イチローとハヤオ

前にちょこっと書いたけど、テレビでイチローさんがすごく考え深いことを言っていたってお話。

半年ほど前、イチローさんが高校の野球部を訪れて、直接指導するっていうテレビの企画をぼけーと見ていたんです。

その中でイチローさんが子供たちに伝えたいこととして言っていたのが、「とにかく、自分の好きなことがわからない大人が多すぎる」でした。

この言葉は僕にとって、かなり衝撃的なものとして、記憶に刻み込まれたんです。

まず、「多い」ではなく「多すぎる」って言い方が、一般論としてではなく実感と危機感がこもっているよう感じるんです。

そして何よりも驚いたのが、この言葉を野球界で生きてきたイチローさんが言ったってこと。

だって、野球界って、選手であれ、球団のスタッフであれ、それを取り巻く人々であれ、野球が好きな人が集まってくる場所なんじゃないのか?

そんな世界で生きてきたはずのイチローさんが「自分の好きなことがわからない大人が多すぎる」と言うのは、相当なことだなぁと思ったのです。

でも、本当にそうなのかな?

同年代の友達を見てみても、それこそ野球観戦に行ったり、映画を見に行ったり、バンド活動をしたり、アニメを見たり、ゲームに課金したり、推し活とやらをしていたり、好きなことをやってますよ。

学生時代よりもお金がある分、使えるお金も行動範囲も大きくなります。この前も好きなラジオのイベントが東京であったんだけど、「仙台から来ました!」なんて猛者のリスナーもいました。

とはいえ、イチローさんだってそんなことは百も承知で、そのうえで「好きなことがわからない大人が多すぎる」って言ってるはずです。なんたって、あのイチローさんですから。趣味を見つけなさいって話じゃない気がする。

ということは、好きなことを仕事にして生きていこう、ってことなのかな。昔、そんな広告があったなぁ。

ただ、イチローさんほど好きなことを仕事にすることの難しさを知ってて、それをストイックにやってきた人もいないと思うんですよ。「好きなことだけして生きていこうぜ! イエーイ!」なんてチャラついたことを言うとは思えない。なんてったって、あのイチローさんですから。

じゃあ、何の話をしてるんだろう?

これはもしや、仕事か趣味かという二元論を超越した、「生き方」という問題なんじゃないのか。

どんな仕事であれ、どんな生活であれ、自分の好きな「生き方」を貫いていく。

すなわち、「君たちはどう生きるか」

ハヤオのこの問いかけと、イチローのあの投げかけは、実は同じものだったんじゃないか?

ハヤオは実はイチローだったんじゃないか?

足してハチローなんじゃないか?

イチローさんが言う「好きなことがわかっていない大人が多すぎる」というのは、ハヤオの「君たちはどう生きるか」という問いかけに答えられない大人が多すぎる、ということだったのではないか。

「君たちはどう生きるか」は恐ろしく意地悪な問いかけです。

「僕はこう生きる!」と答えられたとしても、この答えはいつだって「暫定的」でしかないんです。

明日には気が変わってるかもしれない。生活環境が変わっているかもしれない。社会情勢が変わっているかもしれない。

明日になったら答えが変わってるかもしれないし、答えられなくなってるかもしれない。そうはならない、なんて保証は絶対に、ない。

だからこそ、何度も何度も、その都度その都度、自分に問いかけていかなければいけないんです。「いま、僕はどう生きるか?」と。

まるで、打席ごとに一球一球投げるピッチャーのように。

やっぱり、ハヤオはイチローで、ハチローだったんだ! ラピュタは本当にあったんだ!

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。