本当にあった恐ろしい神社

地元でちっちゃな神社を見つけました。

普通の住宅街の中にある神社なんですけど、木々に囲まれ古めかしくて、なんだかそこだけ数百年も時間が止まってるみたい。

「天神社」と書いてあるからには天神様が祀られているんだろうけど、こういう神社はもっと古い神様を祀ってて、後から天神さまを祀ってるという可能性もあります。

どれ、由緒書きでもないのかな、と神社に近づいてみたその時!

……近づけないんですよ、神社に。そんなバカな。

夕暮れ時、逢ヶ魔時、そんな時間帯も相まってか、有限の薄闇の中に身をひそめる神社は、なんだか異様な雰囲気を放って、近づけないんです。

距離にして数m。これが、どうしても近づけない。

怖い。いや、恐ろしい。

鎖につながれたライオンとにらみ合ってるみたいな気分なんです。

しかし、相手はカミサマ。一度境内に入ったのに、挨拶もなしに逃げるのはさすがにマズい。

数m離れたところからだけど、とりあえず二礼二拍手一礼をして、そそくさと立ち去りました。

うーむ、この超自然的緊張感は、去年、東京タワーで行われた「呪物展」で呪いの絵を見て以来だなぁ。あの時も、ただ絵を見ただけなのに、一気に疲れ果ててしまった。

そんなことを思い出しながら、心臓バクバクで神社を去ったのですが、

どこか、妙にすがすがしいんですよ。あれほど恐ろしい場所じゃと思っていたのに。

去年の「呪いの絵」を見たときは、一気に疲れ果てて、帰り道も負の感情が抜けず、二回つまづいて、スマホを一度落としたくらいでした。

ところが、今回は妙にすがすがしい。

なんというか、会社の偉い人にすごいびくびくしながら挨拶したら、「おう、がんばれよ」と励まされた、そんな気分です。

その後しばらく、信号に引っ掛かりませんでした。

なるほど、これが「オソレ」というやつですか。

「オソレ」という言葉にはマイナスの意味の「恐れ」と、プラスの意味の「畏れ」があります。

語源をたどると「押される」の意味だという説があり、どうやら「気圧される」に近いものなのではないか。

「畏れ」と「恐れ」、二つの「オソレ」。正と負の表裏一体、たぶん、二つの「オソレ」はもともと同じものだったと、僕は考えてます。「畏怖」というやつですね。恐怖を覚えると同時に、威厳を感じる、なんとも不思議な感覚。

現代風に言うと「ヤバい」というやつです。「ヤバい」はプラスの意味でもマイナスの意味でも使われる言葉。「ヤバいだけじゃわからん! いいのか悪いのかはっきりしなさい!」なんていうけれど、いいも悪いも両方感じるのが「ヤバい」なんです。

このヤバい「オソレ」がいつしか、プラスの「畏れ」とマイナスの「恐れ」の二つに分けられて使われるようになったわけです。

それ以前の、神様のような得体のしれないものに対する原始の感情は、このヤバい方の「畏怖のオソレ」だったんじゃないか。改めてそんなことを考えました。

しかし、そんな原始のオソレを放つあのちっちゃな神社、いったい何者……。