せつないアニメが好き

いろいろアニメを見て気づいたのだけれど、どうやら僕は「せつないアニメ」が大好きみたいだ。

刀使ノ巫女、サクラクエスト、プリンセス・プリンシパル、宇宙よりも遠い場所、ラブライブサンシャイン、VIVY……、何でこういうアニメが好きなんですか、と聞かれたら、全部「せつないアニメ」なのだ。

キャラクターの心情描写が細やかで、それでいてすべてを説明しすぎない。描写が雑だとダメだけども、言葉で説明しすぎてもいけない、そんなギリギリのラインを攻めてくるようなアニメ。

最終回もハッピーエンドなんだけど、なんだかさみしさが残る、やっぱりギリギリのラインを攻めてくる。

毎シーズンごとにいろんなアニメが生まれては消えていき、大ヒットしたものもあれば、大コケしたものもあるけれど、絶妙にせつないアニメというのはそうそうない。そこまで大ヒットはしてないんだけど、でもせつなくて、あまり話題にはなってないけど、大コケせずに評価も高い、そういうアニメが好きでたまらない。そういったアニメは大ヒットしなくても、何らかの形で続編が作られたりする。

でもまあ、そういったアニメはきれいな形で完結することも多くて、続編が作りづらかったりもするんだけどね。

僕としては、キャラの心情をしっかりと描いて、せつない物語であるのならば、世界観は全然気にしない。異世界モノでも、SFモノでも、学園モノでも、何でもいい。

というか、そもそも「アニメの世界観」というやつに、何の興味もない。

民俗学なんぞやっているから、そういう世界観のアニメが好きなのかと思いきや、全くそんなことはない。

たとえば、「このアニメは民俗学の知識が反映されていて……」とか、「このミステリーは民俗学的に考察すると深みが……」とか、「宮崎駿は民俗学にも精通してて……」とか言われても、「ふーん、そうですかぁ」としか思わない。それで見てみようとは全く思わない。

あえて世界観で選ぶなら、民俗学ホラーとか、民俗学ミステリーとかよりも、スチームパンクの方が好きだ。

でも基本は、世界観とか設定とか、そんなことはどうでもいいのだ。ストーリーがせつなくて、キャラの描写がリアルなら、「舞台は現代の東京」で全然かまわない。富山の田舎でも、静岡の沼津も、南極でも19世紀のロンドンでも2060年でもどこでもいい。

あと、「伏線がちりばめられていて……」とか「大どんでん返しが……」とか、そういうのも心底どうでもいい。単調でありきたりなストーリーでもいいので、そんなことよりもストーリーがせつなくて、キャラの描写がリアルであればいい。「富山の田舎で町おこし」「西東京のアニメ会社で仕事に忙殺」みたいな地味なお話で全然かまわない。

逆に、僕がアニメの世界観とか伏線とか展開とかを誉めだすのは、「せつなさ」の部分ではすでにクリアしている時である。「このアニメはせつなくてね、その上世界観が……」「キャラの描写がリアルで、その上グラフィックが……」と、やっぱり「せつなさ」がまずあってこその評価なのだ。

設定とかグラフィックとかにどれだけ凝っても、リアルな人間が描けていないのであれば、それはアニメではなくただの設定資料集だ、ぐらいに思っている。

どれほど世界観がぶっ飛んでようが、設定が複雑だろうが、そこに描かれている人間はどうしようもなくリアルじゃないとイヤなのだ。

心がぴょんぴょんする夜に

ワンピースが今年中に100冊になる。もちろん、洋服の方ではない、マンガの方だ。

ワンピが100冊になるということは、我が家の蔵書がワンピ1タイトルで100冊になってしまうということだ。「こち亀」を持ってなくて本当によかった。床が抜けかねない。

マンガではワンピースハンターハンター、この2タイトルは新刊が出たら必ず買っている。どちらも20年くらい前に連載が始まった。完結したマンガで全巻持っているのは、鋼の錬金術師スラムダンクだ。

最近だと、風都探偵も新刊が出たら買っている。平成ライダーで一番好きな「仮面ライダーW」の続編だ。

ブラックラグーンは新刊が出たら買ってるけど、新刊が出ないので、買ってない。

まあ、僕のマンガ事情は、そんなもんだ。実はあんまり、マンガを読んでない。

財布のひもが恐ろしく硬いうえ、飽きるのが早いのである。

あと、マンガに関してはマイナーなものを発掘しようという心意気は一切ない。それどころか、新しものを発掘しようという気持ちすらない。だから「マンガを無料で読めるサイト」というのを覗いたことはない。そこまでしてマンガを読みたいとは思わない。

アニメはよく見るけど、原作に手を伸ばすことはごくごくまれである。だってお金がかかるうえ、本格的に原作を買い集めようと思うと、本棚のスペースを奪われるのだ。進撃の巨人が30巻くらいで、鬼滅の刃が20巻ぐらいだったか。冗談じゃないぞ、というのが率直な感想。

そんな僕でも、寝る前に必ず読むマンガがある。

それが「ご注文はうさぎですか?」、通称「ごちうさ」

きらら系日常ゆるかわ4コマ漫画の金字塔で、3回にわたりアニメ化されている、人気作。あと、水瀬いのりが出ているアニメにハズレはない。

アニメの人気もすさまじいのだけど、僕は原作から入ったタイプのファンである。

このごちうさを必ず寝る前に読んでいる。

するとすっきり眠れるのだからあら不思議。

きっかけは、どうしても眠れない夜がたまにあり、何とかならないかと思ったことだ。

ネットで調べてみると、「無理に寝ようとしないで、思い切ってマンガでも読んでみたらいかがでしょう」なんてことが書いてある。

なので眠れない夜は無理に寝ようとせずに漫画を読むことにした。

家にあるマンガをいろいろ試してみたのだけど、そのうち、あることに気づいたのだ。

ごちうさを読んだ後は、かなりの高確率ですぐ眠れてるということに。

たぶん、ワンピースのような熱い少年漫画だと、興奮してかえって寝れなくなってしまうのだろう。

ギャグマンガもゲラゲラ笑ったらやっぱり興奮して眠りづらい。

だけど、ごちうさはギャグマンガなんだけど「大爆笑」というよりはくすくすと笑えるゆるいギャグが続く。それでいて、ちゃんと面白い。4コマなんだけどストーリーとしても練られているし、たまに泣ける話もある。何より絵がかわいい。

だからたぶんハーブティのようなリラックス効果が高いのだろう。眠れない夜でも、ごちうさを読むとすんなりと眠れる。心がぴょんぴょんすると、人はリラックスしてよく眠れるらしい。

だったら、最初から毎晩寝る前にごちうさを読んでおけば、不眠に悩まされることなくすんなり眠れるんじゃないか?

そう思って、寝る前にごちうさを1話ずつ読んでいる。おかげで毎日ぐっすり眠れる。

友達にこの話をするたびに、「睡眠導入剤かよ」と爆笑される。爆笑すると、夜にぐっすり眠れなくなるぞ。

「裏」が好きという話

僕は「裏」という言葉が大好きだ。

たとえば、表通りよりも路地裏の方が好きだ。ネコしか歩かなさそうな路地裏の通りを見つけると、ワクワクしてしまう。そこに隠れた名店があればなおさら。

身の回りをぐるりと見てみても、「裏」が似合うようなものばかりだ。

一番の趣味は何かと聞かれたら、ラジオだ。テレビの時代が終わり、時代はyou tubeだV チューバーだといわれている中、ラジオばっかり聞いている。

ラジオというのは「裏」の放送メディアなのだ。テレビやyou tubeが何万人もの視聴者がいるのに対し、ラジオを熱心に聞くリスナーは少ない。その時間、その周波数にダイヤルを合わせれば放送していると、知っている人たちだけが聞ける路地裏の名店のようなものだ。

というわけで、you tubeなんぞはたまにしか見ない。たまにそのyou tubeで何を見ているかと言うと、アニメの番組を見ている。アニメそのものじゃない。好きなアニメの声優さんたちが出演して、そのアニメの裏話とか新情報とかを話す生配信番組だ。

そのような僕が好きになるアニメはたいてい、そこまで派手にヒットしていないものが多い。

とはいえ、大コケしたわけでもない。大コケしたアニメに「新情報」なんてない。

大ヒットはしてないけど、でもクオリティが高く、ファンを中心に根強い人気があって、何とかして新作が作られている、そう、アニメ業界の裏街道を行くようなアニメが好きなのだ。

みんなが知ってる人気アニメにはあまり興味がない。いや、おもしろいと思っても、爆発的な人気が出てしまうと妙に冷めてしまう。

そうじゃなくて、知る人知る名作、そんなアニメが見たくて、アニメの裏通りをうろうろしているわけだ。

僕がやっている民俗学だって、「裏の歴史学」なのだ。

戦国武将とか、幕末の志士とか、フランス革命とか、有名人や大事件を取り上げるのが歴史の表通りなら、「ふつうの人のふつうの暮らし」の歴史を研究する民俗学はまさに「裏の歴史学」だ。そもそも、民俗学は書物に残らない歴史を探求することが目的で生まれたのだ。書物が表通りの歴史なら、暮らしの文化や言い伝えに残された「裏の歴史」があるのである。

そういった裏の歴史を求めて、農村などを調査するのだけれど、さらにそういった農村文化の外にも、漂泊の民だの化外の民だのと呼ばれる人の文化がある。裏の歴史のさらに裏があって、裏の裏は表ではなく、より深い裏の世界となっている。

「裏」とはつまり、人の集まらない場所、人の目が向かない場所のこと。表と裏というのは、単に前か後かという話じゃない。人の目が集まるか集まらないかなのだ。

人の目が集まる場所というのはどんなところかと言うと、つまりは「密」になるような場所だ。「裏」を好むということは、そういうところを避け、人目につかない場所、人目につかないものを好むということ。

だから、そろそろ「密」を避けて「裏」が流行ってもいいんじゃないか、と思うのだけれど、流行っちゃったらそれはもう「裏」ではないような気もするし、流行ったら冷めちゃうから、はやらなくていいか。