が結構いる。

その志自体は決して悪いことなのではないのだろうが、問題はやっぱり「手の届かないところに正義漢を伸ばそうとする」というところ、そして、「人間は正義のためならどこまでも残酷になれる」というところなのだろう。

その他の見どころ

オーズの敵は欲望から生まれた怪人グリードと、彼らが使役する怪物ヤミーだ。

しかし、欲望そのものを否定しない、むしろ「欲望は人間が生きるために必要なエネルギーだ! 素晴らしい!」と肯定するのがこの作品の大きな特徴だろう。

欲望そのものは決して悪くない。むしろ、必要な存在だ。問題は、それとどう向き合っていくか、である。

そして、先ほど触れた映司の「金持ちの家に生まれた」「内戦に巻き込まれた」という過去は、実はオーズの物語に大きくかかわってくる。

「世界を自分の手でよくしたい」という大きな欲望を抱いた映司は、旅先で内戦に巻き込まれる。そして、この時起きたある出来事が原因で、彼は「世界を変えたい」という欲望を失くし、無欲な人間になってしまう。

欲望がない。何も欲しがらない。何も持たない。聖人君子のようにも思えるがとんでもない、それは「生きるエネルギーを持っていない」ということで、終盤では映司の欲望を持たないが故の危うさがどんどんと浮き彫りにのなっていく。

映司と対照的なのがアンクの存在だ。まさに欲望の塊、自分の目的のためなら他人がどうなろうと「知ったことか!」と気にしない。オーズの相棒でありながら、実はかなりの悪党である。

しかし、アンクは腕しか復活できず、オーズの力がないと完全復活に必要なメダルを集められない。映司はアンクからメダルをもらわないと変身できない。これが、真逆な二人がコンビを組む理由だ。

欲望を失った映司はどこへ流れつくのか、映司の欲望はかなうのか、そして、映司とアンクのコンビはどんな結末を迎えるのか。ぜひ、本編を見て確認してほしい。

仮面ライダードライブ(2014~2015年)

「どうにも怒りが収まんねぇ! ひとっ走り付き合えよ!!」

作品概要

「仮面ライダードライブ」というタイトルを聞いた時、誰もが目を疑った。「ドライブって、ライダーなのに車乗るの? まさかぁ。CDドライブとかの『ドライブ』じゃないの?」と。だが、実際お披露目たなったドライブは真っ赤なスーパーカーとともに登場し、胸には駅伝のたすきのようにタイヤが収まっていたという、バイクに乗らずに車に乗る仮面ライダーである。ドライブは一度もバイクに乗ったことがない。一方で、主人公に刑事を据えた刑事ドラマでもあり、主人公である泊進ノ介は、仮面ライダーである前に警察官としての誇りを胸に戦う。また、主演の竹内涼真、ヒロインの内田理央、敵幹部役の馬場ふみかと、人気の俳優・女優を多く輩出した作品でもある。

あらすじ

機械生命体ロイミュードによる世界一斉蜂起が起きた。周囲の物の動きを極端に遅くすることができる「重加速現象」を引き起こせるロイミュードによって世界は崩壊の危機に陥ったが、ある戦士の活躍で世界は救われた。この事件は「グローバルフリーズ」と呼ばれた。

それから半年後、グローバルフリーズの時に相棒を誤射し、重傷を負わせてしまった刑事・泊進ノ介は、ロイミュード犯罪の専門部署「特殊状況犯罪捜査課」、通称「特状課」に異動になった。相棒を再起不能に追い込んでしまった事件以降やる気を失ってサボり魔となっていた進ノ介だったが、そんな彼のもとに謎のしゃべるベルトが現れ、彼に仮面ライダードライブの力を授ける。重加速の中唯一動くことのできる戦士、仮面ライダードライブとして、そして、刑事として、進ノ介は再起をかけて、ロイミュードによる犯罪に立ち向かっていく。

チェックポイント

ドライブで見てほしいのも555と同様、「違うものとの共生」だ。このテーマを描いた作品にはほかにも仮面ライダー剣、カブト、キバなど良作が多いが、平成2期からもう一つ挙げたかったので、今回はドライブを紹介する。

555のオルフェノクと違い、ドライブの敵ロイミュードは機械生命体。人間とは完全な別物である。しかし、人間の容姿をコピーし、知能も感情も人間と変わらない。

彼らの目的は人間の支配だ。ロイミュードを作った人間を支配することで、ロイミュードが人間よりも優れた種であることを認めさせる。

その中心となるのが「ハート」と呼ばれる彼らのリーダーなのだが、このハートがとにかく仲間思いなのだ。

仲間のロイミュードを「友達」と呼び、何よりも大切にする。ハートの知らないところでほかのロイミュードを捨て駒のように扱う作戦が実行されたときは、そのことを知ったハートは激高し、作戦を実行した幹部に制裁を加えた。仲間を捨て駒に使うなど絶対に許さないのだ。

極めつけは、ドライブに仲間の命を救われた時だ。ハートは宿敵であるドライブに頭を下げ、素直に感謝の礼の述べた。

ハート以外にも人間との静かな暮らしを望むロイミュードや、人間に協力するロイミュードなどが登場する。

「こいつらは本当に倒すべき悪なのか?」、回を重ねるごとに、見る者の胸にそんな思いが込み上げる。

そう思ったのは主人公・泊進ノ介も同じだったらしく、ある時、彼はハートに対して「お前ら本当に悪者なのかよ」とこぼす。

それに対してハートは「だろうな。もともとこっちは悪であるつもりがない」と返す。ほかにも、ロイミュード側の戦士を「悪の戦士」と呼ぶ人間に対して、「その考えこそが人間の驕りだよ」と鋭く指摘している。ハートとしてみれば悪事を働いているつもりはなく、ロイミュード側の正義に基づいて行動しているだけなのだ。

やがて、視聴者の「こいつらと戦わなくてもいいんじゃないか?」という思いがはち切れそうなタイミングで、進ノ介は再びハートに問いかける。「戦わずに済む方法はないのか?」と。

だが、これもハートは「ないね」と一蹴する。人間と戦って勝ち、支配し、ロイミュードを地球の新たな種であることを認めさせる。そのプロセスで「戦い」は必然なのだ、と。

どうしてハートはここまで戦って勝つことにこだわるのか。実は、ハートはロイミュード開発時期に実験と称して開発者から虐待されていた過去があった。「絶対に人間を見返してやる」という強い思いが彼の胸にはあったのだ。

やがて、終盤に人間・ロイミュード共通の敵が現れ、ドライブはハートと手を組み、これを撃破する。そして最終回で、ハートはともに戦ったドライブに、人類とロイミュードの運命を決める最終決戦を挑んでくる。

仮面ライダーの最終回というと、普通は「戦え! そして、勝て! 仮面ライダー!」とテレビの前で応援するものだが、仮面ライダードライブの最終回、僕はテレビの前でこう祈った。

「変身しないでくれ! 戦わないでくれ! 仮面ライダードライブ!」と。

進ノ介、お前だってハートと戦うことを望んでなんかいないはずだ! 戦い以外の決着を見せてくれ!と。

しかし、変身せずに一方的に殴られたら、進ノ介が死んでしまう。

果たして、進ノ介はドライブに変身してしまうのか? 戦ってしまうのか? 人間とロイミュードはどのような決着を見せるのか……?

ドライブの中でロイミュードは従来の怪人たちよりもより人間的に描かれている。だからこそ、期待してしまう。姿形が異なれど、価値観が異なれど、心を通わせることはできるのではないかと。戦う以外の道があるのではないかと。

その他の見どころ

ハートがらみでもう一つ。

ロイミュードの幹部の一人が、ドライブの変身者が特状課にいることを割り出す。変身者を特定しようとハートに持ち掛けるのだが、ハートはこう答える。

「変身前を暴いて叩くような、無粋な真似はしたくない」

仮面ライダーは人間の守護者であると同時に、人間の科学の叡智、強さの結晶。その仮面ライダーに変身した状態で戦って、勝つことに意味がある。だから、変身する前に倒してしまえなんてことはしたくないのだ。

このプライドの高さこそがハートの魅力である。

仮面ライダー側の魅力としては、自らの意思を持ちしゃべるベルト、ドライブドライバー、通称「ベルトさん」であろう。

なぜ「ベルトさん」と呼ぶのかというと、第1話でロイミュードに遭遇し「どうすりゃいいんだ、ベルト!」と問いかける進ノ介に対しベルトから帰ってきた答えがただ一言、

「呼び捨ては失礼だねぇ」

以後、「ベルトさん」である。

このベルトさんの声を担当していたのが、J-WAVEを、いや、日本のラジオを代表するラジオDJ、クリス・ペプラーである。あの渋く、セクシーな低音ボイスでベルトさんに声を当てていた。

ベルトさんはドライブの相棒として、作戦を指示したり、ドライブの能力を解説したり、ロイミュードの能力を分析したりと、よくしゃべる。開発者の意識をデータ化してダウンロードしたものであり、人間的な感情を持っているので、時に進ノ介の行動を心配したり、叱責したりする。

さらに、変身するときもベルトさんの「ドライブ! タイプ・スピード!」という音声が流れ、ライダーキックを放つときも「ヒッサーツ! フルスロットル!」の音声が流れる。

ドライブは胸部のタイヤを換装することで様々な能力が使えるのだが、このタイヤを換装するときの音声が「タイヤコウカーン!」。もちろん、クリス・ペプラーの声だ。

オープニングもクリス・ペプラーの「Start your engine!」の声で始まり、番組終わりもクリス・ペプラーのナレーション。さらに、玩具のCMのナレーションもクリスペプラーと、とにかくクリス・ペプラーづくしの30分だ。

さあ、平成仮面ライダーを見よう

今回は紹介しきれなかったが(この調子で全作品紹介していたら、1日あっても終わらない)、残り15作品もよい作品ばかりだ。

たとえば、仮面ライダービルドでは作中に戦争が勃発する。平和や多様性といったテーマで見てみるのも面白いだろう。

この記事を読んでもらえれば、平成仮面ライダー番組が単なる子供向け番組ではないことをわかってもらえたと思う。

それでもまだわからないというのであれば……、

もうひとっ走り付き合えよ!

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。