小説 あしたてんきになぁれ 第9話「憂鬱のち誕生日」

亜美の誕生日を祝うことになったたまき。たまきにできること言えば、絵を描くことぐらい。たまきは亜美の似顔絵をプレゼントしようと思ったのだが、そこには大きな問題があった。どうしても、暗い絵しか描けず、とても誕生日プレゼントなんかにはできない。たまきは、そんな自分の絵が大っ嫌いだった……。

「あしなれ」第9話スタート!


第8話 ゲリラ豪雨と仙人

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


八月十五日。正午。晴れ。

写真はイメージです

ポーンとお昼の時報がなると、テレビの向こうの黒いスーツの人たちが一斉に目をつぶった。

たまきはソファの上に横になりながら、その映像を見ていた。

テーブルの上には志保(しほ)が握ったおにぎりが置いてある。もっとも、お米を炊いたのではなく、スーパーで売っているパックのご飯を握ったものだ。志保はおにぎりをつまみながら、テーブルの上のタブレットサイズのテレビを見ていた。

志保と一緒に暮らすようになってひと月。少し志保のこともわかってきた。

志保は歴史に関心があるらしい。何日か前も朝から炎天下のもと行われていた式典を見ながら、何か歴史うんちくのようなことを言っていたが、たまきはあまり覚えていない。

正直、戦争と平和みたいなことにたまきは関心がない。

もっとも、それを表だって口にしたことはない。口にすれば「最近の若い子は」だの「平和ボケしてる」だの怒られるのは目に見えている。

まず、「最近の若い子は」と言われるのは納得できない。オトナたちが言う「最近の若い子」というのは、教室でみんなで固まってわちゃわちゃ楽しそうな層を指すのだろう。たまきは間違いなくその層には属していない。小学校のころは、そういった連中から距離を置いて1人で絵を描いていたし、中学校では教室にすら入れなかった。

そして、「平和ボケ」と言われるのはもっと我慢がならない。

生まれてこのかた十五年ちょっと、平和だなんて思ったことがない。

こんなこと言うとまた良識ある大人たちは、自分も行ったことなさそうな国の話をして、戦争がいかに恐ろしいものかとしたり顔で語るのだろう。

確かに、今の日本で銃弾が飛び交うこともなければ、空から爆弾が降ってくることもない。

多くのオトナはそう思い込んでいるみたいだが、たまきにとっては違っていた。

外の空気は毒ガスみたいに息苦しく、教室では銃弾が飛び交うように感じられてまともに顔も上げられなかった。

何より、家族から浴びせられた言葉は爆弾より強烈にたまきの心を焼き尽くした。

たまきが引きこもっていた自分の部屋は、さながらたまきにとって防空壕だった。いや、すぐ近くに家族がいたから、敵地の戦場に掘った塹壕に近かったかもしれない。

ふと、以前に志保が言っていた歴史うんちくを思い出した。

「塹壕のすぐ近くに砲弾とか落ちるでしょ。その轟音が兵士の心をどんどん蝕んでいったんだって。けがせずに戦場から帰れても、心を病んじゃった兵士が多かったみたい」

その気持ちはたまきにも分かる気がした。塹壕はぜんぜん安全じゃないのだ。

でも、塹壕の外はもっと怖い。だから、塹壕からでられない。

 

テレビの向こうでは、総理大臣のおじさんがスピーチをしている。戦後六十年以上たち、日本は平和を守ってきました。これからも平和を守っていきます。そんな感じ。

六十年以上も日本は平和だったそうだが、たまきはいまだその恩恵にあずかれていない。むしろ、爆弾でたまきを中学校や自宅ごと吹き飛ばしてくれたら、今頃どんなに楽だっただろう。

六十年続いた日本の平和なんて、守るべきもののある『しあわせな人』だけの平和だ。たまきには関係ない。

 

ガチャリと奥の部屋のドアが開き、ぼさぼさの髪の亜美(あみ)が出てきた。金髪の根元はすっかりプリンになっている。眠たそうな目で亜美はテレビを見た。

「ああ、今日、戦争記念日か」

「終戦記念日だよ、亜美ちゃん」

志保が訂正する。

「そっか~、今年ももうそんな時期かぁ」

そういうと亜美は冷蔵庫からペットボトルを出してがぶがぶと飲み干した。

亜美が終戦記念日に関心を示したことに、たまきは意外さを感じた。明日のことなんてどうでもいいと言ったはばからない亜美は、同様に過去にも、それも歴史にも関心などないのかと思っていた。

だが、亜美が終戦記念日に関心を示した理由は、どうやら歴史への興味からではなかったらしい。

「ってことは、明後日、うちの誕生日だ」

「えっ?」

志保とたまきが亜美を見た。亜美は眠気覚ましのストレッチをしている。

「そっ、八月十七日。うちの十九回目の誕生日」

そういうと亜美はにっと笑った。

「お祝いよろしく」

「あ……うん」

自分からそれ言っちゃうんだ、と志保は少し戸惑った。

亜美はすっかり着替えを済ませると敬礼をしながら、

「隣町の美容院に特攻してきます」

と言って「城(キャッスル)」を出ていった。「戦没者への敬意」なんてものは全然ないらしい。

 

亜美が出ていった「城」では二人が黙ったままテレビを見ていた。

誕生日を祝う。たまきはあまりピンとこなかった。

生まれてきてよかったなんて、一度も思ったことがない。引きこもる前は誕生日に食事へと連れて行ってもらったが、どこか形式的な印象をぬぐえなかった。

お友達を招いてお誕生会、なんてやったこともないし、呼ばれたこともない。

誕生日にあまりいいイメージはなかったけど、それと亜美の誕生日とは関係ない。日ごろお世話になっているし、たまきが使うスケッチブックも鉛筆も、亜美からもらったお小遣いで買ったものだ。何より、本人からのリクエストである。お祝いしないわけにもいかない。

でも、何をすればいいんだろう。何を買っていいかわからないし、そもそも明後日までに用意できるのか。

まず思いついたのが洋服だった。亜美は洋服が好きで、奥の部屋は半ば亜美の衣裳部屋になっている。

ただ、どんな服を買えばいいのか見当もつかない。何がおしゃれで、何がダサいのかたまきにはわからないのだ。

そもそも、亜美の着るような服が置いてある店に行って買い物ができる自信がない。

5千円。それがたまきの全財産だ。

最初、亜美と暮らし始めたときはもっと多くお小遣いをもらっていた。

だが、一カ月ほどたってわかったのは、そんなにもらっても使わない、ということだった。

食費やお風呂代、洗濯代など3人共通のものは金庫の中のお金を使う。3人共同のお金だ。

それとは別に個人が欲しいものは個人のお小遣いで買うのだが、たまきが買ったものと言えばスケッチブックと鉛筆と消しゴム、公園で絵を描くときに飲む水くらいだ。

全然お金を使わないのに持っていてももったいないので、何週間か前に「お小遣いは5千円まででいいです」と自分から申し出たのだ。

毎月一日になるとお財布の中を確認して、5千円を下回っていれば金庫の中から補充してもらう。それでも多すぎるくらいだ。

確か、財布の中にはまだ四千円以上残っている。これでどれくらいのものが買えるのか、見当もつかない。

たまきは起き上がると不安げに志保を見た。

「志保さんは……、明日……、どうするんですか?」

「う~ん、どうしよう」

志保は両手を頭の後ろで組んでそういったが、もう答えは出ているような顔をしていた。

「ちょっと豪勢なお夕飯でも作ろうかな。確か、亜美ちゃん、ハンバーグ好きって言ってたし」

やっぱり、料理ができる人は得だ。好きな料理を作ってもらって、喜ばない人はいない。

「志保さんはいいですよね……。料理作れるから……。私なんか、できることなんにもないし」

下を向くたまきに志保が笑いながら言った。

「たまきちゃん、絵がうまいから、亜美ちゃんの似顔絵描いてあげたら?」

それは、たまきが「服を買う」よりも真っ先に思いついたことだった。だが、たまきはぶんぶんとかぶりを振った。

「私の絵……見ましたよね……」

たまきは下をうつむきながらぼそりと言った。

「みたみた!すごいうまいじゃん!」

「……見たならわかりますよね……」

たまきは、足元のくすんだピンクのじゅうたんに映る、幽かな自分の影を見ながら言った。

「私の絵……、暗いんです……」

たまきは絞り出すように声を出した。

「でも、明るく描けばいじゃない」

そのやり方がわからないから、ずっと悩んでいるのだ。

「……私の絵なんて、誕生プレゼントに向いてないんです……」

たまきの頭の中で、数日前に出会った「仙人」と呼ばれるホームレスの、しゃがれた声が再生された。

「お前さんには、世界がこんな風に見えているのか」

仙人は褒めているようだったが、とどのつまり、たまきの絵が暗いのはたまき自身に問題があるからだ。たまきが暗いからいけないのだ。

「そうそう」

そういって、志保はたまきに体ごと向き直った。

「たまきちゃんの誕生日はいつ?」

「えっ?」

たまきは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で志保を見た。

「な……、なんで誕生日なんか聞くんですか?」

「前もってわかっていた方が、お祝いしやすいじゃん」

たまきは志保に向けた顔をそらして下を向く。

一年で一番、誕生日が嫌いだ。いい思い出なんて一個もないし、人生で最大の失敗は何かと問われたら、そもそもこの世に生まれ落ちてしまったことだろう。

産んでくれ、なんて頼んでいない。だから、生まれたことを祝ってもらっても、きっとうれしくないだろう。

「いつ? 誕生日」

志保の問いかけに、たまきは聞こえるか聞こえないかギリギリのボリュームで答えた。

「……十月二十一日です……」

「……十月の二十一?」

志保が聞き返すと、たまきはこくりとうなづいた。

 

 

八月十六日。午後。曇り。

 

写真はイメージです

たまきはスケッチブックを持って、都立公園にやってきた。セミの鳴き声がいつもより一層うるさい。たまきはいつもの階段を見るが、誰もいない。

いつもこの公園に来ていたはずのミチの姿を、あれ以来見ていない。

ミチの歌が仙人に「切り貼り」とこき下ろされて以来、たまきはほぼ毎日足を運んでいたのに、ミチの姿が見えないのだ。

ミチは仙人にこき下ろされて、すっかり自信を無くしていたようだった。「なんだか死にたくなってきた」とも言っていた。

まさか。とたまきは首を振る。ミチはたまきと違う。自殺なんてするような人じゃない。

そういえば、バイトが新しく始まるとも言っていた。どんなバイトか知らないけど、きっと忙しいんだろう。

いつもの階段はほとんど影が無く、かなり暑そうだったのでたまきは別の場所を探すことにした。公園内を歩きながら思いを巡らせる。

結局、亜美へのプレゼントを何にするかはまだ決まっていない。明日の夜には、志保がハンバーグを作ってささやかな亜美の誕生パーティが開かれる。それまでに決めなければいけない。

ここに来る途中に、亜美が好みそうなおしゃれな洋服屋があったので覗いてみた。色とりどりの服やジャラジャラ系のアクセサリーが並ぶ店内を窓ガラス越しに店内を覗いていたが、おしゃれな客と目があった瞬間、たまきはくるりと背を向け、小走りにそこから逃げ出した。

なんだか、学校にいたころのことを思い出して、惨めになった。

公園内の木陰にベンチを見つけ、たまきは腰かけた。カバンを左横に下ろすと、スケッチブックとペンケースを取り出す。

左手の小さな指で、鉛筆を柔らかく握ると、真っ白なスケッチブックに向かってたまきは絵を描き始めた。

目の前には街路樹が生い茂り、その向こうから青空へと突き抜けるように都庁がそびえたつ。いつも書いている都庁だが、今日はちょっとアングルが違う。

明るく。なるべく、明るく。そう言い聞かせて鉛筆を走らせる。

なるべく影を付けないように。影はあくまでも立体感を出すため、最小限に。鉛筆に力がこもる。

三十分ほどして書き上げた絵を見て、たまきは愕然とした。

前より暗くなっているような気がする。昨日、テレビで戦争の様子を描いた絵を見たが、まさにあんな感じ。都庁は廃墟のお化け屋敷みたいだし、入道雲は爆炎みたくなってしまった。

たまきは深いため息をつく。昨日から何度も描いているが、こんな絵しか描けない。

あんなに「明るく」を意識して書いたのに、どうして前よりひどいんだろう。

やっぱり、ミチ君の歌がないからかな、とたまきは絵を見ながら思った。ミチの、どこかで聞いたような言葉ばかりを並べた、バカみたいに明るい歌は、多少なりともたまきに影響を与えていたのだろう。

たまきは、再び都庁を描き始めた。今度は「明るく」を強く意識すると同時に、ミチの「未来」という底抜けに明るい歌を脳内で再生しながら描いた。歌詞なんか覚えていないし、メロディも怪しい部分が多いが。

三十分後、たまきは泣きそうな目で自分の絵を見ていた。さっきの絵とほとんど変わらない、暗い絵がそこにあった。

今までたまきがこの公園で描いていた絵は、ミチの歌の影響でちょっとだけ明るくなった絵だったらしい。

再び、仙人の言葉を思い出す。

「お前さんには、世界がこんな風に見えているのか」

つまり、この絵がたまきが本来見ている「世界」というやつなのだろう。この絵を仙人に見せたら、今度はゲルニカを思い出したというに違いない。もちろん、技量は天と地の差という注釈つきで。

仙人に絵をほめられて以来、たまきは自分が絵を描くことが好きだということを思い出した。あれ以来、ほぼ毎日この公園に来ては絵を描いていた。また、「城」のある太田ビルの屋上でも絵を描いていた。

絵を描くことは楽しいし、好きだった。それを思い出せただけでも本当に良かった。

だが、描いた後の自分の絵を見て、その都度死にたくなる。

楽しい気持ちで描いていたはずなのに、たまきの絵は暗くなる一方だった。

絵を描くことは好きだけど、肝心の描いた絵そのものはやっぱり好きになれない。

 

 

八月十六日 夕方 夕焼け

 

 

写真はイメージです

公園からの帰り道、たまきは古本屋に寄った。

マンガが見たかった。「読みたかった」のではなく、「見たかった」。「明るい絵」がどういうものか確認したくなったのだ。

古本屋の中では大勢の人が立ち読みしていた。どちらかというと男性の比率が多いみたいだ。たまきは立ち読みの客が作った林の中を、肩身狭そうに歩いた。服がほかの客とこすれて音を立てる。

小学校のころ好きだった少女漫画が目に入り、たまきは手を伸ばす。たまきの小さな体でも届くところにあった。

ピンク。黄色。水色。

黒く細い線の集合体でしかないはずのその絵は、不思議とたまきの頭の中に次々と色彩を呼び起こす。絵全体が鮮やかなオーラを放ち、白黒の絵に色味を補完しているのだ。

子供のころは、この漫画みたいなかわいい絵が描けると信じていたのに。学校に行って、友達を作って、恋をして、夢を追いかけて。この漫画みたいな日々が当たり前に送れると信じていたのに。

現実のたまきは当たり前のことができず、学校に行けなくなった。

あのころ読んだ漫画は、学校に行けなくなった後のことなんか、描いてなかった。

結局、明るい絵というのは明るい人にしかかけないんだ。たまきはまた深いため息をついて、本を棚に戻した。

ふと、血まみれのナイフを持つ少女の絵が表紙に書かれた漫画が目に入る。

「さつじんぶ」というタイトルのその漫画の帯には、「映画化決定!」と書かれていた。

なんだか暗そうな漫画で、自分の絵に似ている。そう思ったたまきは思わずマンガを手に取っていた。

物語の内容は「さつじんぶ」なる殺人鬼の同好会が無差別に人々を襲っていく、というサスペンスホラーだった。高校生の主人公・トオルの日常は、修学旅行先のホテルで「さつじんぶ」の隣の部屋になってしまったことから一変する。次々と殺されるクラスメート。トオルは他のクラスメートと山の中を逃げるが、極限状態に陥ったクラスの不良が巨乳美少女のヒロインを乱暴してしまう。ヒロインを助けるために不良を殺してしまったトオル。呆然としているトオルのもとに「さつじんぶ」のメンバーが現れ、トオルを「さつじんぶ」にスカウトする……。

一巻はまだ数ページ残っていたが、たまきは気分が悪くなり、本をもとの位置に戻した。

あんなマンガ、読まなきゃよかったと、とぼとぼと自動ドアに向かって歩いて行った。

古本屋の一階は書籍コーナーで、二階はCDやDVDが並ぶ。

ふと、二階へと続く階段から誰か降りてきた。その人はたまきの前にひょいっと躍り出ると、九十度角度を変え、たまきに背を向けて自動ドアへと足早に向かっていった。

一瞬だけ見えた横顔は、たまきがいつも公園の階段で見ていたものだった。

ミチ君。思わずそう呼び止めようとしたたまきだったが、どうしても言うことができなかった。

呼び止めて、私は何を言うつもりなのだろう?

「どうして、公園来なくなっちゃったの」?

たまきが言おうとしたそれは、昔、たまきが学校の先生に言われた言葉だった。

 

中学二年の二学期、学校に行けなくなったたまきの家に、先生が訪れたことがあった。テーブルには先生と母親、パジャマ姿のたまきが座った。うつむくたまきに先生が問いかけた言葉が、「どうして、学校来なくなっちゃったの」だった。

そんなの……。そんなの……。

たまきは何も答えられず、ぽろぽろと泣くだけだった。

あの時、自分が傷ついた言葉と同じことを言おうとしていた。そのことに気付いたたまきは、ミチに声をかけることができなかった。

自動ドアを出て、薄暗くなったネオン街の雑踏に消えていくミチを、たまきはただ見送った。

 

 

八月十七日 午後 曇り

 

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都立公園で暮らすその男の本当の名前を知る者は、公園のホームレスの中には誰もいない。白髪交じりの長髪にもじゃもじゃのひげという風貌からか、「仙人」や「仙さん」と呼ばれている。眼鏡の奥の理知的な目は、仙人というよりは中国の儒家を連想させる。

彼の仕事は廃品回収だ。基本は空き缶を拾っている。山ほど空き缶を集めて収入は千五百円ほど。空き缶でパンパンになったビニール袋を自転車の荷台にくっつけて街を走る様はフンコロガシのようだと自分では思っている。自嘲ではない。フンコロガシが糞を転がすから街はきれいになる。あえて汚れ仕事を請け負う。これは彼の矜持だ。

空き缶以外にも、金になりそうなものが落ちていれば拾う。今日はいわゆるコンビニ本を拾った。

「さつじんぶ」というタイトルのマンガのようで、表紙には「映画化決定!」と書かれている。

酒のつまみにと読んでみたが、半分ほど読んで読むのをやめた。

絵は悪くない。人物の表情もよく描けている。事件が次から次へと起こり、読者を飽きさせない展開だ。

だが、仙人は読むのをやめた。傍らのカップ酒を少し口に含み、ごくりと喉を鳴らしたところで、木立の中をとぼとぼと歩いてこちらに向かってくる少女に気付いた。

 

仙人がその少女と出会ったのは一週間前の大雨の日だ。

もっとも、彼女自身を見たのはそれが初めてではない。週に何日か、公園の中の階段に腰かけ、絵を描いているのを何度も見かけている。いつも隣に同い年ぐらいの少年がいてギターを弾きながら何やら歌っていたが、二人の間は必ず人一人通れそうなスペースが開いていて、二人が会話をしているところも見たことがなかった。

少女が自信なさげに見せたその絵を見たとき、仙人は息を飲み、目を見開き、言葉が出てこなかった。

まず思い出したのは、若かりし頃にアメリカの美術館で見たある絵だった。

夜の闇、渦巻く風、月明かりの揺らめき。色の一つ一つがカンバスに荒々しく、それでいて丁寧に塗りつけられていた。夜の風景が画家の目を通して分解され、データ化され、画家の解釈によって再構築され、卓越した技量でカンバスの上に絵具で表現されている。

「彼には世界がこんな風に見えているのか……」

若かりし日の仙人は、ため息とともに自身の想いを言葉にせずにはいられなかった。

少女の絵を見たとき、仙人は数十年ぶりに同じ言葉を口にした。

もちろん、技量はあの画家とは比べ物にならない。絵心はあるのだろうが、まだまだ繊細さに欠けている。

しかし、その少女には、その瞳に映った世界を独自の解釈で再構築する力があった。

 

その少女は仙人の前に小さな歩幅で近づいてきた。斜め掛けしたカバンからは、スケッチブックがはみ出している。

「……こんにちわ」

少女は今にも消え入りそうな声であいさつした。

「わしになにか用かな?」

仙人はやさしく目を細めた。

 

こんなにも人に自分のことを話したのは、たまきにとっては初めてだった。

とはいえ、言いたくないことは話していない。学校に行けなくなったこと。死のうと思って家を出てきたこと、潰れたキャバクラに勝手に住み着いていること。

たまきは仙人に、2か月くらい前に出会った亜美という人と一緒に暮らしていること、その亜美の誕生日が今日であること、お祝いをしたいのだけれど、何をすればいいのかわからないことなどを話した。

公園の中で花のデッサンを描いてみたが、どう描いても花に生気が見れない。でも、絵を描く以外に亜美にしてあげられることが見当もつかない。途方に暮れていたたまきの足は、自然と「庵」に向かっていた。

話を聞き終えた仙人は、一息つくと、たった一言だけたまきに言った。

「絵を描けばいいじゃないか」

しばらくの沈黙の後、たまきは力なく頭を横に振った。

「お前さんの絵は、フィンセントに通じるものがある」

「……ゴッホのことですか」

「そんな名前だったかな。あまりよく覚えておらんが」

仙人はやさしい目で笑った。

「……仙人さんが私の絵をほめてくれるのは嬉しいんですけど……、でも、私の暗い絵は人にあげるのには向いてないんです……」

たまきは泣きそうな声でそういうと、仙人から視線を逸らした。

たまきが視線を逸らしたその先には、昨日たまきが読んだスプラッタ漫画があった。表紙に描かれた、血まみれのナイフを握った、やけに巨乳の美少女をたまきはじっと見た。

仙人はそんなたまきをしばらく見ていたが、やがてカップ酒をぐびっと飲むと、たまきがじっと見つめている漫画を手に取った。

「こういうマンガを読むやつは、何を思って読むんだろうな」

仙人の言葉にたまきは首をかしげる。

「私は……あまり面白くありませんでした」

「だろうなぁ。お嬢ちゃん、自分のことが嫌いだろう?」

思いがけぬ仙人の言葉に、たまきはびくっと背を震わせ、ぱちくりと瞬きをした。

「わしも若いころはよくこんな映画を見たもんだ。殺人鬼に追いかけられる映画や、ゾンビが街を徘徊する映画……。そういうのを見て映画館を出た後は、自分が狙われたらどうしようだの、向こうからゾンビの大群が来たらどうやって切り抜けようだの、下らんことを考えとった」

仙人は、手に取ったマンガをぱらぱらとめくりながら続けた。

「そうやって、自分が幸せ者だって確認しとったんだ」

「えっ」

どういう意味だろう。たまきは首をかしげる。

「絶望に責め立てられる登場人物を、スクリーンの向こうから眺める。実に悪趣味だとは思わんか。『登場人物に感情移入してハラハラした』? 絶対に自分はその状況にはならないとわかりきっているからそんなことが言えるのだ。そして、映画館を出たらみんなこう思うのさ。私の周りには殺人鬼もゾンビもいない。家族がいて恋人がいて友達がいて、なんてしあわせな自分」

仙人の言う通りなのだとしたら、そういうマンガが楽しめない人は、不幸な人だということになる。たまきは、泣きそうになるのをこらえながら、自分のかけているメガネの黒いふちに視線を落とした。

「人というのはな、みんな自分が世界で一番不幸だとおもっとる」

仙人はぱたんと本を閉じた。

「それでいて、自分が世界で一番不幸だということに耐えられない。めんどくさい生き物だ」

たまきは怪訝な目で仙人を見つめていた。

「だから、こういったマンガを読んで、自分が一番不幸じゃないって確かめようとする。酒を飲んでいるようなもんだ」

仙人はそういうとカップ酒に口を付けた。仙人が酒を飲みこむたびに、のど仏が動くのをたまきはじっと見ていた。

仙人はカップ酒から口を話すと、ぷはぁと息を吐く。

「お嬢ちゃんの絵はそういうのとは違う。そう言う造られた暗さじゃない」

造られた暗さじゃないなら、なお一層ひどいということじゃないか。たまきはうつむいたままじっとしていた。

「その、亜美って子の絵は描いてみたのか?」

たまきはぶんぶんとかぶりを振った。

「描いてみたらいいじゃないか」

「……どうせ、暗い絵になるに決まってます」

「描いてみたらいいじゃないか」

たまきは、うつむいていた顔を上げて仙人の目を見た。

仙人はたまきをじっと見据えていた。

「描いてみたらいい」

仙人はやさしくそう言った。

 

たまきは仙人の隣に腰を下ろすと、スケッチブックを取り出した。

人の顔を描くなんて何年振りだろう。たまきは目を閉じると、亜美の顔を思い出す。

亜美さんっていつもどんな感じだったっけ。明るく描かなきゃ。なるべく明るく、なるべく明るく……。

ポンッと肩をたたかれ、たまきが目を開ける。

「お前さんはいつも都庁を描くとき、そんな風にじっと目をつむるのか?」

「……いえ」

いつもは、漠然と描きたいイメージが浮かんだら描き始める。完全にイメージが決まる前に描き始める、見切り発車だ。ちゃんとイメージが固まる前に書き始めるから、暗い絵しか描けないんじゃないのかというのが、ここ数日たまきが考えていたことだった。だから、できるだけしっかりとイメージをしてから描こうと心がけていた。

「いつもやってるように描いてごらん」

仙人はやさしく笑いながらそう言った。

「……それじゃだめなんです」

「今日の夜までに描きあげればいいんだろう? とりあえず、やってみなさい」

仙人に促され、たまきはぼんやりと亜美の顔を思い浮かべると、左手に握った鉛筆を白い紙の上に置いた。

右手でしっかりと紙を押さえ、左手をさっさっと動かしながら、亜美のことを考える。

亜美と初めて会ったのは大雨の日だった。太田ビルの屋上から飛び降りて死のうとしていたところを亜美に邪魔され、そのまま「城」に泊まることになった。翌日、どうしても家に帰れずにトイレで自殺を図ったたまきだったが、気が付くとベッドに寝かされ、傍らには亜美がいた。

そこからどうして亜美と一緒に暮らすようになったのかははっきりと覚えていない。ただ、家には帰りたくなかった。それに、たまきがどんなに断っても、亜美のずうずうしさの前に結局押し切られていたと思う。いつだって、たまきはそうなのだ。いつかの亜美の声を思い出す。

「ああ、男に強く迫られると、断れないタイプか」

男性に限らず、たまきは強く迫られると、自分の意見を言えず流されてしまうのだ。もっとちゃんと自分の意見が言えたら、家で孤立することもなかったのかな。

そんなたまきに代わって声を挙げてくれたのが亜美だった。ライブハウスで泥棒の疑いをかけられたときは、何も言えなくなってしまったたまきに代わって無実だと訴えてくれた。

ただ、亜美のそういうところはいいのだけれど、ずかずかしすぎるとこがたまきは苦手だった。たまきは「城」でじっとしていたいのにいろんなところに連れまわすし、なんのおせっかいからか、初対面のミチといきなり二人っきりにされたこともあった。

デリカシーというものがないのだ。たまきが言いたくないことをずかずかと聞いてくる。

「ねえねえ、なんで死にたいなんて思うの?」

「ねえ、なんでオトコ作らないの?」

「えー、友達なんてほっといたってできるじゃん? なんで作り方なんか聞くの?」

そのたびにたまきの心はぐさぐさと傷つく。

そんな時、亜美は決まって笑ってる。

亜美は笑っているのだが、たまきは不思議と、バカにされているとは思わなかった。

むしろ、その笑顔になんだか救われた気がして、たまきも笑い返してみるのだが、決まってこう言われる。

「あんたさ、もうちょっと自然に笑えないの?」

「……自然に笑ったつもりなんですが……」

「いやぁ、堅いよ。あんた童顔だから、もっとかわいらしく笑いなよ」

そういって亜美はまた笑う。

そんな亜美だが、たまきがリストカットしたときは、何も言わなかった。

ぽたぽたと血を流し、「またやっちゃった」と珍しく笑うたまきに対し、亜美は困ったように笑いながら、

「そっか」

とだけ言った。たまきを叱るでもなく、避けるでもなく、

「あーあー、けっこう血ぃ流れちゃってるなぁ」

と笑いながら包帯でたまきの右手首をぐるぐる巻きにして、「先生」こと京野舞へと電話をするのだった。

普段、ほっといてほしいときはずかずかと近づいてくるくせに、

一番放っておいてほしいときに、

一番かまってほしいときに、

遠すぎず、近すぎず、そんなところからにこにこ笑ってる。

怒るでもなく、嫌がるでもなく、にこにこ笑ってる。

普段は苦手な亜美との距離感も、この時ばかりはなんだか暖かかった、

 

ふと、たまきは描く手を休めて空を見上げた。

もくもくの入道雲の少し上に、丸く白いものが浮かんでいる。

月だ。たまきは名前を知る由もないが、立待月というやつだ。

たまきは描く手を止めて、月を眺める。

月がどうして生まれたかにはいろんな説があると、むかし本で読んだことがある。

いくつかある説の一つに、宇宙をふらふら飛んでいた月が地球の重力に捕まった、というのがあった。

ちっぽけな月が、青くて美しい地球に捕まり、その周りをぐるぐる回り始めたとき、いったい何を思ったのだろう。

きっと、戸惑ったんだとたまきは思う。星の数ほどある石ころの中で、なぜ自分を選んだのか、と。

それから何億年もの間、月はずぅっと地球の周りをぐるぐる回っている。月は青い地球に憧れながら、ずっとまわっている。

地球は、そんなちっぽけな月の一番近くにいる。一番近くにいて、月がきれいだと言って、笑っている。長い歴史の中では、地球からロケットを飛ばして、月に土足で立ち入っている。

月は片方の面しか地球に見せていないという。数多の隕石が落下し、ぼろぼろになった裏側は絶対に地球には見せないのだ。地球は、そんな月を、一番近いけど少し離れたところから笑ってみている。決して、見られたくない裏側にまわりこんで覗き込むことをしない。

月は、きっと地球の周りをまわることが、居心地がいいんだ。

たまきは、少し口元をゆるませて、再び鉛筆を走らせた。

 

完成した絵を見て、たまきは口を開き、目を見開いた。

仙人が横から覗き込む。

「ほう、その亜美って子は、いい笑顔の娘みたいだな」

風音が去った後、たまきはようやく言葉を発した。

「……嘘です。これ、私の描いた絵じゃないです……」

「何を言っとる」

仙人が笑いながら言った。

「お前さんが今さっき、自分で描いた絵じゃないか」

「だって……私……こんな絵……」

その絵は、亜美の胸から上を描いていた。金髪を後ろに束ね、右腕には蝶の入れ墨が躍るように描かれている。

その顔は、この上ない笑顔だった。

『なにうじうじしてるんだよ。そんなこと、どうでもいいじゃん』

そんな亜美の声が今にも聞こえてきそうな笑顔だった。

たまきは隣でやさしそうに笑う仙人を見上げた。

「仙人さんは……私がこんな絵が描けるってわかってたんですか?」

「お嬢ちゃんはこの亜美って娘の誕生日を祝いたいんだろう?」

たまきは戸惑いつつもこっくりとうなづいた。

「誕生日を祝うということは、生まれてくれてありがとう、出会ってくれてありがとうというメッセージを伝える、ということだ。そういう相手を思って描けば、絵も明るくなる」

信じられないように自分が書いた絵を見つめるたまきに、仙人はそのハスキーな声でやさしく言った。

「お前さんは暗い絵しか描けないんじゃない。見たままに、思ったままにしか描けないんだ。こんな世界嫌いだと思って描けば暗くなる。逆に、大切な友達のことを思って描けば、明るくなる」

雲の切れ間から太陽が顔をのぞかせた。風に吹かれた木の葉が互いをこすりあい、たまきの頭上でざわざわと音を立てていた。

 

 

八月十八日 午前 晴れ

写真はイメージです

「そうか」

ベンチに押しかけた仙人は、それだけ言うと深くうなづき、右手を差し出した。男も手を差し出し、がっちりと握る。

「行き詰ったら、いつでも帰ってこい」

「はい。いろいろありがとうございました」

そら豆みたいな頭をした中年の男はそう言うと、仙人に深々と頭を下げ、背中を向けて歩き出した。

すると、向こうから見覚えのある少女が歩いてきた。十日ほど前、彼にこの公園に来るきっかけを与えた少女だった。確か、たまきという名前だったはずだ。

たまきはそら豆顔のおじさんの前に来ると、小さな声でこんにちわと言った。おじさんが抱える大きなバッグを不思議そうに見る。

「……この公園を出て独り立ちすることにしたんだ」

おじさんの言葉にたまきは、

「そうですか……」

と少しさびしそうに言った。

「まあ、この街にはいるよ。この公園を出て、駅の周りで暮らすことにしたんだ。いつまでも仙さんに甘えてはいられないからね」

たまきはおじさんに何を言おうか迷っている感じだったが、結局何も言わずにぺこりと頭だけ下げて別れた。

少し歩いてからおじさんが振り向くと、たまきは仙人の前に立っていた。小柄なその体は後ろから見ると肩まで伸びた黒い髪に、かろうじてメガネの端が見える程度だ。

そのシルエットは家に残してきた下の娘に似ていて、おじさんはしばらくたまきを見ていた。

「絵は渡せたのか?」

仙人の言葉にたまきがうなづき、黒い髪がゆらっと揺れた。おじさんの位置からでは、表情までは見えない。

「どうだ? 喜んでくれたか?」

その言葉に、たまきの黒い髪がふわりと揺れた。たまきの顔を見て、仙人は満足そうにつぶやいた。

「お前さんも、そんなかわいらしい笑い方ができるんだな」

 

つづく


次回 第10話 真夏日の犬と猫とフンコロガシ

たまきが仙人と出会って二週間。公園の階段で絵を描いていたたまきの横に、二週間ぶりにミチが現れた。なぜ、道は公園に来なくなったのか。そして、なぜ再び公園に現れたのか。

続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

『サクラクエスト』がつまらないと言われ続けた本当の理由

半年にわたって放送されてきたアニメ『サクラクエスト』が来週で最終回を迎える。この半年間、Twitterで「サクラクエスト」と入力すると、常にサジェストで「つまらない」と表示されてきた。なぜ、サクラクエストはつまらないと言われ続けてきたのだろうか。


アニメ『サクラクエスト』とは?

サクラクエストのあらすじ、何度も書いてきた気がしていい加減めんどくさいから、これ見て(笑)

「サクラクエスト」第2クールを振り返って見えて来たもの

第1クールについての分析は「『サクラクエスト』の描く町おこしの本質 彼女たちが間野山に留まる理由」という記事で描いたので今回は深く掘り下げない。

ただ、第1クールの最後に描かれた、「建国祭に人気ロックバンドを呼び、イベント自体は大成功だったけど、街の活性化にはつながらなかった」という展開はものすごく重要である。

この話をターニングポイントに、間野山の町おこしの方向性が大きく変わっていった。

第1クールでは間野山彫刻のPRや映画撮影の招致、B級グルメの開発やお見合いツアーなどが行われ、その集大成として建国祭が大々的に行われた。

一方、第2クールで行われた街おこしの活動は、次の通りだ。

・へき地の集落の老人たちにインターネットを教える

・へき地の集落のためにデマンドバスを運行させる

・間野山第二中学校の閉校式を行う

・体育館を劇の練習や、教室をブックカフェブックカフェにするなど、廃校を活用をする

・寂れた商店街に吊るし燈篭を配布する

・人気の洋菓子店のために商店街の店舗を貸す

第1クールと第2クールの違い、おわかりいただけるだろうか。

第1クールは間野山という町を多くの人に知ってもらうこと、多くの人に来てもらうことを主軸として活動していたのに対し、第2クールでは間野山に暮らす人々がより暮らしやすくなるために活動をしているのである。

つまり、第1クールの活動が外向きなのに対し、第2クールの活動は内向きなのだ。

その集大成がみずち祭りである。第24話ではテレビ局が建国祭の時のように協賛を持ちかける。

その条件が、間野山の小劇団で行う予定だった劇を、テレビ局が作ったアイドルグループにやらせてほしいということ。そうすれば、テレビ局もみずち祭りを宣伝し、多くの客が集まるという話だった。

だが、観光協会の丑松会長は、その提案を完全に却下し、テレビ局を追い返す。

建国祭が「外から人を呼ぶための祭り」だったのに対し、みずち祭りは「間野山で暮らす人のための祭り」であることを、会長は重視したのだ(ちなみに、この丑松会長が50年前、みずち祭りを途絶えさせた張本人である)。

数字を捨ててでも、祭りが町の人のためのものであること、間野山がそこで暮らす人たちの居場所であることにこだわったのである。

サクラクエストから学ぶ「町おこしの本質」

そもそも、多くの人に知ってもらう、多くの人に来てもらうというのは本当に町おこしの方向性として正しいのだろうか。

メジャーな町で建国祭に似た事例がある。

千葉県浦安市だ。

浦安と言えば、誰もが知ってる東京ディズニーランドのある町である。

だが、浦安の町がディズニーランドのおかげで賑わっているとは言い難い。ごく普通の町である。

理由は舞浜駅があるからだ。あの駅があるせいで、よそから来た人は浦安の町を観光することなく、いきなりディズニーランドの目の前に出てしまう。そして、ディズニーランド内で全て食事やホテルなどを済ませ、舞浜駅から帰っていく。結果、浦安の町自体の活性化にはつながっていない(そもそも、浦安駅からめちゃくちゃ遠い)。

そんな話を親にしてみたところ、「東京スカイツリーも同じだ」と言われた。どうやら、スカイツリーのおひざ元にある押上が、当初のもくろみ程人が集まらなかったらしい。

確かに、スカイツリーもずばり「スカイツリー駅」から徒歩数秒で行くことができ、買い物や食事も「ソラマチ」の中で完結してしまう。

「注目を浴びれば、人を集めれば、町おこしは成功」というのはもはや、幻想なのかもしれない。

サクラクエストというアニメは、単に数字上の成功を追いかけるのではなく、その町で暮らす人々が、ここに住み続けたいと思える居場所に町を変えていくことが、町おこしでは重要なのではないかと問いかけているのだ。

そして、この「数字上の成功を追い求めない」というのは、サクラクエストというアニメ自体にも言える話なのである。

「サクラクエスト」がつまらないと言われ続けた本当の理由

僕がサクラクエストに最初に惹かれた理由、それは『このアニメは媚びていない』という点だった。

そう、サクラクエストは媚びていないのだ。安易な数字上の成功を求めて作られたアニメではなかったのだ。

確かに、メインは5人の女の子であるがいわゆる「百合展開」と呼ばれるものもなければ、彼女たちのかわいらしさのみに頼った展開や、エロさのみを際立てた演出もほとんどなかった(たまにはあったけど)。

そして、その周りを取り巻くキャラクターはじいさんばあさんが多い。「こんなにシニア層しか出てこないアニメも珍しい」という書きこみを見たこともある。

つまり、ビジュアル的にほとんど媚びていない。「ビジュアルで数字を稼ぐことを放棄している」ともいえる。

そして、シナリオ展開も大きな事件が起こるわけではなく、恋愛要素があるわけでもなく、地味と言われ続けた。「エンタメ要素で数字を稼ぐことを放棄してた」のだ。

サクラクエストで描かれていたのは、田舎のリアルな現実と、そこに向き合う若者のリアルな現実。夢との葛藤、アイデンティティとの葛藤、挫折と成功の繰り返し。

そんな彼女たちを取り巻く人たちも、過去に因縁を抱えていたり、さびれていく街を嘆いたり、そんな街を嫌ったり。

そんな中で、「数字上の成功を追い求めるのではなく、住民の居場所となれる町おこし」が描かれていく。

そんなアニメが、とりあえず美少女ばっかりたくさん出てきたり、とりあえずエロかったり、とりあえず恋愛要素を放り込んだり、とりあえず大事件が起こったり、とりあえずギャグを放り込んでみたり、とりあえず鬱展開になったりしたらどうだろうか。

商業的には成功できるかもしれない。

ただ、確実に「数字上の成功を追い求めるのではなく、住民の居場所となる街づくりが大切」という、半年もかけて紡いできたメッセージは薄れてしまうだろう。肝心のアニメそのものが「数字上の成功」を追い求めてしまったら。

「言ってることとやってることが違う」ということになってしまうのだ。

なぜ、サクラクエストがつまらないと言われ続けたか。

それは、安易な面白さを求めることを、安易な人気を求めることを切り捨てたため。

それは、本当にアニメが伝えたかったことをちゃんと伝えるため。

サクラクエストの各エピソードは実は、「居場所」というキーワードにつながっている。居場所とは、「ここにいていいんだ/ここで生きていこう」という想いが詰まった場所である。「縁もゆかりもないけど、縁はこれから作るもの」というセリフがあるが、サクラクエストというアニメはメインの5人がそれぞれ、仲間や街の人たちとの縁を紡いでいき、間野山に居場所を作っていく過程を描いている。

居場所を求めているのはメインの5人だけではない。50年前、みずち祭りがつぶれてしまったのは、若き日の丑松会長が、間野山を自分の居場所に変えようとして越した行動が原因だった(そのやり方が正しいかどうかは別として)。

また、蕨矢集落のエピソードも、バス路線廃止が迫り取り残されていく僻地の老人たちが、自らの居場所を守ろうとする話だった。

閉校式のエピソードは、真希が間野山で小劇団を立ち上げるというオチだった。東京に自分の夢の居場所を見つけられなかった真希が、地元の間野山でその居場所を見つけたのだ。

エリカの家でのエピソードも、間野山を居場所と思えないエリカと、間野山を居場所と感じるしおりを対比させて描いている。

そして、国王の由乃は終盤で「なぜ縁もゆかりもない間野山で頑張るのか」と問われ、「そこで必要としてくれる人がいるから」と答えた。第24話では「どこにいてもどんな仕事をしていても、自分の気持ち次第で刺激的にできる」と語っている。地元が嫌で、「普通」と言われ東京に居場所のなかった由乃が、たとえどこに行ったとしても、そこの人たちと縁を結び、全力で取り組めばその場所を自分の居場所にできるという自信を手にしたのだ。

第24話のラストで描かれたみずち祭りは、建国祭に比べれば地味なものだったかもしれない。しかし、本当に間野山に思い入れのある人たちが集まる祭りであることがうかがわれた。祭りとは、本来こういうものなんだと思う。サクラクエストというアニメは、間野山が観光地ではなく住民たちの居場所になっていく様を、そして、由乃たちが普通でも自分の居場所を築き上げていく様を描いたアニメだったのだ。

SNS全盛の昨今、ごく普通の人がフォロワー数や閲覧数、再生回数といった数字に振り回されてしまう。だが、そんな数字よりも大切なものがある。間野山という町にとってはそれが「そこで暮らす人の居場所であること」だったし、「サクラクエスト」というアニメにとってのそれは「そのメッセージをちゃんと伝えること」だったのだと思う。

目先の面白さに囚われ、数字の上での成功を求め、大切なものを見失ってはいけない。

数字より大切なものを大切にしたい人にとって、サクラクエストは決してつまらないアニメなんかではないはずだ。

 

2019/1/20 追記

サクラクエストの最終回から1年以上がたった。

驚いたことに、今でも「サクラクエスト大好きです」という方からコメントをもらう。むしろ、1年たってからの方が多い気もする。

しかも、リアルタイムで見ていた人ではなく、「最近見ました」という人が多い。

「つまらない」と言われたアニメが1年たってなお愛され、ファンを増やしているという奇跡。

サクラクエストは名作だと思うが、それにしてもなぜここまで愛されるのか。1年を経て、久しぶりにサクラクエストについて筆をとってみた。1年前には気づけなかったことを書いているので、興味のある方は是非。

「つまらない」と言われたアニメ『サクラクエスト』が起こした奇跡

旅ボッチと旅パリピ

「旅人」というとどんなイメージだろうか。高橋歩みたいな、誰に対してもフランクで、世界中のどんな人とも友達になれちゃう人? だが、旅人が全員そんな気さくなわけではない。人見知りだって旅をしていいはずだ。もっと孤独な旅があったっていいじゃないか。


旅ボッチと旅パリピ

先日、「旅祭2017」に参加してきた。

そこで感じたのが、「あれ、僕、この祭り、馴染めない」。

地球一周を経験し、「旅」というジャンルの中では否応なしに自分がもう初心者ではないのだと痛感することが多いのだが、それでも「旅」というジャンルを全面に出した祭になぜかなじめない。

なぜだろう。なんだかやたらフランクな参加者(客としてきた人も、作り手として参加した人も両方含む)を見て、僕はあることに気付いた。

世の中の旅人には、「旅ボッチ」「旅パリピ」がいる、ということに。

要は、「人づきあいが得意か苦手か」であり、僕はそれを「学校の教室の中心と周辺」と呼ぶこともある。

旅祭の参加者の大半は、みんなでワイワイするの大好き、人としゃべるの大好き、国際交流大好きという「旅パリピ」なんじゃないかと思った。これは、そのまま日本の旅人全体の比率に当てはまるかもしれない。

旅祭のステージに上がっていた「旅の達人」の中にも旅パリピはいた。

僕がアニキと尊敬する四角大輔さんなんかはもともと人と話すのが苦手だったというだけあって、大輔さんと伊勢谷友介さんの対談なんかは非常に落ち着いた、身のある者だった。また、グレート・ジャーニーを成し遂げた関野吉晴さんのトークもとても落ち着いていて、おもしろかった。

特に、大輔さんに関しては、ピースボート88回クルーズでとてもお世話になったのでよく知っている。決して旅ボッチではないが、旅パリピでもない。「孤独であること」の大切さをとても理解されている人だ。

だが、その一方で、いわゆる居酒屋トークに終始したトークをステージ上でしていた人たちも無きにしも非ずだった。

大輔さんよりも一回り二回り若い世代だろうか。内輪ネタをステージ上で繰り広げ、芸人の真似事みたいなしゃべり方をする。どうも僕にはピンとこなかった。彼らが旅パリピで、僕が旅ボッチだから、ということなのだろうか。

「旅先で友達が増える!」そんなのは嘘だ!

よく、ピースボートなんかもそうなのだが、旅人の話を聞くと、「世界を旅すると、世界じゅうに友達がいっぱいできます」と語る人を見る。ぼくの身近にもいた気がする。

はっきり言わしてもらうと、

そんなのは嘘だ!

それは、「旅パリピ」に限った話である。

日本で友達が作れない奴が、旅先で、言葉も文化も宗教も違う奴と友達になれるわけがない。

私がその証明だ(笑)。

「旅に出れば世界中に友達が増える」という甘言で旅ボッチを惑わすのは、金輪際やめていただきたい。

旅ボッチと旅パリピ、教室の中心と周辺

とはいえ、そもそも全員を旅ボッチ・旅パリピと分類できるわけではなく、グレーゾーンもたくさんいる。僕の実感では、「旅ボッチ」の域に達しているのは全体の15%ほどだろうか。「旅パリピ」が35%ぐらいだと思っているので、数にして3倍の開きがある。

半分くらいはグレーゾーンに分類される。そういう意味では旅パリピも少数派である。何も、そこまで目の仇にしなくてもいいじゃないか。

しかし、旅パリピというのは、テンションが高く、声がデカい。

その結果、常に注目を集め、いかにも旅パリピが多数派であるかのような錯覚を周囲に引き起こす。

だからさっき「教室の中心と周辺」という言葉を使った。僕はスクールカーストといった階級制よりも、中心と周辺という表現の方が実態に合っていると思う。

学校の教室にはいわゆる「イケてる人たち」と「イケてない人たち」がいる。「イケてる人たち」は常に教室の中心にいる。それは、物理的に中心にいるわけではなく、会話の中心、情報の中心、注目の中心という意味だ。そして、「イケてない人たち」いわゆる会話の輪のようなものの外側にはじかれてしまう。

例えば、同窓会とかでこんな経験をしたことはないだろうか。

A君「あの時、BとCが付き合ってたよね」

Dさん「そうそう、あったあった」

僕「なにそれ! 今、初めて聞いた……」

このように、教室の周辺部にいる人間にはあまりクラスの情報が入ってこない。情報も会話も、このA,B,C,Dのような「クラスの中心の人たち」で回されて、注目も「クラスの中心の人たち」に集まる。周辺の人たちに会話や情報が回ってくることもなければ、周辺の人たちが話題に上ることもない。

そして、この構造が、教室を飛び出して「旅」というフィールドでも同じことが起こっているのだ。

旅人同士の情報は声の大きい旅パリピ内で回ってしまい、注目も旅パリピが独占する。

結果、旅パリピの「旅とはこういうものだ!」「旅人とはこういう人たちだ!」という、一方的な視点だけが流布することになる。

その結果、旅パリピの価値観に基づいて、旅の本が作られたり、旅のイベントが作られたりする。

そうやって、気づけば「旅」に関する情報や空間がどんどん旅パリピ色に染められている。

その結果、旅ボッチは大好きな「旅」の世界の中でも、中心には行けず周辺にはじかれてしまう。

よく「旅はどこに行くかではない、誰と行くかだ」なんて言葉を聞く。これこそ、旅パリピの極みではないだろうか。

確かに、誰かと行く旅は楽しい。

だが、それが旅のすべてではない。

時には、一人の方が気楽で楽しい。そんな旅だってある。

誰かと一緒にいたって、目を奪われるような絶景を目にした時、隣に誰かがいるなんてことを忘れてしまう瞬間だってあるだろう。

だいたい、隣にいる人間が、必ずしも同じ景色を見て、同じことを感じているとは限らないのだ。

もっと、旅ボッチを、孤独な旅を、認めたっていいじゃないか。

旅祭2017 ~最果ての地、幕張~

幕張で行われた「旅祭2017」に参加してきた。旅祭には去年に続いて2年連続での参加となり、自分は去年からどう変わったのか、何も変わっていないのか、そして「旅」とはなんなのかを考えるいい機会となった。それでは、幕張で行われた旅祭2017を振り返ってみよう。


幕張到着

旅祭2017の会場は幕張海浜公園。今回、僕は初めて幕張を訪れた。

海浜幕張駅前は埋め立て地で、近未来的な街並みは、この日始まったばかりの「仮面ライダービルド」や、「宇宙戦隊キュウレンジャー」のロケ地にぴったりだ。

 

また、イオングループのおひざ元でもある。

 

さすが千葉だ。タワー・オブ・テラーまである(違います)。

 

会場はロッテの球場のすぐ隣だった。

 

だが、ここで不思議な事件が起きた。

みんな、スマホを片手に道に迷っているのだ。

なぜ、スマホを持ているのに、道に迷う?

僕なんか、これしか持ってないのに。

僕も若干迷ったが、方位磁石と、昨日見た記憶の中の地図を駆使して、大きな進路変更をすることなく、無事会場にたどり着いた。

「スマートフォンの機能を高めるより、本人の頭脳と勘を磨くべきだ」という僕の理論がまた一つ実証された。

旅祭2017 トークライブ 高橋歩×四角大輔

去年もオープニングアクトはこの二人だった。旅祭の発起人で、自由人であり作家の高橋歩さんと、ニュージーランドの湖畔で生活していて、僕がアニキと敬愛してやまない四角大輔さん。プライベートで親交の深い二人の旅人のトークからのスタートだ。

会場入りした僕は、マップを見ることなく、勘だけでトークライブのステージに直行した。

イルカの話とかハワイの話とかいろんな話が出る中、一番印象に残ったのが、「誰にでも、『理由は説明できないけど、とにかくこれがしたかった』という経験があるはず」、という話で、僕はその話を聞きながら大きくうなづいていた。

心当たりがあるからである。

ピースボート地球一周の船旅の魅力

船に乗ってから2年がたったが、いまだに船に乗った理由をうまく説明できない。たぶん、聴かれるたびに答えが変わっていると思う。

 

さて、トークライブが終わり、しばらく会場をうろちょろした後、いったん僕は会場を出て海浜幕張駅前に戻った。

仕事である、焼肉屋の取材をこなすためである。

旅祭2017 トークライブ 関野吉晴×高橋歩

取材を終えて会場に戻った僕は、高橋歩さんと関野吉晴さんのトークライブを見ることに。

関野吉晴さんは10年をかけて、南米から北米、アジアからヨーロッパ、そしてアフリカへと、人類の起源を逆にたどる「グレート・ジャーニー」を成し遂げた人物だ。

偉大なる探検家もまた、「目的や理由などなく、楽しいから旅をするのだ」と語った。グレート・ジャーニーは10年かかったが、本来ならおそらく5年ぐらいで旅を終えられたはずで、10年もかかったのは寄り道が大好きだったからだと語り、「寄り道をつないでたら一本の道になった」と言っていた。人類史上最大規模の寄り道である。

旅祭2017 MOROHA

続いてはMOROHAのライブ。1MC+1ACOSTIC GUITERという、本人たち曰く「少々毛色の違う」組み合わせだ。

今回、僕が一番楽しみにしていたのがMOROHAのライブである。旅祭2017の開催が発表され、今年は参加しようかどうしようかと出演者ラインナップを見ていた時、MOROHAの名前を発見して即効で参加を決めた。

MOROHAの持ち味は、儚いギターのアルペジオや激しいカッティングなど、既存のヒップホップのトラックとは全然違うサウンドに乗せてキックされる、まるで刃のように心に突き刺さるリリックである。

歌詞のほとんどはMC AFROの実体験に基づいており、曲の構成もまるで一つの物語のようだ。

MC AFROのあごひげから汗が滴るたびに、彼もまた身を削り、彼の人生をラップに変えて紡ぎ出していった。

と言葉で語っても伝わらないので(一応、音楽記事を書くライターです、ボク)、ぜひとも一度曲を聴いてほしい。彼らのライブを生で見れて本当に良かった。

MOROHAの歌の中で一番好きなのがこの”tommorow”である。曲中に「旅祭はいろんなトークライブがあって面白い」とふりを入れた後に、「『人生は旅だ』 そんなのはうそだ! 俺はどこにも行けないじゃないか」と歌いはじめる。

この歌の中にある「本当は一本道の迷路をさんざん迷って人は歩くよ」というフレーズは、関野さんの言葉に通じるものがある。

旅祭2017 Aqua Timez

Aqua Timezを見るのは、10年ぶり二度目である。とはいえ、10年前はライブではなくラジオの公開生放送であった。高校の帰りにいつも見に行くラジオの公開生放送。何も知らずに行ったら、たまたまその日のゲストがAqua Timezだった。

あれから10年。またAqua timezにあえたことをうれしく思う。MOROHAの歌詞で「勝ち負けじゃないと思えるところまで俺は勝ちにこだわるよ 勝てなきゃみんなやめてくじゃないか みんな消えてくじゃないか」というのがあったが、Aqua Timezは10年、やめることなく続けてきたのだ。

大ヒット曲「虹」で始まり、「決意の朝」や「等身大のラブソング」といったヒット曲を披露した。

旅祭から離れてふと思う「旅ってなんだろう?」

とまあ、さもここまで旅祭を楽しんだかのように書いたが、僕には一つの違和感が付きまとっていた。

どうも、この場になじめない。

CREEPY NUTSの『どっち』という曲がある。「ドン・キホーテにも、ヴィレッジ・バンガードにも、俺たちの居場所はなかった」という出だしで始まる曲で、ドンキをヤンキーのたまり場、ヴィレバンをオシャレな人たちのたまり場とし、サビで「やっぱね やっぱね 俺はどこにもなじめないんだってね」と連呼する。

旅祭の雰囲気はまさにこの歌に出てくる「ヴィレバン」だった。やたらとエスニックで、やたらとカラフルで、やたらとダンサブル。

突然アフリカの太鼓をたたく集団が現れたり、おしゃれな小物を売るテントがあったり、やたらとノリのいい店員さんがいたり、なぜか青空カラオケがあったり。

なんだか、「リア充の確かめ合い」を見せられている気分だ。「私たち、やっぱり旅好きのリア充だったんだね~♡ よかったね~♡」という確かめ合い。

会場で何回かピースボートで一緒だった友人たちに会い、その都度話し込んだが、彼らがいなかったら、とっくに帰っていたような気がする。

トークライブも、上にあげた通り刺激的なものもある一方、内輪ウケだけで乗り切ろうとする居酒屋トークみたいなのもあり、そんなもやもやを抱えながら夕方の会場内をフラフラと歩いていると、海岸に出れる道があることに気付いた。

海までほんの100m。海岸といってもおしゃれなビーチではなく、埋め立てによってつくられた人口の海岸である。浅瀬に沈んだテトラポッドに波が太鼓のばちのように打ち寄せる。この穴場海岸を発見した何人かはそこで思い思いの時間を過ごしていた。

久々に海を、波を体感して、船に乗っていた時のことを思いだす。夜、ベッドに寝転ぶと、波のうねりを全身で体感できる。まるで、地球の鼓動を感じているかのようだった。

そんな地球の鼓動に久々に触れ、空を見上げると太陽が輝き、海面は煌く。ペットボトルを開けると波の音に共鳴したのか、ボトルの中から「ブオーン」という何とも不思議な音が出てきた。

ここだったら、何時間でもいれる。

ああ、これこそが旅なんじゃないだろうか。

みんなでワイワイ盛り上がりたかったのではない。観光名所が見たかったわけでもない。行った国の数を誇らしげに語りたかったわけでも、ましてや土産話を誰かに自慢気に聞かすためでもない。

こんな感動を求めて、僕らは旅に出るんじゃないだろうか。

どんな感動かというと、「思いがけない感動」というやつだ。

「全米が泣いた」と書かれた映画を見に行くとか、泣ける歌を聞くとか、泣ける小説を読むとか、そんなのは僕は感動のうちにカウントしていない。

僕がここで「感動」とみなしているのは、大して期待しないで入った食堂のごはんがすごいおいしかったとか、たまたまラジオから流れてきた曲がめちゃくちゃかっこよかったとか、そういうのだ。

もちろん、別に泣きはしない。「泣く」=「感動」ではない。

では、旅人が求める感動ってなんだろうって思うと、見知らぬ街の坂を上った風景がきれいだったとか、初めての土地で何気なく見上げた夕焼けがきれいだったとか、旅先でやさしい人に出会ったとか、そういうのだと思う。

その一瞬に心を奪われたくて、僕らは地の果てを目指す。

この「地の果て」ってのは、別にわざわざパスポートを用意して、飛行機を乗り継いでいくような場所じゃなくっていい。こういった感動が味わえるなら、家から日帰りで行ける千葉の幕張だって地の果てなのだ。

旅祭2017 トークライブ 伊勢谷友介×四角大輔

そういう意味では、四角大輔さんと伊勢谷友介さんのトークライブも、思いがけない感動だった。

もちろん、伊勢谷友介という俳優は知っている。彼が社会活動をやっていることもなんとくなく知ってはいたが、詳しくは知らなかった。

伊勢谷さんは「リバースプロジェクト」という株式会社を経営している。NPOではなく株式会社。社会に貢献し、なおかつそれで利益を上げて収入を得る。そうしないと、誰もまねしようとは思わないからだそうだ。

例えば、車の捨てられるエアバックを使って、かっこいい「エアバッグバッグ」を作ったり、捨てられる野菜をつかって社食の料理を作り、収益の一部を途上国に回したり、そんな事業をしている。

伊勢谷さんの話で一番心に残っているのは、「誰しも生まれ持った使命があり、それに気づくか気づかないか」というものだった。

これも、身に覚えがある。

僕はピースボートに乗る前はボランティアセンターおおみやというピースボートの支部でせっせと乗船に向けて活動していたのだが、このボラセンが、なんと僕が乗船中に閉鎖してしまった。

『ボラセンがなくなる』と聞いた日のことは鮮明に覚えている。土曜日で、岩槻にポスターを貼りに行く日の朝だった。

最初、「ボラセンがなくなる」と言われたときは、頭では情報として理解していても、感情が追い付いてこなかった。感情が追い付いてきたのはその日の昼。お昼んカレーを食べていたら、急に泣きたくなった。

その日一日考えて出した答え「大宮ボラセンのような場所を絶対になくしてはいけない」は、2年たった今でも変わることなく、僕が小説を書く原動力となっている。

大宮ボラセンのような場所を仮想現実で再現したくて、僕は筆を執るのだ。これは、僕の「やらなければならないこと」なのだ。

クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

旅祭とピースボート

旅祭にはピースボートもブースを出している。写真はマスコットキャラのシップリンだ。

この日は気温もそこまで上がらず、シップリンにとっては割と過ごしやすい一日だったのではないだろうか。去年は、とにかく暑かった。

ブースに近づくと見知った顔がいたから声をかけて見たりして、なじめない旅祭の中で結構助けられたブースでもある。

 

旅祭2017 ナオト・インティライミ

世界中を旅したことで知られるミュージシャンのナオト・インティライミ。旅祭に最もふさわしいミュージシャンの一人かもしれない。

そんなナオト・インティライミのライブだが歌はそんなに歌わず、むしろ旅の話ばっかりしていた。旅祭ならではである。

自身のヒット曲をメドレーにしたり、やけに短くアレンジしたりと、歌以外でも楽しませてくれる、まさにエンターティメントショーだった。

来年も旅祭に行きたいか

旅祭2017を振り返って、「来年も旅祭に行きたいか」と問われれば、答えはイエスである。

僕みたいな「旅ボッチ」は旅祭に群がる「旅パリピ」が苦手なだけであって、旅祭そのものは刺激に溢れた祭だ。

この「刺激」とは、単に「楽しい」とか「面白い」とかそういった刺激ではない。

今、自分がやっていること、すなわち、自分の旅路を振り返って、次の旅路へと歩みを進めるための刺激だ。

良い刺激、悪い刺激、選り好みすることなく様々な刺激が受けられる場所。それが、僕にとっての旅祭である。