ピースボートに乗っても英会話ができるようにはならなかった

ピースボートに乗る際にはいろんな疑念があると思う。ヘンな団体なんじゃないかとか、アブナイ団体なんじゃないかとか、ヤバい団体なんじゃないかとか。そんな中で最も現実的な悩みが「英会話ができないとダメなんじゃないか」。結論から言うと、英会話ができなくても乗れる。そして、ピースボートに乗っても英会話ができるとは限らない。


ピースボートにおける英会話学習プログラム

昔、大学の後輩に「船内は英語ができないとダメなんじゃないか」と聞かれたことがある。

その辺の心配は全く必要ない。

なぜなら、船内の大半は日本人だったり、日本語がしゃべれる人だったりするからだ。

一方で、ハウスキーパーだったり、バーのマスターだったり、船内で従業員として接してくれるクルーは外国人、特にインドネシア人が多い。

とはいえ、簡単な英会話ができれば何とかなるし、接客系のクルーは日本語が結構しゃべれる。

さて、船内にはGETと呼ばれる英会話を学べるプログラムがある。英会話だけでなく、スペイン語もやっていた。ちなみに有料だ、たしか。

くわしくはぜひ資料を請求してほしい。GETの教室はは船内だけでなく、日本国内でも開かれている。

というのも、僕はやっていないので詳しくは知らないのだ。

では、そう言ったプログラムを受講しないまま、ぶっつけ本番で海外に繰り出すと、どうなるのか。英会話は身につくのだろうか。

英語が通じる国、通じない国

以下に、ピースボートで訪れた国のうち、英語・英会話にまつわるエピソードを書いていこう。

フィリピン/セブ島

フィリピンは公用語としてタガログ語という言葉が使われているが、英語も広く使われている。

街の看板は英語で書かれている場合が多い。簡単な単語が多いので、非常にわかりやすかった。

シンガポール

シンガポールも英語が通じる国だ。

シンガポールの港の売店でコーヒーを注文したところ、売店おおばちゃんの英語が早口で、全く聞き取れなかった。地球一周2か国目だった僕は「これがネイティブのスピードか……、さっぱり聞き取れねぇ……」と心を折られてしまった。

ギリシャ

ギリシャ文字は英語のアルファベットにかなり近い。

かなり近いんだけど、それが全く見たことのない配列で並んでいる。それが余計に混乱する。いっそアラブ文字のように全く見たことない文字だった方がまだましである。

読めそうで全然読めない、それがギリシャ文字だ。僕が唯一読めた単語は「博物館」を意味する「MUSEION」だった。

だが、それでも一人で町を歩いて帰ってこれたのだから、まあ、世の中なんとかなるものだ。

なんとかなるものだけれど、バスとか電車とかは「どこへ連れて行かれるか見当もつかない」ということで怖くて乗れなかった。

イタリア

大学でイタリア語をやっていたので、多少の単語が読めたりわかったりしてずいぶんと楽だった。

もちろん、話せるわけではない。「看板の意味がちょっと分かる」程度である。

フランス

言語において一番困ったのはこの国だったかもしれない。なにせ、僕はマルセイユで迷子になってしまったのだから。

ピースボートの船旅、外国でガチで焦った3大事件!

現在地を確認しようとバス停の地図を見ても、フランス語だからさっぱり読めない。

道行く人に「Where is sea?」と聞いても全く通じない

いまにして思うと、たぶん「Where is sea?」は文法的に間違っているような気もする。「Where is she?」だと思われたかもしれない。通じるわけがない。

ペルー

中南米はスペイン語圏だ。さっぱり英語が通じない。

特にペルーは、全く通じなかった。あらかじめタクシー交渉用の言葉を紙に書いておかなかったら、タクシーすら乗れなかった。

現地の子供たちと交流できるツアーに参加したのだが、「I left from Japan 70 days ago by the ship」という渾身の英語が通じなかった。今度は文法うんぬんの問題ではない。なんてったって、「day」という超簡単な英単語を相手は知らなかったのだから。

仕方がないので腕時計の前で指を一回くるっと回して、その後指を立てて数字の1を作り、「hour」。これでまず「1 hour=1時間」ということはわかってもらえたようだ。

指で数字の24を表した後、「hour」を示すジェスチャーをして、「day」と発音。これでようやく、「day=24hours=1日」ということを理解してもらえたみたいだ。

英語は世界の共通言語だと言われている、が、世界の半数近くは英語が通じなかった。

英会話はできなかったけど

さて、結局、ピースボートで地球一周したからといって英会話はできるようにはならなかった。なにせ、約半分の国はそもそも英語が通じないのだ。

むしろ、「世界共通語はジェスチャーだ」と強く感じた。

さて、地球一周後、変わったことが一つある。

街で外国人に声をかけられても、たじろがずに話を聞くという度胸がついた。ということだ。

もちろん、全体的には何言ってるのかわからない。

だが、一個決定的な単語が聞き取れればなんとかなる。

「smoking」という単語が入っていればほぼ間違いなく喫煙所を探してるわけだし、駅のホームで話しかけられて、その言葉の中に駅名が入っていれば、ほぼ間違いなくその駅に行きたいと話しているわけだ。

何回か会話を続ければ、自分の推論があっているか間違っているかぐらいはわかる。

もっとも、こちらもつたない英語しかしゃべれない。それでもなるものだ。

ひどい時には、僕も日本語しかしゃべっていない、なんてときもある。

相手は英語をしゃべり、僕は日本語をしゃべる。これでちゃんと相手を目的地に送り届けられたのだから、コミュニケーションは言葉だけではないということなのだろう。

僕が船旅で海外に行った(安全上の)理由

ピースボートに乗っていた時、船旅で1日かかる距離を、飛行機は1時間で飛ぶ、と聞いたことがある。船旅とはなんともアナログで時間がかかって非効率な旅だ。にもかかわらず、なぜ船旅で地球一周をしたのか。ロマンがあるし、仲間ができる。それも大きい。だが、僕にはもう一つ大きな理由があった。

どうしても飛行機に乗りたくない!


高所恐怖症な僕

基本的に僕は高い所が苦手だ。高所恐怖症である。

とはいえ、高所恐怖症を「重度」と「軽度」に分けるとすれば、まだ軽度の方なのかもしれない。僕よりも高所恐怖症な人間が世の中にはたくさんいる。

ダメな人はビルの上階とか、山の上の景色もアウトらしい。僕はマンションの上階で育っているので、そう言ったものはあまり怖くない。

さて、「飛行機に乗りたくない!」と言いつつも、飛行機に乗ったことは何回かある。

高校の修学旅行で飛行機に乗った時、隣の席は仲の良かったA君だった。彼はごりごりの理系で、特に工学系の分野に強く関心を持っていたようで、そういった本を読んでいたのだが、彼は僕よりも飛行機がダメな人だったらしい。飛行機の翼の一部がひらひらしているのを見て、「あそこから翼がどんどんはがれていって墜落するんじゃないか」と怯えていた。

「え、あれって、そういうヒラヒラする部品なんじゃないの? あれで抵抗を和らげてるとか。っていうか、絶対お前の方がそういうの詳しいだろ?」と思ったものだ。

A君ほどではないが僕も飛行機をはじめ高い所が苦手だ。

ビルの30階とかは全然平気なのだが、本屋やビデオ屋にある、高い棚からモノをとり出すときに使う脚立は怖い。僕がちょっとバランスを崩しただけで大惨事になりかねない。

あと、絶叫系とか高所アクティヴィティ系は全部アウトだ。絶叫嫌いが高じて、遊園地そのものがNGだったりする。

そして、僕は大学の卒業旅行を最後に飛行機に乗っていない(ちなみに、この旅行の時も僕は『東京から長崎まで陸路で移動する』を主張していたが、時間がかかりすぎると却下された)。

なぜ、飛行機が苦手なのか。

だって、落ちたら死ぬじゃん。

という話をしたら大学の後輩に「先輩、飛行機が落ちる確率より、地上にいるときに大地震が発生する確率の方が高いですよ」と言われた。

確かに、記憶をたどると飛行機事故よりも震災の方が確立は高い気がする。

だが、「怖い」という感情はそんな論理的なものではない。怖いものは怖いのだ。

先日も「どうしても飛行機に乗らなければいけない」という夢を見た。夢の中で飛行機に乗る直前まで「やっぱりやだやだやだ!」駄々をこねていた。

飛行機がダメなわけ

飛行機は落ちたら死ぬ。だから嫌だ。

とはいえ、事故を起こしても死なない乗り物を探すが難しい。

自動車だって高速道路でハンドル操作を誤れば死ぬ確率は高い。

電車だって何かのはずみで脱線すれば死者が出る。

乗り物の事故で死にたくないなら、もう徒歩を貫くしかない。

さて、僕は車に乗るし(運転はしない)、電車にも乗るが、飛行機だけは絶対に乗りたくないと思っている。

なぜか。

問題は「タイムラグ」にある。

例えば、車に乗っていてハンドル操作を誤って壁にぶつかり死ぬとしよう。

ハンドル操作を誤ってから激突するまでほんの数秒である(と思う)。

例えば、乗っていた電車が脱線して地面に激突して死ぬとしよう。

脱線してから地面に激突するまで、やっぱりほんの数秒である(と思う)。

では、飛行機の場合はどうか。

上空1万メートルを飛んでいた飛行機が突然地面にぶつかる、なんてことはない。自由落下だとしても激突まで45秒もある。

飛行機が墜落するときは、何らかの原因でコントロール不能に陥る(と聞いている)。

そして、機長からコントロール不能になったというアナウンスが流れる(と伺っている)。

そして、まっさかさまに落ちるわけでもないらしい。たぶん、アナウンスから激突まで数分の時間があるだろう。

激突するまでの数分間、乗客にできることはほとんどない。せいぜい頭を低くするとか遺書を書くかぐらい。「座して死を待つ」とはまさにこのことだ。

つまり、「どうせ事故で死ぬなら、手短に、ひと思いにやってくれ」というわけだ。この「座して死を待つ」というのが嫌だから飛行機に乗りたくないのだ。

では、船はどうなのだろうか。

船旅で事故にあった時はどう避難するのか

飛行機に比べて船は安全、なんてことはない。タイタニック号、セウォル号、沈んでしまった船は歴史上枚挙にいとまがない。

ただ、船は飛行機と決定的に違うところがある。

それは、事故にあったとしても、乗客の立場でも正しい知識を以って冷静に頭を働かせれば助かる可能性がぐんと上がる、ということだ。

船の場合も事故のプロセスは飛行機と一緒だ。もうだめだ、となれば船長から船体放棄のアナウンスが流れる。

船体放棄、すなわち、船を捨てて小型ボートで脱出しよう、というわけだ。

こういうアナウンスが流れるとすわ一大事とあわててしまう。人によっては取るものも取らず、はだしのままで逃げようとする人もいるという。

だが、船体放棄のアナウンスが流れた時点では確かに「もうだめだ」という状態ではあるが、一刻を争う、というほどのせっぱつまった状態ではない。落ち着いて靴を履いて、歩いて避難するくらいの時間は十分にある。

こういった非常事態には、普段はバーやイベントスペースとして使われている部屋が集合場所になる。そこに集まってもすぐに避難、とはならない。クルーが一人一人点呼してちゃんと来ているか確認を取る。この段階でも時間的余裕があることがわかってもらえるかと思う。

そうし点呼が終わって初めて「テンダーボート」というボートで避難する。

つまり、船長から「この船はもうだめです」とアナウンスが流れても、こちらが冷静に行動すれば、生存の確率はぐんと上がる。

どうして船の避難の話が書けるのかというと、船旅をしていた108日のあいだに4回も避難訓練を行っていたからだ。

まず、船に乗っていきなり避難訓練だ。地球一周の船旅最初のイベントは出港式ではなく避難訓練だ。

その後も月に1回のペースで避難訓練が行われた。また、航路説明会などで船の安全に関する話なんていうのもあった。

こうして何度も避難訓練が行われる。法律では24時間以上船に滞在する人間は避難訓練への参加が義務付けられている。訓練通りに、冷静に行動すれば、船が沈んでもちゃんと避難できるのだ。

じゃあ、何百人と死者を出したセウォル号の事件はどうだったのか。あの高校生たちは冷静じゃなかったのか。バカだったのか。死者を冒涜しているのか。

そうではない。彼らは船に関する知識を持っていなかったのだ。

当然である。修学旅行で船に乗っただけの高校生が、船に関する正しい知識を持っているはずもない。引率の先生だって持っていないだろう。僕だって最初は持ってなかった。ここに書く船の知識もすべて、僕が乗船後1か月ぐらいしてから知ったことだ。

報道では、セウォル号が90度に傾いて、高校生たちが「ヤバいことになった」と笑っている映像が公開されていた。よもや沈むなどと思っていなかったのだろう。報道ではこの時、「船室にいてください」とアナウンスされたと言われている。そうアナウンスされればみんな船室に留まって次の放送を待つだろう。

僕ならこの時点で、どうアナウンスされようが船室を出て、避難を始める。

船とはゆらゆら揺れているのが正常な状態だ。どれだけそのふり幅が大きくても、「揺れている」ということは「元の位置に戻ろうとする力がある」ということであり、それは正常な状態なのだ。

危険なのは揺れが止まった場合。つまり、傾いたまんま元に戻らない場合だ。この場合、すでに船は「元に戻ろうとする力」を失った状態である。そうなると、何万トンもある船が再び立ち上がる、なんてことは不可能だ。傾いたぶん水に浸かり、沈んでいく。

揺れている間は正常、傾いたまま止まったら異常。こういったことを知っていて、「あのアナウンスは当てにならない」と判断し冷静に行動できたら、セウォル号からでも避難できただろう。事実、最も船に関する知識が豊富なはずのクズ船長は避難できている。

一方、飛行機はどれだけ冷静だろうと乗客にはやれることがない。だから嫌なのだ。

さて、今回の記事は人命にかかわることなので、「これは間違ってるよ」という箇所があったら遠慮なく言ってほしい。みんなでつくろう正しいブログ。