「鳥のラクガキとたまきのバイト」編、ついに完結! たまきが寺の壁画に込めた祈りとは……。「なしあれ」第44話、スタート!
第43話「雨のち極楽、ところにより『最期のラクガキ』」
「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち
写真はイメージです
日差しが照り付け、セミが歌う。
たまきがこの街にやってきて、二度目の夏が始まった。
たまきにしては珍しく、白い半そでのTシャツを着ている。志保のおさがりだ。ケチャップのしみがついてしまったため志保はもう着ないらしく、それをたまきが譲り受けたのだ。どうせ汚れるペンキの作業にはうってつけだ。
脚立の脇に置かれた新聞紙の上には、いくつかのペンキ缶が置かれている。小型のものがほとんどだが、大型の缶も4つ用意してあって、それぞれ白、黒、灰色、青が入っている。
脚立やペンキ缶は、毎日住職さんがブロック塀の前に用意しておいてくれる。準備と片づけは力仕事になるため住職さんの担当だ。たまきは毎日、ブロック塀の前にやってきて、一度大きく背伸びをしてから、絵の制作に取り掛かっている。
たまきの仕事をはまず、スケッチブックをよく見ることから始まる。まず壁画の全体像をスケッチしたものが一枚あり、さらにこのスケッチを八分割し、それぞれを拡大してより細かく描きこんだものが八枚ある。この拡大図の方のスケッチを見ながら、塀のどの箇所でどんな作業をするかを決めていく。
この日で作業を始めて4日目だ。作業はまだ半分も終わっていないけど、少しずつ、絵の姿が見え始めている。
たまきは脚立に腰かけて、塀の上側を描いていた。梅雨が来る前に塗装した青い壁に、さらに白いペンキを塗り足していく。
ふと、人の気配を感じたたまきは、横を向いた。
「よっ」
遠くから、亜美が歩いてくるのが見えた。根元が少し黒くなり始めた金髪を、肩のところで二つ結びにしている。たまきは壁の絵に視線を戻すと、
「また、邪魔しに来たんですか」
と、作業を続けながら言った。
「なんだよ。ウチがいつ邪魔したんだよ」
たまきは作業をしたまま、答えない。
「……何しに来たんですか?」
「なにって、見物ついでに差し入れ持ってきたんだよ」
亜美が右手を挙げた。ジュースの入ったペットボトルが握られている。
そのまま、ペットボトルをたまきのほほに押し付ける。ひんやりと冷たい。
「テレビで言ってたぞ。ネッチューショーに気をつけようって」
「……新聞紙のところに置いといてください。後で飲みます。……ありがとうです」
たまきは、ちょっとだけ亜美の方を向いて、行った。
亜美は指示されたとおりに、ペンキ缶が並ぶ新聞紙の隅の方に、ペットボトルを置いた。
「なに? こんなに色使うの?」
新聞紙の上の様々なペンキ缶を見ながら亜美が尋ねる。
「使うかも……です。全体的には、最初に塗った青を背景に白と黒と灰色をメインに使うんですけど、もうちょっと彩りも欲しいなって思ってて。極楽の部分をどんな色にするか、まだはっきりとは決めてないんです」
「ゴクラクのブブン? なんじゃそりゃ?」
亜美は再び、足元のペンキ缶に目をやった。
「ん? 黄色はこれだけか?」
亜美がまだ未開封の、イエローの小さいペンキ缶を手に取った。
「……亜美さん、黄色好きなんですか?」
「いや、キライじゃないけどさ、そうじゃなくて、仏像描くんだろ? 仏像って、黄色じゃねぇの?」
亜美は一歩後ろに下がって、描きかけのたまきの絵を見た。
「あれ? これ、仏像じゃなくね? これ、何? 鳥?」
壁の絵はまだ半分も描きあがっていないけど、大きな白い鳥が二羽ほど描かれているのがわかる。ほかにも小さな鳥が何羽か描きこまれている。
「まあ、その……仏像は描かないことにしたんです。お寺の壁だからって仏像を描かなきゃいけないわけじゃないし……」
「ふーん。これ、何の絵?」
たまきは作業の手を止めると、一度、息を吸った。
「その……鳥が……極楽から飛び立つ、そういう絵です」
「……は?」
「でも、その極楽をどう描くかまだ……、決めてないんです。昔の絵にあるような色鮮やかなものにするか、コンクリートみたいな灰色にするか……」
「……へ?」
「私としては灰色にしたいなって気持ちの方が強いんですけど……、極楽は絵の真ん中に描くんです。だから、もうちょっと彩りがあった方がいいかなって思って……」
「ちょいちょいちょいちょい」
亜美はたまきの肩に手を置いた。
「わかる言葉でしゃべれ。何言ってっかさっぱりわかんねぇ」
「あ……はい……えっと……」
たまきはもう一度息を吸った。
「その……鳥が……極楽から飛び立つ……、そういう絵……です。でも……、その極楽をどう描くか……まだ……」
「いや、さっきの説明と一文字も変わってねぇよ」
亜美はたまきの肩に手を置いたままそういうと、顔をたまきの方にグイッと近づけた。
「つーかおまえさ、自分の絵が人に見られるの、嫌がってなかったっけ?」
「……そうでしたっけ?」
途端に、たまきの方に置かれた亜美の手が離れ、その腕でたまきの首筋を一気にからめとり、力任せに締め付ける。
「なーにが『そうでしたっけ』だ! 去年、ウチの似顔絵を描いた時、あれを『城』の壁に貼るのめっちゃ嫌がってただろうが!」
脚立の片側の脚がアスファルトから離れ、たまきの持つ缶の中の白いペンキが波打つ。
「まっ、亜美さんっ、あぶなっ……!」
「部屋の壁であんなに嫌がってたのに、こんな人に見られるようなところに堂々と描きやがって、挙句の果てには『そうでしたっけ?』だぁ? じゃあ、去年はいったい何だったんだよ!」
「あ、亜美さんっ! あぶなっ! や、やめっ!」
ようやく亜美が手を放し、脚立も安定を取り戻した。たまきははぁはぁと息をつく。
そう言われてみれば、自分でも少し矛盾している、ような気がしなくもない。
たまきはその違和感を塗りつぶすかのように、再び壁にペンキをあてがった。
「極楽、ですか?」
お茶をすすり終えた志保は、そう尋ねた。
「そう、極楽」
と住職が答える。
志保は掃除を中心としたお寺のバイトを終え、寺の事務所でお茶をごちそうになりながら、住職さんからたまきが描く絵について聞いていた。
「仏像を描くんじゃなかったんですか?」
「別にお寺だから仏像の絵じゃなきゃいけないってことはないわ。目的は落書きの防止なんだし、たまきちゃんが描きたいものを描くのが一番じゃない?」
「でも、何で極楽? そういえば、この前も極楽がどうとか言ってましたけど。どういう絵なんですか?」
「極楽から鳥が飛び立って、どこか別の場所へと向かっていく、そういう絵だって言ってたわ」
住職さんはたまきのスケッチを思い出しながら言った。
「ふーん」
といいながら志保はお茶に口を付けたあと
「……それってヘンじゃないですか?」
と尋ねた。
「だって住職さん、極楽はいつかたどり着きたい理想郷だってこの前言ってたじゃないですか。そこから飛び立って、どこに行くんですか?」
「さあ?」
住職さんはすました顔で答える。
「そうね。私が見たスケッチでは、極楽というよりも、東京のビル街に見えたわね」
「……へ?」
「たまきちゃんに聞いたらね、ビルが立ち並び、多くの人やお金が集まるこの街こそが極楽なんじゃないかってあの子いうのよ」
「……はぁ」
「でも、この街が極楽だからこそ、そこにいたくない、そこから飛び立ちたいって人もいるんじゃないかって……」
「あ、あの……」
志保は手にした湯飲みを机の上に置いた。
「えっと……何の話をしてるのかさっぱり……」
「ごめんなさいね。アタシも実はよくわかってないのよ。あの子と一緒に暮らしてる志保ちゃんなら何かわかるんじゃないかと思ったんだけどねぇ」
そう言われても、たまきについては志保もわからないことがいっぱいある。
そういえば、そもそもたまきは人に自分の絵が見られることを嫌がっていたのではないか。いったいいつから平気になったのだろうか。
ふと、志保は宙を見上げた。一緒に暮らしているはずなのに、ここ最近はたまきとそんなにしゃべっていないような気がする。
まあ、たまきちゃんはもともとあんまりしゃべらないからなぁ、と志保は結論付けて、前を向いた。
「たまきちゃんが言ってる意味はよくわからなかったんだけどねぇ……」
と、住職さんは切り出した。
「見せてもらったスケッチはよく描けてると思うし、それにたまきちゃんが絵の構想についてずいぶん熱心に話すもんだから、アタシもたまきちゃんの描きたいものを描いてもらうのが一番なのかなって思って、お願いしたのよ」
「熱心に?」
志保は思わず聞き返していた。たまきが何かに熱くなって、まくしたてるように語る姿なんて想像がつかない。
「そう。まあ、熱心にって言っても、いつもとそう変わらなかったんだけどね。ただ、自分の思いを、自分が何を描きたいのかを、なんとかしてアタシに伝えようと一言一言しっかり言葉を選んでる、そんな感じがしたのよね。自分の絵と真剣に向き合ってるって感じ。熱心さは感じるんだけど、その反面、いつもよりさらに静かで、そうね……まるで、仏様にお祈りしているみたいだったわ」
住職はそういうと、涼しげに微笑んだ。
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それから何日かして、その日のバイトが終わり、たまきは歓楽街の中をすたすたと歩く。この後、一度「城」に戻って、汗でぐっしょりになってしまったシャツを着替えて、別の場所に行きたいため、いつもよりも少し早足になっている。
「城」のある太田ビルが見えてきた時、正面から見覚えのある人物が歩いてきた。
亜美だ。
青い蝶の入れ墨が彫られた腕、胸の谷間、ふとも元ふくらはぎと、見せれるところをすべて見せるファッション。たまきにとっての服は「いかに自分を隠すか」というものだけど、亜美にとっては「いかに見せるか」がテーマなのだろう。
「よっ!」
亜美はたまきを見つけると、片手をあげた。
「ちょうどよかった。これからゲーセンに行くとこなんだ。いっしょ行こうぜ」
「……あの……私……これから行くところがあるので……」
たまきの返事に、亜美は明らかに不服そうに口を尖らせた。
「それ、今日じゃなきゃダメなやつ?」
「まあ……早い方が……」
「じゃ、明日でもいいってことだな。ゲーセン行こうぜ」
亜美はたまきの肩に腕を回す。
「……ゲームセンターだって、別に今日じゃなくてもいいじゃないですか……」
「バカ。明日になったら潰れてるかもしれねぇだろ。よく言うじゃん。親孝行したいと思った時にはもう親はいないぞって」
親孝行から一番遠そうなヤツに言われても、説得力がない。
「……ゲームセンターに行っても、別に遊びたいゲームとかないので……」
たまきは亜美の腕から肩を外すと、「城」に向かって歩き出した。背中越しに亜美の声が響く。
「お前なぁ、16才で遊びたいゲームがないって、それはもうビョーキだぞ」
たまきは振り向かなかった。
「……私だって、好きなゲームくらい、あります」
「え? なに?」
雑踏の中で亜美にはよく聞き取れなかったが、たまきは一言も発することなく、ビルの方へと歩いていった。
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世間的には、夏休みと呼ばれる時期に入ったのだろか。コリアンタウンはあの雨の日の三倍ほどの人でごった返していた。路地から大通りへ出ようとしたたまきは、あまりの人の多さに一瞬ためらい、踵を返そうとしたけれど、踏みとどまると、意を決して人の波の中へと入っていった。
やはり、場違いな気持ちはぬぐえない。大丈夫、誰も私のことなんか見てない、気にも留めてない、と言い聞かせて、必死に一歩一歩足を進めた。
わざわざ、作業後の疲れた体に鞭を打ってやってきたのだ。「人混みはイヤだ」なんて理由で引き返すのはもったいない。
たまきがそうまでしてコリアンタウンにやってきたのは、もちろん、チーズタッカルビが食べたくなったからでも、K―PОPアイドルのブロマイドが欲しいからでもない。ましてや、駅前のお菓子工場から漂うチョコの臭いにつられてきたわけでもない。目的地はコリアンタウンを抜けた先にある。
ハンペンレコードの壁に描かれた、サキの「ぐらふぇてー」とかいうのをもう一度見るためだ。壁画の作業を進めるにつれて、あの絵をもう一度見たいという想いがたまきの中で強くなった。ほかのラクガキを寄せつけないような魔力をあの絵を、もういちどちゃんと見たい。たまきの絵が完成する前に。いや、もう一度あの絵を見ないまま完成と言い切ることはたまきにはできなかった。
それにしても暑い。拭いても拭いても汗が零れ落ちて、せっかく着替えてきたのにシャツはもうぐっしょりと濡れてしまった。もう夕方だから涼しくなるだろうとたまきは考えていたけれど、昼間の熱気がそのまま残り、涼しくなるどころかむしろサウナの中にいるように暑い。そういえば亜美さんが熱中症に気を付けようなんて言ってたな、とたまきは歩きながら思い出した。
駅からハンペンレコードまでの道は曲がり角がほとんどないので、たまきも迷うことなくたどり着くことができた。
青い壁のビルを通り越して、駐車場の前に立って振り返ると、色鮮やかないくつも線で構成された「ぐらふぇてー」が見えた。改めて見てみると、幾重にも絡まった色とりどりの糸が、ほどけ、解放されていく、そんな風にも見える。
サキって人の絵に挑みたい、そう思って壁画の作業を続けてきたたまきだったけど、こうやってまたサキって人の絵を目の当たりにすると、自分の力不足を実感してしまう。
たまきはスケッチブックの下絵をを片手に、ていねいにていねいに作業を進めているのだけど、目の前の「ぐらふぇてー」はそんな設計図なんて見ないで、勢いだけで描かれたように、たまきには思えた。
あれから少しだけサキって人に近づけたようにたまきは思っていたけれど、やっぱり、まだまだ遠いのかもしれない。それとも、近づきすぎてしまうと、あの屋上の白い扉の向こう側に、たまきも立ってしまうのだろうか。
たまきはあの白い扉を思い浮かべる。歓楽街で一番高い雑居ビルの、屋上の扉。サキって人はそこから飛び降りて、遠くに行ってしまった。まるで、天国の扉だ。階段を上って登って、高い高いところにある、真っ白な天国への扉……。
急に体がふらつき、たまきは電柱へともたれかかった。
暑い暑いと思っていたのに、急に寒気がする。あと、頭ががんがんと痛み出した。
足の力が抜けるように、たまきはしゃがみこんだ。
見上げると、そこにはサキって人の絵がある。無数の色とりどりの線が、なんだかうねって動いているような気がした。
そのまま、かなりの時間が過ぎた。いや、たまきがそう感じただけで、本当は数分しかたっていなかったのかもしれない。
がさり、と音がした方を振り向くと、見覚えのある人が立っていた。
「アンタ……、この前の……」
ライオン店長さんだ。レジ袋を持って立っている。ライオン店長さんはしゃがむと、
「おい、大丈夫か? 具合悪そうだな。熱中症か?」
ライオン店長さんは、すぐそばの自販機からポカリを買ってきて、たまきに渡した。たまきは受け取ると、ぐびぐびと一気に飲む。
半分ほど飲み干すと、少し体力が戻ってきた。
「……あ、ありがとうございます。あの、お金……」
「いいよそんなの。立てるか?」
たまきは、小さく頷いた。
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ライオン店長さんは、たまきをレコード屋の下にある古着屋に招き入れた。レジ袋の中の缶ビールを冷蔵庫に突っ込むと、コップに冷たい水を入れて、たまきの前に持ってきた。
たまきは、店内にある椅子に座っている。古着屋は冷房が効いていて、たまきの火照った体も徐々に冷めてきた。
「あの……、ここも店長さんが経営してるんですか?」
「いや、ここはダチの店だよ。ただ、ウチの店の真下だからな、今日みたいに店番を頼まれることもあるし」
ライオン店長さんは作業を終えると、たまきの方を見た。
「病院とか行かなくて大丈夫か?」
「あ……、はい」
体力は戻ってきた。体調も7割ほど。ちょっとだけ頭が痛いけど、さっきほどじゃない。たぶん、歩いて『城』に帰れるだろう。
「あの、ホントにさっきのお金……」
「ああ、大丈夫大丈夫。そのお金はさ、帰りに自販機でなんか買って、飲みながら帰りな」
「……はい」
たまきはコップの水をぐびぐびと飲む。
「で、今日は何の用だったの? また、サキの話を聞きに来た?」
「いえ、その、もう一度あの絵を見たくて……」
「ふーん。ホントにあいつの絵が好きなんだな」
ライオン店長さんは、くっくっくと笑った。
「アンタ、ヘンな人だな。あんなラクガキ追っかけてるなんて。それに、ウチの壁に描かれたヤツをわざわざ見に来るヤツも初めてだよ。熱中症になってまでさ」
「……よく言われます」
「……アンタなら、わかるのかもな」
「え? 何がですか?」
「サキがなんであんなラクガキを街中にしてたのか、だよ」
ライオン店長さんは、どこか遠くを見つめているようだった。
「自己顕示欲で落書きするヤツはいっぱいいるよ。ここは俺たちのナワバリだってな」
たまきは、亜美が言ってたナワバリの話を思い出した。
「でも、サキはそういうタイプじゃなかったし、何より、あいつの絵は、見つけにくいんだ」
「はい……」
それはたまきが誰よりもわかってる。見つけやすい場所にあるものもいくつかあった。でも、ほとんどがちょっと見つけにくい場所にあり、たまきみたいにわざわざ探さないと見つからない。
「あいつが生きてた時に、聞いてみたことがあんだよ。なんで見つからないような場所にばっか絵を描くんだって。そしたらあいつ、なっつったと思う? アンタわかるか?」
たまきは、コップの水に目を落とした。たまきはサキって人に会ったことがないし、どんな声でどんな風にしゃべるのかもわからない。
それでも、ふと心に浮かんだ言葉があった。
「……『秘密』ですか?」
「……驚いたな。その通りだ。『ヒ・ミ・ツ』ってそう言って笑って、教えてくれなかった」
たまきは再びコップに口をつける。
「やっぱり、アンタならわかるのかもしれないな。あいつが絵を描いた理由が」
たまきは、コップの中の水をすべて飲み干した。
「……私の中では、一応、こうなんじゃないかなって思ってることがあります。でも、勝手に思ってるだけだし、合ってるかどうかは……」
「いや、アンタならたぶん当てられる気がするよ」
たまきは、ふっと息を吐いた。
「……ゲームだったんだと思います」
「……ゲーム?」
「……はい」
ライオン店長さんは、少し考えるように上を見た。
「ゲームっていうと、誰かとラクガキで競って遊んでたとか、そういうことか?」
「……その、そういうんじゃなくて……」
たまきは下を向く。自分の中にある考えを誰かに伝えるための言葉を、必死に探す。
「えっと……その……あのラクガキ自体がゲームだったというか……、あのラクガキを描くことでゲームを作ってたというか……、私が勝手にそう思ってるだけなんですけど……」
たまきはライオン店長さんの顔をのぞき込むが、今一つ反応が薄い。たまきが言いたいことは、どうやらライオン店長さんにはうまく伝わってないようだ。
たまきは、口をパクパクさせながら、言葉をつづけた。
「その……子供のころにお姉ちゃんとやってたゲームがあって……、お城とか、雪山とか、洞窟とかを冒険して、さらわれたお姫様を助けに行くんです。そのためには、なんかアイテムを集めなくちゃいけなくて、そのアイテムがいろんなところに隠されてるんです……。すごく高いところにあったり、海に潜らないといけなかったり、暗号みたいなのを解かなくちゃいけなかったり、敵と戦ったり……」
「ああ、ロクヨンとかサンシャインとかだろ? 懐かしいなぁ。3Dのゲームって、今はそんな珍しくないけど、当時は衝撃的だったよ」
ライオン店長さんは、たまきの方を向く。
「ゲームって、それのこと?」
たまきは、無言で頷いた。
「なんか……似てるなぁって……」
「……サキは誰かに自分のラクガキを探させて、ゲームとして楽しんでもらうために、街中にラクガキを描いた、アンタはそう思ってるわけか?」
「……はい。それに……」
たまきは、すうっと息を吸うと、言葉をつづける。
「サキって人にとっても、やっぱりゲームだったんだと思います。簡単には見つからないけど、でも、探そうと思えば見つかる、そんなギリギリの場所にラクガキしていくことが……」
「ゲームねぇ……」
ライオン店長さんは頭の後ろで手を組む。
「いや、ゲームだったとしても、同じラクガキが街中にあるって気づいて探し回って遊ぶ奴なんているわけ……」
そこまで言ってライオン店長さんは、「あっ」と言って言葉を切った。目線の先にはたまきがいる。
「……まあ、アンタがそう思うなら、そうなのかもな。アンタはホントにヘンな人だ。あったことのないサキのことを、なんか誰よりもわかってるって気がする」
もちろん、ホントのことはたまきにもわからない。
ぜんぶ、たまきの勝手な妄想である。
論拠を示せ、と言われても、困る。
それでも、たまきは、あれはゲームなんだと確信していた。
だって、鳥のラクガキを探して、街のあちこちを巡ることはたまきにとって、どんなゲームよりも楽しかったのだから。
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七月もそろそろ終わる前に、たまきのアルバイトの終わりがやってきた。何事もなければ、今日ですべての作業が完成するはずだ。
行信寺までの通い路をたまきはゆく。
想えば、こうやってどこかに毎日通うだなんて、ずいぶんと久しぶりだった。でも、それも今日で終わる。出不精のたまきがこの辺りをうろつくことなんて、もう当分あるまい。
歓楽街を抜け、区役所のある大通りを渡ると、古い飲み屋街に出る。そこには遊歩道が通っていて、たまきはいつものようにそこを横切ろうとした。
ふと、毎日遊歩道を横切ってばかりで、歩いたことは一度もなかったな、と思った。
少し早めに『城』を出たので、時間にはまだ余裕がある。たまきは少し寄り道をしたくなり、遊歩道を横切るのをやめ、遊歩道沿いに少し歩いてみることにした。
遊歩道には木々が植えられ、セミの声が鳴り響く。車の音や何かの宣伝などの人口の音が鳴りやまない歓楽街においては、セミの声だけしか聞こえないというだけでも、むしろ静かに思えてくるから不思議だ。
遊歩道はそれほど長くなく、一分ほど歩くと、歓楽街に出た。たまきにとってはあまりなじみのない場所だ。ホストクラブの看板が見える。
なじみのない場所に出て、うっかり遅刻したら行けないので、たまきは歓楽街には出ずに、遊歩道を引き返すことにした。遊歩道には木々が植えられ、セミの声が鳴り響く。都会の喧騒の中では、セミの声すらもむしろ静寂に……。
ふと、たまきは、なにげなく視線を脇に立つマンションへと送った。マンションの入り口は遊歩道側にはなく、たまきはマンションの裏手を見ていることになる。白い外壁のマンションで、4,5階建てくらいか、そんなに大きくはない。
その3階のベランダの外壁をなにげなく見やった時、たまきの脚が止まった。
呼吸がひときわ大きくなる。
見つけた。
あの、鳥のラクガキだった。
たまきはマンションへと近づいた。ほんの少しだけ近づいたことで、ちょっとだけ鮮明に見える。
たぶん、この絵はそんなに古いものではない。サキって人が一体いつからラクガキをしていたのかは、ライオン店長さんに聞いてもわからなかったのだけど、それでも、「新しいもの」と「古いもの」には少し時間の開きがある。今見つけたこの絵は、その中でもかなり新しいように見える。
ほかならぬたまきが言うのだから、間違いない。ことこの「サキって人の鳥のラクガキ」に関しては、なんでも鑑定団よりも、メトロポリタン美術館よりも、自分の目が一番正しい、という自負がたまきにはあった。
「……よしっ」
そういうと、たまきは遊歩道をまた歩き出した。やがてさっきのところまで曲がると、飲み屋街を抜けるいつものルートを歩き始めた。
……そうだ、帰ったら地図に新しいラクガキの場所を、描いておかないと。
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とうとう、たまきの壁画が完成し、翌日には除幕式が行われた。
もちろん、別に幕がかけられていたわけではない。志保と住職さんの間で、完成のお披露目を冗談めかしてなんとなく「除幕式」と呼び始めたら、いつの間にかその呼び名で定着してしまったのだ。
除幕式には、作者であるたまきに加え、住職さん、志保、そしてバイトを紹介した舞が出席した。もちろん、「出席」と言っても椅子が並べられているわけではなく、4人で路上の壁画をただ眺めるだけである。
「あちぃ……」
舞はコーラの入った冷たい缶を首筋に押し付けた。コーラは住職さんが用意したものだ。除幕式の後はお寺の事務室でささやかな「たまきちゃんおつかれさまパーティ」が開かれることになっていて、お菓子や飲み物が用意されている。
「えー、本日はお暑い中お集まりいただき、誠にありがとうございます」
住職さんがあいさつを始めた。
「この度は自坊の壁に新たに壁画を描いていただいたということで、仏教と壁画の歴史は古く、インドのアジャンター石窟や……」
「勘弁してくれ、ママ。こんな炎天下の中でボウズの説教聞いてたら、こっちがホトケになっちまうよ。ボウズの説教と夏の髪型は短い方がいいっていうだろ?」
と、ロングヘア―の舞がうんざりしたように言った。
「では、アタシの挨拶はこのへんで、作者のたまきちゃんから一言」
青いジャージ姿のたまきが、ぺこりと頭を下げた。
「えっと……、できました……その……お世話になりました……」
「それでは、作品の方をご覧ください」
と住職。「ご覧ください」と言ったところで、さっきからずっと視界に入っているのだけど。
縦3メートル、横幅は10メートル弱という大作である。
真ん中には、ビル街が描かれている。都庁に似た建物も描かれている。一方で、赤や黄色など、現実にはなさそうな、鮮やかな色のビルも目立つ。華やかなビル街が、斜め上空から、ちょうど鳥が見下ろしているようなアングルで描かれている。
ビル街の中には、何羽かの鳥が描かれていた。
そのビル街を囲むように、白い鳥が六羽、大きく描かれている。上空を小さく輪を描くように旋回する六羽の鳥。その輪の中に、ビル街が見えるという構図だ。
これが壁画の中心部で、その外側には、色とりどりの鳥たちが描かれ、いずれも絵の外に飛び出していくかのようにはばたく姿が刻まれていた。
「ふーん」
と舞。
「すごーい。これ、たまきちゃんが一人で描いたの?」
と志保。
「……まぁ」
とたまき。
「で、これはどういう絵なんだ? センセイ、解説頼むよ」
舞はそいう言うと、コーラに口をつけた。
「えっと……、極楽から鳥が飛び立って、どこか違う場所に羽ばたいていく……、そういう絵です……」
「極楽?」
「住職さんから、極楽っていうのは昔の人が思い描いた理想郷で、大都会を思い浮かべたものも多いって聞いて」
「それで、歓楽街を極楽に見立てて描いたんだ」
と志保。
「……そうなんですけど……、でも……」
と、たまきは少しうつむきがちに言った。
「でも、みんなが極楽だって思ってる場所でも、そこになじめない人っていうのはきっといて……、じゃあ、そういう人はどこに行けばいいんだろう、って……」
たまきは、顔をあげない。
「みんなはそこが理想郷だと思ってるのに、自分だけなじめない……。じゃあ、もっと遠くの、別の場所に行くしかないじゃないですか……」
たまきは、一度大きく息を吸うと、言葉をつづけた。
「そうやって、この街からいなくなった人が、その、どこか遠く、その人だけの理想郷に、ちゃんとたどり着けたらいいなって、そう思って……その……祈りを込めて……」
いつかの志保と住職さんが言っていた話を、たまきは思い出す。江戸の端にあったこの街は、異界への入り口なんだと。
そんな場所にある絵なら、この街から遠い場所へと、違う世界へと「飛び去った人たち」の目にも、なにかの拍子に止まるかもしれない。
最初にバイトを引き受けた時は、あの鳥のラクガキに引き寄せられた、なんだかそんな気がしていた。
壁に青いペンキで塗装をしているときは、絵のデザインは決まっていなかったし、なにより、ここに自分の絵を描くということに実感がなく、ただ来る日も来る日も青いペンキで壁を塗りつぶしていた。
梅雨に入り、絵のデザインを考え始め、「自分の絵が、通りがかった人に見られるかも」という実感が芽生え始め、少し怖くなってきた時に、ミチに連れられてたまきはライオン店長さんに会った。
そして、サキって人のことを知った。
ショックはあった。
でも、それ以上に、描きたい、挑みたい、そんな気持ちが強くなった。
いつの間にか、「絵を見られたら恥ずかしい」なんて気持ち、どこかに行ってしまった。
そして今、こうして完成した絵を見ていると、少しだけ恥ずかしさが戻ってきた。
スケッチブックの中の絵は、今でもむやみに人に見せることはできないし、『城』の壁にかけてある亜美の似顔絵は、できれば外したいと今でも思う。
それでも、こんな堂々としてるところに、たまきは絵を描いた。
きっと、いろんな人に見られても、恥ずかしくても、それでもたまきはこの絵を見てほしかったんだと思う。
ほかの誰でもない、あのサキって人に。
異界の入り口だというこの場所の、よりにもよって墓地の塀。
そんな場所なら、もしかしたら、サキって人にも届くかもしれない。たまきなりの「祈り」を込めて描いたこの絵が。
いや、もしかしたら、たまきが絵を描くのをずっと見守っていてくれたのかもしれない。
だって、たまきはサキって人と、ずっと絵を通して「会話」をしてきた、同じゲームを遊んで楽しんだ、……友達なんだから。
たまきは、自分の描いた絵の前で、人生初めてのバイト代をもらった。住職さんから渡された封筒の中には、ひと月ちょっとの作業代が入っている。
たまきと志保は封筒の中を覗き込んで、目を丸くする。
「こ、こんなにいいんですか?」
「もちろんよ」
と住職。
「さてと、たまきちゃんのうちでのアルバイトは、これでいったん終わりだけど、このあとも、絵が汚れちゃったり、塗装が剥げちゃったり、ラクガキされちゃったり、いろいろあると思うから、定期的に補修作業とかお願いしたいのよね。たまきちゃん、大丈夫?」
「は、はい」
「じゃあ、お願いね」
こうして除幕式が終わり、舞は暑い暑いと言いながら、さっさと寺の中へと引っ込んでしまった。住職さんも舞の後をついていき、志保はまだ外に残って、日傘で日差しをガードしつつ、絵の細部を見ていた。たまきは、ペットボトルの水を飲みながら、そんな志保を見ている。
そこに、
「よっ」
と聞きなれた声。亜美だ。美白などという概念のない亜美は、帽子や日傘で日光をガードするどころか、むしろ肌を夏の日差しに積極的にさらしている。
「亜美ちゃん、今来たの?」
と志保。
「さっき起きたんだよ」
「あ、住職さんにあってく? 今、中にいるよ?」
「えー、いいよ。オカマのボウズなんて訳わかんなさすぎて、いまいちピンとこないし」
と、亜美は相変わらず失礼なことを言う。
「これか、たまきの描いた絵。前見た時は半分もできてなかったけど」
亜美は、塀の端から端までを見渡した。
「マジか……」
「すごいでしょ? たまきちゃんの絵」
「いや、もっとヤバいやつを想像してたんだけどなぁ。いつもヤベェじゃん、こいつの絵」
亜美はもう一度、絵を見渡す。
「えー、思ったよりフツーじゃん。どうしちまったんだよ、たまき」
別に亜美に失望されたところで、たまきとしては特に感想はない。
亜美は、中央に描かれた白い鳥に目を止めた。
「これさ、おまえが探し回ってた、あのラクガキのやつ?」
「……まあ」
「やっぱそうかぁ。似てるもんなぁ。……パクったのか」
「……リスペクト、のつもりです」
たまきは不服そうに口をとがらせる。
「その……私が続きを描けたらいいなって……」
「続き? あの鳥の絵の?」
たまきは頷いた。
もちろん、たまきが白い鳥を大きく描いたのは、偶然ではない。パクった、というのも少し違う。
いつか誰かが、たまきと同じようにあの鳥のラクガキの「ゲーム」に夢中になった時、その人はきっと、たまきと同じように「新作」が見つからないことに落胆するかもしれない。
だから、たまきはあのゲームの続きを作りたかったのだ。いや、「続き」ではなく、「終わり」なのかもしれない。あの屋上の白い扉の向こう側にあるであろう「最期のラクガキ」とは違う、このゲームの、もう一つのエンディングを、たまきなりのエンディングを、たまき自身の手で描いてみたかったのだ。
たまき自身のために、そして、いつかまた現れるかもしれない、まだ見ぬプレイヤーのために。
そしてこの白い鳥ですら、実は「ヒント」に過ぎない。たまきが探してきたラクガキはどれも見つけづらいという特徴がある。だからこそのゲームなのだ。たまきの壁画のように堂々とでかでかと描いてしまってはゲームにならない。
壁画に描かれた白い鳥は、あくまでも「真のエンディング」のヒントに過ぎないのだ。「真のエンディング」は、あの鳥のラクガキと同じように、そう簡単には気づかないように描いてある。
一年後かもしれないし、十年後かもしれないし、五十年、百年後かもしれない。「真のエンディング」にたどり着く誰かが現れるときには、たまきはとっくにもう死んでいるかもしれない。でも、それでもいい。いつかまた、誰かがあの「ゲーム」に気づき、そしてその誰かが、いつかこのエンディングにたどり着いてくれれば……。
「ん? あれ?」
と、亜美が声をあげる。
「どうしたの?」
と志保が尋ねるが、亜美は口に手を当てたまま、じっと絵を見る。
そして、
「わかった!」
と大きな声をあげた。
「これさ、ビル街があって、その周りを白い鳥が囲んでるじゃん」
「うん」
「この白い鳥に囲まれた部分がさ、ちょうどこいつが探してた鳥のラクガキと、おんなじ形してんだよ」
「え? どういうこと?」
志保が首をかしげながら、絵の中央部を凝視する。
「だからさ、白い鳥が輪っか描くみたいに飛んでるだろ? で、ウチら、あー、あの絵パクったんだなって思うじゃん? そっちに目が行くじゃん。 でも、この白い鳥は実はフレームで、それに囲まれた真ん中の部分が、あのラクガキとおんなじ形になってるんだよ」
「あ、あー! わかった! わかった! 確かに、鳥に囲まれた風景の部分の輪郭が、たまきちゃんが探してたやつとおんなじだ!」
「だろ? どうだたまき、図星だろ!」
亜美がたまきの方を向くと、不服そうに口を尖らせたたまきがそこに立っていた。
……いつか誰かが気付けばいい、そう思って描いたのに、どうしてこの人は、今この場で気づいちゃうんだろう。
つづく
次回 第45話「タイトル未定」
鳥のラクガキ探しもたまき初めてのバイトも終わり、春ごろからまた新しい物語が始まります。お楽しみに。
クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」