小説 あしたてんきになぁれ 第28話「こうした方がいい、時々、こうしたい」

田代に別れを告げた志保はがっつりと落ち込んでしまう。そんな志保の周りで、亜美が、たまきが、舞がそれぞれ動く。「志保編三部作」の最後の「あしなれ」第28話、スタート!


第27話 「ラプンツェルの破滅警報」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


写真はイメージです

「おい、いいのか?」

亜美の問いかけに志保は小声で

「いいの……」

とだけ答えた。志保は亜美も、そして田代の方も見ることはなく、その場を離れた。

志保が田代に「すべて」を話すのを、少し離れたところから亜美とたまきも聞いていた。亜美とたまきにも聞いてほしかったのと、志保が一人で田代の前に立つ勇気がなかったのがその理由だ。

「ちっ」

亜美はわざと聞こえるように舌打ちをすると、ズボンのポケットに手を突っ込んで志保の後を追った。

たまきは、田代の方を見やった。

事態が飲み込めない、そんな表情だろうか。

まあ、当然だろう。いきなり呼び出されて、あんな話をされて話を飲み込め、というのはいくらなんでも無理がある。

「あ、あの……」

たまきは一歩前に進み出て、田代に声をかけて、それからすぐに、心の底から後悔した。「知らない人に話しかける」というのが、たまきは一番苦手なのだ。

声をかけてしまってから後悔し、たまきは田代から目線を外す。

一方、声をかけられた田代は、たまきの方を見た。

「君は……志保ちゃんの友達……?」

まあ、田代から見て志保の後ろの少し離れたところでずっと話を聞いていれば、いくらたまきのように影の薄い子でもその存在に気付くだろうし、友達なのかな、と思うだろう。

もう引き返せないと悟ったたまきは、

「あ、あの……」

と言ってから一度深呼吸をして、言葉をつづけた。

「志保さん……その……田代……さん……にお話しするまで……すごく悩んでました……。そ、それだけわかってあげてください……」

たまきはほとんど田代の目を見ることなくそれだけ言うと、くるりと背を向け、まるで悪いことでもしたかのように、小走りにその場を立ち去った。人と話すことよりも、その場から逃げ出すことの方が得意なたまきである。

人気のない路地裏で、少し先を歩いていた亜美に追いつき、横を並んで歩きだす。

「ん? ヤサオと何か話してたのか?」

「べ、べつに……」

ニット帽をかぶったたまきは、もうその話題には触れられたくないように下を向いた。

「まさか、志保がヤサオをフッたのをいいことに、ヤサオのことを奪おうとか……」

「そんなわけないです」

たまきは即座に否定した。

たまきは前方に目をやる。亜美とたまきより5mくらい前を離れたところを、志保が歩いていた。右手にはハンカチが握られていて、時おり目元にそれを押し当てている。

「あ、あの……さっきの志保さんの話なんですけど……」

たまきは亜美の横を歩きながらも、亜美と目線を合わせることなく言った。

「私にはよくわからなかったです……」

学校に行けて、友達がいて、カレシがいて、志保はそれが「怖い」という。

でも、結構な話ではないか。

「その……自慢話にしか聞こえなかったというか……」

あんまり志保のことを悪く言いたくはないのだが、たまきからしてみればうらやましい話でしかなかった。なんで志保はわざわざ自分で「壊したい」なんて思ったのか、よくわからない。

それを聞いていた亜美は、最初は黙っていたが、やがて笑い出した。

「はははは。なるほど、自慢話か」

「……やっぱり変ですか?」

亜美は前方を歩く志保と十分に距離をとっていることを確認すると、少し声のボリュームを落とした。

「まあ、自慢話って言ったら、そうだよなぁ」

たまきは黙ったまんま答えない。

「ま、世の中の悩みっていうのは案外、他のヤツが聞いたら自慢話かもしんねぇよな」

亜美はそう言って笑うと、たまきの方を見る。

「だってさ、仕事の愚痴もさ、仕事ないやつが聞いたら自慢話じゃん。恋人の愚痴も、恋人いないやつが聞いたら自慢話じゃん。子育ての愚痴も、子供いないやつが聞いたら自慢話じゃん」

「……まあ」

「でさ、そういう話するやつにさ、『え? なに? 自慢?』って聞き返すじゃんか」

「え……あ……そうなんですか……」

そこでそんな煽るような言い返し、たまきにはできない。

「するとたいていさ、『あんたなんかに何がわかんの!』って逆ギレされんだよ。は?って話じゃんか。ウチに言ってもわかんねぇって思うんだったら、最初っから相談すんじゃねーよ、バーカ!って言うわけよ」

「あ、そう思う、ってわけじゃなくて、ほんとに言っちゃうんですか……」

たぶん、実際は今より十倍くらい辛辣な言い方に違いない。胸ぐらをつかむ程度のことはしているかもしれない。

「で、何の話だっけ?」

亜美は話しているうちに興奮して、何の話をしてるのかわからなくなったらしい。

「その……、悩みってあんがい自慢話だって話です……」

「ああ、そうだった」

亜美は頭の後ろで腕を組んだ。

「だからな、悩みってあんがい自慢話だったりするんだよ」

「そうでしょうか……?」

たまきにはどうも今一つ納得できない。今日は納得できないことが多い日だ。

「そんなもんだって。……お前の悩みだってもしかしたら、うらやましいって思ってるやつがいるかもしんねぇな」

「そんなわけないです」

たまきは間髪入れずに答えた。

学校にいけない。友達がいない。ないないづくしのたまきの悩みをうらやましく思う人などいるわけない。

そう思ってから、たまきはふと、ミチのことを思い出していた。

家族とうまくやれない、家族のことが嫌い、そんなたまきの悩みが、家族のいないミチには「わからない」のだという。

それは「うらやましい」とはまた違うのかもしれない。だけど、自分の悩みが他人にとっては自慢話なのだとしたら、いくら言葉を尽くしても理解されないのは当然のことかもしれない。「お前に何がわかる」と逆ギレしてみたところで、亜美の言うとおり、そもそも最初からどれだけ言葉を尽くして他人の悩みなど理解できるものではないのだ。たぶん、たまきが志保の悩みをいまいち理解できなかったように、志保にはたまきの悩みはわからないし、亜美にもたまきの悩みはきっとわからないのだろう。

ただ一つ、たまきには理解できない理由ではあるけれども、志保は本気で苦しんでいる、ということだけはたまきにもわかった。

 

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それから、二日ほどたった。

「城」の中は明かりがついておらず、消防の観点から申し訳なさそうについてる窓から、わずかに外の光が差し込む程度だ。

公園に行って絵でも描こうかと、たまきは起き上がった。ぼさぼさの髪を手櫛で整え、「衣裳部屋」においてあるリュックサックを手に取った。

そこでたまきはふと思い出す。今、この空間にもう一人いるということを。

志保はソファに腰掛け、何をするでもなく、ただそこに座っていた。

亜美は昨夜からいない。どこに行ったかもわからない。まあ、亜美はいつもそんな感じだ。

一方の志保は、いつもとは全然様子が違っていた。目はうつろで焦点が合わず、どこを見ているのかわからない。髪はぼさぼさ。染めた髪の根本は少し黒くなり始めていたが、今の志保にとってはどうでもいいことらしい。

「あ、あの……」

「……なに……」

紙やすりで雑に削り取ったかのようなか細い声で、志保は答える。

「……今日は施設に行く日じゃなかったでしたっけ……」

「……休むって電話したから……」

「……そうですか……アルバイトの方は……」

「……バイトもやめた方がいいよね……。なかなか電話できなくて……」

たまきは手にしたリュックを床に置いた。

これではどっちが引きこもりなのかわからない。

舞からは、志保を一人にするなと言われている。そうでなくても、今の志保を一人置いて出かけるなんて、たまきにはできない。亜美ならするだろうけど。

結局、たまきは黙ったまま座り続けた。志保も黙ったまんまだ。

何の会話もないまま三十分が過ぎたころ、不意に静寂が破られた。

ドアをどんどんと叩く音。次に声が聞こえる。

「おい、不法占拠の野良猫ども。誰かいるんだろ? あたしだ、開けろ」

舞の声だった。

たまきは志保の方を見た。志保はドアをたたく音と声に気付いているのかいないんか、これといった反応はない。

たまきは立ち上がると、「城」のドアを開けた。

「……こんにちは」

たまきはドアから顔を出すと、申し訳なさそうに挨拶をした。

「……おまえひとりか? 志保は?」

「……中にいます」

舞はドアをぐいっと開けると、靴を脱ぐことなくずかずかと「城」の中に入っていった。

入ってきた舞に気付いた志保は、無言で軽くお辞儀をするだけだ。

「よお。聞いたぞ。オトコをフッたんだって?」

「……まあ」

志保はなんだか、たまきみたいな返事の仕方をする。

「なんだよ。なにフッた方がこの世の終わりみたいな顔してんだよ」

「……ですよね」

志保は目線を上げることなく答えた。

「どれ、診察してやっか」

舞は、志保の向かい側にあるソファに座った。それから、後ろにいるたまきの方を向く。

「たまき、悪い。ちょっと席外してくんねぇかな。そんな長居しねぇから。その間……そうだな……古本屋とか、どっかそうだな、お前の好きそうなとこってどこか……」

舞としては引きこもりのたまきに「どこか行け」という残酷なお願いをするのにかなり気を使ったのだが、たまきは意外とあっさりと、

「わかりました」

というと、床に置いてあったリュックを手に取り、「城」の外へと出て行った。

「さて、どれどれ熱は……ないな」

舞は志保のおでこに手を当てる。

「はい……熱は……ないです」

「いや、冗談だってば」

舞は苦笑しながら、志保の額から手を離した。

「熱はないけど……こりゃ重症だな」

舞は志保の顔色をしげしげと見る。

「さて、あたしはお前の主治医だから、お前がまたクスリに手を出しそうになったら、止めにゃあならん義務がある。そんで、今のお前は明らかに精神的にやばい状態だ。よってあたしは、これからお前を診療しようと思う。あ、この場合、あたしの方から来たから、往診っていうのか」

舞はわざと明るく言ったが、志保の表情は変わらない。

「とりあえず、亜美からお前が男をフッたとしか聞いてないから、何があったのか、話してみな」

 

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小さく舌打ちして、亜美は携帯電話を閉じた。

「余計なことしたかな」

舞に志保のことを話してよかったのかどうか。とはいえ、それ以上の余計なことは言っていない。亜美が舞に話したのは、単に「志保がオトコをフッて、えらく落ち込んでいる」ということだけで、亜美が聞いた志保の過去にまつわる話は一切しゃべっていない。そもそも、亜美は舞から電話で、「志保が前に恋愛相談に来たけど、あの件は結局どうなった」と聞かれたことに答えただけだ。

「シゴト」と用事を済ませた亜美は、どこに向かうでもなく繁華街の街をぶらぶらとしていた。

何気なく、ついこのあいだ志保が田代と会っていた空き地の前を通りかかる。ふと、亜美は空き地の中に、見たことのある姿を見つけた。

田代だった。田代は何をするでもなく、空き地の中に立ちすくんだまま、あたりを見渡している。

「おいおいもしかして……」

その様子を亜美は少し離れたところから見ていた。

(こいつまさか、ここにいればまた志保がやってくるんじゃねぇかって、月9みたいなことしてるんじゃねぇだろうな……)

亜美は半ばあきれた様子で田代を見ていた。

なるほど、確かに田代は優しそうな好青年である。背も高く、柔和な顔立ちだ。

だが、亜美の好みではない。正直、こんなののどこがいいんだろう、と首をかしげる。亜美の付き合うような男たちがお酒で、ミチのようなその取り巻きがジュースだとすると、こいつは水、よくてお茶といったところだろうか。

来るはずもない志保を待っているのがさすがにかわいそうになり、亜美は田代に近づいた。

「おい」

あまりに乱暴な亜美の呼びかけに、田代は自分が呼ばれたと気づかず、亜美の方を向かない。

「いや、ヤサオ、おまえだよおまえ」

ややいら立ちのこもった亜美の呼びかけで、ようやくヤサオこと田代が振り向いた。

「君は……志保ちゃんの友達の……」

田代も亜美のことを覚えていたらしい。いや、髪を金に染め上げ、冬場でも見せれるところを見せようとする亜美の姿を「忘れろ」という方が無理なのかもしれない。

「あのさ、まさかとは思うけど、ここで志保来ねぇかって待ってんの?」

「う、うん……」

田代は、少しぎこちなくうなづいた。

「志保ちゃん、今日バイト休んでて……。最後にあったのここだから、もしかしたらまた会えるかと……」

「おまえバカか」

ほとんど面識はないはずの亜美からいきなり「バカ」と浴びせられ、田代は面食らった。しかし、亜美の方は気にすることなく言葉をつづける。

「バイト休むような奴が、この辺うろついてるわけねぇだろ、バカ。そんな元気あるんだったら、バイト行ってるだろうが、バカ」

まるで語尾につける句読点のように、亜美は「バカ」と言い放つ。そのたびに田代はボクサーにビンタされたかのように、少し顔をゆがめる。

「でも、俺、志保ちゃんの家どこか知らないし……電話しても出ないし……」

「『さよなら』っつったオトコから電話かかってきて、出るわけねぇだろ、バカ。そこで出るようなら、そもそもさよならとか言わねぇつーの、バカ。つーかさ、フッた男から電話かかってきたら、かえって志保が苦しむんじゃねーかとかさ、考えねぇのかよ、バカ」

「す、すいません……」

わずかなあいだでバカの集中砲火を浴びた田代は、うなだれるしかなかった。

「……ま、いきなりあんな話されたら、わけわかんねぇよな。悪ぃ、言いすぎた」

そういうと、亜美は公園内に置かれた、大きな岩を指し示した。

「おい、ここ座れ」

そう言って乱暴に自分の横の岩を蹴っ飛ばす。

「え?」

「んだよ? 別に噛みつきやしねぇから、いいからとりあえず座れ」

 

「なるへそ」

舞はソファに座り、腕を組んで志保の話を聞いていた。

「で、お前は別れたことに納得してんのか?」

「はい……」

志保は吐息のようにつぶやいたあと、無理しているかのような笑顔で、こう付け加えた。

「たまきちゃんに言われたんで」

「ん?」

腕組みをしたままの舞は、何かに引っかかったように、志保を見た。

「たまきに言われたから別れたのか?」

「……はい」

舞は少し身を乗り出す。

「さっきの話じゃ、たまきが言ったのはあくまでも、別れる別れないを決めるのはお前じゃなくて相手だって話だろ? あいつはお前に『別れろ』なんて言ってないだろ? それが何で、『たまきに言われたから別れた』ってことになるんだよ」

「それは……」

志保は少し間を開けてから答えた。

「だって……、本当のことを言ったら、きっと彼はあたしのことを軽蔑し、別れると思うんです。だったら、自分から別れた方がいいって思って……」

「ん?」

舞はまたいぶかしむように顔をしかめる。どうにも話がつながって見えない。

舞は煙草を灰皿に押し付けると、そこから漏れ出た煙を眺めながら、しばらく考えた。

今聞いたばかりの、志保が覚醒剤に手を出した理由。

志保が田代と別れることとなった経緯。

「ふーむ……」

舞は片手でたばこを持ち、もう片手を頬に当てて考え込む。

「なるほど……」

舞は何かを一人で合点したように、再び煙草を口にした。

「おまえの問題点が、やっとわかったよ」

「私の……」

「ああ」

舞はゆっくりと息を吐いた。

「結局おまえは、何一つ自分で決めてないんだよ」

「え……」

志保は虚を突かれたように、ぽかんと口を開ける。

「どういう意味ですか?」

志保は少し、自分のプライドが傷つけられた気がした。

自分の人生を壊す。その選択が、そのやり方が、たとえどんなに愚かなことだったとしても、それを「自分の意志で決めた」、それだけは間違いないと思っていたからだ。

そもそも、「自分でなにも決めてない人生」を変えたくて、人生を壊すと決めたはずだ。「結局なにも自分で決めてない」だなんて、そんなことあるもんか。

「おまえの判断基準はいつだって、『こうしたい』じゃない。『こうした方がいい』なんだよ」

たばこの煙が天井へと延びていき、空気になじんで、消えていく。

「だってお前、ほんとは別れたくなかったんじゃないのか。だから、あたしに相談したり、たまきに相談したりしたんじゃないのか? 別れたかったら、相談なんかしないよな」

「それは……そうですけど……」

「じゃあなんで別れたんだ?」

「だってそれは……別れた方がいいと思って……」

そこで志保ははっとした。自分が今まさに「した方がいい」と口にしていたことに。

「クスリに手を出す前のお前は、自分の意志や欲望を持たずに、常識ってやつに価値判断を任せて生きてきた。お前の言う『空っぽの人生』ってやつだ。お前はそれが嫌だった。さっきおまえが話してくれたことをまとめると、そうなるよな」

志保は無言でうなづく。

「確かに……薬に手を出したこと自体はバカだったと思います……。でも、それからはあたし……、ちゃんと自分の意志を持って……自分で『こうしたい』って考えるように……」

「思ってるだけだ。それを決断にまでは結び付けちゃいない」

舞は志保の目を、まっすぐに見据えて言った。

「現におまえは、はっきり『別れたくない』と思っていたにもかかわらず、『別れた方がいい』と決断したんだ」

「でも……だって……そうじゃないですか。あんな話したら、彼だってあたしのことに嫌い……」

「話を聞いて相手がどう思ったのか、ちゃんと確認したのか?」

志保は少し泣きそうになりながら、首を横に振った。

「なんで確かめない? それこそ、たまきに言われたんじゃないのか? どうするのかを決めるのはお前じゃない、相手だって」

「だって……」

志保の声が少し震え始めた。

「耐えられるわけないじゃないですか……。好きな人から『おまえなんか嫌いだ』なんて言われるのは……。耐えられるわけないじゃないですか……」

「だから自分から『別れた方がいい』と」

舞はソファの背もたれに背中を押し付け、がっしりと腕を組んだ。

「でも、お前の本音は『別れたくない』だったんだろ? それなのに別れちまったら、お前の本音はどこに行くんだろうな?」

その問いかけに、志保は答えなかった。

あたしが。あたしが。あたしが。たまきや亜美に相談するときにさんざん言ってきたのに、最後の最後で「あたし」を黙殺する自分。舞の言うとおり、どんなに「あたしが」と強く思い続けても、志保はそれを決断に結び付けられないのだ。

「どこにも行きやしねぇよな。お前の心の奥底でずっとくすぶり続ける」

舞は少し身を乗り出すと、志保の胸を指さした。

「おまえさっき、別れたことは納得してるって言ってたけど、納得してるんだったらこんなところでひきこもってなんかないよな。本当はこれっぽっちも納得なんかしてないんだよ。『別れたくない』がお前の本音なんだから。そんでもってそれを、たまきのせいにしてる」

「あたし、べつにたまきちゃんのせいだなんて……」

「だってさっき言ったじゃないかよ。『たまきに言われたから』って」

「それは……」

志保は下を向いた。

「別れるって決断をしたのはお前だ。でも、お前の本音じゃない。お前の意志じゃない。決断をしたのはお前だけど、お前じゃない。ややこしいけど、わかるか?」

「……まあ」

「おまえの本音はお前の中でくすぶってるまま。納得なんかしていない。それを『人に言われたから』ってことにして納得しようとしてるだけだ。ほんとはお前が決めたのに」

舞はそういうと、再び煙草に口を付けた。

「いやな、別に『そうした方がいい』って判断したこと自体が悪いわけじゃねぇんだよ。たとえば、ケーキが食べたいけど食べたら太るから食べない方がいい、ってときは、『食べない方がいい』を選んでも全然いいんだよ。ただな……」

舞はそこで一度言葉を切ると、志保をまっすぐに見た。

「おまえの場合は、それが多すぎる。それも、重要な選択の時はほぼ必ず、本音を無視して『した方がいい』の方を選んじまう」

志保は、舞の目を見れなかった。

「おまえが財布盗んだ時だってそうだ。お前の本音は『ここに残りたい』だった。でもお前はあの時、『ここから去った方がいい』を選択したんだ。あんときもお前がここに残れないかと言い出したのはたまきだったよな。そのあと、亜美が言い出して、お前自身が言い出したのは、一番最後だ」

志保は黙ったままうつむいている。

「クスリに手を出したのだってそうだよ」

「そうなんですか……」

「まあ、まず薬物に手を出しちゃいけないって大前提があるけど、それは今更言ってもしょうがねぇ。ちょっと置いとこう。お前は常識に従っちまう人生ってやつを変えたかったんだろ? だったらなんで覚醒剤なんだ? たとえばさ、学校に通いながら、自分でこうしたいって決めて、自分でしっかり進路定めて、周りにどう言われようと自分の意志を貫く、そんな生き方じゃダメだったのか? っていうか、そんな生き方がしたかったんじゃないのか?」

「それは……でも……それじゃ駄目な気がして……」

「何がダメなのさ?」

「……結局、元の場所に戻っちゃうんじゃないかって」

「それだよ、それそれ」

舞は志保を指さす。

「おまえは自分が『こうしたい』って思っても、それを貫けないんだよ。だからお前は、クスリに頼った。覚醒剤はどんなに意志の強いやつでも人生を破滅させる。普通はそれは悪い意味で使われるんだけど、お前はそれに頼ったんだ。お前みたいに、意志を貫くことができないやつでも、確実に人生を破滅させられる」

舞は煙草を灰皿に押し付けると、ふっと笑顔を見せた。

「最初に会ったとき、お前の薬物依存を『病気』だって言っただろ? 治さなきゃいけない病気なんだ。でも、その根本はクスリがどうこうじゃない。なんでクスリに手を出したか、そこだ。治さなけりゃいけないのは、お前のその意志の弱さ、意志を貫けない性格なんだよ。そのままでいいっつうなら別にいいけど、お前はそれを治したいって思ってるんだろ? 第一、本音を押し殺しながら生きてたら、お前自身がいつまでたっても苦しいまんまじゃねぇか」

「そうですよね……」

「で、お前はどうしたかったんだ?」

舞は歯を見せてにっと笑った。

「あたしは……別れたくなかったです……でも……」

「ストップ! そっから先は言うな」

舞は手で志保の言葉の続きを制する。

「別れたくなかったんなら、カレシにしがみついてでも、ヤダヤダ別れたくないって言えばよかったんだよ」

「そんなみっともない……」

「おまえまだ十七だろ? いいじゃんか、みっともなくて」

そういうと舞は優しく笑った。

「あの……」

志保は顔を上げて、少し身を乗り出す。

「あたしはどうすれ……」

そこで志保ははっとして言葉を切った。

「どうすればいいか」ではない。

「どうしたいか」だ。

いいじゃないか、みっともなくて。

自分の過去も、言いたくないことも、全部話したのだ。

だったらさらに醜態さらして、「ヤダヤダ、別れたくない」とみっともなく田代にしがみついてみたらどうだ。

きっと軽蔑されるだろう。でも、どうせフられるならとことん軽蔑されるのも悪くない気がしてきた。

精神的なダメージや体裁を考えたら、もちろん、そんなことは「しない方がいい」。

でも、今の志保は「そうしたい」のだ。

志保は携帯電話を取り出すと、優しくボタンを押した。

 

田代は亜美に促されるがままに、公園の中に置かれた岩に腰掛けた。

だが、亜美の方はどこにも腰掛けずに立ったまんまだ。そのまま腕を組んで田代の方をにらむように見ているから、ずいぶんと亜美の方が偉そうに見える。

「で、お前どうしたいの?」

亜美は尋問、いや、質問をぶつけた。

田代は困ったように周りを見渡してから答えた。

「まず志保ちゃんに会って……」

「そりゃそうだろ、バカ。志保とコンタクトとりてぇからこんなとこうろついてんだろうが」

「ちゃんと話して……」

「あたりまえだ、バカ。あったら話すに決まってんだろうがよ」

「あの……」

田代はかなり困ったように亜美を見た。

「……あんまりバカバカ言わないでくれないかな……?」

「あ? バカじゃねぇの? バカにバカって言って何が悪いんだよ、このバカ!」

亜美は田代にグイっと顔を近づける。

「ウチが聞いてんのは、会って話して、そのあとどうしたいのかってことだ、バカ。会ってしゃべってそれで満足なわけねぇだろ。その先があんだろ?」

「それは……」

田代はいよいよ困ったような顔を見せる。

「ま、ウチはお前があの話聞かされたら、てっきり逃げ出すと思ってたよ。もう一度会って話したいっていうのはほめてやるよ」

「ど、どうも……」

「逃げようとか思わなかったのか? 志保の方からお前に別れ切り出したんだ。お前がこのまま会おうとしなければ、それで縁が切れたのに。そうすれば、厄介ごとからも手を切れるんじゃねぇのか……」

「厄介ごと……」

田代はそこで、少し下を見た。

「一度好きになった人を……、厄介ごとだなんて、思えないよ……」

「そもそもさ、志保のどこがよかったんよ」

「それは……、明るくて……優しくて……一緒にいて楽しいっていうか……」

そこで亜美は、深くため息をついた。

「で、結局どうしたいんだよ?」

「……僕に何ができるかわからないけど、彼女を支えていきたいと思う……」

「あんな話聞かされてもか?」

「……あんな話聞かされたからかもしれない。僕だっていろいろ考えたよ。でも、今の志保ちゃんには、やっぱりだれか支えてあげる人が必要なんじゃないかって思って……」

「……お前の手に負えないかもしれないんだぞ」

亜美は腕組みしたまま、まっすぐに田代を見た。

「……僕もこれから薬物について勉強していきたいと思うし……、たとえ手に負えなくても、僕はまだ志保ちゃんのことが好きだから、僕が守ってあげなくっちゃ……」

「ちっ!」

亜美はわざと聞こえるような大きな舌打ちをした。

「え?」

「ああ、いや、何でもねぇよ」

そういうと亜美はそっぽ背く。そして、心の中で叫んだ。

こいつ、ぜんぜんおもしろくねー!

つまんねー。なんてつまんねー男。笑点だったら座布団を全部没収して、ステージの下に蹴り落したっていいくらいのつまらなさだ。

原宿の女子高生が好きそうな甘ったるいラブソングに、魔法をかけて体と声を与えたらこの田代ってやつになるんじゃないだろうか。そういえば、前にカラオケに行ったとき、志保はそんな甘ったるいラブソングばかり歌ってた。

こんなヤサオのどこがいいのかと亜美は今まで不思議で仕方なかったが、何となくその理由がわかった気がした。そういえばこいつら、二人そろって青春映画を見に行くようなカップルだった。

なぁにが「支えていきたい」だ。「守ってあげなくちゃ」だ。道徳の教科書みたいな顔しやがって、このやろう。

さて、どうしたものか、と亜美は頭をひねる。

志保が田代に別れを告げて以来がっつり落ち込んでいるのはよく知っている。田代もその気だというのなら、二人の間を取り持ってやるくらいのことはやってもいい。

やってもいいのだけれど、志保をまたこのつまらない男くっつけても、なんだかおもしろくなさそうだ。

とはいえ、と亜美は考えを改める。これは志保と田代の問題である。亜美がつまらないという理由で間を取り持たない、というのは筋が通らないだろう。亜美としては面白みがないが、志保がこのタワーレコードに平積みで置いてありそうな男が好みだというのならば、とやかく言わずにその間を取り持ってやるっていうのが友達ではないだろうか。

なにより、「城」に引きこもりは一人で十分だ。二人もいると、めんどくさいうえに、しんきくさい。

「おい、ヤサオ」

「あの……それって僕のこと……」

「ウチはジヒ深いから、お前と志保の間を取り持ってやる」

「え……?」

田代はにわかには信じがたいという目で亜美を見る。

「ウチが首に鎖つけて絞め殺してでも、志保をお前の前に引きずり出してやるよ。いやだ、会いたくない、って泣きわめいても、お前の前に連れてきてやるから安心しろ」

「え……べ、別にそこまでしなくても……もっと穏便に……」

「いや、今のあいつに必要なのは荒療治だ。何日も何日もうじうじしやがって。こういう時はな、無理やりにでもことを進めた方がいいんだって」

亜美が思いつく解決法というのはだいたいいつも、荒療治とか無理やりとかである。そして、それがうまくいったためしは、ほぼない。

亜美は携帯電話を取り出す。

「でもな、お前がまた志保と付き合ったとしても、ハッピーエンドになるとは限んねぇぞ。バッドエンドかもしんねぇぞ。そのこと、わかってんのか?」

田代は、手を組んで少し下を向いた。

「……バッドエンドにはさせません」

「いや、お前がさせねぇっつったって、バッドエンドになるかも知んねぇだろ? そん時どうすんだよ」

「だから、バッドエンドにするつもりはありません」

「いやだから、つもりがねぇっつっても実際……」

「そもそも、最初から悪い方向になるかもしれないなんて思いながら恋愛なんてしないですよね。恋愛って、幸せな将来を思い浮かべてするものですよね? だから、志保ちゃんとの幸せな未来を思い浮かべて、そこに向かって二人で歩いていく、それが恋愛でしょ? 確かに、志保ちゃんは普通の子とは違うのかもしれないけど、悪いことばかり考えてたら、本当にバッドエンドになっちゃうんじゃないのかな?」

亜美は何か言いたげに田代を見ていたが、

「ま、どうでもいいわな……」

と言うと、携帯電話をいじり始めた。もう、道徳の授業はうんざりだ。

電話帳から志保の名前を探して押す。だが、呼び出し音がいくらなっても志保が出てこない。

「おかしいな。あいつ出ねぇ。誰かと話してんのかな?」

そう言って志保が振り返ると、田代が誰かと電話で話していた。

「……うん、わかった。じゃあ、この前の場所で待ってるから……」

そういうと田代は、電話を切った。

「志保ちゃん、これからこっちに来るみたい」

「おまえと話してたんかい!」

亜美はやるせなさそうに携帯電話をポケットにしまった。

 

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たまきは公園の「庵」の前に座っていた。

ベニヤ板とブルーシートでできたお化けのような「庵」は、無数のホームレスたちがせわしなさそうに出入りしている。

最初はここに来るたまきのことを物珍しそうに見ていたホームレスたちだったが、いつしかここにたまきがいるのも風景の一部となったらしく、さほど気にしなくなった。

たまきの正面には、仙人が安物の椅子に腰かけて、たまきのスケッチブックに目を通している。

「前よりうまくなったんじゃないか?」

そう言って仙人はたまきにスケッチブックを返した。たまきはぺこりと頭を下げた。

「それで、今度は何に悩んでるのかな?」

「やっぱり、わかりますか……?」

たまきは視線を落としたまま答えた。

「……友達に、えらそうなことを言ってしまったのかもしれません」

「ほう」

仙人は興味深そうにたまきを見た。

「そのせいで、友達がカレシさんと別れてしまったのかも……」

「お嬢ちゃんのせいなのかい」

「それは……わかんないんですけど……」

たまきはずっと下を見たままだ。

「私は、ちゃんと正しいことを言えたのかな……、もしかしたら、私が言ったことは間違ってたんじゃないかなって思って……」

「お嬢ちゃんがその友達に何を言ったのかはわからないが……」

仙人は片手に持ったカップ酒を、人差し指でトンと叩いた。

「それはどこかにはっきりとした正解があることなのかい?」

「え?」

たまきはここで、初めて仙人の目を見た。

「学校のテストみたいに、はっきりとした正解が存在することだったら、何が正解で何が間違いかはっきりしている。裁判なら法律に照らして正解か間違っているかはっきりさせる。だがなお嬢ちゃん、世の中のたいていの問題は実は、はっきりとした正解は存在しないんだ」

そこで仙人は再びカップ酒に口を付けた。

「だから争いが絶えない。俺の方が正しい。いや、私の方が正しいってな。実はどこにも正解がないのに、自分こそが正しいんだお前が間違ってるんだって主張しあうから、人は争う」

仙人はカップ酒を傍らに置くと、たまきの目を見る。

「そして、何が正しいかわからないから、人は悩む。どこにも正解がないから、何が正しいのかわからない。でも、人はやっぱり、自分が正しいと思ったことをしたいもんだし、間違ったことはしたくないもんだ。何が正しいかわからないけど、これが正しいんだって信じなければ、何も決められない。どこにも正解は存在しないのに、それでもどこかに正解があるはずだと信じて動かなければならない。人生ってのは、神様と追いかけっこしてるようなもんだな」

「はあ……」

たまきはぽかんと口を開ける。数週間ぶりに学校の授業に出て、まったくついていけなかった時もこんな顔をしていたのかもしれない。

「それで……私はどうしたらよかったのかなと……」

「そんなの、お嬢ちゃんのしたいようにすればいい」

仙人はそう言って優しく微笑む。

「はっきりとした正解なんてどこにもないんだから、自分がしたいようにすればいい」

「でも、それで間違ってたら……」

「自分が間違ったことをしたと思ったら……」

仙人はにっこり微笑んだ。

「自分のしたいようにすればいい」

 

写真はイメージです

「城」に帰ったたまきは、またしても口をぽかんと開けた。

「だから~、またユウタさんとやり直すことになったんだってば~」

志保がこれまでの落ち込みっぷりが嘘のようにニコニコとしている。

たまきは困ったように亜美を見上げた。

「なにか……あったんですか……?」

「しらねー」

亜美はこの上なくつまらなそうにしている。

「その……田代って人は、志保さんの話聞いて、それでもいいって言ってくれたってことですか……」

「うん、私のこと支えるから一緒に頑張ろうって言ってくれたの。なんでだと思う?」

「……なんでなんですか?」

横から亜美が

「聞かねぇ方がいいって」

と忠告するより早く、志保は

「志保ちゃんのことが好きだから、だってさ! ヤダもう、言わせないでよ!」

と言いながら、たまきの肩を強くたたいた。

「というわけで、ご心配おかけしました! もう大丈夫だから! あ、先生にも電話しないと!」

というと志保は、携帯電話片手に外へと出ていった。

……結局、なんだったのだろう。

何か一つの騒動が終わったようで、もしかしたらなにも終わっていないような気もする。

「ちっ」

とたまきの横で、亜美が舌打ちをした。

「一つ……気になるんですけど……」

「なんだ?」

「その……田代って人は……志保さんのことが好きだから支えるって言ったんですよね?」

「んあ? ンなこと言ってたな。あのタワレコヤロウめ」

「たわれこ?」

たまきは不思議そうに亜美を見ていた。

「で、何が気になるって?」

「……志保さんのことが好きだから支えるってことは、もし志保さんのことが好きじゃなくなったら、どうなるんでしょうか?」

亜美はしばらく黙っていたが、

「……んなこと、あいつが志保のこと嫌いになってから考えればいいんじゃね?」

そういうと亜美は、ソファの上に体を投げ出し、寝転がった。

 

何かがおかしいのだけれど、何がおかしいのか、たまきにはまだわからなかった。

 

つづく


次回 第29話「パーカー、ときどきようかん」(仮)

次回、たまきがおしゃれに目覚める!?  続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。