情報をとりすぎない

現代は情報氾濫の時代で、情報の取捨選択が大事だと言われる

情報が氾濫しているのはわかる。

……「情報の取捨選択」って何だよ。

子供のころから何度も「情報の取捨選択が大事」と言わた気がするが、それが何かはあまり教えてもらっていない。

たまに、フェイクニュースの話に触れて「情報の取捨選択が大事で……」みたいなことは聞くが、それは「情報の取捨選択」というよりもむしろ、「嘘情報に騙されるな」ではないか。

「情報の取捨選択」とは何か。それは「情報をとりすぎない」ということなのではないか。

評論家の外山滋比古は、知識をとりすぎてかえって考えが凝り固まり、思考力が落ちてしまうことを「知的メタボリック」と批判した。情報をとりすぎるとかえって思考力が落ちてこの知的メタボリックになってしまう。それを避けるために必要なのが「情報の取捨選択」ではないだろうか。

「知的メタボリック」とはよく言ったもので、知識や情報はカロリーと同じで、行動につなげて消費しないと、どんどん太って、不健康・不健全になってしまう。

例えば、SNSなんぞを見てると、政治の話しかしない人がいる。そういう人の文章はほぼ例外なく、物事を0が100か、正義か悪か、敵か味方かの二項対立でしかとらえていない。

自分と同じ意見は正義。違う意見は悪。悪は徹底的に叩く。グレーゾーンとか、折衷案とかがない。

頭が固い知的メタボリックに陥っているのだ。

たしかに、政治の知識や情報を身につけることは良いことだし、おもしろい。知れば知るほど、自分が賢くなったような錯覚に陥る。

いわば、「政治の話」は高カロリーな情報だ。ラーメンやとんかつ、甘いお菓子のようなものだ。好き好んで摂取して、どんどん太っていく。情報の暴飲暴食だ。

だが、食べたぶんは動いて痩せなければならない。

情報は取りすぎるとどんどん太って、知的メタボリックになってしまう。その分、その情報をもとに行動につなげて、動いていかなければならない。これまた、カロリーと同じだ。

ところが、「政治の情報」を行動につなげられる機会というのは限られている。

大半の人はたまにあるかないかの投票に行くぐらいだ。

投票は寄り集まれば国を動かす大きな力、民主主義の根幹だ。だが、一人の行動に還元すると、投票所に行って名前を書いて表を入れるだけ。実はたいした行動をしていない。

そう、「政治の情報」は高カロリーなうえ、それを行動につなげて消費する機会が、とても少ないのだ。

結果、高カロリーな情報をどんどんため込んで、どんどん知的メタボリックになっていく。そうなると、SNSで政治ネタをつぶやいて、賢いふりでもして発散するしかない。

では、知的メタボリックにならないためにはどうすればいいのか。

一つは政治家になったり活動家になったりして、情報をどんどん行動につなげることだ。もちろん、誰でもできることではないし、むしろ、おすすめしない。

そして、もう一つは、高カロリーな情報をとりすぎないように注意することだ。

これこそが、情報の取捨選択である。

高カロリー・ハイリスクな情報はなるべく避け、自分の行動に繋がっていく、栄養価の高い情報を選んで取り込んでいくのだ。

政治・芸能・スポーツのニュース、SNSのトレンド……、これらは高カロリーな情報なので、おもしろかったり、賢いつもりになれたりするが、ちゃんと自分の行動につながるかどうか、しっかりと注意したほうがいい。

だから、僕がニュースを見ていて何よりも重要な情報だと一番注目しているのは、「明日の天気」である。明日の自分の行動に直結する情報なのだから。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。