小説 あしたてんきになぁれ 第18話「労働と疲労のみぞれ雨」

喫茶店「シャンゼリゼ」でバイトを始めた志保。自分一人、お金を稼いでいないたまきは焦りを感じ、仕事についていろんな人に聞いて回る。

クソ青春冒険小説改め、ニート完全肯定小説「あしなれ」第18話スタート!


小説 あしたてんきになぁれ 第17話「ガトーショコラのち遺影」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


写真はイメージです

「じゃーん!」

志保はそういいながら衣裳部屋から出てくると、ソファとテーブルの間の狭いスペースをモデルのようにすました顔で歩く。足先に力を入れながらたまきと亜美の前まで来ると、くるっと回ってみせた。

志保が「シャンゼリゼ」でバイトを始めて4日目。制服を洗濯するために持ち帰ったついでに、「城(キャッスル)」での一人ファッションショーが行われた。

「シャンゼリゼ」のホールスタッフの女性用制服は白いブラウスに黒いズボンという清潔感があふれるいでたちだ。エプロンのような前掛けをスカートのように腰から垂らしている。

「なんかさ、思ったより、フツーだな」

亜美が少しがっかりしたように口をとがらせる。

「もっとメイドっぽいのを想像してたよ」

「いや、シャンゼリゼ、そういう喫茶店じゃないから」

志保が制服のままソファに腰かけた。

「でも、似合うと思います」

たまきがそういうと、亜美と志保の視線がたまきに集中した。

「似合う? メイド服が? あたしに?」

「お、たまき、お前メイド趣味か? 志保、ちょっと『おかえりなさいませ。ご主人様』って言ってみろよ」

そういって二人はけらけらと笑う。

「あ、いや、そういう意味で言ったんじゃなくて、その、今の制服が志保さんに似合ってるっていう意味で……」

たまきは弁明しながら、顔を赤らめて下を向いた。

「ふふ、ありがと」

志保はそう言って優しく微笑むと、

「でも、メイド服はあたしより、たまきちゃんの方が似合うと思うなぁ」

と、たまきにとっては余計な一言を付け足した。

「え? それってどういう……」

たまきが顔を赤くしたまま志保を見る。

「たまきちゃんてさ、いつもどちらかというとふんわりとした、もこもことした服着ること多いじゃん。メイド服もそんな感じだし、小柄で童顔でかわいい系だから、あたしよりもメイド服に合うと思うよ」

「お、確かにそうかもな。ほら、『モエモエキュン』って言ってみろよ」

たまきは今度は、顔を赤めるとそっぽを向いた。そんな何の意味もなさそうな言葉、絶対にいうもんか。

 

十一月の冷たい風がガタガタと窓ガラスを揺らす。それが目覚ましの代わりであるかのように、たまきはのそのそと起き上がった。

とある日のひるすぎ。志保はバイトに行ったらしく、いない。亜美はどこかに行ったらしく、いない。そういえば夕べもいなかったから、「仕事」に出かけたまんま帰ってきてないのかもしれない。

たまきはやることもなく、「城」の中をぼうっと眺める。

そう、たまきはやることがない。

今までは、亜美の「稼ぎ」を三人でやりくりしていた。だが、志保がバイトを始めると、いよいよもって働いていないのはたまきだけになってしまった。まあ、亜美を「労働者」に含めていいのか疑問が残るが、お金を稼いでいるのは間違いない。

志保がバイトの面接に受かった、という話を聞いた日から、たまきはどことなくいたたまれなさを感じていた。シブヤで感じた場違いな思いとはまた違った、自分はここにいてはいけないかのような何とも言えないいたたまれなさ。

自分も何か働かなければ。そんな焦燥感がたまきの心にまとわりつくように離れなかった。

でも、とたまきは遠くを見る。遠くを見るようで、実は自分の眼鏡のレンズを見ているのかもしれない。

たまきにできる仕事なんて、果たしてあるのだろうか。

まだ眠気の残る頭を回転させてみても、「絵を描く」以外にできそうなことが見つからない。

でも、絵を仕事にできる人なんて、きっと一握りだろう。ゴッホも生前は絵が1枚しか売れなかったという。

そもそも、たまきはどうしたらバイトを見つけられるのかを知らない。「ハローワーク」という言葉を何となく聞いたことがあるが、何か関係があるのだろうか。

そんなことをぼんやりと考えていると、ぐぅうとたまきのおなかが鳴った。

たまきは死にたい。

なのにおなかが減る。

だから、ご飯を食べに行く。

たまきに弁証法はまだちょっと早いみたいだ。

 

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太田ビルの階段をこつこつと下る。2階のラーメン屋のドアを開ける。券売機にお金を入れていると、

「いらっしゃいませー!」

という店員の大声が聞こえ、たまきは帰ろうかと思ったが、もうお金を入れてしまったので、仕方なく「ミニチャーハン」のボタンを押した。

午後二時過ぎのラーメン屋は都心の歓楽街とはいえ人はまばらだ。

食券を持ってカウンターのいすに腰掛ける。カウンターの向こうから見慣れた顔がたまきを覗き込んだ。

「いらっしゃい、たまきちゃん」

ミチがにこっと微笑むと、たまきの前に水の入ったコップを置いた。。

「……こんにちわ」

たまきが目線を合わせることなく答える。

「ひとり? 珍しいね」

「まあ……」

ミチはたまきの食券を手に取ると厨房へと向かっていった。直後に会社員風の男性が入ってくると、ミチは再び、

「いらっしゃいませー!」

と声を張り上げ、笑顔で接客に向かう。

たまきはミチの姿を、羨望とあきらめのまなざしで追いかけた。

あんなの、私には無理だ。

人から見られる場所にずっといて、楽しくないのに笑顔を見せ、知らない人と話す。

それができないからたまきは学校に行けなくなったのに、ミチにとってはきっと何でもないことなんだろう。

世の中にはたまきにとっては苦痛でしかないような仕事を、「楽しい」と言ってのける人がいる。志保も「あたし、接客業好きかも」なんて楽しそうに話していた。

たまきは「接客業」と書かれた紙を、頭の中でごみ箱に捨てた。

ミニチャーハンが運ばれてきた。軽い絶望感をチャーハンの味でごまかすように、たまきはレンゲを口へと運ぶ。

控室らしき扉から女性が一人出てきた。その顔にたまきは見覚えがあった。ミチのカノジョの海乃という人だ。ラーメン屋の制服に身を包み、ウェイブのかかった髪を後ろで結んでいる。海乃はたまきと目が合うとたまきを指さし、

「あ、ひきこもりのたまきちゃん!」

と声を上げた。

どうしてわざわざ「ひきこもり」をつけるのだろう。だったら、「会社員の田中さん」に会ったら、「あ、会社員の田中さん!」というのだろうか。きっと、いや、絶対に言わないだろう。

「みっくん、休憩入っていいよ」

海乃はミチに声をかけると、両手を開いて胸の前で構えた。ミチも同じようにして海乃に近づくと、

「イエーイ!」

と両手をタッチした。その様子をたまきはぼんやりと眺める。

あの二人はいつもあんなことをしているのだろうか。

 

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「4番テーブルのお客様、コーヒー二つとモンブラン、あとチーズケーキです」

志保はそういうと伝票をキッチンに置こうとした。洗い立ての制服が「シャンゼリゼ」の照明の光の粒子をやさしく反射している。

「志保ちゃん」

そう言って近づいてきたのは田代だった。

「注文、本当に『チーズケーキ』だった? 『レアチーズケーキ』じゃなくて?」

「え……あ……確認してきます……!」

田代に言われて自信がなくなった志保は、もう一度注文を聞きなおしに客のいるテーブルへと戻っていった。

「すいません……! 『チーズケーキ』じゃなくて、『レアチーズケーキ』でした。本当にごめんなさい!」

キッチンへ駆け寄ると志保は深く頭を下げた。

頭を上げようとすると、何かが志保の髪に触れた。それは、志保の頭をやさしくポンポンと叩く。

「気にしなくていいよ。俺もさ、新人の頃よく間違えたからさ」

志保の髪にやさしく触れていたのは、田代の右手だった。志保は田代の腕を見上げる。

色は白く、細く、欠陥が浮き出ている。しかし、細いながらも、筋肉の質感を確かに感じさせる。

優しくも、見た目には表れないたくましさがある、そんな腕だった。

「ん? どうしたの、志保ちゃん?」

いつの間にか田代は腕を引っ込め、ぼうっとしている志保を不思議そうに眺めている。

「あ、いえ、その……、大したことじゃないんです。あ、あたし、ホール戻りますね」

そういうと志保はキッチンとホールの境にあるのれんをくぐってホールへと戻った。戻ったところで、一回、深く深呼吸をする。

チーズケーキとレアチーズケーキ、メニューに紛らわしいのがあるから気を付けること。これは、研修の最初の段階で言われていたことだ。こんなの、かつての志保だったら一回で覚えられたはずだ。志保は暗記、記憶力には絶対の自信を持っていた。

ところが、実際ホールに立ってみると、研修の時に聞いた忠告を忘れて二つのメニューを混同し、指摘されるまでそれに気づかなかった。

まだバイトに入りたてだから、という言い訳も考えたが、実は志保はここ1年ほどで記憶力が徐々に落ちていることを痛感していた。

記憶力だけではない。体力も確実に落ちている。「城」へと続く階段を上がるたびに息が切れている。

これも薬物の影響なんだろうか……、と思考がそっちに切り替わりそうになるのを、志保はすんでのところで食い止める。

今は、バイトに集中! そう自分に言い聞かせた志保だったが、直後、髪の毛に田代の腕が触れた感触が蘇る。

鼓動が高鳴るのを確かに感じた志保は、田代の方をちらりと見る。

田代は若い女性客を接客していた。その姿に、志保は言いようのない嫉妬を覚える。

今はバイトに集中! 集中! そう志保は自分に言い聞かせた。

 

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次の日、たまきは一人でいつもの公園を訪れていた。

シブヤで買った黒いニット帽をかぶり、同じくシブヤで買った黒いセーターを着こみ、誕生日にもらったリュックサックを背負っている。

いつの間にか公園の木々はすっかり葉を落とし、細い枝のみを空に向かって伸ばしている。

たまきは「庵」の前にやってきた。樹木が葉を落としたことで、前よりも「庵」は外から見やすくなっている。

庵の前に置かれた椅子に仙人が腰かけ、カップ酒を飲んでいる。

たまきはぺこりと頭を下げて仙人にあいさつすると、「庵」の方へと近づいていった。

「やあ、お嬢ちゃん」

仙人がたまきを見て目じりを下げる。

「……こんにちは」

たまきはそういうと、仙人の隣に腰かけた。

リュックサックからスケッチブックを取り出すと、無言で仙人にそれを見せる。

「どれどれ……」

仙人はスケッチブックを眺める。その様子を、たまきは恐る恐る横から見る。仙人は無言のままスケッチブックの絵を眺めているが、表情からしてけっしてつまらないわけではなさそうだ。

仙人は厚手のジャケットを着ている。これからどんどん寒くなるのに、こんなところで生活していて大丈夫なんだろうか。

「よかったよ」

そういって仙人はスケッチブックを返した。

「実にお嬢ちゃんらしい、いい絵だった。技術も初めて会ったころよりは上がっておる」

「でも……、売り物にはならないですよね……」

たまきはスケッチブックをリュックサックにしまいながら、伏し目がちにそう尋ねた。

「まったく売れんわけではないとは思うが……、金もうけをしようと思うんだったら、話は別だな。お嬢ちゃんの絵は、いわゆる商業的な絵とは少し違う」

つまりは、よほどの物好きではないと買おうとは思わないということだろう。

「そうだな……、お嬢ちゃんの絵だけを売るとなると少し難しいかもしれんが……、例えば、本の挿絵とか、お嬢ちゃんの画風を生かせるものと一緒に売るなどという方法はあるかもな」

仙人はそういうと、カップ酒をぐびりとあおる。

「その……、ゴッホみたいに……、ものすごい値段で売れるなんてことは……」

「絵に何万も何億もの金を出すやつなんて、絵の価値がわからん奴だ。価値がわからんから金額に置き換えるんだ。考えてもみなさい。絵なんて、キャンバスに絵の具を塗って、額縁で囲っただけ。原価二万円くらい。だとすれば、どんなに高くても絵の値段なんて10万くらいが本来の値段だ。それが『芸術性』とやらでウン千万にもウン億にも跳ね上がるわけだが、芸術性を金額であらわそうとする時点で、そもそも芸術がわかっとらんということではないのかね」

そういうと、仙人は再びカップ酒を口に含む。

「同じ芸術でも本やレコードは、中にどんなことが書かれていようが、どんな曲が入っていようが、それで値段が変わることはまずない。まあ、中古なら多少の変動はあるかもしれんが、芥川の小説は文庫でも何十万とか、ビートルズのレコードは何千万とか、そんな馬鹿な話はない。誰の作品だろうと、本はみな同じ値段だし、レコードはみな同じ値段だ。要は、『芸術性』に値段なんて最初からついちゃおらんのさ。それを買い手が勝手にやれ希少価値だなんだと、芸術とは関係のないところで値段を釣り上げた結果、フィンセントの絵は何億という値段になってしまった。ばかばかしい」

「あ、あの……」

芸術論を語る仙人に水を差すのはなんだか申し訳ない気がしてきたが、たまきは勇気を振り絞って質問をぶつけた。

「仙人さんは……、普段どうやってお金を稼いでいるのですか……?」

たまきの問いかけに仙人はにやりと笑う。

「はっはっは。『稼いでいる』、か。稼いどったら、こんなとこにはいないなぁ。まあ、それでもいいなら話してやろう。」

仙人は空になったカップ酒の便を傍らに置いた。

「わしは主に空き缶を拾って生活しとる」

「空き缶……ですか?」

「そうだ。道に落ちとるのもそうだし、ごみ箱に捨てられてるものもある。それを拾っておる」

「拾ってどうするんですか?」

「売るのさ。空き缶をつぶしてリサイクルしとる業者にな」

「その……空き缶拾いって……、一人でするんですか?」

「ん? ……ああ、そうだな」

たまきの質問の意図がわかりかねたのか、仙人は少し怪訝そうな顔を見せた。

たまきは、少し体を、仙人の方に傾けた。

「わ、私にもできますか?」

今度は仙人は驚いたようにたまきを見た。

「お嬢ちゃん、空き缶拾いがしたいのか? お嬢ちゃんはまだ若い。そんなホームレスの真似事なんぞしなくても、もっといい仕事はたくさんある。空き缶拾いの話なんか聞いたって、お嬢ちゃんの役に立つとは思えんがなぁ」

「それでも……いいので……」

たまきの言葉に何か切実なものを感じ取ったのか、急にまじめな顔つきになって、あごのひげを触りながら、

「そうだな……」

とつぶやいた。

「まあ、基本は体力勝負だ。丸一日自転車を走らせ、町中のごみ箱をめぐり、ごみ袋がパンパンになるまで拾う。一袋、2キロぐらいかな」

「にきろ……」

「その袋を二つ、三つと一気に運ぶ」

そんな重いもの、持ったことあるかな、とたまきは不安になってきた。

「パンパンになった袋が二個か三個ぐらいになるまで集めるのが普通だな」

「それで、いくらくらいになるんですか……」

「そうだな……、缶の種類によっても違うんだが……、大体1キロ100円以内だな」

重いごみ袋を持って一日中駆けずり回って、千円にもならない。

いや、そもそも、稼げる稼げない以前に、たまきにこういった仕事はできない可能性の方が高そうだ。ジュースの缶を一人じゃ開けられないのに、その缶を何キロも担いで街を回るなんて。

たまきは「力仕事」と書かれた紙も、頭の中のごみ箱に入れた。

 

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それから何日かして、たまきはまたリストカットをした。前に切った時から十日経っていた。

たまきは亜美に連れられて、舞の家を訪れた。

たまきの手首に包帯を巻きながら、舞は亜美に向かって話しかける。

「どうしてたまきを連れてきた」

「だって先生が、たまきが切ったら必ず見せろって……」

亜美が舞の冷蔵庫から勝手に拝借したチョコを食べながら答える。

「だからって血がどろどろ流れてるのに連れてくる馬鹿がいるかよ。電話すればこっちから行った。傷口から雑菌が入って炎症を起こすことだってあるんだぞ! タオルがガーゼ当てて、傷を高く掲げて、あたしが来るまでおとなしく待ってろ!」

「先生、なんか医者みたい」

「医者だバカ! 今まであたしのことを何だと思ってたんだ!」

舞が亜美をキッとにらみながら言った。

「でも、医師免許はもう捨てちゃったんでしょ?」

「いやいや、病院勤務を辞めただけで、医師免許はちゃんとまだ持ってるぞ」

舞は深いため息をつくと、たまきの腕の包帯をぎゅっと縛った。

「よし、終わりだ」

たまきは舞にぺこりと頭を下げる。

「大体、今回の傷は結構深いぞ。その状態でお前らここまで歩いてきたのか? よく通報されなかったな」

舞が余った包帯を救急箱にしまいながら言った。それに対して、亜美があっけらかんとして答える。

「あ、歩いてきたんじゃなくて、ビデオ屋の店長がビルのわきに自転車止めてたから、それ借りて後ろにたまき乗せて……」

「アウトだバカヤロー!」

救急箱を片付け始めた舞が声を上げた。

「アウト? なんで? あ、さっき言ってた、バイキンがウンタラとかそういうの?」

「二人乗りが普通にアウトだって言ってんだよ!」

「え? なんで?」

「そういう法律だバカ!」

舞が救急箱を乱暴に戸棚に押し込めながら、がなる。

「でも、たまき、血ぃ出してんだよ? ほら、救急車ってそういう時、何でもありじゃん?」

「救急車は何でもありじゃねぇし、そもそもお前は救急車じゃねぇ!」

「じゃあ、走ってくればよかったの?」

「連れてくんなって最初から言ってるだろ!」

舞はソファの上にどさりと体を投げ出すと、深々とため息をついた。

「もうやだ……、疲れた……」

「たまき、先生疲れたってさ。ちゃんと謝んな」

「ごめんなさい」

「たまきにじゃねぇよ! 亜美、お前との会話に疲れたんだよ!」

「え、なんで?」

意味が分からない、と言いたげな亜美の顔を見て、舞はまたため息をつく。

「ねえねえ、なんでウチと話してると疲れるの?」

「たまき……、助けてくれ……」

舞はゾンビにでも襲われたかのようにげっそりとした顔でたまきの方を向いた。急に話を振られてたまきは驚く。

「え、わ、私ですか? た、助けるってどうやって……」

「なんでもいい。話題を変えてくれ。あたしはもう、コイツとの会話に疲れた……」

そんなこと言っても、すぐに思いつく話題なんて……。

「ら、ライターのお仕事ってどういうのなんですか?」

たまきの言葉に、亜美も舞も驚いたような目でたまきを見た。

「お前、急にどうした?」

「え、だって、舞先生が話題変えろって……」

「いや、そうだけど、お前の口から仕事の話が出るとはな……」

「変ですか……?」

たまきは少しうつむきがちに尋ねたが、舞は、

「大丈夫だ。お前はもともとヘンだから」

と、どう解釈したらいいのかわからないことを言った。

「お、たまき、仕事にキョーミがあるのか?」

亜美が身を乗り出して尋ねる。たまきは、

「……いえ……その……」

とこれまたどう解釈したらいいのかわからないことを言った。

「じゃあさ、今度、ウチのシゴトバに社会科ケンガ……」

「絶対に嫌です」

今度はたまきははっきりきっぱり言葉にした。

「ライターの仕事か……、そうだな……」

舞は少し天井を見つめるようなしぐさを見せた。

「少なくとも、病院に勤めていたころよりは気が楽だな。朝、電車乗らなくていいし、あまりに人に会わなくていいし、ある程度の融通は効くし」

「わ、私にもできますか?」

たまきはまた、舞の方に体を傾けて尋ねた。

「なに書くのさ?」

「え……!」

舞の言葉に、たまきの顔が少しこわばる。

「日本は識字率が高いから、『文章を書く』程度だったら、ほとんどの人ができる。だからこそ、何か突出した才能や個性が必要になってくる。あたしの場合は医者だったから医療系に特化した記事を書くようになったけど、お前はどうするつもりだ?」

「どうする……?」

そんなこと言われても、人に話せるような引き出しがたまきには何もない。

やっぱりたまきは何の役にも立たない、「ひきこもりのたまきちゃん」のようだ。

「せんせー、ウチもしつもーん」

「疲れないやつにしてくれ」

舞が亜美を見ることなく言った。

「先生さ、ライターやめようと思った事あんの?」

「ん? 何度もあるぞ」

舞が、亜美が机の上に散らかしたチョコを食べながら言う。

「へぇ、いつ?」

「最近だとおとといくらいだな」

「ついこの前じゃん。なんかあったの?」

亜美もチョコをほおばりながら言う。

「よく仕事もらってた雑誌の廃刊が決まって、そうなると収入面で結構打撃でな、そろそろ廃業して、病院勤務に戻ろうかな、って頭によぎったよ」

「ライター辞めちゃうんですか?」

たまきが心配そうに舞を見た。

「ま、三か月に一回くらい、『廃業』の二文字は頭にちらついてるからな、この程度はよくある話だ。ライターに限らず、あたしみたいなフリーランスの欠点はとにかく不安定なところだな」

そういうと舞はたまきの目をまっすぐに見て、

「ちょっとは参考になったか?」

と言ってほほ笑んだ。

「……まあ」

「たまきにできる仕事はなさそうだ」と結論付けるのには、役に立つ話だった。

そんなたまきの肩を亜美がポンと叩く。

「ま、いきなりライターみたいな働いてんのか働いてないのかよくわかんない仕事よりはさ」

「お前に言われたくねぇよ!」

舞ががなる。

「とにかく、まずは簡単なバイトから始めてみたらいいじゃん」

「……亜美さんは私にアルバイトができると思いますか?」

「さあ、ウチ、やったことないからわかんない」

亜美は白い歯をにっと見せて笑った。その後ろで舞が深くため息をつく。

「何のバイトをやるにしてもたまき、まずは面接に受からんといけないぞ」

「はい……」

たまきがさみしげにつぶやいた。

それが問題なのだ。どんなアルバイトをするにしても、大体が面接で決めるという。

人と話すなんて、たまきが一番苦手なことなのだ。

「自信なさそうな顔してんな」

舞はそういうと微笑んだ。すると亜美が

「じゃあさ、コンビニで履歴書買ってきてさ、先生相手に練習すればいいじゃん」

どこか他人事のように言った。

「なんであたしがやらなきゃいけないんだよ」

「だって、先生、仕事なくなっちゃって暇なんでしょ?」

「……悔しいけど、暇だ!」

舞は本当に悔しそうに言い放った。

 

亜美がコンビニで買ってきた履歴書に、たまきが鉛筆で記入する。

「ほんとはボールペンの方がいいんだけどなぁ」

履歴書に書き込むたまきのつむじを見ながら舞が言った。

「さて、設定どうするかな……。あたしが学生の頃、ドラッグストアでバイトしてたから、それでいいか」

「……はい」

たまきが力なく答えた。

「……できました」

たまきは顔を上げると、自信なさげにそういった。

「じゃあ、はじめっか。えー、次の方どーぞー」

舞は病院の診察室の呼び出しみたいな感じで言った。

「……よろしくお願いします」

たまきはぺこりと頭を下げると、履歴書を舞の方におずおずと差し出した。

「たまき、こういうのは相手の読みやすい方向で渡した方がいいぞ」

舞が履歴書をくるりと上下反転させた。

「あ、ご、ごめんなさい」

たまきが力強く、メガネがずれるんじゃないかという勢いでぶんぶんと頭を下げる。

「ま、本番でやらなければいいから」

そういって舞は履歴書に目を通す。

氏名の記入欄にはひとこと「たまき」。

ご丁寧に、ふりがなの欄も埋めてある。ふりがなももちろん「たまき」。

「お前、名字はどうした?」

たまきは答えない。

「名字はどうした。家に置いてきたのか?」

たまきは下を向いたまま答えない。

「……ま、練習だしな」

舞はそう呟くと次に住所欄を見る。

今度は何も書いてない。

「ま、練習だしな……」

舞は自分に言い聞かせるようにそう言った。

「では、なぜうちのバイトを志望したのですか?」

「……え、えっと、なんて答えれば……」

「まあ、バイトだからな、そんなたいそうな動機じゃなくても大丈夫だよ。お金が欲しいからとかでもいいし、ウチから近かったからでもいいさ。ただし、はっきりと答えること」

「え、えっと、その、お金が欲しくて……、それで……」

たまきはまるで初めて日本語を話すかのような困惑した顔をしている。

「……たまき」

舞は、なるべく威圧しないように、声色を選んで話した。

「お前がそういうの苦手なのはわかるけど、面接の時ぐらいはちゃんと相手の目を見て話さないと、印象が悪くなるぞ」

「……はい」

たまきは申し訳なさそうにうつむくと、

「ありがとうございました……」

と言って履歴書を手に取って下がった。

その時、少し堅苦しい空気を、打ち壊すかのように亜美が手を挙げた。

「せんせー、ウチも履歴書できたから、面接してー」

「は? なんで?」

舞が心底イヤそうな顔をして亜美を見た。深く深くため息をつくと、

「次の方どーぞー……」

とやる気なく言った。

たまきが座って居た席に、今度は亜美が座る。亜美は片手で履歴書を

「ほい」

と舞に差し出した。舞は無言で受け取る。

氏名欄にはただ一言「亜美」。

何を気取っているのか「ふりがな」のところには「ami」と書いてある。

「だから、お前ら、名字を書け!」

舞があきれたように言った。

「えー、名字、必要なくない?」

「本名書かない履歴書なんかあるか、バカ」

「でもさ、ほら、キャバ嬢とかって、本名と違う名前で働いてるじゃん」

「おい、ドラッグストアって設定だろ……。それにな、キャバクラとか風俗だって、履歴書にはさすがに本名書くぞ」

「詳しいじゃん。先生、そういうのやってたの?」

「一般常識だ、バカ!」

舞はだんだんイライラしているかのように顔をしかめていくが、亜美はあっけらかんとにこにこしている。

「でもさ、先生、まだ若いし、スタイルいいし、キャバクラとかまだまだいけるんじゃない? 仕事なくなっちゃったんでしょ? キャバクラだったら稼ぎもいいし、この町だったら通いやすいじゃん。週末とか、シフト入れる?」

「面接してるのはあたしだ! お前は面接される方!」

舞が机の上の履歴書をバンバンと叩いた。

舞は深い深いため息をつきながら、住所の欄に目を通す。

住所欄には「東京都、城」。

もう、これにはツッコまないことにした。いちいちツッコんでいたら、寿命が縮まりそうだ。

舞は脚を組みなおすと、履歴書を見ながら言った。

「大体、お前の方こそ、いまみたいな暮らしをするくらいなら、キャバクラでも風俗でも、どっかの店に入った方が、まだましなんじゃないのか。十九歳が働けるのかどうか知らんけどさ」

すると亜美はあっけらかんとして、

「ウチ、人に雇われるの嫌いなんだよねー」

「じゃあ面接なんかやめちまえ!」

舞は亜美の履歴書をぐしゃりとつかむと、ごみ箱にたたきつける。

「ちょっと、捨てることないじゃん!」

亜美がごみ箱からしわしわになった履歴書を拾う。一方、舞はソファの上にごろりと横になった。

「もうやだー! 疲れたー!」

「たまき、先生疲れたってさ。カワイソウだから帰ってあげようぜ」

「は、はい。お、お邪魔しました」

「またねー」

「とっとと帰れー!」

舞がソファに寝転がったまま怒鳴った。

部屋のドアがばたりと閉じた。

 

写真はイメージです

志保が息を切らせて階段をのぼり、「城」へと帰ってきた。ドアの前で呼吸を整えると、軽くノックしてから中に入った。

中では亜美がソファに腰かけて、携帯電話をいじくっている。一方、たまきはその反対側のソファの上で、ひざを抱えて横になっていた。

「ただいまー」

「お、おかえり」

と亜美が反応した。少し遅れて、

「……おかえりです」

とたまきが力なく答えた。

「どうしたの? 元気ないね」

と志保が、いつものように声をかける。

たまきは返事をしなかった。その代わり、答えたのは亜美だった。

「たまきは今、仕事について悩んでるんだってさ」

「しごと?」

「ああ、自分にできる仕事がないつって」

志保がたまきの方を見る。たまきも志保の方をちらりと見ると、目線を下の方に外して、

「けっきょく私は、何の役にも立たない『ひきこもりのたまきちゃん』なんです……」

とつぶやいた。

「ちゃん?」

「あ……、いえ……、その……、ひきこもりちゃんなんです」

なんだか、言い直さない方がよかったような気もする。

「何の役にも立たないなら、私は何のために生まれてきたのでしょうか……」

「……なんだか哲学的だね」

「ウチらは何のために生まれてきたのだろうか。ウチらはなぜ生きてるのだろうか。ウチらはどこへ向かって歩いていくのだろうか」

と亜美がガラにもなく哲学的なことを言った。

「亜美ちゃんまでどうしたの?」

「たまにはテツガクしたくなる夜だってあるさ」

今はまだ夕方である。

「たまきちゃんが何の役にも立ってないなんて、あたしは思わないけどなぁ」

志保はそう言ってほほ笑むと、たまきのすぐ隣に腰を下ろした。

「でも、私は亜美さんみたいにお金稼いでないし、志保さんみたいに働いているわけでもないし……、料理ができるわけでもないのに……、本当にここにいてもいのかなって……」

まるで亜美はお金は稼いでいるけど働いていないかのような言い方だが、幸いにも、亜美はそのことに気付かなかったらしい。

一方、実は志保は「その言い方じゃ、亜美ちゃん働いてはいないみたい……」ということに気付いていたが、あえて気づかないふりをして話を進めた。

「わすれちゃった? たまきちゃんがいなかったら、今頃あたしは、ここにはいないんだよ?」

「え?」

たまきがうつむいた顔を上げて、志保を見る。

「あたしがライブハウスで財布盗んだとき、たまきちゃんが引き留めてくれなかったら、あたしは今頃ここにいないんだよ。みんなでシブヤでカラオケすることもなかったし、たまきちゃんの誕生日を祝うこともなかった。全部、あの時たまきちゃんが引き留めてくれたからだよ。本当に感謝してる」

たまきは、言葉が出なかった。

「だから、たまきちゃんが何の役にも立っていないなんて、そんなことないんだよ。ただ、ここにいる。それだけでたまきちゃんは十分あたしの、ううん、みんなの役に立ってるんだよ。ただ、ここにいる、それだけでいいんだよ」

「……そうなんですか?」

何もしなくても、そこにいるだけでだれかの役に立つ。本当にそんなことあるのだろうか。

「だいたいなぁ」

そういって亜美が携帯電話を置いて立ち上がった。

「役に立たないからここにいちゃいけない、生きてちゃいけないなんて考えてるのがそもそものマチガイなんだよ。『ただ、ここにいる、生きている』って当たり前のことしてんのに、どうして誰かの役に立ったり、誰かの許可を得なければいけないんだよ。役に立たなくたって、許可が下りなくたって、生きてくしかないじゃん。生きてんだから」

そういうと亜美は胸の前で腕を組んだ。

「だから、ウチらが家賃を払わなくたって、ただ、ここにいるだけなんだから、誰かの許可なんて必要ない!」

「それ言いたいだけでしょ、亜美ちゃんは~」

志保が苦笑した。

「でも……」

とたまきはまたうつむきがちに言った。

「やっぱり、私はいつも役に立っているわけじゃないし……」

志保はまだどこか不安げなたまきを見ると、少したまきの方に詰め寄った。

「たまきちゃんは、いまでもちゃんと役に立ってるよ。言ったでしょ? たまきちゃんがいるから、あたしは今、ここにいるんだって」

「でも、ただここにいるだけでいいっていうのはさすがに……」

「そんなことないよ。たまきちゃんはここにいるだけで、十分なんだから。例えば……」

そういうと、志保は亜美の方をちらりと見て、

「前々から思ってたんだけどさ、あたし、あの人と合わないんだよねぇ。たまきちゃんがいなかったら、今頃、自分から出て行ってるかも」

と言ったので、たまきは驚いて、志保と亜美の顔を交互に見比べた。

志保と亜美が合わないなんて、そんなことないだろう。だっていつも、二人で話してて、たまきはいつも話に入るタイミングを見計らって、結局は入れない。話題も学校の友達の話とか、恋愛話とか、メイク道具の話とか、テレビの話とか、たまきには縁遠いことを二人で話している。二人が性格合わないなんてそんなこと……、

「同感だね」

亜美がそういったので、たまきはますます驚く。

「ウチも前々から思ってたんだけどさ、ウチら、合わないよ」

「え? そうなんですか?」

たまきが大きく目を見開いて、志保の方を見た。

「だってさ、たまきちゃん、信じられる? あの人、誰とでもエッチできるんだよ?」

「おい! 今の言い方はゴヘイがあるぞ! 別に『誰とでも』ってわけじゃねーよ。ウチにだってオトコの好みぐらいあるわ!」

「でも、別にカレシ以外の人とも平気でエッチできるでしょ? そういうのを『誰とでも』っていうんです!」

「だってさ、毎回おんなじオトコとヤッてたらさ、飽きない?」

「飽きないよ! 何言ってるの⁉」

「でもさ、いくらカラアゲ好きでも、毎日カラアゲ食ってたら飽きるだろ? それと一緒だよ」

「恋愛とから揚げは一緒じゃないよ!」

そういうと、志保はたまきの方に向き直り、詰め寄った。

「わかったでしょ? あたし、あの人と合わないの。たまきちゃんが一緒にいてくれるから、何とかやっていけてるんだよ」

「そ、そうだったんですか……」

そんなに自分の存在が大事なのか、とたまきは不思議に思う。

「確かに、たまきの存在は大きいかもなぁ」

そういって亜美が、すぐ近くのソファに腰を下ろした。

「たまきの存在は何つーか、ウチら二人の間に入れる……ほら……」

「緩衝材?」

志保が亜美の方を見て尋ねる。

「そうそう、それ。コンドームみたいなもんだよ」

「え⁉」

たまきの表情がこわばり、志保が

「全然違うよ!」

と素っ頓狂な声を上げた。

「え? ちがうの? 似たようなもんだろ? だって、コンドームって、アレとアソコの間に……」

「もう、この人やだー! 疲れたー!」

志保はたまきの方を向くと、ぬいぐるみでも抱くかのように、勢いよくたまきに飛びついた。

「ふええ!」

慣れないことをされて、たまきが変な声を上げる。

「ねえねえ、なんでみんな、ウチと話してると疲れるの?」

「たまきちゃん助けてぇ!」

亜美が志保の体を揺さぶる。同時に、志保が抱きついているたまきの体も揺れる。

ゆっさゆっさと揺れながら、たまきは考えた。

こんな私でも、誰かのそばにいるだけで、抱きつかれるだけで役に立つのなら、

こんなに幸せなことはない。

……のかな?


次回 第19話「赤いみぞれのクリスマス」

クリスマス、何も起きないわけがない。

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クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。