情報と娯楽が多すぎる

この前、久々に、

ホントに何もやることがなくて。

布団の上で3時間ぐらい、夕方から、ただゴロゴロとしていたんですね。

最初は漫画を読んでたんですけど、それも読み終わって、ホントにただだらだらと。

パソコンもつけず、スマホも触らず、テレビも、大好きなラジオもつけず。

ああ、いい時間だなぁ。

そして、ふと、思ったんです。

スマホが普及して、いつでもどこでも情報が手に入る、世界と繋がれる。

そんな時代だからこそ、実は大事なのはオフラインの時間の方なんじゃないか。

オンラインの時代において、いかにオフラインの時間を確保するかが、人生を豊かにするんじゃないか、という仮説。

思えば、僕が子供のころにはすでに教科書とかに「これからは情報化の時代です。情報の取捨選択が大事なのです」と書いてあって、「いや、取捨選択ってなんだよ」と思ってたんですけど、それってつまり、「入ってくる情報をあるていど制限する」ということなんじゃないか。

だいたい、情報の量が多すぎるんですよ。それも、芸能人の熱愛とか、野球のホームランとか、誰それの炎上とかあいつを赦すなとか、どーでもいいニュースにかぎって、聞いてもないのに勝手に入ってきやがる。

そもそも、ニュースなんて実はそんなに見なくてもいいんじゃないか。

コロナの一番ひどかった時でさえ、朝のニュースで「いやぁコロナが大変ですねぇ」と言った後、昼のニュースで「コロナが大変ですねぇ」、夕方のニュースで「コロナが大変ですねぇ」、夜のニュースで「コロナが大変ですねぇ」。

その間、情報に特に変わりはなく、昼間と同じ映像が夜にも流されていました。

コロナ禍の半月目ぐらいで、僕は気づきました。「これ、テレビにかじりつかなくても、大丈夫なやつだ。だって、昼のニュースと夜のニュース、全く同じ内容じゃないか」

コロナの一番ひどい時ですらこんな調子なのだから、そうでもないときのテレビニュースとかSNSのトレンドとか、実はもっと見なくていいんじゃないか。

なに、ちゃんとニュースを見ないと、情報に取り残される?

いやいや、逆に情報に振り回されてるんですよ。情報のジャイアントスイングですよ。

むしろこれだけ反乱した情報の中から、「ホントに大事な情報」を見つけ出すのなんか、至難の業ですよ。

情報だけじゃなくて、娯楽も多すぎです。

この前、「いま、ネットフリックスのドラマが話題!」と聞いて、僕は首をかしげたんです。テレビ局が6つぐらいあって、BSもあって、それぞれがいっぱいドラマを流してる。TOKYO-MXは毎日数本アニメを流してる。映画館に行けば映画も見れる。

それなのに、まだ何か見たいのか?

もう、いいじゃん。

ヒマなら雲の流れとか川の流れとか炎の揺らめきとか夜空の星とかを見ればいいじゃない。虫の声とか鳥のさえずりとか風の音とか聞けばいいじゃない。

娯楽は隙間に楽しむもののはずなのに、いつの間にか、娯楽を追いかけるどころか、娯楽に追いかけられているんです。

疲れるわ。

どーでもいい娯楽の数が多すぎるうえに、その娯楽がまた世の中の情報量が増やしていく。

なので、最近、あえて情報や娯楽に触れないようにしているんです。

用のないときは、スマートフォンに触らない! 「とりあえずニュースを見る」というクセをなくす! マンガやアニメのような娯楽をむさぼらない!

情報に時間を振り回されず、娯楽に生活を追われずに、自分のハンドルは自分で握る。ブンブン! そんなオフラインな日々を送りたいなぁ、と思う今日この頃なのです。

くらやみ坂のナツミ

インディーズ小説「くらやみ坂のナツミ」がついに完成しました!

ん~? 拍手が聞こえないぞ~?

4つの短編から成る全102ページ、750円で販売中です。

https://nonbuzle.booth.pm/items/6252171

9か月くらいで作るつもりが、蓋を開けてみたらピッタリ1年かかっていました。企画を立ち上げたのが、ちょうど1年前の11月です。

とはいえ、執筆自体は半年前に終わってまして。

じゃあ、残りの半年は何してたのかっていうと表紙づくりに一か月ほど、残りは推敲と校正ですね。一校、二校、三校、頭痛、眩暈、吐き気……。

途中から、症状になってるがね。

だって、校正は集中力と神経を使うばかりで、おもしろくはないんだもん。それが一か月も続けば、眩暈の一つも覚えますさ。

今回、初めて印刷所を使ったので、入稿作業もドタバタでした。「あとはデータを送るだけ」と高をくくってからが長かったです。限られた日数の中で、聞いたことのない専門用語と書いたことのない書類のオンパレード。トンボ、背幅、出力見本、頭痛、眩暈、吐き気、動機、息切れ、脳震盪……。

入稿が終わった日はもう、ぐったりと疲れ果ててました。慣れない作業と時間との戦いだったのです。

さて、次は何を作ろうかしら。

「くらやみ坂のナツミ」を作っていろいろとわかったことがあります。

「くらやみ坂のナツミ」は四つの短編から成ります。

ということは、何話分書けば何ページぐらいになって、いくらぐらいお金がかかって、いくらで売れるか、というのがだいたいわかってきたわけです。

長編を書くにしても、細かく話数ごとに分割すれば、どのような本になるかもある程度想像がつく。僕の場合、「一話」だと思う長さが1万字~1万五千字ぐらいで、だいたい25ページくらいなわけですね。

「このプロットなら分割すれば、だいたい〇話くらいになるかな」

「ということは、〇ページぐらいにはなるわけだ」

「ちょっと長すぎるな。値段も高くなるし。よし、話数を削ろう。一話ももっと短くしよう」

みたいな調整も、次回からはできるわけです。長編が作りやすくなる。

また、一年ぐらいかけて小説を作りたいなぁ。

……の前に、

12月1日の文学フリマ東京のために、「民俗学は好きですか?」の最新号を完成させないと!

10月は「くらやみ坂のナツミ」の完成作業にかなり時間を使ってしまったため、「民俗学は好きですか?」のスケジュールの方が、地味に綱渡り状態になっています。

「1年で3冊作る!」が今年の目標だったんだけど、その3冊目が全く気を抜けない! やるぞ~!