別に長生きしたくない

とある宗教学者の本にこんなことが書いてあった。

その本の著者は無理に長生きするのではなく、五穀断ちなどをしてなだらかに、命を終わらせる準備をしていきたいと語っていた。著者はもともとお寺の生まれらしいので、仏教的な考えが根底にあるのかもしれない。

そんな文章を読んで、「ああ、そういうのもいいなぁ」と思ったのである。

50歳か60歳くらいになったら無理に長生きしようとするのではなく、少しずつ自分の命を終わらせる準備に入るのも悪くない、と。

とはいえ、別に還暦になったら自殺したい、と言いうわけではない。もちろん、命の価値を軽んじているわけでもない。

還暦になるころまでには、自我を軽くし、生への執着のない、そんな人間になりたいということだ。

人はいつか必ず死ぬ。年をとればとるほど、死に近くなる。

ならば年をとればとるほど、生への執着も減らしていくべきだ。

だって、100歳にもなっていよいよ大往生というときに「やだ! やだ! 死にたくない!」と子供みたいに泣きわめくのは、みっともないじゃないか。100歳にもなったら自分の死すらも泰然と受け入れて、孫やひ孫や看護師さんを「見事な臨終だ」と感心させたいものだ。

どこまで長生きしても死から逃れられない以上、年と共にそれを受けいられる人間になっていかなければいけないのだ。

ところが、僕に言わせれば近頃のクソジジイクソババア、失礼、人生の諸先輩方は、年に反して自我が強いように思える。

昨今、高齢者ドライバーによる事故が問題となり、免許返納が話題となっている。

ところがテレビを見ていたら、「高齢者に頭ごなしに『免許を返納しろ』というと自尊心を傷つけてしまうので、高齢者の方の自尊心を傷つけずに免許を返納できるよう、言い方に工夫をしましょう」と言っていて、それを聞いて僕はひっくり返った。

60歳70歳にもなって、自分の老いを受け入れられないほど自尊心が高い、というのがそもそもの問題じゃないのか。なぜ、それまでの数十年間で自尊心を減らす努力をしてこなかったのか。

僕の世代は年配の方から「さとり世代」などと呼ばれているが、この言葉には「まだ若いのに何悟ったようなこと言ってるんだ」という揶揄が込められているように思う。

それは裏を返せば、人間、60歳70歳くらいにもなったら、いい加減悟ってくれないと困る、ということではないだろうか。

だのに近頃の高齢者は、もう年だから免許を返納したらどうかと諭しても、自分の老いや衰えを受け入れられず、逆ギレするという。

そのような状態で、自分の死を受け入れられるのだろうか。それこそ100歳の大往生で「いやだいやだ」とみっともなく泣きわめくのではないだろうか。

まったく、近頃の年取った奴らときたら。

僕が「別に長生きしたくない」というのは、今から「残りの人生はあと20~30年くらい」と、死ぬことを意識して生きていかないと、自我を減らすことができず、自尊心の高いクソジジイになってしまうのではないかという焦りと恐れからくるものなのだ。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。