小説:あしたてんきになぁれ 第7話 幸せの濃霧注意報

明日がいらない自殺志願の少女・たまきが一人で留守番をしていると、そこに合同が現れる。強盗に「殺してください」と頼むたまき。そこに帰ってきた亜美は強盗に飛び蹴りを浴びせる。「あしなれ」第7話はドタバタコメディ?


第6話 強盗注意報と自殺警報

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


写真はイメージです

「お城みたい」

志保(しほ)はそうつぶやいた。

夕方ごろから始まった交通渋滞のせいで車はなかなか進まない。舞(まい)と志保は渋滞が解消されるまで、通り沿いのショッピングセンターで一休みすることにした。

買い物を一通り終え、喫茶店で一息つく。薄暗い照明の中で、志保はコーヒーを、舞は紅茶を飲んでいた。ふと、窓の向こうを見ると、土砂降りの向こうにビル群が見える。

都庁を中心とした高層ビル群。このビル群の日陰になるように、志保たちが暮らす繁華街が広がっている。

つやのある石のようなビルの群れだが、どこか志保に雄大さを感じさせるものがあった。

 

「ん?」

志保の言葉に、舞が聞き返した。

「いえ、お城みたいだなぁって思ったんです」

志保は窓の外を見ながら答えた。

「城ってどっちの?」

「え?」

舞の問いかけに、志保は眼を開いて、舞を見た。

「名古屋城とかのほうの城か?」

「あ、いえ、中世ヨーロッパのお城みたいだなって思ったんです」

志保は再び、ビル群の方を見た。

「ヨーロッパのお城って、王様や貴族だけじゃなくて、いろんな身分の人がいたんです。なんか、そういうところ似てません?」

「……そう言われれば、見えないこともないな」

舞が返した。窓の外は雨が降り続ける。

 

写真はイメージです

「これは……どういう状況……?」

「城(キャッスル)」に帰ってきた志保を出迎えたのは、何とも奇妙な光景だった。

最も目を引くのは、面識のないおじさんがビニールひもで縛られて、正座をさせられている、ということだろう。おじさんと向かい合うように亜美(あみ)が立ったまま彼を見下ろし、睨みつけている。その脇ではたまきが正座して、申し訳なさそうに見ている。

「このおっさんが逃げださねぇように、縛っといたんだよ」

亜美がおじさんをにらみながら、志保の方を少しだけ見ていった。

「でも……ビニールひも、痛そうですよ……。ほどいてあげませんか……」

たまきが少し心配そうに亜美を見上げながら言った。

「何言ってんよたまき! このおっさん、たまきのこと殺そうとしたんだぞ!」

「ええっ! ちょっと、それどういうこと?」

驚愕の真実に志保が驚く。そして、おじさんがあわてたように喋り出す。

「違います! その子を殺そうとしてたわけじゃ……」

「どう見たって殺そうとしてたじゃねぇかよ! じゃあ、あれか? おっさんの世代は、若い娘に刃物むけねぇと、コミュニケーションとれねぇってのか? あぁ?」

亜美が傍らに置いてあった包丁片手にがなる。亜美の方がよっぽど強盗っぽい。

「いや……その、確かに最初は殺そうとしたんですけど……」

おじさんは何て説明したらいいのかわからなくなってうつむく。実際、おじさんも自分の身に起きたこと、正確に言うと、目の前の少女が言い出したことがまだよく理解できていない。

おじさんはすがるような目でたまきを見た。たまきは、少し身を乗り出すと、亜美に言った。

「私がこのおじさんに殺してくださいって頼んだんです」

「ええっ!」

「はぁ?」

志保の何度目かの驚きの声と、亜美の呆れた声が「城」の店内に響く。

戸惑うのはおじさんも同じだ。なんだってこの子はそんなこと言いだしたのか。

だが、「アミ」という名の金髪の少女は、ため息をつくと、それですべて納得がいったかのような顔をした。

「……また、いつもの自殺願望か?」

「えっ、いつもこうなんですかこの子?」

おじさんが驚いて尋ねる。

「ああ、いつもこうなんだよ」

「あの……ちょっといい?」

志保が申し訳なさそうに手を挙げた。3人の視線が志保に集中する。

「……このおじさん……誰?」

一番重要な部分が、説明されないままに話が進んでいる。

亜美は身をかがめると、たまきに訪ねた。

「そういやこのおっさん、誰だ?」

「さあ、誰なんでしょうか……」

たまきが申し訳なさそうに答えた。

 

「お、財布はっけーん!」

亜美がおじさんのカバンから、黒い財布を取り出した。

「……亜美さん、その……、あんまり人のカバンとか財布とか見るのって、やっぱりよくないんじゃないかな……」

たまきが申し訳なさそうに言えば、志保も申し訳なさそうに

「あたしがこんなこと言う資格ないんだけどさ……」

と口を開く。

「亜美ちゃん、取っちゃだめだよ」

「とんねーよ! 今朝、わびいれて来たばっかじゃん」

亜美が笑いながら言った。

「ウチ、万引きとか中学で辞めてるから」

「昔やってたんだ……」

「そういえば、親の財布からお金取ってたって……」

「だから、それは罪になんねーんだってば」

亜美は笑顔でおじさんの財布を開ける。

「大体、金に困って強盗するようなおっさんの財布なんてあてにしてねぇし。」

そういうと亜美は、お札入れを指で広げた。中にはわずか3千円。小銭入れにも、わずかな硬貨しか入っていない。

「よし! 推理ゲームしようぜ」

「?」

亜美の提案に二人が首をかしげる。

「このおっさん無理やり脅して名前とか聞きだしてもつまんねーじゃん」

「つまんない以前に……、やっちゃいけないと思います……」

「だから、この財布やカバンの中身から、おっさんの身分とか推理するんだ。面白そうだろ」

「……だから亜美さん、あまり、人の財布覗いちゃだめですよ。……ねえ、志保さん?」

たまきが不安げに志保を見る。志保は、顔を少し赤らめ、申し訳なさそうに笑っていた。

「……ごめん、あたし、今、それ面白そうって思っちゃった」

「・・・・・・」

「よしっ、決まり」

そういうと亜美は財布のポケットから、プラスチックのカードを抜く。

「いきなり社員証とか出てくれば、一発でわかるんだけど、それじゃつまんねーよな~」

こういうのをまな板の鯉というのだろうか。おじさんは下を向いたまま黙っている。これだけおとなしい鯉なら、さぞかし料理しやすそうだ。

亜美は引いたカードを覗き込む。たまきがそれを見て口にする。

「なんですか、これ?」

たまきの言葉に亜美と志保が信じられない、といった目でたまきを見た。注目されることが苦手なたまきは思わず戸惑ってしまう。

「お前、定期券、知らないの?」

亜美の言葉で、たまきはやっとそれがなんなのか理解した。

「あ、これ、JRの定期券なんだ……」

「たまきちゃん、JR使わないんだ?」

「うちの近くの駅、私鉄だし……、私、あまり電車乗ったことないんで……。高校も行ってないから、乗るときはいつもキップだし……あんまり遠出したことなかったし……」

たまきが申し訳なさそうに下を向いた。

「でも、定期券じゃなんもわかんねーなぁ」

「そうでもないよ。ちょっと貸して」

志保が亜美の手から定期券を取った。定期券には、二つの駅名が描かれている。

「左に書いてあるのが、たぶん家の最寄り駅。右に書いてあるのが、勤め先とかの最寄駅だね」

志保は2,3秒考える。

「勤め先があるあたりは……、オフィス街だよ、東京のど真ん中の。一流企業とかあるところ」

「さすが東京人」

亜美が腕を組んで笑う。

「昔行ったことあるから」

志保が少しうつむいて答えた。しばし経って顔をあげると、再び定期券を目の前にかざす。

「家があるところは、まあ、普通の住宅地じゃない?」

「つまり、一流企業に勤める、普通のおっさんってところか」

亜美がおじさんを見下ろしながら言った。

「そいつが、会社をクビになって、金が必要になって強盗した、ってところだな」

亜美がにやりと笑い、志保がうなづく。

「うん、この定期、3カ月前に切れてる。」

「志保さん、探偵みたい」

たまきのつぶやきに、志保は少し照れた。

「さぁて、お次は何かなぁ?」

亜美は躊躇なく財布の中身をあさり始める。

「ん?」

亜美の指が薄い紙を探り当てた。亜美は写真をつまみ出した。

写真には、二人の少女が映っていた。1人は高校生くらいだろうか、茶色い長い髪でセーラー服を着ている。もう一人は中学生くらいで、黒い髪に弦の細いメガネ、学校の制服を着ている。

「お、このおっさん、ロリコンかよ」

「いや、普通に考えて、娘さんじゃない? この二人、顔だち似てるし、姉妹なんじゃないかな」

志保がおじさんを見やりながら言う。

たまきは写真を覗き込んだ。姉妹の妹の方が、少し自分に似ているような気がした。

「あのぅ」

か細い声でおじさんが言った。

「その……、警察だけは……」

「あ?」

亜美が聞き返す。

「警察だけは……、勘弁してください……」

「おっさん、なに、ムシのいいこと言ってんだ?」

亜美が呆れたようにおじさんを見る。

「人の金盗もうとして、警察はやめてくれなんて、おっさん、ふざけてんのか?」

「ごめんなさい……」

謝ったのは、おじさんではなく、志保だった。

おじさんは、じっとうつむいていたが、顔をあげると、少しだけ声を張り上げた。

「お願いします。本当に申し訳ないことをしました。謝ります。ですから、警察だけは勘弁してください」

「ごめんで済むならケーサツはいらねーんだよ!」

亜美の怒号が「城」の中に響いた。

「亜美ちゃん……、今朝と言ってること、違うよ……」

志保が亜美の背中越しにつぶやいた。

「あ? 今朝? ウチ、今朝なんか言ったっけ?」

「それにさ……」

志保が亜美の背中越しに続けた。

「警察ここに呼んで困るのは、あたしたちも一緒だよ」

亜美は、天井を見上げると、「城」の隅に移動した。

「たまき、志保、集合」

言われるままに、たまきと志保が亜美のもとへと移動する。亜美は、おじさんに背を向けると、小声で二人に話しかけた。

「どうする?」

「どうするって……さっきも言ったけど、ここに警察呼んで困るのは……」

「……私たちですよね」

三人は不安そうに顔を見合わせた。

「三人そろって不法占拠」

「私は家出中だから、警察が来たら家に帰されるかも……」

「あたしは、ドラッグで少年院行きかな……」

三人は再び顔を見合わせた。亜美が二人の肩を抱く。

「おい、このことは、絶対あのおっさんにばれたらだめだ」

「なんでですか?」

「なんでって、足元見られて、なめられるだろ?」

亜美の答えに、たまきはおじさんを見やった。うつむいたまま動かない。ビニールひもで縛られた姿は、荷物みたいで、なんだかかわいそうにも思えてきた。

ふと、おじさんと目があった。最初に、たまきに包丁を向けた時と、同じ目をしていた。

あの時、たまきは妙に冷静だったので、おじさんの目をはっきりと覚えていた。

今にして思うと、おじさんの目は、怯えたような目だった。

「亜美さん」

たまきは、亜美の方を見ると、心細そうに言った。

「あのおじさん、逃がしてあげませんか」

「そんな、捕まえた鈴虫じゃねぇんだから……」

そういうと、亜美は少し考えるように宙を見てから、言った。

「っつっても、ここに置いとくわけでも、ケーサツに突き出すわけにもいかねぇしな」

亜美はおじさんに近づき、しゃがみこんだ。

「おっさん」

「はい」

おじさんが上ずったか細い声で答える。

「うちらはジヒ深いから、おっさんを逃がしてやる」

「ありがとうございます」

おじさんは縛られたまま、深々と頭を下げる。

「逃がしてやる代わりに、なんで強盗なんかしたのか、その理由を教えろ」

その言葉に、おじさんはうつむいた。

「あの・・・・・・」

「なんだ?」

「自分、その、強盗に入ったわけじゃないんです……」

「あ?」

亜美が睨みつけると、おじさんはうつむいたまま続けた。

「……自分は、空き巣をするためにここに入ったわけで……」

「は?」

「包丁も、強盗するために買ったんじゃなくて……、お守りとして……」

その言葉に、たまきははっとした。たまきも、お守りとしてカッターナイフを持ち歩いているからだ。

いつでもどこでも、速やかにこの世からエスケープするために。

刹那、亜美が手に取った灰皿を思い切りテーブルに叩きつけ、空気を切り裂き破るような甲高い音が「城」の中にこだまする。たまきは背筋がびくっとなる。

「てめぇ、何ふざけたこと言ってんだ! 強盗するつもりはなかっただぁ? たまきに包丁突きつけてるところ、ウチは見てんだよ! たまき! お前、このおっさんになんて言われた!」

「お、お金を出さなきゃ、殺すって……」

「それみろ」

亜美が勝ち誇ったようにおじさんをにらむ。

「でも、そのあと殺してくださいって頼んだのは、私で……」

「そっから先はどーでもいいんだよ!」

亜美は今度は、志保の方を向いた。

「志保、このおっさん、強盗罪だろ! そうだろ!」

「……計画性はないけど、たまきちゃんに刃物向けて、お金出せって言っちゃったんなら、強盗未遂じゃない?」

「それみろ!」

「でも、その後たまきちゃん、自分から殺してくださいって」

「だから、そっから先はどーでもいいんだよ!」

そういうと、亜美はおじさんにぐいと顔を近づけた。

「とりあえずおっさん、なんで強盗したのかいえ。じゃねーと、この紐、ほどかねーぞ」

「警察に突き出すわけじゃないんだし、動機なんてそれこそどーでもいいんじゃないかな」

「どーでもよくねーよ。なんか、もやもやすんじゃん!」

亜美は、まったく論理的じゃない答えをした。

「要は、亜美ちゃんの楽しみのために、動機を言えってこと?」

「……そういう人なんです、亜美さんは」

たまきと志保はあきれたように顔を見合わせた。

おじさんは思いつめたようにうつむいたまま、話し始めた。

「……会社を、半年前にクビになったんです。」

「いや、それはわかってんだよ」

亜美が呆れたように言った。

「それで、半年ほど家にいて……就職活動したんですけど、見つからなくて」

「で?」

「家にいたら妻や娘たちに疎まれるようになってきて……、先月、家を出たんです。十万持って、ビジネスホテルとかを転々としてたんですけど、お金が底を突いて、それで……」

たまきは亜美の顔を見た。明らかに「ありきたりすぎてつまらん」といった顔をしている。

「あの……、亜美さん、おじさん逃がしてあげませんか……」

たまきはもう一度聞いてみた。亜美の答えはあっさりしたものだった。

「あ、いいよ」

もう、おじさんに興味を失ったらしい。

しかし、ビニールひもはきつく縛られ、結び目はほどけない。

「これつかったら?」

と、亜美がおじさんの包丁を差し出す。志保が驚いたように制する。

「いやいや、危ないでしょ」

「ちょっと待っててください」

たまきは自分のカバンから、黄色いカッターナイフを出した。それで、ビニールひもを1本1本こするように切っていく。

3分ほどかけて、おじさんは自由の身になった。おじさんの持ってきた刃物は危ないので、「城」においていくことになった。

「…ご迷惑をおかけしました」

ドアを背にそう言うと、おじさんは深く頭を下げた。

「これからどうするんですか? お金、ないんですよね?」

たまきの問いにおじさんは、

「さあ……」

と寂しそうに頭を振るだけだった。部屋の中にはかすかに雨音が響く。

たまきは、ドアの横の傘たてからビニール傘を引き抜くと、

「あの……」

とだけ言って、おじさんに差し出した。

おじさんは傘を受け取ると、

「ありがとうございます」

と、小さく頭を下げた。

 

写真はイメージです

おじさんが去り、「城」の中は何とも言えない静寂が漂う。夕飯を済ませ、テレビをつけると、あっという間に午後9時だ。

近所の銭湯は400円で入れる。銭湯と言っても、ビルの一角でそんなに広くない。いつも閑散としていて、ほとんど3人の貸切だ。

「あの……」

湯船の中からの、たまきのつぶやくような声もかすかに反響している。

「幸せってなんですか?」

髪を洗っていた志保と、体を洗っていた亜美が驚いてたまきを見る。

「いきなり、何言ってんだ、お前?」

「なんか、哲学的だね」

「わかんなくなっちゃって……」

風呂という完全無防備な場所で、同居人とはいえ、他人の視線を一気に集めてしまい、恥ずかしくなったたまきは湯船に身をうずめる。

「だって、あのおじさん、結婚して、子供もいて、それでも全然幸せそうじゃなくて……」

「会社クビになっちゃったからねー」

と志保が残念そうに言う。細い体に細い腕で、栗色の髪を泡立てている。

「でもさー、あのおっさん、家族いんだろ? 家族が支えりゃいーじゃん。うっとうしがって見捨てるとか、薄情じゃね?」

亜美がつやのある体を磨くように洗いながら言った。

「そうでもないよ」

そういったのは、志保だった。

「一番最初に裏切るのは、家族だよ」

志保は伏し目がちに言った。

たまきも、湯船の陰でこくりとうなづいた。

「あ~、でも」

と、亜美が浴室にこだまするように言った。

「ウチも、オヤジが仕事クビになって、ずっとうちにいたら『うっとうしいからどっかいけ!』って言っちゃうかもなぁ。おっさんの家族の気持ち、わかるよ」

「亜美ちゃんって、一貫性ないよね……」

志保が呆れたようにつぶやいた。そして、たまきを見ながら言った。

「たまきちゃんにとって、幸せって何?」

「え?」

頭の上にメガネを置いた、たまきの子猫のような目が大きく見開かれる。

「しあわせ・・・・・・?」

「ウチは、男と・・・・・・」

「亜美ちゃん、ちょっと黙ってて」

浴場の外にまで聞こえそうな亜美ののんきな声を、志保が制する。

たまきは困ったように志保を見ながら言った。

「……わかんない……です」

学校に行っても友達などいなく一人ぼっち、家に引きこもっても家族から疎まれ一人ぼっち。

どこに幸せがあるというのか。

「志保は?」

亜美が湯船に足を入れながら尋ねた。

「うーん、初めての彼氏と初めてデートしたのが、今までで一番幸せかな」

「はぁ~、リア充だねぇ」

亜美がたまきの隣にしゃがみ、お湯につかる。

「幸せだったんだはずなんだけどねぇ」

志保はどこか遠い目をして、そういった。細い右腕には、無数の針のあとが目立つ。

たまきは、湯船につかりながら考える。

恋人がいれば、友達がいれば、誰かに認めてもらえれば、幸せになれる。たまきは今まで、どこかでそんな風に考えていた。だから、誰からも認められない自分は、不幸せだ。

でも……、ちがうのかな。

たまきは、もう一度あのおじさんに会いたくなった。話が聞きたくなった。

 

写真はイメージです

都会の片隅に吹く雨上がりの風は生暖かくもあり、風呂上がりの3人には涼しくも感じられる。

繁華街の中に小さな公園があった。小さな神社と一緒になった、小さな公園。

公園の中に小さな岩がゴロゴロと転がっていて、その中に見覚えのある影が腰かけていた。

くすんだ背広に禿げ上がった頭。あのおじさんだった。

「亜美さん、志保さん、あれ……」

たまきはおじさんを指さした。

「ほんとだ、さっきのおじさんだ」

「ここで、一晩過ごすつもりですかね……」

たまきは心配そうにおじさんを見た後、亜美の方を向いた。

「亜美さん、あのおじさん、一晩だけでもウチに……」

「やだ」

亜美は振り向きもせずに答えた。

「なんで……」

「興味がない」

亜美は足を止めることなく答えた。

「普通のおっさんだろ」

「そうですけど……」

普通のおじさんだから……。

「冬なら泊めてもいいけど、今、夏だろ? 野宿したってしなねぇよ」

亜美はおじさんを一瞥することなく答える。

「あの……!」

たまきは少しだけ大きな声を出した。

「先に帰っててください」

「りょーかい」

亜美はたまきと志保を置いて雑踏の中に向かっていった。

志保はたまきをしばし見ていて、口を開いた。

「夜の一人歩きは危ないよ。たまきちゃんみたいな子には」

志保は、繁華街のネオンサインをちらりと見た。口を固く結ぶと、たまきの肩を軽くたたいた。

「あたしも付き合うよ」

たまきは、おじさんに歩み寄った。

「こんばんは……」

おじさんは、背筋をかがめてもそもそとコンビニ弁当を食べていた。たまきの呼びかけにおじさんが振り向く。

「君はさっきの……」

「……ここで一晩過ごすんですか」

おじさんは照れたように笑った。

「お金がないからね」

「……そのお弁当はどうしたんですか?」

「ゴミ捨て場で拾ったんだ。賞味期限が切れたばっかり見たいだからね」

おじさんは、まだ新鮮な鮭の切り身を口に入れた。

たまきはおじさんの右横の石に腰かけた。

おじさんはお弁当をわきに置くと、たまきに向き直った。

「私に、何か用かな」

二人の様子を、志保が少し離れたところで見ている。

「……おじさんは、一流企業に勤めてたんですか?」

「……自分で言うのもなんだけど、食品業界の最大手だったね。X食品って知ってる?」

なんか聞いたことがある気がする、とたまきは志保を見た。志保が口を開く。

「2年くらい前に、産地偽装で話題になったところじゃない?」

おじさんはゆっくりとうなづいた。

「牛肉の産地偽装でね、会社は窮地に追い込まれた」

深夜にぼんやりとしかテレビを見ないたまきはそんな事件知らないが、志保はニュースとかで見たことあるらしい。

「じゃあ、その事件に関わってクビに?」

志保の問いかけに、おじさんは首をむなしく振った。

「私は水産加工品の部署にいたんだ」

「じゃあ、関係ないじゃないですか」

たまきの質問に、またおじさんはむなしく首を振る。

「関係ないけど、同じ会社だからね。もちろん、実際に偽装に関わった社員たちは真っ先にクビになった。でも、一度信用を失った会社の業績は、戻らなかったんだ」

最後におじさんは、ぽつりと付け足した。

「人員整理ってやつさ」

「……おじさんは、大学を卒業したんですよね」

「ああ、そうだよ」

「……学校にちゃんと、行ってたんですよね」

たまきの質問に、おじさんはやさしく笑った。

「ははは。そんなの、当たり前じゃないか」

「……ですよね」

たまきが下を向く。

この人は普通のおじさんだ。当たり前のように学校に行って、当たり前のように卒業し、当たり前のように就職し、当たり前のように結婚して、当たり前のように子供育てて。

きっと、これからも当たり前のように幸せな人生を歩くはずだったのに……。

当たり前の人生を歩けば、幸せになれると思っていたのに……。

「でも、やっぱりおかしいですよ」

そういったのは志保だった。志保は難しそうな顔をしながら、たまきの右隣の石に腰かけた。

「おじさんは悪くないじゃないですか。食品偽装とは関係ないんでしょ?」

志保の問いかけに、おじさんはため息をついた。

「最初はそう思ったさ。妻も娘も言ってくれた。『お父さんは悪くない』って」

でもね、とおじさんは続けた。

「就職先が決まらず、半年ほどたつとだんだん家族から疎まれるようになってね……」

そこでおじさんは言葉を切った。

たまきはおじさんの顔を覗き込んだ。おじさんの目は赤みを帯び、うるんでいた。

おじさんはたった一言だけつぶやいた。

「さみしいなぁ……」

……たまきは、おじさんになにも声をかけられなかった。

なにを言えばいいんだろう。「強く生きてください」?

でも、私は人にそんなことを言えるほど、強く生きてなんかない。

今日だって、おじさんに殺してもらおうとした。

おじさんに、なんて声をかければいいんだろう。「頑張ってください」? 「負けちゃだめです」? 「生きてればいいことがあります」?

そんなきれいごとが、今までたまきの首を絞め続けてきた。

「学校行った方がいいよ」「世界には、学校に行きたくても行けない子もいるんだよ」「将来どうするの?」「みんな辛くても学校にちゃんと行ってるんだよ」

そんなこと、わざわざ言われなくてもわかってる。誰もが思いつきそうな言葉なんて、言われた方もとっくにわかってることなんだ。

たまきは、結局何も言えなかった。何も言えずに、たまきはおじさんの足元を見ていた。

おじさんの足元では群れからはぐれたのか、ありんこが一匹、ふらふらと歩いている。

「あの……」

そういって語り始めたのは志保だった。

「この辺で野宿するのは……危ないですよ。駅の地下道なら、ここよりも安全だと思います」

「駅の地下か……。確かに、そうだね。ありがとう」

「強く……生きてください」

たまきが言えなかった言葉を、志保はさらりと言った。

おじさんは、静かにうなづいた。お弁当の最後の日と口をほおりこむと、ゆっくりと立ち上がった。

「いろいろ、迷惑をおかけしました……」

おじさんはそういうと公園を去っていった。小さく丸まった背中が、ネオンの闇の中に消えていった。

たまきは、おじさんの背中が見えなくなるまで、見ていた。見送るでもなく、見ていた。

志保がポツリと言った言葉が、ふとたまきの耳に入った。

「おかしいよ、こんなの」

 

写真はイメージです

歓楽街の中は、まるで遊園地のようだ。

きらめくネオンサイン。

行き交う人々。

街中に流れるヒットソング。

ほとんど車も通らず、外界から隔絶された空間のようにも思える。

だけど、たまきはこの町が好きじゃない。

人ごみが苦手というのもあるし、行き交う人々がどこか楽しそうなのも嫌だ。

二人は、公園を離れ、帰路についていた。

曲がり角を曲がって、「城」のあるビルまで残り四十メートルほど。黒い空の下をネオンの看板が星のようにきらめいている。

ふと、志保がたまきの左手を、そっと握った。

「え?」

たまきは驚いて、少し背の高い志保を見上げる。

志保の手は、痩せていて、少し骨の感触もある。

志保は少しうつむいていた。

「なんであんなこと言っちゃったんだろう……」

「……さっきのことですか」

志保は力なくうなづいた。

「『強く生きて』なんて、自分が強く生きてなんかいないのに……」

そんなことない。そう言おうとして、たまきはやめた。

誰もが思いつきそうな言葉なんて、言われなくてもとっくにわかってる。

志保の「私は強く生きていない」は、そんな誰もが言いそうな言葉を心の中で何回も否定して生まれたんだ。

結局、私は、何も言えない。

無力だ。

生きてる価値がない。

消えちゃえばいいのに。

たまきが何も言えずにいると、志保が少しかすれた声で言った。

「……自分の偽善が嫌になる」

「……偽善ですか」

「だってさ、あたし……」

志保は、自嘲気味に笑った。

「犯罪者だよ?」

犯罪者。その言葉は、まるで志保とたまきの間に壁が生まれたかのように感じられた。

「さっきだってさ、たまきちゃんを一人で帰すのは危ないとか言っちゃってさ……、でも、一番危ないのは、あたしなんだよね」

「え?」

「……ネオン街、怖いんだ。ちょっと道外したら……、クスリあるから……。一人で帰ったら、あたし……、たぶんまた……」

志保の指先は少し震えていた。

 

たまきは、自分の姉のことを思い出していた。

2つ年の離れたたまきの姉は、志保に少し似ていた。たまきよりずっと勉強ができ、たまきよりずっと友達が多く、たまきよりずっとおしゃれで、たまきよりずっと笑顔が素敵な人だった。

幼いころのたまきは、お姉ちゃんが大好きだった。外出するときは、よく手を繋いでもらっていた。

でも、いつも最初に手を差し出すのは、たまきだった。お姉ちゃんは、しょうがないなと言いたげに手をつなぐ。

たまきはお姉ちゃんと手を繋ぎたかったけど、お姉ちゃんは少し面倒だったらしい。

 

たまきは、志保の軽い右腕を見て、その手をぎゅっと握った。1人じゃジュースも開けられない弱々しい握力だが、それでも、力いっぱいに。

志保はつながれた自分の右腕を見た。注射の針跡が生々しく残る右腕。

「……ありがとう」

志保は、少しかすれた声でつぶやいた。

「なんか最近、誰かに見られてる気もしてたんだけど、なんかほっとした」

志保の言葉に、たまきはくすりと笑った。

「志保さん、美人さんだから、みんな見ちゃうんですよ」

今度は志保がくすりと笑った。

「そうだといいんだけどね」

二人は歩き出した。

たまきは、志保の手を精一杯握りしめた。

こんな私でも、そばにいるだけで、手を握るだけで、誰かの力になれるんだったら、

こんなに幸せなことはない。

 

群れから外れた小さなありんこが二匹、それでもアスファルトの上を力強く歩いていた。


次回 第8話 ゲリラ豪雨と仙人

次回はずばり、「たまきはたまきのままでいいんだよ」そういうお話です。

「『お前さんには世界がこんな風に見えているのか』」

続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

線路という異界

最近、痴漢を疑われた人が線路に逃げ込む、というトラブルが多発している。こうも続くと、線路というのはそんなに逃げ込みたくなるのかと不思議に思う。もしや、線路というのは身近な異界なのではないか。そこで「異界」という概念から線路を見直してみたい。


線路とは異界である

地下鉄の駅で電車を待っていると、真っ暗な空間からぬうと電車が現れる。まるで、違う世界からやってきたかのようだ。

線路は街灯なんてものを必要としないので、夜の線路はまるで川のように真っ暗だ。

線路とは身近な異界なのかもしれない。

そう思って調べてみると、線路にまつわる怖い話というのはいくつもある。

とはいえ、パターンは大体一緒。目撃者は電車の運転手だ。

線路内に誰かいる⇒うわぁ、轢いちゃった⇒衝撃を感じる⇒けれども、死体も残っていないし、何の痕跡もない

というのが、線路の怖い話でよくあるパターンだ。

線路というのは、何か不思議なものがいてもおかしくない空間なのかもしれない。

そもそも、線路に限らず道というものは古くから異界とのつながりを示すものだった。三叉路は村の境界を意味し、ひいてはそれが異界との境界を意味した。

バスで遠出をしようと思ってバス停に立つと、見慣れた道が急にどこか遠くとつながる、非日常の場所に見えることがある。

ただ、バスが通る道は、歩行者も立ち入ることができる。車や自転車で走ることもできる。

でも、線路には立ち入れない。

それが、線路の非日常性を高める。

「STAND BY ME」という有名な映画がある。4人の少年が線路わきに死体があるという話を聞き、死体探しの冒険に出かける、という映画だ。線路を歩いて行った挙句、橋で機関車に追いかけられる、というのは有名なシーンだ。

この映画もまた、「線路の上を歩く」という、本来やっちゃいけないことをやっているから冒険心が高まるのかもしれない。

そう、線路には入っちゃいけないのだ。

かつての日本のムラにも、入っちゃいけない場所があった。山の上などは聖域とされ、しめ縄が張られ、神社が作られた。聖域に入っちゃいけない理由としては、「山の資源をとりつくさないため、入っちゃいけない場所を決めた」というものもある。

山には入っちゃいけない。だからこそ、山は聖域であり、異界だった。

同じことが線路にも言えるのではないだろうか。

どこか遠くにつながっている場所。にもかかわらず、入っちゃいけない場所。

線路には魔物が棲む

朝のラッシュ時に男が女性に腕をつかまれ、「この人、痴漢です!」と言われる。

その真偽は定かではない。だが、男がクロだろうがシロだろうが、考えることはいっしょだ。

「捕まるわけにはいかない!」

こうなった場合、「逃げる」というのは最悪の行為だ。逃げ切れずに捕まった際、かなり不利な状況になってしまう。冷静に、当番弁護士を呼ぶのが正しい。

しかし、パニックになった頭で「逃げる」という判断をした時、逃げる方向は大きく二つに分けられる。

すなわち、改札に向かって逃げるか、線路に降りて逃げるか。

普通に考えれば改札に向かって逃げるべきだ。人ごみに紛れられるし、人ごみが追手を阻んでくれることもある。

一方、線路に飛び降りるのは不利だ。とにかくだだっ広く、隠れる場所もない。おまけに、出口がどこにあるのかさっぱりわからない。

それでも多くの人が線路に逃げた、ということはやはり、パニックになった頭の中で、直感的に選んだ答えなのだろう。

追い詰められると、人はいかいに逃げ込みたくなるのではないか。そんな風に問いかけると、僕にも思い当たる節がある。

町中でよく見かけるピースボートのポスターだ。

普通の人から見れば町に無数にあるポスターの一つにすぎないが、閉塞感や絶望感を抱えた人が見ると、「地球一周の船旅」と書かれたポスターが冒険の扉に見えることがある。僕自身がそういう体験をしたし、他にもそんな体験をした人を知っている。

異国。何ともわかりやすい「異界」の例である。

地球一周とまでは行かなくても、通勤通学の駅で、ホームに入ってきた電車のいい先を見てふと、「このまま終点の知らない町まで行っちゃいたいな」と思ったことはないだろうか。「知らない町」というのもまた異界だ。それも、「終点」というのがいい。はるか遠くの知らない町、これはもう完全に「異界」である。

こういう想いを抱くときは大体、絶望的に会社/学校に行きたくないか、何となく行きたくないか。要は、閉塞感と絶望感である。

そういう人間がピースボートのポスターとか、海外青年協力隊のポスターとか、知らない町行きの電車を見た時、魅力とも魔力ともつかない不思議な力に引っ張られるような感覚に陥る。

異界には魔物が潜んでいるのだ。その魔物が、「そこにはいたくないもの」を見つけ、おいでおいでと手招きするのだ。

思うに、痴漢を疑われて線路に逃げ込んだ人々はみな、その魔物に引っ張られたのではないか。線路に潜む魔物に。

痴漢がばれて、もしくは、痴漢に間違われて極限状態の中、線路に目をやると、魔物が手招きするのだ。おいでおいでと。こっちに逃げちゃえよと。

異界には魔物が棲む。そのすべてが悪いものではないのだろう。しかし、線路に住む魔物は、あまり良いものではあるまい。

魔物に引っ張られないようにするには、とにかく冷静になることだ。痴漢に間違われたら弁護士を呼ぶといい。少なくとも、魔物よりは役に立つはずだ。