「青」がつく地名は死者を葬る場所だった? 書評「『青』の民俗学」

『青』はもともと墓地や葬送を意味する言葉だった! というのが筒井功氏の2015年の著作「『青』の民俗学 地名と葬制」の趣旨だ。これまで、「青は死の色である」といったイメージはなかったが、もし本当にそうだったらオモシロいぞ、と思って読んでみたのだ。


「青」の民俗学

「青はもともと、墓地や葬送を意味する言葉だった!」というのは、筒井氏の発見ではない。本書ではまず、この主張の歴史を振り返っている。

「青の民俗学」を最初に主張したのは、20世紀初頭の沖縄の民俗学者・仲松弥秀だ。沖縄に「オウ」と呼ばれる死者を葬る島があり、この「オウ」は古くは「アフ」や「アオ」と呼ばれていた。

「アオ」はときに「アワ」「アハ」「オウ」「オオ」と変化する、というのが本書の大きな主張の一つだ。

とはいえ、仲松の説はほとんど注目されなかった。「青=死」をイメージさせる言葉がほとんどないため、沖縄で死者を葬る島が「オウ、かつてはアオと呼ばれていた」と言っても、「それは沖縄だけの話じゃないの?」「沖縄の言葉でいう『アオ』と日本語の『アオ』は別物なんじゃないの?」とスルーされてきたわけだ。

その後、民俗学者の谷川健一が注目するものの、深い論証にいたっていない。

そして2015年、筒井氏が「もう一度、青に注目を」と本書を出版したわけだ。

「青」ってどんな色?

本書の大きな欠陥の一つは、「青がどんな色か」という定義を、後半に持ってきてしまったことだと思う。「青は墓場」というのであれば、まず最初に「青がどんな色か」を定義するべきだと思う。

さて、「青」とはどんな色だろう?

「青がどんな色かって? そんなの、こういう色に決まってんだろ!」

それぞれ色の濃さが違うが、現代で「青」と言ったらこういう「ブルー」を指す。

ところが、昔の「青」はもっと広く、

こういう「グリーン」も青と呼んでいた。

「いやいや、グリーンは緑でしょ?」と思うかもしれない。

だが、われわれが「青信号」と呼んでいるものは実は「グリーン」である。普段「青信号」と呼んでいるから、ついついブルーだと思ってしまうが、街に出て青信号と、ブルーなもの、グリーンなものをよく見比べてみれば、あの信号が実は「グリーン信号」であることがわかるはずだ。

また、野菜のことを「青果」と呼び、野菜を売っている場所を「青果市場」と呼ぶが、青果市場でグリーンな野菜はよく見かけるが、ブルーな野菜はほとんど見ない。そもそも、ブルーな野菜なんてまずそうだ。

さらに、植物が生い茂っていることを「青々と」なんて表現する。もちろん、ブルーな植物が生い茂っているのではなく、グリーンな植物が生い茂っているのである。

本書によると、「青」はブルーだけでなくグリーン、さらに時にはブラックやホワイトを指すこともあったという。「黒と白の中間を指す、幅広い色」という意味だったらしい。

このことから筒井氏は「青はもともと『どちらにも属さない』と言いう意味で、そのためあの世にもこの世にも属さない『墓所』を意味した」と主張している(本書の191ページ)。

だが、「幅広い色」は別に青に限った話ではない。

赤も実は、幅広い。

たとえば、十円玉にも使われている銅を古くは「アカガネ」と言った。だが、現代人の色彩感覚でいえば、十円玉は「ブラウン」だ。

日本各地に生息している狐を「アカギツネ」と呼ぶが、これまたブラウン、もしくはオレンジである。

青だけでなく、「赤」も「幅広い色」だったのである。なのに青だけ「どちらにも属さない=あの世でもこの世でもない」と解釈するのには無理がある。

昔は今のように色の名前が細かく分かれてはいなかった。赤、青、黄、黒、白の五色くらいしかなく、グリーンも「青」と呼ばれ、ブラウンも「赤」と呼ばれた。それしか色の名前がなかったのだからしょうがない。

赤は「明るき」が語源と見て間違いないだろう。黒も「暗き」が語源としか思えない。

白は「白き」が語源で、これは「はっきりしている」という意味があるという。

こうやって見ていくと、色の名前は明度と密接なかかわりがあることがわかる。

では、「青」の語源とは何か。

青の語源ははっきりとわかってはいない。

だが、僕は「青」の語源は「淡い」ではないかと思っている。

「アオ」と「アワ」という言葉は密接なかかわりがある。これは本書で筒井氏が繰り返し述べていることだ。

「淡い色」、すなわち、「はっきりしない色」。

赤が「暖色系の、明るき色」であるのならば、青はその対比として単に「寒色系の、はっきりしない色」を指していたと思われる。

少なくとも「どちらにも属さない色」ではない。青はレッドやイエローに比べれば「薄暗くてはっきりしない色、単に明度の問題だと思う。

「青」のつく地名

さて、本書は「青は葬送を意味していた」という証拠として、「青」がつく地名を上げている。逆に言うと、「地名しか残っていない」と筒井氏も認めている。

筒井氏は「青」がつく地名をいくつか紹介し、それが古墳や墓地、葬送とゆかりのある場所であったと論証していく。

青がつく地名に死者が葬られることが多かった、というのは僕も否定しない。

だが、それって当たり前のことなんじゃないだろうか。

死者をどこに埋葬するかだが、集落のど真ん中に埋葬することはあまりない。古くは死者の埋葬を「野辺送り」と呼んだ。「野辺」つまり、集落から少し離れた原っぱに埋葬していたのだ。

逆に言うと、「木々が青々と生い茂っている場所」は、集落から離れ、人があまり寄り付かない場所である。死者の埋葬地としてうってつけだったともいえる。

また、こういう経験がないだろうか。久々にお墓参りに行ったら雑草が「青々と」生い茂っていて、お墓参りはまず、草をむしって除草剤を撒くことから始まる、なんて経験が。

ふと周りを見渡すと、自分の家の墓の3倍は雑草が「青々と」生い茂っている墓があり、「もう何年もだれも来てないんだろうなぁ。かわいそうに」と思った経験はないだろうか。

そう、お墓は放っておくと雑草が「青々と」生い茂ってしまうのだ。なぜなら、お墓は普段から人が寄り付くような場所ではないから。

さらに、かつての日本は両墓制をとっている場所が多かった。両墓制とは、死者を埋葬した場所と、お参りするお墓が別々の場所に置かれることを言う。お墓参りに行くも実はそのお墓に故人は埋葬されておらず、別の場所にほかの個人とまとめて埋葬されている。

名曲「千の風になって」は「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」という出だしで始まるが、かつての日本はリアルに「墓に私はいません」だったのだ。

墓と埋葬地が別々。墓の方にはお盆やお彼岸になるとお参りに行くが、埋葬地の方は誰かを埋葬するときぐらいしか用はない。当然、草木が「青々と」生い茂っていたと考えられる。

何が言いたいのかというと、筒井氏の言う通り「青は葬送を意味する言葉⇒葬送の場所に『青』という地名が付いた」ではなく、「まず、葬送の場所があった⇒人が寄り付かず、草木が青々と生い茂っていた⇒『青』という地名が付いた」ではないだろうか。

「青は葬送を意味する言葉だった」というのは突飛な説である。何せ、現代の日本語に、それを証明できる証拠がほとんど残っていない。

一方、「死者を青々と草木が生い茂る場所に葬っていた」というのは、自然な発想ではないだろうか。何せ、墓場のことを「草葉の陰」というくらいだ。昔は今よりももっと集落の規模が小さく、集落を出れば、そこは荒れ野原、雑木林、山の中と、木が青々と生い茂る場所だった。そこに死者を葬った。人が寄り付かない場所だから、ますます青々と生い茂ったままとなった。

それだけの話なのではないだろうか。

本書の35ページでは、「青木」という地名に対して、「キ」は「人造の構造物」を表す場所であって、「アオキ」は「墓地」を意味するところであるとしている。筒井氏は「青木の由来について『木が青々と茂っていたところの意』といった説明を見るが、私には馬鹿げた解釈としか思えない」と書いているが、何を持って「馬鹿げた解釈」なのかは書かれていないし、馬鹿げていようが「青木は木が青々と生い茂っていた」という自然な解釈が一番可能性が高いんじゃないかと思う。

死者を葬る島、青島

本書では全国の「青島」と呼ばれる島も検証している。

本書では16個の「青島」が紹介されているが、そのうち葬送と関係があるとはっきりわかるのは4つに過ぎない。

……何とも言えない数字だ。

直接葬送と関係ない島でも、対岸に古墳があるというパターンがいくつかある。

筒井氏はそれを「はじめは葬送の島だった⇒葬送の場所が聖地に変わり、古墳が作られないようになった⇒聖地である『青島』が見える対岸に古墳を作った」と解釈している。

だが、筒井氏は本書の中で「死を穢れと認識するようになったのは中世以降」と述べている。古墳とは一般的に3~7世紀につくられたものだから、多くの古墳は死をケガレだととらえる前に作られたことになる。だとすると、「葬送の地が聖地になったから、古墳を作るのが避けられるようになった」という説明は矛盾している。聖地だとしても、死をケガレととらえる前の時代なのであれば、古墳を聖地に作ろうが問題はないはずだ。

かつては「海上他界」と言って、遥か海の向こうのニライカナイといった別世界に死者の霊は行くものだと考えられていた。

だとすると、古墳が青島の対岸に作られたというよりは、単に異界である海が見える場所につくられただけで、たまたま邪魔なところに「青島」があるだけなんじゃないだろうか。それがまるで「青島を仰ぎ見るために古墳を作った」ように見えているだけではないだろうか。

ちなみに、どの島も木々が青々と生い茂っている。まあ、たいていの島はそうなのだろうが。

「大島」も「青島」?

また、本書では「アオ」と「オオ」は非常に近い言葉であるとし、「青島」だけでなく「大島」も葬送の地ではないかとしている。

とはいえ、本当にバカでかくて「大島」と呼ばれる島もあるだろうからそれは除外し、「小さいのに大島」となっている島のみをピックアップしている。

だが、これにも異論が残る。

「小さいのに大島」というのがあくまでも筒井氏の主観でしかないところだ。

飛行機や新幹線でいろんな島を見比べることができる現代人と、その島しか知らない村人の「大きい島」の基準が同じとは限らない。

また、「アオ」が「オオ」に変わりうるからと言って、「大」ではない「オオ」がじゃあ全部「アオ」だとは言い切れないだろう。別の意味の「オオ」である可能性もあるし、「オウ」が変化した可能性、さらには「オ」が変化した可能性もある。僕は「御島」、すなわち「オシマ」が「オオシマ」に変化した、というのが一番自然だと考えている。


どんなに突飛な説であろうと、それがその現象を説明する唯一の説であるならば、どんなに突飛であっても、それが真実に一番近い。

一方で、もっと単純な説でも、もっと自然な考え方でも十分に説明できる、そういった説を否定できないのであれば、「突飛な説」がどれだけもっともらしいことを言おうとも、残念ながらそれは「突飛な説」の領域を出ないのである。

ちなみに、我が家の近くにも「青」とつく地名がある。実際に足を運んでみたが、住宅街の中に今なお原っぱが残り、草が青々と茂っていた。ちなみに、そこから川を渡って反対側、さらに街道も越えたところ、青とは全然関係ないところに古墳がある。地名としては青とは全然関係ないが、古墳には木々が青々と茂っている。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。