映画「タイタニック」を船旅経験者が見るとこう映る・後編

世界的に大ヒットした映画「タイタニック」にもし自分がいたら、果たして生き残ることができるのだろうか。前回は映画の前半を検証した。映画「タイタニック」の前半は単なる「船上のロミオとジュリエット」だが、後半部分は一気にパニック映画の様相を呈してくる。もし、この船に自分が乗っていたら、果たして生き残れるのだろうか。


青い海は雄大だ。

陸地から見るのと船の上から見るのでは、海というのは全く違う。

船から見る海は360度、一面の青い海。それ以外何もない。

遥か遠く、何キロも先まで見渡せるのだが、海の青と空の青、あとは波しぶきの白と雲の白。それ以外の色はなく、陸地はおろか船の姿もない。

海は常にうねり続け、そのリズムはまるで地球の鼓動そのものだ。

それは青一色の単調なものであるにもかかわらず、ずっと見ていても飽きることがない。飽きる飽きないという次元を超越した、地球の雄大さそのものである。

海は雄大だ。だが、たまにぞっとすることがある。

もし、この海に投げ出されたら?

まず、足がつかない。よく「足のつかないプール」なんてのがあるが、あんなものの比ではない。場所によっては海底は何キロも下、山すらもすっぽりと飲み込んでしまう深さである。

そして、周りにすがるものは何もない。周囲は何キロにも、何十キロにも渡って陸地は存在しない。誰もいない。

川や浜辺でおぼれたって恐ろしいというのに、見渡す限り水しかないこんな海の真ん中に万が一投げ出されたら?

いくら歴史が流れようとも、海の上の景色は決して変わらない。古代ローマの軍艦も、コロンブスも、カリブの海賊も、ジョン万次郎も、みな同じ景色を見て来たのだ。

そして、あのタイタニック号も。

映画「タイタニック」後半のあらすじ

映画「タイタニック」の後半は、それまでのメロドラマから一転、パニック映画の様相を呈する。

そのきっかけとなったのが氷山との衝突だ。タイタニック号は氷山に衝突したことで船底に穴が開き、そこから水が侵入、沈没する。

映画では海の上にひょっこりと氷の塊が現れ、正面衝突は回避されたものの、かするように衝突してしまう。

氷の塊は見た目こそ大したことないが、氷山の一角とはまさにこのこと。水面下には見た目からは想像のつかない氷の塊が沈んでいるのだ。飲食店でもらうお冷で、氷が水面からちょっとしか出ないのと一緒だ。

どうしてタイタニック号は氷山とぶつかってしまったのか。映画の中でも「氷山の情報はつかんでいたのに何ぜぶつかったんだ?」と疑問を呈している。

wikipediaを見ると、操船ミス説、なにかの陰謀で実はわざとぶつかった説、スピードの記録を狙っていた節、果てには呪いのミイラを積んでいたからだという月刊ムーに書いてありそうな説まである。

映画の中では、タイタニック号の性能を過信し、氷山を発見してから急旋回しても十分避けられると思っていた、とされている。

氷山にぶつかり、すごい衝撃が船内を走ったわけだが、衝突からの最初の十数分はまさか沈没するとは思えない緊迫感のない状況が続く。

しかし、船長たちは実はこの時点ですでに、もはや沈没するとわかっていた。

船内をいくつかの区画に仕切った時、浸水が4区画までなら船は浮いていられるのだが、すでに5区画浸水しているため、もうだめだという。

船長は船体放棄を決意し、乗客は救命胴衣を着て避難を始める。

とはいえ、氷山衝突からあれよあれよあっという間に船が沈んで行ってしまったわけではない。映画の冒頭で、氷山衝突から完全に沈没してしまうまで2時間40分かかったという。

つまり、船室にいたまま取り残されてそのまま沈んでいった、という人は、ゼロではなかったと思うが、少数派のはずだ。

船室から脱出し、上階へと逃げることはそこまで関門ではない。

問題は船から脱出する段階である。

まず、そもそもタイタニック号に積まれていた救命ボートは、乗客の半分しか乗れなかった。しかも、その理由が「ボートが多いと見栄えが良くない」というクソみたいな話だ。

さて、当然ながらオープンデッキに乗客は殺到する。クルーは女性と子供を優先的に救命ボートに乗せる。

さすがレディファーストの国、などと言っている場合ではない。これによって起きてしまうのが家族の分断だ。

船が沈没し、救命ボートで脱出するという状況で、パパと引き離されてしまった子供たち。助かったとしても、なんと心細い状況だろうか。

デッキの上はパニックだ。救命ボートが足りないとなればなおさら。「あっちにはまだボートがあるぞ!」とか「あっちは男性客もボートに乗せているぞ!」とか様々なうわさが飛び交い、人々は右往左往する。

やがて船内の浸水が進み、多くの人が取り残されたまま、とうとう船が前方に向かって大きく傾く。滑り落ちていく人たち。船はどんどん海に沈み、ついに足場がなくなる。

が、水の入った前方の重みに船が耐え切れなくなり、ぼっきりと折れる。一時的に船の後方は浮上し、向きも平らになるが、後方と前方は完全に分離したわけではない。やがて沈む前方の引っ張られて後方も徐々に垂直に傾き始める。

傾く船体にしがみつく人たち。もはやボートは残っていないのか、あっても準備できる状況でないのか。牧師が聖書の言葉を唱えているがその声は震えている。彼もまた、天国の入り口から逃れられないサダメなのだ。

これを悪夢と呼ばずして何と呼ぶ。

そして、船は徐々にスピードをつけて海の中へと沈んでいく。主人公であるジャックとローズは船体の一番上にしがみつく。最後まであきらめないと、海面との衝突に備えるジャックとローズ。「なんか、ディズニーランドのカリブの海賊ってこんな感じだったよなぁ」と不謹慎なことを想う私。

こうして、2時間40分をかけてタイタニック号は完全に沈没してしまう。

だが、それで取り残された乗客がみな死んでしまったわけではない。海中に投げ出されるも、救命胴衣を着ていたおかげで海面に浮かぶ人たち。

だからと言って助かったわけではなかった。彼らは市民プールにいるのではない。カナダに近い北大西洋沖、氷山が浮かぶような冷たい海の中にいるのだ。それも、時刻は真夜中。冷たい海にどっぷりつかって、しがみつくものも何もない。冷たさが徐々に体力を奪っていく。

救助のボートが戻ってくるが、いくらなんでも遅すぎた。死屍累々とはまさにこのこと。冷たい海水に熱を奪われて死んでしまったのだ。

ヒロインであるローズはその中の数少ない生存者だった。彼女の言葉によると、海に投げ出されたのは1500人。そのうち生存者はローズを含めてわずか6人だという(ローズは架空の人物です、念のため)。

検証:なぜこれほどまでの死者を出したのか

タイタニック号がこれほどの死者を出した最大の要因は、やはり絶対的に救命ボートが足りなかったことだろう。最初から半分しか助からなかったのだ。

救命ボートが足らないとなると、必然的に椅子取りゲームが始まる。お遊びの椅子取りゲームですら押し合いへし合いするのに、それが命がけともなればなおさら。パニックが起きるのはもはや必然だろう。

現代の客船では救命ボートが足りないなんてありえない!……と言い切れると信じたい。

だが、それでも気になることがある。

救命ボートは半分しかなかった。

それでも半分は助かったはずである。

タイタニック号の乗客は2200人。半分なら本来1100人は助かったはずだ。

だが、実際ボートに乗れたのは700人。あとの1500人は海に投げ出され、助かったのはわずか6人だ。本来乗れるはずの400人が乗り遅れたことになる。

ちなみに、この数字は映画の中で語られているものだ。今回の記事ではこれをもとに検証する。もしこの数字そのものが間違っているというのなら、文句は僕にではなくジェームズ・キャメロンに言ってくれ。

1100人乗れるはずのボートに700人しか乗っていなかったのだとしたら、もし2200人分のボートがあったとしても、1500人しか助からなかったという計算になる。

なぜ、ボートに定員ぎりぎりまで乗れなかったのだろうか。

映画の中ではクルーが救命ボートの転覆を心配して定員から大幅に少ない人数しか乗せず、船の責任者から「定員65人のボートに70人乗せてテストしてるんだ! 定員ぎりぎりまで乗せろ!」と一括されるシーンもある。

また、デッキの上はパニックを起こしていた。これから船が沈むとなればパニックになるのも当然だが、この混乱が避難を遅らせたのではないか。

おそらく、タイタニック号の乗客は避難訓練を行っていなかったのだろう。

だから、いざ沈没となっても、これからどういう行動をとればいいのかわからない。どこに逃げればいいのかわからない。どのボートに乗って逃げればいいのかわからない。誰から順番にボートに乗り込めばいいのかわからない。

その結果、デッキの上で押し合いへし合い、ボートを求めてあっちこっちを右往左往。乗客はもちろん、クルーも冷静ではいられない。

こうやって考えると、避難訓練って大切なのだなぁ、とつくづく思う。

何が一番大事って、緊急事態が起こった際に「どうすればいいのか」を知っているということだ。

現代社会ではなんでもネットでググればすぐに出てくる時代である。都市で生活する分には知識をため込むことになんてもはや価値がない。

しかし、こういったサバイバル的な状況となれば話は別だ。しっかりとした知識を持っていることが重要になる(そもそも、海上ではネットがほとんど通じない)。

とはいえ、「知っている」だけではだめだ。いかにちゃんとした知識を持っていても、いざ一大事となった時にパニックになって「わー、どうしようどうしよう!」と言って肝心の知識が出てこないのでは意味がない。よくクイズ・タイムショックで「いやぁ、この席に座ると、普段なら答えられる問題も答えが出てきませんねぇ」などという言葉を聞くが、事故だ災害だの時の緊迫感はタイムショックの比ではないだろう。

迅速に、正しい知識を脳みそから引き出さないと、死ぬ。

正しい知識を知っているだけでなく、それを冷静に引き出すことが大切である。

客船の避難訓練

ピースボートの場合、「24時間以上船に乗る場合は乗船後すぐに避難訓練を行う」と義務付けられている。この義務がピースボートのオーシャンドリーム号だけなのか、なにかの条約で決まっているのかは、調べても見つからなかった。

避難訓練は、船に乗って一番最初にやることだ。その後も1か月に一回のペースで避難訓練が行われている。

そもそも、こういう海上の安全対策が重視されたのは、タイタニック号の事故がきっかけと言われている。

避難訓練ではどのようなことをするのか。

まず、船長から「船体放棄を決意しました」との旨のアナウンスが流れる。それを聞いたら救命胴衣を身に着けて避難場所へと向かう。

タイタニックが沈没まで2時間40分かかったように、船に穴が開いて浸水が始まったからと言って、あっという間に沈むわけではない。必要な荷物を準備し、身支度を整え、トイレをすますくらいの余裕はある。決して、走ったりしないこと。

さて、ピースボートのオーシャンドリーム号の場合、船内に3か所の避難場所、というよりは緊急時の集合場所がある。これのどれに行ってもいいわけではなく、よほどのことがない限り原則として船室ごとに割り振られた集合場所へと向かう。

集合場所に向かうとクルーがいて、学校の出欠確認のように一人一人名前を読んで、ちゃんと来ているかどうかを確認する。

そして、外のデッキに出る。目の前には救命ボートがあり、これに乗り込んで逃げるわけだが、訓練ではそこまではしない。デッキに3列になるように並んで「では、この後ボートに乗ります」というところで訓練はおしまいだ。

ちなみに、不真面目に訓練中に友達とぺちゃくちゃしゃべっていても怒られることはない。本人この身で実証済みだ。

不真面目でも避難訓練を受けておけば、映画「タイタニック」の中で描かれた「どう行動したらいいかわからない」や「どこに行けばいいかわからない」といった不安から生じるパニックは回避できるはずだし、客室ごとにボートに乗り込む場所が決まっているので、ボートを求めて右往左往する混乱も避けられるはずだ。


映画「タイタニック」のラストシーンでは、事故から84年たち101歳となったローズが、夢の中でジャックと結ばれるシーンで終わる。傍らにはその後のローズの人生を映したものと思われる写真が飾られている。旅先でだろうか笑顔を見せるローズの姿に、タイタニックの事故に巻き込まれたからと言ってローズの人生は決して悲劇的なものではなく、ジャックとの出会いを機に退屈な上流社会と決別できたローズのその後の人生は幸福なものだったことが示されており、「タイタニック」という悲劇・悪夢の中でそれが救いである。

タイタニック号の悲劇は映画の中で散々語りつくされているが、意外と忘れがちな悲劇の一つが「この惨劇には墓標がない」ということかもしれない。

事故のあった海に行っても、「ここでタイタニック号が沈みました」などという墓標はない。ただただ、青い海が広がっているだけである。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。