スマートフォンはいらない

僕は、スマートフォンを持っていない。

なぜなら、欲しいと思ったことがない、すなわち、いらないからだ。

人は欲しいものが欲しいのであって、いらないものはいらない。

たしかに、スマートフォンがあれば便利だと思う。

だが、「便利なもの」は「なければ困るもの」ではない。

携帯電話なら持っている。わざわざ、新たにスマートフォンを買う理由はない。

スマートフォンがあれば外でもインターネットができるが、外出時にインターネットを見ることなどない。地図はどこの駅前にも置いてあるし、乗り換え検索ならガラケーでもできる。

SNS、you tube、ネットニュース、ワンセグのテレビ。そんなのは家で見ればいい。どうしても外で見なければいけない理由など、ない。

つまりは、スマートフォンは「なければ困るもの」ではないのだ。その証拠に、どうしてもスマートフォンが必要だった場面は、今まで、一度としてない。

スマートフォンは「なくても困らないモノ」なのだ。

「なくても困らないモノ」は「必要ではないモノ」である。

「必要でないモノ」は「いらないモノ」である。

「いらないモノ」はいらない。

だから、スマートフォンはいらない。

僕の中でこの公式はわかりきったものである。

だから、世の中の人がなぜスマートフォンという「いらないモノ」を欲しがるのか、さっぱり理解できない。

スマートフォンはなくても困らないモノであり、必要ではないモノであり、いらないモノだから、いらない。この文章の何をどういじれば「スマートフォンが欲しい」なんて話になるのか、とんと理解できない。

もしかしたら、スマートフォンを持つことによって、手間が省けるのかもしれない。なるほど、いちいち駅前で地図を探して覚えるより、スマートフォンで地図を検索したほうが、手間が省ける。

1日でトータル5分の手間を省けば、そのぶん5分の余裕が生まれる。

1か月もあると150分も時間が生まれる。

1年間で30時間も余裕が生まれる。それだけあれば、何か作品の一つや二つ、できてしまうかもしれない。人より30時間多く勉強すれば、そのぶん賢くなれる。

では、そうやって省いた時間でみんな何をやっているのだろうか。

そう思って街の中を見渡してみると、なんのことはない。みんな、余った時間でスマートフォンを覗き込んでいたのである。

スマートフォンで手間を省き、そうして生まれた時間で、スマートフォンを覗き込む。

これは何かの呪いか? 彼らは片時もスマートフォンから目が離れないように、悪い魔女に呪いでもかけられたのか?

スマートフォンで手間を省き、そうして生まれた時間でスマートフォンを覗き、どうでもいいようなネットニュースやSNSに時間を費やしてたら、結局、プラスマイナスゼロじゃないか。

スマートフォンを覗き込む時間を確保するために、スマートフォンを使って手間を省く。だったら最初からスマートフォンなんてなくてよかったのだ。やっぱり、何かの呪いにかけられているように映る。

そもそも、手間をかけるから人は賢くなれるのだと思う。電卓を使うより暗算したほうが、手間はかかるが賢くなれる。

「賢い電話」と書いてスマートフォンだ。なるほど、最新機能を使いこなすのには確かに賢さが必要だろう。人類は便利な道具でサルからヒトへと進歩してきた。

だが、一番賢いサルは、道具を使いこなすサルではない。

何もないところから道具を生み出したサルだ。

より正確に言えば、「道具がない状況でも、自分の工夫ひとつでなんとかできるサル」である。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。