オリンピックがつまらない

初めてここで、東京五輪の話を書く。

僕はこの手のイベントが苦手だ。大嫌いだ。

紅白歌合戦とか、24時間テレビとか、オリンピックとか、本当に苦手なのだ。

紅白や24時間テレビは、その時間だけテレビをつけない、そのチャンネルに合わせない、その日一日やり過ごす、これでなんとか事なきを得る。

ところがオリンピックは連日やっているうえ、期間も長い。ニュースにもなる。全然違う番組を見てても、話題に上る。

目をそらしたくても、視界に入ってくるのだ。これが一番厄介だ。

おまけに今回は、自分の家のわりと近くで行われているというのだ。何かの嫌がらせだろうか。心の底から思う「よそでやってくれ」と。

いっそ国外逃亡を、と考えても、オリンピックは世界規模の大会なのだ。地球の裏側まで行ったって逃げ場がない。

2021年はコロナ禍だというのに、オリンピックをやるという。逃げ場はない、と言うか、コロナ禍なので、外国どころか他県に逃げることもできない。万策尽きた。押し入れにひきこもろう。そのための押し入れをまず買ってこよう。

ところが、開催直前になり、組織委員会にまつわるスキャンダルが次々と明るみになり、ネットは大荒れである。

開会式前日に演出の担当者が辞任。それも、過去に倫理的に問題のある発言をしていたという理由で、だ。そしてネットは大荒れ。

これは面白いことになって来たぞ、とワクワクする僕。

いや、面白い、なんてものではない。

僕の見たかったオリンピックとは、まさにこれではないか!

いやいや、これはオリンピックそのものではなく、完全な場外乱闘なのであるが、それでも「僕が見たかったものはこれだ!」という想いを禁じ得ないのだ。

「倫理観にかける」というこの上なく醜い理由でトラブルを起こす組織委員会。

いかに相手に落ち度があるといえど、ここぞとばかりに攻撃性をむき出しにして責め立てる人々。

まさに、人間の醜さのモツ鍋煮込みである。

しかし、一番醜いのは、その様子を嬉々として見ているこの僕なのである。

あらゆる人間の醜さが露呈し、さらに、それを喜んで見ている自分が一番醜いことに気づかされる。素晴らしいではないか。まさに極上のアートであり、エンターティメントだ。これこそ僕の見たかったオリンピックである。

そして気づく。オリンピックや紅白、24時間テレビがどうして好きになれないのか。

決定的に、「背徳感」にかけているからだ。

「愛と希望を表現しています」みたいなよくわからない演出、感動を過剰に煽る物語、「さあ、笑ってください」と言わんばかりに差しはさまれる当たり障りのない寸劇、否定的な言葉が一切許されないような空気。愛とか希望とか夢とか感動とか平和とか、並べられた美辞麗句。

すべてが癇に障る。

そこには決定的に、背徳感が欠けているのだ。

すなわち、人間の醜さとか、愚かさとか、傲慢さとか、いやらしさとか、どす黒さとか。

美徳があって、背徳もある。それが人間だ。人は美徳を愛し、美徳を目指し、美徳を重んじる。それと同じくらい、人は背徳に惹かれるのだ。

その背徳をないもののように扱い、美徳だけを並べ立てれば、そこに映っているのは人間じゃない。そこに人間の魅力などない。

ロボットの表情を人間に近づけるほど不気味になるという現象を「不気味の谷」と言うが、背徳を排して美徳だけを並べたテレビやイベントは、この不気味の谷のどん底に落っこちてしまったように僕には見えるのだ。無理して笑っているようにしか見えない。

そういったものを見て感動するというのが、僕はまったく理解できない。

マルセル・デュシャンがただの便器に「泉」という名前を付けて展覧会に出品しようとした理由が、ちょっとわかる気がした。汚いものを排除してキレイなものだけを並べる、不気味の谷のどん底祭りは、まるでトイレのない美術館である。

トイレのない美術館なんておもしろくない。アーティストだって人間であり、オシッコをするのだ。だったら、展示室のど真ん中にトイレがあったっていいではないか。いやむしろ、トイレあっての美術ではないか。

日本の文学なんて、背徳を真正面から描いたものばっかりだ。罪を犯してでも生きる人間を描いた芥川の「羅生門」、親友を出し抜き自殺に追い詰めた男の苦悩を描く漱石の「こころ」、太宰の歪みがにじみ出た「人間失格」、そして三島由紀夫の「金閣寺」……。

このような文学は、ただ人の醜さを見せているわけではない。ひたすらに人間を醜く描き、貶めているのではない。

「このように、人間とは醜い存在なんだけど、それを知ったうえでおまえはどう生きる?」という問いかけをぶつけられているのだ。だからこそ、人は強く引き付けられる。

僕はプロレスが好きだ。大好きだ。

プロレスを見ていてたまらない瞬間がある。

メディアの取材の前ではさわやかで礼儀正しかったレスラーが、相手の攻撃をもろに受け、

「てめぇ、ぶっ殺したる!」

という目に変わるあの瞬間だ。

その時、倫理観は死ぬ。だけど、リングという場所の上で闘争本能をむき出しにする彼を、倫理観に欠けると罰することなどできない。そこに善も悪も超越した、剥き出しの人間の存在そのものがあるだけなのだ。

醜くもあり、美しい。

弱いからこそ、強い。

正しさの中に、悪が潜む。

人間とは本質的に矛盾をはらむ存在であり、その矛盾こそが人間の真の魅力である。金ピカかのメダルなんかより、よっぽど尊いものだ。

そういった矛盾から人間を切り離すような演出をすれば、それは人間、オリンピックの場合ではアスリートを魅力から切り離し、単なる不気味な偶像に落とし込むことでしかない。

肉体美に神秘を求める古代ギリシャならそれでもいいんだろうけど、僕は古代ギリシャ人ではないのだ。

栄光や感動とか希望とか、そんなものはいらない。その背後に潜む狂気とか攻撃性とか、そういうものを見たいのだ。いや、そういった人の醜さを正面から描き、乗り越えた時に始めて感動とか希望とかが生まれるのだ。

オリンピックの背徳感を。そんなに難しいことじゃない。たとえばそう、聖火台を思い切ってトイレの形にして、「泉」って名前を付けてみる、とか。

アニメのタイトルは内容がわからないくらいがいい

7月に入って、また新しいアニメが始まった。

たぶん、この「新しいアニメのチェックの仕方」だけでもアニメオタクごとにいろんなやり方がある。

世の中には、1話目だけは片っ端から見る、という殊勝なオタクもいるそうだ。

僕はと言うと、前情報を一切入れない。全くの先入観なしで見たいからだ。

新しいクールが始まったら、テレビの番組表機能を使って、TOKYO-MXの「その日の新番組」を、タイトルだけチェックする。タイトルだけだから、どんな絵だとか、どんな設定のお話だとか、どんな声優さんが出てるとか、どんな前評判だとか、そういうのは一切見ない。

そして、タイトルで乗り気になれないアニメは、もう見ない。

ここが僕のこだわりである。「タイトルにその作品のすべてが凝縮されている」

だから、タイトルにセンスを感じないアニメは、見ない。

そんな僕が思うベスト・オブ・タイトルは、アニメではなく、太宰治の小説「人間失格」だ。

わずか漢字四文字。いたって簡潔。すっきりしている。

文字数が少ないだけでなく、語感もいい。

それでいてインパクト抜群。

そして、このたった四文字のタイトルは、小説の内容を的確に表している。

ところが、なぜ「人間失格」なのかは、最後まで読まないとわからない。

短く簡潔、語感がいい、インパクトがある、内容にあっている、でも最後まで読まないとわからない。この5つを抑えたベストタイトルである。

さて、アニメだとベストタイトルはどれだろう、とあれこれ考えてみた。

アニメだと一番好きなタイトルは、「プリンセス・プリンシパル」だ。もちろん、作品としても大好きだ。

「人間失格」に比べると、長いタイトルだ。11文字もある。

だけど、それを感じさせないほど語感がいい。プリンプリンと韻を踏んでいるので言いやすい。

そして、アニメの内容にちゃんと合っている。このアニメは「王女」、つまりプリンセスが主要キャラクターなのだ。

そして、アニメの雰囲気にもあっているのだ。19世紀ぐらいのロンドンが舞台で、「プリンシパル」という単語と妙に合う。

そう、この「雰囲気にあってる」というのが結構大事だ。

タイトルを見ただけじゃ、どんなアニメなのかわからない。でも、なんとなく雰囲気は伝わる。

アニメの雰囲気に合っていると、内容を知った後でも「やっぱりいいタイトルだな」と思える。

そういう意味では、「ドロヘドロ」もなかなか好きなタイトルだ。

漫画原作のアニメなんだけど、タイトルだけじゃ、どんなアニメなのか、タイトルがどんな意味なのかわからない。

そして、アニメを見たあとでも、やっぱりタイトルの意味が分からない(笑)。泥もヘドロも出てこないんよ。

ただ、アニメの雰囲気にはメチャクチャマッチしたタイトルなんよ。「ドロヘドロ」なんよ、あのアニメ。意味わかんないけど。

毎回のように開始直後にテロップで「残酷な描写があることをご了承下さい」と出るのだけれど、直後に主人公がタクシー代を踏み倒すために運転手を殺害するシーンがあって、「主人公が残酷なんかい!」とテレビの前でツッコミを入れた。残酷なシーンと言っても、普通、敵がやることでしょ。

開始0秒で主要キャラの腕が血しぶきと共に切り取られ、数秒してから「残酷な描写が」とテロップが出たこともある。テロップがあと3秒遅かった。

シュールだけど面白いアニメなのでぜひ見てほしい、と思うのだけれど、今の説明で見たいと思う人はいるのだろうか。タイトルだけでなく、説明にもセンスが必要である。

そんなドロヘドロを描いた林田先生の最新作のタイトルは「大ダーク」である。小学生がつけそうなウソみたいなタイトルが逆に面白い。

小説「あしたてんきになぁれ」 第32話「風吹けば、住所録」

「城」に、特にたまきの身に大事件が勃発! たまき16歳の「ひとりでできるもん」、開幕!


「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち

第31話 「桜、ところにより全力疾走」


桜前線はあっという間に都心を駆け抜けていき、花が散り、若葉が芽吹く。気づけば四月ももう終わりだ。

世の中は入学式だの新学期だのであわただしい季節だが、たまきたちの生活にはこれと言って変化はない。

たまきは相変わらずうじうじとひきこもっている。たまに絵を描きに外に出かけるくらいだ。

亜美は相変わらずふらふらしている。ふらっとどこかに行っては、ふらっと帰ってくる。まあ、大方どこぞのオトコのところに遊びに行っているのだろう。

志保は相変わらず、施設だバイトだデートだと、せかせかと忙しそうだ。

たまきの生活に、これと言って大事件は起こらない。強盗のおじさんに出会ったり、暴力沙汰に巻き込まれたりもしたけど、結局そこまでの大事にはなっていない。ましてや、ラブロマンスのような嬉しいハプニングも起きやしない。

人は生まれてきただけで奇跡なのだというが、たまきみたいな子はきっと生まれてきただけで運の大半を使ってしまい、残ったなけなしの運も、亜美と志保に出会ったことで使い果たしてしまったに違いない。

春になってちょっとだけ変わったことと言えば、ミチが久々に歌を作り始めたことだ。

昨年末の事件以降も、「楽曲」はちょいちょい作っていたのだけれど、それに歌詞をつけることはなく、ずっとラララと口ずさむだけだった。

桜の花が散りだしたころから、ミチはそれに歌詞をつけ始めた。家でノートに書いてきた歌詞を、公園でギター片手にメロディに乗っけて歌ってみる。実際に歌ってみると、単語とメロディの相性が悪いことがあって、その都度歌うのをやめて歌詞を書き直す。ちょっと歌ってはやめて、何か書いて、また歌っては途中でやめて、を繰り返しているので、はたから見るとこの人は公園で何がしたいんだろう、と思われていたかもしれない。

たまにたまきが横にやってきて、腰を掛ける。ミチは作りかけの歌を少し口ずさんでから、ちらりとたまきの反応を見るのだが、十六歳にしてポーカーフェイスを極めた彼女の表情から、歌のよしあしを読み取るのはかなり至難の業だ。たまきと一緒に暮らしている亜美と志保なら、たまきの表情を読み取れるのだろうか。

思えば、彼女が笑っているところを、ミチはあまり見たことがない。

思いっきり怒られたことならある。思いっきり泣かれたこともある。笑った顔もちょっとは見たことある。だけど、たまきと出会って一年弱、思い出のフィルムを紐解いてみると、その8割が無表情のたまきなのであった。

その日も、たまきはミチの横で黙って絵を描いているだけだった。やってきたときに「こんにちは」と言ったっきり、一言もしゃべっていない。

ふいに、ミチは演奏を止め、たまきの方を向いた。

「……なんかないの?」

たまきもミチの方を見る。

「……なんかって、なんですか?」

「曲の感想だよ。今の良かったよとか、もっとこうした方がいいとか」

曲の感想、と言われても、そもそも曲になってないのだからどうしようもない。歌っては止めてのくり返しだ。同じ単語のメロディをちょっとだけ変えて何度も歌う。歌詞になってない。単語、良くて一文である。そんなのに、どう感想を言えというのだ。

たまきは何も言わず、スケッチブックに視線を戻した。それを見たミチは再び声を上げる。

「なんかないの、感想」

「なにもないです」

「たまきちゃん、もっと他人に関心を持った方がいいよ」

……たまきの鉛筆を握る左手が、ぴたと止まった。

「……思ったこと言っていいんですか?」

「お、なんかあるの? どうぞどうぞ。エンリョなく」

ミチはニコニコしていたが、たまきは表情を変えることなく言った。

「私、ミチ君から絵の感想言ってもらったこと、ほとんどありません」

「あれ?」

ミチの表情が少しこわばる。期待していた感想と違う、というか、そもそも球種が違う球がとんできた。

「隣で絵を描いてるのに、ミチ君に絵の感想を言ってもらったこと、ほとんどないです。私からミチ君に感想を求めたこともないです。なのに、ミチ君は当たり前みたいに歌の感想を求めてきて、感想がないと周りに関心を持てとか言うの、おかしいですよね。おかしくないですか」

ミチは答えに詰まった。暖かな南風が吹いてきたが、ミチにはなぜか寒く感じた。

「いや、俺、絵のことなんてわかんないし……」

「私だって、歌のことなんてわかりません」

いよいよもって、ミチは答えに窮する。

「ミチ君のそういう、自分のことしか見てないところ、私、嫌いです」

そういうとたまきは立ち上がり、

「私、帰ります」

と言って、階段を上っていってしまった。空は雲が分厚く重なり、今にも雨が降り出しそうだ。

 

画像はイメージです

公園から駅へと続く地下道の中ほどで、たまきはため息をついた。

どうして思ったことを言うと、人とぶつかってしまうんだろう。

ひと月ほど前に亜美に思ったことを言った時も、さっきミチに思ったことを言った時も、もう少し言い方とかあっただろうに。

「やっぱり、私なんて嫌いだ……いなくなればいいのに……」

たまきはそうつぶやいた。自分に対して思ったことを言ってみたわけだ。つまるところ、たまきは自分に対しても他人に対しても、とことんネガティブなんだろう。

とぼとぼと歩いて「太田ビル」へと帰る。階段を上って、「城」の中へと入る。

「ただいまです……」

入り口のドアを開ける。すると、亜美の声が降りかぶさってきた。

「たまき、こんな時にどこほっつき歩いてたんだ!」

たまきの背筋がびくっとなる。と同時に、理不尽を感じる。普段はもっと外に出ろというくせに、たまに出かけたらどうして怒られなければいけないのか。

だが、亜美の顔を見てみると、語気が強いわりに顔がにやけている。本気で怒っているわけではなく、冗談で言っているようだ。たまきもこれくらい表情が豊かだったら、人とぶつからずに済むのだろうか。

無言のまま立っているたまきを見て、亜美は

「あれ? スベった?」

と始末の悪そうな顔をする。今度は志保が、困ったように言った。

「ほら、亜美ちゃんが大声出すから、たまきちゃん、固まってるじゃん」

たまきは「城」の中を見渡した。

なんだかいつもと少し違う、と思ったが、どうもいつもに比べて片付いているような気がする。ソファにおいてあったぬいぐるみとか、テーブルの上のテレビとか、床のビデオデッキとかが、ない。

「あの、テレビとかは……」

「ああ、衣裳部屋の段ボールに放り込んどいた」

そういえば、衣裳部屋にいつも、からの段ボールがおいてあったような気がする。何に使うのかわからないが。

「こういう時のための段ボールだからな」

「こういう時というのは?」

「とりあえずたまき、そこ座れ」

言われるままにたまきは、椅子に座った。

「さっき、下のビデオ屋の店長がここに来たんだ」

「城」の下の階には、ビデオ屋が入っている。そこの店長は亜美たちが「城」に住み着いていることを黙認している大人の一人だ。

「延滞してるビデオでもあったんですか?」

「あ~もしそうなら背筋が凍る話だけど、そういうんじゃないんだ。たまき、前にこのビルのオーナーが関西に住んでるって話しただろ?」

「しましたっけ?」

「したんだよ。で、たま~に東京にやってきて、ビルの様子を見に来るんだ」

たまきは黙って聞いている。

「それでさっきビデオ屋の店長のところに電話が来てな、何と今夜、東京に来るっていうんだよ。今夜か明日に、このビルの様子を見に来るって」

「じゃあ、私たちもあいさつ……」

「できるかバカ!」

そういえば、たまきたちはこの「城」を、不法占拠してるんだった。

「それでな、ないとは思うけど、もしかしたら、万が一、ここの様子を覗くかもしれないんだ」

「え……まずいんじゃないですか?」

「そう、まずいんだよ」

亜美は少し身を乗り出す。

「だから、今日と明日、ウチらはここにいない、ここには誰もいない、ってことにするんだ」

「それでテレビとか片付いてるんですね」

そこでたまきは不安げに、亜美と志保を見た。

「それで……私たちはどうすれば……」

「だから、ここにはいない、んだよ」

「それって……」

「外泊だよ、ガイハク」

「え……」

たまきの表情がこわばった。

「……今からですか?」

「そういう事だ。早ければ今日の夜にはここに来るかもしれないからな」

「じゃあ、三人でどこかのホテルに……」

「それはちょっと難しいかな」

そう言ったのは志保だった。

「あたしたち三人がどこかのホテルに泊まるのは……怪しまれるよ。春休み中とかならまだしも、若者が泊まるようなシーズンでもないし」

「だけど……、頑張って大学生くらいのフリすれば、それなら別にヘンじゃ……」

「お前がいちばん大人に見えないんだよ!」

とがなる亜美。たしかに、亜美はもうすぐ二十歳だし、志保も頑張れば大学生ぐらいで通用しそうだけど、たまきは十六歳よりも下に見られることが多い。三人だけで泊まりに行った場合、「なんか幼すぎない?」と一番怪しまれそうなのが、たまきなのである。

「それに、ホテルの受付で身分証明書とか求められたら困るでしょ? ……知らないけど」

実は三人とも、「ホテルの正しい泊まり方」というのを、よく知らない。

「じゃあ、どこに泊まるんですか?」

「ウチはとりあえず、テキトーに泊めてくれるオトコ探すわ。志保は結局、どうすんだ?」

「施設のシェアハウスがあるから、さっき電話したら今晩泊めてくれるって」

「なんだよ。ヤサオのところに行くんじゃないのかよ」

「ユウタさんにも都合があるから、そんな今日いきなり電話しても無理だよ。亜美ちゃんの都合のいいメンズと一緒にしないでよ」

「で、たまきはどうする?」

たまきは、表情も体もすっかり硬直している。

「……どういう選択肢があるんですか?」

「そうだな。ウチと一緒に、オトコのとこ泊まるか?」

「絶対に嫌です」

たまきは亜美の提案を固辞した。

「じゃあ、あたしと一緒に来る? 部外者でも一人くらいなら大丈夫だと思うよ」

志保の申し出にたまきは思案した。

亜美と一緒に行くことに比べればだいぶましだが、それでも、「施設のシェアハウス」というからには、たまきにとって初対面の人がいっぱいいるはずだ。

たまきにとって、一番苦手なのが「初対面の人」である。亜美と暮らし始めた時だって、たまきが衣裳部屋にこもったり、亜美の方が出かけてていなかったりで、実はそれほど接触が多くなかったからこそうまくやれた、というのもある。それは相手が亜美一人だったからだ。

「シェアハウスって、何人くらい住んでるんですか……」

「確か、4人だったかな。あ、みんな女性だよ。男性用のハウスは別にあるから」

「4人……」

完全にたまきのキャパオーバーである。たまきにとって、初対面の人と一緒に暮らせる上限は、0.5人である。たぶん亜美は、しょっちゅう出かけたりしてたからたまきにとっては0.5人扱いできたのだろう。

そう考えると、4人はあまりにも多すぎる。

「あ、あの、舞先生のところに泊まるって言うのは……」

たまきにはそこしか泊まるところが思い浮かばない。

「それがさ、先生、今、仕事の取材で海外にいるんだってよ。しばらくは帰ってこないって」

「海外……」

頼りたいときに限って、頼れる人の都合がつかない。つくづく自分は運に見放されてるんだなと、たまきは恨めしく思った。そういえば、お正月のおみくじも凶だった気がするが、細かいところは忘れてしまった。

「たまきちゃん、ほかにどこか泊まれるところある? 友達のところとか……」

友達なんて他にいるわけじゃないじゃないか。

一瞬だけ、ミチの顔が浮かんだ。だが、ミチは友達ではなくて知り合いだし、さっきのことがあるからちょっと気まずいし、そもそも、男子の家に上がり込んで泊まるだなんて考えられない。

「やっぱり、あたしと一緒にシェアハウスに来る?」

たまきはゆっくりと首を横に振った。現状ではそれが一番まともな案なのかもしれないが、やっぱり無理なものは無理なのだ。

「あ、あの……私……」

たまきは立ち上がると、恥ずかしそうに少し下を向いてしゃべった。

「自分で……泊まるところ……探してみます……。その……あてならあるので……」

 

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たまきは都立公園に向かって駅のそばをととぼとぼと歩いていた。春にしては少し冷たい風が吹いてきた。

「探してみる」「あてならある」といったものの、本当はあてなんてほとんどない。

つまるところ、たまきは意地を張ってしまったのだ。

一晩だけ我慢すれば、知らない人だらけのシェアハウスに泊まることもきっと、できなくはないのだろう。

だけどたまきは、このまま志保の厚意に素直にあやかることはできなかった。

たまきは亜美と志保よりもちょっと年下で、だから志保はいつもたまきの世話を焼いてくれるし、亜美はたまきを引っ張ってくれる。二人にとってたまきは、友達であると同時に、共に暮らす家族であり、妹に近い存在なのかもしれない。

一方で、やっぱり二人はたまきにとっては友達だし、友達ならば対等な関係のはずだ。いや、よしんば血のつながった姉妹だったとしても、十六歳にもなって何から何までお姉ちゃんに世話を焼いてもらうというのはどうなのか。情けないじゃないか。もう十六歳なのに。

亜美と志保に頼らず、自分の寝床は自分で探す。これはたまきにとっての「ひとりでできるもん」「はじめてのおつかい」なのだ。そう考えると、たまきは自分がちょっぴり大人になったような気がした。思い浮かんだ番組名は妙に子供っぽいけど。

駅のそばで線路をくぐり、繁華街の人込みの中を歩き、地下道を通って、都庁の脇を通って、公園に入る。同じ日に一度公園に行って帰って、また公園まで戻ってきた。トータルで一時間近く歩いていることになる。たぶん、もう5キロぐらい歩いているのだろう。疲れて足が痛くなってきた。おまけに、風が強い。

公園内を歩き、仙人たちが暮らす「庵」を目指す。先程、ミチと一緒にいた階段のそばも通ったが、ミチはすでにいなかった。

「庵」とは、仙人たちホームレスが暮らす、いわばベニヤ板の塊だ。たまきの頭の中にある住所録に掲載されている、数少ない「住居」の一つだ。

たまきは少し離れたところから、「庵」を見ていた。複数のベニヤ板が張り合わされ、ところどころでブルーシートをかけて補強されている。

入り口の向こうにはたき火が見える。金属製の缶の中に、枝やはっぱを詰め込んで、火をつけているのだ。オレンジの炎が暗闇をほのかに照らしている。ちなみに、公園内に勝手に家を作ることも、たき火をたくことも、違法である。

ベニヤづくりとはいえ、一晩泊まるには申し分ない。雨も風もしのげるし、たき火をたいているので、室温も実は悪くない。

ただ問題は、ここで暮らすホームレスはみな男性ということだ。しかも、仙人以外のホームレスとはほとんど話したことがない。「知らない女性4人」でも無理なのに、「知らない男性がいっぱい」はもっと無理だ。

そんなことを考えていると、たまきの足が、彼女の無意識のうちに、「庵」から遠ざかり始めた。

すると、「庵」から誰か出てきた。たまきは慌てて引き返した。風がまた、少し強くなってきた。

 

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二十分ほどかけてたまきは、来た道を引き返して繁華街に戻った。足の裏がだいぶ痛くなってきた。こんなことなら、初めに「こっち」に行けばよかった。

「こっち」というのは、舞の家のことである。もちろん、さっき舞は海外に行ったと聞かされてはいたのだが、もしかしたら万が一、家にいるかもしれない、ということもあるかもしれない。

舞が家にいるかいないかは、たまきがピンポンを鳴らして確かめてみるまで分からない。たまきがピンポンを鳴らすまでは、「家にいる舞」と「家にいない舞」が重なり合った状態で存在し、たまきがピンポンを鳴らすことによって、はじめてどちらかに確定するのだ。自分で考えておいて、だんだんたまきにも何が何だか分からなくなってきた。

舞の住むマンションの前に立つ。舞の家には何度か泊ったことがある。ここに泊めてもらえるなら一番ラクだ。

インターフォンで舞の部屋の番号を押し、ピンポンを鳴らす。呼び出し中のランプがついたが、無言のまま、しばらくして消えた。

念のため、もう一度ピンポンしてみたが、やっぱり何の反応もなかった。

舞はいない、そんなことは最初からわかっていたのに、けっきょく自分は何をしたかったのだろうか。

たまきは頭の中の住所録をめくってみたが、うすい住所録にはもう何も書かれていなかった。

風がより一層強く感じた。

 

歓楽街の入り口にあたる、大通りの信号の前で、たまきは一人佇んでいた。

歓楽街前の横断歩道をたくさんの人が行きかう。ここにいる人たちはみな、帰る場所や泊まる場所がちゃんとあるのだろう。

たまきだけ、どこにも行くところがない。周りを見渡せばこんなにも建物があるのに、たまきがいていい場所はどこにもないのだ。なんだか、前にもこんなことを考えたような気がする。

今からでも志保に電話して、シェアハウスというところに泊めてもらおうかとも思ったけれど、さっき断ったのに、いまさらやっぱり泊めてくれなんて迷惑ではないのか。そんなことを考えると、どうしても公衆電話へと足が向かわない。

やっぱり前にもこんなことがあった気がする。つい二、三か月前だ。あの時は確かお金がなくて、「城」に戻れなくて、舞もどこかに行ってていなくて、そのあとどうしたんだっけ……。

そこでたまきは、住所録の最後のページに「スナック『そのあと』」という名前があるのを見つけた。

いや、本当は、最後のページにもう一つ住所が書いてあることに、とっくに気づいていた。気づいていたんだけど、「でも、男の子の家だし」と見なかったことにしていたのだ。

だけど、よくよく思い返してみると、ミチはたしかあのスナックの二階のアパートに住んでいて、同じアパートにはミチのお姉ちゃんも住んでいるという。

ミチのお姉ちゃんの部屋に泊めてもらえばいいのではないか。ミチのお姉ちゃんなら、たまきも知らない人ではない。シェアハウスとやらで知らない人に囲まれて、助けを求めるように志保の顔をちらちら見ながら一晩過ごすよりは、はるかにましだ。ミチのお姉ちゃんがたまきのことをネコ扱いしてくることだけが引っかかるけど、この際いっそネコをかぶってネコのふりして、今夜だけネコってことで泊めてもらうことはできないだろうか。

それがだめなら、閉店後のスナックに泊めてもらう、という手もある。スナックみたいな店で寝泊まりすることに関して、全国の十六歳の中で、たまきより右に出る者はいないだろう。

信号が青になった。たまきは大通りを渡り、駅のはるか南、スナック「そのあと」へと向かって歩き出した。

 

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一度公園に行き、「城」に戻り、再び公園に行き、そこからまた歓楽街に戻り、今またそこからミチの家まで、1キロ以上ある道を歩いている。踏切を渡ったところで、たまきの足がそろそろ限界を迎えてきた。

おまけに、風がやけに強くなってきた。春先なのに、だいぶ肌寒い。

自販機でなけなしのお金でジュースを買って、休憩する。坂道沿いに高架が伸びていて、ミチの家はその高架のそばにある。

実は駅から私鉄に乗れば、この高架沿の上を電車で2分も走ればミチの家のすぐそばにある駅まで行けたのだけれど、たまきはそんなこと知らないし思いつきもしなかった。よしんば、思いついて電車に乗ろうとしても、ミチの家が何駅のそばにあって、どの電車に乗ればいいのかたまきにはわからない。結局、歩いていくしかないのだ。

ジュースを飲み終えると、たまきは再び歩き出した。気が滅入ることに、風は向かい風だ。

 

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「……メシ、なんにしよ」

ミチは部屋の天井を見つめながら、そうつぶやいた。お気に入りのジャケットとジーンズはハンガーにかけられ、ジャージ姿で寝転がりながらマンガを読んでいる。

料理をするのもアリだ。ミチはラーメン屋の厨房で働いているので、料理はそこそこできる。ただ、バイトで料理ばっかりしているので、プライベートで料理するのは逆にめんどくさい。

カップ麺にでもするか。その前に一服するか、とマンガを置いてたばこのケースに手を伸ばした時、

ピン……ポン……

と少し遠慮がちに呼び鈴が部屋に響いた。

「……え、誰?」

立ち上がるまでの間、頭の中の名刺ホルダーを調べて、誰か訪ねてくるような人がいたかどうか探すも、思い当たる節がない。ネットショッピングみたいな宅配の予定も、ない。仕送りしてくれる親もいない。

そもそも、ミチがここに住んでいることを知っている人は、限られている。いつもつるんでいるような人たちには、ここのことは教えていない。何人か女の子を、姉がやっている店に連れて行ったことはある。その時、店の二階に住んでいると話していれば、ここを訪ねることもできるだろう。だが、そういった女の子たちとも皆、すでに縁が切れている。

たった一人だけ、ミチがここに住んでいることを知っていて、なおかつ今も付き合いがある、というか、さっき会ったばっかりの女の子がいるが、その子の顔が浮かんでも、ミチは即座に「ないない」と打ち消した。

その子がときどき、下の店のランチタイムに、焼きそばを食べに来ていることは知っている。だけど、その子が姉の店を訪ねることはあっても、その上にあるミチの部屋を訪ねてくることなど、絶対にない。その子は大の人見知りで、特に異性慣れしてないのか、男性に対する警戒心は強い。

おまけにミチはその子から「キライです」と言われ続けているのだ。わざわざ部屋を訪ねてくることなんて、ありえない。

ピン……ポン……

再び呼び鈴が、申し訳なさそうに鳴った。ミチは前髪だけささっと直すと、ドアを開けた。

ドアの外に、これまた申し訳なさそうにたまきが立っているのを見たミチは、

「ええっ!」

と声を上げた。

一方のたまきは

「あ、あの……」

と自信なさげに言うと、軽く深呼吸してから、しゃべり始めた。

「すいません、その、きゃ、キャッスル、あ、いつもみんなで住んでるお店です、その、すいません、その、いろいろあって今日と明日、お店にいられなくなっちゃって、だから、その、すいません、あの、今夜だけでいいんで、あの、すいません、その、泊めてもらうことってできませんか……すいません」

たぶん、ここに来る途中の道で何度も練習したんじゃないか、そう思えるほど、たまきにしては早口だった一方で、練習したとは到底思えないたどたどしさだった。

一気に言い終えてからたまきは、ミチの目を見ることなく、こう付け足した。

「……ごめんなさい。いきなり来て、迷惑ですよね……。帰ります……」

そのままたまきは、ミチの反応を確かめることなく、ドアの前から立ち去ろうとする。

「いや、迷惑じゃない! 迷惑じゃないよ!」

ミチはたまきの腕を引っ張った。たまきが立ち止まる。

「っていうか、え、ちょっと待って、どういうこと? どういう展開、これ?」

突然の出来事に困惑するミチ。たまきは再び口を開く。

「その、きゃ、キャッスル、あ、いつもみんなで住んでるお店です、その、すいません、その、いろいろあって……」

「いや、それ、さっき聞いたから。つーか、その『いろいろあって』の部分聞きたいんだけど。ま……とりあえず……中入ったら?」

ミチは部屋の中を指さして、たまきを促した。

「え……あの……その……」

たまきは不安そうに部屋の中を見て、次に廊下の右左を見て、最後にミチの顔を見た。ミチもたまきの不安を察したらしい。

「いや、大丈夫だから! 変なこととか嫌なこととか、しないから!」

 

たまきは、生まれて初めて男の子の部屋に入った。

最初の印象は、「なんかにおう」。くさい、とはまた少し違う「なんかにおう」。

たぶん、ミチの部屋の生活臭に慣れてないだけだろう。よその家の麦茶が口に合わないように。

たまきは物珍しげに、部屋の中をきょろきょろと見渡した。全体的には散らかっている印象だ。床は畳張りで、平積みになったマンガが置かれ、脱ぎっぱなしのシャツが放置されている。少し年季の入った布団が敷かれていて、きっと万年床というやつなのだろう。プラスチック製のテーブルの上には、お昼にでも食べたのか、コンビニ弁当の容器が空のまま置かれていた。水着のお姉さんが移った卓上カレンダーもある。広さはたまきの実家の子供部屋に、お風呂やトイレがついた、と言ったところか。

部屋の中で印象的なのは、壁に立てかけられた二本のギターだろう。いつもミチが公園に持ってくる木製のギターと、前にミチがライブで使っていたエレキギター。

ギターの横には本棚があった。ざっと見た感じ、マンガ雑誌となんかの雑誌、マンガ本が入っているが、本棚の半分以上を占めているの本ではなくCDケースである。

そこからキッチンをまわりこんで反対側の壁には、ロックバンドのポスター2枚が貼ってあった。もちろん、何のバンドかはたまきにはわからない。ただ、そこに写っている人がいかにもロックミュージシャンといった感じだし、マイクやギターを持ったり、ドラムセットに座っていたりするので、きっとバンドマンなのだろう。そもそも、たまきが3つ並んだ部屋から、表札もないのにここがミチの部屋だとわかったのも、ドアに似たようなポスターが貼ってあったからだ。

ふと、窓の脇に置いてあるバケツに目が留まった。バケツには、なぜかなみなみと水が溜まっていた。

「……雨漏りでもしたんですか?」

たまきはバケツを見ながら訪ねた。ミチも、たまきの言わんとすることはわかったらしい。

「ああ、これはね、加湿器の代わり」

「加湿器?」

加湿器ならたまきの家にもあった。もちろん、こんなのではなかった。

「乾燥はのどによくないっていうじゃん。ほら、俺、一応、ミュージシャンだし。やっぱ、のどが大事なわけよ」

「……加湿って、これであってるんですか?」

たまきの知っている加湿器は、たしか、霧のようなものを吹いていたはずだ。そもそも、水を置いとくだけでいいんだったら、加湿器なんてメカはいらないではないか。

「……さあ、わかんね」

ミチは少し恥ずかしそうに言った。

 

たまきは、ミチを訪ねることになった経緯を説明した。正確には「ミチのお姉ちゃんを訪ねることになった経緯」だ。下のお店に行ったらまだ「準備中」で、中に誰もいないみたいだったので、仕方なくたまきはビルの二階に上がったら、そこに明らかに「ここにミチが住んでます」といった感じのポスターが貼られたドアがあったので、ピンポンを押してみただけである。ミチではなく、ミチのお姉ちゃんに用があるのだ。

「それで……ミチ君のお姉さんは……どちらに……」

一通り説明を終えた後、たまきはおずおずと尋ねた。

「ああ、姉ちゃんね、今、いないんだ」

「……え?」

「カレシと海外旅行行っちゃって」

え、ここも?

春休みとゴールデンウィークに挟まれた今の時期は、海外旅行シーズンなどではない。なのにどうして、頼りたいときに限って、舞もミチのお姉ちゃんも海外に行ってしまっているのか。

やっぱり自分は不運な星の下に生まれてきたんだ、とたまきは自分を呪った。でも、いくら自分を呪っても死ぬどころかおなかも痛くならないので、たぶん呪いなんてものはないんだろう。

「あ、あの……」

たまきは少し慌てた風に尋ねた。このままでは、今日寝る場所が本当になくなってしまう。

「その、お姉さんの部屋を、一晩貸してもらうことってできませんか? それがだめなら下のお店でも……」

「だから、姉ちゃん、いないんだってば」

「でも、鍵とか……」

「姉ちゃんが俺に、そんな大事なもの預けていくわけないじゃん」

「あ、なるほど……」

「いや、そこ納得しないでよ」

ミチはポリポリと頭をかいた。

たまきは窓ガラスの向こうを見た。太陽はとっくに沈み、ガラスの向こうには暗闇が広がっている。下の方がほのかに明るいが、この辺りはスナックが集まっているので、そこの明かりが漏れているのだろう。

風は依然として強いままで、窓ガラスが大げさにガタガタと揺れている。

志保のところに行く、という案が頭をよぎったが、こんなに時間が遅くなってしまっては、いよいよもって迷惑だろう。そもそも、こんな遅い時間になってしまったのは、たまきが意地を張ったからだ。

たまきは自分の足を軽くさすった。ミチの部屋で腰を下ろして、少し休んだからまた歩けるかと思ったが、むしろ休憩を挟んだことにより、足が限界を超えていることがごまかせなくなってきた。

それでも、たまきは立ち上がった。そのとたんに、少しめまいがしてふらつく。

「ちょっ、大丈夫?」

ミチが軽くたまきの肩を支えた。たまきは急に恥ずかしくなって

「だ、大丈夫です……!」

とミチの手を振り払った。

「私……その……帰ります……」

「帰るって、どこへ?」

「……その辺の公園で寝ます……」

「いやいや、危ないって!」

「でも……」

「だったらさ、ウチに泊まればいいじゃん」

一瞬、時間が止まったような気がした。相変わらず、風は激しく窓をたたいているが、たまきの耳はその音を認識できなかった。

「え?」

たまきは、きょとんとした顔で聞き返す。

「いや、だからさ、ウチに泊まれば……」

ミチは急に、たまきから視線をそらした。

「え?」

たまきはもう一度聞き返した。

「いや、その、エンリョとかしなくていいから。ほら、たまきちゃんって、人に迷惑なんじゃないかとか、すごい気にする子じゃん。だけど、俺のことは全っ全気にしなくていいから」

「いや、エンリョというか、それもあるんですけど……その……」

たまきは、申し訳なさそうに下を向いた。

「危ないんじゃないかと……」

「まあ、普通はそう思うよね……」

ミチはまた、ポリポリと頭をかく。

たまきは頭の中で、「公園で寝る」と「ミチの部屋に泊まる」の危険度を比べた。どちらもそんなに変わらないような気がしてきた。

ただ、公園で寝ていたら、悪い人に襲われるだけでなく、もしかしたらおまわりさんに見つかってしまうかもしれない。そうなったらたまきの場合、「警察署でちょっと怒られる」では済みそうにない。

ミチの部屋に泊まれば、少なくともおまわりさんに見つかることはない。あとは、ミチを信用できるかどうか、だ。

ミチはと言うと、妙に視線を泳がせていた。

「ま……無理だよね……。そうだな、どこかたまきちゃんぐらいの年の子でも泊まれるホテルとか……」

「あ、あの……!」

ミチの言葉に覆いかぶさるように、たまきが言った。

「よろしく……お願いします……!」

たまきはぺこりと頭を下げた。彼女のつやのいい黒髪を見ながら、ミチは言葉を漏らした。

「……え?」

つづく


次回 第33話「柿の実、のち月」

……このままラブロマンスに行くとでも思ったかい?

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クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」