生きていくには、理由がいる

久しぶりに、仲間たちに会った。

久々に会うということで、ここ数年の自分について、思い返していた。恥の多い人生を送ってるんじゃないかと。

そしたら、あることに気づいてしまった。

常に心の中にあったはずの鬱屈としたもの、仲間内の言葉で言う「メロウ」が、ZINE作りを始めてからいつの間にかなくなっていたのだ。

そもそもZINEづくり自体が「どうせいつか死ぬなら好きなことをして死のう」というネガティブな気持ちで始めたものだったのに。

ところが、ZINEを作り続けて、1冊完成すると、自然と「次も作ろう」という気持ちになる。誰に頼まれたわけでもなく、僕の一存「飽きた。やーめた」でいつでもやめられるはずなのに。

そうしてZINEを作り続けているんだけど、それで生活できているわけではないし、もうちょっと社会人としてちゃんとした方がいいのかなぁ、という不安はずっとある。

でも、たしかにちゃんと就職して、ガシガシ働いて、年相応の責任を負って、まともに社会人をしていれば、「生活」はして行けるんだろう。

だけど、その道を行く場合、ぼくはいま「生存」してるんだろうか。仕事帰りに電車に飛び込んだり、夜中にベランダから飛び降りたり、そういうことをしないと言い切れるだろうか。

そんな風に考えていくと、どんなに命は尊いと言っても、人は何か「生きる理由」がないと生きていけないと思うのだ。

僕にはZINE作りしかないし、ZINE作りがあるし、ZINE作りがあるから生きていける。

人はパンのみで生きるにあらずっていうけどまさにその通りで、理由もなく漠然と生活を続けられるほど人は強くない。生きる理由が見つからなかったり失ってしまったり、自ら命を絶つ人ってそういうことなんじゃないか。

この前テレビでイチローがこんなことを言っていた。世の中には自分が何を好きなのかわかっていない大人が多すぎる、と。それってつまり、生きる理由が見つからないまま生きてる大人が多すぎる、ってことなんじゃないか。

理由もなく生きていけるほど人は強くない。理由がなければ生きていけないし、理由があれば生きていける。

僕の場合は学生時代の「民俗学」であり、10年前の「船旅」であり、今の「ZINEづくり」というわけだ。

10年前の大宮ボラセンはまさに、「生きる理由」がある場所だった。

だから、そのボラセンがなくなると聞いた時、ぼくは思ったのだ。かつての僕のような人たちのために、鬱屈したものを抱える人たちのために、この街に「大宮ボラセン」は必要だ、と。

どうすれば、あの頃の大宮ボラセンのような場所を作れるか。この10年、ことあるごとに考えるんだけど答えは見つからない。見つからないけど問いを繰り返す。

10年前の自分に「その件はもうやめた。あきらめた」なんて言いたくなかったから。

でも一方で僕は、10年前の自分にこう言いたい。

「鬱屈したものを抱える人たちのために」

……キミさ、そこにどうして、「自分」を入れていないんだい?

まさかキミさ、「自分はもう大丈夫」「自分にはもう必要ない」「自分はもう卒業した」とでも思ってたのかい?

だとしたらキミさ、それは調子に乗ってるってやつだよ。キミは理由もなくただ漠然と生きることなんてできないんだから。何かの拍子に「理由」を失ったら、キミはあっさり死んでしまうんだよ。

だいたいさ、「鬱屈したものを抱える人たちのために」ってさ、それはいったい、どこの誰のことを言ってるんだ?

よーく考えてみろ。大宮ボラセンにこだわってるとキミが一番感じている人間は誰だ?

ほかでもない、キミ自身だろ?

そんなことはない。仲良しのあの人や、スタッフだったあの人の方が、ってキミは思ってるだろ?

でも、他人の気持ちを自分の気持ち以上に感じ取ることは、不可能なんだ。

となると、大宮ボラセンにこだわっていると「キミが一番感じている」人間は誰だ?

キミ以外ありえないだろ?

だったら、名前も顔もわからない誰かのためなんかじゃなく、「自分のために大宮ボラセンを作りたい」でよかったんだよ。

「誰かのために」だから答えが見つからないんだ。そりゃそうだ。誰かって、誰やねん。そもそもの問いが曖昧過ぎるから、答えが見つからないんだ。

ストレートに「自分のために」でよかったんだ。

だってきっと、他人に手を差し伸べることより、自分に手を差し伸べることの方が、難しいんだから。

「生きる理由」を見出し続けて、自分で自分に手を差し伸べ続ける。結局、キミにはそれしかできないし、キミにはきっとそれができるんじゃないかな。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。