東大行く前に四の五の言え!

「ドラゴン桜」のドラマをまたやるらしい。あのドラマにはいい思い出がない。

と言っても、実は見たことないのだけれど。

何で見たことないのかというと、僕が通った大嫌いな高校がまさに、「四の五の言わずに東大に行け!」をリアルにやる学校だったからだ。

学校でさんざん先生から「四の五の言わずに東大へ行け!」と言われ続けて、どうして家でもテレビから同じことを言われなければいけないのか! 不条理だ! 納得できない!

というわけで、前回の「ドラゴン桜」は見てない。今回も見ない。高校時代のトラウマがえぐられるからだ。っていうか、番宣のCM見ただけで十分えぐられてる。これは理屈の問題ではない。

そもそも、僕は高校生の時、「四の五の言わずに東大へ行け!」と言われ続けたのに、四の五のどころか六七八九十くらいうだうだ言い続けていた。「学部にこだわらず、つべこべ言わずに、上位の学校に行け」というのがどうしても納得できなかったからだ。その結果、東大じゃほとんどやってない民俗学を学びに、民俗学を専門的に学べる激レア大学に進学することになる。

四の五の言いまくるのは大学卒業後も変わらず、「四の五の言わずに働け!」という社会で今度は八十八から百八ぐらいまでうだうだ言って、地球一周の旅に出る。

そして今、民俗学のZINEを作ってる。四の五の言い続けることに関しては、地球上の誰よりも自信がある。

だいたい、「四の五の言わずに東大へ行け!」と、大人が若者の選択肢を狭めるようなことを言うなんて、ひどいじゃないか。キングギドラだって「公開処刑」と言いつつ、3つも選択肢を用意してくれたっていうのに。

『おめぇに三つの選択肢を与えよう。死ぬか、戦うか、ビッチみてぇに訴えるか』

「公開処刑」とケンカ売った相手にすら三つも選択肢を与えるのに、前途ある若者に「東大に行け」とひとつしか選択肢を与えないのはあんまりだ。若者の可能性を殺しにかかってるとしか思えない。「公開処刑」ならぬ「東大処刑」だ。きっとBOY KENも同意見だと広辞苑に書いてあるはずだ。

ちなみに、ウチのリアルドラゴン桜高校に言わせると、東大に行った方が、そのあといろんな選択肢が生まれる、ということらしい。

だけどそれはあくまでも「学力が大事な世界」での話。「受験勉強して東大に行く」というルートの前にも、いろんな道がいっぱいある。

いや、むしろ、「学力が大事な世界」の方が意外と世の中では少数派かもしれない。

姜尚中の「悩む力」という本の中に、こんな一説がある。姜尚中が韓国の大学を訪問した時、わき目もふらずに勉強している学生を見て違和感を抱いたのだという。それは青春と言えるのか、と。

姜尚中にとっての青春とは、自分は何者なんだろうとか、人生とは何なのだろうとか、そういったあれこれに思いを馳せて、悩み、苦しみ、悶々とする時期のことを言う。そういった青春こそが真に人生を豊かにするのだ、と。つまり、「勉強ばっかりしてないで四の五の言いなさい」ということだ。

姜尚中は東大の名誉教授だ。東大の名誉教授が「若いうちは勉強よりも四の五の言う方が大事」と言っているのだ。

さあ、若者よ、四の五の言おう。勉強は後からいくらでもできるけど、若いときに四の五の言わないと、四の五の言えない大人になってしまうぞ。

ちなみに、「令和版ドラゴン桜」の放送に先駆けて、平成版ドラゴン桜の名言集みたいなのをたまたま見た。なるほど、ドラゴン桜はすばらしい名言がいっぱいあるらしい。人気があるわけだ。

だけど、それはマンガだからだ。「リアルドラゴン桜高校」は名言など残さず、「勉強しろ」しか言わなかった。現実は厳しいのだ。