小説 あしたてんきになぁれ 第15話「クラゲときどきハチ公、ところによりネズミ」

シブヤを訪れた亜美、志保、たまきの三人。ショップ、プリクラ、ハチ公、ランチ、カラオケとめぐるが、たまきはどうしてもシブヤの町になじむことができない。いや、そもそもたまきはこの世界になじむことができない、場違いな存在なのか。そんなことを考えてしまうお話です。

「あしなれ」シブヤ編、どうぞ!


小説 あしたてんきになぁれ 第14話「朝もや、ところにより嘘」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


写真はイメージです。

「あ~、かわいい~!」

試着室のカーテンを開けたたまきを見るなり、志保が1オクターブ高い声で叫んだ。この「かわいい」は前にも聞いたことがある。たまきの姉が水族館のクラゲの水槽の前で言っていた「かわいい~」と同じだ。

さながら、たまきもクラゲみたいなものなのだろう。水族館で見るクラゲはさも美しい生き物かのように飾られているが、自然界のクラゲはそこにいるのかいないのかよくわからないくらいぼんやりしていて、何の目的もなさそうにふよふよと漂っている。おまけに無表情だ。それでいて毒針を持っているというのだからタチが悪い。

たまきはカバンの中に入っているカッターナイフを思い出した。クラゲでいうところの毒針に相当するそれは、いつでも速やかにこの世からログアウトするためのたまきのお守りだ。

シブヤへ買い物に行こう、と言い出したのは志保だった。もう1年近く「城(キャッスル)」で暮らす亜美と違い、死ぬつもりで家を出てきたたまきと、トイレで倒れていたのを発見されてそのまま「城」へ転がり込んだ志保には冬服がなかったのだ。亜美はシンジュクで買えばいいと言ったが、志保はどうしてもシブヤがいいと言って譲らなかった。たまきはシンジュクもシブヤも一緒じゃないかと二人の言い争い?を冷めた目で見ていた。

 

シブヤの中でも大通り沿いの象徴的なビルに三人は入った。志保曰く、このビルにはたくさんの「ショップ」が入っているらしい。「お店」ではなく「ショップ」。

館内の中ほどをエスカレーターが貫き、その周りを洋服を売る店ばかりが囲んでいる。冬を前にしてか落ち着いた色の服が多い。鼓膜を打つのは流行っているらしいJ-POP。たまきとしては文房具屋とかのほうが落ち着くのだが、そういったたぐいのものはとんと見当たらない。みんな、そんなに服が欲しいのか。

このビルにとって、たまきは明らかに場違いだ。雪国に夏服で来てしまった、そんな居心地の悪さだ。ビルに入る瞬間は緊張をおぼえた。たまきみたいなおしゃれじゃない子は、屈強でおしゃれなガードマンに「お客様、ちょっと……」と言われて、ビルの外へつまみ出されてしまうのではないだろうか。

志保はお気に入りの店、じゃなかった、ショップがあるらしく、そこへ行くとじっくり30分かけて、自分の冬服を選んだ。顔と体型は変わらないのだからどれを着てもおんなじじゃないかとたまきは思うが、志保には決して同じなんかではないらしく、クリーム色とカーキ色のカーディガンをそれぞれの手にもち、悩んでいた。亜美も服を何着か買い、3人でおそろいのパジャマを買った。

残るはたまきの冬服である。たまきは服にこだわりなどなく、なんなら人に見られたくないと思っている。適当なものを買って終わらせたかったのだが、志保が

「あたしがたまきちゃんの服をコーデしてあげる♡」

と余計なおせっかいを発揮して、現在に至る。

数あるショップのうちの一つにたまきを連れ込むと、ハンガーにぶら下がった色とりどりのセーターを次々と手にとっては、たまきの体に重ねていく。

「ちがうな~」

などと首を傾げてはいるが、なんとも楽しそうだ。きっと、クラゲをライトアップして楽しむ女性というのはこんな感じなんだろう。

最終的に、セーターとベレー帽を手渡されて、たまきは試着室に放り込まれた。

志保に渡されたセーターとベレー帽を身に付けて出てきたところでの志保の「あ~、かわいい~!」である。

たまきは志保の絶叫を聞くとすぐさま試着室のカーテンを閉めて、神話の中の天照大御神のごとく試着室の中へと姿を隠したが、せっかく閉めたカーテンを志保が素早く開けてしまった。

「ほら、くるっと回ってみて」

言われるままにたまきは無表情で、少し辟易しているように見えるかもしれないが、その場でくるりと回った。再び志保が

「ほら~、かわいい~!」

ともだえる。

「やっぱり、たまきちゃんは小柄であどけないから、体のラインが出ないモコモコした服が似合うと思ったんだぁ」

と志保は何ともうっとりした感じでたまきを眺めている。

「でね、たまきちゃんって、暗い色の服ばっかりいつも着てるでしょ。ここは少しイメージを変えてみようと、オレンジを基調にしてみたの」

たまきは振り返ると、改めて鏡で自分を見た。

セーターはオレンジと白の太いスプライト。ベレー帽もオレンジの毛糸で編まれている。

これじゃまるでクマノミだ。

「ちょっとさ、オレンジ、きつすぎない?」

少し後ろで見ていた亜美が口を出す。

「わかってるよ。だからさ、アウターとかでそこを押さえていくんだよ」

志保はロダンの「考える人」みたいなポーズを取りながら答えた。

たまきはもともと来ていた黒っぽい服に着替えると試着室から出てきた。すると今度は亜美がたまきの手を掴んだ。

「ウチに貸してみ。ウチがコーデしてやるよ」

「え……」

たまきは拒否反応を示したが、亜美はたまきの手を引っ張って別のショップへと連れて行った。志保と同じようにハンガーにかかった服をたまきの体に合わせていく。志保同様楽しそうだが、どちらかというと悪だくみをしているような笑顔だ。

十月に入って気温も下がり、亜美の露出もだいぶ減ったが、それでもたまきならば絶対に着ないような服ばかりだ。不安でたまきの額に汗がにじむ。

「よし、これなんてどうだ」

亜美はたまきにジャケットとシャツを渡した。

たまきは不安げに亜美を見たが、亜美はたまきをくるりと回して試着室の方に向かせると、どんと背中を押して試着室に押し込み、何か言いたげなたまきを無視してその扉を閉めた。

二分ほどして出てきたたまきは、血のように真っ赤なシャツに黒いジャケットを羽織っていた。シャツはたまきの体にぴたりとまとわりつき、凹凸をはっきりさせている。ジャケットにはジャラジャラとシルバーの鎖がついている。

なんだかマグロの切り身みたい。鏡に映った自分を見ながらたまきはそう思った。

「え~、たまきちゃんの良さ、残ってないじゃん」

志保は明らかに不満げだ。

「何言ってんだよ。これくらいのイメチェンしないと、こいつはいつまでもうじうじしたままだって」

「ちがうよ。もっと、たまきちゃんの良さを生かしたうえで、イメチェンしてくんだよ。これじゃ、丸っきり亜美ちゃんじゃん。ほら、料理する時も、素材の味を生かさなきゃダメでしょ?」

「ウチ、料理しないもん」

言い争う二人に割って入るようにたまきはおずおずと口を開いた。

「あの……、やっぱり私、こういうのは似合わないかなって……」

たまきの言葉に亜美はじっとたまきを見ていたが、

「やっぱ、メガネがよくないな」

というとたまきにすっと近づき、さっとメガネをはずしてしまった。

「あっ……」

視界が一気にぼやけるとともに、街中に全裸で放り出されたかのような感覚に陥る。もちろん、そんな経験などないのだが。

メガネを取り返そうにも、亜美がどこにいるかわからない。なにしろ、そこかしこに亜美みたいな服が並んでいるのだ。

だが、志保が亜美からメガネを奪い取ると、たまきの目にそっと戻した。

「だーめ。たまきちゃんはメガネが似合うんだから、かけてた方がいいって」

たまきはメガネに指を添えて、ズレを直す。逃げ込むようにたまきは試着室へと入った。

「だいたい、亜美ちゃんは自分の趣味を押し付けすぎなんだよ。これじゃあ、まるでたまきちゃんじゃなくて亜美ちゃんだもん。プチ亜美ちゃん」

「なんだよ、そのプチトマトみたいな言い方は」

「あのシャツの赤は、趣味の悪いプチトマトみたいだったけど」

「お前の方こそ、オレンジにタルタルソースかけたみたいだったじゃねーか」

二人が言い争う中、元のほぼ黒一色の服に身をまとったたまきが出てきた。若干よろけながら店、ではなくショップの外へ出て行く姿は、食卓の上を転がる黒豆のようだ。

「たまき、お前はどういうのがいいんだよ」

「私は……」

たまきは不安げにあたりを見渡すと、目に入ったショップに駆け込んだ。そこで売られていた黒いニット帽を手に取り、

「……こういうのがいいです」

と少し自信なさげに言った。

「お前、また黒かよ」

亜美が少し呆れ気味に言った。

 

写真はイメージです

結局、黒い色の多いいつものコーディネートをたまきは購入し、三人はビルを出た。たまきの頭にはかったばかりの黒いニット帽が耳まですっぽりとかぶさっている。

ビルの外を色とりどりの服を着た人がたくさん歩いている。秋が深まるにつれて服の色は暖色が増えてくる。街行く人は、シンジュクよりも若い人が多い印象だ。

三人は細い路地を歩いている。たまきは二人の背中を追うように、とぼとぼとついていく。

大通りに出て通り沿いに歩くと、白いきれいなビルがある。そのビルの一階を指さして志保が言った。

「せっかくだからさ、あそこでプリクラ撮ってかない?」

「お、いいね~。いこうぜ」

「え……」

またしてもたまきは何か言いたげだったが、亜美に強く腕を引っ張られて、言葉を飲み込んでしまった。

 

プリクラ専門店と銘打ったその店は、白とピンクがほとんどの色を占めていて、秋口だというのにここだけ春のままのようだ。専門店というだけあって、たくさんのプリクラを撮る機械で占められている。

とはいえ機械そのものが見えているわけではなく、機械全体を大きな垂れ幕が覆っていて、どの垂れ幕にもモデルらしき茶髪の美女の写真が描かれている。

さながら無数の巨大な顔が立ち並んでいる状況だ。二次元のはずのそれから目線を感じ、たまきは下を向かずにはいられない。

「おい、コスプレ用の衣装なんてのもあるぜ」

亜美が指さしたが、たまきは反射的に反対方向を向いた。さっきのようにまた着せ替え人形みたいにされたらたまったもんじゃない。

一方、志保は真剣な顔をして、機械を見比べていた。たまきから見るとどれも一緒のような気がするが、何か違いがあるのかもしれない。

「これにしようよ。いろいろ盛れるみたいだよ?」

……何が漏れるのだろう。そんなたまきの疑問を置き去りに、志保と亜美は垂れ幕の向こう側へと入っていく。たまきは少しそこに立ち尽くしていたが、不意に垂れ幕の向こうから細い志保の腕がすっと出てきて、たまきの手首をつかんだ。

「ほら、たまきちゃんも入って」

言われるがままにたまきも垂れ幕の向こうへと入る。

垂れ幕の向こうはまるで宇宙船のコックピットのようだ。

正面にはモニターがあり、その上にカメラのレンズなのだろうか、穴のようなものがある。何となく、たまきは写真館みたいに古いカメラが置いてあるのをイメージしていたため、自分の世間知らずさに少し恥ずかしくなった。

「亜美ちゃん、なんかこうしたい、とかある?」

「プリクラなんて中学以来だもん。ウチがやってた頃よりも、いろいろバージョンアップしてるんじゃねぇの? わかんないよ。志保に任せる」

「オッケー」

志保はモニターをいじっている。

「目元とか盛っとこうか。胸は……盛れないか」

志保が冗談なのかわりと本音なのかよくわからないことを言う。

「立ち位置とかどうしようか」

志保の後ろから亜美が声をかける。

「たまきちゃんが真ん中がいいんじゃない?」

「え?」

志保の提案にたまきが戸惑いの声を上げた。

「な、なんで私が真ん中に……」

「いや、身長的に、その方がバランスとれるかなぁって」

確かに、亜美と志保の身長はほとんど変わらず、一方でたまきは二人よりちょっと小さい。

『レンズの中央を見てください』

モニターがそうしゃべった。

「ほら、たまきちゃん、真ん中」

志保はたまきの右側に立つと、たまきの両肩を掴んでレンズの正面に立たせた。その左側には亜美が立つ。

『5秒前』

たまきは不安そうに志保を見ていたが、

「ほおらぁ、たまきちゃん、前」

と志保は今度はたまきの両頬を手で挟んで、前を向かせた。

もはや逃げ場はない。さながら、まな板の上の鯉だ。いや、まな板の上のクラゲ。

『3・2・1』

パシャッという音が聞こえる少し前にたまきはニット帽を思い切り下に引っ張った。

 

亜美は仕上がったプリクラを見て爆笑していた。

写真の両脇に亜美と志保がたっている。それぞれ目元はいつもより大きく、瞳はやけに光を反射している。色もやけに白っぽく、どこかマネキンのような質感だ。それぞれ、志保の字で「あみ」「しほ」と名前が書かれている。

その真ん中にたまきが移っている。いや、かろうじて「たまき」と名前が書いてあるからたまきだとわかるだけで、顔はほとんど映っていない。口元を残して上は黒いニット帽にすっぽりと覆われている。

その際、ニット帽かたまきの手がメガネに当たり、ずり落ちた。たまきの記憶では、あごにメガネがふれた、そんな感覚が残っている。しかし、つるがニット帽に挟まれていたため、完全に落ちることはなく、そこで静止していた。それが、カウントダウンの「1」という声が聞こえたタイミングだった。

そして、たまきは反射的にメガネを手に取り、かけ直した。間違えてニット帽の上から。あ、っと思ったタイミングでパシャリと音がした。

その結果、黒いニット帽で顔をすっぽりと覆い、その上に黒縁メガネをかけているというシュールな写真ができあがった。

しかも、メガネがプリクラのフラッシュを反射してしまい、そこだけ白く光っている。口は映っているので、顔に見えないこともない。むしろ、別の何かの顔に見える。

亜美は「メガネ星人捕獲!」とタイトルをつけてゲラゲラ笑っていた。

「たまきちゃん、プリクラ、嫌だった?」

志保は少し腰を落として、たまきと同じ目線になるようにして言った。

「写真は……苦手です」

「どうして?」

「……上手く笑えないし……」

「そっか……」

志保はなにか悪いことをしてしまったかのような顔をした。そんな顔をされると、こっちこそ何か悪いことをしたような気分になる。

 

写真はイメージです

「よし、ここでいったん、解散しようぜ」

店を出て少し歩き、渋谷の街のメインストリートに出たときに、亜美がそう言った。

「かいさん?」

亜美の言葉にたまきが首をかしげる。

「それぞれ、買いたいものとかあんだろ。昼飯にはまだ早いし、ここでいったん解散しようぜ」

「集合場所はハチ公でいいよね。何時に集合する?」

志保は腕時計を見ながら言った。現在、十時半だ。

「十一時半にハチ公集合。それじゃ」

そういうと、亜美と志保はもう既に行く店が決まっているかのように歩き出した。

たまきが一人、ぽつんと取り残された。いや、あたりは人だらけで、ぽつんと一人だけそこに残っているわけではないのだが、立ち止まっていると自分だけ時間が止まってしまったかのようだ。

さっきまで亜美と志保と一緒だったのに、急に一人になってしまった。自分だけ白黒になってしまったようで、なんだか心にぽっかり穴が開いたようだ。

たまきは行く当てもなく、仕方なく駅の方へと向かってとぼとぼと歩きだした。

1,2分もしないうちに大きな交差点へとたどり着く。タイヤと地面の擦れる音が地響きのようだ。

ふと、周りの人たちを見渡す。

恋人同士、数人のともだちグループ、小さい子を連れた家族連れ。みんな誰かと一緒にいる。一人ぼっちの人を見つけたかと思えば、携帯電話で誰かと電話していた。

東京のど真ん中の、いちばん人が集まる交差点で、たまきだけ、一人ぼっち。

ちがうの。今日は友達ときたの。私は一人ぼっちなんじゃないの。たまきは交差点に向かってそう叫びたくなった。

数日前の舞の言葉を思い出す。

「だってさみしかったんだもんよ」

信号が青になり、たまきはスクランブル交差点を渡る。交差点の向こうには女優さんが写った看板や、アイドルの歌を世伝する看板があり、実にカラフルだ。

目の前に人の影が迫ってきたり、横切ったり、背後から急に出てきたり。それらにいちいち怯えながらも、たまきは交差点を渡る。

ふと、たまきは「ガリバー旅行記」を思い出していた。漂流していたガリバーが目覚めると小人の国に流れ着いて、地面に固定されていた、というのは有名な話である。そんなガリバーが次に訪れた国は確か、巨人の国だった。

交差点を渡りきっても、そこはたまきにとってはまだまだ巨人の国だった。「場違い」、そんな言葉が頭から離れない。まるで町全体に拒絶されているかのようだ。

こんな思いは学校に通っていた時からずっとだった気がするし、家に引きこもっていた時も感じていた気がする。つい最近、お祭りに行ったときにも強く感じた。

要するに、生まれてからずっと、たまきは場違いなのだ。

たまきみたいな人間が生まれてきたこと自体がこの世界にとって場違いなのだ。どうして自分なんか生まれてきたんだろう。

ふと、たまきの左目に交番が映った。いつもは前髪で隠している左目だが、ニット帽をかぶっているときは不思議と出していても平気だ。

制服のお巡りさんが立っているのが映って、たまきは足早にそこから遠のく。小柄なたまきは中学生に間違えられることもある。そうでなくても家出中の身。声をかけられたら面倒だ。

やっぱり、たまきのような存在は、この町にとって、この社会にとって場違いなのだ。

 

写真はハチ公です

騒々しい人の声と音楽の間を縫って進むと、たまきの目の前に、犬のような形をした銅が現れた。台座には「忠犬ハチ公」と彫られている。

銅像は台座を含めるとたまきの身長より高く、犬はまっすぐ正面を向いていたが、なんだか不思議とたまきは銅像と目があったような気がした。

「さみしいよ……」

誰に聞こえるでもないボリュームで、たまきはそうつぶやいた。

頭の中で舞の言葉が響く。

「もう、我慢するしかないんよ。さみしいまんま生きていくしかないんよ」

なんだか、ハチ公がそう言っているような気がした。

ハチ公の物語はなんとなくしか知らない。昔、この場所で飼い主を犬が待っていたが、飼い主は病気か何かで死んでしまって帰ってこず、犬は死ぬまでその場で待ち続けた、そんな話だったような気がする。

「忠犬」の泣ける物語として語り継がれているが、そうじゃないような気もする。

この犬はきっと、さみしかったんじゃないだろうか。一人ぼっちがさみしいから、飼い主が帰ってくるのをずっと待っていた。たとえその飼い主のことを、そこまで好きじゃなかったとしても。犬にとって場違いな人間の世界で、飼い主しか居場所がないのだから。

たまきはもう一度銅像を見上げた。やっぱり、目が合ったような気がする。

銅像の周りはベンチのように鉄の棒が半円を描いている。たまきはそこに腰かけた。

もしもこのまま亜美も志保も来なかったら、そんなはずはないのだが、ついついそんなことを考える。

それでもきっと、たまきはここで待ち続けてるのだろう。誰かがこっちにおいでと言っても、待ち続けてるのだろう。だって、知らない人は怖いから。

そうして死んで行ったら、「忠犬たま公」とでも呼ばれて銅像でも建てられるのだろうか。「たま公」なんて、どちらかというとネコみたいな名前だ。でも、銅像が作られてじろじろ見られるのは嫌だな。

 

空が落ちてくるんじゃないかと心配することを「杞憂」という。たまきのくだらない心配も杞憂に終わり、まず最初に志保が、次に亜美が待ち合わせ場所にやってきた。志保の手には本屋のの名前が書かれたビニールがぶら下がっていて、亜美はそれより二回りも大きなビニールを持っていた。ビニールは色がついていて、二人が何を買ったかまではわからない。

「たまきちゃんはどこか行ったの?」

「……まあ」

これ以上かわいそうな子だと思われたくなくて、たまきは適当な言葉でごまかす。

「じゃ、メシにしようぜ」

「あ、あたし、美味しいとこ知ってるよ」

 

写真はイメージです

志保が案内してくれたのは、スパゲッティのお店だった。

「ここのパスタ、とってもおいしいんだよ」

パスタとスパゲッティはどう違うのだろうか。そんなことを考えながらたまきは席に付いた。

亜美と志保が向かい合うように座る。たまきは、志保の左隣に座った。亜美の右隣に座ってしまうと、亜美の右腕とたまきの左腕が食事の時にぶつかってしまう。

注文を終えて料理が来るのを待つ。他のテーブルで食器と食器がカチカチとぶつかる音が聞こえる。

「こんな店、誰と来たんだよ」

「……モトカレ」

亜美の問いかけに、志保は少し淡白に答えた。

「それにしても、けっこう買っちゃったね」

志保は話題をずらすかのように、亜美の隣の席を見た。今日一日の買い物が置かれ、まるでもう一人いるかのように存在感を放つ。

「車でもあれば便利なのにね」

「え~、駐車場探すのめんどくさいじゃん」

亜美が不服そうに口をとがらせる。

「……その前に私たち、免許ないじゃないですか」

「いや、ウチは持ってるぞ、メンキョ」

「え!」

亜美の言葉に二人の視線は一気に亜美へと集中した。

「なんだよ。高校辞めてヒマだったし、教習所なら親も金出してくれるっていうし、ウチの地元、車あった方が便利だし……、そんなにおかしいか?」

「だって、ねぇ……」

志保がたまきの方を見る。たまきも志保を見る。

「なんか、スピード出して事故を起こしそうなイメージが……」

「大丈夫だよ。うちの近所、畑ばっかりだから人いないし、ミスっても畑に突っ込むだけだから」

「スピードは出すんだ……」

志保が呆れたところで、注文したパスタがやってきた。

 

スパゲッティはフォークに巻いて食べなければいけないなんて、だれが決めたんだろう。そう思ってはみたものの、ついついフォークに巻きつけたくなってしまう。

「この後、どうする?」

志保がパスタをくるくる巻きながら言う。

「え、カラオケ行くんじゃねぇの?」

「食べてすぐ行く感じ?」

「うん」

「了解」

志保と亜美のやり取りをたまきは巨人の国に迷い込んだガリバーの気分で見ている。

やっぱり二人はこの町に似合う人間なのだ。二人のやり取りはどこか、不文律とでもいうべき、言外の共通理解があるように感じられる。その不文律はこの街の空気に書いてあって、この町の人間じゃないと、この町に溶け込める人間じゃないと、その不文律を読むことができないのだ。

「でも、こんなふうに3人で遊ぶって初めてだねぇ」

志保があさりを口に運びながら言う。

「いつか、3人で旅行に行きたいね」

「いいね、それ」

亜美と志保が盛り上がるなか、たまきは下を向いた。

「レンタカーとか借りようぜ」

「……法定速度、守ってくださいね」

たまきが少し顔をあげて言う。

「大丈夫だって。ちゃんと、制限速度ぐらいのスピードで走るから」

「ぐらい」は若干、制限速度を越えているのではないだろうか。いったい、亜美はどこの教習所に通って、どんな講習を受けていたのだろう。

「それでさ、首都高ぶっとばして、千葉に行くんだ」

「なんで千葉なんですか?」

「千葉に何があるの?」

志保とたまきは少し身を乗り出して尋ねた。

「バカ、千葉には太陽があるんだぜ」

亜美は急にロードムービーみたいなことを言い出した。

「夜中に歓楽街をぬけ出して、朝日めがけて車を飛ばすんだ。海に出れれば一番だけど、まあ、出れなかったらそん時はそん時だ。そこで朝日を見ながら、『バカヤロー!』って叫ぶんだ」

「……亜美さん、そういうの好きですね」

たまきはパスタをくるくるしながら言った。

「リスカとかクスリとか……、いろいろ忘れてさ、サイコーの明日を迎えようぜ」

「亜美ちゃん……、酔ってる?」

志保は念のため、亜美のグラスの中身を確認したが、甘そうなメロンソーダがあるだけだった。

 

写真はイメージです

食事が終わり、カラオケ屋へ向かってセンター街を歩いていく。

途中にもカラオケ屋があったが、志保が会員カードを持っている店が別にあるらしく、その店へ向かって歩いていく。

道の端っこを歩きながら先頭を志保、その後ろを亜美が歩き、一番後ろをたまきがとぼとぼとついていく。

突然、志保が短い悲鳴を上げた。次に声を挙げたのは亜美だった。

「ネズミだ!」

志保の足元から亜美の足元へと、灰色の小さなネズミが駆け抜けていった。たまきはよけようと道のさらに端に身を寄せたが、ネズミは急に方向転換して、道の真ん中へと走っていく。

ネズミを目で追うと、視界にトラックが入ってきた。

「あ……!」

ほんの一瞬、ネズミとトラックのタイヤが重なった。

次の瞬間には、さっきまで活発に走っていたネズミがアスファルトに横たわっていた。ピンクの何かがネズミの体からこぼれていた。

特に何か音がしたわけでもなかった。ネズミの頭がい骨や内臓が潰れた音も聞こえなかったし、ネズミは断末魔一つ上げなかった。もしかしたらトラックに最期まで気づかなかったのかもしれない。

聞こえてくるのはトラックの走り去る音と、志保の「やだ……!」という小さな悲鳴と、亜美の「うわっ……」というため息にも似た声だった。

 

写真はイメージです

「あ~、やなもん見ちゃった……」

カラオケ屋でエレベーターが来るのを待っていると、志保が堰を切ったように言った。何か話さずにはいられない、そんな感じだ。

「まあさ、飯食う前じゃなくてよかったじゃん」

と亜美。

「そうだけどさ……」

「そんな珍しくもないじゃん。よくカエルとか、轢かれて潰れて転がってるじゃん」

「それは轢かれた後のやつでしょ? あたしたち、ちょうど轢かれるところ見ちゃったんだよ?」

「まあ、後味悪いけど、ウチはそれより、東京にネズミがいたことに驚いたよ」

「そう? たまに見るよ。シブヤでネズミ。……もう、この話はおしまい! カラオケで忘れよ?」

エレベーターが昇っていく。ガラス張りになっていて、上に上がるごとにシブヤの町の一角がよく見える。

さっきのネズミ、走らなければ轢かれて死ぬこともなかったのに……。たまきはぼんやりと考える。

きっとネズミにとっても、このシブヤは場違いな町だったのかもしれない。その違和感に耐えきれずに、逃げようとして走り出したら、この町どころかこの世からおさらばする羽目になってしまったのだろう。

 

ショップ、プリクラ、スクランブル交差点、ランチ、どれもたまきにとって場違いな場所だったが、カラオケの個室が一番場違いだと強く感じてしまう。

ドアをくぐると薄暗い部屋にテーブルを囲む形でソファーがあり、大きな画面からは最新のミュージックビデオが流れている。

三人はじゃんけんで順番を決めた。志保がドリンクバーで三人分の飲み物を持ってくると、一番手の亜美が曲を入力した。

画面に曲のタイトルが出てきた。やけに画数の多い女性歌手の曲だ。

「亜美ちゃん、こういうの好きなんだ。もっと、ヒップホップ系かと思ってた」

「そういうのも聞くけど、ロックも好きだぜ。特にこの人の曲は、かっけぇし、歌詞もいいんだ」

画面が切り替わり、カラオケ映像が始まった。出だしはBGMが無く、若干のリズム音が流れた後、ほぼアカペラの状態で亜美はマイクに口づけするかのように歌い出した。

そのままひずんだギターと軽快なドラムとベースのロックサウンドが流れ、亜美は歌う。その歌声は地声より少し低く、力強く、それでいてどこか往年の歌謡曲スターのような妖艶さを兼ね備えている。

と、筆舌を尽くしてみたが、簡単に言えば、うまいのである。

アウトロに合わせて亜美がスキャットをして終わった。志保とたまきは、食べ散らかしたポテチの袋のようにぽかんと口を開けていた。

「ん? どした?」

亜美もぽかんとして尋ねる。

「亜美ちゃん、……上手い。……意外」

志保が半分放心したかのように言った。

「意外、は余計だろ」

「バンドとかやらないの?」

「ヤだよ、めんどくせ―」

そういうと、亜美はマイクをたまきの前に置いた。

「あれ、お前、曲入れてねぇの?」

亜美が不思議そうに画面を見る。画面の中ではどこかのアイドルグループのインタビューが流れている。

「あ、今いれます」

亜美の歌が意外にもうまく、自分の曲を入れるのを忘れていた。たまきは慣れない手つきでリモコンを操作する。

……何を歌えばいいんだろう。ヒット曲なんて全然知らない。かといって「おもちゃのチャチャチャ」でも歌おうものなら、バカにされるに決まってる。

たまきはかろうじて知っている曲を入力した。

「これ、何の曲?」

案の定、志保が聞いてきた。

「……深夜にやってたアニメの歌です」

「たまきちゃん、深夜アニメなんか見るんだ」

「……家族がいないときにしかテレビ見てなかったので……」

何かの冒険の始まりを告げるかのように、ピアノの旋律が鳴り響いた。たまきはマイクを両手でつかむと、口元に運んだ。

小さく息をすって歌い始める。

人前で歌うなんて、たぶん初めてだ。恥ずかしくて消え入りそうになりながら、たまきは必死に文字を追って歌っていく。自分でももうちょっと声を張った方がいいんじゃないかと思うけどこれ以上なんて出せやしないし、音程なんて取れてるのかどうかわかりやしない。

何とか曲終わりにまでたどり着けた。たまきはうつむいたままマイクを志保へと渡す。

「かわいい歌い方だね」

志保はそう言ってほほ笑んだ。またクラゲのかわいいだろうか。

「なんか、透き通るような歌声で、あたしはそういうの好きだよ」

「音とか外れてなかったでしょうか……」

「いや、大丈夫じゃね?」

亜美がソファに片足を乗っけながら答える。

「声ちっさいからたまに聞き取れねぇ所あるけど、無理して張り上げたほうが逆に音外すかもな。うん、あれでいんじゃね?」

たぶん、亜美ほどうまくはないけど、合格点なのだろう。たまきはそう解釈した。

「あたし、大丈夫かなぁ。歌、あまり得意じゃないんだよねぇ」

志保はそういうとマイクを手に取った。画面には、たまきでもかろうじて知っている女性歌手の名前が出ている。

ピアノのイントロが流れた。さっきたまきが歌った曲よりも重苦しい感じだ。志保は右手に握ったマイクを口に近づける。若干痩せているのが気になるが、その姿はなかなか様になっている。

曲はいきなりサビから始まる構成である。志保の声がマイクに乗ってスピーカーから拡張される。その歌詞は、流行りの音楽に疎いたまきでも何となく聞いたことのあるものだった。

そのまま間奏を経てAメロ、そしてBメロへと続く。

亜美とたまきは、思わず顔を見合わせた。

さっきから、音符がほとんど合っていない。

半音、ひどい時は二音、高かったり低かったり、何かしらずれている。

つまりは、本人の申告通り、志保は歌があまり得意ではない。いや、「あまり」という副詞は余計か。

それでも本人は気持ちよさそうに歌っている。英語の部分の歌詞はちょっと発音よく歌ってそれっぽい雰囲気を出そうとしているのだが、いかんせん音符が合っていない。

たまきはこの曲のサビのメロディしか知らない。それでもわかる。全体的に、とにかく音符が合っていない。

時空でも歪んだんじゃないかと思える5分間が終わり、志保の前には一周してきたリモコンが再び置かれていた。

「う~ん、この歌好きなんだけど、やっぱちょっと難しいな」

そういうと志保は、

「次なに歌おうかな~。ほんと、歌、そんなに得意じゃないんだよね。いっそ『おもちゃのチャチャチャ』でも歌おうかな」

と笑いながら言った。

 

写真はイメージです

カラオケにいたのは3時間ほどだっただろうか。

亜美はレパートリーの豊富さが際立っていた。ロック、R&B、ヒップホップ、それもわりと玄人好みの曲が多い。そして、どの曲も抜群の歌唱力で歌いこなしていた。バラードなど圧巻の一言である。

たまきは次第にレパートリーが尽きてきた。終盤は子供のころ見てたアニメの歌などで場を繋いだ気がする。歌うたびに志保から話「かわいい~!」とその歌声を評され、亜美からは「アニソンにはそういう方があってるかも」と評された。

志保はアイドルの歌など、ヒットチャートの上位の曲を多く歌った。マイクを取るたびに磁場がどうにかなってしまったのかと思うような歌を披露したが、あくまでも本人は「歌はちょっと苦手」という程度の認識らしい。

カラオケ屋を出てからの三人は、十月の風を浴びながら無目的にシブヤの街を歩いていた。

亜美と志保が次はどこに行こうかと話しながら歩く後ろを、たまきはとぼとぼとついていく。たまきとしてはこんな場違いな町は早く出たいのだが、シンジュクに帰ったとして、やっぱりそこもたまきにとっては場違いな町なのだろう。

ふと、亜美が立ち止り、片手で志保を制した。後ろからついてきていたたまきも立ち止まる。

「ストップ」

「どうしたの?」

「ケーサツがこっち来る」

「え? どこ?」

志保は目を細めた。数十メートル先から、青い制服の警官が二人、こちらへ向かってくる。

「ほんとだ。亜美ちゃん、よくこんな遠くから気づいたね」

「とりあえず、こっち行くぞ」

亜美はすぐ左にあった狭い路地へと入っていった。志保とたまきもそれに続く。

路地に入って十数メートル歩いたところで、志保が口を開いた。

「……そういえばさ、なんでおまわりさんから逃げるの?」

「だって、見つかったらいろいろと面倒じゃねぇか。特にお前なんか、聞かれたらいろいろと困るだろ?」

亜美は志保を見ながら答えた。

「でも、あたし、もう三カ月ぐらいクスリ使ってないし、クスリも器具も今は持ってないし、調べられて困るようなことなんかないよ?」

「そういえば……、でも、目ぇつけられたら困るだろ。たまきとかはまだ子供に見えるかもしれないし」

「別にいいんじゃない? だって、もう夕方だよ?」

そういう志保のわきを、地元の子どもだろうか、ランドセルを背負った子供が3人ほど、はしゃぎながらすり抜けていく。

「ほら、もう、学校とか終わってる時間だって。だいたい、今のあたしたち見て、不法占拠とかクスリとかエンコーとか、見ただけじゃわかんないって」

「そういやそうか……」

そこで会話は途切れたが、急に亜美が笑いだした。

「え、じゃあ、ウチら、なんでケーサツ気にしてるんだ?」

「そうだよ。まあ、確かにいろいろやましいところあるけど、ちょっと見られたぐらいで目をつけられたりしないって」

「そうだよな。あれ、なんでケーサツ気にしてるんだろ?」

亜美と志保はケラケラ笑った。その後ろで、たまきも少しほっとしたように笑った。

この町にとって、この世界にとって自分が場違いだと思っていたのは、たまきだけではなかったらしい。

 

写真はイメージです

「さっきから、ガキ、多くね?」

亜美がすれ違う小学生たちを見ながら言う。

「近くに学校があるんじゃないの?」

「こんな都会のど真ん中に?」

「あるところはあるって。」

そんな会話をしながら3人は少し人気のない路地を歩いていく。

「ん、学校ってあれのこと?」

亜美が少し先の建物を指さした。塀とフェンスに囲まれ、門から続々と子供たちが出てくる。

「こんな都会にも学校ってあるんですね」

たまきが久しぶりに口を開いた。

「うわっ! 校庭、狭っ! 運動会とか、無理じゃん!」

亜美がフェンスにへばりつきながら、その向こうの校庭をのぞいた。緑色のゴム素材のような地面をしている。

「だいたい、校庭ってフツー、土だろ。なんだよあの、テニスコートの失敗作みたいなの」

「都会の学校なんてどこもそんなんだって。土地が少ないんだから、しょうがないじゃん」

志保が亜美の少し後ろで笑いながら言った。さらにその後ろでたまきがぼんやりと二人を眺めている。

たまきと志保の間を、女子高生が三人通り過ぎた。ワイシャツの上に学校指定のものと思われる紺のセーターを重ね、胸元には真紅の大きなリボンを飾っている。

亜美が校庭を見るのに飽きて振り向くと、志保がその女子高生たちが通り過ぎた後も、彼女たちを目で追い続けているのが視界に入った。その顔は、どこか儚げでもあった。

「なに、どうした? 知り合い?」

「ううん、そうじゃないんだけどね……」

志保は少しため息をつくと、言葉をつづけた。

「あの制服、ウチの高校のなんだ……」

そうさみしそうにつぶやく志保を、たまきはまたさみしそうに見つめていた。

……志保さんは、学校に戻りたいのかな。

そんな志保とたまきの間を、今度はオートバイがエンジン音を響かせて通り過ぎる。

そもそも、たまきのように学校に行きたくない方が少数派なのだろう、きっと。志保は頭もよく、友達も多い、学校でうまくやっていけるタイプだったはずだ。そんな志保がたまきみたいな死にたがりや亜美みたいなヤンキーギャルと一緒にいること自体が、場違いなのかもしれない。

「志保さんは、がっこ……」

たまきがそう言いかけた時、亜美がわざとらしく大きな声で言った。

「しょうがねぇじゃん。もう、こっち来ちゃったんだから」

そう言って亜美はにやりと笑うと、志保の肩に手をポンと置いた。

志保は少し自嘲気味に笑った。

「時々さ、思うんだ。クスリさえ使わなければ、今頃、フツーに学校通ってたのかなぁって」

声は少し震えている。志保は、笑顔を作り直した。

「でも、今ここで二人といることは、後悔してないよ。だから、クスリに手を出したことも、後悔してない」

志保は二、三歩歩いて、亜美とたまき、二人とも視界に入る位置に動いた。

金髪のポニーテールの少女は、どこか安心したかのように笑っている。

黒いニット帽とメガネの小柄な少女は、不思議そうに志保を見ている。

「こんなこと言うとさ、舞先生には怒られそうだけどさ、クスリを使ったことは後悔していない。もちろん、反省はしてるし、二度とやらないって決めてる。でも、後悔はしてない。だってさ……、こうならなかったら、二人に会えなかったんだよ?」

そこで志保は一呼吸おいて、言葉をつづけた。

「しょうがないじゃん。出会っちゃったんだから」

そういうと志保は、駅の方に向かって歩き出した。

「夕飯、どうする?」

「駅前にあっさり系のうまいラーメン屋知ってるぜ。こんどはうちが案内するよ」

「たまきちゃん。ラーメン屋でいい?」

「あ……、大丈夫です」

「メシにはちょっとはえぇな。駅ビル見てこうぜ」

「あ、あたし、コスメ見たい!」

駅の方に向かって三人は歩いていく。二人の背中を追いかけながら、たまきはふと、ハチ公を思い出していた。

もしもあの時、亜美も志保も待ち合わせ場所に来なかったら、それでもたまきは待ち続けていただろうか。

きっと、それでもたまきは待ち続けていたんだろう。

しょうがない。出会ってしまったんだから。

つづく


次回 第16話「公衆電話、ところによりギター」

亜美に「外に出て遊んできなさい!」と言われて、仕方なく公園に向かうたまき。仙人に、どこへ行ってもなじめないと相談する。

その裏で、ある準備が進められていた……。

続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

ピースボートのボランティアで出会った、心の温かい日本人たち

ピースボートの真骨頂と言えば国際交流、様々な国籍の人と出会えることだ。一方で、船に乗る前のポスター貼りのボランティアでは、日本のいろんな町を巡り、いろんな人と出会う。そこで今回は、僕がボランティアを通して出会った心温まる日本人の皆さんのエピソードを紹介しよう。


ピースボートのボランティアについてはこちら。

ピースボートのボランティアスタッフになったらこんな毎日だった

ピースボートは反日?

たまに「ピースボートは反日だ」という声を聞く。

アホ言え。

こちとら、日本(主に埼玉)にピースボートのポスターを3000枚貼っている。1店舗1枚というわけではないのだが、ざっと数えてもおそらく2000人以上の日本人の無償のご厚意で船に乗せてもらい、地球一周した身だ。

嫌いなわけなかろう。むしろ感謝しかないわ。

今回の記事はそんな2000人への感謝の意もある。

じゃあ、どういった日本人が嫌いなのかというと、

「反日」とか「親日」とかいったレッテルでしか人間を判断できない奴だ。日本人に限らず、僕はこういう輩が嫌いだ。こういった輩は大局を見ている風で、結局なにひとつ見えていない。

人間は反日とか親日とかそんな単純なレッテルで区別できるものではない。ポスターを3000枚貼って、その10倍近く頭下げて街を回ればさすがにそれくらいわかる。

だいたい、相手が自分のことを好きなら仲良くするとか、嫌いなら仲良くしないとか、そういう狭い了見が気に食わない。相手が自分のことをどう思っていようがそれで態度を変えるなんて子供のやることだし、相手の印象なんて後から変えられる。むしろ、「あの国は反日だから仲良くしない!」なんてやってたら反日感情に油を注ぐようなものだ。

そろそろ本題に入ろうか。

心温まる日本人 励ましてくれた人たち

ここからの話は全て埼玉県での話だ。プライバシー保護のために町の名前はぼかして書くことにする。

最初のエピソードは、かつて県内最大の風俗街として知られた街の話だ(もう、埼玉県民にはぼかした意味はないと思う)。

その日、僕は60枚のポスターをもってその町に降り立ったのだが、午後五時を過ぎた時点で17枚しか貼れていなかった(よくまあリアルに枚数を覚えてるなと、自分でも驚いている)。

ピースボートには住所別のポスターの枚数のデータがり、それをもとに枚数が晴れそうなエリアはもう行きつくしてしまった。あとは居酒屋など夜に営業するお店にかけるしかないが、そこで残り43枚が貼りきれるとは思えない。

僕は賭けに出た。データ上では1~2枚しか貼れないとされているエリアが、今いる場所から離れたところにある。そこにまだまだ未知の店があると信じていってみることにしたのだ。居酒屋はもっと夜遅くになっても行ける。しかし、普通の商店はもたもたしていたら閉店してしまうかもしれない。

大きな県道をとぼとぼと歩く。与えられたエリアの端っこ近くまで歩いたとき、一件の自転車屋にであった。

交渉してみるとガラス戸に貼っていいという。ガラス戸は中からも外からも見えるため、「両面貼り」と言って2枚のポスターを背中合わせにして貼る。一気に2枚稼げるのだ。

ポスターを貼らせてもらっていると、自転車屋の主人が「若いうちに世界を見てきた方がいい」と言ってくれた。なんだか、自分のやっていることを肯定してくれたみたいでうれしかった。

ここから駅に向かって戻っていく。同じ道を通ってもしょうがないので、住宅街を歩きながら、ふいに出てくるクリーニング屋とかに交渉していく。

駅から少し離れたところに居酒屋があった。おかみさんが一人で切り盛りしている。

貼らせてもらえることになったのだが、貼る場所が少々変わっていた。

2階へと続く階段の下、階段に合わせて天井がななめとなっている、そこに貼らせてもらうこととなったのだ。

重力の影響が強くて少々貼りづらいのだが、そこしかなかったのだろう。貼らせてもらえるだけでもありがたいし、結構目立つ。

貼り終わるとおかみさんがこんなことを言ってくれた。

「あんたたちのこと、応援してるんだからね」

ふたを開けてみれば、17時から21時までの4時間で23枚を貼り、40枚ジャストでその日は終えた。けれども、枚数以上に印象に残った日だった。

心温まる日本人 やさしい人が多い街

その翌日。その日は市街地から離れた古い街道沿いの町を訪れていた。

持って行った枚数は50枚。今日こそは全部貼りきるぞと意気込んでいたものの、県道を行って帰って17時を過ぎて20枚ちょっと。

昨日の町と違い駅前に居酒屋なんて全くなく、この先30枚近く貼れるとはちょっと思えない。

そんな夕暮れに出会ったのがある美容院。

そこの奥さんはあちこち海外旅行をしていたらしく、「大学生の孫にぜひピースボートに乗って、世界を見てきてほしいと思っている」という話をしてくれた。

さて、残り30枚どうしよう。

そこで僕はまたしてもデータを無視し、坂道を登ってみることにした。データ上では全部回っても10枚ほどしか貼れないはずだが、データにない店があるかもしれない。

坂道を登り始めると大きな通りになっていて、両側にお店は多い。案外イケちゃうかもと期待していると、店先に椅子を置いてお茶を飲みお菓子を食べている人たちが目に入った。

目が合った瞬間に店の主人が「あんちゃん、ちょっと休んでけ!」

とても驚いた。僕はたまたま取り掛かり、目が合っただけである。目が合った瞬間に「あんちゃん休んでけ!」と言われ、椅子に座らされ、お茶を振る舞われた。

たまたま通りかかった通行人にお茶を振る舞うような人が、この日本にいるのだ!

残念ながらその店は大家さんの許可がないとポスターは貼れない、ということだったが、代わりに桃味の飴玉を一個もらった。なんだか、ポスターを貼れた時よりもうれしかったような気がするし、今でも覚えている。

坂道を登ってとある商店に行き着いた。

実は、僕はこの店を見たことがある。以前、テレビの旅番組で出ていたのだ。

店のおばちゃんが、ロケでその町を訪れた芸能人にいろいろ親切に商品である食べ物を渡していた。

そして、この店のおばちゃんは芸能人だけでなく、「素性不明の『ポスターを貼らせてくれ』と頼む怪しい男」、すなわち僕にも優しかったのだ。

店の中と南側の壁に合わせて2枚気前良く貼らせてくれた。僕が調子乗って北側の壁にも貼らせてくれとお願いしたら、「兄ちゃん、それはちょっと調子が良すぎるよ」と笑いながら言われたので「ですよね~」と引き下がり、談笑をしていた。

楽しく談笑していたところ急に「兄ちゃん、北側の壁にも貼っていけ!」

さっきダメだって言ってたじゃん! しかも、僕からはそのご一言も「もう1枚貼らせてくれ」などと厚かましいことは言っていない。話が盛り上がったからなのか急にもう一枚貼らせてくれることになったのだ。

その後も、道路の反対側にあったとある店に入ろうとすると、道路の向こう側から大声で「兄ちゃん、その店はダメだ~! 隣の店に行け!」

理由はわからないが、おそらく店の主人が偏屈ですぐ怒るとかそう言った理由なのかもしれない。おばちゃんのおかげで地雷を踏むことを回避できた。

テレビに出てくる面白素人さんは、芸能人だからやさしく接しているのではない。誰にでもやさしいのだ。

別の町にもそういった人がいた。ごく普通の飲食店なのだが、マスターのキャラが面白く、とある番組では度々登場していた。僕が訪れると、何とピースボートの見学会に訪れたことがあるとかで、快く貼らせてくれた。僕が「テレビに出てる飲みましたよ」というと、うれしそうに顔をほころばせていた。

もう一度言う。テレビに出てくる面白素人さんは、芸能人だからやさしく接しているのではない。誰にでもやさしいのだ。

さて、さっきの町に話を戻すが、ある美容室をとずれると(さっきの美容室とは別)、なんとその人もピースボートの過去乗船者で、ポスター貼り経験者だった。

「ポスター貼り大変だよねぇ」といい、「何枚でも貼っていっていいよ」と言ってくれたので、すでに4枚貼っていあるところをもう1枚増やして5枚にさせてもらった。ポスター貼りを経験すると人は優しくなれる。僕も町で配っているティッシュはなるべくもらうようにしている。

その日は21時まで粘って、50枚すべてを貼り終えた。坂の上の街道沿いに意外と店が多かったのだ。貼りきれたという感動と、優しい人にたくさん出会ったという感動が相まって、この日のことはとても印象に残っている。

心温まる日本人 夏の暑い日

ごくたまにではあるが、食べ物や飲み物をごちそうになることがある。

特に夏の暑い日、「熱いでしょう」と飲み物のペットボトルや、キンキンに冷えたコーラを振る舞ってもらったことが何回かあった。

飲み物そのものよりも、その心配りがうれしかった。

やさしいのは日本人だけじゃないぞ

とまあここまで心温まる日本人の話をしてきたが、優しいのは日本人だけではない。

僕の経験上、韓国料理屋とインド料理屋は、ポスターを貼らせてくれる確率が結構高い。次点で中華料理屋。

結局のところ、国籍関係なく、人間はやさしいのだ。

サンカ備忘録

ここ最近、日本のいわゆる「常民」の外にいた人たちに関心があり、特に「サンカ」にまつわる本をいろいろと読んだ。しかし、ネット上にはまだまだ、虚実織り交ぜのサンカ像が書かれている。そこで、今回は自分の備忘録も兼ねて、サンカに関して「確実に言えること」を残しておこうと思う。

サンカとは何ぞや

サンカとは何か。それを今から書こうというわけだが、まずざっくりと書くとこうなる。

日本人は一つのところに住んでいる人が大多数だ。お金がなくてホームレスになる人もいれば、お金がありすぎて別荘を持つ人もいるが、基本は一つの家に住んでいる。「定住」というやつだ。

一方で、一つのところに定住せず、あちこち移動する「漂泊の民」と呼ばれる人がいる。有名なのがモンゴルの遊牧民だろう。ヨーロッパだとジプシー、アラブだとベドウィンと、漂泊の民は世界中にいる。

そして、日本にもいた。それが「サンカ」である。

「山窩」という字を当てられることもあるが、埼玉県中部のような一体どこに山があるのだろうと思われるところにも彼らはいた。

サンカの語源は諸説あるが、僕は「さかのもの」が変化して「さかんもん」、さらには「さんかもん」へと転じていったという説が一番有力かな、と思う。平地に住む者に対して「坂に住むもの」という意味だと考えれば、すごく自然だと思う。

ちなみにサンカは「ミナオシ」や「テンバ」、「ポン」とも呼ばれるらしい。

サンカと三角寛

サンカに関しての研究は小説家の三角寛の研究が一番詳しいとされてきた。割と最近までは。

しかし、彼の研究は複数の研究者から「ほぼすべてが捏造」だと批判されている。ためしに、ウィキペディアの「サンカ」のページの三角にまつわる項目を見てみると、

サンカに関する一般的な知識は、三角寛の創作によるところが大きい。

そのほとんどが三角による完全な創作と言うべきものだったことが、現在では確定している。

さらにウィキペディアの「三角寛」のページを見ても

三角による山窩(サンカ)に関する研究は、現在でも多くの研究者が資料とするところだが、実は彼の創作である部分がほとんどであり、小説家としての評価は別として、学問的価値は低い。これはその後、多くの研究者により虚偽であることが証明された。よって、三角によるサンカ資料は、三角自身による創作小説と見るのが適当である。

とまあ、「ほぼすべてが捏造」と書かれている。三角の親族ですらそれを認めるほどだ。

厄介なのが、サンカについて調べれば、必ず三角の捏造にぶち当たらざるを得ない、ということだ。

ネット上を調べても、三角の著作が捏造だということを知らないのか、それとも三角は捏造をしていないと信じているのか、三角の提唱するサンカ観を疑いなく乗っけているページがある。ネイ○ーとか。せめて「彼の研究には批判の声も多い」ぐらい書いておいてほしいものだ。

これまでのサンカのイメージ

というわけで、まずは三角の捏造が明らかになる以前のサンカのイメージについて簡単に記しておこうと思う。もしあなたが抱いているサンカのイメージがこれと合致していたら、ちょっと調べ直した方がいい。

・全国規模の組織を持ち、日本中のサンカを傘下に収める大親分が存在する。

・独自の掟を持ち、逆らったものには処刑をも辞さない

・独自の隠語があり、さらに「サンカ文字」という独自の文字を持つ

・犯罪者集団である。

これらは、現在では「三角による創作の可能性が限りなく高すぎて泣きたいレベル」と言われている。要は、捏造されたイメージだとして扱われている。

最後の「犯罪集団」というのは三角の創作ではなく、戦前の警察機構がサンカに抱いていたイメージだと言われている。

確かに、定住者の世界で犯罪を犯して追われたものがサンカに受け入れられるということはあったと思われる。

ただ、「サンカが犯罪性の高い集団」と断定することはできないだろう。僕は、サンカと定住者の数少ない接点の一つが泥棒や博打などの犯罪行為だったために、そういったイメージがついただけではないかと思う。

以下、三角の研究(捏造?)によらず、他の研究者の研究をもとに、ほぼ確実に事実だと言えるサンカの実態について書いていく。

サンカとは何者か

サンカには大きく2パターンがある。

親の代からサンカだったものと、定住の世界からサンカへと移ったもの。

そう、親がサンカではなく、一般的な定住家庭に育った者でも、サンカに参加できたのだ。

彼らはいわゆる被差別民である。サンカの研究がなかなか難しいのは、彼ら自身がサンカであること、サンカの子孫であることを隠すためである。フィールドワークを行うには、話者との信頼関係が不可欠である。

サンカの家

サンカの家は「セブリ」と呼ばれる布製のテントのようなものだったり、「ワラホウデン」と呼ばれる掘立小屋だったりする。

どうも集団で住んでいたらしい。大阪の天王寺にはサンカと思われる集団がいたと言われているし、そのほかにもサンカのテント集落は存在していた。

サンカの行動範囲

漂泊の民、というと全国を転々としていたようにイメージするかもしれない。

しかし、さすがにそこまで行動範囲は広くないようだ。

おそらく、今の行政区分で言う市町村をいくつか周回する程度だったのではないかと思われる。

というのも、彼らにはそれぞれ仕事のお得意様がいて、そのお得意様のいるところを回って生計を立てていたらしいからである。見知らぬ土地に行くことはあまりなかったのではないだろうか。

行動範囲が全国規模でない以上、全国規模の組織があったとか、全国規模の親分がいたという三角の主張はちょっと考えづらい。

サンカの生業

では、サンカはどのような仕事をしていたのだろうか。

サンカが「ミナオシ」とも呼ばれているように、その多くは蓑や竹細工、箒などを作っていた。「ミナオシ」とは「蓑直し」の意味で、新しく蓑や竹細工を作って売るほかにも、古くなった道具を修理して生計を立てていた。

この技術というのは一朝一夕にできるものではない。定住者が蓑が壊れたからと自分で修理するのは難しい。また、定住者もサンカになれるとは書いたが、ミナオシの技術は元からサンカであるものとあとからサンカになるものではかなり差があったらしい。

こういった工芸のほかには、川で漁をするサンカもいる。また、芸を覚えて見せる者もいる。

さらに、サンカを「乞食」と呼ぶ地域があったことを考えると、いわゆる乞食のようなこともしていたのだろう。

サンカのまとめ

現在、サンカについて断定できることは次の通りだ。

・村には定住せず、移動生活を行っていた。

・いわゆる技術職であるものが多い。川での漁や、芸で生計を立てる者もいる。

・被差別民であった。

現段階で僕に断定できるのはこのくらいである。僕自身もまだまだ勉強中であり、この記事は僕の備忘録の意味合いもある。もし、「これは違うよ」というのがあったら修正したいので遠慮なくいってほしい。

僕の専門は集落や野仏である。そのため、サンカについて本格的に研究するつもりは今のところないが、日本の集落の成り立ちを研究するためにはサンカの存在は考慮しなければいけないだろう。これからもサンカに関する勉強は続けていきたいと思うし、可能ならばサンカの研究に参加していきたいと思う。

参考文献

礫川全次『サンカと説教強盗 闇と漂泊の民俗史』 批評社、1992年

筒井功『サンカの真実 三角寛の虚構』文春新書、2006年

筒井功『日本のアジールを探して -漂泊民の場所-』河出書房新社、2016年

ピースボートのポスター貼り3000枚達成した俺がコツを伝授しよう

ピースボートのポスターは、約3000枚貼れば100万円割引される。僕はポスターを約3000枚貼った結果、ピースボートの船代が全額割引となった(もともとの船代は99万円)。船代に関しては1円もピースボートに払っていない。そんな僕が、今回、ポスター貼りのコツを伝授しようと思う。


ピースボートのポスター貼りにはいろんなタイプがいる

僕がポスター貼りをしていたのは約8か月ほど。僕が所属していたのは今はなき「ボランティアセンターおおみや」という、マンションの一室を借りて運営していた、ピースボートの事務所の中でもひときわ小さなところだった。

そこにはいつも通ってくるメンバーが何人かいて(本当に、「何人か」という規模だ)、家族よりも長い時間を共に過ごす。一緒にポスター貼りに行ったことも何回もあるし、ポスター貼りが終わって事務所でのんべんだらりとしたり、週に一度連絡会を行ったりして、他の人がどういうポスター貼りをしているのかもなんとなく聞いていた。

すると、あることに気づく。

人によってポスター貼りのスタイルが違う。

もっとわかりやすく言えば、人によって得意不得意がある、ということだ。

例えば、抜群のコミュニケーション力を武器に交渉を進める人がいる。

一方で、とにかく長距離を歩き、店の数を稼ぐ人もいる。

短期間で信じられない枚数を貼る人もいる。

一方で、枚数よりも、貼らせてもらったお店の人から直接「ピースボートの資料欲しいんだけど」と声をかけてもらうことが得意な人もいる。

また、人によって「この店が得意」とか「こういう時間帯が得意」という人もいる。

人によってポスター貼りのスタイルは千差万別である。

つまり、「ポスター貼りのコツ」というのも、聞く人によって変わってくる、ということだ。

これから話すのはあくまでも「僕が使っていたコツ」である。これを読んだあなたが僕のやり方を試してみたところで、必ずうまくいく、なんて保証は残念ながらできない。ポスター貼りのスタイルが違えば、うまくいかない可能性もある。

それでも、なるべくどんなタイプの人でも通用するであろうやり方を書くつもりだ。

ポスター貼りのコツ① とにかく、多くの店に入る

これは僕の意見、というよりも、一般論に近い。とにかく多くの店に入ること。店の前で「どうしようかな……」と躊躇するくらいだったら、入ってしまえとさんざん言われた。

とはいえ、何でもかんでも入ればいい、というわけではない。例えば、飲食店だったらランチタイムは避け、もっと好いている時間に行く。明らかに今忙しそうにしている店も後回しだ。「いま忙しいんだよ!」と怒られたら元も子もない。

それでも、店に入るのはいつだって勇気がいる。

一番勇気がいるのは多分、「その日最初の店」だと思う。こっちのスイッチがまだ入りきっていないときに店に入る、というのは一番勇気がいる。

逆に言うと、こっちのスイッチが入ってれば、トライしやすくなる。

とにかく、大事なのは「リズム」なのかもしれない。断られても「次だ次!」と前向きに問えらえられるようになれば、リズムよくいろんな店にトライできる。アドレナリンが関係しているのかもしれない。

ポスター貼りのコツ②交渉編 相手の顔を、目線を見て判断する

一般論から言うと、ダメもとで交渉をするべきである。相手が「ウチはちょっと……」と断ろうとしても、「そこを何とか」と食い下がることが大切だ。その結果、交渉に成功した例もいくつかある。

とはいえ、これはコミュニケーション力がある人が成功しやすい、と僕は思う。

しつこく食い下がるとかえってクレームに発展しやすいし、食い下がった結果ダメだったら、時間の無駄になってしまう。

これは「そこを何とか」と言って、嫌われることなく話を勧められるスキルがあってこそ、ともいえる。

僕はそんなスキルないので、あまり食い下がらなかった。

正確に言うと、「食い下がっていい時」と「食い下がっても無駄な時」を見極めていた。

まず、あいさつのときは相手の不信感を一気に取り除くことを心掛けた。

「すいませ~ん、私、NGOピースボートでポスター貼りのボランティアをしているものでして……」

最初に、自分は客ではなく、こういう身分のものだと一気に説明する。お店側の「こいつは何者だ?」という不安を取り除くことが大切だ。

そして交渉に入る。

「こちらのお店のポスター貼らせてもらうことはできないかなぁと思ってきたんですけど……」

僕はここでいったん、話を区切る。この後、「貼らせてもらえませんでしょうか?」的なセリフが続くわけだが、とりあえずいったんここで話を止める。

話しを止めて相手の顔を見る。

慣れているお店なら、この時点でOKをくれる。

そして、「絶対ダメ」な場合は、難色を示す。

難色を示すというのはどういう状態かというと、「そういう顔をしている」ということだ。だいたい、苦笑している。

コミュニケーション力がある人はここで食い下がれるのだろうが、僕は食い下がらなかった。一件に食い下がるよりも、より多くの店に行くために時間を使いたいので、「ダメですか?」と聞き、「ダメです」と言われたら、「あ~、すいません。お邪魔しましたぁ」と引き下がる。

一方で、次のような反応が見られた場合、僕は食い下がる。

それは、「店内をきょろきょろと見渡す」。

これは「どこか貼らせてあげられる場所はないかな~?」と探してくれているのだ。

その結果、「ごめんね。スペースがなくて……」と断られても、これは「最初からダメ! 何が何でもダメ!」のダメではなく、「貼らせてあげたいけど、スペースがない」のダメである。

ここで食い下がる。

「あ、ほんとに、こういうちょっとしか見えない端っことか、トイレとかバックヤードでも全然かまわないので……」

そう言うと、「何だ、そんなところでいいのか」と言って貼らせてくれるケースは結構ある。

ポスター貼りのコツ③技術編 Pカットテープの貼り方

ポスターを貼る道具は次の三つが一般的だ。

①両面テープ

②画鋲

③Pカットテープ

基本は両面テープだ。ガラスなどにつけやすく、剥がしやすい。

両面テープがくっつきそうにない壁には、画鋲で刺して止める。

厄介なのがPカットテープだ。

これは「つるつるした壁には貼ってはいけない」というルールがある。ガラスのようにつるつるしたものに貼りつけると、剥がすときに跡がついて、クレームになってしまうらしい。

Pカットテープをどういうときに使うのかというと、両面テープや画鋲では貼ることができず、なおかつつるつるしていないもの。すなわち、ブロック塀やコンクリートの壁など、ざらざらした壁やでこぼこした壁だ。まかり間違ってもガラス窓焼きの壁に貼ってはいけないし、コンクリートでもつるつるしているのなら両面テープで張っていいと思う。

あくまでも「ざらざら、でこぼこした壁」に貼るのだ。

そして、そういった壁は、Pカットテープといえども簡単には貼りつかない。

こういう時は、親指をテープにぐりぐりと押し付ける。

テープと壁の間の空気をすべて抜き、テープを壁に密着させ、スキマなく貼りつける。そんなイメージでぐりぐりと押し付ける。指圧のイメージに近いかもしれない。

実際、このやり方で、お店の人から「貼ってもいいけど、つかないと思うよ」と言われた壁に見事貼りつけ、「大したもんだ」と褒められたことがある。また、「いつも貼ってもらうんだけれど、壁がざらざらしてて3日も持たない」と言われた壁に僕が貼った結果、1年以上にわたり残ったということもある。

「どんなにざらざら、でこぼこした壁にもポスターを貼りつけられる」というのは、僕が唯一自慢できるポスター貼りの技術だ。

ポスター貼りのコツ④ 3つの強さ

徳にポスター貼り終盤の話なのだが、僕は『3つの強さ』を意識してやっていた。

その「3つの強さ」とは

①打たれ強さ

②粘り強さ

③勝負強さ

である。

打たれ強さとは、断られてもすぐ次の店に飛び込む、という打たれ強さだ。

ポスター貼りとは、まず断られる方が普通だ。

何度も何度も断られるとと心が折れてくる。ポスター貼りをやっていたら、「心が折れる」というのはよく聞く言葉だ。

しかし、夜が更けてくると「帰りの時間」というのも意識しなければならない。それは、自分自身の帰りの時間ももちろんだし、事務所で待ってくれているスタッフの帰りの時間も考慮しなければいけない。

つまり、夜が深くなるほどに、断られて「はぁ……」とため息をついている時間はなくなるのだ。「次だ次!」と切り替えて別の店に行き、なるべく早く全ての店を回ることが大切だ。「どうして断られるんだろ……」という反省会は帰りの電車ですればいい。

次に粘り強さだが、これは「一つの店に粘ること」ではない。さっきも書いたように、僕は相手の顔色を見て、粘れるときに粘るタイプだ。

そうではなく、「その町に店がある限り、アタックする」という粘りだ。

丸一日歩き続けていると足が痛くなり、体力がなくなる。

そんな状況で遠くの方に赤ちょうちんが見える。居酒屋はポスターが貼れる可能性が高い。

「粘り強さ」とは、ここで「なんか遠くに飲み屋が見えるけど、あそこまで行くの面倒くさいな……」と思っても、足を伸ばす、つまり、その町で体力の限りどこまで粘れるか、ということだ。

「こんなもんでいいか」と思わずに、時間の許す限りその町で粘る。それが「粘り強さ」である。

そして最後に勝負強さ。それは、ここぞという時に結果を出す、ということだ。

それは思うようにいかなかった日の翌日とか、「このエリアでこの枚数いかなかったらまずいよ」と言われたときとか、ポスター貼りの残り日数が減ってきて、「今日、50枚貼れなかったら、あとが厳しい」なんていう状況で結果を出す、ということである。

これはどちらかというと精神論に近いのかもしれない。大事なのは、「自分はここぞという時に結果を出せる」と信じることだ。もちろん、実際にそういう経験があって、それを思い出せれば、より強く信じられる。

かなりストイックな話をしたかもしれないが、この『3つの強さ』は、僕が出航1か月前、毎日自己ベストに近い枚数を貼りつづけなければいけない状況に追い込まれたときに考えたことだ。日ごろからこんなこと考えてやっていたわけではない。しかし、追い込まれたときは、「3つの強さ」を思い出してほしい。

ポスター貼りにおいて一番重要なこと

ポスター貼りにおいて一番重要なこと、それは、「あきらめても足を止めないこと」。

用意した枚数の半分も貼れず、「今日はもうだめだ」と思うことはポスター貼りをやっている間、何度も訪れる。

一方で、そう思いながらも店を探して歩き続けたら、結構貼れた、ということも何回かある。

心は諦めてしまっても構わない。それでも足を止めることなく、店を回り続けることが大切だ。

むしろ、とっとと諦めろ、と僕は言いたい。

「絶対あきらめない!」と踏み出した一歩と、「たぶん、もう無理だ」と諦めて踏み出した一歩、どっちも一歩だ。歩幅は大して変わりやしない。「前に向かって歩いている」ということが大切なのであって、どんな気持ちなのかはさほど大した問題ではない。

むしろ、「絶対に諦めない!」と意気込んで歩く方が、体力を使う。疲れる。結果、足が止まる。だったら「どうせ無理だ」と諦めて、なおかつ足を動かした方が気が楽だし、体も楽だ。結果、長時間・長距離を歩ける。

今回書いたのは、あくまでも僕のやり方だ。最初に書いた通り、一人ひとりスタイルが違う。僕の話は参考程度にとどめておいてあまりこだわらずに、どんどんポスター貼りを経験して、自分のスタイルを見つけることが大切だ。

宇宙民俗学の幕開け ~民俗学は宇宙を舞台としうるか~

宇宙。それは人類に残された最後の秘境。あらゆる科学の分野が宇宙開発や宇宙の研究に通じている。あらゆる科学が、宇宙をフィールドとしうるならば、日本民俗学も宇宙に飛び出してもいいのではないだろうか。ここに、宇宙民俗学の幕開けを宣言しよう。果たして、日本民俗学は宇宙をフィールドとしうるのか。

民俗学が宇宙を舞台にする

そもそも、民俗学とはどういった学問だろうか。

日本民俗学の父、柳田國男によれば、農村をフィールドとして調査をし、文字に残らなかった常民の歴史を明らかにすることである。今日ではこの「常民」の定義も議論の余地があるが、要は、農村や漁村に行って、ごく普通の人々の歴史や文化を調べる学問である。

ということは、民俗学が宇宙をフィールドにするということは、宇宙に行って、ごく普通の宇宙人の歴史や文化を調べるということであろうか。

無理だ!

そこで、視点を変えよう。

日本に住むごく普通の人々は、宇宙をどのようにとらえているのか。どのような宇宙観を持っているのか。

今より科学が未発達な時代、人々は宇宙に対してどのようなイメージを抱いていたのか。

これを明らかにする、それが宇宙民俗学である。そう考えたら、宇宙民俗学もできそうではないか。

例えば、宇宙を「他界」と考えてみたら、その研究は民俗学の領域ではないだろうか。

最後の他界、宇宙

他界、というと現在では死んでしまうことを意味するが、民俗学における「他界」とは、文字通り他の世界、つまり、別世界を意味する。

と言っても、異次元とか異世界転生とかそういった「他界」ではない。

今よりも交通の便がずっと悪く、インターネットなんてない時代、一人の人間が把握できる世界というのはとてもとても狭かった。その外はもう「別の世界」なのだ。

民俗学では、具体的に次の4つの他界がある。

天上他界……空の上に違う世界がある、という考え方だ。空まで行かなくても、木の上という考え方がもある。「天女の羽衣」なんて話がまさにそれだ。現代風に言えば、「天空の城ラピュタ」である。

海上他界……海の向こうには別世界が広がっている、という考え方だ。「常世の国」とか「ニライカナイ」などと呼ばれている。かの有名な竜宮城や鬼が島も海上他界の一種だ。

地下世界……地面の下には別の世界がある、という考え方だ。地底人である。「おむすびころりん」などが地下世界の代表例だろう。

山上世界……山の上、さらに言えば山の向こうには異世界があるという考え方だ。例えば、「遠野物語」を読むと山にまつわる怪異の話はとても多い。

さらに、国家レベルで考えても、国境の向こう側は別世界だった。「別の国」ではない、「別世界」だ。鬼が跋扈するバケモノの世界と考えられていた。

例えば、かつての平安京の貴族たちにとって、遠く東北の地やその先の北海道などは、鬼の住むところと恐れられていた。

もちろん、現代の世で「東北や北海道は人の住むところではない!」などと言ったら、訴えられてもおかしくない。交通が発達し、情報が発達し、「あそこに住むのは、鬼ではなく人である」とわかったからである。

科学の発達でどんどん他界はなくなっていった。空を飛べるようになったが、天女はいなかった。海の向こうにはいろんな国があったが、ニライカナイはなかった。

人類の活動領域が増えるにつれ、どんどん「他界」はなくなっていった。人間が夢を見ていい場所はどんどん奪われていった。

しかし、科学は人類に新たな、そしてとても広大な他界の存在を教えてくれた。それこそが宇宙である。

日本人と宇宙

人類が宇宙に行けるようになったのは、歴史上ごく最近のことだ。

しかし、宇宙に行けなくても、ずっと人類は宇宙を見てきた。

88ある星座のほとんどはギリシャ神話に基づいたものだ。古代ギリシャの遊牧民たちが、夜空の星に神々の物語を重ねた。これは何もギリシャ人だけがやっていたわけではなく、どこの国にも星にまつわる神話はある。

さて、日本人は宇宙をどのようにとらえていたのだろうか。

一番大切な星はやっぱり太陽だろう。日本国旗「日の丸」も名前の通り太陽をデザインした旗だ。また、天皇家も太陽の神である天照大神の子孫だと言われている。

農業国である太陽は日本人にとって、生活とは切り離せないものだった。

一方、月も大事な星だ。日本は幕末まで太陰暦、月の満ち欠けを暦に使っていた。そのため、月の欠け具合30パターン全てにちゃんと名前がある。

もちろん、ちゃんと月の神様もいる。ツクヨミノミコトである。セーラームーンではない。

月を舞台にした有名な物語と言えば、やはりかぐや姫だろう。正確には舞台はどこかの竹林で、月はヒロインの出身地なのだが、それは逆に「月に誰か住んでいるのかも」と日本人は昔から考えていたことを意味する。ウサギは月に住む霊獣だと考えられていた。

一方で、宇宙のあらゆる現象は「凶事の前触れ」とか「天帝がいまの政治に怒っている」という風にとらえられていた。これは中国の思想の影響もある。そのため、陰陽寮という役所には天文博士という役職があり、毎晩夜空を観測しては、その夜空が何を意味するのかを占っていた。この天文博士の代表格が、ファンタジーでおなじみの安倍晴明である。

人類が宇宙に行くようになったのはごく最近だ。しかし、人はずっと昔から、宇宙を見てきたのだ。

他界としての宇宙

さて、科学の発展で「他界」はどんどん失われてきた。その一方、科学は宇宙という新たな他界を生み出した。

宇宙には、この地球と同じような星がいくつもある。地球のように水と空気と気温に恵まれた星はまだ見つかっていないが、星という大地が宇宙に無数にあることはわかっている。

かつて、海の向こうにニライカナイや竜宮城を夢見たように、「宇宙の向こうにも、別の世界、未知の文明があるのではないか」と考えるようになった。

そして、「怪異」も宇宙を由来とするようになった。

「山で妖怪にあった!」なんて話はその数を減らし、そのかわり「UFOを見た!」とか「宇宙人にさらわれた!」なんて話を聞くようになった。昔だったら人をさらうのは山から来た天狗と決まっていたが、今では宇宙人によるアブダクションだ。

日本のいたるところにかっぱのミイラがある。しかし、いまどきかっぱのミイラを見つけても流行らない。今のはやりは宇宙人やUFOの写真である。

宇宙という新たな他界は、今やオカルト界の一番人気だ。

例えば、何年か前、イギリスが「英国政府は宇宙人を確認していない」と正式発表した。するととあるオカルト評論家がこんなコメントを出した。

「この発表の何が恐ろしいかというと、宇宙人がいないというのなら、今まで我々が宇宙人の写真だと思ってきた、あそこに映っていた奴らは宇宙人でないとしたらいったい何なのでしょうか」

なるほど。今まで宇宙人だと思ってきたものが実は宇宙人ではなかった、そう言われるとなんだかぞっとする。だが、同時に僕はこうも思った。

「……宇宙人でなければ妖怪じゃないの?」

そう、今我々が「宇宙人」だと思っているものを昔の人に見せたら、おそらく「妖怪」というはずだ。思えば、よくオカルト番組に出てくる「宇宙人の写真」も、別に本人が「ワレワレハウチュウジンダ」と名乗ったわけではない。写真を見せる側が「これは宇宙人の写真です!」「宇宙人を捕まえました!」と言っているにすぎない。

今まで「妖怪」だと思われていたものが、「宇宙」という他界の存在を知ったために、単に「宇宙人」と呼ばれるようになっただけではないのか。

さらにこんな話もある。とある雑誌でかっぱの特集をしていた。

その雑誌では「かっぱは妖怪ではなく、実は宇宙人だった!」という斬新な説を紹介していた。それを読んで僕はこう思った。

「……妖怪と宇宙人はどう違うんだろう? っていうか、どっちでもいいや」

そう、妖怪と宇宙人は本質的には一緒なのだ。「川底という他界からやってきて、妖術を操るかっぱ」と、「宇宙という他界からやってきて、超科学を操る宇宙人」は、実は本質的には一緒なのだ。

それまで「妖怪」と呼ばれてきたものが、「UFO」とか「宇宙人」と言いかえられているだけなのではないだろうか。だとしたら、民俗学がでしゃばる余地はある。

現代の他界 ~宇宙・デジタル・幻想郷~

繰り返しになるが、科学の発達でこれまで「他界」とされてきたものは急速に減っていった。

しかし、現代は他界のないつまらない世界なのかと聞かれればそうではない。

例えば、海底はまだまだ他界である。かつては海の底は竜宮城があると考えられていたが、今では海の底にはゴジラが棲んでいると考えられている。地球上で体長50mを越えるバケモノを隠せる場所と言ったら、もうそこしか残っていない、実際、海底はまだまだ未知の生物の多い場所だ。

そして、科学や情報の発達は、それまで存在していなかった新たな他界を生み出した。

例えば、デジタル世界がそうだろう。1978年のインベーダーゲーム、1983年のファミリーコンピューター発売。スーパーマリオやドラクエ、ポケモン、モンハンと様々なゲームを生み出してきた。

昔のゲームは白黒の上8ビットと画質は粗く、おまけに移動は縦と横しかなかった。僕が子供のころにはさすがにゲームもカラーになっていたが、まだまだ画質は粗かった。

だからこそ、96年の任天堂64と「スーパーマリオ64」の登場は衝撃的だった。立体的なマリオが立体の世界を冒険するという、今では当たり前となった光景がCMで流されたとき、当時小学生だった僕はぽかんと口を開けてみていた。あの衝撃は今でも忘れない。「ゲームの向こうに世界がある」、本気でそう思ったものだ。

時は流れ、ライトノベルや深夜アニメなんかを見ると、「ゲームの世界」を舞台にした作品は多い。ソードアート・オンラインやアクセル・ワールド、あ、どっちも川原礫だ。他にも「現実世界の人間がゲームの世界を冒険する」という話は多い。

一方で、ゲームをモチーフとした「仮面ライダーエグゼイド」は、ゲームの中から出てきたウイルスと戦う話だ。こちらはゲームの世界が現実の世界を侵食していく。

他にも「リング」や「着信アリ」など、デジタルの他界をモチーフとした話は多い。

また、近年、ラノベで「異世界転生もの」がふえている。本屋のラノベのコーナーに行けば、右も左も「異世界に転生して、変な職業につくんだけれども、チートの強さを誇る話」だ。

どうしてみんな異世界転生ものばっかり書くのか。ラーメン激戦区にわざわざラーメン屋を出店するようなものではないか。

という「異世界転生もの」の是非は置いといて、ここでいう「異世界」とは、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーに出てくるような、中世ヨーロッパ的な世界観を土台にしいた、いわゆる「剣と魔法の世界」である。

日本人として生まれてしまった以上、中世ヨーロッパのような世界観で暮らすことはなかなか難しい。お金の問題、言語の問題、文化の問題、クリアすべき問題は実にたくさんある。

おまけに「魔法がある世界」に至っては完全に無理である。

しかし、ゲームの台頭により、そういった世界観は身近なものになった。かつて、人類が行くあてもない宇宙を眺めて憧れたように、今の子供たちは「剣と魔法の幻想郷」という「絶対に行けない世界」を画面越しに眺めて暮らしてきたのだ。

デジタル世界と剣と魔法の幻想郷、そして宇宙。この三つが、現代になって現れた「他界」と言えよう。

民俗学における他界の条件

こうやって見ていくと、「他界」として認識されるのは大きく二つの条件があることがわかる。

一つは「簡単にはいけないこと」。

山の向こうも海の向こうも、かつては簡単にはいけないところだった。そして現代、宇宙には簡単にはいけないし、ゲームの世界にも、剣と魔法の世界にも行けない。

他界には簡単にはいけない。しかし、他界は常に人間のそばに、見えるところになくてはいけない。これが二つ目の条件だ。

例えば、遠野物語にはニライカナイの話は登場しない、はず。遠野の人たちにとって、海の向こう以前にまず、海が身近ではなかったからだ。その代わり、山の不思議な話は山ほど出てくる。

デジタルの他界も、ゲームやパソコン、携帯電話が身近だから成立するのだろう。

「剣と魔法の世界」という、ヨーロッパの人からすれば今更感のある場所がいま、日本で高いとして注目されているもの、ゲームによってこれらの世界観が日本人の身近なものとなったからに他ならない。

そして、宇宙。僕らはまいにち宇宙を見ている。宇宙に行った人は数少ないが、宇宙を見た人ならたくさんいる。窓を開けて、月を見ればいい。一番近い宇宙だ。

一方、漠然とした「異世界」や「異次元」は他界とはなりえない。なぜなら、漠然と「異次元」と言われてもさっぱりイメージがつかないからだ。見えるところにあるからこそ、他界としてイメージしやすいのだ。

見えるところにあるけれども、簡単にはいけない場所。それが他界の条件だ。

だとすれば、「デジタル」と「幻想郷」は、近いうち他界ではなくなってしまうかもしれない。VRの登場でゲームの世界に入り込めるようにもなったし、ということは剣と魔法の世界にも行ける、ということだ。

しかし、宇宙は別格だ。

宇宙に行きたい人に宇宙のVRを見せたところで満足しないだろう。むしろ、本物の宇宙への欲求をさらに高めるだろう。

もちろん、宇宙に行くことは不可能ではない。実際に人類はもう宇宙に行っている。

ただし、宇宙に行ける人間は限られている。宇宙飛行士は選ばれた人のみの職業だし、民間の宇宙旅行もまだまだ億万長者のものだ。

よしんば、海外旅行の間隔で月に行ける時代が来たとして、宇宙は広い。広すぎる。宇宙全てをくまなく探検することは、不可能だ。

だから、宇宙は他界であり続ける。

 

いろいろと書いたが、そもそもの話は「民俗学は宇宙を舞台にできるか」である。

宇宙も竜宮城も「身近だけれど簡単にはいけない他界」という意味では本質的一緒だ。宇宙人といじめられているしゃべるカメも本質的には同じものだし、玉手箱と半重力発生装置も本質的には同じものである。

だとしたら、宇宙だって民俗学の領域である。

八つ墓村フィールドワーク ~横溝正史も知らなかった民俗誌~

八つ墓村。言わずと知れた、横溝正史の探偵小説の題名であり、その舞台である。その八つ墓村という村を民俗学的に見ていくことで、民俗学の面白さを描く一方で小説「八つ墓村」の世界観がさらに深まるのではないかという試みだ。横溝正史すら知らなかったであろう八つ墓村の真実を、民俗学によって紐解いていこう。


注意!ここから先は、小説「八つ墓村」の結末を知っていることを前提として書いていきます。ネタバレしたくない人はここで引き返してください。

八つ墓村民俗誌

八つ墓村の生業

もちろん「八つ墓村」は横溝正史のフィクションである。

その一方、「八つ墓村」という小説は、寺田辰弥という青年の原稿を横溝正史が入手して世に発表した、という設定になっている。その設定にならい、ここから先は横溝正史を作者ではなく、八つ墓村という村の報告者として扱っていく。また、寺田辰弥も主人公ではなく報告者として扱う。

八つ墓村は岡山県にあり、鳥取県との県境にある山村だ。横溝は1945年から3年間岡山県倉敷市に疎開していたので、もしかしたら八つ墓村の近辺も訪れているかもしれない。

農耕地は少なく、気候の影響で作物が育ちにくいらしい。その一方、古くからナラやカシ、クヌギといった木材を使った炭焼きを生業としてきた。横溝は

この地方の楢炭と言えば、関西地方でも有名である。

と報告している。関西では広範囲に流通しているらしい。

近年では牛を育てている。「千屋牛」と呼ばれる岡山県特有の牛を飼っていることから、八つ墓村は岡山県北西部にあるということが推察できる。横溝の報告に

近所の新見で牛市が立つ

とあることから、新見市の経済圏に属していると推察される。

横溝の報告には「博労」という言葉が多く出てくる。これは「馬喰」とも書き、「バクロウ」と読む。

宮本常一の「土佐源氏」には高知のバクロウが登場する。村から村へと移動し、質の悪い牛を口先三寸で高く売り飛ばすため、あまりいい印象は持たれていなかったらしい。

炭にしろ、牛にしろ、よその村や町と交流を持って初めて生業として成り立つ。八つ墓村は山村であるが、決して孤立した閉鎖的な村ではなかったと言える。寺田の報告では、

麻呂尾寺というのは隣村になるが村境にあって、地形から言うと、むしろ八つ墓村に縁が深く、檀家もこちらの方が多かった。

と書かれているので、近隣との交流も多かったのではないだろうか。

八つ墓村の伝承

横溝は、八つ墓村という村名の由来としてある伝承を記述している。

永禄9年(1566年)、雲州富田譲の尼子義久の家臣である若武者と、七人の近習が山を越えて落ち武者として八つ墓村に逃れてきた。

村人は八人の落ち武者を歓待し、彼らは村人になじんで半年ほど炭焼きをしながら暮らしてい。しかし、彼らの持ち込んだ3千両の財宝に目がくらみ、名主の多治見庄佐衛門を中心とした一団が落ち武者たちを襲撃し、落ち武者たちを殺してしまった。ところが、その後財宝は見つからなかった。

その後、村で不審死が相次ぎ、とうとう多治見庄佐衛門が発狂して、村人を次々と切り殺して自害した。

その時の死者の数は庄左衛門を含めて八人いたことから、これは落ち武者のたたりに違いない、落ち武者が八人のいけにえを求めているのだとおそれられ、村人は落ち武者の墓を作って丁重に供養し、八つ墓明神なる社を作って祀った。

それ以来、この村を「八つ墓村」という。

「八つ墓村」という名前の疑問

奇妙な伝承である。

寺田の報告から、落ち武者の甲冑と、大量の小判が実際に確認されている。八つ墓村に落ち武者が財宝とともに逃れてきたのは事実なのだろう。

ただ、この伝承が本当なら、この事件、つまり1567年頃までこの村には名前がなかったか、別の名前があたたけどわざわざ「八つ墓村」という忌まわしい名前に変えた、ということになる。

一般的に地名とはイメージの良いものに変わっていく。世田谷の「九品仏」という町は、なんとも古臭い町名を捨て、「自由が丘」というきれいな名前になった。

わざわざ「八つ墓村」なんて言う名前に変えるだろうか。しかも、この村にとっては忌まわしい歴史のシンボルである。

人から「デブ」と呼ばれたからと言って、いっそ名前を「デブ」に改名してしまうようなものだ。そんな人はデーブ大久保ぐらいだろう。

デブくらいならまだ笑って「俺、デブだもん」で済ませられるが、村の忌まわしき歴史を示す「八つ墓」をわざわざ村名にするだろうか。

寺田の報告によると、八つ墓村は丘を登り墓地を越え、川沿いに200~300m歩いた先にある。村のシンボルとするには、少々村から外れていないだろうか。

「八つ墓村」という村名の不自然さはこれだけではない。

横溝は「一種異様な名前」と評しているが、「墓」という字はあまり地名では使わない。

もちろん、「墓」という字を使う地名はいくつかある。

「墓」地名:その1

「墓」地名:その2

これが「墓」地名のすべてとは限らないが、これを見る限り、東北から東海地方、京都にかけて多い。一方、瀬戸内海の方ではあまり見られない。

そして、「墓」を意味する言葉は「墓」だけではない。「塚」という字もまた墓を意味している。

なぜ、「八つ塚村」ではいけなかったのだろうか。寺田も実際に見た落ち武者の墓を「八つの塚」と表現している。

結論から言うと、本当にこの村が16世紀から「八つ墓村」と名乗るようになったというのは疑わしい。落ち武者伝説の生まれる以前から「八つ墓村」と名乗っていたのではないだろうか。

「八つ墓村」ではなく「ヤツハカ」

村名を考えるとき、漢字に囚われてはいけない。

まず、「ヤツハカ」という地名が先にあり、「八つ墓」という漢字を後から当てはめたと考えるべきだ。

この「ヤツハカ」という地名ができたのはいつか。

伝承によれば、落ち武者は村人に歓待されたというから、落ち武者が来る前にはすでに人が住みついていて、炭焼きをしていたと考えられる。

そもそも、農作業がままならない村にわざわざ16世紀になってよそから移住して村ができたとは考えづらい。もっと前からこの地に住んでいたと考えるべきだ。

つまり、もっと前からこの地には人が住んでいた。当然、村の名前ももっと前からあったはずだ。

もともと別の名前があったのにわざわざ「八つ墓」という忌まわしき名前に変えたとは考えづらい。

すなわち、もともとこの地は「ヤツハカ」と名乗り、そう呼ばれていた。落ち武者の八つの墓ができる前から。

じゃあ「ヤツハカ」とはいったい何を指しているのだろう。

「ヤ」は「谷」かもしれないし、「屋」かもしれないし、「矢」かもしれない。もちろん、「八」かもしれない。「ツ」は「ヤ」と「ハカ」をつなぐ音であろう。

問題は「ハカ」である。

もちろん、本当に墓を意味する言葉なのかもしれない。落ち武者の墓よりももっと古い墓があったのかもしれない。

一方で、「ハカ」は「ハク」、すなわち「吐く」が転じたものとも考えられる。

「吐く」という言葉が使われる地名は意外と多い。川の合流地に当たり、水害で濁流があふれ出た場所などにつけられることがある。

こういう地名を「災害地名」という。過去にこういう災害があったから気をつけろと、地名を通して警鐘を鳴らしているわけだ。

そして、八つ墓村には、鍾乳洞がある。

鍾乳洞の中には「鬼火の淵」という水場がある。そもそも鍾乳洞とは地下水が流れて生み出されるものなのだから、水場があるのは当然と言える。

そして、鍾乳洞の水場というのは大雨の際に氾濫して、地上へと流れ出る。近年では、岩手を代表する鍾乳洞・龍泉洞が水害で決壊し、洞窟の入り口から濁流があふれ出た。

さて、八つ墓村の鍾乳洞は村内の「バンカチ」と呼ばれる場所まで続き、そこに出口がある。

水害の時はそこからドクドクと水があふれ出たのではないだろうか。それこそ、水を「吐きだす」ように。それが、ヤツハカの「ハカ」の意味するところなのではないだろうか。

やがてそれが村はずれにある八つの塚と奇妙に符合し、「八つ墓村」という字があてられたのではなかろうか。

八つ墓村落ち武者伝説は事実なのか?

八つ墓村には確かに落ち武者がいた。それは寺田の報告から明らかである。

しかし、「多治見家がその落ち武者を殺した」という伝承は果たして事実なのだろうか。

もし、本当に落ち武者殺しがあったのだとしたら、落ち武者の霊を鎮める祭りがあってしかるべきではなかろうか。だが、寺田も横溝もそういった祭については一切言及していない。

八つ墓村の落ち武者伝説は、全国各地にある「六部殺し」の伝承によく似てる。

「こんな晩」とも呼ばれているこの伝承は、次の通りだ。

ある家の旅の六部がやってくる。家のものは六部を泊めるが、六部の持っていたお金に目がくらみ、六部を殺してしまう。

そのお金で家は裕福になった。子供も生まれたが、子供はどういうわけかいくつになっても口がきけない。

さて、ある晩に子供がむずがるので小便化と父親が子供を連れて外に出た。すると、初めて子供が口をきくのだ。

「おれが殺されたのも、ちょうどこんな晩だったな」

そう言って振り返る子供の顔は、殺された六部そっくりだった……。

これは全国各地にある伝承だ。八つ墓村の伝承と比べると、六部と落ち武者の違いこそあれ、「大金を持っていたために殺されてしまう」「のちに怪奇現象を引き起こす」という点で共通している。

八つ墓村の落ち武者伝説は、この六部殺しが変形したものではないだろうか。

なぜ、六部殺しなどという奇妙な伝承が生まれたのかというと、ねたみが根底にあるという説がある。

村の中で急に裕福になった家が出てくる。すると「あの家は何か悪いことをしてもうけたに違いない」というウワサが出てくる。やがてそれが「旅の六部を殺して……」なんて話になっていくわけだ。

寺田の報告によると、落ち武者殺しの首謀者とされる多治見家は今でも莫大な資産を保有しているらしい。落ち武者伝説はそんな多治見家への妬みから生まれたのかもしれない。普通は「六部殺し」になるところを、たまたま八つ墓村には落ち武者が逃げ延びていたから「落ち武者殺し」になったのだ。

さて、本当に落ち武者殺しはあったのか。ここで一つ、寺田が気になる報告をしている。

多治見家は代々、落ち武者の甲冑をお社に入れてご神体として祀っていたというのだ。

たたりをなす落ち武者の遺品を事件の首謀者がいつまでも取っておくだろうか。八つ墓明神に収めて供養してもらうのが普通だと思う。それをわざわざ屋敷の中で祀っていたというのならば、それは多治見家にとってたたりをなすものではなく、福をもたらすものだったのではないだろうか。

僕の推論はこうだ。八つ墓村に確かに落ち武者は来た。ただ、人数が八人だったかどうかはわからない。もっと少なかったかもしれない。

そして、落ち武者は殺されたのではない。多治見の娘と結婚し、多治見家と同化したのではないだろうか。

そして、多治見家は落ち武者のもたらした財産を使って裕福なった(寺田によると、落ち武者の財産はいくらか持ち出された可能性があるらしい)。

つまり、多治見家にとっては落ち武者は富をもたらした「マレビト」であると同時に、先祖でもある。だから、その甲冑を屋敷の中で祀っていたのではないか。

落ち武者の財産は鍾乳洞の奥に隠されていて、そこへ行くには「鬼火の淵」を渡らなければいけないのだが、八つ墓村には鬼火の淵から先には行ってはいけないという伝承が根強く残っている。

この「鬼火の淵の先に行ってはいけない」という伝承は、財宝を守るために多治見家が流したものではないだろうか。

じゃあ、寺田が確認した八つ墓明神の八つの塚はいったい誰のものなのだろうか。

寺田は墓碑銘に関しては一切言及していない。そのため、八つの塚が一体誰のものなのかはわからない。

本当に落ち武者のものかもしれないし、違う誰かかもしれない。落ち武者のものとして、殺されたのか自然死したのかはわからない。僕は自然死した後、村に富をもたらした者たちということで特別なところに祀られ、社が建てられたと考えている。

八つ墓村の歴史

すなわち、八つ墓村の歴史とは次のようなものだ。

「ヤツハカ」と呼ばれる村に永禄9年に落ち武者たちが逃れてきた。彼らは村に同化し、とくに落ち武者たちのリーダーは多治見家の娘と結婚した。

多治見家は落ち武者の財宝を使って裕福になった。そして、落ち武者に感謝の意味を込めて立派な社を作って祀ったのだ。

やがて時がたち、急速に裕福になった多治見家にも「六部殺し」のような噂が立ち始める。ただし、実際に落ち武者が村に来ていたことから、多治見家の場合は「六部殺し」ではなく「落ち武者殺し」となって、一連の伝承が生まれたのだ。

八つ墓村フィールドワークを終えて

さて、最後に言わなければならないことがある。

「八つ墓村」は横溝正史によるフィクションであり、「八つ墓村」などという村は存在しない!

ただ、民俗学という観点で「八つ墓村」を捕えていくと、世界観が深まるよ、という話だ。

横溝正史は3年間岡山県にいたから、実際に自分で見聞きした岡山の山村のようすが八つ墓村に活かされているのかもしれない。バクロウにまつわる民俗や終戦後の山村の様子なども克明に描かれていて、八つ墓村を終戦直後の民俗誌としてとらえてみてもなかなか面白い。

小説 あしたてんきになぁれ 第14話「朝もや、ところにより嘘」

「わたしはふたりにこっちがわにきてほしかった!」

「東京大収穫祭」で号泣したたまきに優しく微笑む舞。翌朝、たまきはとある場所でミチと海乃に出会う。一方、喫茶店を訪れた志保にも思わぬ再会が……!

「あしなれ」第14話、スタート!


小説 あしたてんきになぁれ 第13話「降水確率25%」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


「かんぱ~い!」

グラスの触れ合う音が部屋に小さく響いた。

テーブルの上にはお菓子とアイス、フルーツが並んでいる。アイスとフルーツはクレープの売れ残りだ。

クレープは完売とはいかなかった。しかし、8割がたを売り上げ、今テーブルの上にのこっているのはわずかなアイスとフルーツだ。

場所は教会のすぐ近くにあるマンションの一室。志保が通う施設は、マンションの二部屋を借りて男女別のシェアハウスにしている。

「おつかれ」

トクラがグラスを志保の前に差し出し、志保はサイダーの入ったグラスでトクラとこつんとやる。口をつけると炭酸の泡が血管中にしみ込んでいくのがわかる。

お菓子をつまみながらワイワイとやりながら携帯電話に目を向けると、着信があったことに気付いた。

電話は主治医の京野舞からだった。

志保は席を立つと廊下に向かった。十月の初めのマンションの廊下は、室内とはいえ足元が少し寒い。フローリングならばなおさらだ。

リダイヤルを押すと電話を耳に当てる。すぐに舞が出た。

「お、打ち上げ中か? 悪いな。メールしようかと思ったんだけどさ、お前の番号だけでメアド知らなくてさ」

「どうしたんですか?」

志保は少し不安げに尋ねた。

「お前、今夜帰ってこないんだろ?」

「はい。出店の打ち上げです」

「今夜、たまき、うちで預かるから」

「あ、そうなんですか。よかった。亜美ちゃんも帰ってこないみたいだし、たまきちゃん、一人になっちゃうけど大丈夫かなって心配してたんです」

「ふうん」

舞の返事はどこか冷たく感じられた。

「で、あのキャバクラ、名前なんだっけ、『シロ』? あそこのカギ、いま、たまきが持ってるって」

「あ、はい、知ってます」

「つーわけだから、明日お前が帰ってきて、鍵開いてなかったら、あたしんとこに電話してくれ」

「はい」

志保の返事の後、舞はしばらく沈黙していたが、

「ま、打ち上げ、楽しみなよ」

と言って電話を切った。

 

写真はイメージです

チン!という音がして、舞はトースターの扉を開けた。鳥かごの檻のような台の上に置かれた二つの食パンには程よく焼き目が付き、チーズが掛布団のようにとろけている。

舞はそれを「あちち」と言いながらそれぞれお皿に載せると、黄色いスープの素が入った二つのマグカップにそれぞれお湯を注ぎ始めた。

「こっちでよかったのか? あたしがお前んとこ泊まりに行ってもよかったんだぞ」

舞はたまきにマグカップを渡しながらそう言ったが、たまきは静かに首を横に振った。

「……先生、お仕事とかありますよね。……そこまで迷惑かけられないです」

「……スープの素、下の方にたまってるからかき混ぜて飲めよ」

そういうと舞はピザトーストにかみついた。チーズがむにーと伸びる。

たまきは小さく「いただきます」というと、ピザトーストにかぷりと口をつけた。スープも飲もうとするが、ふうふうと息を吹きかけ続けるだけで、なかなか飲もうとしない。

本人は気づいてはいないが、舞から見ると泣きはらした目は真っ赤っかだった。

「少しは落ち着いたか?」

舞が優しく問いかけると、たまきはスープに息を吹きかけるのをやめ、こっくりとうなづいた。

「……ご迷惑かけました。ごめんなさい」

「……何で謝んだよ」

舞はビールの缶のプルタブに手をかけながら尋ねた。

「……結局、私のわがままなんです」

たまきはまだ熱いマグカップを手に、しょんぼりしたようにつぶやく。

「ふむ……伸びるな」

舞の口かっらびろ~んとチーズが伸びる。たまきも同じようにピザトーストを口にした。下味にガーリックペーストがまぶしてあって、香ばしい。たまきのチーズもびろんと伸びたが、舞のようにはうまくいかず、すぐ、ちぎれてしまった。

「……私のは、あんまり伸びないみたいです」

「いや、お前は伸びるぞ。あたしなんかよりずっと伸びる。強くなる」

舞は笑いながらそう言った。たまきは意味が分からず、舞の目を見つめる。

「何かあった時『自分のせいだ』って思える奴は、伸びるぞ。成長できる」

舞はそういうと缶をテーブルの上に置いた。

「ま、お前は自分のせいにしすぎだけどな。そこまで自分を責めると、かえってストレスだ。六割は自分のせい。四割は人のせい。それっくらいがちょうどいいんだ」

たまきはまっすぐ舞の目を見ていた。

「でも、やっぱり私はわがままです……」

「なんでそう思うかね?」

「自分が一人ぼっちだからって、亜美さんや志保さんにこっち側に来てほしいだなんて……」

「誰だってそんなもんさ」

そういうと、舞はスープに口をつけた。

「人間は誰しも、さみしさを抱えてるもんさ。それはな、絶対にぬぐえないんだ。ぬぐおうとか紛らわそうとかするんじゃない。『自分は孤独だ』って受け入れて生きていくしかないんだ」

舞は再びビールの缶に口をつけた。

「……孤独を、受け入れる」

「そうだ。人は誰でもいつか死ぬ。それと同じくらい、人は誰でもいつか孤独を感じる。お前みたいに『私は一人ぼっちだ』って泣いている奴ほど、いざ本当に一人になった時に強いのかもしれんぞ。亜美とか志保とかミチとか、みんなでワイワイやってごまかしてる奴よりもずっとな」

「……みんな、さみしいのをごまかしているだけなんですか? 亜美さんも志保さんも、ミチ君も?」

舞の言っていることが今一つ信じられない。誰とでも友達になれる亜美や志保、カノジョが作れるミチが、たまきみたいに『一人ぼっちはさみしい』なんて言って泣いている姿が想像できない

「お前はさ、あたしが結婚してたから自分とは違うんだ、みたいなこと言ってたけどさ、あたしだってさみしさを感じる時ぐらいあるぜ。いまは男いなくてフリーだしさ。仕事も取材とかもあるけど、一人でここで文章書いているときは、ああ、さみしいなって感じるよ。医者つづけてたら、体力的にはしんどいけど、同僚とか上司とか先輩とか患者とかいたんだろうになって考えると余計に」

舞はそういうと、少し身を乗り出した。

「それではここで問題です。あたしが三十何年の生涯の中で、一番さみしかったのはいつでしょうか?」

舞はにっと白い歯を見せた。

「……そんなの、わかんないです。だって、私は舞先生のその、三十何年のうちの何か月かしか知らないし……」

「まあまあ、あたしについて、知ってる情報の中にもう答えはあるはずだから」

たまきは少し下を向いて考えた。

「……離婚したとき?」

たまきは我ながら失礼な回答だと思った。だが、そもそもクイズにしてきたのはむこうだ。

「おしい。それは第二位だな。離婚届出して、じゃあね元気でねって元旦那と別れて、一人になった駅のホーム。たしかにさみしかった。でも、それは第二位だな」

たまきは舞の言っていることに共感できなかった。別れ以前に出会いを経験していない。

「じゃあ、わかりません」

「正解は、結婚パーティの夜でした」

「え?」

たまきのメガネの奥の瞳が大きく見開かれた。

「あたし、結婚式はやってないんだよ。その代り、結婚パーティってのはやったの。本当に親しい友達だけ集めて、ちょっとしたパーティ会場、と言ってもそこまでデカいところじゃないけどさ、そこを貸し切ってパーティを開いたんだよ。パーティって言っても二十五人ぐらいの規模だけど。みんなに祝福されて、人生で一番幸せだったね」

全然さみしくなんかないじゃないか。たまきは少しむくれた。

「でさ、パーティが終わり、家に帰るじゃんか。でさ、旦那は同業者だったんだけどさ、その日は当直だったんよ。他の日にしたかったんだけどさ、二人の共通の知り合いっていうと医療業界のやつばっかでみんな忙しくてその日しかなくてさ。だから、あたしがシャンパンとか飲んでるよこで旦那はジンジャエールで我慢して、夜勤に行ったのよ」

いつになったらさみしくなるんだろう、とたまきはむくれたままじっと話を聞く。

「で、旦那が出かけて一人ぼっちの部屋の中でふと『さみしいなぁ』ってさ、思っちまったわけよ。信じられるか? 結婚パーティの日だぞ? 先まで旦那がいて、友達がいて、祝福されて、それで一人になった途端に『さみしい』て感じちまったらさ、それってもう、何やっても埋められないさみしさ、ってことじゃねえか」

たまきは、以前にあった強盗のおじさんを思い出していた。誰しも「絶対に埋められないさみしさ」というやつを抱えていたとしたら、あの時のおじさんの「さみしいなぁ」もそういうことなのかもしれない。

「それでさあ、そのタイミングでまさかの、モトカレから電話かかってきたんよ」

「……前に付き合ってた人からですか?」

「そう。『結婚したって聞いて、おめでとう』って。どうしても言いたかったんだと。『ごめんね。もうかけてこないから』って」

それを聞いてたまきは困ったように笑った。

「……それは、迷惑ですね」

「……あたしは、あやうく『今から会える?』っていうところだった。結局言わなかったんだけどさ」

「え?」

驚いてたまきの背筋がピンとなった。

「だって、さみしかったんだもんよ」

「さみしかったからって、それはさすがに……」

いくらそういうのに疎いたまきでも、昔付き合っていた男女が再会して、ただ会って終わり、とはならないことぐらい想像がつく。舞がさみしかったというなら、なおさらだろう。

「だからさ、テレビで芸能人とかがよく不倫してこき下ろされてるじゃん。あたし、気持ちがわからんでもないわけよ」

舞はビールの缶をコトリとテーブルの上に置いた。

「だいたい『家族がいるのに……』っていう批判をされるわけだ。でもさぁ、家族がいるのにさみしさを覚えちゃったらさ、それはもう家族じゃ埋められんわけよ。だとしたらさ、家族以外の人で埋めるしかないじゃんか」

たまきは、舞の言っていることが何となく理解できた。理解はできたが、納得できない。

「でも、それを認めちゃったら……」

「だからさ、『さみしさを埋める』っていうのがさ、そもそもの間違いなわけよ」

たまきは、舞の顔がさっきより近くに来ているのに気付いた。こんな風に舞と一対一で話すのは初めてかもしれない。

「このさみしさからは絶対に逃げらんない。そんでもって、絶対に埋められない。もう、我慢するしかないんよ。さみしいまんま生きていくしかないんよ」

だからさ、と舞は続けた。

「お前みたいに、一人ぼっちで寂しいってちゃんとわかってる奴は、ほんとうに独りぼっちになった時に、そのさみしさに耐えられると思うんだ。恋だ友達だっつって紛らわしてるような奴は、いざ孤独を感じても、耐えられないから紛らわそうとする。その結果、不倫みたいなトラブルを起こしちまうんだよ。それに引き換えお前ときたら、友達になじめないって言って泣いてやがる」

「私は……、べつに自分から耐えてるんじゃないんです。……紛らわせてないだけです」

「結果、耐えてるんだよお前は。ちゃんとさみしさを正面から受け止め続けてるんだ」

舞はそういうとにっこりと笑った。

 

写真はイメージです

日はまた昇り夜が明け、、いらなかった明日がまたやってくる。たまきは、少し早めに舞の家を出た。たまきが「城(キャッスル)」の鍵を持っているのだ。二人が帰る前に戻らないと。

舞が志保に電話してくれたおかげで、もし志保が帰っても鍵が開いていなかったら舞のところに連絡が来ることになっている。そうすれば、「城」までたまきの足でも歩いて5分ちょっとだ。電話が来ればすぐに駆け付けられる。

だが、亜美からの連絡はなかった。舞がメールを送ったらしいが返事はなし。そもそもメールを見ているかどうかも疑わしい。

たまきから見て亜美はまるで自由気ままな三毛猫だ。ふらりとどこかに行って、ふらりと帰ってくる。

どこかへ行くときの決まり文句はたいてい、「シゴト」と「隣町の美容院」だ。亜美が「隣町の美容院に行ってくる」と言って、本当は何をしてるのかは考えてもわからないし、「シゴト」と言って出かけて、そこで何をしてるのかは考えたくもない。

そして亜美は突然帰ってくる。朝に帰ってくることもあるし、真夜中に帰ってくることもあるし、次の日の夕方に帰ってくることもある。

つまりは、亜美が一体いつ帰ってくるのかはたまきにも予想がつかないのだ。帰ってきたはいいが鍵の開いていない「城」の前でいらだつ亜美を想像すると……、

なんだか、めんどくさい。

たまきは「城」のある太田ビルに向かってとぼとぼと歩いていた。

舞の住むマンションと太田ビルの間にはホテル街が広がる。たまきはどことなくうつむきがちにそこを通り過ぎていく。たまきのすぐわきをトラックが轟音を立てて通り過ぎていく。うすい朝もやの向こうにはまぶしいばかりの朝日が見える。朝日を見るのは久しぶりだ。

ホテル街の一角に「CASTLE」というホテルがある。名前の読み方は「城」といっしょだが、こっちの方がよっぽどお城っぽい外観だ。

その入り口から誰かが出てきた。案の定、男女のカップルである。道路と自動ドアの間には小さな噴水があり、カップルはたまきから見て噴水の向こう側を歩いている。たまきはなるべくそっちを見ないように歩いたが、ちょうどカップルが道路に出たところでバッティングしてしまった。

たまきはカップルをちらりと見上げると、すぐに目線を足元に落として、二人が通り過ぎるのを待とうとした。しかしカップルに、特に男の方に見覚えがる気がして、たまきはもう一度カップルの方を見た。

相手も同じことを考えていたらしく、たまきの方を見つめている。

たまきは半ばあきれたように言った。

「……おはようです」

「おはよう……、ってか、たまきちゃん、こんなところで何してるの?」

カップルのうち男の方、ミチが少し驚いたように言った。左隣にはミチと同じくらいの身長の、茶髪の女性がいる。たまきにもなんとなく見覚えのある顔だ。たぶん、海乃って人だろう。ミチの左手と海乃の右手がしっかりと恋人つなぎされていた。

「あれ? もしかして、たまきちゃんも朝帰り?」

こんな人たちと同じフォルダーに入れられてしまったことをたまきは不快に思いながら

「舞先生のところにいました」

とだけ答えた。

「ミチ君こそ、こういうところ泊まっていいんですか?」

「まあまあ、細かいことは気にしないの」

ミチはそう言って笑う。すると、海乃がミチの左手を軽く引っ張った。

「みっくん、お友達?」

厳密にはたまきと海乃は初対面ではないのだが、一度だけ店に訪れた地味な客の顔など、海乃は覚えておるまい。

「そうそう、友達」

「知り合いです……!」

いつもより強めにたまきは否定した。

「へぇ、どういうお友達? 同級生?」

海乃は何か興味を引かれたらしい。

「いや、最近知り合ったんだけどさ。引きこもりのたまきちゃん」

「引きこもり?」

海乃が不思議そうに聞き返した。

たまきはむっとした。「引きこもり」だなんて紹介、あんまりじゃないか。

しかしたまきは学生じゃないし、社会人でもなければ、フリーターですらない。不本意ながら、「引きこもり」以外に自分を表す肩書が見つからない。

「へぇ~、かわいい~」

海乃はたまきを見ながらそう言うと、笑顔をこぼした。

引きこもりのなにをもって「かわいい」なのかわからない。たまきは、昔、家族で水族館に行ったときに姉がクラゲの水槽の前で「かわいい~」と言っていたのを思い出した。いまの海乃の「かわいい」に似ている気がする。きっと、海乃は「ヒキコモリ」をナマコかウミウシの仲間かなんかだと思っているのだろう。

「あれ、でも、この子ヒキコモリなの?」

海乃はたまきを指さすと、不思議そうにミチの方を見た。

「だって、外にいるよ?」

海乃は笑いながらそう言った。それを聞いてミチも

「ほんとだ。確かに、たまきちゃんって引きこもりだと言っている割には、けっこう外にるよね」

と言って笑う。

ミチが「たまきはわりと外にいる」と思っているのは、外でしか会わないからだ。たまきはそのほとんどを「城」の中で具合悪そうにゴロゴロして過ごす。たまに体調がいい時に頑張って都立公園まで行き、そこでミチと出くわすのだ。ミチはその「たまに体調がいい時に頑張っている」たまきしか知らないのだ。

「この子、いくつ?」

海乃は横にいるミチに尋ねた。

「一個下だから、今十五才だよね?」

ミチの言葉に、たまきは無言でうなづいた。

「みっくんの一個下ってことは、高校生?」

海乃はまた隣のミチに尋ねた。なぜ、本人を目の前にしてとなりに尋ねるのだろうか。

「でも、不登校だから、高校は行ってないよ」

「へぇ~」

海乃は奇異なものを見るかのようにほほ笑んだ。きっと、「フトウコウ」もフジツボの仲間ぐらいに思っているのだろう。

ふいに海乃は手を伸ばすと、たまきの黒い髪を撫でた。

「ダメだぞ、ちゃんと学校に行かなきゃ」

たまきは驚いたように、自分の頭をなでる海乃の手首を凝視し、次につながれた二人の手をじっと見ていた。

「海乃さん、俺だって学校行ってないよ?」

ミチが口をとがらせた。

「みっくんはちゃんと働いてるじゃん」

海乃はそう言って笑った。

「じゃあね、たまきちゃん」

海乃はそういうと、ミチと手をつないだまま歩き出した。さっきからずっとつなぎっぱなしである。

海乃は振り返ると、たまきに向かって手を振っていた。たまきは、その手をじっと見ていた。二人の姿が見えなくなるまで、海乃を見つめていた。

 

写真はイメージです

駅と歓楽街の間のにぎやかな通りを志保は歩いていた。

鍵を持っているたまきが舞の家に泊まっているということは、「城」に帰っても中に入れないかもしれない。舞に電話することも考えたが、まだ二人とも寝ているかもしれない。どこかで時間を潰そうと志保は歓楽街へと続くルートを外れて、ふらふらと散策していた。

駅前の繁華街は、「城」がある歓楽街ほど物騒でないとはいえ、やっぱり飲み屋が多く、朝から落ち着ける志保好みのカフェなんていうのはさっぱり見つからない。月曜日の朝はスーツを着た出勤途中のサラリーマンが通りを埋め尽くし、その中をカフェを探して歩くのはなんだか申し訳ないような気分にもなってくる。

駅からだいぶはなれたところを歩いていると、喫茶店を一件見つけた。カフェではなく喫茶店。スタバのような「カフェ」ではなく、昔ながらのレトロな喫茶店だ。昭和のころはきっと、こういうのが最先端のおしゃれだったのだろう。

入口には午前七時から営業中と書いてあった。時間は既に七時半。中にはサラリーマンらしき男性や、オフィスレディが座ってコーヒーを飲んだり、軽食のようなものを食べたりしている。

志保は店の中に入った。ドアは手動で、少しずつ、まるで店の空間の機嫌をうかがうかのようにドアをして、志保は足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ~」

若い男性の店員が志保を席へと案内する。

志保は席に着くと、ミルクティを注文した。カフェオレにしようかと思ったけど、これから帰ったら少し寝たいのでやめておいた。

周りはやはり出勤前のサラリーマンやOLばかりで、志保には少々居心地が悪い。

ふと、志保が視線を感じてそっちの方を見ると、先ほどのウェイターの男性が志保の方を見ていた。

どこかで見た顔だ。どこかで会っただろうか。わりと最近、会ったような……。

あ!という志保の声が店内に響いた。周りの客たちの視線が志保に集まる。志保は声を出してしまったことが恥ずかしいといいたげに顔を赤らめると、ウェイターの方に歩み寄って、声をかけた。

「あの……、この前、助けて下さった方ですよね。ほら、繁華街の前の大通りの信号で……」

志保の言葉を聞いたウェイターは

「やっぱり!」

と声を上げた。背が高く、黒い髪は軽くパーマをかけている。顔だちはこれといった特徴があるわけではないが、ウェイターの制服と相まって、さわやかそうな印象を受ける。

制服の胸ポケットには、「田代」と書かれた名札がついていた。

「やっぱり、この前の子だよね?」

「あ、あの時はありがとうございました」

志保はまだ恥ずかしさが残る中、ぺこりと頭を下げた。

二週間ほど前、幻覚や幻聴のようなものに襲われ、赤信号なのに道路に飛び出してしまった志保。すんでのところで腕を引っ張って助けてくれたのが彼だった。名前も連絡先も知らなかったのだが、また会えるとは。

「いや、元気そうでよかったよ」

田代はほっとしたようにはにかんだ。

「あの時は本当にご迷惑を……」

「いいよ、そんなに気を遣わなくて。具合悪かったんでしょ?」

「は、はい……、まあ」

あの時は確かに具合が悪かった。嘘ではない。

「この辺、よく来るの?」

「……この町にはよく来るけど、このあたりに来るのは初めてです」

これは少し嘘が入っている。「よく来る」のではなく、住んでいるのだ。ただ、家賃を払っていないのだが。

「へぇ~。学生さん? 高校生?」

「……はい」

これは嘘ではない。もう4カ月ほど学校に行っていないが、退学届けを出した覚えはない。

「今日、学校休み?」

「……はい。ぶ、文化祭の振り替え休日で……」

これは嘘である。昨日まで文化祭みたいなことをしていたのは事実だが。

志保は席に戻ると、カバンから読みかけの文庫本を取り出した。女性エッセイストの単行本の続きを読み始める。

数分たって、田代がミルクティーを運んできた。

「お待たせしました。ミルクティになります」

その言葉づかいが志保には少しおかしかった。「ミルクティになります」って、もうミルクティになっているじゃないか。

田代は、志保の読んでいた本に目を落とした。

「その人の本、面白いよね」

「え、こういうの読むんですか?」

意外である。男性がこの著者のエッセイを読んでいるイメージがない。

「まあ、女性向けなんだろうなとは思うけど、その人、視点というか、切り口が面白いから、読んでて楽しいよ」

「ですよね! 私も、そういうところが大好きなんです」

これは本当である。

「それじゃ、ごゆっくり」

田代は軽やかな足取りで離れていった。

カップの中に志保は視線を落とす。「城」を一歩外へ出ると、嘘をつかないと誰かとしゃべれない。クスリのこと、高校のこと、今住んでる場所のこと。同じ施設に通う依存症患者たちに出さえ、「城」のことは嘘をついている。いつからこんな人間になってしまったのだろう。

もっとも、志保の性格が嘘つきになってしまたのではない。隠さなければいけないことが多すぎるのだ。

志保はカップを持ち上げると、ミルクティに口をつける。

レモンは入っていないはずなのに、なんだかレモンみたいな味がした。

信じてもらえないだろうが、本当である。

 

写真はイメージです

太田ビルの4階にはビデオ屋が入っている。もはやビデオテープは置いておらず、全部DVDのディスクなのだが、みんな「ビデオ屋」と呼んでいる。

とはいえ、普通のテレビや映画のビデオは少ないし、子供向けのアニメなんて全くおいていない。そのほとんどがアダルトビデオで、おまけによくビデオ屋のアダルトビデオコーナーの入り口にあるのれんらしきものが見当たらず、たまきのような子供でも簡単に目に入るところにアダルトビデオが置いてある。法律にしっかり基づいたビデオ屋なのかと首をかしげたくなる。

そんなビデオ屋だから、入口には裸一歩手前の女性のポスターがたくさん貼ってある。ここを通るたびに、たまきはそのポスターを見ずにはいられない。

別にいやらしいことを考えているわけではない。ポスターの中の彼女たちの笑顔が気になって仕方ないのだ。

心からの笑顔なのか、自分の美貌に自信があるのか、それとも、巷のうわさ通り無理やりやらされているのか、そもそもそんなことを考えているのはたまきのエゴなのか。

もしかしたら、この人たちもさみしいのかな。そんなことを考えて、たまきは階段を上る。

階段を上るにつれて、水平線から昇る太陽のように金色の髪の毛が見えてくる。

想定していた中でも、割とめんどくさい状況のようだ。

階段を一段上ると、亜美の顔が見えてきた。なんだか小刻みに揺れている。

ドアの方をにらむ目はつりあがり、口はとがっている。たまきには亜美がとても苛立っているように見えた。

想定していた中でも、トップクラスにめんどくさい状況が発生しているらしい。たまきは重い足取りでゆっくりと階段を上った。

亜美が小刻みに揺れていた理由は、脚だった。脚がかくかくと上下に揺れている。苛立ちからくる貧乏ゆすり、と呼ぶにはだいぶ激しい。「メガ貧乏ゆすり」とでも呼べばいいのだろうか。ブーツがコンクリートの床に触れるたびに、タタタンタタタンとリズムよく音が響く。

亜美は、たまきが階段の残り2段のところまで来て初めてたまきに気付いた。「気配の薄さ」ならばたまきはどこのクラスに行ってもトップを取れる自信がある。

亜美は勢い良くたまきの方に振り向くと、がなった。

「お前、どこ行ってたんだよ! 今、八時だぞ、八時! こんな時間までどこほっつき歩いてたんだよ!」

「亜美さんはいつ帰ってきたんですか?」

「あ? 15分前だよ」

亜美の方こそこんな時間までどこをほっつき歩いていたのだろうか。

「メール、見なかったんですか?」

たまきは亜美と視線を合わせることなく尋ねた。

「は? お前、ケータイ持ってないんだから、お前からメールが来るわけないだろ?」

「私じゃないです。舞先生からです」

「先生?」

亜美は自分の携帯電話を開いてピコピコといじった。

「あれ、なんか来てる」

亜美は今初めて、昨日の夜十時ぐらいに舞が送ったメールを見ているらしい。

「なるほど。お前、そういうことは早く言えよ」

「……早く伝えたつもりなんですけど……」

たまきはもうここでこの件は終わらせたかった。「亜美は何をしていてメールに気付かなかったのか」は知りたくなかったからだ。ミチの朝帰りを見てしまったから余計に。

それまでぶすっとしていた亜美だったが、急に顔をほころばせると、

「ま、お前が生きててよかったよ」

と言ってたまきの頭をポンポンと軽くたたいた。さっき、海乃に触られた時よりも、なんだかとってもやさしい触り方だった。

「……心配してたんですか?」

「ま、うちもこの歓楽街にいたからさ、お前がここで自殺してたらパトカーとか救急車のサイレンが聞こえたはずだから、生きてるんだろうなぁ、とは思ったけど」

亜美はバカのくせに、そういったことには頭が回る。

「ウチはむしろ、お前もとうとうナンパされて朝帰りデビューしたのかと思ってたよ」

またこんな人たちと同じフォルダーに入れられてしまったことにたまきはがっかりした。

そこに、パタパタと足音を鳴らして、志保が戻ってきた。

「ハァ、ハァ、やっぱり、5階ってキツイ……」

志保はいつも骨のように細い手足を震わせ、息切れしながら昇ってくる。

「あ、たまきちゃん、帰ってる」

「お、志保、おかえり。お前、たまきが今までどこにいたか知ってるか?」

亜美はまた悪巧みしたかのような笑みで志保に問いかけたが、

「え? 先生のところでしょ?」

とあっさりと返した。

「なんだよ! 知らなかったの、ウチだけじゃん!」

「亜美ちゃん、エッチなことに夢中で、ケータイ見なかったんでしょ」

「いや、メール来たときはカラオケしてた。今度、三人でカラオケこうぜ!」

「カラオケ~?」

志保は左手を右肩に置いた。

「あたしはいいや。歌はあまり得意じゃないの」

「……私も、歌うのはあまり……」

「え~、そんなこと言わないでさ、っていうか、たまき、カギ! あと、ウチの財布!」

「……あ、はい」

たまきはカバンから亜美の財布を取り出すと、亜美に返した。

亜美は財布を開けて、鍵をさぐる。ちりんちりんという鈴の音が財布の中から聞こえる。

「……二人も、さみしいんですか?」

たまきの突然の問いかけに、亜美の手が止まった。

「たまきちゃん、どうしたの急に」

志保がやさしく微笑みながら聞き返す。

「……何でもないです。忘れてください」

たまきはばつの悪そうにうつむくとそういった。

亜美は、取り出した鍵をたまきに渡すと、

「ウチ、屋上でたばこ吸ってくるから、先、中入ってて」

というと、そのまま屋上へと続く階段へと向かった。

 

たまきと志保は鍵を開けて中に入る。たまきはふらふらとソファへと向かうと、ころりと横になった。

落ち着く。家族と暮らしていた実家よりも、落ち着く。

「城」がこんなに落ち着く場所になったのはきっと、亜美も志保もたまきには深く干渉しようとしないからだろう。特に亜美は普段ずかずかしているくせに、ほんとうに放っておいてほしい時には放っておいてくれる。

でも、昨日は放っておいてほしくなかったな。一緒にばっくれて欲しかった。

そんなことを考えながら、たまきは眠りにつく。

志保がたまきのことを放っておいてくれるのは、彼女のコミュニケーションスキルの高さによるものだ。たまきのような子はあまり接近しすぎず、少し距離を置いておいた方が相手も楽だということを知っているのだ。

亜美は、そんな風に頭を働かしてたまきのことを放っておいてくれるわけではない。

たまきに放っておいてほしい時があるように、亜美にも放っておいてほしい時があるから、なんとなく相手の放っておいてほしい時がわかってしまう。それだけの話である。

 

つづく


次回 第15話「場違い、ところによりハチ公」

シブヤへと買い物に来た3人。だが、たまきはどうしても自分が場違いな存在だと感じてしまう。そんなほのぼのとした(?)休日。

続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

ピースボートの悪評を書き込むやつをバカだと思う2つの理由

我ながら過激なタイトルだと思う。半分釣りであり、半分本気である。もちろん、悪評のうちのいくつか、例えばピースボートは自衛隊批判してたのに自衛隊に護衛してもらってる、とかは本当である。ただ、僕は悪評が間違ってるという話をしたいのではない。正しかろうが間違ってようが、次の二つの理由から、悪評を書くやつはバカだ、という話だ。


バカだと思う理由① 悪評が逆効果になっていることに気づいていない

数日前、僕の書いた「評判を無視してピースボートの船に乗ってみたら、こんな毎日だった」という記事の閲覧数が突如、倍近くに跳ね上がった。

急に閲覧数が上がった理由を調べてみると、次のニュースが見つかった。

ピースボートも一枚かんでいるICAN。ノーベル平和賞を受賞したことで話題になった団体だが、この団体の事務局長が安倍首相との面会を申し込んだのだところ、安倍首相は面会を断った。

ところが、ICANがこの時期に面会したいと言ってきた時期が、首相の東欧外遊とぴたりと重なっていたのだ。東欧外遊の予定はICANが面会を申し込む前に発表されていた。そのため、「ICANは安倍首相を批判するために、わざと無茶な日程で申し込んだ! 自作自演だ!」という批判が巻き起こった。

ICANが首相を批判するためにわざとやったのか、本当にうっかりしていたのかはわからない。ピースボートという団体をよく知る立場から言わせてもらえば、「あの団体だったら本当にうっかりやらかした可能性が高い」と思うのだが、これは推測の域を出ない。一方で「わざとやった」も推測の域を出ない。

どっちにも解釈できるような話は、どっちにも解釈してはいけない。

とはいえ、『わざとやった!』という解釈も決して無理がある解釈ではない、というか、普通はそう思う(笑)。

問題は、「わざとやった!」という悪評が巻き起こった時期と、僕のブログの閲覧数が跳ね上がった時期が、ぴたりと符合する、という点だ。悪評のおかげで閲覧数が上がっているのだ。

とはいえ、こういった閲覧数のバブルは長くは続かない。3日目をピークに徐々に閲覧数も下降線をたどる。

ところが、7日目にして再び閲覧数が前日の1.5倍に上がる。今度は何が起こったのかと調べてみると、産経新聞が次のような記事を乗せていた。

「【政論】ノーベル平和賞のICAN事務局長の来日、安倍政権批判目的だった?主要運営団体は『ピースボート』」

要は、産経新聞が寝た子を起こしたわけだ。おかげでこちらは閲覧数がV字回復である。

どうして、ピースボートの悪評が出ると、僕のブログの閲覧数が上がるのだろうか。

理屈としては非常に簡単。「ピースボートはとんでもない団体だ!」という悪評を書き込むと、「どれどれ、ちょっと調べてみよう」とネットで調べる人が出てくる。

この際、圧倒的に多いのが「ピースボート 怪しい」という検索である。その数、「ピースボート 評判」「ピースボート 悪評」「ピースボート 洗脳」「ピースボート 左翼団体」という検索の約4倍。

そして、「ピースボート 怪しい」で検索した場合、トップに出てくるのは私の件の記事である!(2018/1/24現在)

記事を読んでもらえばわかると思うが、基本的には「地球一周の船旅は楽しかったよ」という話や、「核武装反対派だったけど、ピースボートの企画に参加したら考えが変わった」という話を書いている。この記事を読んでピースボートに悪印象を抱くことはまずないだろう。

アンチにしても産経新聞にしても、「ピースボートやICANは自作自演をするとんでもない団体だ!」ということを主張したかったのだろう。

ところが、その悪評が僕の「地球一周楽しかったよ」という記事の閲覧数を上げている。完全なる逆効果である。

この手の輩をバカだと思う理由がこれだ。「悪評が逆効果になっていることに気づいていない」のである。

僕のブログの閲覧数が上がったということは、当然、本家本元のピースボートのホームページはもっと閲覧されていることだろう。

図らずも、悪評が宣伝になっているのである。しかも、ピースボート側としては、新聞にまで取り上げてもらっているのに、一切広告費を払わなくていい。

こういった、逆効果になっていることに気づかないバカは世の中にたくさんいる。例えば、このブログでも何度か取り上げた「選挙に行け!」と恫喝する輩だ。「選挙に行かないと大変なことになるぞ!」「日本がどうなってもいいのか!」「戦争になったらお前らのせいだ!」。この手の恫喝が全く人を動かす力がないのは、近年の投票率の低さから見ても明らかであるのに、同じ主張を繰り返す。トライ&エラーは大切だが、エラーを出し続けているにもかかわらず、何も改善せず全く同じ主張を繰り返すのはバカだとしか言いようがない。

他にも逆効果の例がある。ちょうど今日、電車を待っていると外国人のグループがペチャクチャ大声でしゃべっていた。すると、一人の老人が「うるさい!」と注意した。

そこからは大口論。注意された側は「悪いことは何もしていない!」と大声で反論。さらに「うるさい」と注意した本人がそれに対して大声で言い返すものだから、結果的にさらにうるさくなった。ただペチャクチャしゃべっていた時と比べると、不穏な空気というおまけつきである。

「選挙に行こう」も「うるさい人を注意する」も、正しい行動なのだろう。少なくとも本人はそう思っているはずだ。しかし、その行動の結果が全くの逆効果であるのならば、やり方や言い方を変えるとか、何か改善しなければならない。

悪評は言われた側からすれば投資いらずの宣伝である。キングコングの西野亮廣はこのことを熟知して、自身の悪評を宣伝に利用している。僕は彼のツイッターをフォローしているのだが、先日「キンコン西野を絵本作家だなんて認めない!」というヘイトツイートが流れてきた。どうしてヘイトツイートが流れてきたのかというと、他でもない西野氏本人がリツイートしていたからだ。

西野氏曰く「アンチを手放してはいけない」。理由はアンチは勝手に宣伝してくれるから。

以前、「サイテー!キングコング西野はゴーストライターを使っていた!」というタイトルのブログがあった。どんな記事だろうと読んでみると、まさかの西野氏本人のブログだった。西野氏曰く「アンチは記事を読まずにタイトルだけで悪評とともに拡散してくれる」とのこと。うっかりクリックしてしまった僕も、まんまと乗せられてしまったわけだ。

悪評は宣伝なのだ。そのことに気づかないという点でもバカである。

さて、先日、産経新聞の記事について僕はこのようなツイートをした。

産経って結論ありきの文章書くのか。これは紙媒体の文体ではない。 僕のブログのPV数急上昇の原因はこれか。中途半端な批判はかえって宣伝になるみたいだ。産経さんにはこれからも感情的な煽り記事で、僕のブログのPV数向上に貢献していただきたいものだ。

狙いは産経新聞の批判ではない。再び燃え上がった炎上の火を長持ちさせるため、あえてピースボートの悪評記事を拡散させてみた。つまり、産経のピースボートへの悪評記事を読んでもらい、そこから興味を持って検索してもらって、僕のブログに来てもらおうという魂胆だ。他人炎上商法、放火商法である。

結果、面白いデータが得られた。

このツイートを呼んで産経の記事のリンクをクリックした人より、僕のプロフィールをクリックした人の方が倍の数いたのだ。

つまり、「産経ってそんなひどい記事書くのか」という人よりも、「産経の悪評を書いてるこいつは何者?」と思った人の方が多かったのだ。

結果的には僕の宣伝になったのだから結果オーライだが、必ずしも悪評は人を狙い通りに動かせるわけではないということを再確認した。

バカだと思う理由② 「ネットでピースボートについて調べてみてください!」という人に限って、ネットで調べていない

たまにこういう悪評を見る。「ピースボートはとんでもない団体です! ネットで調べてみてください!」。

その言葉通りに「ピースボート」と国内最大手のヤフーやグーグルで検索してみよう。

ピースボートの公式サイトやウィキペディアが出てくる。ウィキペディアはピースボートのいいことも悪いことも書いているので、これだけでは「とんでもない団体」かどうかはわからない。

そこから先は割と好意的な記事が並ぶ。

他にもいろいろと検索してみよう。

例えば「ピースボート 怪しい」。圧倒的な検索数を誇る検索ワードだが、前述の通り、トップに出てくるのは私の記事だ。他にもトップに好意的な記事が並ぶ。

次に「ピースボート 評判」これもなんと、私の記事がトップだ。悪いね、私ばかりトップで。その後も好意的な記事が並ぶ。

ここまで、好意的な記事と悪評の記事の割合は3:1といったところか。あと、「人によって評価は変わるよ」という記事もある。

「ピースボート 洗脳」だと少し様相が変わる。割合は半々といったところか。ただ、僕に言わせればほとんどが洗脳のやり方や洗脳とマインドコントロールの違いといった基本的なことすら知らないまま書いている、話にならない駄文ばっかりだが。

最後に、「ピースボート 左翼団体」。これは悪評記事が3割といったところか。

何が言いたいのかというと、私の記事は結構上位に来ているという自慢だ! いや、違う。自慢したいのもあるけど、今言いたいのはそうじゃない。

何が言いたいのかというと、「割と好意的な記事の方が多く検索されている」というものだ。

つまり、「ピースボートについてネットで調べてください!」という人は、ネットで調べればピースボートについての悪評がいっぱい出てくると思っているようだが、実際は違うのである。

だからバカだというのだ。「ネットで調べてください」と言っている本人が実はネットで検索すらしていない。ネットで検索していないくせに「ネットで検索すれば、ピースボートが悪い団体だとわかってもらえる」と勝手に思い込んでいる。実際は好意的な記事が多く検索されていることを検索エンジンが証明している。

「ネットで調べてください!」という人に対しては「ネットで調べてからモノ言え、バーカ」と影で嗤っている。

 

 

最後に

この記事はあえて突っ込みどころを残してある。この行まで読まずに途中で辞めた人や、読まずにタイトル見ただけの人が「バカがバカな記事を書いてるぞ。お前こそバカだ!」みたいな悪評を誰かが書いて拡散してくれれば……、僕の思うつぼである(笑)

小説 あしたてんきになぁれ 第13話「降水確率25%」

都立公園で行われる大収穫祭の当日になった。志保は施設の人たちとクレープ屋を開き、ミチはバンド仲間とライブに出演する。そこに客として訪れる亜美とたまき。四者四様の祭りが始まる。

「大収穫編」クライマックス! 「あしなれ」第13話、スタート!


小説 あしたてんきになぁれ 第12話「夕焼けスクランブル」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


プロローグ

「ほら、行くぞ!」

ドアの外にいる亜美のがなるような声が「城(キャッスル)」の中に響く。十月に入り亜美の露出も少しは抑え目になってきたが、それでも胸のふくらみはしっかりと強調されている。

「……行かなきゃ、ダメですか?」

たまきは亜美から数m離れたところで、力なく言った。靴は履いているものの、玄関に置かれたマットの上から動こうとしない。

「志保が祭りで店やるってのに、ウチらが行かなかったら、カワイソウじゃん。ミチのバンドもライブするんだろ? オモシロソウじゃんか。お前、あのバンドの曲好きだって言ってただろ」

「ミチ君の歌は好きですけど……、あのバンドの歌はあんまり……」

たまきは下を向いたままぽつりと言った。

「どっか具合悪いのか?」

「……べつにそういうわけでは……」

「だったら別にいいじゃん。デブショウはよくないって。どうせあれだろ、具合が悪いわけじゃないけど、気分がすぐれないとかいうヤツだろ。大丈夫だって。祭り行ったらなんだかんだ楽しくって忘れるって。ほら、来いよ!」

亜美がたまきの手を強く引っ張った。たまきは特に抵抗するでもなく引っ張り出された。

都立公園に向けて二人は手をつないで歩き出す。手をつなぐ、というよりは、亜美がたまきのことを、キャリーバッグのように引っ張っている、と言った方がいい。たまきは相変わらず抵抗するでもなく、とぼとぼと歩き続ける。

「祭りなんて久しぶりだなぁ。ジモトは大っ嫌いだったけど、祭りだけは好きだったなぁ」

ウキウキと楽しそうな亜美は、下を向いたままのたまきを引きずるように歩いて行った。

 

シーン1 志保

写真はイメージです

二日にわたって行われた「東京大収穫祭」は、小雨が降っていた一日目と違い、二日目は天気に恵まれ、昨日よりも多くの人が訪れ、賑わっていた。フランクフルト、ケバブ、焼きそばと様々な屋台が夜の公園をパレットのように染め上げる中、志保が通う施設の出店したクレープ屋は、混みすぎず空きすぎず、ちょうどいい感じだった。

志保は接客担当だった。客の注文を聞き、横にいるトッピング担当に注文を伝える。注文を渡してお金を受け取り、お釣りを渡す。ブースの奥では、トクラがせっせとクレープの生地を焼いていた。淡い黄色の生地をホットプレートの上に落として広げる様は、何度も練習した甲斐あってか、なかなか様になっている。香ばしいたまごの香りがブース内に充満している。

「カンザキさんって、接客とか向いてるよね」

志保の隣でトッピングをしていた少女がそう声をかけた。

「そうかな。前にちょっと、スーパーの試食のバイトとかしてただけだけど。またそういうのやってみようかな」

志保は少しはにかんだ。そこに

「おっす!」

と聞きなじんだ声が聞こえ、志保は顔を上げた。

「あ、亜美ちゃん! たまきちゃん!」

二人の同居人が店の前に立っていた。

「あら、お友達?」

仕事がひと段落したトクラが声をかける。

「はい。二人とも来てくれたんだ」

「そりゃ、志保ががんばっているところ見ないと、なぁ、たまき」

亜美に言われて、たまきはどこか申し訳なさそうに笑った。相変わらず、堅い笑顔だ。

「えー! せっかく来たんだから、食べていってよ! いろいろメニューあるよ」

メニューは一番シンプルなプレーンと、アイスを追加したもの、さらにそれぞれイチゴ、キウイ、バナナを乗っけたものの全5種類だ。

「たまき、何にする?」

亜美とたまきはメニュー表、と言っても5種類しかないのだが、を見つめながら何やら話している。

ふいに背中をつつかれ志保が振り返ると、そこにはトクラがいた。

「カンザキさんのお友達って、あんまり、カンザキさんっぽくないね」

「……私っぽくないって、どういう意味ですか?」

「ほら、系統が違うっていうか。あの二人、ビッチとぼっちって感じじゃん。どこで出会ったの? 学校?」

この数日で少しトクラのことが志保にもわかってきた。この人は悪気があって言っているのではないのだ。いつだって、ただ思ったことを口にしているだけなのだ。

とはいえ、「ビッチとぼっち」は二人には申し訳ないが、なかなか的を射ているような気がする。「ぼっち」はさすがに言いすぎだとは思うが、確かにたまきの口から、学校や地元の友達の話を聞いたことがない。

「じゃあ、あたしはなにっちですか?」

志保は少しおどけた感じでトクラに尋ねた。

「あんたはね、コッチ」

トクラは、志保の肩に手を置くと、不敵に笑った。

トクラに触られた部分からぞぞぞと悪寒が志保の背中を駆け抜けていく。ふと前を見るとビッチ、じゃなかった、亜美が笑いながら近づいてきた。どうやら、トクラの言葉は二人には聞こえなかったらしい。

「ウチら二人ともアイス乗っけたやつで」

「ありがとうございまーす。四百円になりまーす」

志保はわざと語尾を伸ばしておどけたように言ったが、亜美とたまきは

「は?」

「え?」

とだけ言い、凍りついたように志保を見ていた。

「……二人とも、どうしたの?」

「いや、四百円って高くね?」

亜美がそういうと、隣でたまきが申し訳なさそうにうなずく。

「何言ってるの。クレープなんてこんなもんだよ。むしろうちは利益を求めてるわけじゃないから、安い方だよ」

「はぁ? こんなうっすい生地に生クリームとアイス乗っけて四百円? バカじゃねーの?」

亜美が大声を出すととなりでたまきも不安そうに志保を見ながらつぶやいた。

「クレープって、卵焼きとか目玉焼きの仲間ですよね……」

「そうだよ! こんなうっすい卵焼きが、四百円とかマジであり得ない!」

「二人とも何言ってるの? 卵焼きじゃないし! 小麦粉だよ!」

後ろでトクラがケラケラ笑っているのが聞こえる。三人のやり取りがよっぽど面白いらしい。

「え? 二人とも、クレープ食べたことないの? デートとかでクレープ食べない?」

「ウチ、デートに財布、持ってかない主義だから」

亜美の答えに、またトクラがゲラゲラと笑う。

「たまきちゃんは? デートいってクレープ……」

「……私がデートしたこと、あるわけないじゃないですか」

「あ、ごめん」

「……謝られると、なんか余計に……」

「ごめん……」

いつの間にかトクラの笑い声も収まり、急に静かになる。公園内で流されているJ-POPのBGMがよく聞こえる。

「何言ってんだよ、たまき。お前、いつもミチとデートしてんだろ」

今度は亜美がケラケラ笑いながら言った。とたんにたまきが、ものすごいスピードで振り向く。

「違います。あれは、私の行く先にたまたまあの人がいるだけです。そもそも、私はあの人のこと嫌いだし、あの人はあの人でべつにカノジョさんいるし、そもそもあの人も私のこと恋愛対象じゃないってはっきり言ってるので、デートなんかじゃないです」

「……お前、そんな早口で喋れたんだな」

「え?」

亜美の言葉をたまきは牛のように反芻する。

「たまきちゃん、……ミチ君となんかあった?」

「……べつに、ないですけど」

今度は、いつものたまきのスピードだった。

 

結局二人は四百円払ってクレープを買った。

「あれ? カンザキさんの言ってた、『裏切りたくない友達』って」

トクラが志保の横に立って問いかけた。

「……はい」

「ふーん」

トクラは志保の顔を覗き込む。

「ま、やれるだけ頑張ってみれば?」

トクラはどこか憐れむようにそう言った。

志保は思考を切り替えようと、亜美とたまきに話を振る。

「二人とも、どう? 美味しい?」

志保の問いかけに二人は顔を見合わせた。

「……甘いな」

「はい、甘いです……」

「でしょ? クリームもアイスも、生地にもこだわっているからね」

志保は満足げな顔を浮かべた。二人が、口を真一文字に閉じていることに、志保は気づいていない。

 

シーン2 亜美

写真はイメージです

志保のクレープ屋を離れた二人はほかの屋台を見て回った。そのうちの焼きそば屋で亜美が500円の焼きそばを買ってきた。

「食うか?」

亜美はパックに入った焼きそばをたまきに差し出したが、たまきは静かに首を横に振るだけだった。

亜美は口を使って割り箸を割ると、モリモリと焼きそばを食べ始めた。夜の公園を背景に、湯気が街灯に照らされ、なんだか神々しい。

「やっぱウチ、こういうののほうが好きだわ。あ~、これで呑めたらなぁ~!」

亜美が傍らにある自動販売機を恨めしそうに眺める。

「お前、ほんとにいらないの? さっき、クレープ食べただけだろ」

「……大丈夫です」

たまきは静かにそういった。

「……さっきのクレープさ、どうだった?」

亜美は頬張った麺を飲み込むと、たまきに尋ねた。

「……甘かったです」

「甘すぎじゃねぇ、あれ?」

亜美の言葉に、たまきはこくりとうなづいた。

「志保の味付けじゃねぇよな、あんな甘いの。誰の趣味だ?」

亜美の問いかけに、たまきは首を傾げた。

「たまにいるんだよなぁ。甘ければいいとか、辛ければいいとか、量が多ければいいとか思ってる店。ぜんぜん美味しくねぇんだよ。辛いだけだったり多いだけだったりで、美味しくねぇの。なんなん、あれ?」

「……さぁ」

たまきはまた首を傾げた。

ふと、亜美はたまきの前に来ると、少しかがんで目線を合わせた。

「お前さ……、楽しんでる?」

「え……あ……」

「答えに詰まるなよ、そこで」

亜美はそういうと、箸でつまんだ焼きそばを、たまきの口へと突っ込んだ。

「むぐっ!」

「祭りはな、楽しまないとダメなんだよ」

亜美は残りの焼きそばをかきこむと、傍らのゴミ箱にパックを放り込んだ。ポケットから四つ折りにした大収穫祭のチラシを取り出す。

「……ここ真っ直ぐ行くと、ライブのステージか」

たまきの方を見ると、ようやく焼きそばを飲み込んだところだった。

「よし、ステージの方、行ってみようぜ」

「ミチ君の出番はまだだったと思いますけど……」

たまきも自分の貰ったチラシを見る。ミチのバンドの名前は9時ごろの登場と書かれている。今はまだ8時半。チラシには「DJタイム」と書かれている。

「お前なぁ、そんな、友達が出てるとこだけ見ればいいやって考えだから楽しめねぇんだよ」

たまきは口を真一文字に結んでいたが、亜美はたまきの右手首を掴むと、引っ張るようにステージに向けて歩き出した。

「亜美さん、痛い……」

そんな声が聞こえたような気がしたが、亜美は意に介せず、ずんずん歩いていく。

急に、たまきの足が急ブレーキをかけたかのように重くなった。

亜美も立ち止まって振り向く。

「どした?」

亜美の問いかけに反応することなく、たまきは、林の奥をずっと見ていた。

公園内の道沿いに、10mの間隔で街灯が置かれている。しかし、林の奥にはその光もほとんど届かない。目を凝らせばかろうじて、中の様子がぼんやりと見えるくらいだ。

「なんもないじゃん」

亜美は、たまきの手を引っ張った。

「はい……、何もないです」

たまきはそういうと、また亜美に手を引かれるままにとぼとぼと歩きだした。亜美には心なしかたまきがさっきよりもうつむいているように見えた。

 

二人は階段を駆け降りていく。階段を下りて行った先に大きな広場があって、普段は何にもないのだが、今夜は奥にステージが組まれている。

ステージの上にはDJブースが置かれ、サングラスをした色黒のDJがスポットライトを一身に集めている。ターンテーブルに手を置いて操作したかと思うと、ふたつのターンテーブルの間に置かれたミキサーで、何やら調整している。亜美はよくクラブに行く方だが、DJが機械のなにをいじれば音がどう変わるのか、亜美にはよくわからない。よくわからないんだけど、ステージ上に立つDJの姿は様になっていてかっこいい。

「なんかさ、前にもこういうのあったよな。二人でクラブ行ってさ……」

「……二人じゃなかったです。亜美さんの友達がいっぱいいました」

「そうそう、で、あんとき、志保に会ったんだよな」

「今日は志保さんに会ってから来ましたから、……あの時と逆ですね」

ステージの前には十代の後半から二十代の前半くらいの男女が入り乱れている。踊る、というよりも体を揺らす感じ。クラブに出入りするようなコアな音楽ファンという感じではなく、なんとなく集まってきた祭りの客がほとんどで、流れる曲もJ-POPのヒット曲ばかりだ。

亜美はたまきの手を引っ張ったまま、その群れに入っていこうとした。が、ここにきてたまきの足が、地中に錨でも沈めたかのように動かない。

「……大丈夫だって。ここにいる連中は、クラブにいた連中とは全然違うから。ライトな層だよ。ほら、ダンスのステップとか知らない感じじゃん。大丈夫だって」

亜美はにっと笑いながらたまきにそう言ったが、たまきはむなしく首を横に振るだけだ。

「私は……あそこで……見てます」

たまきは、広場のはしっこに植えられている木の根元を指さした。

「お前……ここまで来て、遠くから見てるってないだろう。ほら、行こうぜ。楽しいから」

亜美はもう一度、たまきの手をグイッと引っ張ったが、たまきはまたしてもむなしく首を横に振るだけだった。

「ったく……、しょうがねぇなぁ。じゃあ、そこで待ってろよ」

そういうと亜美は、たまきの手を放して群れの中へとわけ入っていった。

ステージからは軽快なロックサウンドが流れている。色とりどりの服を着た若者たちがステージの前を雲海のように埋め尽くし、踊るように体を揺らす。

人ごみと言っても、満員電車のように密集しているわけではない。ところどころ隙間が空いていて、空いたスペースを埋める名フットボーラ―よろしく、隙間をぬって亜美は前の方へと進んでく。

軽くステップを踏みながら群集の真ん中あたりまで来ると、右手を振り上げ、ギターのカッティングに合わせて亜美は体を揺らした。亜美が体を揺らすたびに、シャツの胸のところにかかれた英語が、豊満な胸の上下に押されて揺れる。

DJは続いてユーロビート風のナンバーをかけた。前の曲とBPMはほとんど一緒で、アウトロがフェイドアウトしていくと、次の曲が自然に耳に入ってくる。

ふと視線を感じ、右前方に目を向けると亜美の視界に、二十歳ぐらいの男性が映った。三人ぐらいだろうか、何やら話しながら踊っている。ヒップホップ系のファッションに身を包んでいた。

ヒロキのようなならず者、といった感じではない。大学生かフリーターかといったところだろう。

何度か視線を配るが、やはり3人のうちの一人はこっちを見ている。亜美の顔を見た後、ゆっくりと足の付け根まで見下ろし、そこからまた視線を上げて、胸元へ戻る。

金は持っていなさそうだが、遊び相手としてはちょうどいいかもしれない。

亜美は、手を後ろに組んで微笑みながら彼らのもとに近づくと、声色を少し上げて、甘えるように言った。

「なぁに? チラチラ見て」

 

シーン3 ミチ

写真はイメージです

ミチは歌っているときが何より好きだ。特に、ライブのように聞いてくれる人が大勢いる中で歌うのは最高だ。

とはいえ、そんなに何度もライブをして歌っているわけではない。未だに、一番最初にバンドのボーカルとしてステージに立った中学校の文化祭を越える人数の前で歌ったことはない。

あの時は演奏が終わり、ステージから降りて控室となっっているテントで倒れこんだ。

全身から吹き出した汗がその場で蒸発して、客席からの拍手と溶け合っていくのがわかる。

共にステージに上がったメンバーから何か声をかけられたが、ちっとも頭に入ってこなかった。

あの瞬間を何度でも味わいたい。それが、ミチがミュージシャンを志した理由だった。

とはいえ、今のバンドではリズムギターというポジションだ。

少し前まではあまり楽しくなかった。演奏にいっぱいいっぱいであるのもそうだし、ギターをバカにするわけではないが、あくまでもミチは歌を歌いたいのだ。

それでも、最近、音楽に関する考え方が少し変わってきた気がする。二週間ほど音楽から遠ざかっていた時期もあった。

仙人の前で歌って「ヒット曲の切り貼り」とこき下ろされてからはそのことばっかり考えていたが、頭を冷やして考えてみると、「声はよかった」とか「メロディも悪くない」とか、実は意外と褒められていたような気がする。

正直、歌声には自信があった。そもそも、中学のバンドでボーカルをしていたのも、カラオケに行ったときに「ミチって、歌、めっちゃうまくね?」と友人に褒められたのがきっかけだ。

だからミチにとって、声よりもメロディを「悪くない」と言われたのは、少し意外なことだった。

二週間ぶりにギターに触ったとき、鼻歌を歌いながらギターを奏でていた。鼻歌のメロディに合う音を探してギターをいじくる。

すると、いろいろと発見があった。こんな風に弦をはじくと、こんな音がするのか。こんな音が出せるのならば、こんな曲が作れるかも。

ギターを始めたときは間違えないように演奏するので精いっぱいだったが、いつしか、ギターを奏でるのが楽しくなってきた。

 

ギターを弾くのが楽しくなってくると、今までつまらなかったバンドでの練習も楽しくなってきた。

「ミチ、最近なんかあったか?」

バンドのリーダーであり、ミチのギターに師匠でもあるギタリストがそうミチに問いかける。仙人にこき下ろされてふさぎ込んでいたことは言いたくなかったので、

「最近、カノジョできたんスよ」

と答えておいた。

「マジか?」

「マジっす。今度のライブにも来てくれるって」

リーダーは腕を組むと、

「じゃあお前さ、次のライブで、コーラスやってみる?」

とミチに行った。

「マジっすか?」

「ああ、マジで」

さっきから、「マジ」しか言っていないような気がする。

「お前元々、ボーカル志望だろ? これでうまく行ったらさ、ツインボーカルの曲とかやろうと思っててさ」

「マジかよ……」

 

というわけで、今夜のライブはギターだけでなく、コーラスも担当する。ボーカルにハモるだけでなく、リードボーカルの裏で違う歌詞を歌うパートもある。ミチにしてみれば、これまでのこのバンドでの活動で最大の見せ場だ。ずっと正式メンバーなのかサポートメンバーなのか自分でもわからないポジションだったが、これをこなせば胸を張ってメンバーであると言える気がする。それどころか、きっと来てくれているはずの海乃にもかっこいいところが見せられる。

そう思うと、いつもよりも緊張が増す。イベントとということは、普段のこじんまりとしたライブよりも多くのお客さんが来てくれているはずだ。それを考えてしまうと、余計に緊張が増す。

だから、ミチはさっきから掌に「米」の字を書いては、ぺろりと食べる動きをしていた。

「お前、さっきから何やってんだ?」

バンドのボーカルがミチに話しかける。

「緊張しないおまじないっす。手に『米』って書いて……」

「『人』じゃね?」

ボーカルの言葉に、ミチは思わず手の動きを止めた。

「……じゃあ、『米』ってなんの時にやるんすか?」

「さあ? 腹減った時じゃね?」

なんだか、ミチは余計に緊張してきた。そんなタイミングで、舞台袖の方から声が聞こえる。

「そろそろスタンバイしてくださーい」

 

夜の野外ステージから聴衆の方を見下ろす。普段、ライブハウスで歌うときは客席は真っ暗で、ステージ上だけライトが当たっているので客の顔はほとんど見えない。最前列の何人かの顔が見える程度である。しかし、今日のステージでは、観客のスペースの後方から強烈なライトが会場全体を照らしているので、観客たちの様子がよく見える。

ざっと百人たらずといったところだろうか。中学の文化祭のころに比べればまだ少ないが、本格的に音楽を始めてからこれだけの人数の前で演奏するのは初めてな気がする。少なくとも、いつも隣にたまきしかいない、なんて状況に比べれば、だいぶ違う。

ミチは海乃の姿を探した。しかし、真っ先に目に入ったのは、観客スペースの中央で「ミチ―!」と大声を出している金髪ポニーテールの少女、亜美だった。亜美は見覚えのない男と肩を組んでいる。亜美がいるのなら、たまきや志保もいるかもしれないと観客スペースを探したが、それらしき顔は見つからなかった。

一方、海乃は最前列にいた。最前列にいたので、逆にすぐ見つけることができなかった。茶色い髪を結んだツインテールの髪型をしている。ミチと目が合うと、小さく手を振った。

観客スペースの百人のオーディエンスを見渡したときよりも、心拍数がぐっと上がった。

「こんばんは。レイブンスターズです。今日は、盛り上がっていこうぜぇ!」

ボーカルのあいさつに、オーディエンスがわっと沸く。

ベーシストがベースで低音のメロディラインを奏でる。4小節奏でたところで、ドラムが割って入り、ドラムの音を合図にミチもギターを奏で始めた。

ステージの上手から見る客席は、まるで夕方の海のようだ。色とりどりのファッションに身を包むオーディエンスはさながら、夕日を反射して煌めき、うねる海原だ。

跳ねるようなドラムの音に合わせて、ミチはギターを激しくストロークした。「ロック(ゆれて)&ロール(ころがる)」という言葉の通り、体を激しく揺らし、音を譜面の上に転がしていく。互いの楽器は恐竜の咆哮のように爆音を奏で、その音と同調するようにオーディエンスも体を揺らす。

曲の終わりにミチは激しく体を動かして最後の一音を奏でると、右の人差し指を天に付けて突き立てた。

本当にやりたい音楽とは、少し違うのかもしれない。それでも、今、自分は輝いている。そのことが実感できた。

 

3曲目のバラードもいよいよサビに入る。ボーカルの歌声が伸びるところで、ミチがコーラスを入れる。

――I love you baby

歌詞としては簡単なフレーズだが、ファルセットを使った歌唱法で、ただ歌えばいいというものではない。両手でギターを弾きながらスタンドマイクの前に口を持って来て、自分の声を通す。

サビが終わり、ミチはマイクの前をすっと離れた。手元を確認しようと視線を落とすと、海乃が微笑んでいるのが見えた。ミチは、微笑み返すとピックで優しく弦をはじいた。

 

5曲の演奏を終え、ミチたち「レイブンスターズ」はステージを降りた。実行委員のシャツを着た女性に促されるまま、控室のテントへと進む。

しばらくは拍手や歓声が響いていたが、やがて観衆の興味はトリに控える歌手へと移っていった。彼女はレイブンスターズのような一般公募ではなく、メジャーデビューして半年ほどで、実行委員から招待されて出演する、いわばこのイベントの目玉である。知名度はまだまだ低いが、注目度は高い。

中学の文化祭の時に比べると、ミチは落ち着いていた。あの頃に比べると、だいぶ場馴れしてきたらしい。

ギターケースを背負って控室となっていたテントを後にすると、

「みっくん」

と声をかけられた。その方を向くと、海乃が近寄ってきた。

「よかったよ~」

海乃は両の手のひらを見せながらとことこと歩いてきた。ミチも同じポーズで構えると、海乃とハイタッチをした。

「なに、カノジョってその子?」

リーダーの問いかけに、ミチは笑顔で返事する。

「へぇ、かわいいじゃん」

かわいいと評されて、海乃の笑顔はますます明るくなった。そのさまを見ていると、ミチは心臓をきゅっと軽く握られたような感覚を覚えた。

海乃はミチの方に向き直ると、手をぶんぶんさせながら言った。

「ギター、すごいかっこよかったよ~。コーラスもやってたよね。あたし、ぐっときちゃった」

「マジっすか? 最前列にいましたよね」

「うんうん、いたいた。みっくん、手を振ってくれたよね」

海乃の言葉を聞きながら、ミチはふと公園の奥の雑木林の方を見た。

仙人のおっさんは、今日の演奏を聴いてくれたのかな。聴いていたのなら、いったいなんていうのだろうか。

「みっくん」

再び海乃に呼びかけられて、ミチは彼女の方に視線を戻した。

「今日、この後どうするの?」

「……この後はバンドのみんなと打ち上げっす」

「じゃあさ、その後でいいからさ……会えない?」

言葉と言葉の間の空白で、海乃は悪戯っぽく微笑んだ。

「……いいっすけど、十二時過ぎるかもしれないっすよ?」

「……いいよ」

海乃はうつむきがちに、それでいてミチの目をしっかりと見据えながら答えた。ミチはさっきよりも心臓を強くつかまれた気がして、思わず視線を落としたが、シャツの胸のふくらみが目に入り、そこに視線が釘付けとなった。

「……マジっすか」

 

シーン4 たまき

レイブンナントカというバンドの演奏が終わって、スタッフらしき人たちがステージ上の配置転換をした後、着飾った女性が一人、マイクを持ってやってきた。聴衆もどんどん増えていく。

女性はステージ上であいさつをした後、歌い始めた。女性にしては低い声だ。

歌詞は、ミチがよく歌っているような歌に少し似ていた。

ふと、たまきの視界にミチが映った。ステージ横のテントの前で、女の人としゃべっている。女性の方は後ろ姿なので顔はわからないが、あの海乃っていう人だろうか。

「たーまき」

後ろからとつぜん声をかけられて振り向くと、そこには亜美が立っていた。亜美の周りには3人ほど見知らぬ男性がいる。

「ウチ、これからこいつらと飲みに行くから」

「……この人たち、誰ですか?」

「ん? さっきできたトモダチ」

なんで亜美さんはそんなに簡単に友達が作れるんだろう。

「なに、この子? 友達?」

男の内の一人が亜美に尋ねる。いつも亜美の周りにいる男と比べると、だいぶ爽やかだ。

「そうそう、一緒に住んでるの。でさ、ウチはこいつらと飲みに行くけど、たまきはどうする? 来る?」

たまきはぶんぶんとかぶりを横に振った。

「ま、そういうと思ったよ。部屋のカギ、渡しとくから先帰って」

亜美はたまきに鍵の入った財布を渡した。鍵には赤い紐で鈴が結び付けられている。

財布を渡すとき、亜美はたまきの耳元でささやいた。

「預かってて。千円くらいだったら、使っちゃっていいよ。なんか買って食べたら?」

そういえば、さっき亜美は「デートに財布は持っていかない主義」だと言っていた。あの男たちに飲み食い代を払わせるつもりだろう。

「今夜はかえんねぇから」

……ラブホテル代も払わせるに違いない。

 

亜美は男たちに囲まれ、そのままどこかへ行ってしまった。

たまきは、財布の中の鈴のついた鍵をしばらく眺めていた。ステージからはアップテンポなビートに乗って、さっきの歌手の歌声が聞こえてくる。

たまきはとぼとぼと歩き、広場を後にした。志保と合流しようと、クレープ屋のあった方へと歩いていく。

暗い闇の中にそこだけ光のチューブのように道が伸び、その中を色とりどりの服を着た若者たちが歩いている。男子の集団はワイワイはしゃぎながらフランクフルトを頬張り、カップルは恋人つなぎをしながら綿菓子にむしゃぶりつく。

人の流れに逆らう形で、たまきはクレープ屋を目指していたが、ふと、歩みを止めた。

ちょうど、店が途切れた一角だ。街灯と街灯の間にあり、その奥には林が広がっている。いや、広がるというよりも、鬱蒼とした茂みに闇を閉じ込めているようだった。

その闇の中にどれだけ目を凝らそうと、何も見出すことができない。

ほんの一週間ほど前には、そこにベニヤづくりの庵があった。椅子に腰かけ、仙人やホームレスのおじさんと一緒にミチの歌を聴いていた。

だが、祭りの間はいなくなるという仙人の言葉通り、庵は跡形もなくなくなり、後には木が生い茂るだけ。いつもたまきの隣で歌っていたミチはステージ上で輝き、今頃カノジョといちゃいちゃしている。志保はたまきの知らない人とクレープを焼き、亜美は知らない男の人たちとどこかへ行ってしまった。たまきがいつも来ていた公園も、見知らぬ人たちが行きかう。

「わしらはここにいてはいけないからな」

そんな仙人の言葉が、たまきの頭の中で響く。

 

クレープ屋の前まで来たが、お客さんはおらず、志保は施設の人たちと談笑していた。そろそろ午後十時になろうとしている。二日にわたって開かれた祭りも、終わる。

志保が談笑する中、たまきはなかなか声をかけられないでいた。なんだか、志保とのあいだに川が流れて風が吹いているかのように冷たさを感じる。

志保がたまきに気付いたのは、たまきが辿り着いてから2分ほどたってからだった。

「あ、たまきちゃん」

志保はクレープ屋の屋台から出てきた。

「もう、お店は終わりだよ。あれ、亜美ちゃんは?」

「……なんか、知らない男の人たちと、どこかへ行きました。……今夜は帰らないみたいです。だから、鍵は今、私が持ってます」

そういうと、たまきは少し声のトーンを落とした。

「志保さんは今日、帰ってきますよね……」

幼い日に、夜中に姉を起こして、一緒にトイレへ行ってほしいと頼んだ時もこんな喋り方だった気がする。

志保は、背後の屋台を見やると

「ごめん。この後、施設のシェアハウスで打ち上げがあって、今夜はそのまま泊まると思う」

「……そうですか」

実は、たまきは、なんとなくそんな気がしていた。風も急に強くなったように感じられる。

「一人で、帰れる?」

「……いつも、ここ来てますから」

たまきは志保の目を見ることなく答えた。

屋台から、志保を呼ぶ声が聞こえた。志保が振り向くと、トクラが立っていた。

「カンザキさん、そろそろ行くよ」

「あ、ちょっと待って」

志保はたまきに向き直ると、少し腰を落として、たまきの目線に合わせて言った。

「この後、パレードに参加するんだけど、たまきちゃんも来る?」

「……ぱれーど?」

たまきは視線を上げて志保に聞き返した。志保はポケットからサイリウムを取り出した。縁日で売っていそうな安物だ。

「これもって音楽かけながらみんなで練り歩くの。広場からメイン通りを抜けて、公園の外を一周するんだ」

なんのためにそんなことを……、という疑問をたまきはぐっと飲み込んだ。もう、そんな余計なことをしゃべる気にもならない。

「たまきちゃんも一緒に、来る?」

志保の誘いに、たまきはむなしく首を横に振った。

「私……、お店とかやってないし……」

「あ、そういう、お店出した人だけとか、そういうんじゃないの。サイリウム買えば、だれでも参加できるんだよ」

志保はやさしく言ったが、それでもたまきは首を横に振る。

「ね? 一緒にいこ? 仮装してる人とかもいるし、楽しいよ、きっと」

それでも首を縦に振らないたまきを見て、声を出したのは志保の後ろにいたトクラだった。

「もう、いいじゃん。その子、行きたくないって言ってるんだから」

そう言ってトクラは志保の肩をたたいた。志保も困ったように笑うと、

「じゃあ、たまきちゃん、一人で帰れる?」

そこでたまきは初めて首を縦に振った。

「それじゃあ、気を付けて帰ってね」

志保はそういうと、微笑みながらたまきに小さく手を振り、くるりと向きを変えると、トクラとともに屋台の方へと戻っていった。しばらくすると、屋台からカラフルなサイリウムを持った一団が出てきて、広場の方へと向かって行った。その中には志保の姿もあった。同い年ぐらいの女の子と、何やら楽しそうに話している。

今度は志保に言われた言葉が頭の中で鳴り響いていた。どこかで聞いた言葉だと思ったら、むかし中学校の先生に言われた言葉に似ていた。

「ね? 学校いこ? クラスの子もいっぱいいるし、楽しいよ、きっと」

 

メイン通りを少し外れた芝生の上をたまきは歩いていた。緑の芝生の上を闇が漂い、たまきはふらふらと、蛾のように街灯の下へ向かって歩いていく。

街灯の下には木製のベンチがあった。このあたりは人気が全くなく、傍らに置かれた青い自動販売機の光が、さびれたホテルのような雰囲気を醸し出している。

たまきはベンチに腰を下ろすと、こうべを垂れた。

亜美や志保、ミチの顔が浮かんでは流れるように消え、また浮かぶ。それらはいずれも色のないモノクロで、なんだか、昔の映画を見ているようだった。

たまきは一人、客席に座ってスクリーンに映る銀幕のスターたちを眺めている。たまきもスクリーンの向こうへ行きたいのだが、どうしてもいけない。近づけば近づくほど、自分とは違う世界の映像を映写機で映しているだけのように思えてならない。

ふと、目の奥が震えるのを感じる。瞳からこぼれた雫がメガネのレンズをぬらし、たまきの視界がゆがんだ。

喉の奥から地響きのような激しい嗚咽が走り、こらえようと思ったが口から洩れてしまった。たまきはメガネをはずすと傍らの、ベンチの空いたスペースにそっと置いた。

そしてたまきは身を大きく前へ乗り出して、突っ伏した。

上半身を折りたたみの携帯電話のように曲げ、たまきは膝をまとうスカートに目頭を押し付ける。

静寂に包まれた夜の公園のベンチ。遠くではテンポの良い音楽がかかり、ほかに聞こえるのは自販機から洩れるなにかの機械音と、たまきの嗚咽と鼻をすする音だけだった。

 

写真はイメージです

ふと、だれかが落ち葉を踏んだ音がした。たまきは顔をあげてそっちを見た。

見たと言っても、メガネをはずしてしまったのでよく見えない。おまけに、涙にぬれて視界はぐちゃぐちゃだ。かろうじて、目の前の影が人かもしれない、ということしかわからない。たまきの身長よりも大きな影が見えるが、都心の真ん中にくまはいないはずなので、人の影で間違いないだろう。ふと、その影が声を発した。

「もしかして、たまき?」

聞き覚えのある声にたまきは傍らのメガネを手に取って装着した。それでもまだ若干視界はなみだで歪んではいたが、目の前にいるのが誰かくらいは識別で来た。

「……舞先生?」

薄手のジャンパーを羽織り、ジーンズをはいた舞がそこにいた。

「やっぱお前か! メガネ外してたから、最初わかんなくてさ。どこかでこの子みたような、って考えてたら目がお前に似てるなってきづいて。いやぁ、メガネ外すと、だいぶ印象変わるな」

「……よく言われます」

たまきは舞から視線をそらすと、袖でメガネを上へと押しやり、残ったなみだの雫をふき取った。泣いてたことなんて、気づかれたくない。

舞はその様子を見て、口元を少し緩めた。ふと横の自販機に視線を移すと、

「自販機あるじゃん。なんか飲むか? おごるぜ」

というとショルダーバッグから財布を取り出した。

「なにがいい? えっとね、リンゴジュースと……」

「……それでいいです」

がこんと缶が落ちる音が二回した後、舞の手には二本の缶が握られていた。舞はそのうちのリンゴジュースをたまきに手渡すと、

「となり失礼」

と言ってたまきの隣に腰を下ろした。コーラの缶のプルタブを開け、グイッとのどに押しやる。

二酸化炭素を吐き出すタイミングで舞がたまきの方を見やると、たまきはまだプルタブと格闘していた。小さな親指をプルタブに引っ掛けるが、何度やっても親指が外れてしまう。

「なんだ、お前、開けられないのか。かしてみ」

舞はたまきから缶を受け取ると、あっさりとプルタブを開けてたまきに返した。たまきは申し訳なさそうに缶に口をつけた。

舞は、再びコーラを飲むと、声帯の、さらに奥から息を絞り出すように言った。

「ああ、やってらんねぇよなぁ」

その言葉にたまきは、水をかけられたかのように驚き、舞を見た。

「そう思わんかね。今、あいつら何やってるか知ってるか? パレードだってよ。遊園地でもないのにパレードなんかして何すんだよ。あんなの、写真うつりがいいからやってるだけだろ」

舞が飲んでいるのは確かにコーラのはずなのだが、もう既に酔っぱらっているかのような口調で舞は続ける。

「だいたい、なんなんだよ、この祭り。『食物に感謝を』? だったら、畑にでも行って農家のおっさんとかに『いつもありがとう』っていやぁいいじゃねぇか。東京のど真ん中の公園でやる必要なんか、一個もねぇだろ。たまき、なんでこんな祭りが毎年毎年開かれてるか知ってっか? みんな自分がリア充だって確かめたいだけなんだよ。企画してるやつらも、店出してる奴らも、ステージでてる奴らも、ワイワイ盛り上がってる客もみんな、自撮り写真とか撮って、『私たち、やっぱりリア充だったんだねぇ~♡ よかったねぇ~♡』って確かめ合って安心したいだけなんだよ。一生ともだち申請でもやってろ、バーカ」

舞はまたコーラを口に含んだ。そして、たまきの顔を見ると少し照れたように、

「なんだよ。何笑ってんだよ」

とぼやいた。

「…笑ってました、私?」

「笑ってるだろ」

「その……、舞先生って、こういうイベントごと、嫌いなんだなぁって」

「志保の頼みじゃなかったら、絶対こなかったね。楽しくねぇもん」

舞は缶から口を話すと、つぶやいた。

「昔っからこういうイベントごとが嫌いでな、こんなんだから、ガキの頃から友達も多くない」

「そうなんですか?」

たまきが今日一番のテンションで聞き返した。街の不良たちに先生と慕われている姿からはちょっと想像できない。

でも、とたまきは視線を落とす。舞は「多くない」といったのだ。たまきのように、友達がいなかったわけではない。だいたい、舞がたまき側の人間なんてことはあり得ない。

「でも、先生、結婚してたじゃないですか……」

「ん? なんだよ。友達少ないのに結婚したのは変だって言いたいのか?」

「カレシだって……、いたわけですよね」

「まあ、何人かとは付き合ったな」

やっぱり。とたまきは肩を落とす。少なかったとはいえ友達がいて、カレシがいて、一度は結婚して、舞はやっぱりたまきとは違う側の人間なんだ。舞だけじゃない。亜美も志保もミチも、少し仲良くなれたように思えたけど、やっぱり私とは違う側の人間なんだ。

「でもなぁ、カレシは何人かいたし、結婚もしたけど、ついぞ恋人はいなかったなぁ」

舞のその言葉に、たまきは半ばあきれたように返した。

「……カレシと恋人ってどう違うんですか?」

「一緒なのか?」

その言葉を聞いてたまきは、舞を見た。舞もたまきを見ている。

「……私には、その違い、わかんないです。だって、私、カレシとか、友達とか、そういうのいなくて……」

「友達ならいるじゃねぇか。亜美とか志保とかミチとかさ」

そして、舞は飲み干したコーラの缶を傍らに置いた。

たまきは言葉を返さなかった。何か言いたかったのだが、「友達」という言葉が鼓膜を打った途端に唇がけいれんして思うように動かせない。舞の耳に聞こえたのは、鼻をすする音と、しゃっくりのような嗚咽だった。

「お前、何泣いてんだよ」

「だって……だって……」

たまきは嗚咽を交えながら、言葉をつづけた。

「亜美さんも志保さんもミチ君もみんな、お、お祭りを楽しんでて、わ、わたしだけ楽しめなくて、い、いろいろ気を遣わせて、『い、いっしょに行こう』って言ってくれて。でも、ち、ちがうの。わ、わたしは、あ、亜美さんと志保さんに……」

たまきは、そこで言葉を切ると、袖で涙をふいた。泣くなんてわかってたら、ハンカチを持ってくればよかった。

声帯がけいれんして嗚咽を繰り返す。そうやって、たまきのことばを喉の奥へ奥へ通し戻そうとする。

でも、今、この気持ちを誰かに伝えなかったら、もう一生誰にもこの気持ちを伝えられないような気がした。この願望にきちんと言葉をつけてあげなければいけないような気がした。

たまきは、大きく息を吸うと、声を上げた。

「わ、わたしは、ふたりに、い、こ、こっち側に来てほしかった!」

小刻みに震えるたまきの背中を、舞がさすった。大粒の涙が頬からぽろぽろこぼれ落ちる。

「わがままなのはわかってるけど……わ、わたしは、『い、いっしょに祭りに行こう』とか、『こ、こ、こっちに来れば楽しいよ』とか、そ、そういうのじゃなくて……、わたしは、ふたりに、いっしょにおまつりをぬけ出してほしかった! ずっといっしょにいてなんてわがままは言わないから、ほんの2,3ふんだけでいいから、二人に、いっしょにこっち側に来てほしかった!」

たまきの嗚咽は止まらない。

「こんなふうに、に、にぎやかなところからはなれていっしょに……。でも、わかってもらえなくて、みんな、お祭りにな、なじめてて、わ、わたしだけなじめなくて、、うまく言えなくて……、いっ、えっ」

あとはもう、言葉にならなかった。言いたかったことはまだまだたくさんあるのに。

舞は、たまきの背中を優しくさすりながら、優しく微笑むと、静かに、囁くように言った。

「たまき……あたし、今夜お前のところ泊まろうか?」

つづく


次回 第14話「朝もや、ところにより嘘」

舞の家に泊まることとなったたまき。そこで舞はたまきに話す。「人はさみしさからは絶対に逃げられない」。翌朝、たまきはミチと海乃に鉢合わせする一方、志保はある人物と再会する。

つづきはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

こんなもの食えるか!ピースボートの寄港地での印象深い食事8選

今回は、ピースボートの寄港地で食べた食事について紹介する。「食」は最も簡単な異文化交流である。「口に合わない」ということですら、異文化交流であり良い思い出である。今回は寄港地で出会った口に合わない料理や食べきれない料理など、食事にまつわるエピソードを紹介する。


ピースボートの寄港地での食事①

フィリピンの民族料理

まず紹介するのは、88回クルーズ最初の寄港地だったフィリピンのショッピングセンターで食べたシシグ

こんな感じで、お皿の上にはっぱをしいて、その上にひき肉料理(だったと思う)が乗っけられた。

これが、強烈ににんにくの味が効いているのだ。濃い!

一方で、あとからやってきた焼きそばが、今度は味が薄い!

一方は味が濃くて、一方は味が薄い。ということは混ぜてみると……。

ベストマッチ! ちょうどいい味になりました。みんなもシシグを食べるときは、味の薄いものと混ぜてみよう!

ピースボートの寄港地での食事②

インドの激辛カレー

「おなかを壊す人もいるので注意すること」

これが、インド上陸前にカレーについて言われた衝撃的な話だった。

辛すぎておなかを壊すって、そんなやつおまへんやろ~。チッチキチ~。

となめきって上陸した僕だったが、さっそくインドカレーの洗礼を受ける。

おやつを食べようと立ち寄ったマクドナルド。

まず、驚いたのがインドのマクドナルドは油で揚げたチキンをパンにはさんでハンバーガーとして提供する。インドでは牛は神獣だから食べてはいけないのだ。ちなみに、結構おいしい。

そして一緒に頼んだシャカシャカポテト。

このシャカシャカポテトに入れたカレー粉がめちゃくちゃ辛い!

ポテトの味付けでこのレベルか! 日本でやったら「嫌がらせか!」っクレームくる辛さだぞ?

何か甘いものはないかと探したら、マクドナルドでチョコアイスを売ってました。くそぉ、商売上手め……。

そんな洗礼を浴びた後、いよいよカレー屋さんへ。

シャカシャカポテトであのレベルなのだから、まともにカレーを食べたらおなかどころか舌が壊れる、そう考えた僕は野菜カレーを注文した。野菜の甘みで辛さを抑える作戦だ。

僕は本来左利きで、スプーンも左手で使うのだけれど、ここはインドの文化にならって右手で食べてみた。う~ん、食べづらい。

そして肝心の味の方は……。

野菜の甘みなど無意味!

「食べ物を粗末にしない」がポリシーだったが、悶絶した挙句半分近くを残した。

「本場のインドカレーは口に合わない」。それを知ることもまた異文化交流である。

ピースボートの寄港地での食事③

アラブのパサパサした食事

ドバイ上陸前に、乗船していた大学教授の講義があった。

ピースボートで大学教授が講義した、と書くと「左翼的な講義か!?」と反応する人もいそうだが、普通の地理と文化の話だる。

アラブは乾燥しているので、米のような水を使って栽培する植物は育たない。なので小麦料理が多いのだそうだ。

実際、ドバイのスーパーで買った小麦のおやつは、とってもパサパサしていた。

また、日本のスーパーでは入ってまず生鮮食品、野菜売り場で新鮮な野菜が手に入るが、アラブで新鮮な野菜や果物を売っている場所はほとんど見かけなかった。代わりによく見るのがドライフルーツの量り売りだった。

ピースボートの寄港地での食事④

トルコで正体不明のメニューを頼んでみた

みんなでトルコのレストランで昼食をとった時のこと。

トルコ語も英語もわからない僕は、思い切って全く分からない料理を注文してみた。

すると店員さんが「スモール(これ、小さいよ)」

和食屋さんの小鉢みたいなのを想像したが、お金がないので「それでお願いします」と注文。

そして出てきたのがこちら。

食べかけにて失礼。

トマトとナスとひき肉の料理だ。これがとてもおいしかった。トルコのナスは日本のナスと比べるとジャガイモのような食感だった。

そして、量もまた適量。

一方、僕以外の人はみんな大盛りの料理がやってきた。

トルコ人の「スモール」は日本人にとっての「普通」だったのである。

ピースボートの寄港地での食事⑤

ギリシャの甘ったるいお菓子

口に合わないのは辛いものだけではない。甘すぎるのもまた口に合わない。

ギリシャでかった洋菓子がまさにそうだった(向こうのお菓子は全部洋菓子か)。

これがとにかく甘ったるい。

真ん中の赤い部分が甘ったるいのはまだわかる。

その周りのカタ焼そばみたいなやつも実は、甘ったるいのだ。

あんまりにも口に合わず、その辺のごみ箱に捨ててしまおうかと考えたが、食べ物を粗末にしないのが僕のポリシーであるため、「口に合わないなぁ」と思いながら完食した。

ピースボートの寄港地での食事⑥

メキシコのポテトとドンタコス

メキシコのコズメルに行ったときの話。町を一通り散策して、おやつを食べることに。小さめのファンキーなレストランに入って、ポテトフライにチーズをかけたものを注文した。

これが結構ボリューミーだった。ガストのポテト程度を想像していたのだが、普通の食事ぐらいの量はある。

「この後、夕飯食べられるかなぁ」と不安になる量だった。終盤はもはや満腹中枢との戦いだったと記憶している。

その夜、スーパーによった僕は、そこでドンタコス、によく似たお菓子を見つけた。

ドンタコスは日本のお菓子だが、メキシコっぽいパッケージだ。

ならば、本場メキシコのドンタコスはいったいどんな味なのか、買って食べてみた。

……本場のドンタコスは、日本のドンタコスより少し酸味がある。

まあ、だいたい本場の味って、キムチもそうだけど、酸っぱいよね。

ピースボートの寄港地での食事⑦

ペルー人大食い伝説

友達と二人でペルーのリマを観光した時のこと。別の友人から「ペルーは中華がおいしい」という情報を仕入れたので、中華料理屋に入った。

そこで僕は、焼そばだったか、皿うどんだったか、とにかくそういった麺料理を注文した。

パーソナルサイズとファミリーサイズがあり、当然ファミリーサイズを注文する。

だが、やってきた料理はどう見ても2.5人前。

顔を見合わせる僕ら。「もしかして、間違えてファミリーサイズ頼んじゃった?」

しかし、店員さんに確認するも、「パーソナルサイズ」とのこと。

明らかに2.5人前なのだが、「パーソナルサイズ」だったらしい。これまた満腹中枢との戦いだった。

その2日後、ビジャ・エルサルバドルという土煙の舞う町で現地の子供たちと交流するツアーに参加した時のこと。

ビジャ・エルサルバドルの街並み

みんなでいっしょに、近所のレストランで昼食をとった。

出てきたのは山盛りのポテトとチキンの丸焼き。あまり裕福な地域ではないのだが、こんなにもがっつりとしたものを食べれるとは。

ペルーの子供はこんながっつりとした料理を食べるのだなぁ。

と思ったら、子供たちはみんなチキンを残してた。そりゃそうだ。

っていうか、子供に合わせたメニュー出せよ! なんで、大人と同じもの持ってくるんだよ!

ピースボートの寄港地での食事⑧

タヒチは何もかも高い

タヒチのレストランから

最後に紹介するのはタヒチのグルメ。

と言っても、味ではなく物価の話。

タヒチはとにかく、何もかもが高い。

日本だったら100円のアイスがタヒチだったら400円。終始この感じだ。

「タヒチはいいところだけど、物価が高いから住めない」と仲の良いスタッフに行ったところ、「でも、現地で商売すればタヒチの物価にあった収入になるんじゃない?」と返ってきた。


どうだっただろうか。口に合わない料理も、食べきれない料理も、みな異文化交流である。ときには「よくわからない料理」を頼んでみるのもまた面白いものだ。