根性なんてものはない

二度目の緊急事態宣言も、少し終わりが見えてきた。

するとまた街中に人が増えたとの報道が流れる。「自粛疲れ」ってやつらしいね。

たかだか一か月二か月のひきこもりにも耐えらないだなんて、根性が足りない! 人の命にかかわる問題だというのに、 何がひきこもりはストレスがたまる、だ! そんなのは甘えだ! 甘ったれるんじゃない!

……と強い口調で言ってみたのには、わけがある。

だって、これまでは「ひきこもり」の人たちが、こういう「根性警察」みたいな人の餌食になっていたじゃない。

外での社会生活に耐えられないだなんて、根性が足りない! みんな我慢してちゃんと働いてるのに、何がお外はストレスがたまる、だ! そんなのは甘えだ! 甘ったれるんじゃない!

……って。

今まで、「健全な社会人」から「ひきこもり」が言われ続けてきた言葉。その「言われ続けた側」と「言い続けた側」をひっくり返しただけである。

今まで「ひきこもりは根性がない」と言われ続けてきたのに、状況が一変してステイホームが推奨されるようになると途端に、「ずっと家にいるのはストレスが溜まって無理」とか言い出したのだ。おどろきのてのひら返しである。

僕ら「ひきこもり族」にとって、この程度のステイホームなんて苦行のうちには入らない。「気づいたら3日間、全く外出しなかった」など、全くの余裕。そもそも海外のロックダウンとは違い、散歩やジョギングは認められている。それでも耐えられないだなんて根性がないのはどっちだよ、という話なのだ。今まで「ひきこもりは根性がない」と言っていた輩は、頭を丸めて謝罪会見を開くべきじゃないか。

と、ここでふと思う。

かたや根性がないから外の社会に耐えられない。

かたや根性がないからひきこもり生活に耐えられない。

じゃあ、根性があるやつとは一体どんな奴なんだろう。

もしかしたら、根性だなんてものは実はどこにも存在しなかったんじゃないか。

根性があるから外での仕事のストレスとかに耐えられる!と思ってた人たちが、おうちのストレスにあっさりと屈し、じゃあ、おうちのストレスに耐えられるひきこもり族が根性があるのかと言ったら、彼らはおそとでのストレスに耐えられない。

ならば、根性とは何ぞや。根性がある人とは何ぞや。

僕らが今まで「根性があるから耐えられる!」「我慢できないのは根性が足らないからだ!」と思ってたことは実は、「根性」じゃなくて「相性」の問題だったんじゃないか。

人によって耐えられるストレスと耐えられないストレスが違う。ある人にはいくらでも耐えられるようなストレスも、ある人は全く耐え得られない。これは「根性」じゃなく「相性」だ。

僕が子供のころにやっていたゲーム、まあポケモンなんだけど、あのゲームには「相性」があった。みずのポケモンはほのおに強いけどでんきに弱い、くさのポケモンはほのおに弱いけどみずに強い、みたいな。だから状況状況に合わせて最も相性の良いポケモンを選ぶ。

ポケモンに限らず、いろんなゲームに「相性」があって、相手との相性を考えて戦略を立てる。

ゲームと同じで、どんな仕事にも何かしらのストレスがあって、ストレスには人によって相性があるというのなら、それぞれが相性にあった仕事をすればいい。相性の悪いストレスの仕事を無理にするべきじゃない。

ある人には苦痛でしょうがない仕事を、別になんとも思わない相性の良い人がいるのだから、その人に任せればいいじゃない。

ゲームだと子供でもやってることなのに、不思議なことに、現実世界では「人によってストレスには相性がある」という事を、みんなすっかり忘れてしまうらしい。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。