空気が澱む

夏です。怪談の季節です。

先日、加門七海さんの「たてもの怪談」という怪談エッセイを読みました。

……怪談エッセイって何だよ。

建物にまつわるエッセイなんですけど、この作者さんは霊感体質らしく、実家でも、引っ越し先でも、旅行先でも、行く先々でおばけに出くわすんです。

で、作者さんも慣れてるから、「家の電球が切れちゃった」ぐらいの感覚で、「ひとり暮らしなのに廊下から足音が聞こえちゃった」という話をするんです。

で、作者さんいわく、ふしぎなことが起こりやすい場所は、空気が澱んでるんだとか。

ああ、わかるわかる。そうそう。空気が澱んでるんだよねぇ。

……わかるんかい。

別におばけを見たことはないんだけど、どうも最近、「空気が澱む」という感覚がわかるようになってきたんです。年なのかな。

いや、子供のころは普通にラップ音が聞こえてたけど、大人になると聞こえなくなったから、当時の感覚が戻ってきた、幼児退行かもしれません。ばぶぅ。

空気の澱みを最初に感じたのは、数年前に友人たちと遠野に行った時。

遠野のデンデラ野だったか、ダンノハナだったか、『遠野物語』にも登場する、村と村との境界、死者の埋葬とかをやってた場所に車で行ったとき、「あ、ここはアカン」と感じたんです。早く車を出してくれぇ、と。

そのあとも、「処刑場跡地」とかに行くと空気が澱んでるという感じを覚えることがあって。体調にも変化があって、そこの住人には申し訳ないけど「よくこんな場所で暮らせるな」と思うくらい、空気が澱んでいる。

別に何かを見たってわけじゃないんだけど、空気が澱んでいるんです。

心霊的なものというよりも、磁場が悪いのか何なのか、その土地の重苦しい記憶がいまなおその場にとどまっている、みたいな。

つい先日もそんなことがあって。

とある「大きな駅」に用事があって行ったんです。

改札を出るとわりと大きめの建物が並んでいて、やっぱり大きな街だなぁ。

ところがところが、線路沿いをちょっと歩くと、「いま、再開発してます」って感じの場所に出たんです。

そこに出た途端に、「あ、ここはマズいな」。

正確に言うと、「この辺はまだ大丈夫だけど、これ以上奥にはいきたくないな」。

空気が澱んでるんですよ。

幸い、目的地は駅からすぐのところだったのでそれ以上奥にはいかずに済んだんだけど、用事を済ませて外に出たらまた空気が澱んでて、だんだん気分が悪くなってくる。

気分が悪いまま駅前の商店街まで戻って、ここまでくればもう大丈夫だぞ、と商店街のマクドナルドに駆け込みました。

さてさて、あれ以上先に進んでたらいったいどこにたどり着いたんだろう、墓場でもあるのかな、とスマートフォンの地図を見てみたところ、進行方向の1km先に有名な心霊スポットがあったことに気づいたのでした。

処刑場跡地の時は、そこがそういう場所だと知ってて行ってるから、先入観とかあるのかもな、と思ってたけど、1km先の心霊スポットを当ててしまうのはさすがに……。そもそも、その方角にその場所があるなんて知らなかったし……。

ついに僕も、見聞色の覇気が使えるようになったか。……あんまり嬉しくないなぁ。1km先までは、わからなくていいよぉ。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。