AIはホントに最先端なのか

最近、「AIによる要約」をよく見ます。

あれはよくない。本当によくない。

どこまで合ってるかどうかわからない要約なんて目にしたら、先入観ができちゃうし、「自分でちゃんと情報を確かめる」という癖がつかなくなっちゃう。

しかも、タチが悪いことに、グーグルでもツイッターでもこの「AIによる要約」を非表示にできないんですよね。

ツイッターはまだ隅っこの方に出てくるから、なるべく見ないようにしてるんだけど、グーグルはいの一番に出てくる。ああいうのが一番タチが悪い。

唯一、シークレットモードってやつにするとAIが出てこないので、スマートフォンで検索するときはわざわざそれを起動しています。

近年、ネットニュースの見出しだけ見て内容も読まずに拡散する奴が多いって問題になっているのに、「AIによる要約」なんてことをやってたら、余計に「勘違いや早とちりで拡散する奴」が増えますよ。

なんぼタイパ重視って言っても、省いちゃいけない過程ってありますよ。

しかも問題点はさらにあって、これ、あの悪名高いイーロン・マスクが「人類から思考力と判断力を奪って堕落させてやるぜ! げへへへへ!」と悪意に満ちてやってるわけではないんです。

『こっちの方が便利だろう』という100%善意でやってることなんです。

いまの世の中、なんでもそう。『こっちの方が便利だろう』と言って、どんどん新しいものを押し付けられる。パソコンのソフトとか、スマホのアプリとか、知らないうちに更新してるし。

でも、ゴーマンかましてよかですか?

便利かどうかを決めるのは作り手じゃない! 使い手だ!

ただ進歩すれば幸せになれるわけではない、と水木しげるセンセイもおっしゃっています。

むしろ、歴史を少しかじっていると、「最先端の技術だと思ってることが、実は太古の昔からあるものとそんなに変わらない」と思うことがよくあります。

古来より日本には「神がかりの託宣」っていうのがありまして、シャーマンにカミサマを降ろして、作物の出来だとか、災害や病気は起きないかとか、いろんなことを尋ねるんですね。

その様子を調べてみると、なんかAIにいろんなことを質問する最近の動向に似てる、と思うんですよ。託宣や占いに答えを求めるのと、AIに答えを求めるのは、実は大して変わんないんじゃないか。すくなくとも、答えを聞こうとする側の方は。

むしろ、占いとAIでいったい何が違うっていうのか。AIは学習して合理的に判断するって言っても、そのメカニズムを解説できる人間がどれだけいるのか。

「我々がいまAIだと思ってるやつは、ホントはキツネやタヌキの霊を機械におろしてしゃべらせてるんだぜ」と言われて、「そうじゃないよ。AIってのはね……」と理論立てて証明できる人間がどれほどいるか。

スマートフォンを分解しても、そこに「AI」はいません。じゃあ、なんでそれを何かの霊ではなくAIだと思ってるかというと、作った人が「最新AIを使っています」と言い張っているからに過ぎないんです。

開発者がAIだと言ってるから信じる。

霊媒師が神様だと言ってるから信じる。

どう違うんねん。

歴史を学ぶ意義って、最先端だ新時代だと思ってることが、実は太古の昔からあるものと大して変わらない、ということを学べるところにあるのかもしれません。世界には「最先端」「新時代」「近未来」、そんなうたい文句を掲げた「過去の遺物」が山ほどあるんです。

あんまりAIに頼っていると「AIなんてイタコと大して変わらないじゃないか」ということに気づく力も衰えていきます。

だから、「新しさ」の上にあぐらをかいてはいけないよ、ということですね。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。