僕はピースボートのエコシップ新造船を面白く思ってなかった

ピースボートのエコシップ新造船が頓挫したらしい。頓挫と言っても就航が伸びただけなのだが、事前に風潮していた計画通りにはいかなかったことには変わりない。普段ピースボートに関する記事を書いている以上、僕にはエコシップ新造船に関して何か言う責務があると思い、今回筆を執った次第だ。


エコシップに興味がない

ある日、このブログの閲覧数が2倍に跳ね上がった。

ピースボートについて書いた記事の閲覧数が跳ね上がったのだ。

「ついに私の時代が来たか!」と思ったのだが、アクセスが跳ね上がった原因はすぐに分かった。

この記事だった。

ピースボート 570億円「豪華客船」計画が“座礁”

かねてより2020年の就航を目指していたピースボートの「エコシップ」が、計画が2年延びているよ、という記事だ。なんてことはない。「他人の炎上」の恩恵を受けていただけだったのだ。「他人の炎上商法」は火元が所詮は他人だけあって、収束するのも早い。2日後にはいつも通りのアクセス数に戻っていた。アーメン。

助けると思って、もう一度炎上してくれないか、ピースボート。

さて、ピースボートが文春砲を食らった形だが、ピースボート界隈でうろちょとしている人間からすれば、実は1年ほど前からこう言ったうわさがちらほら聞こえてきていて、何ならエコシップの計画が発表された時から、なんとなくこういう落ちになりそうな気がしていたので、「どうせそんなこったろうと思った」が僕の偽らざる本音だ。

とはいえ、すでに2020年のエコシップに申し込んでいる人からすれば、「そんなこったろうと……」なんてのんきなことを言っている場合ではない。以前にも、僕のブログに「エコシップについて何か書かないのか、いや、書くべきだ」といった感じのコメントが寄せられた。

その時にはっきりと書いたのだが、僕はエコシップに興味がないから、何か語るほどの知識がない。

ところが今回、このような報道が出た。報道が出た以上、普段ピースボートに関する記事を書いているからには、いよいよもってエコシップについて何か書く責務があるのだろう。

ところが相変わらず、エコシップに興味がないから、語るほどの知識がない。上にリンクを張った記事に書かれていた以上のことは知らない。

どうしてそんなに興味がないのか。

正直に言えば、僕は、エコシップの計画がうまくいくのが面白くなかった。面白くなかったから、無意識のうちに情報をシャットアウトしていたのだ。

エコシップが面白くない

話は3年前にさかのぼる。

2015年の9月だったか10月だったか、船の中で大々的にエコシップの計画が発表された。

オーシャンドリーム号よりも大きく、豪華で、それでいてエコなのだというエコシップ。その完成想像図を見た時は、「なんだかおばけクジラみたいな船だなぁ」と思ったものだ。

これだけ豪華な船なら、今まで通り「地球一周99万円」とはいかないだろう。オーシャンドリーム号と併用するという話だったから、お金のない若者はオーシャンドリームへ、お金のある人たちはエコシップへ、というすみわけでもするのだろうか、などと考え、たぶん自分は乗ることはないだろうなぁ、と思った。

と、同時に、ある疑惑が頭の中に浮かんできた。

「もしかして、大宮ボラセンがつぶれたのって、このエコシップのせいじゃないのか?」

大宮ボラセン。僕が仲間たちとポスター張りにいそしんだ、ピースボートの支部の一つである。

2015年当時、全国に9か所のピースボートのセンターがあった。その中でも大宮はちょっと変わっていて、事務所と言いつつもマンションの一室を借りているという小規模なものだった。スタッフ二人で回していて、所属しているボランティアスタッフも少人数だった。

何より、不思議と社会で何か躓きを経験した人が集まっていた。戯れに自分の心の闇を語る回というのをやってみたら、全員何かしらネタを持っていたのだから笑えない。

大宮ボラセンは、ピースボートの出先機関や、ポスターを貼るためのというよりも、社会で躓きを経験したものの、駆け込み寺、居場所という役割が大きかった。

だが、そんな大宮ボラセンも、僕が船に乗っている2015年10月31日をもって、閉鎖してしまった。

閉鎖の話を聞いたのは、初夏の土曜日だった。大宮だけでなく船橋と札幌のボラセンも閉鎖になるとの話だった。

常々スタッフからは「いつまでも大宮ボラセンがあるとは限らない」と言われてはいた。実際、その半年ほど前に神戸のボラセンが閉鎖されていた。

だが、当時の大宮ボラセンはマンションの一室という小規模な事務所にしてはかなりの人数が在籍していた。地元の埼玉県に住む人だけでなく、東北や北陸からも、地球一周を目指すボランティアスタッフがやってきていた。

何より、ポスターの枚数的にも結果を出していた。

「いつか閉鎖になるかもしれない」ということはわかっていたが、そうならないように結果を出していたつもりだった。だからこそ、閉鎖の話は寝耳に水だった。

閉鎖の話を聞いたとき、「ピースボートも色々あって、東京の高田馬場にある本部にスタッフを集中させるため」という説明を受けた。

ピースボートの細かい内情については聞いても教えてくれないと思ったし、閉鎖のことについて文句を言う気にはなれなかった。全く納得していなかったが、誰よりも悔しいのは、大宮でボラセンをやることにこだわり続けていたスタッフの方だとわかっていたから。

ただ漠然と「やむにやまれぬ事情があって、地方のボラセンを閉鎖せざるを得なかったのだろう」と考えた。もしかしたらピースボートは存続の危機にあるのではないか、とも考えた。

だからこそ、エコシップの話を聞いたときに、椅子から転げ落ちるんじゃないかと思うくらいびっくりしたのだ。結構余裕あるじゃないか、ピースボート、と。

大宮ボラセン閉鎖とほぼ同時期に飛び込んできた、エコシップ新造船の話。

もしかして、このエコシップを造るために、大宮ボラセンは閉鎖されたんじゃないか。僕はそう考えた。

はっきり言わなければならないのが、これは僕の憶測であり、それを裏付ける根拠は何一つない、ということだ。大宮ボラセンの閉鎖と、エコシップの新造船の因果関係を、僕は証明できない。

ただ、この二つのタイミングがあまりにも近かったので、何か関係があるんではないかと思った、そして、今でもそう思っている、という話だ。

客観的に考えれば、別に問題行為ではない。ピースボートが新たな目玉となる船を造るため、地方の支部を閉鎖して、スタッフを東京に集中させた。別に何も問題ではない。ピースボート内の人事の話だし、ピースボート内の人事をどうしようがそれはピースボートの勝手である。

不利益を被ったのは我々地方のボラセンに通うものとそのスタッフぐらいだ。だが、何度も言うがピースボートの支部をどうしようがピースボートの自由である。

ただ、一方で、もっとやむにやまれぬ事情があったのならまだしも、こんなシロナガスクジラのおばけみたいな船を造るために大宮ボラセンが閉鎖されたのではないか、と考えると、なんだかばかばかしいと思ってしまったのだ。

正直に言う。面白くなかったのだ。

ピースボートがエコシップの計画を大々的に宣伝する裏で、「くっだらねぇ。頓挫すればいいのに」と割と本気で考えていた。

だから、無意識化にエコシップの話をシャットダウンするようになった。船内でエコシップの話が出るたびに、心の中で舌打ちをしていた。

自分からエコシップについて調べるとか、ましては何かを書くとか、そういう発想はなかった。エコシップについて考えるだけで腹が立ち、面白くなかったのだ。

だから、僕はエコシップについて、何にも知らないのだ。

何度も言うが、ボラセンの閉鎖にエコシップが関係しているというのは、僕の憶測である。人から見たら妄想に近いものかもしれない。

つまりは、逆恨みみたいなものである。

エコシップは頓挫したけれど……

さて、そうして僕は無意識のうちにエコシップの話題に触れることを避けてきた。

そこに来て、今回のこの報道である。

すでにエコシップ乗船の申し込みを始めてしまっていたにもかかわらず、肝心のエコシップが完成しないため、問題となっている。せめて完成のめどが立ってから乗客を募集すればよかったのに、どうして青写真描いてる段階で募集始めちゃったかなぁ、バカだなぁ、というのが率直な感想だ。

さて、エコシップ計画がうまくいくことが面白くなかった僕は、この状況にさぞかし高笑いしていることだろう。「は~はっは! 考えが甘いんだよ、バカめ! ざまぁみろ! 迷惑かけた人たちに謝れ! 土下座して土をなめろ!」と指をさしてゲラゲラ笑っていることだろう。

……それが意外にもそうではないのだ。自分からしてもこれは意外だった。

エコシップがうまくいかないならいかないで、それはそれで面白くなかったのだ。

「わざわざ大宮ボラセンつぶしてまでして作ろうとしてる船(個人的な憶測です)なんだから、やるんならきちんと完成させろよ! こんな体たらくじゃこっちも浮かばれねぇだろ!」と思ったのだ。

料理される前に廃棄される豚肉ってのは、きっとこんな心情なのだろう。

殺されて食べられてしまうのは不本意だし受け入れがたい。だが、どうせ食べられるのなら、せめておいしく食べてくれ。殺しといて料理しないなんてそりゃないだろう、という話だ。

エコシップがうまくいくのは面白くない。

かといって、エコシップがうまくいかないのも面白くない。

何のことはない。どっちに転んでも面白くなかったのだ。

どっちに転ぼうが、大宮ボラセンはもうないのだから。

どっちに転ぼうが、この事実が変わることはなかったのだ。


「大宮ボラセンがなくなる」と聞かされたのは、初夏の土曜日だった。

その日は岩槻にポスターを貼りに行った。

不思議なもので、「ボラセンがなくなる」と朝に聞かされた時点では、情報としては理解していたが、感情としては理解していなかった。

感情の理解が追いついたのはその日の昼、カレーを食べていたときだ。急に泣きたくなって、「カレー屋で泣いたら絶対ヘンな人に思われる」と必死にこらえた。

その日丸一日、ポスター貼りのために岩槻を歩きながら考えてたどり着いた結論は、「大宮ボラセンをつぶすわけにはいかない」だった。

前述の通り、大宮ボラセンは僕らにとっては、単なるピースボートの出先機関、以上の意味があったのだ。埼玉のあそこに、ああいう事務所があって、ああいう人たちが集まる場所がある。そのことに意味があったのだ。

埼玉から、そのような場所をなくすわけにはいかない。

ピースボートに抗議する、というのもほんの一瞬頭をよぎったが、すぐにその考えを捨てた。ピースボート側は、ボラスタから不平不満が出るのは承知のうえで、「閉鎖」という結論を出したはずだ。今更文句を言おうが、抗議をしようが、覆ることはないだろう。

それならば、せめて「大宮ボラセン」の記憶を、名前を、強烈に残そう。そう考えた。

「88回クルーズの大宮は熱かったな。なんか、閉鎖だなんてもったいないことをしたな」

ピースボートにそう思わせてやろうと思った。いつか、「地方のボラセンを復活させよう」となった時に、大宮の名前がそこに必ず入るように。

僕が船の中でやってたことの7割は、そういった理由によるものだ。

それでいて、僕は「いつか大宮ボラセンが復活しますように」と仏壇に毎日手を合わせて拝むだけの人間では無い。

自分が動かなければ。

重要なのは、どんなかたちであれ「そういう場所」があることだ。それは必ずしもピースボートでなくてもいい。

そしてそれは必ずしも三次元な空間でなくてもいい。自分の言葉一つが、社会に躓いた誰かの力になれれば、居場所になれれば、そう思ってこの3年を生きてきた。

……つもりなのだが、ここ最近、「本当にできているのか」と考えさせられることが多い。

去年の年末、ラブライブのアニメを見ていた。

好きな声優さんが出てるから、という理由だけだったのだが、その物語がかなり自分と重なった。

主人公たちはスクールアイドルといって、要は学校の部活のような感じでアイドル活動をしているのだが、その肝心の学校が閉鎖になってしまう。

だったら、そのアイドルの大会「ラブライブ」で結果を出して、学校の知名度を上げて入学者を増やせば、閉鎖を免れるのではないかと考え、主人公たちは奮闘する。

その結果、彼女たちはラブライブの決勝に駒を進めることとなる。

だが、それでも入学者は増えず、閉鎖という結論が覆ることはなかった。

いよいよ閉鎖が確定した時、主人公たちは「閉鎖が覆らないのなら、せめてラブライブで優勝して、学校の名前を残そう」と決意する。

もう、どんなに輝かしい結果を残そうとも、閉鎖と言いう結論が覆ることなどないのに。

なんだか、3年前の自分を見ているようで、気が付いたら泣いていた。クッソ~、ラブライブで泣く予定なかったのに~。

だが、あまりにもそっくりだったのだ。主人公たちが置かれた境遇も、「せめて名前を、記憶に残そう」と決意するところも。

同時にふと思う。

あれから3年、自分はあの日の決意に何か報いているのだろうか、と。

やるべきことはやっているつもりなのだが、本当に前に進んでいるのだろうか、と。

こういうことは不思議なめぐりあわせで、そんなことを考えた矢先に今回の報道が出てきて、また3年前のことを思い出す。

おまけに、私の20代は残り1か月をすでに切っている。人生の節目とやらを迎えることを意識すると、余計に考えてしまう。

あの日の決意に、何か自分は報いているのだろうか。

前に進めているのだろうか。

もっとできることがあるんじゃないだろうか。

もっと向き合わなければいけないことがあるんじゃないだろうか。

24歳で仕事を辞めた時「30才までは好きなことをやる」と決めた。そして、あと1か月でその30歳がやってくる。

そして、20代のラスト半年になって、3年前の自分を思い出させるような出来事が重なる。

これはもう、30代の初めは、「大宮ボラセンをなくすわけにはいかない」というあの日の決意に向き合って生きていけ、という神の啓示、と書くと大げさだが、なんだかそんなめぐり合わせな気がする。

そう考えると、「何がエコシップだよ、面白くねぇなぁ」とぶーたれてる暇なんて、実はなかったんじゃないか、などと考えてしまう。

だって、エコシップがうまくいこうが、ダメになろうが、どっちにしても「大宮ボラセンはもうない」という事実は覆らず、どうせどっちに転んでも面白くないのだから。

現状が覆らないのであれば、無理に覆そうとするのではなく、覆らない現状を前提としたまま、少しでも自分にプラスになるように持っていく。今までもそうやってきたし、そうやって生きていくしかないじゃないか。

覆らない現状に文句言う脳みそがあったら、もっと自分のやるべきことに向き合った方がいいんじゃないだろうか。

だから、僕がエコシップについてぶーたれるのは、今回が最後だ。そして、これも何かのめぐりあわせだと考え、自分のやるべきことに向き合っていこうと思う。

あと、ピースボートは迷惑かけた人にちゃんと説明して、謝りなさい。やらかしてしまったという事実も覆らないんだから。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。