あの頃のヴィレヴァン

ああ、あの頃のヴィレヴァンはよかったなぁ……。

20年前、大宮のとあるビルの5Fにヴィレヴァンことヴィレッジヴァンガードがあって、僕はそこに足しげく通っていたんです。

何の店なのかよくわからない外観。中に入ってもやっぱり何の店なのかよくわからない。マリオとかカービィとかのグッズがあると思えば、ほかの店にはないような雑貨、癖の強すぎる本、オリコンチャートに入ってないCD、碑文谷教授のビデオ……。

本だけ見ても、雑学系、オカルト系、謎の旅行記、マニアックすぎる写真集……。エロ本ですらオシャレな写真集かのように置いてありました。

店内は細かい通路が入り組んでいて、360度どこを見渡しても刺激的なサブカルグッズばかり。何なら、天井からも変な人形が吊るされていたりします。

薄暗い店内に流れるのは、ジブリのジャズアレンジとか、J-POPのテクノアレンジとかパンクロックアレンジとか、聞いたことがあるようで聞いたことのない曲ばかり。

そして、やっぱりヴィレヴァンと言えば、短い言葉にユーモアと皮肉が詰まったポップ! あのポップが読みたくて通ってた部分もあります。

そんな「あの頃のヴィレヴァン」で一番覚えているのが、ドラえもんの第6巻だけが入荷されて山積みになっているという、奇妙な光景です。

ドラえもんの原作は第6巻の「さようならドラえもん」で一度連載が終わって、第7巻の「帰ってきたドラえもん」で連載が再開されるんです。だから、「さようならドラえもん」は事実上の最終回と言われ、あの「ドラ泣き」の映画の元ネタとなったお話。

そのお話を収録した第6巻がだけが山積み、いや、ドラ積みになっているのです。

でも、この第6巻の意味を知らない人が見ると、「なぜか6という中途半端な巻数だけ入荷して山積みになってる」という、わけわからない光景にしかならない。

でも、わかる人が見ると、にやっとなる。

ユーモアとジョークに溢れた品ぞろえと中毒性のあるポップが好きで、しょっちゅう通っていました。

あの頃のヴィレヴァン、商品よりももあのお店の独特の空気がいまのぼくに確実に影響を与えてます。ZINEの販売ブースを作るときも、何とかしてあのヴィレヴァンのような雰囲気を出せないかと試行錯誤したり、ヴィレヴァンを意識しまくったポップを何枚も書いたり。

だけど、どうも最近のヴィレヴァンはピンとこない。

人気キャラのぬいぐるみとか、おしゃれなリュックとか、スマホケースとかが並んでて、でも、全然「あの頃」のようにピンと来ない。

一番がっかりしたのがポップです。そこにはユーモアも皮肉もなく、ただ商品の名前とか種類とかサイズとか、「見りゃわかりますけど」ということしか書いてない。

いったいどうしちまったんだ、ヴィレヴァン。

そしたら数日前、「なぜヴィレヴァンはダメになったのか」という内容のネット記事が話題になってたんです。

かつてのヴィレヴァンは独特のセンスであふれていた。だけどイオンモールに出店し、ファミリー層を意識することでトゲのあるセンスが失われ、よくある雑貨屋に成り下がってしまった……、という内容。

そしてこのネット記事を皮切りに、「あの頃のヴィレヴァン至上主義ゾンビ」たちがネット上にわらわらとわいてきたのです。

あの頃のヴィレヴァン(おおよそ20年前)こそ僕の私のサブカルの原点。センスに溢れた品揃えを、サブカルに詳しすぎる店員さんが、ユーモアのあるポップで紹介してくれた。なのにイオンに出店して以来、ただの雑貨屋、キャラクターショップになっちまった。ああ、あの頃のヴィレヴァンはよかった……。

驚きましたね。「あの頃のヴィレヴァン」に憧れ、「今のヴィレヴァン」に物足りなさを感じてる人がこんなにもいたのか、僕だけじゃなかったのか、と。

あの頃のヴィレヴァンは、「欲しいものが置いてある店」ではなかった。

「置いてあるものが欲しくなる店」だったんです。

何か欲しいものが決まっててお店に行くんじゃなくて、全くの無目的にお店に入り、店内をぐるぐる回ってるうちに、なにこれなにこれなんじゃこりゃ?とおもしろいものがいっぱい見つかって、ついついほしくなってしまう、それがあの頃のヴィレヴァン。

ああ、あの頃のヴィレヴァンはよかった……。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。