「暗黙の了解」なんてない

仕事中のトラブルの大体は、自分と相手の間に「暗黙の了解が成立する」と勘違いすることにある。

こんなこといちいち言わなくても伝わる。

ここは省略してもわかってくれる。

そう思い込んで、相手が思い通りに動かなかったり、指示を誤解したりすると「なんで言われた通りに動かないんだ!」とか、「もっと自分で考えろ!」と逆ギレを起こす。

だが、暗黙の了解というのは簡単には成立しない。

基本的に暗黙の了解が成立するのは、家族、恋人、親友くらい。仕事仲間だったら「相棒」とでも呼べる域にまで達しないと、暗黙の了解なんてありえない。

むしろ、そういう関係でもないに暗黙の了解なんてものが存在すると思い込むことはキモチワルイ。

どのくらいキモチワルイことかというと、「俺はお前が好きだ! だから、お前も俺を好きだろ? そうに決まってる!」と思い込むくらい、キモチワルイことだ。

「こんなこと言わなくてもわかるだろ!」とあなたが怒鳴った時、相手は「俺とお前の間に暗黙の了解なんてあるわけねぇだろ! 俺のカノジョ気取りか! キモチワルイな」くらいに思っているのかもしれない。

家族や恋人だって暗黙の了解があるかどうか怪しいものだ。感謝の気持ちを態度で示していたつもりでも、相手からすれば「全く感謝の気持ちが見えない!」とけんかになる。子どものために思った行動が子供からは「親がウザい、しつこい」と言われる。

家族や恋人ですらこういうことは多々ある。なのにどうしてただの仕事仲間で「暗黙の了解」が成立すると思い込めるのか。

それでも、業界にはその業界の常識があるし、毎日一緒に仕事をしてれば、自然と暗黙の了解が生まれるものだと思うだろ?

そう思う人はぜひJリーグの試合を見てほしい。できれば、残留争いをしているような、うまく機能していないチームの試合を。

パスをしてもミスをする。うまくつながらない。相手の強いのではなく、自滅という形で負けていく。

こういったチームはよく「イメージを共有できていない」と言われる。どんな形でボールをつないで、どんな形で点を取って、どんな形で勝つのかというイメージが。

つまりは、暗黙の了解がないのだ。

だが、彼らは幼いころからサッカーをし、人生の半分以上をサッカーに費やし、プロとして生活のほぼすべてをサッカーに費やし、チームメイトとして毎日同じ時間を共に過ごし、コミュニケーションをとっている。

それでも、暗黙の了解が生まれないのだ。「この業界の常識だ」とか「毎日一緒に仕事をしてる」とか「よく飲みに行く」は、「暗黙の了解があるはずだ」ということを証明してくれない。

相手との間に暗黙の了解が生まれたら奇跡、それくらいに思ってもいい。

だから、何か指示を出すときは、これ以上ないほど細かい指示を出すべきだ。別の解釈など絶対にありえないくらいに。

特に、メールなど、相手と直接やり取りができないときは特に。

別の解釈が成り立ってしまう指示は「悪い指示」である。それで何か問題が起きたら、それは「悪い指示」を出した方が悪い。

逆に、解釈間違いが起こりようがないほどの「良い指示」をして、それでも相手が指示通りにしなかったら、それは相手のせいだ。勘違いや聞き逃し、見逃しがあったということだ。

めんどくさいかい?

めんどくさいよね。

暗黙の了解があって、以心伝心でわかってもらった方が、仕事はスムーズにいくよね。

だが、何度も言うように、暗黙の了解なんてない。あったら奇跡だと思っていいし、あると思い込むことはキモチワルイことだ。

だったら、「暗黙の了解」に頼らず、ない前提で誤解の出ない指示を出す。その方がよっぽどスムーズに仕事が進むはずだ。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。