やっぱり『稼ぐ』って言葉が嫌い

前にも書いたんですけど、僕は「稼ぐ」という言葉が嫌いです。そこには、「すべておのれの才能と実力だけで稼いだ」っていう慢心があるからです。

「自分の実力だけで『稼ぐ』」なんてありえないのですね。その人が才能や実力を発揮できるための環境を整えた人間だけでも、数え始めるときりがないくらいいっぱいいるんですね。

『プロサッカー選手になって、日本代表で活躍したぜ!』⇒Jリーグがあってよかったね。30年前はなかったんやで。JFAに感謝しな。

『ユーチューバーになって、インフルエンサーになったぜ!』⇒YOU TUBEやSNSがある時代に生まれてよかったね。あと、撮影で使うカメラ、自分で作ったわけじゃないだろ? メーカーへの感謝を忘れるなよ。

『スマホひとつでどこでも仕事できるぜ!』⇒ジョブズの墓参りをしろ。

こんな調子で、誰もがあったこともない誰かのお世話になって生きているのです。全人類、誰かの苦労におんぶと抱っこされて生きているのですね。

僕自身もハッとさせられることがありまして。

ずっとZINEを自分一人で作っていると思ってたんですけど、いざ販売しようと文学フリマの会場に行くと、すでに僕が使うための長机が用意されていたんですね。

そのとき、ハッとするわけですよ。

「俺、自分で使う長机を、自分で用意してない!」

「そもそも俺、このイベントの手伝い、何もしてない!」

自分一人で活動してると思ってたけど、最後の「販売」というステップでは、どうしても他人の力、他人の看板を貸していただかないと、何もできないのですね。

そもそもこの「自分一人で活動してると思ってた」の時点で、思い上がりなのですね。パソコンとプリンタと、近所の東急ハンズがあって、初めて成り立つ活動なのです。

恩人に足を向けて寝られないけど、全方位に恩人がいるので、立って寝るしかないのです。

石を投げれば恩人にあたるのです。いや、恩人に石を投げてはいけません。

なんでこんな話をしてるのかと言うと、例のプロゲーマーが差別発言をして炎上した挙句、スポンサーから契約を切られて、チームもクビになった、という話です。

この人こそまさに、自分の置かれた環境への感謝を忘れていたんだろうなぁ、と。

だって、過去の発言とかも掘り返されているけど、要は「自分以外みんなカス」って言いたいわけでしょ。

でも、プロゲーマーがゲームの大会で実力を発揮してお金を得るためには、ゲームを作った人たちが必要なわけで。eスポーツやプロゲーマーにそれこそ「人権」が認められるように頑張った人たちが必要なわけで。そこに気前良くお金を出すスポンサーがいる必要なで。コントローラーだってゲーミングチェアだって、自分じゃ何一つ作らないわけで。要は「他人の苦労におんぶにだっこ」だったわけです。

そういった「環境を整えてくれた人たち」への感謝がないから、いざって時に「環境」の方から「あんた来なくていいよ」とはしごを外されてしまうのです。

これがホントのSDGs!!

今年の冬は、一段と乾燥してますね。

どのくらい乾燥してるのかと言うと、これまで乾燥なんてまったく気にしなかった僕が、気にするぐらい乾燥してます。

なんかね、かゆくてたまんないんですよ。で、かゆいところを触ると、もう明らかに肌が乾燥してるんですね。

なので、霧吹きを用意しました。

そんで、1時間に1回、部屋の中で霧吹きを散布しまくってます。湿度よ、あがれ~。

……いや、加湿器買えよ!

でもね、加湿器買うと、お金がかかるじゃないですか。

霧吹きはね、元から家にあったのですよ。タダなのですよ。

で、1時間に1回、部屋でシュッシュしてます。それ以外にも、乾燥が気になったら、部屋でシュッシュしてます。

……いや、加湿器買えよ!(2回目)

でもね、1時間に一度、部屋の中で霧吹きを散布する。たったそれだけの手間が惜しくて、マシンを買うなんて、バカバカしくないかいですか?

そしてふと気づくのです。そうか、今話題のSDGsってそういうことか。

電気を使わなくても、人力でできることは、人力でやろう。

そう、SDGsとは、S「それくらい」 D「電力つかわずに」 G「頑張れ!」の略なのです。

……最後の小文字の「s」は何なのかって?

……そう、SDGsとは、S「それくらい」 D「電力つかわずに」 G「頑張れ!」 s「しょ、少年!」の略なのです。少年よ、大志を自力で抱け!

人力でよくない?ってことはほかにもありまして。

最近は夏場になると、携帯型扇風機みたいなのを持っている人を街で見かけます。お店に行くと、売ってます。たぶん、電池式なんでしょうね。それを見るたびにいつも思うんです。

……うちわじゃあかんの?

うちわなんて、だいたいただで配ってることが多いんだぜ。

まあうちわは持ち運びに不便ですけど、扇子だったら持ち運びも楽チン。むしろ、小型扇風機より軽いですよ、きっと。

おまけに、扇子があれば落語もできます。「時そば」とかやれちゃうよ。

もちろん、扇子もそこそこの値段がしますけど、

……電池って意外と、高いのよ。

仮に小型扇風機が充電式だったとしても、

……どうせすぐ壊れるって。

僕の部屋にあるうちわなんて、たぶん、10年ぐらい前のやつです。まだ全然使えます。なんというものもちの良さ。

おまけに、風の強弱も手首の加減一つで思いのまま!

これぞ、S「それくらい」 D「電力つかわずに」 G「頑張れ!」 s「少年!!」

科学の進歩は素晴らしいですが、中には「なくてもよかった進歩」もあるのです。

この前も、街を歩いていたら、電動スクーターがスイ~!

……自転車に乗れ! 太るぞ!

「反発」だらけの人生

思えば、僕の人生はたいてい何かに反発してばっかりなんです。

たとえば、「あしたてんきになぁれ」という小説。あれは学校や受験、就職といった枠組みへの反発が根底にあるんです。

「民俗学は好きですか?」ってZINEも、いろんなものへの反発が根底にありますね。

まずは、民俗学への反発。民俗学についてやってるのに、民俗学に反発するとはどういうことや。

民俗学の本って、わかりづらくて、面白くない本が多いんですよ。

「俗」ってついてるんだから、わかりやすくて、おもしろくないとダメだろ、っていう「反発」があって、なので「わかりやすく、おもしろく、奥深く」を掲げてZINEを作ってます。「勉強してる人やオタクにだけわかればええねん」はやめよう、と。

そもそも民俗学自体が、文献至上主義の歴史学への反発で生まれたものですし、偉人中心の歴史観への反発でもあるんですよ。さらに紐解くと、民俗学の父・柳田國男が官僚時代に抱いた、「地方の実情を無視した国策」への反発が、彼を民俗学の道へといざなったんです。民俗学ってそもそもが、反発の学問なんですよ。

また、ZINEというスタイルには、WEBライターやライター業界への反発が潜んでます。

自分でZINEを作ろうって思ったきっかけが、いまのWEBライター業界は、記事を量産してお金を稼ぐことしか考えてなくて、質のいい記事を作ろうという気概がない、という「反発」でした。

さらに、

「ライターってなんで自分でメディア作らずに、『お仕事待ってま~す』なの?」

「ライターってなんで自分の作品を自分で売らないの?」

「ライターってなんで自分でお客さんの前に立たないの?」

という業界そのものへの「反発」もあるんです。

反発に反発を上塗りする、反発オンザ反発スタイル。

さらに、「ノンバズル企画」という活動には、SNS社会の「バズることが正義」「ネット上の数字が正義」という風潮への反発もあります。

学校とか就職とか、民俗学とか、ZINEとか、自分が通ってきた道をもれなく反発で塗りつぶしていきます。反発の大怪獣です。後始末は誰がしてくれるんでしょうかね。

ピースボートだけは反発から免れているのかと思いきやどっこい、旅人界隈によくある「行った国の数をプロフィールに自慢する」とか「海外いっぱい旅したヤツがエラい」「旅するヤツがエラい」といった風潮にも中指たててます。

ここまで反発しっぱなしだと、きっと死ぬまで反発しっぱなしなのでしょう。世間が右を向けば左を向く。左を向けば上を向く。こういうやつを昔から「アマノジャク」と言うのです。