缶バッジとサムズアップ

コンビニに行くと目立つところに、ワンピースとか仮面ライダーとかの一番くじがあるじゃないですか。

僕はワンピもライダーも大好きなんですけどね、フィギュアには全く興味がないので、スルーしちゃってます。

「かさばるグッズ」に興味がないんですよ。

場所をとるうえに、ホコリとか掃除するのめんどそうだし。

おまけに、実用性が全然ないじゃん。

渋谷のワンピースショップに行ったときも、かさばらないうえに実用性がある、そんなグッズは意外と少なくて困りました。せっかく来たのに、買うもんないじゃん。

マグカップとか売ってたんですけど、かさばる上にね、別に食器には困ってないし。新しいのいらんのよ。

そんな僕にとって重宝するグッズがあるんです。それが、「コースター」

小さく平べったくてからかさばらないうえに、実用的! あと、紙製のコースターは意外と消耗品だから、なんぼあっても困らない。

「コラボカフェ」みたいなイベントに行くともらえます。

あとは、やっぱり缶バッジですね。

実用的じゃないけど、かさばらないし、安いからついつい買っちゃいます。

こういうのは開封するまでどのキャラが出るかわからない、ってギャンブル性もあるんですよ。

まあ、僕はこの手の運には強くて、結構な確率で推しキャラを引いちゃうんですけど。

「プリンセス・プリンシパル」の缶バッジを2個買った時は、なんと推しキャラの「ベアトリス」がダブってました。缶バッジってけっこう落としやすいから、ダブりは助かりますね。

そんな缶バッジにまみれた生活を送っているある日、こんな出来事があったんですよ。

道を歩いていると、背後からバイクで追い越していったピザ屋のお兄さんが、突然僕にむかってサムズアップをして走り去ったんです。

はてな。ピザ屋さんにサムズアップされる覚えなんてないし。

知り合いかな、って思ったけど、一瞬見えた横顔は知らない顔。

なにより、向こうは僕を後ろから追い越していったんで、僕の顔は見てないはずなんですよ。見えたのと言えば、背中にしょってるリュックぐらい。そして、リュックには最推しアニメ「刀使ノ巫女」の缶バッジがいっぱい……。

……まさか、彼は同じ刀使ノ巫女を愛する同志だったというのか? それで、僕の缶バッジを見てサムズアップを?

たしかに、いくつかある缶バッジの中でも、遠目からでもわかるくらいデカいやつがあって、しかも、それは主人公のキャラが描かれているもの。わかる人にはすぐピンと来るはずです。

刀使ノ巫女のゲームは、去年サービス終了しちゃったんだけど、500万ダウンロードを突破していたはずなので、プレイヤーは町中に結構いるはず。

こんなふうに、町で自分の好きなアニメのグッズを持ってる人を見ると、嬉しくなるけど、声をかけるのはさすがに、という場面が何度かあったんだけど、そうか、さりげなくサムズアップすればいいんだ。

民藝館に行ってきた

目黒区にある「日本民藝館」というところに行ってきたんですよ。

いまから100年ほど前に、作者の名前もわからない民芸品に美を見出してせっせと集めた柳宗悦っていう変人がいて、その人が集めた民芸品を展示する美術館です。

少し前からこの柳宗悦についていろいろ調べてまして。白樺派の一人として、ゴッホをはじめとする西洋の芸術家を日本に紹介していた彼が、どうして名もなき民芸品に美を見出すようになったのか。

この人はどうやら、美術評論家よりも、宗教学者・思想家に近いみたいです。彼が民芸品に見出した美というのも、何か宗教哲学に近いものだったみたいで。宗教思想などを専門としている人が、なぜ民芸品に美を見出したのか。

やっぱり現物を見るのが一番、ということで民藝館に行ってきたんです。

入場料1200円……。たけぇ……。

まあ、民間の美術館だしなぁ……。

展示されているのは、焼き物のお皿とか壺とか、木の机とか、服とか、タンスとか。どことなく、おばあちゃんちのにおいがしました。

そのほとんどが作者不明で、もちろんアート作品じゃなく日用品として作られたものばかり。まさか美術館に展示されるなんて、作った本人すら夢にも思わなかったでしょう。

でも、柳宗悦がこの民芸品に美を揺さぶられた、というのも何となくわかってきました。

たしかに、どれもアートとしても面白いです。釉薬の模様がユニークだったり、緻密な装飾が施されているものも多いです。

いっぽうで、言葉は悪いんですけど、どこか稚拙というか、不格好というか。

たとえば、一つだけ写真おっけーなツボがあるんですけど、このツボもよく見ると形がなんかアンバランス。

一つの民芸品のなかに、緻密さと、稚拙さが、同居している不思議な感じです。

たとえば、木でできた小さなタンスが展示されてたんですよ。まあ、だいたいタンスってのは木から作られるんですけど。

その形も、どこかいびつなんです。今の家具屋で売ってるようなきれいな直線を描いているわけじゃなくて、なんとなく曲がってて、いびつな形に見える。

でも、じゃあほんとに稚拙なのか、技術が足りないのか、って言ったら、たぶんそんなことないんですよ。だってそのタンス、すっごい緻密な装飾が施されてたんだもん。

木でつくるタンスであれ、粘土で作る焼き物であれ、布で作る服であれ、材料は自然物、生モノです。それを、機械を使わずに、手作業だけで民芸品を作っていく。

そのとき、生ものである材料が持つエネルギーを殺しきれてない、殺さないまま作っている、それが稚拙さの正体なんじゃないか。

現代のものづくりの技術は完璧です。この完璧っていうのは、「材料の持ってるエネルギーを殺して、完璧に道具として仕立てる」という意味で。たとえば、木製の家具はいっぱいあるけど、普段ほとんど「これは、木である」と意識することはないじゃないですか。

プラスチック製品にいたっては、もうプラスチックの原型を思い浮かべることなんてない。そもそも、プラスチックの原型って、何?

それに対して民芸品は、緻密な技術を持つ一方で、材料の持つ生命力を殺しきらない稚拙さを併せ持ってるように感じました。芸術品としての美と、日用品としての粗末さが同時に存在する、不思議な物体。それが民藝だ、と考えると柳宗悦が美を揺さぶられたというのもわかるのです。

うん、よくわかんないだろ。よくわかんないのなら、一度、民藝館に行ってみなさい。1200円取られるけど。

追伸:古本市で柳の書いた「美の総門」って本を見つけたんですよ。この本は彼の民芸運動の集大成らしいです。欲しいなぁ。

……古本なのに2200円。……たけぇ。