人と距離を取りたい話

「ソーシャル・ディスタンス」という言葉にずっと違和感がある。

「社会的距離」というけど、実際には「2m間隔をあけましょう」というわけだから、どう考えても「物理的距離」だ

いや、もはや「物理」ですら余計である。単に「距離」「間隔」で十分通用するじゃないか。

「感染を広げないために、ソーシャルディスタンスを保ちましょう」

「感染を広げないために、人と間隔をとりましょう」

ほら、ちゃんと伝わる。

やはり物書きとしては、無駄な文字数は使いたくない。簡潔であるべきだ。

「社会的距離」とはたぶん、ふだん一緒に遊んでるけど社会的な立場が全然違う、ハマちゃんとスーさんみたいな人のことを言うのではないか。ハマちゃんとスーさんは、物理的にも心理的にも密接だけど、社会的な立場だけはかなり離れている。

ところで、コロナ禍で離婚が増えたという。いつも一緒にいたくて結婚したはずなのに、本当にいつも一緒にいるのは耐えられないというのだから不思議だ。「健やかな時も、病めるときも」じゃなかったんかい。

家族、恋人、友人、仕事仲間と、いろんな意味で密接であることが素晴らしいように言われているけど、一方で、「距離をとる」という事もやはり大事なのではないか。物理的にも、心理的にも。「ちょうどいい距離を保つこと」こそが人間関係をうまくするコツなのではないか。

一緒にいてほしいて時に一緒にいる。

放っておいてほしいときに放っておいてくれる。

一人でいたいときに一人にしてくれる。

助けてほしいときに助けてくれる。

そんな、ちょうどいい距離。

同じ部屋にいながら、互いに干渉せず、それでいて険悪なわけでも倦怠期でもない、そんな「ちょうどいい距離感」。

一方で、遠く離れた町に住んで、何年もあっておらず、電話だけのやり取りだけどお互いがお互いのことをわかっている、そんな「ちょうどいい距離感」。

なんか都合の良い理想を言ってるような気もするけど、人間関係の失敗における多くは、この「ちょうどいい距離」を保てなかったことにあるんじゃないか。

そもそも、地球に生命が生まれて高度な知性を持つにいたるまで進化したのだって、太陽から見て熱すぎず寒すぎない「ちょうどいい距離」を保っていたからだ。そんな距離感の申し子たる我ら人類は、やはり「ちょうどいい距離」を模索しながら人生を歩むことが運命づけられているのかもしれない。

地球と太陽もまた、絶妙なバランスで「ちょうどいい距離」を保っている。地球と太陽にはお互い引力があるけれど、太陽の方が何倍もでかいから、放っておくと太陽に引っ張られて、人類は簡単に滅亡してしまう。

だから、地球は太陽の周りをぐるぐると周り(公転というやつ)、遠心力を生み出して、その遠心力が太陽の重力と釣り合い、地球は「ちょうどいい距離」を保っていられるのだ。

公転が遅いと遠心力が弱く、地球は太陽に引っ張られ、気温はどんどん上昇する。逆に公転が速いと、地球は太陽から遠ざかり、どんどん寒くなる。

「ちょうどいい距離」を保つには、絶妙なバランスが大切なのだ。

人間も同じだ。放っておくとどんどん引っ張られて密になっちゃうから、時に自分からわざと距離をとることも大切だ。そうやって絶妙なバランス感覚で、「ちょうどいい距離」を模索するのだ。

あなたと私のちょうどいい距離を探していく、それこそが人生の醍醐味かもしれない。

オンライン会議に限らず、電話、手紙、メールにLINEと、現代は人と人との物理的距離を保ちながら、心理的距離を縮める手段がたくさんある。いろんなやり方で、「ちょうどいい距離」を探すことができる。なかなかにいい時代ではないか。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。

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