旅好きな人の性格は意外と不寛容なんじゃないかというブログ

ピースボートの乗客に話を聞くと、よく「世界を回って、多様な価値観を知った」という。世界一周などを経験してる旅人は大体そういう。多様性が大切だ、と。……本当にそうだろうか。いや、実際、世界にはいろんな価値観の人間がいる。僕が問いたいのはそこではなく、「本当に世界を旅すると多様な価値観が身につくのか」という点である。


日本のパスポートは最強なのだから日本人は旅をするべき! なのか?

船を降りてまだ1年もたっていないとき、ピースボート主催のささやかなイベントに出席した。

その時のテーマは確か「日本人は恵まれてるんだから、旅に出ない理由はない!」とかそんな感じだったと思う。

どういう意味で「日本人は恵まれている」のかというと、「日本のパスポートは最強である」という理由らしい。

基本、日本のパスポートはどこの国へ行ってもすんなりと入国できる。こんなに信用度の高いパスポートを持つ国はそうそうないらしい。日本人は恵まれているのだ。

確かに、ネットで「日本 パスポート」と検索すると、サジェストに「威力」とか「最強」とか、なんだかドラゴンボールみたいな単語が出てくる。それだけ日本のパスポートはすごいのだ。

ところが、そんな世界最強のパスポートを日本は発行しているにもかかわらず、日本国民のパスポート所持率はわずか25%(2017年)。

ちなみに、アメリカ人は約4割がパスポートを持っていて、イギリス人はなんと7割がパスポートを持っているのだから、どうやら日本のパスポートの所持率は低いらしい。

20代に至ってはなんとパスポートの取得率は5%だという。なんと、消費税よりも低い。

ちなみに、僕は、「パスポートを持っている珍しい20代」である。地球一周の船旅が3年前なのだから、当然と言えば当然だ。

世界最強のパスポートを持っているのに、日本人が世界を旅しないのはもったいない! みんな、もっと世界を旅しよう! こんなに恵まれた国にいて、旅に出ない理由なんてない!

……というのがその時のイベントの趣旨だった。

その時はうんうん、もったいないなぁとうなづいていたのだが、3年たった今、ふと思う。

こんなに恵まれた国にいて旅にでない理由なんてない! 日本人はもっと旅をするべきだ!

……本当にそうなのだろうか。本当に、旅に出ない理由はないのだろうか。

旅をする人、旅をしない人

このことを考えるにあたり、自分の友達でよく海外に行く人と全く行かない人を思い浮かべて比較してみた。

毎年夏になると必ず海外に行く友人がいる。「その時期は日本にいない」なんて言われると、ああ、もうそんな時期か、なんて思う。

一方で、生まれてこの方海外なんて行ったことないんじゃないか、という友人もいる。

海外旅行によっく行く人と、まったくいかない人、彼らで何が違うのだろうか、と考えてみた。

さっきのイベントだと、なんだか行動力の差、もっと言えば勇気があるか、度胸があるか、積極的か消極的か、みたいな論調だった。みんな、もっと積極的になろう、海外に行こう、視野を広く持とう、と。

だが、周りの友人たちを比べても、海外に行くやつが特別度胸があるとか、海外に行かないやつが消極的で視野が狭いとか、そんな印象はない。語学力だって同じくらいだと思う。経済力も違いはないだろう。

果たして、海外によく行くやつと、全然いかないやつ、その差はいったい何なのか。

両者を比べてみて、一つの可能性に行きついた。それは、

海外によく行くやつはアウトドア趣味であり、海外に行かないやつはインドア趣味である!

というよくよく考えれば当たり前のことだった。

そう、海外によく行く友人は、アウトドア趣味なのだ。海外に限らず、普段からよくいろんなところに出かけている。

一方、海外に行かない友人はインドア趣味なのだ。普段から家の近くで過ごしている。

これはもう、趣味の問題である。

もちろん、すべての人間がこれに当てはまるわけではない。

だが、海外に行く人と行かない人の差は、度胸がないとか、視野がどうこうとかそういうのではなく、ただの趣味嗜好である、という可能性がある。

日本人は4人に一人しかパスポートを持っていないという。

それはそのまま、アウトドア派とインドア派の比率が1:3である。ということを表しているだけなのかもしれない。

20代の場合はパスポート所持率は5%しかない。さすがに20代の95%がインドア派である! とまではいわないが、今の20代はインドア派が多いのではないだろうか。

でなければ、秋葉原があんなに発展するわけがない。あの町は漫画とかゲームとかフィギュアとかアニメグッズとかパソコンの部品とか、「おうちで楽しむもの」を中心に売って今の姿となったのだ。。

そう、外に出ないでも、20代は結構楽しんでいるのだ。

僕らが旅に行かない理由

なぜ、今の若者は海外に行かないのか。

それはあれが足りないとか、これを知らないとか、今の20代に何かが不足しているわけではない。それは、「旅に出ることが正義」という旅人の中だけで通用する、意外と視野の狭い考え方である。

なぜ今の若者は海外に行かないのか。

別に行こうと思わないからである。

日本のパスポートは世界最強である。そんな恵まれた国に生まれた僕たちが、旅に出ない理由なんてない?

理由なんて腐るほどあるさ。

興味がない。

つかれる。

めんどくさい。

別に旅が好きじゃない。

そんな時間があったら家でアニメを見たい。

そんなお金があったら、日本のお寺やお城をめぐりたい。

そもそも、家から出たくない!

知らない人コワい!

旅に出ない理由なんていくらでもある。

旅に出ない理由が、「本当は世界を旅してみたいけど、親が反対していて」とか、「お金がなくて」とか「幕府に禁じられてて」といった外的な抑圧が原因だった場合、それはなんとしても排除し、旅に出られるようにするべきだ。

ただ、性格、趣味嗜好の問題で、「別に行かなくてもいい」と思っているのであれば、

無理に海外を旅しなければいけない理由なんてない。

「そんなことない! 世界を旅するのは楽しいよ。旅に出れば考えは変わるって!」

というポジティブ旅人の声が聞こえてきそうだが、

「楽しいから行こう」はあまり勧誘の決め手にはならない。

こんな経験はないだろうか。相手にひたすら自分の趣味の話をして、あわよくば相手も同じ趣味に引きずり込もうとするのだが、「またその話か……」とうんざりされることを。

そう、いくら熱心に「楽しいよ!」「面白いよ!」と進めても、「そう? じゃあ、やってみるか!」と相手がなるのはごくまれで、それこそ95%はうんざりされて終わるのだ。

ちなみに、僕がこのブログでよくピースボートの話をするのは、「ピースボートは楽しいよ! 面白いよ!」と人に薦めたいから、ではなく、単にピースボートについての記事は閲覧数が高い、というデータに基づいてである。

日本のパスポートは世界最強である。なのに、なぜ日本の若者は海外に行かないのか⁉

そんなの、人それぞれである。無理強いはよくない。

旅好きの「国内蔑視」

そもそも、どうして「海外を旅すること」にこだわるのか。別に国内旅行だっていいじゃないか。

確かに、海外を旅することは楽しい。言葉の通じない国、まったく違う文化、食べたこともない食べ物。海外を旅することは刺激的だ。確かに、国内旅行よりは刺激が多い。

だが、日本国内も十分刺激が多い。

同じ日本でも都会と田舎は全然違うし、北と南も全然違う。山村と漁村も全然作りが、風景が違う。

土地によっていろんな郷土料理があるし、時には方言が全く聞き取れないときもある。

地球一周をして思ったことが「世界にはやばい国がたくさんある」ということだった。

そして、こうも思った。「日本だって同じくらいやばいはずだ」と。

別に僕は、「日本が世界で特別な国」だなんて思っていない。

それは「日本は世界で特別すごい国ではない」と思っていると同時に、「日本は世界で特別しょぼい国でもない」ということだ。日本には日本の魅力がある。

「世界を旅すること」というのは、世界のいろんな国の魅力を発見していくことだ。

その視点があるなら、日本の魅力だって見つけられるはずである。旅をする前は当たり前すぎて見逃していた日本の魅力に、世界を旅して養ってきた視点があれば、気づけるはずである。

ところが、どういうわけか日本の旅好きは「国内蔑視」がはなはだしいように感じる。「地球一周」を掲げるピースボートは団体の特性上、海外の話ばかりするのはしょうがないのかもしれないが、ピースボートとは本来直接関係のない人だったり団体だったりイベントだったりもみな、「海外へ行こう!」の一辺倒。

国内旅行がそんなにいけないのだろうか。もしも、「国内を旅したって、海外のような体験は得れない。やっぱり海外じゃなきゃダメだ」と考えているのだとすれば、

それこそ視野が狭いんじゃないだろうか。

「やらない理由」に愛をくれ

どうも、旅好きの多くは「やらない理由」に対してあまりにも不寛容なのではないか。最近、そんなことを考えている。

旅に行っていろんな国を見て回ることが正義であって、なんだかんだ理由をつけてやらないのはよくない、そういう風潮を感じる。

僕も昔は、それこそ船を降りた直後はそんな風に考えていた。

だが、最近こう考えるようになってきた。

「やらない理由」にその人らしさが出るのではないか、と。

「〇〇したいけど、××だからしない、やらない、できない」といった話を聞いた時、僕たちはつい「〇〇」だけがその人の本音であり、「××」の部分は本音を邪魔する障害だと考えてしまう。

その結果、「〇〇したいけど××だからやらない」という話を聞くと、「気持ちに素直になって」とか、「動かなきゃ何も変わらないよ」とか、「後悔してからじゃ遅いよ」とか、「男ならどんと行け!」とか、どっかのラブソングの焼き直しみたいなことを言って、「〇〇」を実行させようとする人が出てくる。「××」は完全な悪者だ。

だけど、違うのではないか。

「〇〇」が本音であって「××」は障害や言い訳なのではない。

「〇〇したいけど××だからやらない」、ここまでがセットとなってその人の「本音」なのではないだろうか。

「海外に行きたい!」「お店を持ちたい!」「結婚したい!」、こういったポジティブな「〇〇したい!」はその人の人間性がよく表れている。

一方で、「怖いから無理」「自信がないからやらない」「めんどくさいからいい」といったネガティブな「でも××だから……」にもその人の人間性が色濃く反映されているのではないだろうか。

「〇〇したい!」がその人の人格の光りの部分なら、「でも××だからやらない」は影の部分である。

そして、光と影の両方を理解することが大切なんだと思う。

「怖いけど勇気をもってやってみよう!」とか、「自信なんてなくたって大丈夫!」とか、「めんどくさくても動かないと始まらないよ!」という励ましの言葉は一見いいこと言っているようにも見える。

いいこと言っているように見えて実は相手の人格の影の部分を完全に無視している。

怖いとか、自信がないとか、めんどくさいとか、そういったネガティブなセリフをその人が吐くようになったのには、その人の人生に基づいたそれなりの理由があるはずだ。そこにその人の人生や価値観がもしかしたら凝縮されているのかもしれない。

もしかしたら、「でも××だから……」の部分にその人が大切にしているものが隠れているのかもしれない。

そして、ネガティブやコンプレックスがあってこその人間なのではないだろうか。

君が好きだと叫びたい。けど言えない。

会いたくて会いたくて震える。でも会いに行かない。

海外を旅してみたい。でもいかない、いけない。

こういう矛盾をはらむから、人間は面白いのだ。愛らしいのだ。

なのに、「でも××だから…」の部分を、あまりにも僕らはないがしろにしているのではないだろうか。

「世界を旅するといろんな価値観に気付く」「多様性が大事」だというのならば、「やらない理由もその人の個性」であることを認め、尊重しなければいけないはずだ。

もっと「やらない理由」を愛してやってもいいんじゃないだろうか。

みんながみんな旅をしなくたっていいじゃないか

日本のパスポートは世界最強なのに、日本人は75%がパスポートを持っていない。それでいいのか⁉

いいんです。むむっ!

旅に出る理由が人それぞれであるように、旅に出ない理由もまた人それぞれである。どちらを取るかは人それぞれだ。

海外のいろんな国を旅することが素晴らしいように、日本国内を旅することもまた素晴らしい。どちらを取るかは人それぞれだ。

「旅をしたい!」と思う気持ちにその人の個性が現れるように、「けどやらない、できない」という言葉にもまた個性が現れているのだ。どちらがより大事かは人それぞれだ。

そもそも、みんなが旅に出なきゃいけない理由なんかない。

旅をする楽しみは、わかるやつにだけわかる、マイナーな趣味、それでいいじゃないか。

「それじゃいけない! 旅をすることでいろんな価値観に気付ける! 人生が変わる! みんな、旅をするべきなんだ!」

でも、家でアニメを見て人生が変わることだってある。家で小説を読んで価値観が広がることもある。

何が人生を変えるのか。何が価値観を広げるか。

そんなの、人それぞれだ。

この、「そんなの、人それぞれ」という視点が欠けている旅好きがあまりにも多いんじゃないか。

そう思って今回、筆を執った次第である。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。