現代のオカルトの代表格と言えるのがUFOだ。今回は、そんなUFOを「現代の妖怪」として、民俗学の立場から分析してみた。空からやってくる現代の妖怪、UFO。日本人と、いや、地球人とUFOのかかわりを民俗学的に分析してみよう。
UFOは存在する!
UFOは、います!
しかし、UFOは宇宙人の乗り物ではない!
どういうことかというと、UFOは「未確認飛行物体」の略称であって、別に宇宙から来たものでなくても、「空を飛んでいたよくわからないもの」をUFOと呼ぶよ、という意味である。
空を飛んでいて、正体が不明ならば、それはもうUFOである。
巷には数多くのUFOの写真や動画が出回っているが、その95%は何かの見間違いか、科学で説明のつく現象であるという。
しかし、それでも5%は何なのかわからない。
これこそがUFOである!
別に宇宙人が乗っていようが、宇宙から来てなかろうが、UFOの定義を十分に満たしている。たとえその正体が風で飛ばされたビニール袋でも、誰にもその正体がばれなければ、それはUFOである。
さて、ここからはみんな大好き、『宇宙人の乗り物』としてのUFOについて見ていこう。
最初のUFO
一体、人類はいつからUFOと遭遇していたのか。
その起源はわからない。へたしたら、人類が初めて空を見上げた日から、人類はUFOと遭遇しているのかもしれない。
一方で、UFOの一般的なイメージである「空飛ぶ円盤」ならば初出がはっきりしている。
それが、ケネス・アーノルド事件である。
1947年アメリカ・ワシントン州。そう、ビッグフットが住むことで有名なワシントン州である(ワシントンD.C.とは別物。高校生の僕はそうとは知らず、ホワイトハウス前で「この辺にビッグフットがいるのか」とあほなことを考えていた)。
ある日、ワシントン州でケネス・アーノルドという人物が昼日中から空を飛んでいた。もちろん、飛行機を操縦して。
すると、正体不明の飛行物体を目撃したのだ!
この目撃談をマスコミは「空飛ぶ円盤」として大々的に報じた。以後、UFO=空飛ぶ円盤というイメージが世界的に定着する。
だが、ここでひとつ残念なお知らせ。
ケネスは実は一言も「空飛ぶ円盤を見た」なんて言っていない。
ケネスが言ったのは「水面をはねるお皿のような飛び方をしていた」であり、形状に関してはむしろ「三日月のような形」と言っていたのだ。ところが、マスコミ発表ではそれが「空飛ぶ円盤」になってしまったのだ。
さて、不思議なことに、UFOに関する伝承はあまり聞かない。古い絵画に空飛ぶ円盤のようなものが書いてある、というパターンはあるが、UFOを見たという昔話はとんと聞かない。目撃談もほとんどが20世紀以降のものなのだ。
江戸時代のUFO
さて、UFOに関する伝承はほとんどないのだが、UFOと言われる絵なら実は日本にも残っている。それが「うつろ舟」と呼ばれるやつだ。
うつろ舟に関する伝承は全国各地に残っている。海岸に見慣れぬ船が流れ着き、その中には異国の人間が乗っていた、という伝承だ。
画像がこちら。
確かに、我々が抱くUFOのイメージによく似ている。
この画像の船は1803年に茨城の海岸に流れ着き、中には異国の女性が乗っていたらしい。
この絵が特に話題なのが、船の中に書かれていたという文字だ。画像の右上にある、記号のようなものがそうだという。
これが宇宙の文字みたいだということで、うつろ舟=UFO=宇宙人の乗り物、などと言われている。
ここで一つ聞きたいのだが、
……誰か「宇宙の文字」の実物を見たことがある、という人がいたら、ぜひ名乗り出てほしい。
そう、「宇宙の文字」の本物を見たことがある地球人は、いない。
誰も「ホンモノ」を見たことがないのに、何をもって「宇宙の文字みたいだ」なのだろうか。
むしろ、これは「今も昔も、日本人が思いつく『まったく見たことない文字』は似たような形である」ことを意味しているのではないだろうか。
さらに言えば、うつろ舟は厳密にはUFOではない。
UFOとは「未確認飛行物体」である。うつろ舟は漂着物であって、飛行物体ではない。うつろ舟が空を飛んでいるところを見た人はいないのだ。
現代のUFO
さて、UFOを妖怪として考えた時、他の妖怪とは決定的に違うことがある。
普通の妖怪は「噂話」として伝えられる。カッパを見たとか、天狗を見たとか、口裂け女に追いかけられたとか、全部噂話、口承文芸だ。
ところが、UFOの場合、「目撃談」もあるのだが、近年では「動画」が主流になっている。
UFOは動画で撮影されている数少ない妖怪の一つともいえる。
そういったUFO動画を見ていると、本当に驚く。
夜、真っ暗な夜空に突如煌々と輝く謎の飛行物体。この映像を見た時は本当に驚いた。
何の必要があって、夜中にピカピカ光っているのか、と。「見つけてくれ」と言わんばかりに。
そもそも、機体の外があんなにピカピカ光ってる意味が分からない。「機内の光が窓から漏れてる」なんてレベルではない。機体の外に明らかに発行体があって、何が目的なのかピカピカ光っているのだ。エネルギーの無駄遣いだと思う。
他にも、UFO動画は不可解なものばっかりだ。
空を飛んでいるのに、どういうわけか真横から光を受けているUFO。ちなみに、映像を見る限り真横に太陽があるようには見えない。いったい、あのUFOは上空で何の光を反射していたというのか。
逆に、真っ赤な夕焼け空に浮かんだ巨大UFOが、全く夕日を反射しない、という不可解な画像も見たことがある。この場合、沈みゆく太陽の方がUFOより下にあるのだから、下からUFOを見上げれば、夕日を反射していないとおかしい。
他にも、飛ぶのにも着陸するのにも、明らかに不向きとしか思えない形状のUFOもある。そこがとがってたるやつとか、どうやって着陸するのだろうか。
いずれにしても、現代の物理学では解明できない、不可解な存在だ。
伝承としてのUFO
さて、先ほども書いたのだが、UFOの目撃談は20世紀以降に集中している。
これまた不可解だ。
人類はほぼ毎日、誰かしら空を見上げている。なのに、UFOを20世紀にはいるまで見なかったというのか。
さらに、飛行機やヘリコプターが登場する前の時代は、空を飛んでいるものは鳥や虫以外は即UFO認定されるはずだ。
にもかかわらず、UFOの伝承は20世紀以降に集中しているのだ。
なぜだろう。
そこで僕は、「UFOの目撃者は飛行機乗りが多い」ということに注目してみた。
特に、ケネス・アーノルドをはじめとする1940~1950年代のUFO目撃者は、飛行機のパイロットに多い。このころからUFOの伝承は数を増す。
飛行機という乗り物は、第一次世界大戦時に大きく発展した。
つまり、UFOは飛行機が空を飛ぶのが当たり前になってきた時代に登場し始めた、ということだ。
思えば、UFOは大体結構でかい。重量もあるはずだ。
そんなものが空を飛ぶ、というのはかつては考えづらいことだった。
空を飛ぶ妖怪は古くからいた。羽を持つ日本の天狗、箒にまたがる西洋の魔女、いずれも、ほとんど身一つで空を飛ぶ。
僕が思い浮かぶ限り、飛行機登場以前で「空を飛べる」とされたもので最も重いのが、太陽の神ヘーリオスの馬車だろう。
ただ、これは誰かが空飛ぶ馬車を目撃したわけではなく、「太陽ってなんで空を飛んでるんだろうね?」「馬車で運んでるんじゃね?」的な発想で飛んでいたんだと思う。「馬車は空を飛べる」と思われていたのではなく、「なぜ太陽は上ったり下りたりするのか」の理由づけとして「神様が馬車で運んでいる」という風に考えられたのだ。
まあ、何が言いたいのかというと、飛行機が登場するまで、「空飛ぶ妖怪」は盛んに考えられても、「空飛ぶ乗り物」はあまり考えられなかったのである。
とはいえ、一部例外はある。岩手県には船が空を飛んだという話がある。竹取物語には月からやってきた「空飛ぶ牛車」が登場する。
だが、一般的には、人間の体一つ飛ぶので精いっぱい。「乗り物クラスの重量のものが空飛ぶわけない」と考えられていたのだ。
ところが、飛行機が「人体よりはるかに重いものでも、空を飛べる」ということを証明してしまった。
そこでようやく、空飛ぶ乗り物、すなわちUFOの伝承が生まれたのだ。
UFOは、人間の科学力が「乗り物でも空を飛べる」というレベルに追い付くまで、ずっと待っていたのだ。
きっと、地球人は、宇宙人に人間の科学力の一歩先を行っていてほしいのだ。人間が空飛ぶ乗り物を自在に操るなら、宇宙人にはどう考えても空を飛びそうにないフォルムの乗り物に乗っていてほしいのだ。反重力とかいう謎の動力で空を飛んでほしいのだ。突然消えるみたいな、物理の法則を完全に無視した飛び方をしてほしいのだ。テレパシーみたいな超心理学的な能力を持っていてほしいのだ。
UFOとは、科学時代の妖怪なのだ。
かつて、河童や天狗は神通力を持っていると思われていた。人間にはない魔術的な力を持っていると考えられていた。タヌキやキツネは人間にはできない「化ける」という行為ができると考えていた。
こういったものが信じられていた時代は、魔術が科学よりも強かった。
やがて科学が発展し、いつしか魔術は迷信として退けられ、科学こそが確かなものとして扱われるようになった。
それでも、人間は「自分たちにない、未知の能力を持つ妖怪」を追い求めた。
それこそがUFOであり、宇宙人なのだ。魔術ではなく科学の時代である現代に現れた、人間よりも優れた科学力を持つ妖怪、それがUFOであり、宇宙人なのだ。噂話ではなく、「動画」という科学技術で記録され、伝えられた妖怪なのだ。
UFOはまさに、科学の子、そんな妖怪なのだ。