人生ゲームのような人生

学生時代の就活で、一番答えに困った質問があるんですよ。

「10年後の自分はどうなってると思いますか?」

……し、しらねぇよ。

たぶん、キャリアアップがどうとか、スキルアップがどうとか、そういうことを答えればいいんだろうけど、どうしても「運が悪かったら、死んでるかもしれません」しか答えが出てこない。

だってだって、コロナ禍やウクライナ戦争を10年前に予言してたやつなんていたかよ。いたらそれこそ怪しい予言者扱いされてましたよ。

10年後のことなんて何が起きるかわかったもんじゃないのに、のんきに10年後のことなんて語れるかよ。

そう思ってるんですけど、どういうわけか頻繁に聞かれるんですね。「10年後の自分はどうなってると思いますか?」。なんなの? あいつら、予知能力者を採用したいの? エスパー発掘団体だったの?

ただ、最近になって、なんであんな質問をよくされたのか、そして、どうして僕が答えられなかったのか、なんとなくわかってきました。

なんか、都市文明の中の人生って、ある程度コースとステップが決まっっちゃってるような気が、最近してるんですよ。選択肢が多いようで意外と少ないというか、受験、就職、昇進、結婚、みたいなステップを一個一個クリアしていく、みたいな感覚。

なんだか、人生ゲームみたいだなって思います。「人生ゲーム」が「人生」に似てるんじゃなくて、「人生」がなんだか「人生ゲーム」に似てきちゃった。

でも、「人生ゲーム」だからこそ、「10年後、自分がどのマスに止まっているか」はなんとなく想像できるんですよ。だって、分岐点がいくつかあったとしても、人生ゲームなら先のコースがある程度は見えてるんだから。人生ゲームだからどんなコースであれ「ゴール」にちゃんとたどり着くことを想定しているわけで、「23歳で交通事故にあって死亡。ゲームオーバー!」みたいなマス目は想定してないわけです。

そして、なぜ僕が「10年後の自分」を問われると、答えに詰まったのか。

「人生ゲーム」をやるつもりが全くなかったからだと思います。自分がルーレットを回してコマを進めている姿が、どうしても想像できない。

高校の半ばくらいから、「大学受験」というマス目のゾーンに止まりました。そこには「受験勉強を頑張り、大学受験を突破すれば、大学のマス目に進めるよ」と書いてあるわけです。そのマスに止まったらみんな、「受験勉強」っていうミニゲームを始め、クリアすると次のマス目に進めるわけです。マリパみたいですね。

みんなが「せーのっ!」で受験勉強をやってる時に、僕は「なんでこのマス目に止まったら、こんなことしなきゃいけないの? っていうか、なんでこのマス目に止まらなきゃいけないの?」って首をかしげていたわけです。ゲームのやる気、ゼロです。

そして、全く同じことを、「就活」のマス目でも、「新社会人」のマス目でも、繰り返していたわけですね。

「このマス目に書いてあることは、絶対やらなきゃいけないのか?」

「そもそも、必ずこのマス目に止まらなきゃいけないのか」

「ほんとにこのマス目通り進まなきゃいけないのか」

「だれだよ、こんなマス目作ったヤツ」

挙句の果てには、「船旅」とか「ZINE作り」とか「貸し農園」みたいなマス目を、欄外に勝手に描いて、そっちに自分のコマ置いちゃう。

たぶん、僕に「人生ゲームをクリアしたい」という欲求は、全くないんですよ。

違うゲームやりたいんですよ、ずーっと。「これじゃない!」ってゲーム盤そのものをひっくり返したいんです。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。