やっぱり大好き「宇宙よりも遠い場所」

アニメ「宇宙よりも遠い場所」(通称「よりもい」)の再放送が終わりました。

6年前にリアタイで見てから、もう3回4回と見てるんだけど、何度見てもいいアニメ。

僕のアニメの見方は、視聴するタイトルを絞って、気に入ったおなじアニメを繰り返し繰り返し見るタイプです。「ヤマノススメ」「プリンセス・プリンシパル」「刀使ノ巫女」と、おなじアニメを繰り返し繰り返し見ています。

「よりもい」も僕にとってはそんなアニメの一つ。何度見ても飽きない!

脚本が花田十輝先生なんですよね。やっぱり花田先生の脚本は、キャラの見せ方がいいし、描き方が丁寧。いろいろやってる人だけど、ほかの作品だと「ラブライブサンシャイン」が好きです。

世の中似たようなアニメが多い中で、「女子高生たちが本気で南極を目指す」という、どこともかぶらないお話です。

女子高生が南極になんてホントに行けるの? ってところから始まり、周りにばかにされながらも南極行きの切符をつかみ、パスポートなくしかけたり、船酔いに悩まされたりしながら、南極にたどり着く、そんなお話です。

僕にとっての「よりもい」の魅力は何だろうって考えると、やっぱり「どんなにバカげた夢でも、全肯定してくれる」ってところだと思います。

宇宙よりも遠い場所・南極に女子高生が行くという、途方もなくばかげた夢を全肯定しているアニメですから。それも、特別な才能があるわけでも、想像を絶する努力をするわけでもない、ホントにごく普通の女子高生たち(一人中退してるけど)が南極に行くのだから、これ以上バカげた夢はないです。それを全肯定しているアニメなのだから、見てる側がどんなにバカげた夢を胸に秘めていても、「突き進め!」と肯定してくれるわけです。

むしろ夢というのは人に言ったらバカにされて笑われるくらいじゃないとおもしろくない。

あと、南極には行ってないけど(寒いの嫌いだから行きたくもないけど)船旅をしてた僕にとっては、荒唐無稽どころかものすごくリアルな話だというのも好きなポイントです。

海外でパスポートなくしかけるとか(焦りで軽く死ねますね。経験者は語る)。

船酔いでグロッキーになるとか(マジで軽く死ねますね。経験者は語る)。

出発の日の朝の何とも言えない雰囲気とか、帰国して普通に電車に乗って一気に現実に帰ってくる気持ちとか。

つまりまあ、一つ一つの描き方が丁寧なのです。

そして実はお話の構成がものすごくシンプル。

舞台は群馬からシンガポール、船に乗って南極へと世界単位で移動し、登場人物も毎回いっぱい登場する。でも、基本は「四人の女の子が南極を目指してからたどり着くまで」を描いたお話で、キマリ、報瀬、ひなた、結月の4人さえ覚えておけば、十分お話を楽しめる。

名作と呼ばれる作品ほど、余計な脱線をしないで、シンプルに話を進めるものです。

そして今回、全話録画したので、もういつでも「よりもい」が見れる! やったね!

「よりもい」放送から6年、ついに「いつでもよりもいが見れる生活」がはじまります。軽く死ねますね。

「幻日のヨハネ」を語りたい!

今期のアニメ「幻日のヨハネ」が面白かったから語らせてくれ!

この「幻日のヨハネ」、説明が必要なアニメで、ラブライブシリーズの最新作なんです。

ラブライブとは何かというと、女の子のアイドルが主人公のアニメ・ゲームのプロジェクト。アニメの中だけでなく、声優さんたちが実際にアイドル活動をするんです。

このラブライブグループの2代目のグループが「Aqours(アクア)」。9人組のグループで、紅白に出場したり、東京ドームでライブしたりしています。

で、このAqoursを主人公にしたアニメが「ラブライブサンシャイン!」。静岡県沼津市を舞台に、女子高生たちが廃校の危機にある母校を救うためにアイドル活動をする、というお話。2クール全26話。

僕は最初、「女の子たちがキャッキャして、オタクにゲームやCDを売りつけるためのアニメなんでしょ、どーせ」とナメた態度で見始め、

最終回で号泣していました。

その後、再放送で2周目の視聴に入り、

「面白いアニメだったけど、2周目だし。展開もオチも知ってるし」とナメた態度で見始め、

最終回でまた号泣していました。

で、今回の「幻日のヨハネ」はこの「ラブライブサンシャイン!」のスピンオフなのです。

Aqoursのメンバーに津島善子というキャラがいまして、この子がAqours随一の濃いキャラクターで、いわゆる中二病。黒魔術に憧れ、「堕天使ヨハネ」を自称し、周りからは「はいはい」と軽くあしらわれる、そんなキャラです。

……やっと「ヨハネ」が出てきましたね。

「幻日のヨハネ」は「善子ちゃん」ではなく「ヨハネ」を主人公に、異世界都市ヌマヅを舞台に、Aqoursメンバーと同じ名前同じ顔よく似た性格の女の子たちが活躍するアニメなんです(ちなみに、善子ちゃんは「サンシャイン」では主人公ではなく、あくまでメンバーの一人)。

「幻日のヨハネ ~SUNSHINE IN THE MIRROR~」のあらすじ

歌手になる夢を抱き「ヌマヅ」から「トカイ」へと出ていったヨハネ。でも夢を掴めずにヨハネはヌマヅへと帰る。そこで母親から出された夏の宿題が「自分にしかできない楽しくてたまらないことを見つけなさい」。ヨハネとだけ言葉を交わすことのできる犬(オオカミ?)のライラプス、そして幼馴染のハナマルをはじめとする同年代の女の子たちとの触れ合いを通して、ヨハネは宿題の答えを探していく。一方で、町では怪しい事件も起き始め……。

まあ、これまた「Aqoursファンに向けたおふざけのスピンオフでしょ、どーせ」とナメた態度で見始め、

いまドハマりしています。

スピンオフだけど、世界観も人間関係も完全に別物なので、Aqoursを全然知らない人が見ても楽しめます。

もちろん、Aqoursを知っているともっと楽しい。元ネタである「サンシャイン」を反映してる部分だったり、ちがう部分だったり、「このキャラはこうアレンジしてきたかぁ」という部分で楽しめます(ヨハネと比べると善子ちゃんはもっとひねくれてる、とか)。

なにより、Aqoursの9人がそろった時の雰囲気がすごくいい。ほんとになんとも言えない「雰囲気」がいいんです。

それに、Aqoursが歌う主題歌「幻日ミステリウム」もすごくかっこいい! まるで世界の破滅に立ち向かうアニメかのようなシリアスさ!活動期間も10年近くになり、ソロで音楽活動をしている声優さんも多いので、楽曲としてのクオリティがすごくいいのです。

Aqoursやラブライブを好きになる入り口がこの「幻日のヨハネ」だった、そんな人がいてもいいと思います。

アニメ「ヴィンランド・サガ」について語りたい!

久々に熱く語りたいアニメに出会いました。

それが「ヴィンランド・サガ」

1と2で半年ずつ、1年間続けて見ました。これはヘタしたら人生観が変わるアニメです。

「ヴィンランド・サガ」がどんなアニメかというと、

舞台は千年前のイングランド周辺。「海の向こうにはヴィンランドという名の手つかずの大地が広がっている」という伝説があって、そこを目指す主人公トルフィンを描く物語なんだけど、

これが全然ヴィンランドに行かないの。

1クール目 トルフィン、バイキングの少年兵として戦場に立ち、秒速で闇堕ちする。ヴィンランドに行く気配まったくなし。

2クール目 トルフィンより、トルフィンが父の敵と狙う海賊アシェラッドに重点が置かれ、トルフィンは殺気と憎悪をにまみれた10代を送る。ヴィンランドのことなんてすっかり忘れている。

3クール目 アシェラッドへの復讐に失敗し、奴隷に身を堕としたトルフィン。殺気も生気もすっかりなくなって無気力な状態に……。

いつヴィンランドに行くんだよ。

奴隷に身を堕としたトルフィンだけど、森を切り開き麦を育て、奴隷仲間で初めての友達ができて、戦場にいた頃に比べればまっとうな生活を送ることで、まっとうな人としての感覚を取り戻していきます。

そうして感じはじめるのが、これまでの戦場での行為に対する「罪の意識」。夢の中で自分が殺してきた人たちがわらわらと現れ、トルフィンは「すまない……」っていうんだけど、命を奪ったことに対する「すまない」じゃないんですよ。

殺し過ぎて「あなたたちがどこの誰なのか思い出すことすらできない」ってことに対する「すまない」なんですよ。

そこから自分の犯した罪を背負って生きると決めたトルフィンは、「もう二度と暴力を振るわない」と誓い、「この世界から戦争と奴隷をなくすことはできないか」と考えるようになるんです。

でも、どこに行っても海賊が襲ってきて、戦争になる……。

そこで思い出すのが、幼き日に聞いたヴィンランドの伝説。海の向こうには海賊たちも知らない大地が広がっている……。

そうだ、ヴィンランドに行こう! そこに戦争も奴隷もない国を作るんだ!

ここまで第1話から9か月! 長かった!

昨今の「イントロをとばして聞く」とか、「映画をコマ送りで見る」みたいなせっかちな人たちを容赦なくふるい落とすアニメです。タイパなんて言葉、北海に沈めました。

こうして迎えた4クール目だけど、「二度と暴力は振るわない」と誓ったトルフィンの身に、次々と「戦わなければ生き残れない!」という試練が訪れます。まるでその信念を試すかのように。何せこの時代は「強い奴が殺して奪うのが当たり前」という世の中なのです。

それでも、「暴力は最後の手段。それに代わる最初の手段を見つける人になりたい」「戦わない。逃げる」という信念を貫こうとするトルフィン。その信念を貫き、いよいよヴィンランドへ向かう!

ここでアニメは終わります。続きはマンガでお楽しみください。僕も原作読みたい!

「ヴィンランド・サガ」には大きく二つの魅力があります。

一つが、トルフィンの考え方の変化を楽しむということ。殺気立った10代から、無気力な奴隷、罪への後悔を経て自分の使命を見出すまで、トルフィンという人間はその人生の中で少しずつ価値観を積み上げていくのです。彼の心情の変化を読み解き一人の人間の人生を追体験する楽しみがあるんです。

そしてもう一つが、「戦わない、逃げる」という生き様を定めてからの、過酷な時代の中でその生きざまを貫こうとする魅力。困難を前に兵士だったころの殺気を放ちながら「暴力は絶対に振るわない」という覚悟を決めているのがかっこいいんですよ。

偉大な何かを成し遂げる英雄というよりも、混沌とした時代の中でおのれの生きざまを貫こうとする男の生涯を描いたアニメ、それが「ヴィンランド・サガ」なのだと思います。

ほんとにリコリコの一人勝ちなのか

この夏は面白いアニメがいっぱいでした。

ただ、ネットの反応を見てるとなんかリコリコの一人勝ちみたいになってるんですけど、僕は決してそうだとは思ってないですね。

確かに、リコリコの面白さは頭一つ抜けてるかな、とは思うんですけど、ほかのアニメを大きく引き離してる、とも思わないんですよ。ほかのアニメもかなりの粒ぞろいでした。

ただ、オリジナル作品の中では、「徹底的に作りこんだ物語を、シンプルにテンポよく見せる」、これが一番できていたのが、リコリコだったのかな、とは思いますね。

雑に作ったお話を、雑に見せる。それだとあたりまえだし、それじゃダメじゃないですか。

複雑なお話を、いかにも難しそうに見せる。それもまた、当たり前。

雑に作ったお話を、いかにも難しそうに見せる。「特撮界のちむどんどん」との呼び声高い仮面ライダーリバ〇スがやらかしたことですね。

そうじゃなくて、

凝りに凝って、練りに練って、徹底的に作りこんだお話を、そうとは思えないぐらいシンプルに見せる。無駄な部分、わかりづらい部分は、ばっさばっさと切り落とす。でも、大事な部分はしっかり残す。

これがきっとかなり難しいことなんじゃないかな。徹底的に作りこむのも大変だけど、作りこんだら作りこんだで、それをシンプルにテンポよく見せるのがさらに大変。難しい部分は削ぎ落すけど、奥深さは失わない。

今期のアニメの中でそれが一番できていたのがリコリコだったんじゃないか、それがあのヒットの理由かな、と僕は思いますね。

「犯罪者を裏で始末しているリコリスという少女たちと、それを束ねる組織がある」っていう設定と、「リコリスでありながら敵も味方も殺さないやり方を貫く千束」と「これまでリコリスとしての生き方しか知らなかったたきな」というキャラだけ頭に入っていれば、なんとな~く見てても十分楽しめるんです。

すくなくとも、僕はそうでしたよ。

設定にしても、作りこんでるんだろうけど世界観の描写とか設定の説明とか、あんまりしてない。

キャラクターも、必要最低限のキャラしか出していない。

作りこんだ世界観と物語を、可能な限りシンプルに見せていたと思うんです。

ジブリとかもそうですよね。ネットとかで「もののけ姫の裏設定」みたいな話がよく出てくるけど、そういうネタがあるのは、ジブリ映画が設定や世界観を徹底的に作りこんでいて、歴史ネタとか民俗学ネタとかふんだんに盛り込んでいて、それでいてやたらと細かい描写はしないでシンプルに見せてほとんど説明しないから。

「緻密な伏線回収!」とか「大どんでん返し!」とか「まさかの展開!」とか、「いかにも難しいことやってます!」って感じは、リコリコにもジブリにもあまりなくて、強いメッセージとキャラクターの魅力による直球勝負、そんな感じがします。

そういうアニメは実はリコリコのほかにもいっぱいあるんだけど、リコリコほど注目されてないものがほとんど。リコリコ以外にも、直球勝負アニメがもっと評価されたらいいのにな、と思います。

そうじゃないと、バランスとれねぇよなぁ!

リコリコと選択とエゴイスト

今期の最注目アニメ「リコリス・リコイル」がついに最終回を迎えました。毎回、SNSで深夜アニメとは思えないほどの盛り上がりっぷり。それも、原作のないオリジナルもので、ですよ。

確かに面白いんだけど、正直ほかのアニメと比べても鼻先一つ抜けてるぐらいで、頭一つ飛びぬけてる感じまではないかなぁ。過大評価じゃないの?

……と思ってたんですけど、最終回を見て、感想を上方修正しました。なるほど。確かに頭一つ飛びぬけたアニメです。

今期はほかにも面白いアニメはあったんだけど、たしかに「キャラの描写は丁寧に、物語・設定・世界観はシンプルに」を一番うまくやれていたのは、リコリコだったかなぁ。

それに、メッセージが一貫してぶれなかった。「運命や使命、持って生まれた才能が何であれ、自分の生き方は自分で選んで決める」というメッセージが一貫していたうえに、それを説教臭く語るのではなくて、主人公・千束(ちさと)の生き方を示すことで視聴者に語りかける。

最後まで見て、「ああ、このアニメはこういうことを伝えたかったんだなぁ」というのがはっきりすると、もう一度見たくなります。きっとまた新しい発見があるはず。優れたアニメとは、ネタバレしていてもなおおもしろいアニメです。

こういうアニメが、リコリコ以外にももっと評価されないとアカン!

僕自身、「選択肢はたくさんあってなんぼ」と思って日々生きてるので、「自分で選んで決める生き方」というメッセージはとっても共感できましたね。

逆に言うと「勝手に選択肢を狭めてくるやつ」が嫌いなんですよ。「お前はAとB、どっちなんだ!?」って聞かれたら、「え、なんでCないの? Dでもいいじゃん」と、勝手に選択肢を増やすのが僕ですね。

あと、最終回ですごく響いたセリフがあって。

千束が敵対しているテロリストの真島の話を聞いて「あんたも結局、自分が正しいと思ってるんだね」と言った後の、「本当の悪者なんて映画の中にしかいない。現実は、正しい人同士が殴り合ってる」というセリフ。

これがまさに、最近僕が考えてたこととドンかぶりで。何とかしてこの話をマイルドに書けないかと、試行錯誤していたのです。

今の世の中、「とにかく自分は正しい! そして、他人も、社会も、国も、自分の考えと同じであるべきだ!」っていうエゴイストが多すぎるんです。

自分とちがう意見は、絶対に認めない。なぜなら、自分と違うことを言うやつは、自分のエゴを踏みにじる敵だからです。「世界は自分と同じじゃなきゃいけない! 自分と違うやつは、敵だ!」という考え方です。

それだけじゃなくて、中立的なものの見方も認めないんです。「俯瞰して物事を見る⇒誰の味方もしない⇒俺の味方じゃない⇒敵だ!」という考え方です。厄介ですね。

もっと厄介なことに、エゴイストは「政治への関心が強い」が結構多いです。「世界は俺と同じでなければならない!」というエゴイストにとって、政治という手段はとっても相性がいいうえに、「政治に関心があります」と言っておけば、「実は自分にしか興味がない。国とか社会とかほんとはどうでもよくて、とにかく自分にしか興味がない」という本性を、巧妙に隠すことができます。

今の政治家は「エゴの代弁者」になって、こういったエゴイストの力を借りないと当選できないのかもしれません。

リコリコで描かれた悪も、自分の考えを他人や社会にも押し広めようとする「エゴイスト」だったのかな、と思います。自分で生き方を選ぶ自由は、裏返せば他人の選択を尊重することでもあるんだけど、その「他人の選択を尊重する」「他人と自分は同じじゃない」ということがわかっていなくて、自分の選択を他人にも力づくで押し付けようとする人が、悪として描かれていたのかな。

とりあえず、リコリコ、もう一周したいなぁ。さかなぁ~。ちんあなご~。

推しキャラ引き運

おととしのこと。旅行中に男子三人で「好きな女性のタイプ」という鉄板すぎるネタで盛り上がったことがありました。

鉄板すぎるネタなんですけど、唯一、「一般的」と違う部分があるとすれば、現実の女性の話じゃなくて、人気アニメ「ご注文はうさぎですか?」の登場人物の中で、という条件が付いていたこと。まあ、些細な問題です。

友人の一人は「ココアさん」と答え、もう一人の友人は「リゼ先輩」と答え、僕は「チノちゃん」と答える。見事にかぶりませんでした。

「好きな女性のタイプ」というと、なんだか仰々しいしいやらしいけれど、「推しキャラ」と言い換えることもできます。

そして僕はこの推しキャラのグッズを引き当てる確率が高いんです。

「ごちうさ」関連のくじ引きをやれば、かなりの確率で僕はチノちゃんを引き当ててきました。

この「推しキャラ運」の強さはこれだけにとどまらず。

僕の一番好きなアニメが2018年に放送された「刀使ノ巫女」で、そのアニメをもとにしたゲームもかなり熱心にやりこみました。

そのゲームのシステムは、使えるキャラクターをくじ引きでゲットする、いわゆる「ガチャ」というやつです。

さて、ゲームにログインして初めての記念すべきガチャ。僕のお目当ては、推しキャラ「糸見沙耶香」! キャラの数から考えて、引き当てる確率は16分の1。6.25%。

よーし、沙耶香を引き当てるまで、ガチャを回すぞ~!

……1回目で引き当てました。

その日はじめてログインしたばっかりなんだから、僕が沙耶香推しであることなど、どれだけ優秀なAIが搭載されていたとしても、ゲーム側が知るはずありません。

ちなみに、後に実装された推しキャラ「岩倉さん」も数回のガチャで引き当てました。

さらにさらに、2番目に好きなアニメとして公言してはばからない、2017年のアニメ「プリンセス・プリンシパル」でも引きの強さは健在。

コラボカフェに行って、缶バッジを2個買ったんです。中身がどのキャラなのかは、買って開封するまで分からないシステム。

これまた、1回で推しキャラ「ベアトリス」を引き当てました。

しかも、買ったバッジが二つとも「ベアト」だったんです! バッジは5種類なので、2つとも推しキャラを引き当てる確率は4%!

さらに、このアニメの映画を見に行った時も、入場者特典としてポストカードがもらえるのですが、それまたベアトが描かれたものでした。

ただ、この「推しキャラ引き運」、あまりやり続けると、確率が下がってしまうんですけどね。推しキャラ引き運は、鮮度が大切です。

感想:「白い砂のアクアトープ」とは何のアニメだったのか

ふだん、僕はアニメを見るとき、事前情報を一切入れない。当日のテレビ欄で初めて「こんなアニメ始まるのか」と知るのである。

そんな僕が唯一、予告CMで「これは見たい!」とチェックを入れ、見逃さないように放送日をしっかり確認したアニメ、それが「白い砂のアクアトープ」。

予告を見て、「これは僕好みのアニメっぽいぞ。それも、P.A.WORKSだと!?」とチェックを入れていたのです。3か月も前から。

そして、「白い砂のアクアトープ」、期待通りのアニメでした。

「白い砂のアクアトープ」のあらすじ(軽いネタバレあり)

「終わっちゃった、私の夢……」

東京でアイドルとして活動しながら夢を追いかけていた少女、宮沢風花。だが、チャンスを手放してしまい、夢を諦めてアイドルをやめてしまう。

だけど、すぐに実家の岩手に帰る気にもなれなかった風花は、たまたま東京駅で沖縄の観光ポスターを目にして、沖縄への一人旅に出る。

当てもなく沖縄をさまよう風花はやがて、「がまがま水族館」という古い水族館にたどり着き、館長の孫娘、海咲野くくると出会う。どこにも行く当てのない風花は、がまがま水族館が人手不足・絶賛バイト募集中であることを知り、がまがまで働くことになった。

だが、がまがまは設備の老朽化で、あと1か月で閉館することがすでに決まっていた。

がまがまを我が家のように思って育ち、自他ともに認める水族館バカのくくるは、なんとかがまがまを存続できないかと一人奮闘していたのだ。

「風花、私の夢を手伝って!」

一か月の間、なんとかがまがまを存続できないかと奮闘するくくると、そんなくくるを手伝いながら、水族館の仕事に触れていく風花。

だけど、台風が直撃した夜、がまがまの老朽化した設備では生き物たちを守り切れないという現実を目の当たりにし、くくるは閉館を受け入れる。

こうして、がまがまはその歴史に幕を下ろし、風花も岩手へと帰っていったのであった。

ここまでが12話までのお話。これはこれで十分「いいアニメじゃった」って言えるんだけど、

これ、まだ、お話の半分です。12話であまりにもきれいに終わったので、ネットは「あと半分、どうなるの?」と騒然としていました。

さて、迎えた第13話。時は流れて、くくるは沖縄で、風花は岩手で、それぞれ高校を卒業し、二人はそろって沖縄に新たにオープンした大型水族館、「アクアリウム・ティンガーラ」に就職した。

風花はペンギンの飼育チームに配属。まずは、数十匹いるペンギンの顔と名前を一致させるところから始まる。

一方、飼育員志望、と言うか飼育員しか眼中にないくくるだったが、配属されたのはなぜか企画・営業の部署だった。圧迫上司には「プランクトン」とあだ名をつけられ、くくるの「水族館で働いているのに、生き物とまったく触れ合えない日々」が始まった……。

というのが、「白い砂のアクアトープ」のあらすじ。

さて、「白い砂のアクアトープ」とは、いったいどういうアニメだったのだろうか。

どういうアニメって、水族館のアニメですよ。

それはそうなんだけど、ここで言いたいのは、「このアニメの主題とは何か」。つまり、「このアニメで一番伝えたかったことはなにか」「24話もかけて描きたかったこととは何か」

「白い砂のアクアトープ」の主題、それは最終回に登場する。「水族館が好き」というセリフだ。

もっと細かく言うと、「たまたま水族館に行きついただけだった少女・風花」と、「水族館が好きだけど、水族館で働くことは必ずしも楽しいことだけではない、ということがわかっていなかった少女・くくる」が、本当の意味で「水族館が好き」と言えるようにまるまでを描いた物語、それが「白い砂のアクアトープ」である。

そして、「白い砂のアクアトープ」は「くくるの視点」と「風花の視点」で、意味合いが大きく異なる。物語そのものはたいして変わらないはずなのに(この百合ップルはスキあらばいつも一緒にいるのだ)、その意味が大きく変わる。

「水族館が好き」(くくるの物語)

「伝説の飼育員」をおじいに持ち、水族館を我が家のようにして育ったくくるは、自他ともに認める水族館バカ。学校の授業中でも海の生き物のことを考え、水族館で働けるなら休みなんかいらないというブラックなセリフも平気で言ってのける。

くくるにとって「水族館が好き」というのは、あまりにも当り前のこと。

ところが、そんなくくるがティンガーラで配属されたのは、特に興味のない営業・企画の部署だった。アットホームな雰囲気のがまがまと違い、ティンガーラは多くの人が働く「ガチ職場」。

はたから見ている分には、くくるが期待されているからこそ、飼育以外の仕事を経験させようという人事にしか見えないのだけれど、当の本人は「ぜったい意地悪されてる」。くくるという子は、基本的に未熟なのです。

好きじゃない企画・営業の仕事だったけど、くくるなりに一生懸命がんばる日々。だけど、何日もかけて用意したプレゼンで失敗して結果を出せずに落ち込んだくくるは、とうとう水族館の仕事をずる休みしてしまう。

これは、大事件である。水族館が大好きなくくるが、水族館から逃げ出したのだ。水族館で働けるなら休みなんていらないと豪語していたくくるが、ずる休みをしたのだ。

そうして心折れたくくるが、どう立ち直って、どう水族館に向き合っていくかが終盤の展開なのであるが、ここで注目したいのは、大好きな職場にも、「やりたくない仕事」や「めんどくさい人間関係」、「心折れる挫折」など、「好きだけじゃどうしようもないこと」があるという点だ。

好きな仕事や好きな場所で、つらいことや好きになれないことに直面した時、それでもあなたは「好き」って言えますか?

好きだけじゃどうしようもない。でも、やっぱり好きじゃないと乗り越えられない。

ただただ純粋に水族館が好きだったくくるが、水族館の「好きではない部分」を目の当たりにして、そこを乗り越えて本当の意味での「水族館が好き」と言えるようになるまでを描く物語、それがくくるのがわから見た「白い砂のアクアトープ」なのだ。

だから、くくるは最終回でおじいに「がまがまで働いてたとき、つらいことあった?」と尋ねる。このセリフをわざわざ最終回に持ってくるということは、それだけこのセリフがくくるにとって重要だということである。

「水族館が好き」(風花の物語)

風花はくくると違い、がまがまに来るまでは特に水族館に思い入れはなかった。たまたま水族館に流れ着いただけであり、行き場のない風花を受け入れてくれるのであれば、博物館でも図書館でも映画館でも写真館でも、蝋人形の館でもよかったのだ。

風花はまじめな子なので、たまたま行き着いただけの水族館の仕事にも真摯に取り組んでいく。ペンギンの名前を覚え、海の生き物の知識を深めていく。だが、くくるのような根っからの水族館バカや、大学で海洋生物を専攻していたような飼育員と比べると、やはり知識不足である。

それを印象づけるシーンがある。23話でのハワイ留学を賭けたプレゼンのシーン、風花だけがほかの人の発表も熱心にメモに取っていた。風花のまじめさが際立つ一方で、ほかの人に比べると風花はまだまだ勉強不足、ということを本人もわかっているからメモを取っているのだろう、という風にも見えるのだ。

ティンガーラの面接のときも、がまがまでの一か月で水族館の仕事に興味を持ったというだけで、はっきりと「水族館が好き」とは言っていない。

自分の意志や決断ではなく、たまたま流れ着いただけの場所。逃げてきて、たまたま行き着いただけの場所。それでもあなたはそこが「好き」って言えますか?

終盤でティンガーラの近くの入り江にバンドウイルカの子供が迷い込んでくる。近所の子供たちから「バンちゃん」と呼ばれ親しまれるが、一方で、ケガをしてるわけでも弱っているわけでもないのに、なぜ沖へ出ていかないんだろうとくくる達は不思議がる。

「バンちゃん」は風花の現状を象徴しているのではないだろうか。迷い込んでたまたまやってきた場所が居心地がよく、沖に出ることを忘れたバンドウイルカ。

だからこそ、第23話で風花がくくると離れハワイへ留学する決意を固めたシーンで、「バンちゃん」が飛び上がり月に照らされるカットが描かれる。入り江に迷い込んだバンちゃんは、風花の姿そのものだからだ。

そして最終回には「バンちゃん」は登場しない。きっと風花の決意を見届けて、沖に帰ったのであろう。

風花がくくると離れるという決断をしたことには、物語の中で大きな意味がある。

風花がアイドルをやめてしまったのも、後輩にセンターの座を譲ってしまったことで、「やる気がない」と思われたことが原因だった。

風花は、自分の夢よりも他人を優先させてしまうのだ。

それ自体は決して悪いことではない。風花が優しすぎるが故のことである。

だけど、毎回毎回、自分よりも他人を優先させていたら、損をするのは風花である。

そして、ティンガーラで働いていた風花はやがて海の環境問題に興味を抱く。そんな風花にハワイ留学のチャンスが巡ってくるのだが、最初、風花は「くくると離れたくないから」と断ってしまう。

くくるにとって風花は、親友であると同時に、お姉さん替わりでもあった。そんな風花がいなくなったら、いま仕事でいっぱいいっぱいのくくるはどうなってしまうのか。

ここで再び、風花は自分の夢よりも他人を優先させようとしてしまう。

たまたま水族館に迷い込んだだけの風花が、今度はそこを離れられなくなってしまったのだ。

これは、くくるにとってもよくない。自分が理由で風花が夢を諦めたとなったら、くくるは絶対に責任を感じてしまう。実際、風花にセンターを譲られた後輩は、自分が風花を引退に追い込んでしまったんだと、逆に責任を感じてしまっていた。

だが、くくるが風花の優しさを受け止めたうえで、風花を夢へと送り出す側に回ることで、風花はようやく自分の夢へと進む。

「たまたま流れ着いた場所」から「居心地の良い場所」へと変わり、それが「たとえそこを旅立っても、また帰ってくる場所」になることで、ようやく風花は沖に出られたのだ。これが、風花にとっての「白い砂のアクアトープ」だ。

「白い砂のアクアトープ」は何のアニメか

最終回、完成したばかりの新エリア、床には白い砂が敷き詰められ、天井まで水槽が覆うまさに「白い砂のアクアトープ」で、風花とくくるはそれぞれ、「水族館が好きと言葉にする。

風花にとっては、たまたま流れ着いた場所なんかではなく、どこに行ってもまた帰ってこれる大切な場所として、ティンガーラが、「水族館が好き」。

くくるにとっては、たんによいところやおもしろいところだけでなく、いやなところやつらいところも味わって、それでもやっぱり「水族館が好き」。

そして、くくると風花が本当の意味で「水族館が好き」と言えた時、ティンガーラにキジムナーが現れる。

1クール目ではたびたび、がまがまにキジムナーが現れて不思議な幻想を人々に見せていたが、ティンガーラに舞台を移してからは、その描写は全くなかった。

がまがまはくくるのおじいが館長をしていた水族館。最終回でのくくるの「がまがまで働いていて、つらいことあった?」の質問に、おじいは「いっぱいあった」と答える。きっとおじいは、何度もつらい思いをしても、それでもやっぱり水族館が大好きな、本当の意味での「水族館が好き」と言える人なのだろう。だから、がまがまにはキジムナーが現れた。

そのがまがまはなくなって、がれきの山と化してしまうのだけれど、そこにいついていたキジムナーはもしかしたら、くくると風花が本当の意味で「水族館が好き」と言えるようになるまで、二人がいるティンガーラに行くのを待っていたのかもしれない。

くくると風花が本当の意味での「水族館が好き」と言えるようになるまでの全24話、それがアニメ「白い砂のアクアトープ」である。

最後に、これだけは言いたい。

最終回、風花が2年のハワイ留学を終えてくくると再会した時、衝撃の事実が発覚する。

会えなかった2年間、お互いが相手の名前の意味を調べていた!

……どんだけ好きだ、おまえら!