小説「あしたてんきになぁれ」 第46話「炎天下、ところによりスパイ」

志保の不審な行動を目撃してしまった亜美。志保の疑念を晴らすため、亜美とたまきが取った行動は……。


第45話「ため息ときどき舌打ち、ところによりバスケ」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


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亜美は「城」のある太田ビルの階段を上る。肩からはバッグをぶら下げ、その中にはさっきコインランドリーで回収した衣類が入っている。本当は今日は洗濯当番ではなかったはずなのだけど、たまきから急に、どうしても代わってほしい、と頼まれたので、しぶしぶ引き受けた。大きな入道雲の影が、歓楽街の空気を薄暗く染め始めていた。

ビルの5階にある潰れたキャバクラ、「城(キャッスル)」。その入り口の黒いドアを亜美は開ける。そして、半分ほど身を部屋の中に入れた時だった。両側からいきなり、パーンッとクラッカーがはじける音が響いた。

「亜美ちゃん、二十歳のお誕生日、おめでとうー!」

と、志保の声。少し遅れてたまきが遠慮がちに、

「お、おめでとうです……」

と、たまきにしては精いっぱいの大きな声を出す。

亜美はというと、なんだか不思議そうに二人の顔を見比べた後、

「ん? 今日って、うちの誕生日だったっけ?」

とつぶやいた。

「何言ってるの? 八月十七日、今日、誕生日でしょ?」

と志保。

「ん? そうか。今日、十七日か……」

と、亜美はまだ何か納得してないかのようにつぶやく。

「ん? じゃあ、これやるために、たまき洗濯当番代わってくれっつったのか?」

「ま、まあ……」

「今日の夕飯は亜美ちゃんの好きなからあげだよ。もう、山盛り作るからね。あとね、舞先生からビールもらったから、もう堂々と飲んでいいよ」

「そうか……、あんがと」

そういうと、亜美は靴を脱いで、洗濯ものをしまいに衣裳部屋へと入った。

衣裳部屋の扉がバタンと閉じると、志保とたまきは顔を見合わせる。

「亜美ちゃん……、なんかおかしくない?」

「……はい、変です」

「自分の二十歳の誕生日を忘れてたなんて、亜美ちゃんに限って、そんなことある?」

「去年は何日か前から大騒ぎしてましたからね……」

「からあげにもお酒にも反応薄いし……、絶対、変だよ」

亜美が衣裳部屋から出てきた。志保は亜美に詰め寄る。

「亜美ちゃん、どうしたの? なんか悩みでもあるの?」

「……悩み?」

「そうだよ。なんか様子が変だよ。悩みがあるなら正直に言ってみたら?」

亜美は、志保の目を見つめた。

「なに? あたしの顔になんかついてる?」

「お前さ……、瘦せたんじゃね?」

亜美にそう言われて、志保はバツの悪そうに顔を赤らめた。

「しょ、しょうがないでしょ。ピョンくん夏休み何かと忙しくて、全然会えてないんだから!」

亜美は志保のことをじろじろと見ていたが、

「ふーん」

とだけ言うと、

「屋上でタバコ吸ってくるわ」

と、部屋から出て行ってしまった。

「……やっぱり、亜美ちゃんおかしいよ! いつもと全然違う!」

「やっぱり何か悩み事でしょうか……?」

「かもしれない……。たまきちゃん、ちょっと亜美ちゃんの様子見てきてくれるかな?」

「え、わ、私ですか? 私が行くんですか?」

たまきはきょろきょろと部屋の中を見渡したけど、自分と志保以外代わりに行ってくれそうな人は誰もいない。

「あたしはこれからからあげ作らなきゃだし、それに、あたしがこれ以上あれこれ聞いたら絶対ケンカになると思うんだよねぇ」

「でも、私が聞いても教えてくれないんじゃ……」

「いや、たまきちゃんならいける。たまきちゃんは何というかさ、ほかの人には面と向かって言えないことでも話せちゃうオーラがあるんだよね。なんというかさ、ほら、ペットのネコに話しかけるみたいなさ、ほかの人にはない、たまきちゃんの唯一無二のオーラがあるんだよ」

たまきは、褒められているのか、ちょっと馬鹿にされているのか、判断がつかなかった。だけど、亜美の様子がおかしいと気になるのはたまきも同じだ。靴を履いてドアの外に出る準備を始める。

ドアノブに手をかけてから、たまきは振り返った。

「志保さん……」

「……どうしたの?」

「私も……最近……志保さん、少しやせたと思ってます」

「え……、たまきちゃんもそう思うんだ。じゃあ、あたしもからあげモリモリ食べちゃおうかな」

そういって、志保はキッチンのほうに向かった。しばらくすると、

「あれ?」

と志保の声がする。

「え? ちょっと、なんで?」

「ど、どうしたんですか?」

外に出てドアを閉めようとしていたたまきが、中に戻ってキッチンを覗く。志保の前には、亜美が住む以前からあったという電子レンジ。レンジの前にはチンして食べるご飯のパックが3つ置かれている。

「やだ、あたし、ご飯あっためるの忘れてた! えー、ちょっと、なんで、もー! あーもーやだ!」

その様子をたまきは後ろから見ていた。

なんだか最近、志保は自分のミスに自分で苛立つことが多い気がする。

 

たまきは階段をのぼり、屋上へと出る。

屋上では、亜美が柵にもたれかかっていた。たまきのほうに背中を向けているので、たまきが屋上に来たことには気づいていないらしい。

なんとなく、声をかけづらいたまきは、亜美の後ろでちょこちょこと立ち位置を変えながら、その表情をうかがっていた。

どうも、亜美はどこを見るでもなく、遠くを見つめているように見える。手にはタバコ。少し険しい表情だ。何か考え事をしているのかもしれない。

亜美の指に挟まったタバコが、時折ペン回しの要領でくるくると回る。

その様子をたまきはしばらく眺めていたが、ふと、あることに気づいた。

亜美のタバコに、火がついていない。

亜美は「タバコを吸う」と言って出て行ったはずなのに、火のついていないタバコを、口にくわえることもなく、ただ指先でくるくる回しているだけなのだ。

ふと、くるくると回していたタバコが、亜美の指先からポロリと零れ落ちた。

「あ……」

タバコは眼下の道路に向かって落ちていく。亜美は真下の道路を覗き込むと、

「あーあ……」

とつぶやいた。

やっぱり、いつもと比べて何かがおかしい。亜美がタバコを吸わずに指先で回しているだけなのもヘンだし、いつもの亜美ならタバコをうっかり落とせば、舌打ちの一つぐらいしてもおかしくないはずだ。

「あ、あの……」

たまきは、ようやく亜美に声をかけた。

「ん? たまきか。どうした?」

「えっと……その……ヘンです……」

「ヘン? 何が?」

「その……亜美さんの様子が?」

「ウチの?」

亜美は、超意外、とでも言いたげに目を丸くする。

「いや、ヘンなのウチの方じゃねぇだろ」

「まあ、そうなのかも知らないですけど……」

たまきも、自分のほうがヘンな子だという自覚がある。

「たまき……」

「はい……」

「志保ってさ、アイツ、明日どっか行くとか、聞いてる?」

「……え?」

「バイトとかさ、施設とかさ、デートとかでさ」

なんで突然、亜美はそんなこと聞くんだろう。

「……私は、別に何も聞いてませんけど……」

「だよな。アイツ用事あるときは、いつも先に言うよな」

「あの、それってどういう……」

「ってことは、明日はここにいるってことか……」

亜美はもう一度、遠くを見てから、たまきに視線を戻した。

「たまき、明日、ゲーセン行くぞ」

「え? わ、私は別に……」

亜美はたまきのそばに来ると、がっしりと肩をつかんだ。

「行くぞ、ゲーセン。明日な」

そういうと亜美は、階段を下りていく。

「よーし、もう、今日は考えるのはやめ! 食うぞ、からあげ~! 飲むぞ~!」

たまきは、亜美に掴まれた左肩に手を置いた。ちょっとだけ、痛かった。

 

翌日の午後、志保が携帯電話を取り出したのを見て、亜美は立ち上がると、たまきに「よし、行くぞ、たまき」

と声をかけた。

「あれ? 二人とも、どこ行くの?」

と志保が尋ねる。

亜美は少し間を開けてから、

「……バッティングセンターだよ」

と答えた。

あれ? とたまきは首をかしげる。ゲームセンターに行くんじゃなかったのか。

「バッティングセンター? この炎天下に? あそこ、屋根ないでしょ?」

「……そうだよ」

志保は亜美の後ろにいるたまきを見る。

「たまきちゃんも一緒なの?」

「……まあ」

「……また亜美ちゃんが、絶対来いよとか脅しをかけたんでしょ?」

「……ちげーよ。その……、たまきが絵の参考にしたいからバッティングフォームを見たいっつーからさ」

またしてもたまきは、首をかしげる。もちろん、そんなことを言った覚えはないし、たまきに野球漫画を描く予定もない。

「……ふーん」

志保は、携帯電話の画面に視線を戻した。おそらく、カレシの田代とメールか何かの最中で、亜美とたまきの動向よりも、メールの文言のほうが気になるに違いない。

 

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外に出たたまきは、亜美の後ろをついていく。亜美はバッティングセンターとは違う方角に向かって歩き出し、一番近くにあるゲームセンターを通り過ぎて、なお歩く。

いったいどこに連れていかれるのだろう、とたまきは不安になる。いかがわしいところじゃなければいいけど。

ただ、真昼間なので、そこまでヘンなところには連れていかれないだろう、とも思った。いかがわしいところはたいてい、夕方になってからの営業だろう。

ふと、亜美の足が止まった。細い路地の奥を見ている。

ビルとビルの間に挟まった狭い路地。ちょうど日陰になっている。

「あ~、ここ、ちょうどいいな」

そういうと亜美は、路地へと入っていった。たまきも後をついていく。

たまきはこの場所に覚えがあった。前に鳥のラクガキを見つけた場所だ。

路地の奥まったところに自販機がある。亜美は自販機にお金を入れて、ボタンを押した。

たまきは自販機の裏を覗き込む。十センチほどの隙間があって、鳥のラクガキが相変わらずそのままである。それにしても、こんな狭いところ、本当にどうやって描いたんだか。

「なにやってんだ、おまえ?」

と亜美は言うと、たまきに

「ほれ」

とスポーツドリンクを渡した。

「ネッチューショーに気を付けよう、ってな」

たまきはボトルを受け取る。熱中症の怖さは、この夏、よくわかってる。

「それで……あの……話があるんですよね……たぶん」

たまきは、亜美の目を見上げた。

「……まあな」

「それって、志保さんに聞かれたくない話なんですか……?」

「ん、……まあ」

亜美はボトルのふたを開けた。

ビルとビルの間の狭い路地には日が差し込まず、黒い影がしっとりと地面を濡らしている。

 

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着信音が鳴り響き、舞は飛び起きた。

ぼさぼさの長い髪をかきながら、窓の外を見る。

窓のむこうは、真っ暗闇。

頭がまだぼおっとする中、携帯電話を手に取った。

最初に目に入ってきたのは時刻の表示。午前四時である。

次に、電話をかけてきた相手の名前が目に入った。

「ママ」と書いてあるけど、実の母親ではない。行信寺の住職のことだ。

舞は軽く舌打ちをした後、電話をとった。

「もしもし?」

「やだー! 舞ちゃん、久しぶりじゃなーい!」

舞は、今度ははっきり聞こえるように舌打ちをした。

「ちょっと、なによ、今の舌打ち」

「ママ、こんな真夜中に勘弁してくれ……。寝てたんだよ……」

「真夜中? もうお昼過ぎじゃない?」

「今、海外にいるんだよ。スペインのバルサ」

舞は再び窓のむこうに目をやる。少し遠くに、かの有名なサグラダ・ファミリアが見える。あの古めかしくも斬新な独特のデザイン尖塔の中に、クレーンだの作業用の足場なども見え、この世界遺産がまだ建設中であることを物語っている。舞が子供のころは、生きているうちには完成しないといわれていたけど、技術の進歩で、どうやら何年後かには完成するそうだ。

「あら、舞ちゃん、このまえもヨーロッパにいなかった?」

「この前は友達との旅行。今回は取材だよ。で、何の用だ?」

少し頭がさえてきて、苛立ちも収まってきた。むしろ、異国の地で知り合いの声が聞こえることに、うれしさも感じる。

「ううん、ちょっとね……」

そこで住職は、少し声のトーンを落とした。

「……志保ちゃんのことでね」

「……なんかあったのか、あいつ」

舞が日本を離れるときに一番気がかりだったのが、不法占拠の野良猫三人娘である。亜美が何かトラブルを起こさないか、たまきがまたリスカしないか、気がかりではあるけれど、舞としてもあの三人のことを中心に生活しているわけではないし、仕事となれば東京を離れなければいけない時も多い。

ただ、あの三人の中で、志保に関しては「まあ、あいつなら大丈夫だろう」という信頼感と、「あいつが何か問題起こすのが、実は一番やばい」という緊張感がないまぜになっている想いがある。

なので、住職が志保の名前を出したとき、驚きがありつつも、すぐに緊張が走った。

「……志保がどうしたって?」

舞の声もトーンを落とす。

「まあ、大したことじゃないんだけどね……」

「……ホントに大したことなかったら、ママはわざわざ電話しないだろ。ママの勘は当たる。なんか引っかかることがあったんだろ?」

「本当に大したことじゃないんだけどね……、何日か前の、ちょっと志保ちゃんの様子がおかしかったっていうか……」

「どんなふうに?」

「うっかりミスが多いのよ。珍しく遅刻しちゃったり、頼んでたこと忘れちゃってたり、お客さんが来たのに気づかなかったり。どうしちゃったのかしらってくらい」

舞は、バルセロナの夜景を見ながら、携帯電話を耳に押し当て、住職の話に耳を傾けた。

「なんかね、落ち着きがないっていうか、少しイライラしてたっていうか……」

「それで?」

「だからね、聞いてみたのよ。何か悩んでることとか困ってることとかあるのかしらって」

「で、あいつはなんて?」

「彼氏とうまくいってない、みたいなことを話してたわ。まあ、ケンカしたというよりも、すれ違いが続いてて、なかなか会えてないみたいなの」

それを聞いた舞は、受話器に向かって深いため息をした。

「そのくらい、あのくらいの年の子にはよくある話だろ」

「そうなんだけどね。でも、あの落ち着きのなさ、もしかしたらって思っちゃったのよねぇ」

そういって、住職は言葉を切った。舞も現役ではないとはいえ、一応、医者である。住職が言わんとしていることを察した。

「クスリの症状……、いや、どっちかっていうと、禁断症状か……」

「まあ、アタシが志保ちゃんの事情を知ってるから、そう見えちゃってるだけかもしれないけどねぇ。どうかしら、お医者さんのご意見としては?」

「……本人のその様子を直接見たわけじゃないし、薬物依存は専門じゃない。何とも言えないよ。……むしろさ、そういうのはママのほうが詳しいんじゃないの?」

「まあ、アタシもそれなりに色々見てきたからねぇ」

「で、それなりに色々見てきたママの目からして、どうも引っかかると……わかった。日本帰ったら、あたしも志保の様子気にかけとくよ」

 

電話を切ると、舞はベッドの上に座った。ホテルの窓からは外の通りが見え、時折走る車のヘッドライトやハザードランプが明るく燈る。

何か月か前、志保が彼氏できたとはしゃいでいるのを見たときに、舞は一つ危惧していたことがあった。

それは、薬物依存が、そのまま彼氏依存にすり替わっただけなのではないか、ということ。

もちろん、薬物依存に比べれば、こっちの方がずっといい。

ただ、もしも薬物の代わりに依存している彼氏とうまくいかなくなった時、何か良くないことが起きるのではないか。それが舞の危惧だった。

舞は夜空を見上げる。今週いっぱいは日本には戻らない予定だ。ただ、少しスケジュールを調整すれば、早めに戻れなくもない。日本に戻ったら、あいつらの寝床に顔を出しとくか。

 

たまきはスポーツドリンクを半分ほど飲んでしまった。亜美も同じくらいだ。スポーツドリンクを飲みながら、一向に話し出そうとしない。

亜美のくちびるがボトルから離れた。

「あのさ……」

「はい……」

「志保、やっぱ……痩せたよな……?」

「……はい」

「お前さ、志保のことで、ほかになんか気づいたことあるか?」

亜美は、たまきのほうを見ることなく尋ねた。

「……最近、うっかりミスが多くなった気がします。それで、自分のミスに、自分でイライラしてるのかなって……」

たまきは亜美の顔を見上げる。亜美は変わらず、たまきを見ようとしない。

「あの……、志保さん、どうかしたんですか?」

「……この前、見かけたんだよ、志保を、外で」

亜美は少しだけたまきを見たけど、すぐに視線を外した。

「あっちの、ギョエンの近くの裏通りで、たまたまな」

たまきは亜美の言う「ぎょえん」というのがどこなのかよくわからなかった。きっと「GYOEN」みたいなロシア語か何かの名前のおしゃれなバーのことだろう。

「なんか、知らねーオトコと会っててさ」

「え? う、浮気ってことですか?」

「ウチも最初はそーかなって思ったんだけどさ、そういう感じじゃねぇんだよ。なんか志保がそいつに金渡して、何かを買ってるように見えたんだよ」

「買ったって、何をですか?」

「さあな。結構な金額渡してたぜ。少なくとも三万円か、それ以上だな。でも、何を受け取ったかまでは見えなかった」

たまきは亜美をじっと見る。亜美が何の話をしたいのか、ぴんと来ない。

「えっと、それは志保さんが何か高い買い物をしてたって話なんですか?」

「ああ。でも、カネを渡すのははっきり見えたけど、何を買ったのかはわかんなかった。たぶん、かなりちっちゃいものだ」

「小っちゃくて、高いもの……」

たまきは考える。

「……ゲームのソフトとか、ですか?」

「いや、ふつー一万円もしねぇよ。どんなプレミアのゲームだよ」

亜美はちょっとだけ笑った。でも、すぐに険しい顔になった。

「ウチは……、クスリなんじゃねぇかって思ってる……」

さすがのたまきも、亜美の言う「クスリ」が風邪薬や胃薬の類ではないことぐらい、すぐにわかった。

「ウチはさ……、アイツを信じたいけどさ……なんだかんだでもう、一年も一緒にいるからな」

「で、でも……! 確かに志保さん、最近ちょっと変ですけど、その……、私たちに隠れてそういう薬をやってるようには、思えないです……!」

たまきは、いつもよりも少し早口でしゃべった。

「そーなんだよなー。何か隠し事してるって感じじゃねぇんだよなぁ。これでクスリ隠れてやってました、ウチらのこと騙してましたってなったら、アイツ、大女優だぜ?」

亜美はそう言って笑ったけど、たまきは笑う気にならなかったし、亜美も目が笑っていない。

しばらく、二人の間に沈黙が続いた。沈黙を破ったのは、意外にもたまきの方だった。

「あの、こういうのってやっぱり、舞先生に相談した方が……」

「いや、それはマズいだろ」

と亜美は即答した。

「なんでダメなんですか? だって、私たちだけじゃ……」

「なんでって、ダチを売るようなマネできるかよ」

たまきは「だちを売る」の意味がよくわからない。志保が何かを買ったという話ではないのか。

「じゃあ、どうするんですか……?」

「ウチもいろいろ考えたんだけどさ……」

亜美はようやく、たまきのほうに体ごと向き合った。

「アイツのこと、尾行するんだ」

「びこう、ですか?」

「そうだ。でも、アイツの犯行を突き止めるためじゃねぇぞ。アイツはクスリなんか買ってないって、志保の無罪をウチらが証明するんだ」

たまきは、亜美がちょっといたずらっぽく笑ったようにも見えたけど、気のせいだったかもしれない。

 

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次の日。

「あれっ?」

と志保が声を上げた。

「ねぇ、誰か、アタシのカバン触った? いつもと場所が違うんだけど?」

志保が亜美とたまきに尋ねる。志保は、近くにいるたまきを見た。

「えっ? さ、さあ……その、私……よくわかんないです……」

たまきは助けを求めるように、後ろにいる亜美の方へと振り向く。たまきの表情を見て、亜美はため息をつく。

だめだこりゃ。たまきのやつ、ふだんは何考えてるのかちっとも顔に出ないくせに、隠し事とか、ないしょ話とか、そういうときに限って動揺がものすごく顔に出る。

「あー悪りぃ、たぶん、それウチだ。ゆうべ、アクセが見つかんなくて、あっちこっち引っ掻き回したんだよ。そん時、動かしたまんまだったかもしれない」

「そ、ならいいんだけど。じゃ、バイト行ってきまーす」

志保が『城』を出て扉が閉まるのと同時に、亜美とたまきは同時にため息をついた。

「ご、ごめんなさい……。私、そんなに動かしたつもりはなかったんですけど……」

「いや、アイツがキチョーメンなんだろ。志保だったら数センチずれてるだけで、いつもと違うとか言い出すんじゃね?」

つまり、この二人は共犯である。主犯が亜美で、実行犯がたまきだ。ゆうべ、志保が夕飯の料理をしているとき、亜美がテキトーにあれこれと話しかけて志保の注意を引く。その間にたまきが衣裳部屋においてある志保のカバンを漁る。目的は、志保のカバンに何か怪しいものはないか調べることと、志保のスケジュール帳を覗き見て今週の予定を書き写すことだ。

たまきは最初、そんなスパイかドロボーみたいなマネ、自分にはとても無理だと首を横に振った。しかし、亜美はたまきにやれと迫る。

「この実行犯はな、ウチよりお前の方がピッタリなんだよ」

「ほら、もう実行犯って言ってるじゃないですか……」

「いいか、お前は影が薄いからな、お前がリビングでゴロゴロしてても、衣裳部屋でコソコソしてても、トイレでおしっこしてても、屋上でぼんやりしてても、志保はお前の行動の変化にしばらくは気づかないんだよ。そのうえ、アイツが料理をしてる時を狙って、ウチが話しかけ続けるんだ。お前が何をしようと、志保は絶対に気づかない。おまえ、自分の影の薄さにもっと自信を持て!」

たまきは褒められてるのかちょっと馬鹿にされてるのか、判断がつかなかった。影が薄いのは自覚しているけれど、だからってドロボーの真似事みたいなことをして、絶対にばれないなんて自信はない。かたくなに首を縦に振らないたまきだったが、亜美に

「じゃあ、お前が志保に話しかけ続けて、アイツの注意ひく役をやるか?」

と言われて、そっちの方はもっと自信がなかったので、ようやく実行……役を引き受けることにした。

志保が料理を始めると、亜美が近づいて話しかける。

「で、最近どうだ? ヤサオとはうまくいってんのか?」

「どうしたの急に? ピョン君のことなんて興味ないんだと思ってた。うーん、相変わらず、あんまり会えてないんだよねー」

亜美が話しかけるのを合図に、たまきは衣裳部屋にそっと忍び込む。

衣裳部屋は、もともとはたぶんキャバ嬢の着替えや待機の場所だったのだろう。でっかいハンガーラックがあって、亜美によると最初からあったそうだ。今はそこに亜美と志保の服がたくさんかけられていて、その中にたまきの服も申し訳なさそうに引っかかっている。

もう一つ、大きな姿見の鏡も置いてあり、亜美と志保はここで化粧をしているが、たまきはせいぜい寝癖を直すぐらいにしか使ったことがない。

そのほかには亜美が大切にしている金庫があり、段ボールがいくつか積まれていて、中には冬服が入っている。そして、三人それぞれのカバンも、普段はこの部屋においてある。

志保の白いハンドバッグは、段ボールの上に置かれていた。

少し半開きになったドアからは、亜美と志保の話す声が聞こえる。志保はまだ、たまきの行動に気づいていないようだ。

一回深呼吸をすると、たまきはバッグの口を広げ、中をのぞいた。

お財布、化粧ポーチ、読みかけの本……、ひとまず、謎の白い粉だの注射器だののようなものは入っていない。

一安心したたまきだったが、もちろん、「いま、もってない」からといって、志保が無実というわけではない。

たまきは、バッグの中にあるピンク色の本に手を伸ばした。本と言っても、文庫本に比べるとずいぶんと薄い。

志保のスケジュール帳である。

申し訳なさでいっぱいになりながら、たまきはスケジュール帳を開いた。ぺらぺらとめくりながら、8月のページを開く。

丸っこいけどしっかりした字で予定が書きこまれている。たまきは亜美に渡されたメモ用紙に、この先2週間分の予定を書き写した。

志保の予定は「施設」「カフェバイト」「寺バイト」、そしてひとつだけあるハートマークの4パターンだった。ハートマークはおそらくデートなのだろう。

すべて書き写したところで、たまきはため息をつくと、再びドアの方を見る。志保がやってきそうな気配はない。

たまきは前のページをめくった。そこには8月の前半のことが書かれている。

たまきは8月12日の項目を探した。

その日が、亜美が志保の怪しい行動を目撃した日だと、亜美が言っていたのだ。

そこには、やっぱり丸っこいけどしっかりした字で、「カフェバイト 1時~4時」とだけ書かれていた。

たまきはスケジュール帳をバッグの中に戻した。もしかしたらバッグがちょっとずれたかもしれないけど、そこに気を配る余裕はたまきにはない。

たまきはいま一度深呼吸をすると、そおっとドアを開けて部屋の外に出た。

たまきがドアを閉めようとした途端、ものすごい勢いでぬいぐるみが宙を飛び、たまきの頭上をかすめ、ドアに直撃した。

「前から言おうと思ってたんだけどさ! ピョンくんのこと『ヤサオ』って呼ぶの、やめてよね! 絶対バカにしてるでしょ!」

「はぁ? てめぇの『ピョンくん』の方がよっぽどバカっぽいだろ! だいたいよ、あのヤサオのどの辺が『ピョン』なんだよ?」

「だから、ヤサオはやめてって言ってるでしょ!」

志保はソファの上のぬいぐるみを手に取ると、亜美に向かって投げつけた。亜美はそれを片手で払いのける。弾かれたぬいぐるみは宙を舞って、たまきの足元に落ちた。

たしかに志保の注意を引きつけているけど、何もけんかすることないじゃないか。

 

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夕方、亜美とたまきの姿は、志保のバイトする喫茶店「シャンゼリゼ」の前にあった。シャンゼリゼは少し大きな通り沿いにあるけれど、車よりも歩行者のほうが多い。そんな通り沿いの、シャンゼリゼから見てはす向かいの路地に、亜美とたまきは身をひそめる。

亜美はペットボトルのドリンクを飲むと、携帯電話に目をやった。ちょうど4時を過ぎたところだ。

太陽に温められたアスファルトが放つ熱気が、容赦なく二人の肌を蒸しあげる。

志保を尾行するにあたり、亜美が目を付けたのが「カフェバイト」と書かれた日だった。志保の予定の中で、終わる時間が一番はっきりしていたうえ、『城』から見て場所も近い。亜美が志保の怪しい行動を見たときもカフェバイトの帰りだったというのもあって、カフェバイトの日を狙って尾行することになったのだ。『城』からずっと尾行するよりも、「シャンゼリゼ」の前で待ち伏せして、帰り道だけ尾行する方がばれづらいだろうという判断もあった。

「出て……来ませんね?」

たまきが不安げに亜美を見る。

「四時にバイト終わるっつっても、すぐに出てくるわけじゃないだろ」

亜美が汗をぬぐいながら答える。

「たまき、今のうちにおさらいだ。志保が出てきたら、まずお前が5メートルくらい離れて志保を尾行する。そのあとでウチが5メートルくらい空けて追いかける。大丈夫か?」

「あ、あの、やっぱり一緒に尾行しないんですか?」

亜美の作戦では、基本的にはたまきが一人で尾行することになってしまう。

「んなこと言ったってお前、ウチが志保の近く歩いてたら、バレるだろ?」

たまきは亜美の全身を今一度見る。鮮やかな金髪に、黒いキャップ。胸元がぱっくり空いたタンクトップ、肩からは青い蝶のタトゥーがのぞいている。下の方に目をやれば、おへそが丸出しで、銀色のピアスがついている。ズボンはボロボロで途中でちぎれているのだけど、亜美いわく最初からこういうデザインなんだとか。ボロボロズボンの切れはしからはむっちりとした太ももがしっかり見えている。

およそ、友達をこっそり尾行しようと言い出す人のファッションではない。

「たまき、お前なら大丈夫だ。堂々と後をついてけばそれでいいんだよ。5メートルも離れるんだぞ。お前なら、完全に風景に溶け込める。ちょっとぐらい目が合ったってばれるもんかよ。おまえ、もっと自分の影の薄さに自信持て!」

たまきは、褒められてるのかちょっと馬鹿にされてるのかよくわからなかった。

「でもでも、それでももし見つかったら……」

「見つかった時はお前、偶然のフリすればいいんだよ。あれー、志保さん、ぐうぜんですねー、えー、私ですかぁ? 私はちょっと散歩してるだけですぅー、いやー、偶然ですねー、って」

亜美はやけに高い声で、身振り手振りを混ぜてしゃべる。もしかして、いまのはたまきの物まねのつもりなのだろうか。たまきはこれ以上深く考えないようにして、シャンゼリゼの入り口に目を向けた。

数分ほどして、店のドアから志保が出てきた。たまきは一度深呼吸すると、尾行を始めた。

尾行と言っても、別にコソコソすることはない。亜美に言われた通り、だいたい5メートルの間隔をあけながら、志保の後を追っていく。

真夏の夕方の繁華街は、人が多い。なるほど、亜美のように奇抜なファッションをしていない限り、5メートル以上離れれば十分に風景に紛れ込める。少なくとも、「たまきが人一倍影が薄いからばれてない」わけではないのだ、と信じたい。

尾行して見て気づいたのだけど、志保はあっちこっちきょろきょろ見ながら歩いてる。もしかしたら尾行がばれてるんじゃないかとたまきは志保の挙動をじっと見るけれど、そういうわけでもなさそうだ。きょろきょろあちこち見るのがクセになっているように見える。

ふと、志保がくるりと振り向き、一瞬、たまきと目が合ってしまった。たまきは足が止まる。

志保はたまきに気づいていないらしく、また前を向くと何事もなく歩き出した。それでも、もしかしたらばれたんじゃないかと不安になるたまきは後ろを振り向き、後方を歩いている亜美に、助けを求めるように視線を飛ばす。

亜美はというと、のんきにフラペチーノなんぞを飲みながら歩いている。自販機で買ったものではない。プラスチックの容器にストローが突き刺さった、どこかのお店で買ったものだ。いったい、いつの間にあんなものを。

亜美はたまきの顔を見るなり、たまきの不安を察したのか、まっすぐ志保の方を指さした。ばれてないから、大丈夫だから、いいから行け! ということだろうか。

駅前の大通りを渡ったところで、志保の様子が変わった。明らかに落ち着きがないように見えるし、何かを探しているようにも見える。

たまきにも緊張が走る。また亜美の方を見る。亜美はまたしても志保の方を指して、口パクで「いけ」というけれど、亜美も志保の変化を察したのか、顔つきは少し険しい。

人ごみの中を縫うように、たまきは志保の後を追う。歓楽街の中心に近づくにつれてどんどん人が増えるので、数メートル近づいても、おそらくばれないだろう。たまきは歩調を速め、志保との距離を詰めた。

志保が帰り道とは違う方向の路地に入った。たまきはさらに歩調を速め、それでいて足音は立てないように、人の波の間に巧みに身を隠しながら、路地へと近づいた。

たまきが路地を覗き込む直前、がこん!と何かが落ちる音が聞こえた。

たまきが路地を覗き込むと、志保が身をかがめて、自販機の取り出し口からペットボトルを手にとるのが見えた。

「あ~、生き返る~」

志保はボトルの中のお茶をごくごくと飲むと、バッグの中からハンドタオルを出して汗を拭く。

たまきがほっとため息をつくと、隣に亜美がやってきた。

「おまえ、先、帰れ」

と亜美。

「『城』に誰もいないのは、ヘンだ」

確かに、三人そろって『城』を開けるという場面は、実はあまりない。たまきは無言でうなづくと、『城』に向けて歩き出した。

ふとたまきは、亜美の手にもうフラペチーノの容器が握られていないことに気づいた。一体、いつの間にどこに捨ててきたのだろう。

 

画像はイメージです

そこから10日ほどたった。その後、三回ほど志保を尾行したけれど、これと言って怪しい場面に出くわすことはなかった。

亜美は「なんもなけりゃそれでいいんだよ」とは言っているけれど、そういいつつもどこか納得していないようだ。志保にやましいところがないなら、自分が見たのは何だったんだろうと、説明がつかないからだろうか。

その日は曇り空だった。蒸し暑いけれど、日差しが降り注ぐ真夏日よりはましである。たまきは、久々にスケッチブックを抱えて、公園へとやってきた。

スケッチブックを広げ、鉛筆を握り、ふうっとため息をつく。相変わらず、特に描きたいテーマが浮かんでこない。お寺のバイトで「創作意欲」なんてものを使い切ってしまったのだろうか。

ふと、背後に気配を感じた。

「たまきちゃん、久しぶりじゃん!」

ミチの声である。

「しばらく来なかったけど、どうしたのさ?」

「……まあ」

特に描きたいものが浮かばなかったのもあるし、炎天下の公園に来る気がしなかったのもある。

そもそも、この男は炎天下の公園に毎日、「世の中」に対して歌うためにやってきていたのだろうか。酔狂である。

「たまきちゃん、見て見て、これ」

と、ミチは携帯電話を見せた。写真が表示されている。青いバイクだ。

「バイト代ためて買ったんだよ~。去年の春に免許は取ったんだけど、肝心のバイクが買えなくてさ~。やっとだよ~」

ミチは、携帯電話をさらにたまきの目の前に近づける。

「かっこいいでしょ?」

たまきは返答に困る。この手の乗り物に全く興味がないのだ。なので、

「……まぁ」

と、どうとでも取れる返事をしたのだけど、ミチは

「でしょ~」

と、かなり好意的に受け取ったようだ。

絵は描けないわ、ミチは話しかけてくるわで、たまきはとっととこの場を離れたくなった。

ふと、公園の時計を見ると、三時半を指している。

四時からはまた、亜美と合流して志保の尾行をする予定だ。

「あの、私、予定があるんで、今日はこれで……」

そういってたまきが立ち上がると、ミチは

「予定ぃ? たまきちゃんがぁ? 嘘ぉ!」

と、にわかには信じられないといった表情をした。そういえば、バイトを始めたといったときも、こんな感じだったような気がする。

失礼なミチはもう無視して、たまきは公園の出口へと歩き出す。

もしかしたら、ちょっと心が弾んでいるのかもしれない。

バイトが終わってやることもなくため息ばかりついて「引きこもりのたまきちゃん」に戻ってしまっていたけれど、ここしばらく「志保を尾行する」というやることが急にできて、「あれ、私、これから何をすればいいんだろう」という状態から、一応脱却できたのが、ちょっと嬉しいのかもしれない。

そうだ、私は志保さんの無実を証明するためにやってるんだ、とたまきは自分に言い聞かせた。だいたい、「志保がクスリを買ってるかもしれない」というのは亜美が言ってるだけで、亜美だって「何かを買ってるのを見た」ぐらいでしかない。亜美の目撃情報なんて、これほどあてにならないものがこの世にあるだろうか。きっと、たまきにはわからない化粧品か何か買ったのを、亜美が見間違えたんだ。このまま尾行を続けて、何も起きず、ほんとに亜美さんは人騒がせなんだからと笑い飛ばす、それでいいんだ。

たまきは公園を出て、駅のむこうの繁華街を目指す。ビル街のむこうから入道雲が顔を出し、時折ゴロゴロと遠雷の音が聞こえているけれど、たまきはまだ気づいていない。

 

つづく


次回 第47話「追走、のち土砂降り」(仮)

……来年春公開予定。心して待つように。


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。