なぜピースボートに若者が集まるのか? ~世界一周と無縁空間~

コロナウイルスの蔓延、さらにダイヤモンドプリンセス号でのクラスター発生で、クルーズ業界はどこもピンチらしい。御多分に漏れず、ピースボートもなかなか厳しい状況だと聞く。しかし、そもそもなぜ若者は船旅に集まるのだろうか。


集団バックパッカーとリセット願望

今に始まったことではないが、ピースボートはアンチも多く、悪評が多い。

ネット右翼が思い込みでしゃべってるだけというのもあるけど、たまにどう言葉を尽くしても擁護できないトラブルを巻き起こすから、悪評が絶えない。「悪意のないトラブルメーカー」である。ある意味、厄介だ。

それでも、ピースボートに若者は集まる。かくいう僕もその一人。

なぜかというと、「ほかに代わりがないから」である、と思う、たぶん。

若者でも払える程度の金額で世界一周ができる。なおかつ、船旅だから一人でチケットや宿を手配して旅するよりは安全性が高い。

安く安全な世界一周を提供しているのがピースボートであり、こと「船旅」という領域において、ピースボートは唯一無二の存在である。

ピースボートに集まる若者というと、国際貢献だの平和活動だのに関心が高い、というイメージが強いのではないか。

だが、決してそんなことはない!

もう一度言う。決してそんなことはない!

少なくとも僕は、世界の貧困とか格差とか戦争とか環境問題とか、どうでもいいと思ってる(こらー!)。

もちろん、そういうことに興味があってピースボートに乗ってる若者も多いけど、僕の実感では、そういうのに興味があるのではなく、ただ単純に旅がしたくて船に乗る若者のほうが多い、気がする。

ピースボートが始まったころは、政治思想的な考えが強かったのかもしれないが、現在のピースボートは、若者に関して言えばいわば、集団バックパッカーだ。「世界を旅てみたい」「世界をこの目で見たい」といった若者が集まって船に乗っている。

そして、集団バックパッカーの中には、必ずしもポジティブな理由とは限らない人もいる。

「今の退屈な人生を変えたい!」「今の自分を変えたい!」「今のままでいることが怖い!」「ここではないどこかに行きたい!」という、ちょっと意地悪な言い方をすれば「現実逃避」にも映りかねない動機で船に乗る若者も多い。

「今の自分が嫌だ!」「今の自分の現状を変えたい!」という強烈な自己否定が、「日本でのつまらない自分」から解放されるであろう旅に対して、強い憧憬を生むのだ。

いわば「リセット願望」である。「人生をやり直したい」というと、何か大失敗でもしたのかと思うが、そうではない。「これと言って不幸というわけでもないけれど、もっと不幸な人もいるんだけど、むしろ恵まれているほうかもしれないんだけど、可もなく不可もなくな今の人生を一度リセットしたい」、そういうリセット願望が人間にはあるのである。一歩間違えたら自殺願望になってしまうのかもしれないけど。

ピースボートが拾い集めているのはそういったリセット願望である、と思う。町中に貼られたピースボートのポスターは、普通の人には「居酒屋でよく見る、なんか写真がきれいなポスター」程度にしか映らないけど、リセット願望を抱えた人間には、不思議と「今の自分を、人生をリセットできる冒険の扉」に見えてしまうのだ。

樹海に行って首をくくるくらいなら、青い海に出てやり直そうか、というわけだ。

そして実際、ピースボートはリセット願望を抱えた人間が、「生きたまま」何かをリセットするのにぴったりな場所なのだ。それを紐解くキーワードが「無縁空間」である。ピースボートとは、現代の無縁空間なのだ。

無縁空間の歴史

もしも、「それまでの自分」と全く関係なく生きていける場所があるとしたら? リセット願望を抱える者にとって、これほど都合の良い場所はないだろう。

そして、日本の歴史の中で、そういった場所は確実に存在した。それが「無縁空間」だ。

中世民衆史の第一人者、網野善彦の有名な論文「無縁・公界・楽」は、そんな無縁空間が日本に存在していたことを説いている。

たとえば、「縁切寺」「駆け込み寺」という言葉がある。昔の夫婦関係は、男性から一方的に離婚を言い渡すことができても、女性のほうから離婚することはできなかった。ところが、駆け込み寺に女性が逃げ込んだ瞬間、男性側が何を言おうとも有無を言わさず離婚が成立したという。その寺に入った瞬間に、男女の縁が切れたのである。

そこに入れば、世俗の縁が切れる。それが無縁空間だ。

そういった場所は寺だけではなく、宿場町や市場、港町にも存在した。

無縁空間で切れる縁というのは、男女の縁だけではない。主従関係の縁、親子の縁、さらにお金の貸し借りの縁まで切れたという。

現代人が思い浮かべる「縁」とは少し違う。現代人が「この度はご縁があって……」などと口にするときの両者は対等な関係であることが多いけど、昔の日本人にとっての「縁」は決して対等な関係ではなかった。主従関係や親子関係、お金の貸し借りが台頭でないのはもちろん、夫婦関係も決して対等ではない。男性側を「主人」「亭主」などと呼ぶのがその名残だし、対等でないから女性側は縁切寺へ逃げ込むわけだ。

人は生きている間にいくつもの縁に結ばれている。いや、縛られている。領主と農民の縁、親と子の縁、亭主と嫁の縁、金の貸し借りの縁、いずれも決して対等な関係ではない。

ところが、無縁空間に逃げ込めば、その縁も切れてしまうというのだ。嫌な上司ももう上司じゃなくなる。顔も見たくないような旦那の顔を、本当に見ずに済むようになる。借金もチャラ。なんて理想的な空間。そこに行けばどんな願いもかなうというのか。おおガンダーラ。

そんな無縁空間には4つの要素がある。これはピースボートにもかかわってくることなので、しっかりと読んでほしい。

要素① 無縁

最初の要素は「無縁」だ。無縁空間なのだから当たり前といえば当たり前。

無縁、つまり、無縁空間にいる人たちはみな、世俗との縁が切れている人ばかりだ。

たとえば宿場町。宿場町を訪れる旅人は、どこの誰ともわからない人ばかり。無縁な状態である。

そして、彼らをもてなす宿場の住人もまた、無縁な人々である。彼らは農村社会からあふれ、はじき出されたものたちなのだ。

そこに住む者も、そこを訪れる者も、関わる人すべてが無縁な状態。それが一つ目の要素だ。

要素② 自由

無縁空間の住人は、出入りが自由だった。無縁空間に入るのも自由であれば、そこから逃げ出すのも自由だった。無縁空間は何者も拒まない。さらに、農民の移動が制限されていた時代でも、無縁空間の住民は移動が自由だった。

要素③ 自治

無縁空間はどこからの支配も受けない。「ここは俺たちの町だ!」という強い帰属意識のもと、自分たちの町を自分たちで治める、すなわち「自治」を行っていたのだ。

要素④ 反抗

無縁空間は何者も拒まないと書いたけど、たった一つ拒むものがある。それが、権力の介入だ。権力者が無縁空間に介入することを、無縁空間の住民は嫌った。介入しようとすれば、徹底的に反抗する。

 

無縁空間はこれら4つの要素を持っていた。そこにいても素性を問われず、出入りも自由。そして、既存の権力による支配を拒む。だからこそ、「無縁」という性質が保たれるのだ。

さて、現代人も多くの縁に縛られている。とりたてて不幸というわけではないんだけれど、見えない縁に縛られて身動きが取れない。そんな時、人はリセット願望を抱く。リセット願望を抱いた人間が、逃げ込む駆け込み寺、それこそが無縁空間である。

そして、ピースボートはまさに、現代の無縁空間なのだ。

ピースボートという無縁空間

ピースボートはまさに、現代の無縁空間である。その性質を紐解いていこう。

まず、無縁空間というのはいつも、社会のはじっこに生まれる。寺、宿場、市場、港、これらは農村を基本とした社会のはじっこに生まれるものだ。はじっこだからこそ、既存の縁が届かないのだろう。

では、ピースボートはどうかというと、船旅はまさに海の上という、現代社会のはじっこで行われる。いつの時代も海の上というのは、社会のはじっこである。

そして、ピースボートは先に挙げた4つの要素を持っている。

まず、無縁の要素。無縁空間に携わる人はすべて社会と無縁でなければならない。

つまり、無縁空間にいる間は、社会の肩書がリセットされなければならない。「〇〇会社の社長」とか「どこそこの店長」とか、「××大学ホニャララ学部1年」みたいな肩書が付きまとったのでは、無縁空間とは言えないし、リセット願望も満たされない。「肩書なんか関係ないよ」という状態になって初めてリセット願望は満たされるのだ。

そして、ピースボートはこの無縁の要素を満たす場所である。

なぜなら、ピースボートはニックネーム文化なのだ。

「ボラスタ」と呼ばれるポスター貼り出身の若者は、たいていがニックネームを持っている。ボラスタ登録後にまずニックネームをつけられる。

そして、ピースボートにいる間、基本的にニックネームでしか呼ばれない。本名を呼ばれるのは、避難訓練で点呼をとるときぐらい。

だから、船にいる間は、相手の本名を知らないまま「友達」として付き合う。

本名すらわからないのだから、その人が陸では何者なのかだなんて、本人がしゃべらない限り、まずわからない。僕の場合だと、本名も肩書も一切が無視され、単に「埼玉から来たノック」としか見られない。まさに無縁だ。

そして、このニックネーム文化は、スタッフ側にも適用される。スタッフもあだ名で呼びあい、あだ名で呼ばれる。もちろん、公式な場では本名を名乗るし、船内ではスタッフの本名が分かるようになっているのだけれど、普段の船内生活の中ではニックネームでしか呼ばれない。

まさに、関わる人すべてが、ニックネームによって無縁となるのだ。

次に自由の要素。来る者は拒まず、去る者は追わず。それが無縁の原理である。

もちろん、船旅は莫大なお金がかかるので、だれでも自由に乗れるとはいかない。だが、ピースボートにはボランティアスタッフ(ボラスタ)として活動すれば船代が割引される「ボラ割り」という制度があり、ボラ割りをためるためのボラスタになるのには、まさに来る者は拒まず、去る者は追わずなのだ。

登録に関しては、面接とか審査とか一切ない。事務所に言って名前さえ書けば、だれでもボラスタになれる。

そして、去る者は追わない。ボラスタをやめたければいつでもやめていいし、船の予約も期間内であれば簡単に取り消せる(まあ、ウイルスが蔓延して、一斉キャンセルとかになったら話は別だけど)。

実際、乗船するまでのモチベーションが保てずに、ボラスタをやめてしまった人も少なくない。

次に自治の要素。誰から支配されるのではなく、自分たちの手で場を運営してこその無縁空間だ。

よく言われるのが、「船は受け身では楽しめない」。ピースボート側から何か提供されるのを待っているのではなく、自分から積極的に参加し、行動しないと、ピースボートの船旅は楽しめない。

船の中では毎日、様々な企画が行われている。ピースボート側で用意した企画もあるが、多くは乗客の自主企画である。大規模なイベントも乗客の手で運営される。また、船内での映像の撮影や、音響、船内新聞づくりも乗客の手で行われる。

完全な自治、とはいかないまでも、自治度はかなり高い。

そして最後の要素は反抗である。無縁空間は権力の介入を許してはならない。

そりゃピースボートなんだから反権力的だろうと思ったそこのあなた、冒頭の文をもう一度読み直してほしい。ピースボートに乗る若者の多くは、政治とかそういうのに興味があるのではなく、ただ旅がしたい集団バックパッカーである。そして、その中にはリセット願望の強いものも多い。

彼らにとって介入してほしくないもの、それは政治権力ではない。「世俗の縁」だ。職場のしがらみとか、家庭のごたごたとか、友達関係の煩わしさとか、そういったものに介入されたくなくて、船に乗るのだ。

そして、船に乗れば、これらの「世俗の縁」から介入されない生活を送れる。

そもそも、物理的に届かないのだ。船に乗れば外界から完全に遮断される。海の上はWi-Fiが弱いので、家族も友達も職場も、めったに連絡が取れない。

 

こうやって見ていくと、ピースボートは強い「無縁の原理」を持つ無縁空間なのだ。そこに行けば、世俗のしがらみは断ち切られ、何者でもない自分として、約100日の間、世界を旅できる。

もちろん、カルト宗教みたいに「絶対に断ち切れます!」なんて断言することはできないけれど、少なくとも一般社会と比べれば、限りなく無縁に近い空間であるといえるだろう。

ピースボートは現代の無縁空間であり、若者が抱く「リセット願望」を生きたままかなえることができる。

だから、ピースボートに若者が集まるのだ。

僕はピースボートのエコシップ新造船を面白く思ってなかった

ピースボートのエコシップ新造船が頓挫したらしい。頓挫と言っても就航が伸びただけなのだが、事前に風潮していた計画通りにはいかなかったことには変わりない。普段ピースボートに関する記事を書いている以上、僕にはエコシップ新造船に関して何か言う責務があると思い、今回筆を執った次第だ。


エコシップに興味がない

ある日、このブログの閲覧数が2倍に跳ね上がった。

ピースボートについて書いた記事の閲覧数が跳ね上がったのだ。

「ついに私の時代が来たか!」と思ったのだが、アクセスが跳ね上がった原因はすぐに分かった。

この記事だった。

ピースボート 570億円「豪華客船」計画が“座礁”

かねてより2020年の就航を目指していたピースボートの「エコシップ」が、計画が2年延びているよ、という記事だ。なんてことはない。「他人の炎上」の恩恵を受けていただけだったのだ。「他人の炎上商法」は火元が所詮は他人だけあって、収束するのも早い。2日後にはいつも通りのアクセス数に戻っていた。アーメン。

助けると思って、もう一度炎上してくれないか、ピースボート。

さて、ピースボートが文春砲を食らった形だが、ピースボート界隈でうろちょとしている人間からすれば、実は1年ほど前からこう言ったうわさがちらほら聞こえてきていて、何ならエコシップの計画が発表された時から、なんとなくこういう落ちになりそうな気がしていたので、「どうせそんなこったろうと思った」が僕の偽らざる本音だ。

とはいえ、すでに2020年のエコシップに申し込んでいる人からすれば、「そんなこったろうと……」なんてのんきなことを言っている場合ではない。以前にも、僕のブログに「エコシップについて何か書かないのか、いや、書くべきだ」といった感じのコメントが寄せられた。

その時にはっきりと書いたのだが、僕はエコシップに興味がないから、何か語るほどの知識がない。

ところが今回、このような報道が出た。報道が出た以上、普段ピースボートに関する記事を書いているからには、いよいよもってエコシップについて何か書く責務があるのだろう。

ところが相変わらず、エコシップに興味がないから、語るほどの知識がない。上にリンクを張った記事に書かれていた以上のことは知らない。

どうしてそんなに興味がないのか。

正直に言えば、僕は、エコシップの計画がうまくいくのが面白くなかった。面白くなかったから、無意識のうちに情報をシャットアウトしていたのだ。

エコシップが面白くない

話は3年前にさかのぼる。

2015年の9月だったか10月だったか、船の中で大々的にエコシップの計画が発表された。

オーシャンドリーム号よりも大きく、豪華で、それでいてエコなのだというエコシップ。その完成想像図を見た時は、「なんだかおばけクジラみたいな船だなぁ」と思ったものだ。

これだけ豪華な船なら、今まで通り「地球一周99万円」とはいかないだろう。オーシャンドリーム号と併用するという話だったから、お金のない若者はオーシャンドリームへ、お金のある人たちはエコシップへ、というすみわけでもするのだろうか、などと考え、たぶん自分は乗ることはないだろうなぁ、と思った。

と、同時に、ある疑惑が頭の中に浮かんできた。

「もしかして、大宮ボラセンがつぶれたのって、このエコシップのせいじゃないのか?」

大宮ボラセン。僕が仲間たちとポスター張りにいそしんだ、ピースボートの支部の一つである。

2015年当時、全国に9か所のピースボートのセンターがあった。その中でも大宮はちょっと変わっていて、事務所と言いつつもマンションの一室を借りているという小規模なものだった。スタッフ二人で回していて、所属しているボランティアスタッフも少人数だった。

何より、不思議と社会で何か躓きを経験した人が集まっていた。戯れに自分の心の闇を語る回というのをやってみたら、全員何かしらネタを持っていたのだから笑えない。

大宮ボラセンは、ピースボートの出先機関や、ポスターを貼るためのというよりも、社会で躓きを経験したものの、駆け込み寺、居場所という役割が大きかった。

だが、そんな大宮ボラセンも、僕が船に乗っている2015年10月31日をもって、閉鎖してしまった。

閉鎖の話を聞いたのは、初夏の土曜日だった。大宮だけでなく船橋と札幌のボラセンも閉鎖になるとの話だった。

常々スタッフからは「いつまでも大宮ボラセンがあるとは限らない」と言われてはいた。実際、その半年ほど前に神戸のボラセンが閉鎖されていた。

だが、当時の大宮ボラセンはマンションの一室という小規模な事務所にしてはかなりの人数が在籍していた。地元の埼玉県に住む人だけでなく、東北や北陸からも、地球一周を目指すボランティアスタッフがやってきていた。

何より、ポスターの枚数的にも結果を出していた。

「いつか閉鎖になるかもしれない」ということはわかっていたが、そうならないように結果を出していたつもりだった。だからこそ、閉鎖の話は寝耳に水だった。

閉鎖の話を聞いたとき、「ピースボートも色々あって、東京の高田馬場にある本部にスタッフを集中させるため」という説明を受けた。

ピースボートの細かい内情については聞いても教えてくれないと思ったし、閉鎖のことについて文句を言う気にはなれなかった。全く納得していなかったが、誰よりも悔しいのは、大宮でボラセンをやることにこだわり続けていたスタッフの方だとわかっていたから。

ただ漠然と「やむにやまれぬ事情があって、地方のボラセンを閉鎖せざるを得なかったのだろう」と考えた。もしかしたらピースボートは存続の危機にあるのではないか、とも考えた。

だからこそ、エコシップの話を聞いたときに、椅子から転げ落ちるんじゃないかと思うくらいびっくりしたのだ。結構余裕あるじゃないか、ピースボート、と。

大宮ボラセン閉鎖とほぼ同時期に飛び込んできた、エコシップ新造船の話。

もしかして、このエコシップを造るために、大宮ボラセンは閉鎖されたんじゃないか。僕はそう考えた。

はっきり言わなければならないのが、これは僕の憶測であり、それを裏付ける根拠は何一つない、ということだ。大宮ボラセンの閉鎖と、エコシップの新造船の因果関係を、僕は証明できない。

ただ、この二つのタイミングがあまりにも近かったので、何か関係があるんではないかと思った、そして、今でもそう思っている、という話だ。

客観的に考えれば、別に問題行為ではない。ピースボートが新たな目玉となる船を造るため、地方の支部を閉鎖して、スタッフを東京に集中させた。別に何も問題ではない。ピースボート内の人事の話だし、ピースボート内の人事をどうしようがそれはピースボートの勝手である。

不利益を被ったのは我々地方のボラセンに通うものとそのスタッフぐらいだ。だが、何度も言うがピースボートの支部をどうしようがピースボートの自由である。

ただ、一方で、もっとやむにやまれぬ事情があったのならまだしも、こんなシロナガスクジラのおばけみたいな船を造るために大宮ボラセンが閉鎖されたのではないか、と考えると、なんだかばかばかしいと思ってしまったのだ。

正直に言う。面白くなかったのだ。

ピースボートがエコシップの計画を大々的に宣伝する裏で、「くっだらねぇ。頓挫すればいいのに」と割と本気で考えていた。

だから、無意識化にエコシップの話をシャットダウンするようになった。船内でエコシップの話が出るたびに、心の中で舌打ちをしていた。

自分からエコシップについて調べるとか、ましては何かを書くとか、そういう発想はなかった。エコシップについて考えるだけで腹が立ち、面白くなかったのだ。

だから、僕はエコシップについて、何にも知らないのだ。

何度も言うが、ボラセンの閉鎖にエコシップが関係しているというのは、僕の憶測である。人から見たら妄想に近いものかもしれない。

つまりは、逆恨みみたいなものである。

エコシップは頓挫したけれど……

さて、そうして僕は無意識のうちにエコシップの話題に触れることを避けてきた。

そこに来て、今回のこの報道である。

すでにエコシップ乗船の申し込みを始めてしまっていたにもかかわらず、肝心のエコシップが完成しないため、問題となっている。せめて完成のめどが立ってから乗客を募集すればよかったのに、どうして青写真描いてる段階で募集始めちゃったかなぁ、バカだなぁ、というのが率直な感想だ。

さて、エコシップ計画がうまくいくことが面白くなかった僕は、この状況にさぞかし高笑いしていることだろう。「は~はっは! 考えが甘いんだよ、バカめ! ざまぁみろ! 迷惑かけた人たちに謝れ! 土下座して土をなめろ!」と指をさしてゲラゲラ笑っていることだろう。

……それが意外にもそうではないのだ。自分からしてもこれは意外だった。

エコシップがうまくいかないならいかないで、それはそれで面白くなかったのだ。

「わざわざ大宮ボラセンつぶしてまでして作ろうとしてる船(個人的な憶測です)なんだから、やるんならきちんと完成させろよ! こんな体たらくじゃこっちも浮かばれねぇだろ!」と思ったのだ。

料理される前に廃棄される豚肉ってのは、きっとこんな心情なのだろう。

殺されて食べられてしまうのは不本意だし受け入れがたい。だが、どうせ食べられるのなら、せめておいしく食べてくれ。殺しといて料理しないなんてそりゃないだろう、という話だ。

エコシップがうまくいくのは面白くない。

かといって、エコシップがうまくいかないのも面白くない。

何のことはない。どっちに転んでも面白くなかったのだ。

どっちに転ぼうが、大宮ボラセンはもうないのだから。

どっちに転ぼうが、この事実が変わることはなかったのだ。


「大宮ボラセンがなくなる」と聞かされたのは、初夏の土曜日だった。

その日は岩槻にポスターを貼りに行った。

不思議なもので、「ボラセンがなくなる」と朝に聞かされた時点では、情報としては理解していたが、感情としては理解していなかった。

感情の理解が追いついたのはその日の昼、カレーを食べていたときだ。急に泣きたくなって、「カレー屋で泣いたら絶対ヘンな人に思われる」と必死にこらえた。

その日丸一日、ポスター貼りのために岩槻を歩きながら考えてたどり着いた結論は、「大宮ボラセンをつぶすわけにはいかない」だった。

前述の通り、大宮ボラセンは僕らにとっては、単なるピースボートの出先機関、以上の意味があったのだ。埼玉のあそこに、ああいう事務所があって、ああいう人たちが集まる場所がある。そのことに意味があったのだ。

埼玉から、そのような場所をなくすわけにはいかない。

ピースボートに抗議する、というのもほんの一瞬頭をよぎったが、すぐにその考えを捨てた。ピースボート側は、ボラスタから不平不満が出るのは承知のうえで、「閉鎖」という結論を出したはずだ。今更文句を言おうが、抗議をしようが、覆ることはないだろう。

それならば、せめて「大宮ボラセン」の記憶を、名前を、強烈に残そう。そう考えた。

「88回クルーズの大宮は熱かったな。なんか、閉鎖だなんてもったいないことをしたな」

ピースボートにそう思わせてやろうと思った。いつか、「地方のボラセンを復活させよう」となった時に、大宮の名前がそこに必ず入るように。

僕が船の中でやってたことの7割は、そういった理由によるものだ。

それでいて、僕は「いつか大宮ボラセンが復活しますように」と仏壇に毎日手を合わせて拝むだけの人間では無い。

自分が動かなければ。

重要なのは、どんなかたちであれ「そういう場所」があることだ。それは必ずしもピースボートでなくてもいい。

そしてそれは必ずしも三次元な空間でなくてもいい。自分の言葉一つが、社会に躓いた誰かの力になれれば、居場所になれれば、そう思ってこの3年を生きてきた。

……つもりなのだが、ここ最近、「本当にできているのか」と考えさせられることが多い。

去年の年末、ラブライブのアニメを見ていた。

好きな声優さんが出てるから、という理由だけだったのだが、その物語がかなり自分と重なった。

主人公たちはスクールアイドルといって、要は学校の部活のような感じでアイドル活動をしているのだが、その肝心の学校が閉鎖になってしまう。

だったら、そのアイドルの大会「ラブライブ」で結果を出して、学校の知名度を上げて入学者を増やせば、閉鎖を免れるのではないかと考え、主人公たちは奮闘する。

その結果、彼女たちはラブライブの決勝に駒を進めることとなる。

だが、それでも入学者は増えず、閉鎖という結論が覆ることはなかった。

いよいよ閉鎖が確定した時、主人公たちは「閉鎖が覆らないのなら、せめてラブライブで優勝して、学校の名前を残そう」と決意する。

もう、どんなに輝かしい結果を残そうとも、閉鎖と言いう結論が覆ることなどないのに。

なんだか、3年前の自分を見ているようで、気が付いたら泣いていた。クッソ~、ラブライブで泣く予定なかったのに~。

だが、あまりにもそっくりだったのだ。主人公たちが置かれた境遇も、「せめて名前を、記憶に残そう」と決意するところも。

同時にふと思う。

あれから3年、自分はあの日の決意に何か報いているのだろうか、と。

やるべきことはやっているつもりなのだが、本当に前に進んでいるのだろうか、と。

こういうことは不思議なめぐりあわせで、そんなことを考えた矢先に今回の報道が出てきて、また3年前のことを思い出す。

おまけに、私の20代は残り1か月をすでに切っている。人生の節目とやらを迎えることを意識すると、余計に考えてしまう。

あの日の決意に、何か自分は報いているのだろうか。

前に進めているのだろうか。

もっとできることがあるんじゃないだろうか。

もっと向き合わなければいけないことがあるんじゃないだろうか。

24歳で仕事を辞めた時「30才までは好きなことをやる」と決めた。そして、あと1か月でその30歳がやってくる。

そして、20代のラスト半年になって、3年前の自分を思い出させるような出来事が重なる。

これはもう、30代の初めは、「大宮ボラセンをなくすわけにはいかない」というあの日の決意に向き合って生きていけ、という神の啓示、と書くと大げさだが、なんだかそんなめぐり合わせな気がする。

そう考えると、「何がエコシップだよ、面白くねぇなぁ」とぶーたれてる暇なんて、実はなかったんじゃないか、などと考えてしまう。

だって、エコシップがうまくいこうが、ダメになろうが、どっちにしても「大宮ボラセンはもうない」という事実は覆らず、どうせどっちに転んでも面白くないのだから。

現状が覆らないのであれば、無理に覆そうとするのではなく、覆らない現状を前提としたまま、少しでも自分にプラスになるように持っていく。今までもそうやってきたし、そうやって生きていくしかないじゃないか。

覆らない現状に文句言う脳みそがあったら、もっと自分のやるべきことに向き合った方がいいんじゃないだろうか。

だから、僕がエコシップについてぶーたれるのは、今回が最後だ。そして、これも何かのめぐりあわせだと考え、自分のやるべきことに向き合っていこうと思う。

あと、ピースボートは迷惑かけた人にちゃんと説明して、謝りなさい。やらかしてしまったという事実も覆らないんだから。

オカルト!?ピースボートの船が海上で消滅した恐怖体験の噂と真実

海では科学の常識を超えたことが起きる。生活の痕跡は残っているのに誰もいない船、全員が何かにおびえるようにして死んでいた船、などなど……。そしてこれから話すのは、「海上でピースボートの船が丸1日消滅した」という、世にも奇妙な体験談。ただのオカルトなどではない。まぎれもない真実である。

ピースボートのだれも覚えていない1日

僕が乗っていたピースボート第88回クルーズ。108日をかけて地球を一周した。

ところが、11月21日、船がどこで何をしていたか、一切の記録が残っていない。

ピースボート88回クルーズは11月19日にタヒチの楽園、ボラボラ島を出発し、11月24日には最後の寄港地、サモアに到着した。

11月20日は間違いなく太平洋の南半球側を航海していたはずだし、11月22日も太平洋上にいた。事実、この日については船内新聞などの記録が残っている。

11月21日の記録だけがどこにもない。

記録がないだけではない。

記憶もないのだ。

11月21日だけ、誰も覚えていないのだ。

その日、船はどこにいたのか、船内で何をしていたのか、船内で何が起こっていたのか、

誰一人覚えていない。

僕自身、まったく覚えていない。

その日、ピースボートの船は完全に海上から消滅したのである。

そして、翌日、まるで何事もなかったかのように、再び姿を現した。

姿を消していた24時間もの間のことは、誰も覚えていない。

まるで「サンチアゴ航空513便」だ。

サンチアゴ航空513便とは、1989年にブラジルの空港に、35年前に消息を絶った飛行機が突然着陸した、という事件だ。中を調べてみると、なんと92人の乗客は全員白骨化していたという……。

サンチアゴ航空513便は帰ってくるのに35年もかかったが、ピースボートは1日で帰ってこれた。幸い、乗客は白骨にならなかったが、その間のことをだれも覚えていない。

いったい、どういう事なのだろうか……。

怪奇!ピースボートの船内は1日が25時間ある

この奇妙な謎を解くカギはピースボートの船内にある。

なんと、ピースボートの船内は1日が25時間あるのだという。

前々からピースボートについて、やれ左翼洗脳だのカルトだのピンクボートだの海上のビジネスホテルだの海上の老人ホームだの船室がまるで雑居房だの、怪しい噂がささやかれているが、もはやそんな次元ではない。そう、次元が違う。異次元だ。ピースボートの船内は通常とは時間の流れが違う、異次元空間なのだろうか。精神と時の部屋なのだろうか。悪の力が3倍になる魔空空間なのだろうが。

……おふざけはこのあたりにして、そろそろ種明かしをしよう。

国によって、地域によって標準時間が違う。だから、時差がある。

飛行機で旅をすると目的地の標準時に合わせて、飛行機の中でいきなり時計をずらすわけだ。「目的地のロンドンは日本より9時間遅いので、時計を9時間遅らせてください」といった感じに。

一方、船旅は一気に何時間も時計をずらすことはない。海の上でも港でも、今いる場所の標準時間に時計を合わせる。

船内には「時差調整日」という日があって、文字通りこの日に時差を調整する。前いた場所の標準時間との時差はわずか1時間。ピースボートの船はほとんどが西へ西へと進むので、地球上を西へ約1500万キロ進むと、標準時間が1時間遅れることになる。なので、時差調整日の深夜12時になったら、時計の針を深夜11時に巻き戻す。

結果、1日が25時間になるのだ。なんか、得した気分である。「わーい! 1日がもう1時間増えたぞ!」と、ちょっとだけはしゃぐ。

それを時差を乗り越える分だけ繰り返す。日本に帰ってくる頃には計、24時間分増えているわけだ。

ところがこのまま日本に帰ってくると、非常に困ったことになる。

例えば88回クルーズが帰ってきたのは12月6日なのだが、ピースボートの船内のカレンダーは12月5日になっているのだ。

このずれを直すため、日付変更線をまたぐタイミングで、丸一日無かったことにするのだ。24時間増えちゃった分、24時間消すのだ。これを「消滅日」という。なんだか、ツタヤで借りられるSF洋画の日本版タイトルみたいだ。

88回クルーズでは11月21日が消滅日、つまり、なかったこととなった。

「日本時間11月21日」なら、たしかにピースボートの船は存在していた。だが、「船内時間11月21日」はどこにもないのだ。

これが、「ピースボートの消えた1日」の真相である。

ちなみに、サンチアゴ航空513便の真相であるが……、

あれ、ただのホラ話である。ハイ終了。

不可思議!ピースボートは同じ1日を繰り返す……

以上は、「西に向かっていった時」の話である。

勘のいい人なら、もう気付いているだろう。

東に向かっていったら、逆の現象が起こる。

時差を乗り越えるたびに、1時間ずつ減っていく。1日23時間。なんだかちょっと損した気分だ。

そして、日付変更線を乗り越えると、

そう、昨日と同じ1日を繰り返す。

みんな大好き、タイムリープである。

神秘!タイムスリップするピースボート

船内で新年を迎える冬クルーズではこういうことをする、らしい。

大みそかの夜、日付変更線をまたぐ形で、船を南下させるというのだ。

つまり、船の真ん中を日付変更線が貫く形になる。

すると、船の片側は新年、船の片側は前の年、という状況が発生する。

船の右から左を行ったり来たりするだけで、新年と前の年を行ったり来たりできるわけだ。まさに、夢のタイムスリップである。

ピースボートで行った寄港地危険度ランキング!

日本ほど治安のいい国はそうそうないという。すりや置き引きの警戒をする人もあまりいないし、女の子が夜に一人で出歩いているし、拳銃の規制も完璧だ。しかし、世界はそうはいかない。今回は、ピースボートで訪れた寄港地の危険度について話そう。ピースボートで訪れる街は観光地も多いが、危険な町も多い。


危険度レベル1 東京・南千住

夜の南千住。スカイツリーがよく見える。

世界の危険度について話す前に、まずは日本の「治安が悪い」とされる町について話そう。

先日、仕事で南千住の木賃宿に泊まる機会があった。夕方ごろに街を訪れ、宿を求めてふらふらと歩く。

ホームレスが堂々と道端で寝て、公園にはホームレス村ができている。なるほど、日本国内では確かに異質な光景なのかもしれない。

だが、不思議と「怖さ」を感じない。

世界の危険度はこんなんじゃない。

ホームレスに因縁をつけられることもなかったし、銃を突きつけられる可能性なんて皆無だろう。

だが、世界の危険度なんてこんなもんではなかったのだ。

危険度レベル2 ヨーロッパ

シチリア島の路地裏

ピースボートの地球一周の旅の中でも、やはりヨーロッパは治安がよく、旅をしやすかった。一人でふらふらと町を回れる。

ピースボートからもらった資料にもせいぜい「すりや置き引きに気を付けて」とか「人気のない通りに気を付けて」とあるが、この程度の注意書きは世界各国共通だ。

経済破たんしたばかりのギリシャも、別に治安の悪さは感じなかった。むしろ陽気な町だった。

シチリア島に行ったときはマフィアにカツアゲされるんじゃないかなんて冗談を言い合っていたが、もちろん、マフィアはそんなせこいことはしない。ネットで調べても「マフィアはカタギの観光客には手を出しません(笑)」と書いてあった。

とまあ、治安が良くて旅のしやすいヨーロッパだったが、僕が訪れた直後、パリでテロ事件があり、その後、ヨーロッパの都市部でもテロが頻発するようになってしまった。

危険度レベル3 アジア

ムンバイの街並み

アジアで訪れた町の中でトップクラスに治安が良いのはシンガポールとドバイだろう。どちらも、都市としての美しさを保っている。

最近のニュースで、ドバイ警察は「空飛ぶポリス」の導入を検討している、なんて言うのをやっていた。110番すれば巨大ドローンみたいなのに乗って空から警察官が助けに来てくれるのだとか。何とも頼もしい限りだ。

少しディープなところだとセブ島、ムンバイ、ドーハ、と言ったあたりだろうか。セブ島やムンバイにはスラム街があり、野良犬がうろついていたりと見た目あまり治安が良くなさそうではあるが、きちんと警戒していればそこまで恐れなくていいと思う。

ドバイとセブ島に至っては、夜も出歩けた。

東南アジアのもっとディープな場所だとまた勝手が違うのだろうが、大都市や観光地は比較的まわりやすい。

ムンバイで警戒しなければいけないのはむしろ縦横無尽に走る車の方だろう。「ひかれる方が悪いに決まってんじゃん」とでも言いたげに、歩行者をよけるそぶりなど全くない。

ただ、インドは性犯罪の発生も多い。警戒を怠らないことが大切だ。

また、イスラム圏はどうしても「イスラム国」と言って危険な集団がついて回る。外務省の渡航情報をよく確認しておくことが大切だ。

危険度レベル4 中南米

クリストバル。陽気な町並みに見えるが、治安のレベルは世界最悪クラスだ。

ピースボートから事前に寄港地をまとめた冊子が渡される。そこには各寄港地の治安に関してのコメントも載っているのだが、中南米に入ると「一人歩きはやめてください」「自由行動は控えてください」「貴重品は持ち歩かないで」と急に物騒な言葉が並ぶ。

中南米の中でもメキシコは比較的治安がいい。夜に出歩いても得に危険は感じなかった。

とはいえ、襲われないように男4人で固まっていたのだが。「いくら何でも成人男性4人組を襲うやつはおらんやろ」と考えて。

だが、隣の国、ベリーズは治安が悪い。

どれくらい治安が悪いのかというと、「ツーリストビレッジ」という、観光客向けの土産物が並ぶ一角があるのだが、ピースボートから言われたことは「そこから出るな。命の保証はできない」

ツーリストビレッジの外に出るには、ピースボートのオプショナルツアーに参加しなければいけない。自由行動は禁止だ。

理由はただ一つ。「命の保証ができない」。

いったいどのくらい物騒な場所だというのか。

パナマのクリストバルも同じように、「港から出たら命の保証はできない」と言われていた。

僕はツアーに参加していたので、大型バスに乗って港を出て、1時間ほど離れた「クナ族」という部族のコミュニティを訪問したのだが、

その帰り道の話。すっかり日も暮れて、バスはクリストバルに帰ってきた。

バスの窓から路地を除いたときのあの何とも言えない「底知れぬ闇」の不気味さと言ったら。具体的に何か見えたわけではないが、確かに生きて帰れないような雰囲気を湛えていた。

ペルーのカヤオも同じような場所だった。首都・リマの隣町で大きな港があるのだが、どこか殺伐とした雰囲気だ。

首都・リマはおしゃれな店が並び、どことなく東京を彷彿とさせる。地球の裏側で東京みたいな町に出会えるとは。

だが、路地はどこか「底知れぬ闇」があるようで、怖くて大通りしか歩けなかった。

そんなリマを丸一日かけて回って、カヤオの港へと帰ってきたのが夜の11時ごろ。そこで、驚愕の事実を知る。

船に戻るバスがない。

僕も、一緒に回った子も、「船に戻るバスは24時間営業」と勝手に思い込んでいたのだが、コンビニじゃあるまいしそんなわけない。バスに終了時刻があることをすっかり見落とし、帰ってきたときにはもうバスは終わっていたのだ。

「勝手に出歩くな」と言われたカヤオに取り残されてしまった。宿を探すにしても、うっかり危険な路地に踏み込んでしまったら……。

なんて途方に暮れていると、男が一人話しかけてきた。

いったい何者だ! と警戒していたが、なんと彼はピースボートの船のクルー。

なんと、クルー用のバスが残っていて、それに乗せてもらえることになったのだ。

そんなこんなで無事に船に帰ってくることができた。結論、門限はよく確認しよう。

「危ないところ行ったけど、無事に帰ってきたぜ」という武勇伝は、世界を旅したものなら一ネタぐらい持っていると思う。

一方で、「南米で日本人観光客が射殺された」なんて痛ましいニュースも聞く。そういったニュースを聞くたびに、本当によく生きて帰ってこれたなと背筋が寒くなる。

僕の場合、十分に警戒していた。だが、「うっかりミス」で危うく治安の悪い街に取り残されてしまうところだったのだ。

ピースボートで聞いた怖い話

ピースボートに乗っている時、とあるおじさんから「過去にピースボートの乗客でこんな人がいた」という話を教えてもらった。

その乗客は空手の有段者で、もし寄港地でからまれても、相手をボコボコにしてやろうと意気込んでいたらしい。

そして、実際に彼はチンピラにからまれた。彼は空手で鍛えた実力を遺憾なく発揮し、相手をボコボコにしてやった。

ところが、ボコボコにされたチンピラは仲間を大勢引き連れて戻ってきたという。いくら空手の達人でも多勢に無勢。彼はボコボコにされてしまったという。

その話をしてくれたおじさんはこう締めくくった。「どんなにケンカに自信があっても、土地勘や仲間がいる分、現地のチンピラの方が優位なのだから、勝とうとしてはいけない」と。

ピースボートに乗ると警戒心が強くなる

日本にいるとまず警戒しながら街を歩くことはないだろう。

だが、ピースボートに乗っている間、街を歩くときは常に財布をガードする形をとっていた。

今でも、日本の人ごみなどを歩いていると、ついつい財布をガードする。

以下、「寄港地でトラブルに巻き込まれない方法」をいくつか書く。

・財布をガードする

これは基本中の基本だ。英語のあいさつができなくても財布を守れるようにしよう。知らない間に財布をすられてた、なんてことがないように。

・人にむやみにカメラを向けない

これも、どの寄港地でも上陸する前に言われることだ。特に、スラム街なんかは観光気分で写真を取られたら怒る人もいるだろう。

・荷物は絶対に体から離さない

タクシーの中とか、喫茶店とか、ついついリラックスをして荷物をわきに置く、なんてこともあるかもしれない。

そのまま荷物を忘れて車や店を出てしまったら大変だ。

日本だったらタクシー会社やお店に連絡する、という手段もあるだろう。

だが、外国ではそもそもタクシー会社がどこかわからない。お店は動かないが、迷わず戻れる保証もない。

荷物は絶対に体から離さないこと!

財布とパスポートの入ったカバンをタクシーに置き忘れた本人が言っているのだから間違いない!(タクシーの運転手のご厚意で、奇跡的にカバンが帰ってきました)

・タクシーは常に進行方向を確認する

僕は常に方位磁針を持ち歩いていた。そして、タクシーに乗るときは常に進行方向の方角を確認していた。

これは、事前に「インドでタクシーに乗った日本人女性の観光客がそのまま拉致されて乱暴された」というニュースを聞いていたからである。別の方角に車が動き出していたら要注意だ。

ちなみに、インドでもタクシーに乗った時、最大限の警戒をしていたのだが、僕の置き忘れたカバンを届けてくれたのはタクシー運転手のおじさんだった。車に乗っている間中、彼を疑っていたことを心の底から謝罪した。

だが、すべてのタクシー運転手が彼のような善人ではない。「方角チェック」はやって損はない。やったうえで何事もなければ「おじさん、疑ってごめんよ!」と心の中で謝ればいいが、やらずに何か事件に巻き込まれたら一大事だ。

自分一人の時ならまだしも、特に、未成年を引き連れていて自分が最年長の時とか、女性だけで行動するときとか、女性と二人っきりの時とかは最大限に警戒するべきだ。

・大事なものは首から下げる

パスポートとかカメラとかキャッシュカードとか、特に大事なものは首から下げる。僕の友人をはそれを怠ったがためにカメラをなくしてしまった。

首から下げておけば、首をなくさない限り大丈夫だ。逆に、首をなくしてしまったら、もうカメラとかパスポートとかどうでもいい。

・言いつけは守る

「ここから先は言ってはいけない」とか、「この時間までに帰ってこい」とか、ピースボート側の言いつけはしっかりと守ること。

うっかり門限を見逃して、危険な町に取り残されると、本気で死を覚悟して冷や汗しか出てこないぞ。

 

「トラブルに巻き込まれたけどなんとかなった」「危険な目にあったけど帰ってこれた」、こういった武勇伝もまた旅の魅力なのかもしれない。

だが、「何事もなく無事に旅を終えた」、これ以上の武勇伝は存在しない。

ピースボートに乗っても英会話ができるようにはならなかった

ピースボートに乗る際にはいろんな疑念があると思う。ヘンな団体なんじゃないかとか、アブナイ団体なんじゃないかとか、ヤバい団体なんじゃないかとか。そんな中で最も現実的な悩みが「英会話ができないとダメなんじゃないか」。結論から言うと、英会話ができなくても乗れる。そして、ピースボートに乗っても英会話ができるとは限らない。


ピースボートにおける英会話学習プログラム

昔、大学の後輩に「船内は英語ができないとダメなんじゃないか」と聞かれたことがある。

その辺の心配は全く必要ない。

なぜなら、船内の大半は日本人だったり、日本語がしゃべれる人だったりするからだ。

一方で、ハウスキーパーだったり、バーのマスターだったり、船内で従業員として接してくれるクルーは外国人、特にインドネシア人が多い。

とはいえ、簡単な英会話ができれば何とかなるし、接客系のクルーは日本語が結構しゃべれる。

さて、船内にはGETと呼ばれる英会話を学べるプログラムがある。英会話だけでなく、スペイン語もやっていた。ちなみに有料だ、たしか。

くわしくはぜひ資料を請求してほしい。GETの教室はは船内だけでなく、日本国内でも開かれている。

というのも、僕はやっていないので詳しくは知らないのだ。

では、そう言ったプログラムを受講しないまま、ぶっつけ本番で海外に繰り出すと、どうなるのか。英会話は身につくのだろうか。

英語が通じる国、通じない国

以下に、ピースボートで訪れた国のうち、英語・英会話にまつわるエピソードを書いていこう。

フィリピン/セブ島

フィリピンは公用語としてタガログ語という言葉が使われているが、英語も広く使われている。

街の看板は英語で書かれている場合が多い。簡単な単語が多いので、非常にわかりやすかった。

シンガポール

シンガポールも英語が通じる国だ。

シンガポールの港の売店でコーヒーを注文したところ、売店おおばちゃんの英語が早口で、全く聞き取れなかった。地球一周2か国目だった僕は「これがネイティブのスピードか……、さっぱり聞き取れねぇ……」と心を折られてしまった。

ギリシャ

ギリシャ文字は英語のアルファベットにかなり近い。

かなり近いんだけど、それが全く見たことのない配列で並んでいる。それが余計に混乱する。いっそアラブ文字のように全く見たことない文字だった方がまだましである。

読めそうで全然読めない、それがギリシャ文字だ。僕が唯一読めた単語は「博物館」を意味する「MUSEION」だった。

だが、それでも一人で町を歩いて帰ってこれたのだから、まあ、世の中なんとかなるものだ。

なんとかなるものだけれど、バスとか電車とかは「どこへ連れて行かれるか見当もつかない」ということで怖くて乗れなかった。

イタリア

大学でイタリア語をやっていたので、多少の単語が読めたりわかったりしてずいぶんと楽だった。

もちろん、話せるわけではない。「看板の意味がちょっと分かる」程度である。

フランス

言語において一番困ったのはこの国だったかもしれない。なにせ、僕はマルセイユで迷子になってしまったのだから。

ピースボートの船旅、外国でガチで焦った3大事件!

現在地を確認しようとバス停の地図を見ても、フランス語だからさっぱり読めない。

道行く人に「Where is sea?」と聞いても全く通じない

いまにして思うと、たぶん「Where is sea?」は文法的に間違っているような気もする。「Where is she?」だと思われたかもしれない。通じるわけがない。

ペルー

中南米はスペイン語圏だ。さっぱり英語が通じない。

特にペルーは、全く通じなかった。あらかじめタクシー交渉用の言葉を紙に書いておかなかったら、タクシーすら乗れなかった。

現地の子供たちと交流できるツアーに参加したのだが、「I left from Japan 70 days ago by the ship」という渾身の英語が通じなかった。今度は文法うんぬんの問題ではない。なんてったって、「day」という超簡単な英単語を相手は知らなかったのだから。

仕方がないので腕時計の前で指を一回くるっと回して、その後指を立てて数字の1を作り、「hour」。これでまず「1 hour=1時間」ということはわかってもらえたようだ。

指で数字の24を表した後、「hour」を示すジェスチャーをして、「day」と発音。これでようやく、「day=24hours=1日」ということを理解してもらえたみたいだ。

英語は世界の共通言語だと言われている、が、世界の半数近くは英語が通じなかった。

英会話はできなかったけど

さて、結局、ピースボートで地球一周したからといって英会話はできるようにはならなかった。なにせ、約半分の国はそもそも英語が通じないのだ。

むしろ、「世界共通語はジェスチャーだ」と強く感じた。

さて、地球一周後、変わったことが一つある。

街で外国人に声をかけられても、たじろがずに話を聞くという度胸がついた。ということだ。

もちろん、全体的には何言ってるのかわからない。

だが、一個決定的な単語が聞き取れればなんとかなる。

「smoking」という単語が入っていればほぼ間違いなく喫煙所を探してるわけだし、駅のホームで話しかけられて、その言葉の中に駅名が入っていれば、ほぼ間違いなくその駅に行きたいと話しているわけだ。

何回か会話を続ければ、自分の推論があっているか間違っているかぐらいはわかる。

もっとも、こちらもつたない英語しかしゃべれない。それでもなるものだ。

ひどい時には、僕も日本語しかしゃべっていない、なんてときもある。

相手は英語をしゃべり、僕は日本語をしゃべる。これでちゃんと相手を目的地に送り届けられたのだから、コミュニケーションは言葉だけではないということなのだろう。

僕が船旅で海外に行った(安全上の)理由

ピースボートに乗っていた時、船旅で1日かかる距離を、飛行機は1時間で飛ぶ、と聞いたことがある。船旅とはなんともアナログで時間がかかって非効率な旅だ。にもかかわらず、なぜ船旅で地球一周をしたのか。ロマンがあるし、仲間ができる。それも大きい。だが、僕にはもう一つ大きな理由があった。

どうしても飛行機に乗りたくない!


高所恐怖症な僕

基本的に僕は高い所が苦手だ。高所恐怖症である。

とはいえ、高所恐怖症を「重度」と「軽度」に分けるとすれば、まだ軽度の方なのかもしれない。僕よりも高所恐怖症な人間が世の中にはたくさんいる。

ダメな人はビルの上階とか、山の上の景色もアウトらしい。僕はマンションの上階で育っているので、そう言ったものはあまり怖くない。

さて、「飛行機に乗りたくない!」と言いつつも、飛行機に乗ったことは何回かある。

高校の修学旅行で飛行機に乗った時、隣の席は仲の良かったA君だった。彼はごりごりの理系で、特に工学系の分野に強く関心を持っていたようで、そういった本を読んでいたのだが、彼は僕よりも飛行機がダメな人だったらしい。飛行機の翼の一部がひらひらしているのを見て、「あそこから翼がどんどんはがれていって墜落するんじゃないか」と怯えていた。

「え、あれって、そういうヒラヒラする部品なんじゃないの? あれで抵抗を和らげてるとか。っていうか、絶対お前の方がそういうの詳しいだろ?」と思ったものだ。

A君ほどではないが僕も飛行機をはじめ高い所が苦手だ。

ビルの30階とかは全然平気なのだが、本屋やビデオ屋にある、高い棚からモノをとり出すときに使う脚立は怖い。僕がちょっとバランスを崩しただけで大惨事になりかねない。

あと、絶叫系とか高所アクティヴィティ系は全部アウトだ。絶叫嫌いが高じて、遊園地そのものがNGだったりする。

そして、僕は大学の卒業旅行を最後に飛行機に乗っていない(ちなみに、この旅行の時も僕は『東京から長崎まで陸路で移動する』を主張していたが、時間がかかりすぎると却下された)。

なぜ、飛行機が苦手なのか。

だって、落ちたら死ぬじゃん。

という話をしたら大学の後輩に「先輩、飛行機が落ちる確率より、地上にいるときに大地震が発生する確率の方が高いですよ」と言われた。

確かに、記憶をたどると飛行機事故よりも震災の方が確立は高い気がする。

だが、「怖い」という感情はそんな論理的なものではない。怖いものは怖いのだ。

先日も「どうしても飛行機に乗らなければいけない」という夢を見た。夢の中で飛行機に乗る直前まで「やっぱりやだやだやだ!」駄々をこねていた。

飛行機がダメなわけ

飛行機は落ちたら死ぬ。だから嫌だ。

とはいえ、事故を起こしても死なない乗り物を探すが難しい。

自動車だって高速道路でハンドル操作を誤れば死ぬ確率は高い。

電車だって何かのはずみで脱線すれば死者が出る。

乗り物の事故で死にたくないなら、もう徒歩を貫くしかない。

さて、僕は車に乗るし(運転はしない)、電車にも乗るが、飛行機だけは絶対に乗りたくないと思っている。

なぜか。

問題は「タイムラグ」にある。

例えば、車に乗っていてハンドル操作を誤って壁にぶつかり死ぬとしよう。

ハンドル操作を誤ってから激突するまでほんの数秒である(と思う)。

例えば、乗っていた電車が脱線して地面に激突して死ぬとしよう。

脱線してから地面に激突するまで、やっぱりほんの数秒である(と思う)。

では、飛行機の場合はどうか。

上空1万メートルを飛んでいた飛行機が突然地面にぶつかる、なんてことはない。自由落下だとしても激突まで45秒もある。

飛行機が墜落するときは、何らかの原因でコントロール不能に陥る(と聞いている)。

そして、機長からコントロール不能になったというアナウンスが流れる(と伺っている)。

そして、まっさかさまに落ちるわけでもないらしい。たぶん、アナウンスから激突まで数分の時間があるだろう。

激突するまでの数分間、乗客にできることはほとんどない。せいぜい頭を低くするとか遺書を書くかぐらい。「座して死を待つ」とはまさにこのことだ。

つまり、「どうせ事故で死ぬなら、手短に、ひと思いにやってくれ」というわけだ。この「座して死を待つ」というのが嫌だから飛行機に乗りたくないのだ。

では、船はどうなのだろうか。

船旅で事故にあった時はどう避難するのか

飛行機に比べて船は安全、なんてことはない。タイタニック号、セウォル号、沈んでしまった船は歴史上枚挙にいとまがない。

ただ、船は飛行機と決定的に違うところがある。

それは、事故にあったとしても、乗客の立場でも正しい知識を以って冷静に頭を働かせれば助かる可能性がぐんと上がる、ということだ。

船の場合も事故のプロセスは飛行機と一緒だ。もうだめだ、となれば船長から船体放棄のアナウンスが流れる。

船体放棄、すなわち、船を捨てて小型ボートで脱出しよう、というわけだ。

こういうアナウンスが流れるとすわ一大事とあわててしまう。人によっては取るものも取らず、はだしのままで逃げようとする人もいるという。

だが、船体放棄のアナウンスが流れた時点では確かに「もうだめだ」という状態ではあるが、一刻を争う、というほどのせっぱつまった状態ではない。落ち着いて靴を履いて、歩いて避難するくらいの時間は十分にある。

こういった非常事態には、普段はバーやイベントスペースとして使われている部屋が集合場所になる。そこに集まってもすぐに避難、とはならない。クルーが一人一人点呼してちゃんと来ているか確認を取る。この段階でも時間的余裕があることがわかってもらえるかと思う。

そうし点呼が終わって初めて「テンダーボート」というボートで避難する。

つまり、船長から「この船はもうだめです」とアナウンスが流れても、こちらが冷静に行動すれば、生存の確率はぐんと上がる。

どうして船の避難の話が書けるのかというと、船旅をしていた108日のあいだに4回も避難訓練を行っていたからだ。

まず、船に乗っていきなり避難訓練だ。地球一周の船旅最初のイベントは出港式ではなく避難訓練だ。

その後も月に1回のペースで避難訓練が行われた。また、航路説明会などで船の安全に関する話なんていうのもあった。

こうして何度も避難訓練が行われる。法律では24時間以上船に滞在する人間は避難訓練への参加が義務付けられている。訓練通りに、冷静に行動すれば、船が沈んでもちゃんと避難できるのだ。

じゃあ、何百人と死者を出したセウォル号の事件はどうだったのか。あの高校生たちは冷静じゃなかったのか。バカだったのか。死者を冒涜しているのか。

そうではない。彼らは船に関する知識を持っていなかったのだ。

当然である。修学旅行で船に乗っただけの高校生が、船に関する正しい知識を持っているはずもない。引率の先生だって持っていないだろう。僕だって最初は持ってなかった。ここに書く船の知識もすべて、僕が乗船後1か月ぐらいしてから知ったことだ。

報道では、セウォル号が90度に傾いて、高校生たちが「ヤバいことになった」と笑っている映像が公開されていた。よもや沈むなどと思っていなかったのだろう。報道ではこの時、「船室にいてください」とアナウンスされたと言われている。そうアナウンスされればみんな船室に留まって次の放送を待つだろう。

僕ならこの時点で、どうアナウンスされようが船室を出て、避難を始める。

船とはゆらゆら揺れているのが正常な状態だ。どれだけそのふり幅が大きくても、「揺れている」ということは「元の位置に戻ろうとする力がある」ということであり、それは正常な状態なのだ。

危険なのは揺れが止まった場合。つまり、傾いたまんま元に戻らない場合だ。この場合、すでに船は「元に戻ろうとする力」を失った状態である。そうなると、何万トンもある船が再び立ち上がる、なんてことは不可能だ。傾いたぶん水に浸かり、沈んでいく。

揺れている間は正常、傾いたまま止まったら異常。こういったことを知っていて、「あのアナウンスは当てにならない」と判断し冷静に行動できたら、セウォル号からでも避難できただろう。事実、最も船に関する知識が豊富なはずのクズ船長は避難できている。

一方、飛行機はどれだけ冷静だろうと乗客にはやれることがない。だから嫌なのだ。

さて、今回の記事は人命にかかわることなので、「これは間違ってるよ」という箇所があったら遠慮なく言ってほしい。みんなでつくろう正しいブログ。

飛鳥Ⅱとピースボート、比べちゃいけないと思いつつも比べちゃった

これははっきり言って暴挙である。高級ホテルとビジネスホテルを比べるようなものだ。どっちがビジネスホテルかは言うまでもない。しかし、飛鳥Ⅱの乗客の本を手に入れてしまった。これはピースボートと比較してみたくなるというものだ。というわけで、暴挙と知りつつ、飛鳥Ⅱとピースボートを比べてみた。


飛鳥Ⅱとピースボート、それぞれの基本事項

飛鳥Ⅱ。日本を代表する豪華客船だ。船籍は日本。進水したのは1989年。アラサーだ。

一方、ピースボートだが、実は「ピースボート」という船はない。2012年からは「オーシャンドリーム号」というパナマ船籍の船をチャーターしている。よって今回は、飛鳥Ⅱとオーシャンドリーム号を比較しようという企画だ。

飛鳥Ⅱが5万トン、オーシャンドリーム号が3万5千トン。飛鳥Ⅱの方が断然でかい。

さて、気になるのが値段だ。ピースボートはよく、「ピースボートの一番高い部屋と、飛鳥Ⅱの一番安い部屋が同じ値段」と言っているが、実際のところはどうだろうか。

ピースボートは安い部屋が100万円前後。窓なしの4人部屋だ。

一方、高い部屋は300万円ちょっと。

とあるツアーの食事で、そんな高額な部屋のマダムと相席になったが、そのテーブルは殿上人に出会ったとちょっとした騒ぎだった。

一方、、飛鳥Ⅱの一番安い部屋で世界一周をしようとすると500万円弱。なんてこった。ピースボートの一番高い部屋は、飛鳥Ⅱの一番安い部屋に足元も及ばなかったのだ!

ちなみに、この記事の読者の98%は関係ない話だと思うが、一番高い部屋は1泊20万円。これで地球一周しようとすると、2000万円かかる。お金と度胸のある人は乗ってみるといい。

飛鳥Ⅱとピースボートの共通点

共通点なんてあるのか。「船である」くらいしか共通点はないんじゃなかろうか。

それが、結構、共通点がある。

まず、船内では常にIDカードを携帯し、このIDカードを使って船内では支払いを済ませる。財布は船内では持ち歩かない。

また、「船内新聞」なるものが発行される。船内のイベント情報や寄港地の情報が乗っている新聞だ。もっとも、ピースボートの船内新聞は7割が乗客の有志による手作りだ。

船内新聞を作ってた本人が言うのだから、まず間違いない。

船内にはカルチャースクールも存在する。ピースボートの場合はヨガ教室、太極拳、水彩画教室などがあった。

また、有名人のゲストも乗船する。ピースボートの場合は「水先案内人」と呼ぶのだが。

船内では毎日、企画がたくさんある。そして、飛鳥Ⅱもピースボートも、自分で企画を立ち上げ、主催することができる。

また、船内ではスクリーンを使った映画の上映会も行われている。

ちなみにピースボートではたまに屋外での映画の上映会があった。オープンデッキでゆらゆら揺られながら、「となりのトトロ」を見て埼玉が懐かしくなったものだ。

共通点は船内だけではない。船外では共にオプショナルツアーが行われる。

そして、二つの船の最大の共通点、それは、

老人が多い!

以前、「海の上の老人ホーム?ピースボートの高齢者世代に若造が物申す!」という記事を書いたが、ピースボートの乗客の7~8割は老人だ。

そして、飛鳥Ⅱに至っては、ほぼ全員が老人だそうだ。

なので、たぶんいないと思うが、20~30代で、飛鳥Ⅱに乗れるほどのお金があったとしても、飛鳥Ⅱはお勧めできない。

理由はただ一つ。ほぼ間違いなく、浮く。老人だらけの船に若者が一人乗っていたら、ほぼ間違いなく、浮く。

それだったら、ピースボートに乗る方を進める。ほぼ間違いなく「殿上人」みたいなあだ名がつくだろうが。

飛鳥Ⅱとピースボートの相違点

さて、ではこの二つの船、違うところは値段と大きさだけなのだろうか。

飛鳥Ⅱはどうやら、夕飯が時間制らしい。レストランに一度に集中すると大変なので、人によって夕飯の時間が決まっているようだ。

そう、飛鳥Ⅱの夕食は、レストランなのである。

ピースボートのように、夕飯が牛丼とか、かつ丼食べたさにずらりと行列ができるとか、そんなことはないのだ!(オーシャンドリーム号にもちゃんとしたレストランはあります。コース料理かかつどんか、ピースボートでは好きな方をお選びください)。

そして、飛鳥Ⅱには大浴場がある。船内にちゃんとしたお風呂があるのだ(オーシャンドリームには屋外にジャグジーがある。また、現在のオーシャンドリーム号にはなんと、露天風呂があるらしい)。

そして、飛鳥Ⅱでは毎日違ったタイプの一流のコンサートが開かれる。オーシャンドリームが毎日同じ線愛バンドが小さなライブを開いていることを考えると、えらい差だ。

ちなみに、飛鳥Ⅱに運動会があるのかどうかは確認できていない。

そして、飛鳥Ⅱの部屋には基本、がある!

さて、僕が驚いた飛鳥Ⅱとオーシャンドリーム号の最大の違いがこれだ。

飛鳥Ⅱは毎日午後5時以降はドレスコードが存在する!

ドレスコードってなんだよ!

飛鳥Ⅱではフォーマル・インフォーマル・カジュアルの3つのドレスコードがあり、毎日午後5時以降に発動するらしい。

ざっと調べてみると、カジュアルが普段着、インフォーマルがスーツ、フォーマルがタキシードやドレスだそうだ。

ピースボートでもドレスコードのあるパーティはあったが、船内全体がドレスコードなんていうことはない。

船内全体でドレスコードがあったら、スーツ着るのが嫌でパーティをすっぽかした僕なんか居場所がない。

インフォーマルやフォーマルのドレスコードが発動したら、新日本プロレスのTシャツを着てるやつとか、仮面ライダーのTシャツを着てるやつとか、クロアチアで買ったクロアチア代表ユニフォームを着てるやつとかは、居場所がなくなるのである。

……全部ワシやないか。

飛鳥Ⅱとピースボートを比較した結果

どちらも地球一周ができる船である以上、基本的なところは一緒である。しかし、そこから先、スケール感とでもいうべきだろうか、そういうところは、やはり違うみたいだ。

やっぱり、高級ホテルとビジネスホテルくらいの違いはあるようだ。

参考文献

狭間秀夫『~飛鳥Ⅱの船旅~ 101日間世界一周』牧歌舎 2008年

ピースボートのボランティアで出会った、心の温かい日本人たち

ピースボートの真骨頂と言えば国際交流、様々な国籍の人と出会えることだ。一方で、船に乗る前のポスター貼りのボランティアでは、日本のいろんな町を巡り、いろんな人と出会う。そこで今回は、僕がボランティアを通して出会った心温まる日本人の皆さんのエピソードを紹介しよう。


ピースボートのボランティアについてはこちら。

ピースボートのボランティアスタッフになったらこんな毎日だった

ピースボートは反日?

たまに「ピースボートは反日だ」という声を聞く。

アホ言え。

こちとら、日本(主に埼玉)にピースボートのポスターを3000枚貼っている。1店舗1枚というわけではないのだが、ざっと数えてもおそらく2000人以上の日本人の無償のご厚意で船に乗せてもらい、地球一周した身だ。

嫌いなわけなかろう。むしろ感謝しかないわ。

今回の記事はそんな2000人への感謝の意もある。

じゃあ、どういった日本人が嫌いなのかというと、

「反日」とか「親日」とかいったレッテルでしか人間を判断できない奴だ。日本人に限らず、僕はこういう輩が嫌いだ。こういった輩は大局を見ている風で、結局なにひとつ見えていない。

人間は反日とか親日とかそんな単純なレッテルで区別できるものではない。ポスターを3000枚貼って、その10倍近く頭下げて街を回ればさすがにそれくらいわかる。

だいたい、相手が自分のことを好きなら仲良くするとか、嫌いなら仲良くしないとか、そういう狭い了見が気に食わない。相手が自分のことをどう思っていようがそれで態度を変えるなんて子供のやることだし、相手の印象なんて後から変えられる。むしろ、「あの国は反日だから仲良くしない!」なんてやってたら反日感情に油を注ぐようなものだ。

そろそろ本題に入ろうか。

心温まる日本人 励ましてくれた人たち

ここからの話は全て埼玉県での話だ。プライバシー保護のために町の名前はぼかして書くことにする。

最初のエピソードは、かつて県内最大の風俗街として知られた街の話だ(もう、埼玉県民にはぼかした意味はないと思う)。

その日、僕は60枚のポスターをもってその町に降り立ったのだが、午後五時を過ぎた時点で17枚しか貼れていなかった(よくまあリアルに枚数を覚えてるなと、自分でも驚いている)。

ピースボートには住所別のポスターの枚数のデータがり、それをもとに枚数が晴れそうなエリアはもう行きつくしてしまった。あとは居酒屋など夜に営業するお店にかけるしかないが、そこで残り43枚が貼りきれるとは思えない。

僕は賭けに出た。データ上では1~2枚しか貼れないとされているエリアが、今いる場所から離れたところにある。そこにまだまだ未知の店があると信じていってみることにしたのだ。居酒屋はもっと夜遅くになっても行ける。しかし、普通の商店はもたもたしていたら閉店してしまうかもしれない。

大きな県道をとぼとぼと歩く。与えられたエリアの端っこ近くまで歩いたとき、一件の自転車屋にであった。

交渉してみるとガラス戸に貼っていいという。ガラス戸は中からも外からも見えるため、「両面貼り」と言って2枚のポスターを背中合わせにして貼る。一気に2枚稼げるのだ。

ポスターを貼らせてもらっていると、自転車屋の主人が「若いうちに世界を見てきた方がいい」と言ってくれた。なんだか、自分のやっていることを肯定してくれたみたいでうれしかった。

ここから駅に向かって戻っていく。同じ道を通ってもしょうがないので、住宅街を歩きながら、ふいに出てくるクリーニング屋とかに交渉していく。

駅から少し離れたところに居酒屋があった。おかみさんが一人で切り盛りしている。

貼らせてもらえることになったのだが、貼る場所が少々変わっていた。

2階へと続く階段の下、階段に合わせて天井がななめとなっている、そこに貼らせてもらうこととなったのだ。

重力の影響が強くて少々貼りづらいのだが、そこしかなかったのだろう。貼らせてもらえるだけでもありがたいし、結構目立つ。

貼り終わるとおかみさんがこんなことを言ってくれた。

「あんたたちのこと、応援してるんだからね」

ふたを開けてみれば、17時から21時までの4時間で23枚を貼り、40枚ジャストでその日は終えた。けれども、枚数以上に印象に残った日だった。

心温まる日本人 やさしい人が多い街

その翌日。その日は市街地から離れた古い街道沿いの町を訪れていた。

持って行った枚数は50枚。今日こそは全部貼りきるぞと意気込んでいたものの、県道を行って帰って17時を過ぎて20枚ちょっと。

昨日の町と違い駅前に居酒屋なんて全くなく、この先30枚近く貼れるとはちょっと思えない。

そんな夕暮れに出会ったのがある美容院。

そこの奥さんはあちこち海外旅行をしていたらしく、「大学生の孫にぜひピースボートに乗って、世界を見てきてほしいと思っている」という話をしてくれた。

さて、残り30枚どうしよう。

そこで僕はまたしてもデータを無視し、坂道を登ってみることにした。データ上では全部回っても10枚ほどしか貼れないはずだが、データにない店があるかもしれない。

坂道を登り始めると大きな通りになっていて、両側にお店は多い。案外イケちゃうかもと期待していると、店先に椅子を置いてお茶を飲みお菓子を食べている人たちが目に入った。

目が合った瞬間に店の主人が「あんちゃん、ちょっと休んでけ!」

とても驚いた。僕はたまたま取り掛かり、目が合っただけである。目が合った瞬間に「あんちゃん休んでけ!」と言われ、椅子に座らされ、お茶を振る舞われた。

たまたま通りかかった通行人にお茶を振る舞うような人が、この日本にいるのだ!

残念ながらその店は大家さんの許可がないとポスターは貼れない、ということだったが、代わりに桃味の飴玉を一個もらった。なんだか、ポスターを貼れた時よりもうれしかったような気がするし、今でも覚えている。

坂道を登ってとある商店に行き着いた。

実は、僕はこの店を見たことがある。以前、テレビの旅番組で出ていたのだ。

店のおばちゃんが、ロケでその町を訪れた芸能人にいろいろ親切に商品である食べ物を渡していた。

そして、この店のおばちゃんは芸能人だけでなく、「素性不明の『ポスターを貼らせてくれ』と頼む怪しい男」、すなわち僕にも優しかったのだ。

店の中と南側の壁に合わせて2枚気前良く貼らせてくれた。僕が調子乗って北側の壁にも貼らせてくれとお願いしたら、「兄ちゃん、それはちょっと調子が良すぎるよ」と笑いながら言われたので「ですよね~」と引き下がり、談笑をしていた。

楽しく談笑していたところ急に「兄ちゃん、北側の壁にも貼っていけ!」

さっきダメだって言ってたじゃん! しかも、僕からはそのご一言も「もう1枚貼らせてくれ」などと厚かましいことは言っていない。話が盛り上がったからなのか急にもう一枚貼らせてくれることになったのだ。

その後も、道路の反対側にあったとある店に入ろうとすると、道路の向こう側から大声で「兄ちゃん、その店はダメだ~! 隣の店に行け!」

理由はわからないが、おそらく店の主人が偏屈ですぐ怒るとかそう言った理由なのかもしれない。おばちゃんのおかげで地雷を踏むことを回避できた。

テレビに出てくる面白素人さんは、芸能人だからやさしく接しているのではない。誰にでもやさしいのだ。

別の町にもそういった人がいた。ごく普通の飲食店なのだが、マスターのキャラが面白く、とある番組では度々登場していた。僕が訪れると、何とピースボートの見学会に訪れたことがあるとかで、快く貼らせてくれた。僕が「テレビに出てる飲みましたよ」というと、うれしそうに顔をほころばせていた。

もう一度言う。テレビに出てくる面白素人さんは、芸能人だからやさしく接しているのではない。誰にでもやさしいのだ。

さて、さっきの町に話を戻すが、ある美容室をとずれると(さっきの美容室とは別)、なんとその人もピースボートの過去乗船者で、ポスター貼り経験者だった。

「ポスター貼り大変だよねぇ」といい、「何枚でも貼っていっていいよ」と言ってくれたので、すでに4枚貼っていあるところをもう1枚増やして5枚にさせてもらった。ポスター貼りを経験すると人は優しくなれる。僕も町で配っているティッシュはなるべくもらうようにしている。

その日は21時まで粘って、50枚すべてを貼り終えた。坂の上の街道沿いに意外と店が多かったのだ。貼りきれたという感動と、優しい人にたくさん出会ったという感動が相まって、この日のことはとても印象に残っている。

心温まる日本人 夏の暑い日

ごくたまにではあるが、食べ物や飲み物をごちそうになることがある。

特に夏の暑い日、「熱いでしょう」と飲み物のペットボトルや、キンキンに冷えたコーラを振る舞ってもらったことが何回かあった。

飲み物そのものよりも、その心配りがうれしかった。

やさしいのは日本人だけじゃないぞ

とまあここまで心温まる日本人の話をしてきたが、優しいのは日本人だけではない。

僕の経験上、韓国料理屋とインド料理屋は、ポスターを貼らせてくれる確率が結構高い。次点で中華料理屋。

結局のところ、国籍関係なく、人間はやさしいのだ。

ピースボートのポスター貼り3000枚達成した俺がコツを伝授しよう

ピースボートのポスターは、約3000枚貼れば100万円割引される。僕はポスターを約3000枚貼った結果、ピースボートの船代が全額割引となった(もともとの船代は99万円)。船代に関しては1円もピースボートに払っていない。そんな僕が、今回、ポスター貼りのコツを伝授しようと思う。


ピースボートのポスター貼りにはいろんなタイプがいる

僕がポスター貼りをしていたのは約8か月ほど。僕が所属していたのは今はなき「ボランティアセンターおおみや」という、マンションの一室を借りて運営していた、ピースボートの事務所の中でもひときわ小さなところだった。

そこにはいつも通ってくるメンバーが何人かいて(本当に、「何人か」という規模だ)、家族よりも長い時間を共に過ごす。一緒にポスター貼りに行ったことも何回もあるし、ポスター貼りが終わって事務所でのんべんだらりとしたり、週に一度連絡会を行ったりして、他の人がどういうポスター貼りをしているのかもなんとなく聞いていた。

すると、あることに気づく。

人によってポスター貼りのスタイルが違う。

もっとわかりやすく言えば、人によって得意不得意がある、ということだ。

例えば、抜群のコミュニケーション力を武器に交渉を進める人がいる。

一方で、とにかく長距離を歩き、店の数を稼ぐ人もいる。

短期間で信じられない枚数を貼る人もいる。

一方で、枚数よりも、貼らせてもらったお店の人から直接「ピースボートの資料欲しいんだけど」と声をかけてもらうことが得意な人もいる。

また、人によって「この店が得意」とか「こういう時間帯が得意」という人もいる。

人によってポスター貼りのスタイルは千差万別である。

つまり、「ポスター貼りのコツ」というのも、聞く人によって変わってくる、ということだ。

これから話すのはあくまでも「僕が使っていたコツ」である。これを読んだあなたが僕のやり方を試してみたところで、必ずうまくいく、なんて保証は残念ながらできない。ポスター貼りのスタイルが違えば、うまくいかない可能性もある。

それでも、なるべくどんなタイプの人でも通用するであろうやり方を書くつもりだ。

ポスター貼りのコツ① とにかく、多くの店に入る

これは僕の意見、というよりも、一般論に近い。とにかく多くの店に入ること。店の前で「どうしようかな……」と躊躇するくらいだったら、入ってしまえとさんざん言われた。

とはいえ、何でもかんでも入ればいい、というわけではない。例えば、飲食店だったらランチタイムは避け、もっと好いている時間に行く。明らかに今忙しそうにしている店も後回しだ。「いま忙しいんだよ!」と怒られたら元も子もない。

それでも、店に入るのはいつだって勇気がいる。

一番勇気がいるのは多分、「その日最初の店」だと思う。こっちのスイッチがまだ入りきっていないときに店に入る、というのは一番勇気がいる。

逆に言うと、こっちのスイッチが入ってれば、トライしやすくなる。

とにかく、大事なのは「リズム」なのかもしれない。断られても「次だ次!」と前向きに問えらえられるようになれば、リズムよくいろんな店にトライできる。アドレナリンが関係しているのかもしれない。

ポスター貼りのコツ②交渉編 相手の顔を、目線を見て判断する

一般論から言うと、ダメもとで交渉をするべきである。相手が「ウチはちょっと……」と断ろうとしても、「そこを何とか」と食い下がることが大切だ。その結果、交渉に成功した例もいくつかある。

とはいえ、これはコミュニケーション力がある人が成功しやすい、と僕は思う。

しつこく食い下がるとかえってクレームに発展しやすいし、食い下がった結果ダメだったら、時間の無駄になってしまう。

これは「そこを何とか」と言って、嫌われることなく話を勧められるスキルがあってこそ、ともいえる。

僕はそんなスキルないので、あまり食い下がらなかった。

正確に言うと、「食い下がっていい時」と「食い下がっても無駄な時」を見極めていた。

まず、あいさつのときは相手の不信感を一気に取り除くことを心掛けた。

「すいませ~ん、私、NGOピースボートでポスター貼りのボランティアをしているものでして……」

最初に、自分は客ではなく、こういう身分のものだと一気に説明する。お店側の「こいつは何者だ?」という不安を取り除くことが大切だ。

そして交渉に入る。

「こちらのお店のポスター貼らせてもらうことはできないかなぁと思ってきたんですけど……」

僕はここでいったん、話を区切る。この後、「貼らせてもらえませんでしょうか?」的なセリフが続くわけだが、とりあえずいったんここで話を止める。

話しを止めて相手の顔を見る。

慣れているお店なら、この時点でOKをくれる。

そして、「絶対ダメ」な場合は、難色を示す。

難色を示すというのはどういう状態かというと、「そういう顔をしている」ということだ。だいたい、苦笑している。

コミュニケーション力がある人はここで食い下がれるのだろうが、僕は食い下がらなかった。一件に食い下がるよりも、より多くの店に行くために時間を使いたいので、「ダメですか?」と聞き、「ダメです」と言われたら、「あ~、すいません。お邪魔しましたぁ」と引き下がる。

一方で、次のような反応が見られた場合、僕は食い下がる。

それは、「店内をきょろきょろと見渡す」。

これは「どこか貼らせてあげられる場所はないかな~?」と探してくれているのだ。

その結果、「ごめんね。スペースがなくて……」と断られても、これは「最初からダメ! 何が何でもダメ!」のダメではなく、「貼らせてあげたいけど、スペースがない」のダメである。

ここで食い下がる。

「あ、ほんとに、こういうちょっとしか見えない端っことか、トイレとかバックヤードでも全然かまわないので……」

そう言うと、「何だ、そんなところでいいのか」と言って貼らせてくれるケースは結構ある。

ポスター貼りのコツ③技術編 Pカットテープの貼り方

ポスターを貼る道具は次の三つが一般的だ。

①両面テープ

②画鋲

③Pカットテープ

基本は両面テープだ。ガラスなどにつけやすく、剥がしやすい。

両面テープがくっつきそうにない壁には、画鋲で刺して止める。

厄介なのがPカットテープだ。

これは「つるつるした壁には貼ってはいけない」というルールがある。ガラスのようにつるつるしたものに貼りつけると、剥がすときに跡がついて、クレームになってしまうらしい。

Pカットテープをどういうときに使うのかというと、両面テープや画鋲では貼ることができず、なおかつつるつるしていないもの。すなわち、ブロック塀やコンクリートの壁など、ざらざらした壁やでこぼこした壁だ。まかり間違ってもガラス窓焼きの壁に貼ってはいけないし、コンクリートでもつるつるしているのなら両面テープで張っていいと思う。

あくまでも「ざらざら、でこぼこした壁」に貼るのだ。

そして、そういった壁は、Pカットテープといえども簡単には貼りつかない。

こういう時は、親指をテープにぐりぐりと押し付ける。

テープと壁の間の空気をすべて抜き、テープを壁に密着させ、スキマなく貼りつける。そんなイメージでぐりぐりと押し付ける。指圧のイメージに近いかもしれない。

実際、このやり方で、お店の人から「貼ってもいいけど、つかないと思うよ」と言われた壁に見事貼りつけ、「大したもんだ」と褒められたことがある。また、「いつも貼ってもらうんだけれど、壁がざらざらしてて3日も持たない」と言われた壁に僕が貼った結果、1年以上にわたり残ったということもある。

「どんなにざらざら、でこぼこした壁にもポスターを貼りつけられる」というのは、僕が唯一自慢できるポスター貼りの技術だ。

ポスター貼りのコツ④ 3つの強さ

徳にポスター貼り終盤の話なのだが、僕は『3つの強さ』を意識してやっていた。

その「3つの強さ」とは

①打たれ強さ

②粘り強さ

③勝負強さ

である。

打たれ強さとは、断られてもすぐ次の店に飛び込む、という打たれ強さだ。

ポスター貼りとは、まず断られる方が普通だ。

何度も何度も断られるとと心が折れてくる。ポスター貼りをやっていたら、「心が折れる」というのはよく聞く言葉だ。

しかし、夜が更けてくると「帰りの時間」というのも意識しなければならない。それは、自分自身の帰りの時間ももちろんだし、事務所で待ってくれているスタッフの帰りの時間も考慮しなければいけない。

つまり、夜が深くなるほどに、断られて「はぁ……」とため息をついている時間はなくなるのだ。「次だ次!」と切り替えて別の店に行き、なるべく早く全ての店を回ることが大切だ。「どうして断られるんだろ……」という反省会は帰りの電車ですればいい。

次に粘り強さだが、これは「一つの店に粘ること」ではない。さっきも書いたように、僕は相手の顔色を見て、粘れるときに粘るタイプだ。

そうではなく、「その町に店がある限り、アタックする」という粘りだ。

丸一日歩き続けていると足が痛くなり、体力がなくなる。

そんな状況で遠くの方に赤ちょうちんが見える。居酒屋はポスターが貼れる可能性が高い。

「粘り強さ」とは、ここで「なんか遠くに飲み屋が見えるけど、あそこまで行くの面倒くさいな……」と思っても、足を伸ばす、つまり、その町で体力の限りどこまで粘れるか、ということだ。

「こんなもんでいいか」と思わずに、時間の許す限りその町で粘る。それが「粘り強さ」である。

そして最後に勝負強さ。それは、ここぞという時に結果を出す、ということだ。

それは思うようにいかなかった日の翌日とか、「このエリアでこの枚数いかなかったらまずいよ」と言われたときとか、ポスター貼りの残り日数が減ってきて、「今日、50枚貼れなかったら、あとが厳しい」なんていう状況で結果を出す、ということである。

これはどちらかというと精神論に近いのかもしれない。大事なのは、「自分はここぞという時に結果を出せる」と信じることだ。もちろん、実際にそういう経験があって、それを思い出せれば、より強く信じられる。

かなりストイックな話をしたかもしれないが、この『3つの強さ』は、僕が出航1か月前、毎日自己ベストに近い枚数を貼りつづけなければいけない状況に追い込まれたときに考えたことだ。日ごろからこんなこと考えてやっていたわけではない。しかし、追い込まれたときは、「3つの強さ」を思い出してほしい。

ポスター貼りにおいて一番重要なこと

ポスター貼りにおいて一番重要なこと、それは、「あきらめても足を止めないこと」。

用意した枚数の半分も貼れず、「今日はもうだめだ」と思うことはポスター貼りをやっている間、何度も訪れる。

一方で、そう思いながらも店を探して歩き続けたら、結構貼れた、ということも何回かある。

心は諦めてしまっても構わない。それでも足を止めることなく、店を回り続けることが大切だ。

むしろ、とっとと諦めろ、と僕は言いたい。

「絶対あきらめない!」と踏み出した一歩と、「たぶん、もう無理だ」と諦めて踏み出した一歩、どっちも一歩だ。歩幅は大して変わりやしない。「前に向かって歩いている」ということが大切なのであって、どんな気持ちなのかはさほど大した問題ではない。

むしろ、「絶対に諦めない!」と意気込んで歩く方が、体力を使う。疲れる。結果、足が止まる。だったら「どうせ無理だ」と諦めて、なおかつ足を動かした方が気が楽だし、体も楽だ。結果、長時間・長距離を歩ける。

今回書いたのは、あくまでも僕のやり方だ。最初に書いた通り、一人ひとりスタイルが違う。僕の話は参考程度にとどめておいてあまりこだわらずに、どんどんポスター貼りを経験して、自分のスタイルを見つけることが大切だ。

ピースボートの悪評を書き込むやつをバカだと思う2つの理由

我ながら過激なタイトルだと思う。半分釣りであり、半分本気である。もちろん、悪評のうちのいくつか、例えばピースボートは自衛隊批判してたのに自衛隊に護衛してもらってる、とかは本当である。ただ、僕は悪評が間違ってるという話をしたいのではない。正しかろうが間違ってようが、次の二つの理由から、悪評を書くやつはバカだ、という話だ。


バカだと思う理由① 悪評が逆効果になっていることに気づいていない

数日前、僕の書いた「評判を無視してピースボートの船に乗ってみたら、こんな毎日だった」という記事の閲覧数が突如、倍近くに跳ね上がった。

急に閲覧数が上がった理由を調べてみると、次のニュースが見つかった。

ピースボートも一枚かんでいるICAN。ノーベル平和賞を受賞したことで話題になった団体だが、この団体の事務局長が安倍首相との面会を申し込んだのだところ、安倍首相は面会を断った。

ところが、ICANがこの時期に面会したいと言ってきた時期が、首相の東欧外遊とぴたりと重なっていたのだ。東欧外遊の予定はICANが面会を申し込む前に発表されていた。そのため、「ICANは安倍首相を批判するために、わざと無茶な日程で申し込んだ! 自作自演だ!」という批判が巻き起こった。

ICANが首相を批判するためにわざとやったのか、本当にうっかりしていたのかはわからない。ピースボートという団体をよく知る立場から言わせてもらえば、「あの団体だったら本当にうっかりやらかした可能性が高い」と思うのだが、これは推測の域を出ない。一方で「わざとやった」も推測の域を出ない。

どっちにも解釈できるような話は、どっちにも解釈してはいけない。

とはいえ、『わざとやった!』という解釈も決して無理がある解釈ではない、というか、普通はそう思う(笑)。

問題は、「わざとやった!」という悪評が巻き起こった時期と、僕のブログの閲覧数が跳ね上がった時期が、ぴたりと符合する、という点だ。悪評のおかげで閲覧数が上がっているのだ。

とはいえ、こういった閲覧数のバブルは長くは続かない。3日目をピークに徐々に閲覧数も下降線をたどる。

ところが、7日目にして再び閲覧数が前日の1.5倍に上がる。今度は何が起こったのかと調べてみると、産経新聞が次のような記事を乗せていた。

「【政論】ノーベル平和賞のICAN事務局長の来日、安倍政権批判目的だった?主要運営団体は『ピースボート』」

要は、産経新聞が寝た子を起こしたわけだ。おかげでこちらは閲覧数がV字回復である。

どうして、ピースボートの悪評が出ると、僕のブログの閲覧数が上がるのだろうか。

理屈としては非常に簡単。「ピースボートはとんでもない団体だ!」という悪評を書き込むと、「どれどれ、ちょっと調べてみよう」とネットで調べる人が出てくる。

この際、圧倒的に多いのが「ピースボート 怪しい」という検索である。その数、「ピースボート 評判」「ピースボート 悪評」「ピースボート 洗脳」「ピースボート 左翼団体」という検索の約4倍。

そして、「ピースボート 怪しい」で検索した場合、トップに出てくるのは私の件の記事である!(2018/1/24現在)

記事を読んでもらえばわかると思うが、基本的には「地球一周の船旅は楽しかったよ」という話や、「核武装反対派だったけど、ピースボートの企画に参加したら考えが変わった」という話を書いている。この記事を読んでピースボートに悪印象を抱くことはまずないだろう。

アンチにしても産経新聞にしても、「ピースボートやICANは自作自演をするとんでもない団体だ!」ということを主張したかったのだろう。

ところが、その悪評が僕の「地球一周楽しかったよ」という記事の閲覧数を上げている。完全なる逆効果である。

この手の輩をバカだと思う理由がこれだ。「悪評が逆効果になっていることに気づいていない」のである。

僕のブログの閲覧数が上がったということは、当然、本家本元のピースボートのホームページはもっと閲覧されていることだろう。

図らずも、悪評が宣伝になっているのである。しかも、ピースボート側としては、新聞にまで取り上げてもらっているのに、一切広告費を払わなくていい。

こういった、逆効果になっていることに気づかないバカは世の中にたくさんいる。例えば、このブログでも何度か取り上げた「選挙に行け!」と恫喝する輩だ。「選挙に行かないと大変なことになるぞ!」「日本がどうなってもいいのか!」「戦争になったらお前らのせいだ!」。この手の恫喝が全く人を動かす力がないのは、近年の投票率の低さから見ても明らかであるのに、同じ主張を繰り返す。トライ&エラーは大切だが、エラーを出し続けているにもかかわらず、何も改善せず全く同じ主張を繰り返すのはバカだとしか言いようがない。

他にも逆効果の例がある。ちょうど今日、電車を待っていると外国人のグループがペチャクチャ大声でしゃべっていた。すると、一人の老人が「うるさい!」と注意した。

そこからは大口論。注意された側は「悪いことは何もしていない!」と大声で反論。さらに「うるさい」と注意した本人がそれに対して大声で言い返すものだから、結果的にさらにうるさくなった。ただペチャクチャしゃべっていた時と比べると、不穏な空気というおまけつきである。

「選挙に行こう」も「うるさい人を注意する」も、正しい行動なのだろう。少なくとも本人はそう思っているはずだ。しかし、その行動の結果が全くの逆効果であるのならば、やり方や言い方を変えるとか、何か改善しなければならない。

悪評は言われた側からすれば投資いらずの宣伝である。キングコングの西野亮廣はこのことを熟知して、自身の悪評を宣伝に利用している。僕は彼のツイッターをフォローしているのだが、先日「キンコン西野を絵本作家だなんて認めない!」というヘイトツイートが流れてきた。どうしてヘイトツイートが流れてきたのかというと、他でもない西野氏本人がリツイートしていたからだ。

西野氏曰く「アンチを手放してはいけない」。理由はアンチは勝手に宣伝してくれるから。

以前、「サイテー!キングコング西野はゴーストライターを使っていた!」というタイトルのブログがあった。どんな記事だろうと読んでみると、まさかの西野氏本人のブログだった。西野氏曰く「アンチは記事を読まずにタイトルだけで悪評とともに拡散してくれる」とのこと。うっかりクリックしてしまった僕も、まんまと乗せられてしまったわけだ。

悪評は宣伝なのだ。そのことに気づかないという点でもバカである。

さて、先日、産経新聞の記事について僕はこのようなツイートをした。

産経って結論ありきの文章書くのか。これは紙媒体の文体ではない。 僕のブログのPV数急上昇の原因はこれか。中途半端な批判はかえって宣伝になるみたいだ。産経さんにはこれからも感情的な煽り記事で、僕のブログのPV数向上に貢献していただきたいものだ。

狙いは産経新聞の批判ではない。再び燃え上がった炎上の火を長持ちさせるため、あえてピースボートの悪評記事を拡散させてみた。つまり、産経のピースボートへの悪評記事を読んでもらい、そこから興味を持って検索してもらって、僕のブログに来てもらおうという魂胆だ。他人炎上商法、放火商法である。

結果、面白いデータが得られた。

このツイートを呼んで産経の記事のリンクをクリックした人より、僕のプロフィールをクリックした人の方が倍の数いたのだ。

つまり、「産経ってそんなひどい記事書くのか」という人よりも、「産経の悪評を書いてるこいつは何者?」と思った人の方が多かったのだ。

結果的には僕の宣伝になったのだから結果オーライだが、必ずしも悪評は人を狙い通りに動かせるわけではないということを再確認した。

バカだと思う理由② 「ネットでピースボートについて調べてみてください!」という人に限って、ネットで調べていない

たまにこういう悪評を見る。「ピースボートはとんでもない団体です! ネットで調べてみてください!」。

その言葉通りに「ピースボート」と国内最大手のヤフーやグーグルで検索してみよう。

ピースボートの公式サイトやウィキペディアが出てくる。ウィキペディアはピースボートのいいことも悪いことも書いているので、これだけでは「とんでもない団体」かどうかはわからない。

そこから先は割と好意的な記事が並ぶ。

他にもいろいろと検索してみよう。

例えば「ピースボート 怪しい」。圧倒的な検索数を誇る検索ワードだが、前述の通り、トップに出てくるのは私の記事だ。他にもトップに好意的な記事が並ぶ。

次に「ピースボート 評判」これもなんと、私の記事がトップだ。悪いね、私ばかりトップで。その後も好意的な記事が並ぶ。

ここまで、好意的な記事と悪評の記事の割合は3:1といったところか。あと、「人によって評価は変わるよ」という記事もある。

「ピースボート 洗脳」だと少し様相が変わる。割合は半々といったところか。ただ、僕に言わせればほとんどが洗脳のやり方や洗脳とマインドコントロールの違いといった基本的なことすら知らないまま書いている、話にならない駄文ばっかりだが。

最後に、「ピースボート 左翼団体」。これは悪評記事が3割といったところか。

何が言いたいのかというと、私の記事は結構上位に来ているという自慢だ! いや、違う。自慢したいのもあるけど、今言いたいのはそうじゃない。

何が言いたいのかというと、「割と好意的な記事の方が多く検索されている」というものだ。

つまり、「ピースボートについてネットで調べてください!」という人は、ネットで調べればピースボートについての悪評がいっぱい出てくると思っているようだが、実際は違うのである。

だからバカだというのだ。「ネットで調べてください」と言っている本人が実はネットで検索すらしていない。ネットで検索していないくせに「ネットで検索すれば、ピースボートが悪い団体だとわかってもらえる」と勝手に思い込んでいる。実際は好意的な記事が多く検索されていることを検索エンジンが証明している。

「ネットで調べてください!」という人に対しては「ネットで調べてからモノ言え、バーカ」と影で嗤っている。

 

 

最後に

この記事はあえて突っ込みどころを残してある。この行まで読まずに途中で辞めた人や、読まずにタイトル見ただけの人が「バカがバカな記事を書いてるぞ。お前こそバカだ!」みたいな悪評を誰かが書いて拡散してくれれば……、僕の思うつぼである(笑)