ちょっと、じっくり、考える

今は畑でソラマメを育てています。

ソラマメを育てるのは、アブラムシとの戦いなんです。黒ゴマみたいなアブラムシがびっしりとソラマメに貼り付き、汁を吸っているんです。

収穫できるのはまだまだ先みたい。それまでは、ただひたすらアブラムシとの戦いです。

この前はジャガイモを植えたのだけど、こちらはまだ芽が出ません。まあ、周りの畑も同じような感じなので、気長に待つこととします。

野菜を育てたりモノづくりをしたりしてると、「じっくり待つ」という時間が生まれます。

どうも現代人はこの「じっくり待つ」ということが苦手に思えてなりません。

ちょっと検索したらすぐに最適解が出る、ということに慣れすぎちゃって、「じっくり待つ」「じっくり考える」ってことができなくなって、どんどん短絡的になってるんじゃないか、そんな風に思えるんです。

ついこの前、闇バイト事件の実行犯が「自分のようにならないでほしい」と獄中で書いた手記というのがタイムラインに上がっていて、少し目を通したのですが、「ラクに稼げるうまい話なんてない」「被害者やその家族のことを考えるべきだった」と、「そんなの、ちょっと考えればわかるだろ!」ということが書かれていました。

ということはやっぱり、その「ちょっと考えれば」ができなかった、ってことなんですよ。むしろ「ラクに稼げる仕事」とちょっと検索すれば、ネットが最適解を出してくれる、と思って、その結果出てきた「闇バイト」に疑うことなく手を出してしまったんじゃないか。

なにかと世間を騒がせる陰謀論も、やっぱりこの「ちょっと考える」「じっくり考える」ができない人が信じてしまうんじゃないかと思うんです。世界情勢だとか、政治だとか、歴史問題とか、こういうのは本来、うんとこさ勉強して、勉強して、それでようやく輪郭や断片がおぼろげにに見えてくる程度、そういうものだと思うんです。歴史なんて、知れば知るほど何がホントなのかわからなくなるものです。

ちょっと検索しただけで「これが答えだ! 真実だ!」みたいなのが出てきたらそれはもう100%アヤシイんだけど、やっぱり「自分でじっくり考える」ってことができずに、その手間を省いて、「正解や真実は誰かがすぐ教えてくれる、どっかに書いてある」と思いこんでるから、この手の陰謀論を信じちゃう。自分でなにかを考えたわけじゃなくて、誰かが言い出した「正解」とか「真実」とやらを、そうだそうだ!といいねしてリツイートしてるだけなのに、なにか高尚な思想でも持ったと勘違いしてやがる。

「ちょっとはてめぇで考えろ!」って思うんだけど、その「自分で考える」ができない人が増えてます。

そんでもって、AIの登場で「ちょっと聞けばすぐ最適解が得られる」という思い込みはますます強くなるんじゃないか、と危惧しているのです。

人の意見や考えを参考にするのも大事だけど、「参考」はあくまでも「参考」であって、自分の「思考」じゃない。ネットに書いてあるのもあくまでも「参考」であって、「正解」や「真実」などではなのです。

なにかの答えが知りたければ、知恵熱で倒れるくらい自分で考えろ!

……と思うんだけど、「ちょっと検索すれば最適解が出てくる」⇒「自分で考えずに、誰かがすぐに答えを用意してくれると思ってる」の流れはもはや時代の流れ、止めようがないのかもしれません。

だからこそ、たかだか24PのZINEを半年かけて作って、1枚ずつ印刷して、ホチキスで止めて、手売りするという「ひとつのモノをじっくり作る」という行為には、何か意味があるのかもしれません。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。